#621 3/30/2023 世界はどうあるべきかというヴィジョンなき私

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本日は、2023年3月30日木曜日です。

最近、私は反省してるんですよねえ。

何を反省しているかといえば、私には「あるべき世界のヴィジョン」がないということですね。

ほら、今まで出版してもらった拙著なんかも、そうじゃないですか。

この世界はろくでもない、永遠にろくでもないという前提をもとに、それでも生まれちゃったら死ぬまでは生きていくんだから、そういう世界にどう対処しようか、という内容でしかない。

外見至上主義が蔓延る世界で、情報も人材も集めることができるだけのカネ持ってる人間が好きに動かしている世界で、入手できたわずかな情報の活かし方さえわからない程度の頭の人間が、いかに自分の内面を守って生きて行くか、幸福を感じて生きるにはどうしたらいいかってことが、私の書くことのテーマじゃないですか。

どんだけ受け身なんでしょうね、私って。

それだけ、私は、この世界から疎外感を感じているってことですよね。

あらかじめ、自分が参加できないものとして、世界を捉えているということですね。

少なくとも、私の意識は世界と離れているということですよね。

世界を巨大な水槽かサファリパークみたいにじろじろ見物観察しているけれども、その水槽の中に入ってみたいとか、サファリパークを巡る車からは降りてみたいとかは思わない人間が私ですね。

世界に対して好奇心はいっぱいあるけれども、世界に作用して作り替えたいとは思ってないのですよね。

そういうことは、凄い能力のある人がやることであって、私に何の関係があるんだと思っているということですね。

そういえば、長年の間、私は教師として生活費を稼いできたけれど、学生を変えようとか、改善したいとか、思ったことがなかった。

頭がいい学生は、勝手に伸びるだろう、そうじゃない学生はそれなりでいいじゃないの、食べて行ければ、というスタンスだった。

なにしろ、人間はこうあるべし!という理想が自分自身にないので、他人にどうこう言えることがなかった。

私が、言いたいことを言ってるわりには、家族とも、友人知人とも、同僚とも、深刻なトラブルがなかったのは、相手を変えようという気がなかったからだろう。

すべては、対処するべきものであって、是正する対象ではなかった。

対処できそうもない人間や事物は回避した。逃げるが勝ち。人間関係の改善を図る気はなかった。

あんまりうざい人でも、殺害すると犯罪になって自分が損だから、空想的に惨殺しておいたけれども。

馬鹿な大学院の教授や上司や同僚は、私の頭の中では、巨大な肉たたきによって執拗に殴打されて、タルタルステーキ状にされて、伊勢湾に廃棄された。

あ、瀬戸内海に沈めた奴も5人くらいいるか。

すみません。彼らの名前は覚えていません。タルタルステーキさんとしか。

でも憎むまでの関心はなかった。

いかにウザい人々も、この世界の中では非力無力な人々ばかり。憎むほどの御大層なもんじゃない。

そういえば、馬鹿ブス貧乏本のピンク版『馬鹿ブス貧乏な私たちが生きる新世界無秩序の愛と性』のAmazonのレヴューに、「紹介ばかりで、著者の実体験談がないので、つまらない」というのがあった。

こーいうレヴューは、私にとっては不思議。

なんで他人の実体験が大事なの?

他人の実体験なんて、しょせんは他人の実体験じゃないの。自分には関係ない。

それから、愛とか性とか、取り立てて求めて体験することには興味ないって、ちゃんと私は「まえがき」に書いといた。リサーチしただけの本だって、最初から示唆しておいた。

あの本は、性だの愛だので、ただでさえ悪い頭を混乱させることはないのだよ、好きに生きろ、新世界無秩序なんだからって言ってる本なんよ。

他人の体験なんて本質的にはどうでもいい。

まあ、ああいう本を書くには、私自身がやたら他人と関わることに興味ない人間であり過ぎるという問題はあるが。

しかたないよ。男をひとり確保したから、男に向ける時間が節約されたので、他のことしようって思う女性もいるんよ。

なんで、次から次に男を体験しないといけないのか。しょうもな。

生身の男より面白いことは、いっぱいにあるのに。

そもそも、生身の人間が一番面白いなんて説は、この世に蔓延るファンタジーのひとつでしかないんだからね。

それにだ。

そもそも、体験談として、ああした、こうした、こういうのに会った、こういうのと別れるのに苦労したとか、書いてる人たちの書いてることが真実だと思っているわけ?

ほんとうに、その人の心や生き方に決定的な楔を打ったような体験とか書いて売り物にするって、人間はしないんじゃないの?

もったいないでしょ?

それは宝物なんだから。

宝物は三種の神器と同じで、奥深くにしまっておくものなんよ。

だから、体験談が読みたいとか言ってる人は、はっきり言っておめでたいし、頭すっごく悪いし、人間の真実を知らないんよ。

って、何の話しか。

話を元に戻します。

ここは、愛知県一宮市の真清田神社です。愛知県の産業商業を守護する神様がおわします。ということになっています。地味ながら神威の高い神社ですよ。

で、私は考えた。

なぜ私は、世界は対処するものであって、自分が作用してより良く変える対象ではないと前提としてきたのか?

