本日は2021年3月22日月曜日だ。早朝の午前4時です。
岡山県岡山市JR 駅の前にあるホテルにいる。本日のお昼前にはチェックアウトして名古屋に帰る。
3月20日土曜日に名古屋から夫に運転してもらって岡山に来た。長かった!
3月21日日曜日に岡山市から北に向かって高速道路で1時間30分くらいのところにある真庭市蒜山(ひるぜん)高原に行った。
蒜山高原は鳥取県との境にあり、もっと北に行けば鳥取県倉吉市である。
倉吉には大学時代の美術クラブの友人がいるけど、今回は会えない。残念。
なんで蒜山高原に行ったか。
蒜山高原にある日本一の石の大鳥居のある茅部(かやべ)神社に参拝しに行った。
なんで茅部神社か。
この神社は、最新の自動車に搭載のナビで検索しても出てこない。
この神社のサイトはあるが、そこに記載されている電話番号をナビに入力してもダメ。
その電話番号は、出雲大社系某神道教会の宮司さんのお宅の電話番号であって、茅部神社の社務所の電話番号ではない。
行きたい方は、神社を探すのに苦労することを覚悟して行ってください。
1番いいのは、真庭市蒜山西茅部地区に入ったら地元の方に尋ねることですね。
といっても、そもそも地元の人に会えない。誰も見かけない。私が行ったときは日曜日だったからか、仕事にも出かけないからか、自動車も見かけなかった。
「茅部神社」という標識があっても、その標識どおりに行ってもたどり着けない。
わざと隠しているのではないか?
物見遊山で来る人間を静かに拒否しているぞ!
大雨の中、西茅部地区を彷徨いつつ夫と私は困った。どこにあるのか?
そうしたら、ラッキーなことに、ある民家のガレージに自家用車を入れている奥さんをお見かけした。
それで、やっと茅部神社の位置を教えていただけた。やっと日本一でっかい石の大鳥居の位置がわかった。
こんなんわかるはずねーだろ!という場所に大鳥居はあった。


この石の大鳥居は、この蒜山高原の山から採掘した花崗岩でできている。
高さ13.18メートル。周囲3.18メートル。
安政7年(1860)から3年の年月を経て文久3年(1863)に東茅部村石賀理左エ門、西茅部村友金古平の両氏が発起人となり建立された。明治維新の5年前だ。

石材は蒜山高原の磐座山より搬出された花崗岩。御影石ね。
石工は伯耆国倉吉の横山直三郎並びに郷原在住の米倉鉄造の作と伝えられている。此の費用1万両。すごい。
銅製唐獅子1対が建立されているが、これは明治32年1月1日に建てられたもの。高さ4メートル、獅子身の高さ130センチメートル。
この大鳥居から南に向かって長い長い長い桜並木の細い道を進むと、茅部神社があった。


この神社は変だ。この神社のサイトにはこう書いてある。
https://www.okayama-jinjacho.or.jp/search/19160/
「近世に入り十二社権現、岩倉宮、岩倉十二社権現と称し文久元年(1861年)11月17日旧社、大社の旨を以て神号許可綸書を受け、天磐座大神宮と称した。明治40年神饌幣帛料供進神社に指定される」と。
なに、この「天磐座大神宮」って。
アマノイワトザダイジングウ? アメノイハクラダイジングウ?なんて読むのかわからないよ。おそらく後者が正しいと思う。
大祓祝詞では、天の磐座は、「アメノイハクラ」と発声するから。
だけど、ダイジングウとは?
「大神宮」なんて、伊勢神宮でも出雲大社でも「大神宮」じゃないよ。
なんで「大神宮」よ。
神社ってのは、勝手に神社名を名乗ることはできません。今なら神社本庁、当時なら京都は吉田山の吉田神道のトップから許可が出ないといけません。
「天磐座大神宮」という神号許可を受けたと、サイトにはサラッと茅部神社の来歴として書いてある。つまり、許可が出たんよ。
なんで許可が出たの?
こんな辺鄙な場所の村の神社に?
その「大神宮」が、なんで今は一般的な「郷社」に格下げされて、無名のまま蒜山高原に埋もれているの?行ってもどこにあるかわからないみたいに埋もれているのはなぜ?
朽ち果ててはいるけれども、小さな駐車場も、閉鎖はされていたけれどもトイレもあって、管理はされているのが明らかな神社だ。


