[447] 人類が肉体離れしつつあるのかもしれない

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本日は2020年9月17日木曜日だ。

最近、新聞で「インドのモディ政権が代理母出産を禁止する」というニューズを読んだ。8月23日付「日本経済新聞」の朝刊だ。

インドでは、最下層の女性たちのビジネスで、「代理母」業がある。

子どもに恵まれない富裕層夫婦の依頼で、他人の受精卵を自分の子宮に着床させ、めでたく出産すると、日本円で40万円ぐらいの謝礼を得るというのがある。

https://www.afpbb.com/articles/-/3102163

2002年に合法化され、毎年2000人の女性が代理母ビジネスをする。

顧客には欧米人が多い。インド人富裕層カップルの顧客もいる。

謝礼とは別に、定期的な病院での受診料、出産費用、妊娠期間の生活費などを顧客が支払う。インドでは、これら全部で200万円ぐらいですむらしい。

これは、諸外国での代理母費用に比較したら圧倒的に安い。物価の安いインドだから可能なビジネス。

これ、日本人女性が引き受けるとすると、全ての費用込みで最低2000万円ぐらいもらわないと、やれないだろう。

しかし、インドの最下層の女性にとっては、40万円だって、ものすごい大金なのだ。

まあ、需要があれば供給もある。いいんじゃないの。

と私は思うが、そうはいかない問題が多い。

まず、インドの最下層の女性は文盲が多く、きちんと契約書を自分の目で確かめることができないというより、契約書というものすら知らない。

インドには義務教育がないからね。

だから、需要側というか顧客や、顧客と仲立ちする業者の都合のいい契約をされてしまう。

だから謝礼が代理母さんに、きちんと渡らない事例もある。

10ヶ月以上もお腹の中に入れて、他人の胎児を大事に大切に守ってきたのに。

また無事に出産しても、その子どもに障害があると、顧客は子どもを引き取らない。「健康じゃない子どもなら、要らんわ」である。

出生前遺伝子検査しても、発見できない障害というものはある。

子どもが生まれる前に、顧客夫妻が離婚しちゃって、「子どもなんか要らんわ」という事例もある。

代理母を引き受けた方だって、要らんわ。他人の卵子に精子だぞ。

あまりに、そういうトラブルが多くて、モディ政権も動かざるを得なくなったのだ。国際的にも聞こえが悪いしね。

でも、「私らの仕事を奪うな!」と、最下層女性は、代理母禁止に反対だ。

この記事に私が注目したのは、「女性の人権をどう考えてるのか!こんな搾取!!」と怒ったからではない。

昔から日本では後継者を獲得するための「腹は借り物」という言葉があった。

女性の身体を介さないと人間の再生産ができないので、しかたないから男は女に産んでもらうしかないということであり、その女そのものはどうでもいいという意味だ。

このインドの代理母の事例は、それよりもすごい。

ほんとに、人間の身体を、人間の心と離して、機械のように、卵孵化器のように扱っている。

人間の機械化だ。

いつ頃から、こういう人間を機械のよう見る見方に、人々が慣れてきたのだろう。

カズオ・イシグロの小説「わたしを離さないで」Never Let Me Goは、臓器移植用のクローンとして育てられた若者たちの哀切な物語だった。

イギリスで映画化されたし、日本でもTVドラマ化された。主役は綾瀬はるかちゃんと、三浦春馬くんだった。

今や、臓器移植用の臓器販売は、中国が突出して成功しているらしい。

ウイグル人やチベット人や法輪功の信者を逮捕しては、臓器移植用にリサイクルしているらしい。

かの媚中派の幹事長の二階さんも、奥様が中国での臓器移植で命を救ってもらったとかで、二階さんは中国に多大なる恩義を感じているらしい。

すごいよね。

これこそ、人間の機械的見方よ。

内臓なんか、時計の部品のパーツと同じで、交換可能なんよ。医学は、そこまで発展したんよ。

この人間の内臓や身体が代替可能なものであり、不具合があったら捨てて、機能できる部品に交換できるということを、今や多くの人々が、違和感なく受け入れつつある。

いずれ、人工肝臓と人工腎臓とかも開発される日まで、過渡期的処置として、死者の内臓を使わせてもらうのではなく、生きているけど無用な人間から内臓を取り出して活用してるのが中国。クローン技術で内臓移植用人間を施設で養育するのが、カズオ・イシグロの小説。

日本のTVドラマの「わたしを離さないで」において三浦春馬くんが演じた役のクローン青年は、腎臓と肝臓(だったかな)を同時に使われちゃって、つまり摘出されて、亡くなりました。

