本日は2021年11月21日の日曜日です。
今日から何回かに分けて、藤森かよこ流に岡田斗司夫氏の『評価経済社会 ぼくらは世界の変わり目に立ち会っている』(ダイヤモンド社、2011)の内容紹介をする。
これは重要な本なんですよおお〜〜
真価が認められるのは、もっと先でしょうけどね。
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2011年(ほんとは1995年くらいから)、岡田斗司夫氏は、今は、「貨幣経済社会」から「評価経済社会」への転換期だと述べておられる。
岡田氏は「貨幣経済の終焉が来た」と断言する。
では、貨幣経済社会の次に来ると岡田氏が予測する「評価経済社会」とは何か?
それを理解するには、まずは過去の歴史の人類社会の変遷を確認しておいた方がいい。
なんで?
時代は変わる。その時代の変わり目に私たちが、たまたま居合わせちゃってる。
この事実をしっかり把握するために。
というわけで、今日のBlog内容は、「評価経済社会」にいたるまでの人類の歴史概観編です。今までの歴史整理編とも言えます。
人類の歴史には、いくつかのパラダイムシフト(価値観の変動)が起きてきた。アメリカの未来学者で作家のアルビン・トフラー(Alvin Toffler: 1928-2016)は、『第三の波』(1980)で、それを農業社会→工業社会→情報社会と述べた。
トフラーは、1980年段階で、いずれ学校教育は自宅で情報機器の端末でできるし、在宅で情報機器で仕事できるから出勤する必要もなくなるし、買い物も情報機器で選んで購入できると、現代を予言していた。
すごいなあ!
そのほかにも、いろんな識者が未来予測をいろいろしてきた。
大前研一氏は、インターネットが出てきた1990年代半ばに「見えない大陸」が出現した!と言っていた。
確かにそうだ。ネット空間はThe Invisible Continentだ。
「ネットは広大だわ」だよ。『攻殻機動隊』の草薙素子少尉の言葉。
ともあれ、ガクンガクンと時代が変化するのではなく、それなりに時間をかけて変化するので、人間によっては、人生そのものが全部転換期にはまっていて、前の時代と次の時代の差異など気がつかずに死ぬ。
前の時代を懐かしみ、新しい時代を嘆く人もいる。
新しい時代にスムーズに適応できる人もいる。
もっともまずいのは、時代が変わっているのに、前の時代の精神で生きることだ。こういう人は、どんなに真面目に誠実に努力してもそれは空回りです。実は結ばない。
たとえば、明治の作家の樋口一葉は、江戸末期に町人から侍になりたくて御家人株を借金して買った父の残した負債に生涯、苦しんだ。一葉のお父さんは、江戸幕府が瓦解するなんて夢にも思わなかったのだ。
でも瓦解したもんね。
新撰組のメンバーは、地方の豪農の息子たちで、侍になりたくて、武士道を生きたくて新撰組に入ったが、すでに侍の時代は終わりかけていた。
大きく見れば、新撰組はただの時代遅れのテロリスト集団に過ぎなかった。
西南の役で戦死した下級武士たちもそうだ。時代はもう(俸禄で食う)武士など必要としていなかった。
自分で稼いで食っていく時代になったのだ、明治は。
デジタル決済の時代に銀行員になるって、変でしょう?35歳で定年だよ。
オンラインで教えることができる時代に、公務員で安定しているという理由で公立学校の教師になりたがる人って、変でしょう?
授業動画なんていくらでもあるんだからさ。塾の先生の方が教え方は上手いよ。教育の自由化が遅れているのは、文部科学省の役人の利権確保のためだよ。
コンビニもスーパーも無店舗の時代に、ネット通販じゃなく小さいけど素敵なお店を持ちたいわ、そこでお客様と交流するの、なんて言ってる田舎在住の女の子は、頭がおかしいでしょう?
