#612 2/13/2023 中国映画Crouching Tiger, Hidden Dragonのラストシーンの意味を23年経て理解できたお馬鹿な私

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本日は2023年2月13日月曜日だ。

私は、先週の木曜日2月9日以来ずっと廃人やってます。廃人廃人。

もう実のあることなど、いっさいできず、テキトーに好きなことして怠け放題やっています。

たまたま視聴していたYouTubeのタロット占いの水瓶座生まれの動画のかなりが、「2月は休息せい」と言っていたので。

ほんとに、くたびれてしまっていたので、じゃあ休息するかと。

第5作の『ニーチェのふんどし いい子ぶりっ子の超偽善社会に備える』(秀和システム、税込み1760円)の再校校正済みゲラも出版社さんに送った。あとは、本ができあがるのを待つばかり。

だいたい表紙は、以下のデザインになることに決定。ここでバラしちゃう。

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出版社もいろいろで、担当編集者とデザイナーと著者で決める会社もある。

タイトルも表紙デザインも、出版社のスタッフ全員間でシェアして、投票で決める場合もある。

秀和システムさんは、後者です。ほんとは、「いい子ぶりっ子」という言葉がもう古過ぎるという指摘が、若いスタッフからあったそうです。

そうかあ、じゃあどうしようかなああ〜〜と思っていたら、なんかこれでいいとなった。上司の方が決めたらしいです。

出版社も、ほんといろいろ、あります。

ところで、今日は、別の話で。

私ねえ、ある映画のラストシーンの意味が、やっと腑に落ちて理解できるようになりました。

勤務先から研究休暇サバティカルもらって、2000年8月末から1年間、マンハッタンに部屋を借りて、私はいろいろやってました。

ニューヨーク市立大学の大学院に聴講に行ったり、Ayn Randについて調べたり、アメリカの学会を覗いたり、アメリカだけでなく、カナダをちょっと旅行もした。まだ円高でしたからね。

英語できないんで、大学院で授業を受けても聴き取れませんね〜〜ということで、半年過ぎたあたりから大学院には行かず、図書館にだけ行き、好き勝手に勉強してた。3本論文書けた。

Ayn Rand の翻訳も始めていたし。Randのお墓参りもした。

オペラも随分と鑑賞できた。80ドルで、そこそこ良い席を買えた。日本ではチケット高いもんね。6万円とかさ。アホか。まあ、結局は、オペラは歌舞伎と同じだとわかっただけだったけど。

あの1年間は天国だった。人生最高最良の1年間だった。生まれ変わった気がした。あそこでAyn Randに会わなかったら、その後の私の人生は闇だったろう。

アメリカ文学研究なんて、やる気無くしてたし。生きる目標なんて無くしてたし。勤務先の仕事や両親の死で消耗しきっていたし。

でもって、2000年の晩秋かそこらに、ある中国映画を観に映画館に出かけました。

それが、英語タイトルが、Crouching Tiger, Hidden Dragonってやつ。日本名では、『グリーン・ディスティニー』だということは、翌年2001年8月末に帰国してから知った。

私は、当時はチョー・ユンファという香港ノワールのスターが好きだったので、観に行っただけ。ただのカンフー映画というか、martial arts映画だと思って観に行っただけ。

映画はすっごく面白かった。映画が終わったとき、中国系ばかりだった観客が盛大に拍手していた。

映画が終わって観客が盛大に拍手したのを私が目撃したのは、『シンドラーのリスト』と『シン・ゴジラ』と、このカンフー映画だけだった。

で、当時47歳の私が理解できなかったのは、ラストシーン。

チャン・ツイーイー扮するヒロインは、清帝国の高官の娘で、親に秘密で、家庭教師の女性から幼い時より武術を学んでいた。その家庭教師は、武術の名手で、ヒロインに同性愛的愛情を注いできた。