つまり、細々とながら、蒜山高原の茅部神社の存在は知られてきたわけだ。
知る人ぞ知る神社なんだ。
私は、本殿に向かい「高天原の祝詞」(天津祝詞のこと)を3回ほど捧げる。
行く途中の車の中でも何度も唱えていたけど、やっぱ、目的地の真の高天原の霊的要たる神社で捧げる祝詞は、心に響く。
って、自分で勝手にブチブチ言ってるだけですが。

ここから先は、オカルト研究者であり、物理学者であり、岡山ノートルダム清心女子大名誉教授の保江邦夫氏の講演内容から拝借する不思議な話です。
この動画はダイジェスト版。
全部をご視聴したい方は、下のサイトから申し込んで、料金払ってくださいね。
でも、ここでは保江氏のご講演内容を無料で横流しします。保江先生、すみません。
こういう話は私の大好物ね。
(講演横流しはじめ)
蒜山高原には、保江氏の勤務先であった岡山ノートルダム清心女子大のセミナーハウスがある。
そこに保江氏は友人の矢作直樹医師(東大病院のお医者さんだった)を連れて行った。蒜山高原は夜になると、UFOがビョンビョンとよく飛ぶので。住民は慣れっこで騒ぎもしないそうです。
そしたら、蒜山高原在住の女性から連絡があった。保江氏のご著書を読んだ蒜山高原在住の歴史研究家の80歳過ぎの男性が是非とも保江氏に話したいことがあるそうなので、蒜山に来ていただけないかと。
で、行って話を聞いて驚愕。
幕末の頃に、蒜山茅部の村長(むらおさ)に「夢のお告げ」があった。
「今、日本は危機に瀕している。薩長連合が勝てば日本はイギリスの植民地になる。幕府が勝てば、オランダやアメリカの植民地になる」
(あれ?フランスの植民地ではなく?幕府に武器供与してたのはフランスだったよねえ?あ、でも南北戦争の武器の在庫も売りつけられていたか)
「今こそ日本の神々が地下から地上に出て日本を守る時期だ。日本の神々は、この蒜山高原の地下におわす。この高原こそ高天原である。地下の神々を地上に出すためには、神々が地上に出ることができる出口が必要であり、それは磐山の御影石を切り出して、それで大鳥居を建てよ。そうすれば、神々が日本全国に解放される。ついては、神社の名は天磐座大神宮とせよ」
これがお告げだった。
村長は、さっそく実行に移した。村人たちも一致協力。
「天磐座大神宮」という名称をいただくには吉田神社の許可が必要だったが、巫女の審神(さにわ)により、確かに神が、アメノミナカヌシノカミがそれを求めておられるとわかり、許可が出た。
おかげで、日本の神々が日本を守り、日本は植民地にならずに独立を保てた。
今でも蒜山高原には古事記に登場する地名と同じ地名の場所が多い。蒜山高原こそ真の高天原である。