セックスサービス業だって無店舗のパソコン管理のデリヘルの方が経営のコストがかからないのだから。
それはさておき。
岡田斗司夫氏は、人類史のパラダイムシフトを、流通するモノの量に着目して、以下の5つに整理している。
(1)モノが不足していて時間はたっぷりある狩猟採集社会。
(2) モノが豊かになってきた農業社会。
(3)モノが不足して時間が余った中世&封建時代
(4)モノが余り時間が不足する産業革命の近代
(5) モノが不足し情報が余るネット中世=まさに今
これから、この順に説明します。
この説明は、岡田斗司夫氏の書籍からの言葉と、私の解釈の合体です。岡田氏による人類史の段階の説明に、私なりに補足したものです。
(1)モノが不足していて時間はたっぷりある狩猟採集社会。
食糧はいつも足りない。遠くへ行けない。車も汽車もない。できることは徒歩だけ。暇だから、いろいろ考える。内面の精神世界に向かうしかない。目には見えないが、自分の心が作る幻の向こうに神を見つけたりする。こうして宗教の原始的状態が生まれる。
自分の手でモノを作るしかない。それはそれで内面的精神的作業。時間をかけて作ったものは、現代の芸術作品を凌駕する精緻と想像力と創造力を持っている。縄文土器が好例。
(2) モノが豊かになってきた農業社会。
農業栽培が始まり、定住し集まり共同作業をすると収穫は増える。ならば、集まってやろう。
集団から、管理の上手い支配者と奴隷という階層構造が生まれた。管理社会の始まり。
大きくなった集団から分業が生まれた。収穫を増加させるために創意工夫がされ、原始的な段階ではあるが、農作工具などもできる。
宗教は素朴なアニミズムを離れ、社会秩序の安定と強化に寄与する組織となる。
(3)モノが不足して時間が余った中世&封建時代
当時は唯一のエネルギー源は薪だ。木だ。石油も石炭も発見されてはいたが、一般的に利用されることはなかった。掘削作業に必要な機械が生まれるのは、もっとあとの時代だったから。
木を切って焼けば森林資源が枯渇する。農業ができる土地が砂漠化してしまった。多くの人口を養うことができる農地拡大は無理となった。
労働しようにも農地が足りない。開墾する道具が発明されていない。だから、中世の人々はだいたいが暇。冬は働かず、夏でも週休4日。働けば空腹になるばかりだし。
消費という気晴らしも暇潰しもないので、心は信仰に向かう。神や天国への想像力がさらに発達する。清貧という美徳が支配的になる。神の代理人たる教会を頂点とした階層社会は強固になった。
その社会の外の世界など想像がつかない。その社会の静的な秩序を見出す存在は排除された。魔女狩りとかの集団ヒステリーは異分子殺処分祭り。
(4)モノが余り時間が不足する産業革命の近代
15世紀に帆で前進するキャラベラ船が作られて大航海できるようになって大陸発見。新大陸との通商開拓で市場と資源を獲得。
中世時代における聖職者たちによる神の御業である自然研究の成果が噴出?石炭利用の蒸気船や蒸気機関車が発明された。インドやエジプトから持ってきた綿花を商品化するための紡績機、自動織機ができる。産業革命だ!
無線機などいろいろ発明された。顕微鏡によるバイ菌の発見は、魔法や呪いとしての病気という概念を壊す。
因果関係を推理する科学的思考や、労力に見合った成果を出せないことはしない合理的思考の発達。
活版印刷の発明により、ラテン語や古代ギリシア語やアラビア語やヘブライ語にかわって、普通に英訳、フランス語訳、ドイツ語訳の聖書が流通すると、教会や聖職者の権威は崩れる。聖書に書いてあることと教会のやってることが違うとばれる。
神の下の平等という観念が生まれ、身分社会を支えてきた精神が変質する。
個人の才覚による自由経済競争社会=階層上昇社会の誕生。個人がガンガン努力して富裕になるのが人間のあるべき姿となった。
機械生産によって商品の規格化、大量生産が可能となる。輸送手段の高速化と大型化による効率化と機械化による省力化により、人間はさらなる競争と絶え間のないイノベイションに駆り立てられる。
常に忙しい近代人。モノが豊かになり、時間は常に不足している近代。
学校教育も、そうした工業化に適応できる人材生産の場となる。「時間を守ること、命令に従順なこと、反復作業を嫌がらないこと」を教え込むのが国家が国民に受けさせる義務教育の本質。
(5) モノが不足し情報が余るネット中世=まさに今
産業革命による近代の果てに、グローバル化社会とAI化社会とネット社会が生まれた。
