本日は2021年10月26日火曜日です。
あああ……本日は、かなりの国民にとってはお葬式気分の日だったのではないでしょうか。
なんか正義が通用しないよね。
正義というか、良識が通用しないよね。
馬鹿が覚醒しないよね。
詐欺師がヘラヘラ嬉しそうに笑ってるよね。
ホスト顔の厚かましい詐欺師が、やんごとなきおうちのお嬢さんを騙くらかして結婚して、ずっと他人のカネで食っていけるんだから、世間ってちょろいよね〜〜
こういう連中にとっては、人生は甘いのよね〜〜
まあ、良識が通用したり、通用しなかったりということが普通のことであり、破茶滅茶気まぐれが状況というものかもしれません。
それが、リアリティというものかもしれません。
まずは、水も飲めるし、食べることもできるし、水洗トイレが使えて、肛門洗浄装置が機能しているのだから、この恩恵の感謝をいたしましょう。
No problem!
いつ頃からかなあ……1970年代半ばくらいからかなああ……
私の嫌いなタイプの芸能人が人気を博したり、私の嫌いな文化人が政治家に当選したり、私の嫌いなタイプの政治家が首相になったり、私の嫌いな作家がもてはやされたり。
私が、非正規であれ正規であれ、社会人となり働くようになった1970年代後半から1990年代前半には、いろんな人々に遭遇した。
あの当時の私は、いつもビックリしていた。
ほんとに世の中には虚言症がいるし、他愛がない人が多いし、フリばかりしているpretenderが多いし、口だけ異常に達者なサイコが少なくない。
学生時代では会ったことのないような精神異常者に大量に遭遇し、私の1970年代後半から1980年代まるまると、1990年代後半までの20年間は、実に怒涛だった。
平々凡々に育った世間知らずの間抜けな私は、ビックリしたり、傷ついたりしつつ、その精神異常者たちは、特に異常ではなく、世間に、そこそこよくあるタイプの人々なのだと、だんだん理解していった。
まあ、私だって他人から見たら精神異常者かもしれないし。
まあ、人間って、こういうもんなんだ……
それは、そういうものなのであるから、仕方ないのだ。
Let it be, let it be….

アイン・ランドを知る以前のクルクルパー時代は、かわいいねえ!
かわいいって、バカってことよね。
とはいえ、21世紀に入ると、さすがに20年間以上は世間も騙せないらしくて、そういう私の嫌いな類の人々は、公人であれ私人であれ、表舞台から消えて行った。
だから、今の私も世相を眺めつつ、あと20年もすれば、いや10年もすれば、「結果は出る」から、無意味に苛立つことも哀しむこともないと、わかっている。
それにしても、爬虫類人だか、ナーガ人だか知らないけれども、ほんとに卑しい人間の天下になっていますねえ、今の時代は。
21世紀になって、インターネットの時代になって、どんどん「真実暴き言論」が出てきて、以下のようなことが明らかになった。
(1) 教科書に書いてあることは、真実のほんの一部。歴史のほんの表面。教育は、国民を奴隷にするために機能している洗脳機関。
(2) 日本は明治維新以来、外国勢力に操られてきて、自己決定権のない植民地国家。その時代が154年も続いてきたので、今や日本のプロ政治家も何をすべきか、ほんとうはわからない。
(3) 一見立派な理想的なスローガンや主義主張の背後には、残酷冷酷な意図が潜んでいる。地獄への道は善意で敷き詰められている。
(4) TVや映画を含み大手メディアは、それらの支配的主義主張の残酷冷酷な意図を隠し、糖衣状にして、流通伝搬させる装置。メディアには、支配的主義主張で人々をコントロールしたい存在の走狗的組織に牛耳られている。
(5) そういうメディアの戦略を読み解く力がメディア・リテラシーと呼ばれるものではあるが、普通の人間にとって、そんなリテラシーを身につけることは非常に難しく、せいぜいが中途半端な陰謀論者になり、脳と心が一層に混乱するだけ。それでも疑い続けること。
(6) 価値観の相対化が進み、倫理も美意識も人それぞれになるのは多様性を認めあう理想の世界に見えて、実際にはアノミー無規範が世界に蔓延っただけ。
上級地球人のルール破りに裏切り嘘や騙しが、ペナルティなしで通用する時代になってしまった。世界規模で行くと、倫理的にはどうであれ、軍事的経済的覇権国の決めることがルールとなった。
