本日は2020年2月22日土曜日だ。
ほんと、このブログの更新が滞りがちですが、まあこんなもんでしょう。
武漢肺炎COVID 19の感染拡大で、人々は外出を自粛し、観光地は静かになり、人が集まる場所は閑散とし、消費は減少しているらしい。
かわりに、「巣ごもり」消費は好調だそーだ。インターネット通販や、外食の持ち帰りや、ちょっと家で手を加えれば食べることができる中食(なかしょく)などの売り上げは増加しているらしい。
私は、どっちみち引きこもり体質なので、何も不自由を感じてない。今日もダイレクト出版の商品のネット配信講座を視聴しつつ、Kindleを開いているというナガラ時間を過ごしている。



今回はスパイものだ。ワクワク。
なんか、ダイアモンド・プリンセスっていうクルーズ船の状況をYouTubeで暴露した神戸大学の教授の医師をTwitterでボロクソに言ってた厚生労働省副大臣の橋本ナンタラという国会議員のお父さんの橋本龍太郎元首相は、中国のハニートラップにハマりまして、26億円(税金ですが)を中国に提供せざるをえなかったとかという話も含まれている。
なんかスパイ関連では有名な実話らしいですね。最近の日本では、反対に外国からお金もらってる国会議員や官僚が多そうですが。
外国では常識であるスパイ防止法さえ制定されていない日本。そりゃ、自分がスパイならば、スパイ防止法なんて法律を議会で通すなんて、するはずないよね、日本の国会議員に官僚さんたち。
ところで、2月14日の福山平成大学附属図書館第4回哲学カフェで、拙著『馬鹿ブス貧乏で生きるしかないあなたに愛をこめて書いたので読んでください』を読み語るイベントは、無事に終わりました。
福山平成大学附属図書館長の上村崇教授、ありがとうございました!
参加者のみなさま、ありがとうございました!
福山市在住のFacebook友だちの方々も参加してくださいました。ありがとうございました!
福山平成大学附属図書館ライブラリアンの方々、ありがとうございました!お世話になりました!






という感じで、まず最初の90分は拙著の内容に関する上村氏の紹介と、上村氏からの質問に私が答える形式で進行した。
そのあとに15分ほどの休憩。この間にお帰りになった方々もいました。
この休憩時間に、拙著を持った方々からサインを求められて、私は照れつつ嬉々として、悪筆で署名させていただいた。がははは。
それから本格的に哲学カフェが始まり始まり。
始まる前に、椅子を車座に並び替える。それから、参加者が拙著に関して語りたいテーマを選ぶ。
これは挙手の多さによって決定。


その日は、「自由に生きること」と「ほんとにその日暮らしできるのか?」が選ばれた。
意見は、挙手した人が司会者に当てられて話す。意見を言いたくない人は黙って聴いているだけでもいい。好きにすればいい。
ただし、2月14日の哲学カフェでは、自由というテーマが大きくて、このテーマで話し合うだけで2時間が吹っ飛んだ。