ヒロインは、自分の武術をもっと極めたい。家庭教師から学べることは全部学んでしまったから。

で、まあ砂漠の強盗集団のリーダーの男と恋仲になり、その男がヒロインの婚礼の行列に乱入し、ヒロインはうざいなあ!と思って男装してひとり旅に出て、武者修行という荒唐無稽なストーリー展開になる。

それはいいとして、ヒロインはチョウ・ユンファ扮する武術の達人から学ぶことになるが、やっと師匠と仰げる人物に出会うが、彼がヒロインにつきまとっていた家庭教師の魔女のような武術の達人に毒矢を刺されて死亡する。

ヒロインはしかたなく、彼女の恋人だった男が武術修行している山奥の寺を訪問する。

ほら、中国って、義和団の例にあるように、少林寺拳法だの武術って、結社で学ぶじゃないですか。ものすごい高い山の奥深くに秘密に建てられた寺が共同生活の場所みたいで。

三国志だって、水滸伝だって、そういう武芸結社の物語だもんね。

結社ね。秘密結社なんよ、武術訓練の戦闘集団の。

ブルース・リーの映画だってそうでしょ。

それはさておき、この映画のヒロインも恋人とともに、この山寺で修行するのかなと思ったら、それでめでたしめでたしかなと思ったら、彼女は天を目がけて飛んで行ってしまう。

まあ、自分を愛してくれる男と自由に修行できるんだから、これ以上求めることはないはずなのに、ヒロインは超越めざして飛翔する。

2000年当時の私は、このヒロインの孤高さに胸が痛いような哀切な思いがして、ヒロインが求めているものがよくわからなかった。

今、思えば、このカンフー映画はすさまじいフェミニズム映画ですね。こういう女性像を2000年の段階で造形していた中国映画の凄さよ。

愛だの性など、ヒロインにとってはどうでもいい。権勢も富も名声も美も結婚も子どもも、どうでもいい。

あのヒロインは、自分の身体の持てる力を最大限に出力して、高みに飛翔することしか、興味がないんだよね。

ヒロインは神になりたいとか、超人以上の超人になりたいってわけではなく、もっともっと向上したいだけなんだよね。

それは虚栄でも名誉欲でもなく、向上できるよう努力していないと、生きてても退屈なんだよね。夢中に集中したいのね。

ああ、23年経過して、私はヒロインの気持ちが理解できるようになった。

それは私自身が、もうI wan to be betterの気持ちしか残っていないような状態になっちゃったからなんよね。

私は、日本の女性では、葛飾北斎の娘の葛飾応為(おうい)に興味があるんよね。本名はお栄さん。

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この女性も、あの中国の武術を極めたくて天に飛翔するヒロインと似ている。

ただただ、うまく絵を描きたい。

父親の葛飾北斎は90歳のときに、「ああ絵が上手く描けるようになりたい、あと5年生かしてくれたら、ちゃんといい絵が描けるようになるのに」と言ったそうだ。そう言って死んだ。