( 保江氏のご講演横流し終わり)
私は、3月の始めに、このご講演を視聴して、直感的にこの話は真実だと思った。
私は、大事なことほど直感intuitionで決める原始人である。
夫は迷うと、「あなた決めて」と言う。「あなたから勘の良さを取ったら、なんも残らん」と言う。
結婚以来、私が言うことに反して実行すると、結果が良くないことが多かったらしい。
私は自分が勘がいいとは思わない。
でもまあ、直感で決めてきてしまって、特に災難もなく今日に至るので、ひょっとしたら、勘がいいのかもしれない。
そーいう私は、ピピピと来たら、どこにでも行く。
しかし、機会はあったのに、私はなぜか宮崎県の高千穂には行かなかった。
あそこも聖地には違いないが、気持ちが惹かれなかった。
ちょっと考えてよ。
邪馬台国が九州か畿内かっていう論争。
古代だぞ。
徒歩と馬しかないんだぞ。馬だってないわ、古代日本なんか。
九州は海の向こうだ。ハッキリ言って外国だ。中国に近いわ。
「日本」の古代の歴史は本州と四国が舞台に決まっている。
大和朝廷が卑弥呼の邪馬台国と同じはずない。卑弥呼は本州からすれば、九州という外国の部族の長だ。刺青してたんだしさ。太平洋文化圏のミクロネシアの風習だろ。九州はハワイに近いの。フィリピンに近いの。
大和朝廷は、出雲や岡山との関係を経て奈良に来たんよ。
おそらく、ある種の人々は、岡山こそ、蒜山高原こそ高天原と知っていたけれども、それは隠すことにしたのだろう。
あまりにも重要な場所だからこそ、穢されることを恐れたのかもしれない。
だから、幕末に許可された天磐座大神宮という名称も秘して、「茅部神社」という郷社という立場になったのだろう。
いわば、由緒正しい最高のお姫様が、普通のその辺の平凡なおねえちゃんの顔して生き延びてきたんだ。
お姫様は危機に晒されやすいから。
私は、保江氏のご講演を視聴して、是非とも蒜山高原に行こう!と心に決めた。
幕末日本を霊的に守護した神々がおわす蒜山高原に行こう!と決めた。
で、やっと第3作目の校了が終わったので、岡山に来たんです。
ほら、2011年3月11日の東日本大震災のあとに、首都は岡山に移転する方がいいとかいう話題が出たでしょう。
あれ、私には不思議だった。
なんで岡山?なんで唐突に岡山?
ひょっとしたら、岡山の蒜山高原こそが真の高天原であり、日本の神々がおわす場所であり、岡山が日本の中心となるのが必然という認識が、連綿とある種の日本人の間に伝えられ続いて来ているのではないか?
岡山が首都になるときこそ、日本が再生するときであり、それこそ日本最大最悪の危機を乗り越えてこそ実現することなのではないか?
それが20年後か30年後かはわからないけれども。
保江氏によると、「山」というのは古代日本語で「神がいる場所」という意味もあるそーだ。
ただのmountainという意味だけではなく。
で、「岡山」というのは、「おおっきかやま」ということで、「大きな神がおわす場所」という意味だそーだ。
大きな神とは、アメノミナカヌシノカミのことであり、アマテラスオオミカミよりも格上の最高神。
アメノミナカヌシノカミ。天之御中主神。
うーん、日本の最高神は天照大神ということになってるけど、それは、より重要な神を隠すための装置なのかもしれないなあ……
岡山県って、やったらアメノミナカヌシノカミを祀る神社が多い。
https://yaokami.jp/okayama/g52380/
うーん、恐るべし岡山の霊的布置!
そう言えば、私の母方の曽祖母の実家は岡山だった。
亡き母に言わせると、母の母(私の祖母)は、いつも母の母の母(私の曽祖母)から愚痴られていたそうだ。
「自分の姉妹たちは、京都の有名なお寺に嫁いだり、御所(!?)に奉公にいったのに、私だけ岐阜の養老の材木屋に嫁に来るはめになった。私は母親に嫌われていたので、こんな田舎に嫁に来た」と。
確かに、岡山から岐阜っていうのは遠いよなあ。幕末や明治の始めだもんね。
この話を母が私にしたのは、祖母の死後だ。1990年代初頭だった。
もっと早く言え!ならば、じっくり私が祖母に取材できたのに。
なんていうか、岡山も隣の福山も、短躯で、顎が四角く張っていて、目がパッチリという容姿の女性が多い。顔はハーフっぽいけど、身体は日本原人ね。
つまり、縄文人よ。
アイン・ランドと同じ巳年1905年2月生まれの母方の祖母は縄文人体型だったですね。私は、この祖母に体型が似てる。つまり手足短くてデブね。
母に似てたら、もっとスリムだったはず。母は弥生人系の祖父に似てる。
祖母は料理も裁縫(和裁)もなんでもできた。何でも自分で作っちゃうので、子ども心に私は感心してた。
幼い頃の私にとっては、「あられ」なんてのは買うものではなく、祖母が作るものだった。
悪かったのは男運だけ。夫と息子(母の兄)はできが悪かったようであります。
それはさておき、私にだって、岡山人の遺伝子は流れているのだよ。
夫と私は、また蒜山高原に来ようね!と話し合った。
夫が、私の神道趣味に付き合ってくれる人で良かった。
無事に無人の神社参拝を終えて、高速道路に入るところにある「道の駅」の「風の家」という小食堂で休憩。