臓器1個ぐらいなら大丈夫だけど、同時に2個摘出ではね。

内臓機械部品化。

こーいう人間身体観が浸透してきたのは、やはり、サイボーグが映画やアニメに登場するようになってからではないか。

ロボットとサイボーグは違う。

ロボットは100%作り物で人工物で無機物。

サイボーグは、人間と機械のハイブリッド。有機物と無機物の混合。

『ロボコップ』が最初くらいかなあ。人間の警官とロボットの融合したスーパーコップは、サイボーグだ。

たとえば、『新世紀エヴァンゲリオン』 の巨大な汎用人型決戦兵器(EVA)は、ロボットじゃない。人間が内部に入って操作してこそ機能するので、サイボーグだ。

「ガンダム」じゃないんだよね。

『新世紀エヴァンゲリオン』の真似みたいなアメリカ映画の『パシフィック・リム』も、操作者の脳と人型兵器が連結されてるんで、もろハイブリッドなサイボーグ。

『攻殻機動隊』の草薙素子少佐もサイボーグ。

私たちは、1980年代から、無機物と有機物混合のサイボーグを、フィクション上で見慣れてきた。

そうなると、次第に、私たちは、脳だけは人間であれば、あとは全部機械であっても、人間みたいなもんだと無意識に思うようになったのかもしれない。

実は私もサイボーグ。右目も左目も人工レンズ入り。白内障のために、両目の有機物の水晶体は白濁して使い物にならなくなったので廃棄された。

いずれは、ペースメーカーや膝や股関節にチタン入れるんじゃなくて、人工内臓が実用化される。

人間の脳の記憶とかダウンロードして、チップ化して、ロボットの頭部に差し込んだら、これは、サイボーグなのか、ロボットなのか?

AIロボットとは言えないよ。だって、確かに、生身の人間の脳をデータ化したものが入ってるんだから。

何を私は言いたいのか?

ひょっとして、人類の心理的身体離れが起きているのではないか?

最近さあ、日本では男性の草食化とか、非婚化とか、童貞率や処女率が上がっているとか、言われている。

その前から、引きこもりやニート現象はあった。

これらの現象の背景には、経済不況もあれば、人間関係の希薄さ、機能していない家族関係の問題があるだろう。

私は、どうも、現代の若い日本人の精神が肉体を邪魔に感じつつあるのではないかと思う。

あなたは、そう思ったことないですか?

私は、生きていることを楽しんでいますが、肉体は邪魔だなあ、厄介だなあと思ってきた。

すぐに疲れるし、痛くなるし、怪我するし、病気になるし、空腹になるし、排泄するし、便秘になれば不快だし、女性は生理になるし、生理痛あるし、毛は生えてくるし、汗は出るし、睡眠不足であるだけで機能停止しかねないし、経年劣化するし、加齢臭はあるし。

有機物って、特に動物という有機物はろくでもない。腐るし汚いし。

ただ、魂だけだと存在として置きどころがないから、人間型ボディスーツ着て、そのスーツが自己保存できるシステムとして内臓があるんでしょうが、そろそろ、人類はうんざりしてきたのではないか、有機物の肉体に。

この有機物を支えるために、人類は労働し、食料を求め、再生産のために性交し、出産し、苦労して養育し……暖を取るための燃料を探し。

この肉体があるために、人類の苦労は尽きなかった。戦争も起きた。

いっそ、身体だけでも、サイボーグなら、AI型ロボットなら、面倒くさくない。

ほんと、私はガキの頃から、心だけでいいのに、身体は邪魔だ、身体は牢獄だと思ってきた。

大袈裟に言うと、霊と肉の葛藤よ。冷凍肉のカットではない。

だから、サイボーグには憧れてきた。

引きこもりも、ニートも、非婚化も、性交回避も、今の若い人に見られる現象って、彼らや彼女たちが身体の有機物性にウンザリして、はっきり重荷に感じているからじゃないの?

思うに、感受性が鋭くて傷つきやすい人は、ものすっごく疲れるよ、今も昔も世間というのは、お馬鹿で心無い。

私ぐらいの年齢になると、世間なんて馬鹿に決まってると超上から目線で適切に馬鹿にして無視できるけれども、子どもや若い人は、世間にビビるでしょう。

なんで世間とつきあわなければいけないかと言えば、肉体があって現世というものがあるからよ。

でもって、なんで世間の多くの人々が、ああもトンチンカンで無駄に勝ち負け意識に囚われてぎゃあぎゃあ騒いでいるかと言えば、彼らや彼女たちは、アホなりに、自分の有機的肉体の要請に苦しんでいるのだよ。

