本日は2023年4月1日土曜日です。
2023年3月も終わっちゃったよお。2023年の25%が終わっちゃったよお。
まあ、この2月と3月の絶不調は、ほんときつかった。まだまだ続くのだろうな。
ところで、みなさん、特に理由もないのに、ひどく体調が悪くなったり、急用が起きて、行く予定であった場所とかに行けなくなったり、参加する予定であった事に参加できなくなったりしたことがありますよねえ?
そういうときって、後で考えれば行かなくて良かったということが、ありませんか?
私には、ちょくちょく、そういうことがあります。
新しい職場の同僚たちの泊まりがけの研究会に誘われて参加する予定だったのに、楽しみにしていたのに、急にどういうわけか体調不良になり、行けなくなったことがありました。
でも、後で聞いたら、その研究会に参加すると、その研究会のメンバーたちの派閥に無理に入れられたろうとか。
新入社員?が来ると、研究会と称して誘っては、集中的に偏った情報を大量に浴びせて洗脳するってことは、職場によってはあったのです、かつては。
他にも、教授会に出席するつもりが、急にめまいがするんで欠席したら、その教授会で決まったことが学部長の意に染まなかったので、決定がひっくり返されて、もしそこに自分がいたら、それはおかしい!と抵抗したろうから、行かなくて良かったとか。
良くなる可能性のない職場の会議で正論を言ってもしょうがないってことあります。同僚たちはそれで黙って引き下がったのだから、その程度のところなのだから、私が抵抗しても仕方ないので、出席していなくて良かったのです。
いろんな職場がありますから。
学部長がなぜそーいうことしたかは、詳しくは書きません。65歳定年が原則の職場で、自分の定年が74 歳まで延長されるかどうかという問題が関与していた。そりゃ、必死になるよな。大学教授なんて大学をやめたら、何もないのが普通だもんね。
あと、2006年のこと。大連、北京に行く旅行に誘われて、その旅行費用も払っていたのに、どうしても用事ができてしまって参加できず、25万円がぶっ飛んだけれども、後で聞いたら、その旅行がとんでもないものだったとか。
大連での食事内容に体調を壊した参加者複数が病院に担ぎ込まれたものの、あまりに病院が不潔で、逃げ帰ってきたとか。
その食事は、本物の鶏からちょん切られた首が、鶏肉料理の上にチョコンとトッピングされたものだったとか。
私は食べ物にほぼ好き嫌いはないが、トリ肉だけはダメなのだ。子どもの頃に、首のない鶏がヒョコヒョコ歩き回る夢を見た時の恐怖は忘れられない。
今でも、鳥のから揚げ無理です。焼き鳥無理です。気持ち悪いです。
鳥って、恐竜の進化系だってね?恐竜は好きなんだけどなあ。
そもそも鳥の形状が気持ち悪い。ヒッチコックの『鳥』という1963年上映の映画は、私にとっては最高最悪のホラーです。
あんな怖い映画はないです。



その中国旅行は、(すでに今は故人の)知人のプロの洋画家の女性に誘われたものでした。
世界中のそこそこプロの画家さんが参加する旅行だったらしいけれども、特に通訳などいない集団の親睦旅行だったと、後で聞きました。
なに、それ。
となると、私など少しは英会話もできたから、勘違いされて、通訳がわりにこき使われたに違いなかったのです。
そういう迷惑は、それまでにもたびたび経験したことがありました。
いろんな国のなまった英語を聴き取れるような英語力は私にはないので、私は難儀して、観光などのんびりできなかったに違いない!
もし、そんな旅行を体験し、消耗しきって帰国したら、『権力と暴力』(ミネルヴァ書房、2006)というアメリカ研究の論集に出す論文の原稿を書けなかったに違いなくて、編著者の方々に迷惑をかけたに違いなかったのでした。
行かなくてよかったああ!25万円で厄落とししたんだと、私は思ったものでした。もう、そう思うしかなかった。
それから、ある人物と会う約束をしたものの、当時左の手首にしていた水晶のブレスレットが、急に糸が切れて、水晶の玉がバラバラになり、気分が悪くなったので、その人物に会うことをキャンセルしたら、あとで、その人物がろくでもない人であったと判明したとか。
いろいろと、このようなことがありました。
で、私は、理由もなく、急に体調が悪くなったり、急用ができたときは、行くはずであった場所に行かない方がいいと、信じるようになったのであります。
神様だか守護霊だかご先祖様だか知らないけれども、それは、なにものかからのメッセージなのだと、思うようになったのであります。
というわけで、昨日も私はあることをキャンセルしました。
素直な私。切れる方がいいご縁もある。
ところで、昨日の朝は嬉しいことがありました。
ビックリでした。
アイン・ランドのThe Fountainheadの拙訳『水源』が増刷となったというビジネス社からのお知らせでした。見本も2冊贈られました。

8刷目です。2004年に出版されて絶版されずに、少しずつ少しずつ増刷されて、やっと累計8,800部。
約20年でやっと8,800部!
でも、2020年には絶版になりそうでした。
2019年11月にKKベストセラーズから出版していただいた馬鹿ブス貧乏本の黄色版のことを、副島隆彦氏がビジネス社に話してくださり、それで1000部増刷され、延命しました。
良かった!ありがとうございました。
黄色版を読んでくださった方々は、アイン・ランドと『水源』のことについても、そこに書かれていたことをご存知ですよね。

