本日は2021年12月8日水曜日です。
夕ご飯の準備をし終わって、夫が帰ってきたら、おでんもどきの煮物に火を入れて、醤油と酒とすり下ろしニンニクに漬けたカジキに片栗粉つけて揚げ焼きすればいいという状態で書いてます。

昨日はどういうわけか朝起きることができないくらい眠くて、夫出勤後にまた寝て、午後3時ごろに目を覚まし、洗濯し、なのに夕食を済ませたら、また眠り。
最近は、やたら眠いですね。熊の体型に近づくと冬眠しなきゃいけないのでしょうかね。
Facebook友だちの若い女性は言います。
「地球の次元上昇波動で、身体もそれに併せて進化するべく眠らされてるとか…骨の位置や筋肉まで動いて痛みが出てる人もおられます」と。
うん?じゃあ、私は進化してるから眠るの?
骨の位置が変わるなら、歪んだ骨盤が正常化してもらいたい。
ところで、今日のトピックは「児童養護施設」です。
なんで?
孤児院じゃないです。orphanageじゃないです。
児童養護施設。children’s institutionです。
今は親が死亡して施設にという例は少ないらしい。
親が子の養育を何らかの理由でできないので、一時的に預けられる子どもの例が多いらしい。
親が外国に赴任だけど、子どもを安心して託せる親族がいないとか。
親が失業して、就職できるまで、子どもを託せる人がいないとか。
親が入院中の事例もあるだろう。
理由はいろいろ。
また、親の虐待やネグレクトから保護される子どもの入所も多くなっている。
今は、児童養護施設で育つ例は例外的とされているけれど、将来は児童養護施設育ちは、わりと珍しくなくなっていくと思う。
だって、そうでしょ。
岡田斗司夫氏の『評価経済社会』でも、家族や結婚の解体が始まるって。
生物学的に親になっても、社会的に精神的に親になれない人々は増えているでしょう。
すでに、離婚率は30%超えている。
離婚したり、死別しても、力になる実家や知人縁者がいればいい。子どもを母親もしくは父親ひとり「だけで」育てるというのは無理。
私の親族で離婚している事例は、みな親元に帰って援助を受けることで、子どもたちを育てることができた。
でも、1990年代からの経済的長期停滞により、若い親が頼ることができる親世代の経済力も収縮しつつある。
親が50代ならリストラ対象要員だ。失業して、自分の老後もおぼつかなくなったのに、子どもが孫連れて帰ってきたら困る。
最近では、老後の夫婦の生活を破壊するのは、息子の失業で、息子の家族がみな祖父母の家に来て生活費もたかるしかないという理由が少なくないらしい。
祖父母の年金が基礎的生活費の家庭もけっこうあるらしい。
看護師をしている年下の友人によると、危篤の老親を前に医師に「住宅ローンの引き落とし日」まで、生かしておいてくれと懇願する家族がいる。
映画の『万引き家族』じゃないけど、親の死を隠して年金を受給し続ける子どもも出てくる。
生活保護を申請するのも、何枚もの申請書類を書いて、いろいろ大変。
ともかく、今までは離婚しても親族ネットワークもあったけれども、今は家族や肉親というセイフティネットが機能しなくなった。
離婚しなくても夫婦そろって脳足りんで子どもを虐待することも多い。
もう、保育園や幼稚園や小学校や小児科医師は、乳幼児や児童の怪我やアザを家庭内で暴力を受けているのではないか?という目で見ている。
うちの親は馬鹿だと判断して、警察や児童相談所に自分から出かけて行って、自分の身を守ることができる子どもなど、いたら一種の天才だ。
どんなに殴られても、親から逃げるという発想は子どもは持てない。
今後は、小学校や中学校や高校で、基礎知識として児童養護施設についての情報も児童や生徒に伝えておくべきだと思う。
ちゃんと逃げ場はあるよって。
親はなくても生きて行けるよって。
もちろん、児童養護施設にもいろいろ問題はある。いい施設もあれば、悪質な施設もあるだろう。