有機的肉体を維持していくために必要なカネやモノやヒトを獲得確保するための労働とストレス。

みんな肉体を持ってることが悪いね。

自分の身体を機械のようにパーツ交換できると思うようになりつつあるし、実際に科学技術の発展で肉体を機械のように扱えるようになりつつある人類。

そうなると、従来の有機的肉体に幽閉された生き方を苦痛と感じる人類が、ジワジワジワジワ増えてくるのも不思議じゃない。

日本における引きこもりも、ニートも、非婚化も、性交回避も、有機的身体から解放されたい人類の欲望の最先端の現象かもしれない。

なんで、日本かといえば、日本人はやはり繊細だからさ。エレガントですよ。動画見てても、日本人の立ち居振る舞いは、エレガントですよ。

日本だけ見てると、それに気がつかない。いろんな国の動画見てると、みな、人間というより、ケダモノに近いような獰猛さを感じる。男女問わず。

諸外国は、まだ野蛮で血生臭い戦国時代だけど、日本は戦国時代は400年前に終わっているんで。

そんな世界で生きている日本。大変ですよ、ほんと。

ひょっとしたら、人類が有機的肉体から解放される日が来るかもしれない。

人類の中で日本人が一番早いかもしれない。自分は永遠の命を持つ魂そのものだと覚醒するのが。

まあ、日本人でも、野蛮なのは、ずっと有機的肉体の要請に振り回されるでしょうが。猥褻教員とかさあ。

知らなかったわ〜〜

小学校や中学校の教師は児童や生徒に猥褻行為しても懲戒免職にならず、退職金支給されてきたんだってさ。なんという甘さよ。教育委員会なんか消えろ、もう。要らんわ。

私の最後の勤務先の教育学部の教員は、温泉の女子浴場の脱衣室からパンティを盗んだだけで、防犯カメラに映ってたもんだから逮捕されて、大学から懲戒免職されたけどね〜〜

5件のコメント

    1. yuubishyouten/ゆうび商店さま

      コメントありがとうございます。いや私も驚きました。教員免許も取り消しではなく3年間失効なのです。3年過ぎれば、使えるのです。

      今回やっと記録は40年残し、原則的に懲戒免職。それも「原則的に」です。なんとでも解釈できます。

      いいね: 1人

  1. 藤森様、こんにちは。
    私は常々、心は体の隅々に存在しているのではないか、と考えています。
    臓器移植をした時に、ドナーの記憶を共有するという事案からそのように思い至りました。
    心とは人間性。
    体をパーツとして機械化・サイボーグ化していくと、心の濃度は薄れていくのではないでしょうか。
    死とは完全な肉体との離別、心をゼロとして純粋な魂のみの状態になる。

    ところで最近、神代の時代の末裔という方と知り合いになりました。
    1400年安曇野に封印されていた一族の末だそうで、これまでの私が追いかけていた伝承とはまた違った、伝承をお持ちです。
    その方や、その方が教えてくれた土蜘蛛の末裔という別の方などは、一族が受けた怨讐を血の涙を流すほどに未だ持ち続けているようで、輪廻とは何かと考えるようになりました。
    恨みつらみを含め、この世に未練を残したままであると、魂は輪廻に絡め取られてしまうのではないか、など。
    しかし日々膨大な命を消費して生きている私たちはまた、命を消費させられることを覚悟しなければならない。
    肉を食えば、肉を食われることも否定できない。
    虫や草を踏みつけたなら、自分もいつか踏みつけられることを認めなければならない。
    死の間際、どんなに壮絶で悲惨な最期であっても、それを許せた時、魂は真の解脱を迎えるのではないかと思ったのです。

    まあ、私などはまだまだそんな境地に程遠いので、しばらく輪廻で苦界をさまようのですが、それも人間的で悪くはないのかと。

    いいね: 2人

    1. CHRICOさま

      コメントありがとうございます。

      「エイリアンインタビュー」でも、なんで転生してしまうかといえば、自分の持つこだわりがエネルギーとなって、罠にかかり、物質化して生まれちゃうらしいです。執着を持たないことが輪廻のサイクルから脱出するためには必要なんですね。

      切腹というのも、その激痛によって、この世への恨みや怒りを忘れるのだそうです。

      未練を残さないために、私は目一杯死ぬまで生きようと思っています。きついし疲れますけどね。

      私は、ちょっともう生まれたくはないなあ。自由な魂となって、遠い宇宙に行ってみたいです。

      いいね: 2人

      1. 切腹をそのように捉えたことはありませんでした。
        そう聞くとちょっと憧れますが、介添えなしでは、厳しいですね^ ^
        自由な魂、とてもロマンチックです♪
        まずは今の生を全うしないと、ですね。😄

        いいね: 1人

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