[503] 9/20/2021 休日の雑談

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本日は2021年9月20日月曜日です。敬老の日です。

本日は、お彼岸のお墓参りをするつもりが、起きれず。

朝目を覚まして、ちょっとタブレットいじってたら、二度寝しちゃったんですね〜〜

やたら眠いです。

起きたのがお昼過ぎだったので、ブランチはお気に入りのオムライス店でと思い、午後2時までの営業のレストランに午後1時半に滑り込みセーフ。

このお店のオムライスもドリアも美味しくて、週末に来てもお店がいっぱいです。

Little Puffっていいます。

来ないでね。

私と夫のあとに、午後2時ちょっと前にお店に入ってきたファミリーは、お父さんとお母さんと幼い男の子。

あまり若くないご夫婦だから、お子さんができたのが遅かったのかな。

まもなくしたら、その学齢前くらいの男の子がピーピー泣き始めた。

お父さんに行儀が悪いと叱られて、いつまでも泣いてる。

お父さんとお母さんは互いに話もしない。

お母さんは、息子さんをなだめることもしない。

こういうファミリーは時々見るなあ。子どもは男の子の事例が多いなあ。

お父さんは、いつも仕事で忙しくて、子どもの日常を知らないから、いっしょに外出したりすると、子どものだらしなさにギョッとするようだ。

おとうさんは、レストランなんかに来ると、自分の息子がこんな食べ方をしているのかと、あらためてビックリするらしい。

で、スプーンはこう持って、フォークはこう持ってと、お父さんは教える。

お父さんの言い方がちょっときついと、男の子はメソメソ泣き始める。

叱られ慣れていないのか、もともと生来気が弱いのか。

いつまでも泣いてる。

お母さんは、知らん顔してる。

「お父さんの言うとおりにしなさいね」とも言わない。

お母さんは、家庭を顧みずに、育児も家事も全部自分に丸投げのお父さん(夫)に怒っているので、不機嫌なのかな。

こんなときだけ子どもを叱ってもしかたないじゃないの、ちゃんと早く帰ってきて息子の相手をしなさいよ、とお母さんは思って暗黙の抵抗をしているのかな。

お母さんは、子どもの躾ができていないと暗に自分が責められているような気がして、むかついているのかもしれないな。

ひょっとしたら、このお母さんは、夫婦仲の悪さを、息子を溺愛することで誤魔化すという日本のある種の母親のひとりなのかもしれないな。

ひょっとしてひょっとして、このお母さんは、仕事が忙しいと言いつつ実はお父さん(夫)が不倫していることを知っているのかもしれないな。

生活するのにどうしても必要な雑事を全部押しつけられても、私は我慢してるのに、安い給料のやりくりをしているのに、自分は好き勝手して、たまの休日の外食では不機嫌に子どもにあたるのかと、お母さんは怒っているのかもしれないな。

でもお父さんは、賃金労働の辛さを我慢してるんだから、会社の同僚の女の子とちょっと遊ぶくらい大目に見てくれてもいいんじゃないかと思ってるのかな。

なんも面白くない日常は寂しいし、休日に家にいても奥さんは機嫌が悪いし、だからランチは外で食べよう、作らなくていいよと言っても機嫌は直らないし……と、お父さんはウンザリしてるのかな。

幼い息子さんが、いつまでもいつまでもメソメソしているのは、お父さんに叱られたのが悲しいのではなく、お父さんとお母さんの間に流れる冷たいものに不安を感じているのかな。

この男の子は、自分でも何が理由でメソメソしてるのか、わからずにただ哀しくて泣いているのかもしれない。

家庭の空気に敏感に反応して心を痛めてしまう繊細な子どもっているものな。

普通の平凡な家族にも、葛藤も誤解もあるものな。

お父さんも、お母さんも辛い。子どもも辛い。

ところで、夫婦仲なんか悪かろうが良かろうが、それとは別問題だけどね、子どもの躾は。

子どもの躾って、面倒くさいだろうね。

子どもの躾って、親に信念とか、人間はこうあるべしとかのイメージがないと、できない。

早く自立できるように訓練するのは骨が折れるもんね。

親からすれば自分でやる方が早いもんね。

子どもがわかるように説明しながら、何度もさせてみながら、慣れさせるなんて面倒くさいものね。

いちいち根気よく躾けるよりも、甘やかしておく方が楽だもの。

こんなこと言ったらぶっ飛ばされるだろうけど、ペットの躾と同じだからね、小さい子どもの躾なんて。最初が肝心だから。

親であることそのものが修行で自己訓練なんだろうなあ。

私は、子どもがいなかったから、仕事が修行で、自己訓練だったんだろうなあ。辛かったけど、おかげで忍耐力はついたなあ。

でも、賃金労働よりも、生身の人間の訓練をする方が大変だろうなあ。

根底に愛情がないと、人は動かないしなあ。

愛だな、愛。

なんてことを勝手に私は想像しながら、思いながら、「明太子ホワイトソースオムライス」を食っていた。

初秋の青い空がレストランの窓の外に広がっていた。

そのあとは、書店に行って、この本買ってきた。

いつ読了できるやら。

読んでもわからなくても読む。

日本語なんだからわかるはずと無理に強引に思い込んで読む。

英語なんてある程度はできて当たり前だと無理に強引に思い込んで生きてきたように、中国語もある程度はできて当たり前だと、無理に強引に自己催眠かけて、語学学習アプリのduolingoで中国語の勉強をする。

今世で勉強しておけば、生まれ変わる気はないけど、運悪く生まれ変わったら、今世で勉強した分はスルスル難なくわかって、人生のスタートが楽だろう、少しは役に立つ人材になれるかもしれないと無理に強引に思い込みつつ。

この諦めの悪さこそが、私の唯一の長所だと、これも無理に強引に思い込む。

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2件のコメント

  1. 読み始めて、いつ終わるんだろう、と思う本はたまにあります。かよこ先生でもそうなのか、と、少し安心しました。ボルヘス等読んでいると、私は人並みより頭が悪いのか?と心配になるのです。
    それはさておき、私もよく人様を観察してしまいますが、かよこ先生の細かい描写はできないので、今日も楽しく拝読しました。
    オムライスもとってもおいしそうです。

    いいね: 1人

    1. コトリさま

      小説はねえ〜長くないと、その世界に没入できないので、長編小説こそ小説だと思うのですが、子どもや学生時代とは違うのでねえ……

      他人を見てアホなこと想像するのが好きなだけですけどね。レストランで食べてる時退屈なので。

      いいね

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