でも親に殺されるよりましだ。飢えて犯罪を犯すよりましだ。女児なら、保護者がいなければ、性犯罪のターゲットになりかねない。金に窮した親に売春させられる娘もいる。
Wikipediaによると、2016年度で児童養護施設は615ある。公立が37で、私立が578だ。私立の場合は、キリスト教の教会の慈善活動から始まった施設が多い。
2014年で、定員は約30,000人で、入所している児童数は27,468人だ。
2014年で児童指導員や保育士が16,672人。正規雇用か非正規かまではわからない。
入所できるのは、1歳以上18歳未満。これは事情によっては20歳まで延長できるが、1歳未満の乳児は乳児院で養育される。
2013年度の厚生労働省「児童養護施設入所児童等調査」では、2013年2月1日現在、入所児童の平均年齢は11.2歳、平均入所期間は4.9年だ。
平均入所期間が4.9年というのは、長いのか短いのか?
にっちもさっちも行かなくなったら、親が経済力がつくまで、子どもを児童養護施設にしばし預ける場合なら数ヶ月か2年ぐらいで退所。
養子縁組で退所もある。
里親制度で退所もある(里親には補助金が出る)。
昔のように遠い親類が引き取りに来るってことはあまりないらしい。
1年に1回くらいは顔を出すけれど、なかなか子どもを引き取ることができない親もいる。
子どもが児童養護施設にいるのに、再婚して、別の配偶者との間の子どもの養育にかまけて、前妻や前夫との間にできた子どもについては、施設に預けっぱなしの事例もある。
おとなしくて我慢強い子どももいれば、親に育ててもらえない怒りと哀しみを暴力や奇異な行動で表出する子どももいる。
こういう正直で気難しい子どもは、養子先でも里親先でも、うまくやっては行けないので、すぐに施設に帰ってきたりする。
親から遺棄された傷があまりにも深く、親への怒りや憎しみを、親代わりになってくれている施設職員に投影して、施設職員を殺傷する例もある。
2019年には、児童養護施設施設長46歳の男性が、元入所者だった男性に殺害される事件が起きた。
この施設長は、子どもたちを親身に世話し指導してきたのに。子どもが退所後も、いろいろ相談にのり、問題の解決に奔走していたのに。
心にあまりに深く傷を負うと、人によっては脳の機能不全を起こす。
犯人の24歳の若者は、自分のことを最も気にかけてくれる親代わりの施設長を何回も包丁で滅多刺しにするほどに、施設長に怒りをぶつけた。
それは、それだけ施設長に心理的に依存していたということだ。それだけ孤独だったということだ。それだけ恐怖と不安に晒されていたということだ。
脳が機能不全だと、現実的で適切妥当な判断ができず、自分を大事にしてくれる人間の愛情に不足ばかりを感じて、恨みを積らせる。
妻に暴力をふるうDV男というのは、母親に対して深い怒りと恨みを抱いている事例が多いが、自分の暴力を我慢して受け容れてくれる女性に対して、より苛烈な暴力をふるう。
ほんとに、ややこしい。
甘えるべき時期に甘えさせてもらえなかったことの後遺症は、自覚がない分だけ深くて重い。
人間はいろいろで、自分に注がれる愛情不足(だと思われること)に超過敏な人間もいれば、個別の具体的な人間の愛ではなく、神なるものの愛を想定できる人間もいるし、自分の負の感情を未来のために抑圧できる合理的な人間もいる。
こんなこと言うとぶっ飛ばされるだろうけど、頭の悪い人間は、抽象的なことを考えることができないので、具体的な個別の特定の人間に固着する。俯瞰して自分や物事を眺めることができない。
それもこれも、乳幼児期に愛情に満ちた時間や体験を与えられなかったので、脳が機能不全に陥ったからだ。そうしないと生きることができなかったからだ。
殺害された施設長さんは、ほんとうにお気の毒だったとしか言いようがない。
児童福祉制度は現実に即して向上改善されないといけないのだけれども、こういうことって票にもならないから、政権は動かないねえ……
補助金の中抜きするには、額が少ないかもしれない。

