[470] 訃報

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本日は2021年8月18日水曜日だ。

昨日、私が伊勢白山道さんの著書を本Blogで紹介したら、「伊勢白山道なんて偽物だ」とBlogのコメントに書いてきた人がいた。私が「盲信してる」とも書いてきた。

この方は私のBlogをちゃんと読んだのですかねえ?読めば、私の著者に対する微妙な距離感がわかるはず。

人間に偽物も本物もない。自称霊能者に偽物も本物もない。みな偽物に決まっている。それでもいくばくかの真実があるのだろう。

「盲信」なんて、私は釈迦にもキリストにも天照大神にもしたことない。ましてや生きている人間になど。

この世界のどこかに「本物」があると思うなんて、幼稚な依存心だ。そういうの「学生根性」というのだ。「先生」なんて、どこにもいないよ。ほんとはね。

私が、その時に面白いと思えばそれでいいのだ。来月になったら忘れているかも知れなくても、それでいいのだ。

ところで、同じくBlogのコメントに、母校の名古屋の南山大学時代に所属していたクラブ(美術部)の後輩の男性から、私と同期の男性のS.Oさん(O君と以後記す)が亡くなったという訃報をいただいた。

末松さん、お知らせくださり、ありがとうございます。本Blogも読んでくださり、ありがとうございます。

そういえば、どういうわけか、ここ数日、私はふとO君を思い出していた。

今年の3月のはじめにも、私は親しい女性の先輩の方を亡くしていた。その頃にも、ふとその方を思い出すことがあった。

その頃は、第3作の校正とかで忙しく、くたびれていて、メイルを出さなかったことが、とても悔やまれる。随分と優しくしていただいたのに。立派な女性だった。

O君の話に戻る。彼は浪人していたから、私より1学年上で1952年生まれだった。まだ69歳だ。亡くなった理由は知らない。

経済学部だった。

南山大学というのは、私立大学には珍しく、経済学部の入試科目に「数学」が必須だった。今はどうなんだろう。

だから、南山大学経済学部というのは、南山の近所の国立の名古屋大学を受験して不合格だったので、浪人して再挑戦したけど、やっぱり落ちたという人が多く入学していた。

私の中学からの親友の女性は某公立大学の入試の数学の試験は満点をとれたけれど、名古屋大学農学部の数学の試験はほとんどできなかったと言っていた。さすが旧帝大だ。名古屋大学の数学の試験は難しいらしい。

ということで、南山大学経済学部には、けっこう優秀な人がいた(今は知りません)。

少なくとも私が知る限り、美術部の部員で経済学部の人は頭の良い人が多かった。私のような脳足りんはいなかった。

亡くなったS.Oさん(以後Oくんと記す)も、頭の良い人だった。読書家であった。人柄も良かった。みなから信頼されていた。

下の写真をご覧ください。写っている男性がO君です。すっごくハンサムでしょう。

今頃になって私は気がついてる。彼はすっごいハンサムだったんですねえ!

O君は、実家が岐阜県の本巣市だったので、描く油絵も岐阜の山々などの風景画が多かった。

O君は、そのうちの一枚を私にプレゼントしてくれた。

その絵は、私の実家の応接間の壁に飾られた。かなり大きな油絵だった。父が、その絵をとても気に入ったからだった。

父を1992年に、母を1998年に亡くした後は、私は実家を業者に解体してもらい敷地を売り、土地代金は妹と折半した。Oさんに拝領した油絵は自宅にしばらく置いてから、大阪の勤務先の近くに借りていた部屋に運び込んだ。

その油絵は、2011年に広島県福山市に移った時に、勤務先から徒歩20分のところに借りた部屋に運び込んだ。

さらに脚を悪くしてから、勤務先から徒歩3分のところに部屋を借りたので、油絵はその部屋に運んだ。

そして、2017年3月末にその部屋を引き払い名古屋に帰ってきたときに、その油絵をどうしたのか記憶にない。

処分した記憶もないし、どこかに仕舞い込んだ記憶もない。

探せば在ると思う。押し入れの奥か、クローゼットの奥に。

私は自分が購入した物を捨てるのは平気だけれども、人様からいただいたものは捨てないことが多いから、捨てたはずはない。

結婚した1980年に友人や先輩からいただいた食器類は今でも大事に使っている。親御さんが経営している陶器会社で、食器のデザインをしていた昔の教え子さんの作品の食器も大事に使っている。