税込み5,500円の1,000ページ以上で二段組の長編小説です。
そんな長いの誰が読むよ。
でもね、100ページまで読めれば止まらなくなりますよ……ほほほほほ。
この小説は読者を選ぶから。
私は、この小説を読んで、英米文学はもういいわ、と思っちゃった。
翻訳本の印税って、版権持っている人や組織にも支払われるので、無名の翻訳者の印税は5%ぐらいです。いっぱい売れて増刷されれば、印税率は上がりますが。
だから、翻訳というのは労多くして儲からない仕事です。
だから、ほんとうに日本語にしたい!日本人が読まないとダメだ!という強烈な思いがないと、プロの翻訳家でもない人間では、翻訳作業なんてできません。
私みたいに英語力のない人間が、どうしても翻訳したい!って思った小説です。読みやすい日本語にしよう!って思った小説です。
この小説だけは日本語にして出版してもらわないと、私は死ぬに死にきれないと思ったものでした。
とはいえ、この小説は、原書にしろ翻訳にしろ、日本人で読んだ人は、2500人もいないと思う。ひょっとしたら、もっと少ないかも。

こんなのすぐに絶版だと、出版当時にネットに悪口を書かれたけれども、まだちゃんと生きています。
また睡眠障害が出てきて、眠れないままに朝を迎えましたが、ちょっとだけ元気になれました。
翻訳してた頃は、大学の仕事もきつくて多くて、それでも憑依されたように、毎日毎日2年間、この小説を少しずつ翻訳していました。
48歳から50歳の更年期の不調など蹴飛ばして、私は『水源』に夢中でした。
心の中には、主人公のハワード・ロークが闊歩していました。
ニーチェが死んだ1900年に生まれた天涯孤独の若者が。ニーチェの思想を体現した若者が。この地上を愛しているので、建築家になると言った若者が。ロシアのピョートル大帝をモデルにした若者が。
今でも幸福だし、ずっと幸福だったと思うのですが、思い返せば、あの2年間が私にとっては、一番充実して幸福な日々だったかもしれません。
腰かけ作業の翻訳作業で、腰も痛めたし、姿勢も悪くなったのですが、幸せな2年間でした。
『水源』の誤訳と校正ミスを直した改訂版は電子ブックで出版される予定ですが、なにしろ長い!
それが実現されるのは、もうちょっと先になるでしょう。
みなさま、入院でもして、することないなあああ〜と思ったら、どうぞ『水源』を!
ベッドを傾ければ、分厚い本も読めますよ。はい。
ほんとうに落ち込んでうつ状態になり、ひとりになるとメソメソ泣いていた47歳の私の全細胞を活性化させてくれた小説です。生き返らせてくれた小説です。いやあ、この小説に出会って、今の私は生まれたのかもしれない。
図書館で借りて読みました。これは手元に置いておきたいと思い購入して、本棚に鎮座しております。数年前のアメリカ旅行で、ふらりと立ち寄った田舎町でフランク・ロイド・ライトのユーソニアンハウスに出会ったことでライトに興味を持ち伝記本を読みました。ハワードロークは、ライトをモチーフにしていないそうですが、水源を読み進めていくにしたがってライトとロークを重ねてしまいドキドキしながらその世界観に魅了されてしまいました。
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水谷佳代さま
コメントありがとうございます。
『水源』をお読みくださり、ありがとうございます。ロークのモデルがライトかどうかについては、アイン・ランドの伝記作家たちも意見が分かれています。私も、ライトの伝記を読んだり、ライトのこと調べたりしましたが、私はライトとロークは似ていないと思いました。
ライトの設計した住宅は、住人にとって住みやすいものとは思えません。トイレの扉ないし。明治村にライトが設計した帝国ホテルのロビーが移築されていますが、全てライトの美意識で細部までギッシリであり、息苦しかったです。
ランドはライトに自分の家の設計を依頼しましたが、ニューヨーク郊外に住む気になれず、高層ビルに囲まれたマンハッタンのアパートメント暮らしの方がランドは好きだったんですね。経済的余裕がすごくあるわけではなかったので、結局はライトに依頼した設計は実現されませんでした。それで、ライトは怒ったんですが。ライトは金にはシビアでした。
ロシアでも、ランドはサンクトペテルブルクの高級アパートメント暮らしだったので、郊外地の田舎のお屋敷ってのは、運転のできない彼女にとっては、本当は苦手だったのでしょう。成功した作家とはいえ、いつもベストセラーを発表する売れっ子ではなかったし。お金は弟子たちのために使ったりして、収入は普通預金に預けっぱなしにしてる人でしたし。
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こんばんは。体調はいかがですか?ブログを読んでから夕飯を食べたらゴロゴロするのをやめました。油断するとゴロゴロしちゃうので習慣って怖いと思ってます。「ニーチェの褌」読みました。ニーチェ原文は普段から使っている言葉と違うのでどう理解したら良いのか分からないのですが、先生の訳はちゃんと理解できているか分かりませんが私なりに理解したつもりでいるので、これから生きていくための糧になります。ありがとうございます。相克という言葉さえ「どんな意味だったけな~」と調べた私でも最高に面白かったです!特にニーチェ語りはもう最高です。所々ニーチェさんなのか藤森さんなのか分からなくなる合唱状態でした。読んだばかりで頭の上でグルグルしていますが、一報したくコメントを残しました。
なるだけたくさんご自愛ください!
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左川曜子さま
コメントありがとうございます。『ニーチェのふんどし』お読みくださり、ありがとうございます。嬉しいです。ごく少数の方々に向けて書いたので、その少数の方々が連絡してくださるのは嬉しいです。なーんか、独り相撲してるんだろな、って思ってしまうので。
食後にゴロゴロしないようにしてますが、ふとすると寝っ転がりかけて、あ、いけないいけないと思います。気をつけますー
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