平均入所期間4.9年という数字の後ろには、生まれてから18歳まで施設にいる子どももいれば、数ヶ月しか施設にいない子どももいる。
入所する施設も、またいろいろなのだろう。
子ども虐待漫画があれば、児童養護施設漫画もある。前に紹介したのは、次の漫画。
永田晃一さんの『児童養護施設で育った俺がマンガ家になるまでの(おおよそ)8760日』ね。

松本大洋さんの『Sunny』とかね。1970年代の三重県の養護施設が舞台。全6巻。
これは文学作品みたいな味わいがある。

まだいろいろあるよ。Kindle unlimitedで無料で読めるものには、次のものがある。虐待されて施設に来た少女の話。

作家の高杉良(1939-)氏は、1950年から2年ほど養護施設に世話になっていたことを、次の小説『めぐみ園の夏』(新潮社、2020)で明らかにしている。
この小説については、香港在住のTwitterのフォロワーさんから教えていただいた。ありがとうございます。

まだ終戦後5年ぐらいしか経過していない養護施設なので、子どもたちはいつもお腹を空かせているのが、切ない。
お風呂は週に一度。
「めぐみ園」というキリスト教系養護施設は、地元のクリスチャンの名士夫妻が経営しているけれども、理事長は良識があるが、理事長の妻の園長の人格がひどい。
この園長の女性は一種のサイコパスで、変態だな。
入所している男子中学生の就寝中に、その中学生のパンツに手を突っ込んで、性器をいじります?
立派なクリスチャンですね。きっもいわああ。今頃、地獄にいるだろう。
著者の高杉氏が、養護施設体験記を書くまでの時間は、約70年かかっている。
関係者がみな亡くなるまで、事実を書けなかったのだろう。
高杉良氏は、経済小説で知られた方ですね。

といっても、私はこれしか読んでない。すみません。
うちの車が結婚以来41年代々ニッサンなんです。夫が頑迷にトヨタに乗ることに抵抗してきたのです。

ちょっと調べてみると、養護施設体験者の有名人はそこそこいる。
デザイナーの山本寛斎(1944-2020)氏も一時期、養護施設にお世話になったそうだ。

最近では、デジタル朝日新聞で以下の記事も読んだ。
高校卒業まで養護施設で過ごし、某国立大学に合格してからは、大学寮に入り、奨学金とアルバイトで卒業し、国家公務員試験をパスして、厚生労働省に採用された女性に関する記事だ。
https://www.asahi.com/articles/ASPD345LSPCTUTFL00N.html
この記事を読むと、この女性は非常に優秀なのに、就活が大変だったようだ。
なぜかといえば、企業がごく前提として、親がいるものとして、「親御さんから承諾書をもらってきてください」とか、面接で親のことを質問するからだ。
「親に育ててもらっていないので」と言うと、面接官は脳足りんにも早合点にも、「親への感謝もないのですか?!」と叱責する。
応募者の中には児童養護施設で育った人間がいるということを全く想定していない。
無知であるし、想像力が無さすぎる。
時代は変わる。人間も変わる。
未来の世界は、実親に育てられる子どもと、養子縁組で育てられる子どもと、里親に育てられる子どもと、児童養護施設で育てられる子どもの数があまり変わらないということになっているかもしれない。
私は反出生主義者ではあるけれども、生まれてしまった子どもたちは、大事に育てなきゃいけないと思う。
子どもたちは、自分で選んで生まれたんじゃないのだから。親の勝手で生まれたのだから。
自分以外の人間の恣意で、この世界に生まれるハメになった子どもたちは、そもそもが前提として、かわいそうなんだからさ。
こんばんは。
刺殺された施設長さんはお気の毒としかもう言えません。
かよこ先生のご意見にはまったくもって同感です。
バカはぽんぽん子供産むな、と虐待事件が報道されるたびに思います。
子供はいかなる事情であっても、愛情をもって大事に育てられるべきです。
私は子供はいませんが、もう成人した姪っ子が二人います。
無条件にかわいいです。
姪っ子たちは小さいころに姉が離婚したりなんだりで、場合によってはひねくれて育つ可能性もありましたけど、お陰様でとてもいい子に育ちました。
幸いあの子たちは、かわいがる人が周りにたくさんいましたから。
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コトリさま
コメントありがとうございます。児童養護施設を規定通りに出ると、もう何もサポートがないのが現状らしいです。
役所に行っても、施設に相談してと言われる。施設に連絡すれば役所に相談して、と言われる。
15歳だから、18歳だから、突然にひとり暮らしで働き続けることできないですよ。
今の世の中って、やっと35歳くらいで自立できるようなもんじゃないですか。
殺害された施設長さん、退所後の人たちのケアも懸命にしていらしたのにね。
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身体に精神が追いついていかない人が多いですから、年齢で線引きはできませんよね、、、、
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コトリさま
今の10代以下の期待します!
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