安心してしまって疲れた私はホットミルクを注文。美味しかった!
ついでにソフトクリームも注文。蒜山高原は牧場も盛んで、牛乳は名物です。ついでに「風の家」ラーメンも注文。これが美味しかった!!!
ここの「蒜山焼きそば」は、B級グルメのコンテストで優勝したらしい。
いかに大食らいのデブの私でもホットミルクとソフトクリームとラーメンの後に焼きそばは無理だった。残念。
次の機会は絶対に「蒜山焼きそば」をいただくぞい。



みなさま、岡山県の蒜山高原はいいですよ!
なにしろ、真の高天原だから。
移住するなら岡山県。蒜山高原は冬はスキーで有名らしいです。
ここに移住すれば、食糧難の厳しい時代もサバイバルできると思う。20年若かったら、私も移住するかもなあ。家庭菜園付き一戸建てなんか、売り物件を見たけどね。今はネット社会だから、ネット環境さえ整えば、蒜山高原でも、美星町でもいいよね。
しかし、茅部神社は行くの大変。
参拝ご希望の方々は、心していらして下さい。汚しちゃいけない!穢しちゃいけない!
馬鹿な愚民どもが霊山富士山に登って穢しまくったもんだから、富士山大噴火するかもしれない。
日本の行く末を考えるのならば、真の高天原はそっとしておくほうがいいのかもしれない。
でもまあ、私のBlog読む人は、愚民じゃないから。ほほほほほほほ。


はじめまして。直感を働かせるためには思考も感情も感覚も使わないとダメですから。直感をバカにしてはいかんです。
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tomoさま
コメントありがとうございます。
直感もいろいろで、何も無いところからポッと出そうなものもあれば、それまでの経験や知識のプールから浮かび上がって来るものもあれば、天啓のように撃たれたかのように感じるものもありますね。
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藤森先生
直感もいろいろ、本当にそうですね。私自身は理論や根拠が弱いと思われて「直感、カン」と批判を受けることが多いのでついコメントしたくなってしまいました。実際は結構な研究やら経験の成果だったりするのですが。ところで先生の想像したセクハラ米映画プロデューサーの気持ちが面白くて大好きです。どうぞこれからもお身体に気をつけて、冴えない女子を鼓舞するような文章を楽しみにしております。
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はじめまして
茅部神社での祝詞、ありがとうございます。
今迄隠されてきた真実がようやく公に出来る日も来るようです
高天原へ・・
またのお越しをお待ちしております。
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dhiekoさま
コメントありがとうございます。あれ?茅部神社の関係者の方でらっしゃいますか?
あの日は、今も心に思い返します。高天原には、もちろんまた行きます。
日本を守護していただかねば。
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保江先生のYouTubeから色々検索してたどり着きました!✨最近トントン拍子で保江先生の存在を知り、蒜山高原を知り、日本ならず宇宙にまで想いを馳せています✨🌠✨ブログ参考にさせていただきます✨😌✨大変勉強になりました!✨私も必ず蒜山高原に参ります!
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加藤洋子さま
コメントありがとうございます。蒜山高原は,ちょっと不思議な気が漂うところでした。
是非ともご自分で体験なさってください。私も、今度こそは,蒜山高原に宿泊して、UFOを見たいものです。
でも、私の人生には、そういうロマンチックなことがないんですよね〜
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