#614 2/21/2023 整形外科クリニック初体験!

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本日は2023年2月21日火曜日です。

本日私は、生まれて初めて整形外科専門のクリニックに行きました。

なんでかっというと、昨日から急に左脚が非常に非常に痛くなったからです。

先週あたりから、なんか左脚の膝の裏が伸びないなあ〜〜伸ばすと痛いなあと感じていました。

ところが、昨日はベッドに潜り込んでも、疼痛に近いほど脚が痛くて、寝返りもできなほど辛かったのです。

いたあああいいいいい〜いたあああいいいい〜と騒いでおりました。進行してしまった虫歯と同じくらい痛かったのであります。

右脚はずっと悪いです。歩けば痛いです。

なのに左脚まで!?

ええええええええええええーー

と、私は慌てて、寝床の中で、タブレットでネット検索しました。

もう、こうなったら病院に行くしかないぜい。

名古屋市内の評判の良い「整形外科」の小規模の専門病院を探しました。

大学病院とか日赤病院は、今は、かかりつけ医さんの紹介状がないと診断してもらえないです。

それでも診断してもらおうとすると、日赤だと初診料が7000円くらいかかります。

まあ、それでもいいから、行ったことのある日赤病院とか聖霊病院に行くかと思いましたが、そこそこの規模の大病院って、すぐに人工関節だの骨切りとか、そういう手術したがる感じじゃないですか。

まずは、整形外科専門の小さい規模の病院に行くべ、と思いベッドの中で痛みにヒイヒイ言いつつ、ここだな!と決めました。

WEBサイトはあっても、実のある情報がないクリニックや病院は多いよ。

院長の経歴がないのはダメ。どこの医学部出身で、どこの病院で臨床してきたのか?

患者の口コミもチェック。

整形外科医といっても、得意なのは「手」というドクターでは困る。私は、脚が痛いのだよ。

できれば、リュウマチ専門医もいるといいな。

内科だの小児科だのいろいろ集まってるのは不可。

老人施設併設のクリニックは、老人相手に適当にやってる趣でダメ。

WEBで、患者の苦情もオープンにして、それに対して返答している病院がいい。

で、検討した結果、実家のお墓と、私と夫の生前墓がある平和公園の近くのクリニックに決定。これも、ご先祖様のお導きかもしれん、と勝手に決めつける。

WEB予約しようとしたら、初診はWEB予約できない。じゃあ、明日一番に突撃だ。

で、痛み止めのバファリン飲んで寝ました。

やっぱ70歳ともなると、夜型は無理になってきた。

で、本日は早起き。

早朝は8時半前にクリニックに到着。入り口の前で粘る。私が一番乗りではなかった。残念。2番目だった。

夫が退職後で良かったなあ。運転してもらえるのは、ありがたい。

午前8時半に病院開城。「おはようございますー」と大声出して、私は病院に入城。

挨拶は大声で自分からする!ただし無表情で。笑わない。

これで、だいたい職場では上手く行く。「あ、こいつ、うるさい」と避けてもらえる。

でも、そこは病院。大売り出しのスーパーマーケットとは違う。

院長とスタッフ全員が、静かにお出迎え。丁寧なご挨拶。

最初に問診票にいろいろ書き込む。

職業のところに、「著述業」と書いといた。

無職と書くのがいやで。

嘘ではないから、いいじゃないの。ただ本が売れていないだけよ。

院長先生の診断ののちに、レントゲン4枚撮影。その後にレントゲン写真を使用しての院長先生による説明。

で、診断としては、閉塞性動脈硬化症でもなく、坐骨神経痛でもなく、変形性膝関節症でも、関節リュウマチでもありませんでした。もちろん、腰部脊柱管狭窄症でもありませんでした。

極度の運動不足による筋肉の劣化でありました。

……………

レントゲンによると、私の膝は軟骨もしっかり残っていて、「70歳でこれならば、死ぬまで膝は保ちます!」と、明るく50歳前くらいのお若い院長先生はおっしゃったのでした。

わ!嬉しい!!

死ぬまで保つ膝!!思わずガッツポーズのババア。

2040年あたりに来る平和な素晴らしき新世界を見るまで生きていられるかしら。

まあ、あと10年として2033年あたりが妥当かな。まだ戦後復興時期だろうなあ。

しかし!膝の関節に問題はないとしても、ちゃんと適切な運動をして、ストレッチやリハビリをしないと、脚の痛みは取れないそうです。

ほんとに脚の筋肉がヘタレているそうです。

で、簡単なストレッチを学びました。両脚の膝の裏を伸ばす軽い体操です。

明日から週一ぐらいの割合で、リハビリに通います。

リハビリって、要するに私の場合は、短時間の整復とかマッサージなんじゃなかろうか。もしくは適切な歩行のしかたの指導とか。

あるいは理学療法で、電気流すとか。あれ、効くんですかねえ?