(7) そういう世界の中で、人々は自己防衛のために、他人を潜在的敵とみなし、相互不信が人間関係の基調になった。悪いのは騙す方ではなく、騙される側となった。
「お上」は庶民から収奪するだけの存在ならば、特権的支配層は「お上」と結託して税金の中抜きが自由にできるのならば、脱税、課税回避地域への資産逃亡、非合法は庶民の自己防衛として倫理的に許されるというアナーキーな心情が、多くの企業人や庶民の心に形成された。
(8) 人間は社会的生き物であり、相互扶助のために集団を形成しているはずが、集団形成そのものが難しくなりつつある。たとえば、個人が属する最小集団である家族ファミリーそのものが、個人にとって危険なものとなってしまった。
だから、そういう状況を理解できる人間ほど、自分を守る経済力確保を家族形成より上位に置いて自己防衛を計る。配偶者や子どもは人生のリスクになる。親兄弟でさえ信頼できなくなっている。日本の非婚化、少子化の根本原因は、人間間の相互不信である。
(9) 昔の庶民は、良きにつけ悪しきにつけ、メディアの発達もなく、factだろうがfakeだろうが、情報にアクセスする機会も手段もなく、価値観の混乱や無規範に翻弄されることもなかったが、現代に生きる庶民は、真実もゴミも大量に浴びるので疲れる。まっとうに普通に生きていくことのハードルが高くなっている。
昔なら馬鹿でも生きていけたけれども、現代は知能指数160以上でないと生き難いように感じられる。子どもに自殺が増えるのも無理はない。生まれたこと自体が罰ゲームに思えるのも無理はない。
(10) しかし、庶民たちは、じわじわと、次のことにも気がついている。こういう今の世界の総体は、普通の庶民の個人のそれぞれが心に描く世界像の投影であって、現実というものは確固とした実体ではなく、人々の意識によって刻々と変わる現象なんだって。
だから、犠牲者としての自分を意識し続ければ、自分の作り出す恐怖の幻影どおりに事態が展開してしまう。そんな幻影を持って、誰に利益があるのか?あなたをコントロールしたい人々にのみ利益がある。自分と自分の生きる世界に関与して変えることは、革命だけではない。
革命なんてさ、庶民からの自然発生的なものではなく、支配層の間の権力闘争でしかないんだからさ、そんなもんに助力することない。
ほんとうに私たちは犠牲者だろうか?環境問題だろうが、アメリカ衰退後の世界覇権をめぐる国際関係の緊張だろうが、経済危機だろうが、社会に蔓延る無規範状態だろうが、今、実際の私たちの目に前にあることは、まだまだ普通に機能している。
だからこそ、人間は暗黒時代も戦争も動乱も生き延びてきた。目の前の日常と現実を守ることによって。
現象を真実と間違えないこと。
世界は混乱して複雑ではあるけれども、庶民が日常を重ねていける平和と秩序は、そこそこ維持されている。目の前のことでできることはいっぱいある。厳しい時代、暗黒時代ってのは、個人の精神が試される時期。魂が鍛えられる時期。
以上が、21世紀に入り20年経過した2021年10月26日の私の認識だ。
ということで、私は、いよいよ、これからが本番だなあと思っています。
今まで苦しかったこと、辛かったことから学んだことを総動員して、生きる時期が、いよいよ切迫つまって来たんだなあと思います。
あらためて心に誓う。自分の幸せは自分で創る!創ることができる!
さて、今日の夕ご飯は、秋茄子をおろしニンニクと白だしで味つけて、片栗粉つけて揚げ焼きするか。

丹波黒豆の枝豆を2キロ注文したら、さっき届いたわん。茹でて冷凍しておこうかな。
味噌煮込みうどんの季節になったから、近いうちに食べに行こうかなん。
TVディナーは、嘘八百のニュース番組ではなく、グルメ番組を眺める幸せ。
ああいう番組もテレビ局の(コネ採用の)正規雇用社員じゃなく、下請けの番組制作会社の若い子たちが低予算で作ってるもんねえ。
どこもかしこもパソナよねえ……中抜きよねえ……
死んだら終わりじゃないからね、「世界経済フォーラム」の日本支店長さんの竹中平蔵さん。
https://xn--p8j7a5dra5g314zu4c.com/bisyunodaichi62/ さま
コメントありがとうございます。
お姉さま…って光栄です。おばあさまより、いいな。
ライトノベルとかエッセイとか発表しておられるのですね。読ませていただきます。
いいねいいね
あ、漫画家さんなんだ!読もう!
いいねいいね
あ、いろいろ勘違い。
いいねいいね