これは、一見、私が酷く世界から傷つけられて、世界に絶望しているかのようだ。

なことはない。戦後の平和な日本で、実に平々凡々に生きてきた私には、そんな世界に絶望するような認識に至るほどのドラマチックな体験なんてしたことない。

では、なぜ、私は世界に対処はしても、世界を変えようとは思わないのか。そこまで世界に深く絶望などしていないのに。そもそも絶望なんて人間にできるのか?

では、この程度のものだろう、人の世は、と諦めるほどの、壮絶苛烈な経験などしていないのに、なぜに私は、前提として、この世界から腰がひけているのか。

で、思考力のない頭で考えた。

ひょっとしたら、私は、平々凡々ながら、良い意味で干渉されずに、自分の世界に没入できた乳幼児期を過ごすことができたからだろうか?って。

これ、どーいう意味かというと、つまり、ひとり遊びを誰にも邪魔されずにやっていられたから、世界は私とは直接には関係ないものとなったのではないかということです。

母は育児で精一杯といっても、子どもの世話はしても、どういう子どもに育てたいかなどという無駄なことは考えないようなシンプルな人だった。

父は父で仕事が忙しかったとはいえ、子どもの様子を静かに観察するぐらいの注意力はあった。

2人とも、もの静かで、ガチャガチャしたところがなかった。

1950年代や60年代の昔の日本人の家庭って、そういうもんよ。

キャピキャピ親子が賑やかに落ち着きなく騒いでるみたいな、いつもイベントしてるような、テレビのCMに出てくるみたいな家庭像なんて、テレビのCMが作ったファンタジーなんよ。

そういう意味で、私の子ども時代は、安心してひとり遊びできるだけの安定と安全に恵まれていた。

だから、私は、外界と拮抗して、外界に呑み込まれないだけの、私という精神空間を作ることができちゃったのではないか。

だから、外界は、あくまでも外界であり、必要があれば対処するものであり、対処するには、ちゃんと外界把握が必要であるので、外界に関する情報や知識は持っている必要があるので、観察は怠らないが、基本的にはどうでもいいものであり、自分の世界がより大切ということになったのではないか。

考えようによっては、随分と傲慢不遜な心的態度になったんじゃないのか。

私は、世界なんかなんぼのものじゃ、宇宙なんかどんなに広大でもなんぼのものじゃ、というキチガイじみた気持ちを持ってます。

ほほほほほ。すみません。

でも、人間存在って、それぐらいの妄想力を持てるほどの、とてつもない存在なのではないでしょーか。

あなたは、あなたが思っているほどの矮小な存在ではないのは、あなたの脳と心には、宇宙が入ってしまうからです。宇宙の果ての向こうの何かまで入ってしまうからです。

こういう心性を持つかどうかは、乳幼児期の環境のせいばかりとは言えないかもしれない。

同じ育ち方をしても、兄弟姉妹でも違うし。干渉されないことが寂しい人もいるかもしれないし。

私の何事にも受け身である姿勢の背後にあるとてつもない傲岸不遜さというのは、生まれつきの偏向かもしれない。

とはいえ、あるべき世界のヴィジョンがないということは、私に、それが持てるだけの教養や知識がないとも言える。

でも、国連だの、グレートリセットだの、SDGsだの、ESGだの、新手の全体主義のような、キラキラと輝くコスプレしてる共産主義みたいなヴィジョンじゃあ、しょうがない。

ここんところは、新刊の『ニーチェのふんどし』読んでくださいね。是非とも読んでくださいね!

ここは、福井県の福井市の西武の紀伊國屋書店です。アイン・ランド愛読者の方が送ってくださった写真です。ありがとうございます。

結論として、まあ、自分にあるべき世界のヴィジョンがないことを自覚して、そのヴィジョンを求めながら、欺瞞ばかりのろくでもない世界に、心身ともに侵食されない生き方を発信するしかないのかな、ということに落ち着いた花冷えの朝でした。

2件のコメント

  1. こんにちは、はじめまして
    私は北海道の北見市に住む、福田俊樹(46才)と言います

    副島さんのホームページに、ニーチェのふんどしの前書きを読み、面白かったので、購入!
    一気読みしました♪
    頷くたり、爆笑したり…
    良い時間を過ごす事が出来ました♪

    それに続き、馬鹿ブス貧乏本の黄色と,青色本も読みました
    おススメ本も読んでみます

    体に気をつけてまだまだ書いてくださいね
    楽しみにしています
    突然のコメント失礼しました

    いいね: 1人

    1. 福田俊樹さま

      コメントありがとうございます。拙著をお読みくださり、ありがとうございます。嬉しいです。

      お気が向いて可能ならば、Amazonとかにレヴュー書いてやってください。

      体調ガタガタですが、これからも粘って書きます。出版してくれないなら、電子ブック化してでも。

      ありがとうございました!

      いいね

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