娘の方も、それしか思ってなかったようで、父親の死後は、親類や弟子の家に世話になりつつ、絵を描き続けていた。

で、ある日フラッと写生に行くとか言って帰ってこなかった。そのとき67歳。墓もどこにあるかわからない。

なんという精神的無頼な人生。

髪も結わず、着るものにも構わず、家事なんててんでせずに、ただただ好き勝手に絵を描いた人生。

父親の天才に憧れ、父の画術を追いかけ、父のそばで、ひたすら描き続けた人生。

やっと最近の研究で、北斎の作品で娘が描いたものも少なくなかったことが知られるようになった。

2017年にはNHKでドラマ化もされた。岡田准一くんの奥さんの篤姫、宮崎あおいちゃんが、応為を演じていた。

https://www3.nhk.or.jp/nhkworld/en/ondemand/video/3018009/

肉筆の浮世絵って、すっごく良いじゃないですか。版画で刷ったものもいいけれども。

ご存知の方も多いでしょうが、葛飾応為の絵は、今でもすっごく斬新でキッチュでカッコいい。見てて飽きない。

江戸時代って面白いよねえ〜〜幕末ちょっと前の江戸時代を描くNHK大河ドラマで、葛飾応為をヒロインにすればいいのになあ。

変人奇人過ぎてダメですかねえ。

この吉原を描いた絵を初めて見たときは、現代の才能のある漫画家の作品かと思った。

これが江戸時代の肉筆浮世絵と知って、私は仰天した。

一部を拡大すると、こうなるんだけど、デフォルメがすっごく現代ですね。

だけど、夜の吉原に、なんで子どもがいるんですかねえ?小柄な女性なんかな?

北斎の娘は、北斎のような名声が欲しかったわけでもなさそう。

ただ愚直に絵が上手くなりたいと生きてるだけだったみたい。

まあ、一種の発達障害の天才が女性として生まれると、こうなるってモデルみたいだけどさ。

そこまで天才になると、どうでもいいんだよね。自分の名前が出ようが、どうしようが。

2000年晩秋のマンハッタンの地下鉄の駅のそばの映画館で見た、清朝を舞台にした中国のカンフー映画のヒロインの超越を目指す孤独と、どこか似ている葛飾応為の孤独。

清朝は満州人が作った国なので、女性が纏足(てんそく)する習慣はなくてさ、清朝の満州人の上流階級の女性は纏足しなかったんだよね。西太后も纏足はしてなかったらしいよ。

なんなんですかね、あの纏足って。歩行困難で大変でしょーが。宦官とかの慣習も不思議。不思議いっぱい大昔の中国大陸。

ついでにさ、江戸時代は女性の抑圧が激しかったように見えて、そこそこ好き勝手に生きていた女性もいなかったわけじゃない。

幕末を男装してあちこち移動してた女性もいたし。

福岡の高場乱のように男装の眼科医&漢学者として、下級武士の男の子たちに漢籍を教えていた女性もいる。

第二次世界大戦後に解散させられた政治結社玄洋社の創立メンバーは、すべて高場さんの弟子たち。頭山満もね。

実は、いろんな女性がいたんよ。令和の時代でも破天荒に分類されるような女性が、江戸時代にもいた。

それはさておき、私がこんなことをBlogに書いているのは、私もスケールは小さくチンケなチンピラながらも、自分という資源をめいっぱい出力させたいという欲望だけで生きていることを自覚できるようになったからかな。

あ、そういえば、Crouching Tiger, Hidden Dragonって、台湾でリメイクされてドラマ化されたんだよねえ。

まあ、見なくてもいいや。2000年晩秋に見た、あの映画ほどの心のときめきは再現されないから。

ああ、第5作のニーチェ本にこのことも書けば良かったなあ。

動物と超人の間に渡された一本の綱の上を行く女性の例として。

2件のコメント

  1. ご無沙汰しております、藤森先生。
    「グリーンディスティー」、日本での公開タイトルが原題の「臥虎蔵龍」や片仮名の「クラウチング..」とならなかったのは「龍」や「ドラゴン」がカンフー映画を思わせるからだと聞きました。

    この映画にしろ、大河ドラマの「篤姫」にしろ、女性が自らを高めるために邁進する作品は当地では大変な好感を持って迎えられています。話しはそれますが昨日の香港マラソンに周潤發が10㎞の部門に参加していました。

    新作の御本、楽しみにしています。

    いいね: 1人

    1. Yukariさま

      わあ,お久しぶりです。

      そうですか。グリーンディスティニーなんて剣の名前を題名にしたのは、そういうことでしたか。でもまあ、大雑把に言えば、カンフー映画みたいなものなのに。

      香港の方がフェミニズム度が高いですね。

      チョウユンファさん、お元気なんですね!
      嬉しいなあ。

      いいね

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