哲学カフェっていうのは、そもそも何か。
最初はフランスはパリで始まった。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%93%B2%E5%AD%A6%E3%82%AB%E3%83%95%E3%82%A7
要するに、普通の市民が集まって、ひとつの話題について好きに意見交換しましょう〜結論なんか出なくていいじゃないの〜という会だ。
日本では大阪大学の教授が始めたそーである。そこから、日本中あちこちに広まった。
場所はいろいろ。哲学カフェだからカフェが多いみたい。
実際に、尾道市でカフェを経営して、ご自分のカフェを哲学カフェの会場になさっている方が、2月14日の哲学カフェの参加者の中におられました。
TwitterやGoogleで検索をかけると、いっぱい出てくるよ、日本中の哲学カフェが。
名古屋では、南山大学の先生が始めたらしい。哲学科があるね、そういえば。宗教研究所の先生かな。
方法は、ともかく共通に読んでくる本を決める →参加者は、ちゃんと読んでくる。でもまあ読んでこなくてもいい→本は、どういうものでもいい→科学啓蒙書でも文学作品で小説や戯曲でもいい。
最初はその本の内容を確認し合い、それから議論する。開催時間は、ほぼ3時間。
尾崎全紀氏によると、参加者がなかなか議論を終えず、イベント終了後まで立ち話とか延々としている場合は、そのイベントは成功なのだそうである。
面白くなかった場合は、参加者はサッサと帰りがち。
が、拙著を取り上げてくださった2月14日の哲学カフェは、参加者がなかなか帰らなかった。懇親会にも予定より多くの方々が参加した。だから、大成功と言えるそーである。
この尾崎氏は哲学カフェ後の懇親会にも出席し、初めて会う人ばかりなのに、懇親会を仕切り、「電気のありがたみを知るために、ときどき電気料金を何ヶ月も滞納し、電気を止められるのはいいことである」と、自慢していた。
東京のご自宅は電気が止められたままだそうである。だから、ホームレス状態で友人知人や同志の方々のお宅に泊まり込んでいるそうである。
知る人ぞ知る尾崎氏の変人奇人ぶりはさておき、前々から噂に聞いてはいたけれど、初めて「哲学カフェ」なるものに参加して私が感じたことを、5点にまとめてみる。
(1) 風通しの良い人間関係を持つことができる楽しさ。なんの利害関係もなく、年齢も性別も立場もバラバラな人々が集まって、ひとつの話題について語り合うってことの風通しの良さ。家族親類でもなく、同僚上司部下でもなく、旧友でもない他人と知り合い、語り合えることの解放感。
(2) 知的会話ができる楽しさ。普通に社会人で過ごしていると世間話はしても、知的会話知的対談に飢えてくる。自分の意見を蕩々と述べる気はなくても、聴いているだけで刺激され鼓舞されることはある。
(3) 日本社会に真の「社交文化」が根づく予感の嬉しさ。社交とは会話だ、対話だ。相手の話すことをよく聴いて理解して自分の考えを明確にしていく。そのプロセスを楽しむ。このプロセスの中で、人々は社交のマナーを学ぶことができる。語り合いのマナーを学ぶことができる。やたら、自分の話ばかりする人は、静かに無視されるから、参加しなくなるよーな気がする。
(4) ともかくいろんな人が世の中にはいると知ることの楽しさ。家族親類と職場しか人間関係がないって人は少なくない。賃金労働に追われていると、そうなりがち。職場ってのは、すでに選別された上での人間関係なので、ほぼ似たり寄ったりの人にしか会えない。やはり、いろんな人に会うことが、視野を広げることに繋がる。
(5) 哲学カフェは、読書人という「階級X」を形成する!格差社会と言われる。貧富の差が拡大しつつあると言われる。金の差は確かに教養の差を生みやすい。でも、金があるからといって、教養があるとは限らない。日本において問題なのは、金や地位や権力のある人々に教養がないってことだ。読書してもの考える人間は、現代日本において、階級横断的な「階級X」だ!
ということで、哲学カフェ後の懇親会も楽しかった!!
私は、お酒が飲めず、退屈しやすく、気の悪い人々の間にいると体調が悪くなる。その私が楽しく過ごせた「飲み会」というのは、実に珍しいんであります。
これは、参加者の方々が、いかに気持ちの良い方々であったかということなんですよ!
いやあ、福山市にあんなに大量に明るい面白い方々がいたとは!最後の勤務先を基準にして福山市を考えてはいけないと、あらためて知ったバレンタインデーでした。
私は、「哲学カフェ」に希望を感じた。
最後に紹介させていただきます。
『婦人公論』3月10日号に拙著が紹介されました!店頭でご覧になったら、立ち読みしてやってくださいね!


はじめまして、興味深く拝読いたしました。哲学はすごいですね。生活や現実を見る視点、視座を新しく塗り替えてくれるような気がします。自らの経験に対して様々な意味付けをしてくれるようで楽しいです。
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suzakuterryさま
コメントありがとうございます。哲学というと、なにか日常に関係ないような気がしますが、日々の選択、意識、決定に全部関わってきますね。自分の原則ってなんだろう、自分の前提ってこうだったのかと、いろいろ発見ができるのも、他人の意見を聞いたからこそ、明らかになるってこともあります。
ひとりで生きているわけじゃないなって思います。
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