ましてや、亡き父が気に入って飾った油絵だ。捨てるはずない。

ただし、かなり大きな絵で重量もあったので、狭いマンションの壁に飾るには圧が強すぎるので、その油絵はずっと梱包されたままだった。

O君が亡くなったと知らされて、昨夜、私は昔のアルバムを探した。学生時代のアルバムを探した。

しかし、整理整頓が悪くて、どこに置いたのか思い出せない。

それでも、すぐに見つかったのが、この緑色のアルバムだった。

このアルバムをめくった。

1ページ目に、この写真が貼られていた。丁寧に貼られていた。これ、私なんですよ。今の私を知っている人からすれば、絶対に信じられないでしょうが。

思い出した。

このアルバムは、なんかの科目をひとつ落第して半年間留年した私をかわいそうに思ってくれたO君が、1年遅れの私の卒業式のために作ってくれたのだった。

卒業式の時の私の写真をいっぱい撮影してくれて、その写真をアルバムに整理してプレゼントしてくれたのだった。

今でこそ9月卒業とかの制度もあるが、私が大学生の頃は、留年したら単位をとっても、卒業式は次の年の3月だった。

私は、まだ大学卒業もしていないのに、すでに教員免許取得のための単位は全部とっているという理由で、県立高校の非常勤講師をしていた。

当時は、愛知県教育委員会もこんな具合にのんびりしていたのだ。アバウトと言うべきか、テキトーと言うべきか。

O君には、こんなに親切にしてもらっていたのに、私はこの緑色のアルバムについて忘れていた。

このアルバムをめくったのは何年ぶりだろうか。

1977年に大学院に入学したので、そのあとはもう怒涛だった。無茶苦茶に忙しくなった。

だから、大学生時代や美術部時代を懐かしく思い出す余裕もなかった。正直言うと、私にとっては前世のように遠い昔の出来事だった。

大学院に入ってからの人生がきつくて辛くて、そこからもう大学を退職する2017年3月末まで、ノンストップの多忙さだった。

だから、年賀状のやりとりだけで、O君とはその後は会ったこともなかった。ときどき思い出すことはあったが、元気にしているに違いないと思っていた。

O君が生きていた時には言う機会もなかった感謝の思いを、ここで伝えます。

大平修司さん、ありがとうございました。アルバムをありがとうございました。油絵をありがとうございました。いっぱいいっぱい親切にしてくださり、ありがとうございました。

性格も頭も悪くて美術部でも浮きがちだった私を随分とかばってくださり、ありがとうございました。

大平くん、どこかでまた出会うことがあったら、気が向いたら、声をかけてやってください。

ありがとうございました!

8件のコメント

    1. yuubishyoutenさま

      コメントありがとうございます。同世代の友人知人の訃報を聞くのは寂しいことです。

      Oさんって、ほんとハンサムで優しい方でした。亡くなって気がついてる私です。いろんな方々のお世話になって、生きてきたんだなあと、あらためて思いました。

      いいね: 1人

  1. 学生時代の、藤森先生の写真を見れるなんて感動しました
    美人だなぁと思います、意志も強そうですね

    毎日ブログが更新されるのは嬉しいのですが、続けられるペースで更新して下さい
    今後も、楽しみにしています

    いいね

    1. Buzzさま

      コメントありがとうございます。はい。無理はせずに更新します。これからも、読んでやってください。

      前世の写真を晒してしまいましたが、今とは別人なのでいいです。ありがとうございます。

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  2. 昭和51年大学卒業、同じですね。ぼくも大学卒業時、世話になった人とか、今はいない友人のことなどいろいろ思い出しました。アルバム拝見しましたが、美しいですね。

    いいね: 1人

    1. wildsumさま

      コメントありがとうございます。思いがけなく、大学生時代のことを思い出しました。時間が過ぎたんですね。思えば遠くに来たものだ、です。

      アルバムに写っていた女性を、別人を見る目で眺めました。まあ、同性からすると、典型的にアホですね、あの子は。

      いいね: 1人

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