まあ、おいおいわかるでしょう。

その病院は、看護師さん以外に、医学療法士さんやリハビリ助手さん(整復師さんみたい)もいっぱい働いておられます。

これだけのスタッフを抱えての病院経営は大変だろうなあと、私はジロジロと病院内部やスタッフさんの働きぶりを観察。

なにしろ、老夫婦ふたりだけの、ほぼ引きこもり生活でしょ。若い人たちを見るだけでも新鮮。

老人が病院に行きたがるのは、若いスタッフさんたちを見たいんじゃないのかな。な、ことはない?

まあ、ともかく、両脚ともダメになるというような事態ではなく良かった。

ストレッチして、体重も減らそう。

21世紀に入ってまもなく右脚を悪くしてから、すっかり運動不足になり、デブ度が増したうえに、デスクワークでさらに運動不足で、締め切り前のストレスで自分を甘やかしてオヤツ食い放題。

ここ数週間の廃人生活で、駄菓子にポテチにチョコレート食い放題。

で、罰があたったんだよねえ……

体重計の数値がすごかったもんねえ……

思えば、私の脚の不調の歴史も長い。

右脚の不調は、すでに40歳の頃に気がついていたんですねえ。

なんか全体に痛くて、寝床では右脚が痙攣してた。軽く引きずって歩く感じになってた。

2段組1000ページ以上の日本語になるアイン・ランドのThe Fountainhead の翻訳作業のために、時間があるとパソコンに向かっていたのが48歳の5月くらいから50歳の6月まで。

校正に1年かかったけど、校閲はしてくれなかったみたい……だからミスがいっぱい。無名な作家の小説も翻訳で、無名な訳者だもんね。しかたなかったのね。

その頃から腰の右側が痛くなり椅子から立ち上がるのに時間がかかるようになったのでした。

大学の仕事も忙しく、学会の発表も忙しく、数週間ごとの単身赴任先の大阪から名古屋までの移動も忙しく、病院に行く気になれず。

ほんとに40代から50代にかけては忙しいもんね。

それが、59歳のある朝に、両脚の長さがハッキリと違ってることを自覚。

それ以来は、びっこひいて、歩くしかなくなりました。

60歳の夏には、杖なしでは歩けない状態になりました。それでもアメリカにひとりで行ったぐらいだから、還暦なんて、まだ元気なのよね。

まあ杖つけば、歩けるんだからいいよと、いろんな整体師さんに施術していただいて、痛みや凝りを和らげてもらってきました。

で、なんとか最近までやってこれた。

で、70歳。

とうとう、左脚も悲鳴を上げたわけです。

左脚にすっごい負荷をかけてきたのだよねえ。長年の間、右脚の不調を、左脚で庇ってきたのよねえ。

みなさん、お身体には気をつけてね。

身体のケアは、やればそれなりの結果は出るけれども、老化ってのはあります。

自分が老化してるのに、そうと認めない患者って結構いるらしい。これだけ健康に気をつけて、運動もして、身体も若い頃と同じくらいにスリムなのに、なんで不調が治らないのかって、怒り出すんだって。

この本に書いてあったよ。

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あのねえ、万年青年とか美魔女って無理なの。

若いつもりでも若くないの。

もう、堂々とジジイとババアやりなされ。

「老化は病気である」と主張するアメリカ人医師が書いた本(Lifespan)もありますが、な、はずないだろ。

誰もが罹って、死ぬことが必定な病気なんて、あるか。

それは自然現象なの。必然なの。

敢えて言えば、生きるという病気かしらん。

ほんと、アメリカ人って脳が病気。永遠の生命とか永遠の若さとか、そんなの凡人がもらっても、しかたない。

天才や英雄がもらってもしかたないわ。

死ぬのがいいわあ〜〜♬♬です。

私は、別に藤井風さんのファンではありません。

老化は病気ではなく、太陽が沈み、また昇るように自然現象であります。

私も、人生最後の段階を迎えつつあるなあ〜と、お白湯を飲みつつ思う如月の終わりの昼下がりでございます。

この人生最後の段階ってのが、やっぱ、一番スリリングなんじゃないですかね。

死にどきについても、考えようね〜〜♬

若い人は、必死に生きてね〜〜♬

時間は有限よ。永遠の若さはファンタジーよ。必ず老いるよ。

オリーブオイルじゃないのよ。

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