グローバル化のために、安い低賃金を求めて企業は海外に拠点を移し労働者を現地採用する。その分だけ国内の雇用が収縮した。
機械化AI化のために、ブルーカラー労働ばかりでなく、ピンクカラー(短期低賃金事務労働)に、中間管理職を含めたホワイトカラー労働の雇用が縮小した。
企業は経費節約経営合理化のために、多くの社員を雇用するよりも派遣労働者に低賃金で仕事を丸投げすること=アウトソーシング化を進行させた。
かくして、労働者の非正規雇用が激増した。
合法化された人材派遣会社=賃金中抜き仕事斡旋業は、大企業に売り込みをかけ、さらに企業のリストラと労働者の非正規雇用化は進んだ。
というわけで、人口の1%から3%ぐらいだけが正規雇用されることになる時代がすぐそこまで来ている。
一方、ガンガン資源を使ってモノを作ってきたら、地球の環境汚染が深刻となり、企業はモノを作ればいい状況ではなくなった。
気候変動や温暖化は、化石燃料をガンガン使って生活を豊かにしたい中進国や後進国の台頭を潰すための先進国が発するフェイク情報という説もあるが、工業化産業化が、海や河を汚し、森林資源を浪費し、地球をゴミ化していることは事実。
自動車会社も受注生産で在庫を減らす。おかげで自動車を購入する契約をし、代金を払っても、自動車が購入者の手に入るのは、半年後だったりする。
モノが売れなくなっている時代には受注生産が安全だ。
インターネットの発展により、それまでは入手できなかった情報に人々がアクセスできるようになっている。大企業のみならず、政府や国際機関や公的機関や大手メディアなどがしてきている詐欺と洗脳行為がばれるようになった。
このような詐欺事情を知ったことと、労働者の雇用収縮と非正規雇用化激増のために、企業が生産するモノを消費するだけの人生のアホらしさに多くの人々が気がついている。
かつては作って宣伝すれば、消費者を釣ることができたが、賃金が上昇しない時代に生まれ育った人々は貨幣の使い方に敏感になり、前ほど広告に踊らされなくなった。
モノの多さに人々も社会も疲れを感じるようになった。だからこその、断捨離、ミニマリズムの流行だ。
不要なモノを捨てずに売るサイトや、物物交換サイトに、既成の流通経路に乗らないモノの販売サイトが利用者を増やしている。
モノで自分の生活を満たすことが、カッコ悪くなってきた。
モノへの欲望が低下した。
「モノの不足」とは、「モノの多さが人生の充実の必要条件ではなくなった」という意味。
同時に「資源、土地、環境に対する有限感」という意味。
すると、社会からモノがへってくるよ。作っても売れないもん。欲しがられないもん。
インターネットは、SNSやBlogやYouTubeなどの自己実現・自己発表の機会を一般人に解放した。
モノを消費せずに、資源を消費せずに、貨幣の量に左右されずに、労働に消耗せずに、好きなことをして、好きに自由に考えて、プチクリ(小さい創造者 プチクリエイター)として情報を求めて生きることが、今と近未来の個人の生き方?
モノがなくても、モノ獲得のために働くよりも、好きに自由に過ごすことの方がいい。中世の庶民のように週休4日がいい。できれば、賃金労働は最低にしたい。
つまり、「モノが不足し情報が余るネット中世」の時代が来た。
さて、これで人類史の段階的変化を確認できたと思います。
では、このような「モノが不足し情報が余るネット中世」時代の経済は、前の段階の貨幣経済社会とは、どう違ってくるか?
私は68歳なので、人生の大半を(4)の段階で生きてきた。産業化のグローバル化進行の貨幣経済社会で生きてきた。
で、人生の最終ステージになって、気がついた。
あかん、今までの常識で対処できない!って。
長年の間、私は教師をやって食べていた。
でも、21世紀に入って2009年あたりから、私はハッキリと学生が理解できなくなったんですねえ。
不登校が多くなっていること、ニートとか引きこもりが100万人もいるようであること、いじめと呼ばれる暴力行為が学校にも企業にも多くなっていること。
これらは、すべて、今の生身の人間が、従来のシステム(4)では苦しい!!ストレス溜まりすぎ!!と苦しんでいるってこと。
従来のシステムの賞味期限切が切れました!って叫んでいるということ。
なのに、企業も政府も公的機関も主流メディアも、旧態依然の(4)をやっているということ。
この状況のなかで、庶民の個人は何ができるか?そのためには(5)の段階の社会に関する理解と予測が必要。
この問題は、私個人にとっても、非常に切実なんざます。
次回は、いよいよ岡田斗司夫氏いわくの「評価経済」の解題をします。
長くて、すみません〜