本日は2023年5月21日日曜日です。
ずっとBlog更新サボってましたが、無職の老人でも忙しいのだよ。
本日は、最近とみに思うのでありますが、現代の女性は人類の歴史始まって以来、もっとも忙しくなっているが、それは外見至上主義ルッキズムのせいであるということを書く。
すみません。私は、猿之助がセクハラパワハラばれて自殺未遂したとか、ご両親が心中したらしいとか、そーいうこと興味ないんで。
先代の猿之助は舞台が素晴らしくて、ほんとに感動させられたので、好きだったけど、今の人は最初から嫌いだったんで。すみません。
私は、今の猿之助も團十郎も菊之助も嫌いなんよ。特に、菊之助の尾上さんとこは、昔から嫌いで。
「歌舞伎は世襲制やめろ、お能みたいに自由参入にせい、オーディションにせい、元が河原乞食の最下層芸人が天皇制の真似してんじゃねーわ、文化庁から補助金もらわないと生きていけない程度の芸術なら消えろ、滅びろ、アホ!」と思ってますので。ここだけの話ね。
ところで、私は、5月6日に塚本ダイさんに撮影していただいて、女性とルッキズムについて、あらためていろいろ思うことが多かったのでありました。
特に、プロのヘアメイク担当の方の持つ大量の商売道具、つまり大量のコスメ用品を見て、思うことが多かったのでありました。
まあ、外見から直せってことは、私はすでに『馬鹿ブス貧乏で生きるしかないあなたに愛をこめて書いたので読んでください』(KKベストセラーズ、2019)に書きました。

ブスは、ある程度メイクなどで直せるから、ちゃんと普通に見れるようにしておかないと、存在そのものがいないことにされるので、それではサバイバルできないから、まずは見てくれを良くせいということを書いた。
しかし、状況はもっと厳しかったのですねえ!
やっぱ、1953年生まれの70歳のBBAは、認識が甘かったすよ。
私は、フルメイクしたのは結婚式の時だけで、その後はずっとスッピンに口紅だけだった。
なぜかというと、大学3年あたりから同級生たちがフルメイクして綺麗に女性らしくなってきたので、私も化粧品店で美容部員さんにメイクしてもらったら、1970年代前半のことなので、バッカみたいに厚化粧でさ。タヌキみたいでさあ。
1970年代って悪趣味だったのよー
私は、こんなに時間かけて、こんな顔にされるなら、意味ないわと思ってしまった。
そんな時間があったら、私は寝転がって漫画でも読んでいたかった。TV見ていたかった。映画館に行きたかった。
私は、今で言う「腐女子」のハシリだったのだ。
それから、そんなメイクすると、つまらん男と縁ができちゃうかもと恐れた。
若い女の子が綺麗にオシャレして、お化粧すれば、男は寄ってくる。しかも、程度の悪い俗物の男が。
なんかに夢中になって勉強してるような優秀な男子が寄ってくることはないのだよ。
寄ってこられても、私は他人にご奉仕する趣味はないのだよ。他人がどんだけ優秀でも、私には本質的には関係ないし。
すでに、高校時代において、私は自由に気ままに生きて行きたいと思っていたので、専業主婦になる気はサラサラなかった。
富裕層でお手伝いさん数人いるような家の専業主婦ならば自由かもしれないけれども、そんな結婚ができるほどの美貌ではなく、家柄でもなく。
自由に生きるにはカネが必要だ。自分で稼ぐしかないのだ。自分の収入がない普通に中産階級の専業主婦になるのは、あまりにリスクが多い。
私が男なら、性格も頭も悪い男に決まっているので、自分の収入に依存して呑気に生きてる女に嫉妬して、こき使うに決まってるからね。
男に人生の邪魔をされるのは断固拒否だったので、恋愛に興味なしだった。
結婚も自分のペースでできなければ、意味がないと思っていた。
ならば、メイクなんかしなくていいんじゃない?まずは、並の男性より以上に稼げることが大事だ!
なにしろ、女は生きるのにカネかかるでしょ。安全保障上さあ。
安ホテルに泊まれないでしょ?セキュリティがしっかりした住居も必要でしょ?ちゃんとした飲食店で食べたいでしょ?ちゃんとしたスーパーマーケットで食材は買いたいでしょ?
新幹線も、程度の低い人間が乗ってる可能性が高い自由席じゃなく、指定席だし、できたらグリーン車よ。
私は、神経質なんで、人混みとか嫌いだしさ。
ということで、私の関心は収入を確保するための職業上のある程度の成功であり続けた。
で、ちょっとしたお出かけのときにメイクするようになったのは、69歳の2022年からだった。目が悪いので見えてなかったが、ある日よおおおおく見たら、顔色がくすみ、鼻の頭が黒く毛穴がブツブツになってきていた。
我ながら、これ酷いなあ〜と思って、YouTube画像を漁って、まずは洗顔から始めたのが、2022年の秋から。
で、今は、泡石鹸洗顔に、外出時には日焼けどめクリームを塗って、眉描いて眉マスカラして、ぐらいはするようになった。すごい進歩だ。
なんで、これくらいのこと、私は、若い頃からできなかったのだろう。
それは、1970年代や1980年代の私が生物学的に一番女性として綺麗にしていられる時期のコスメの水準が低かったからだ。厚化粧スタイルしかなかったからだ。
今は、もおおおおおおおおーーすごいんだぞ。ナチュラルなメイクができるようなコスメがわんさかあるんだぞ。
陶器肌にしてくれるような韓国コスメもあるんだぞ。年下のFacebook友だちに教えてもらったぞ。ありがとうございます。

TIRTIRというブランドのクッションファウンデーションだって。これ、なんて発音するの?ティルティル?
陶器肌だぞおおおおー!!
とはいえ、種類が多すぎて、何が何だかわからなくて、私はまだ購入しておりません。コスメの道も、半年くらいでは、何ともならんのですね。
クッションファンデ!何と魅惑的な響き。クッションファンデ!
この赤よりも銀の方が進化しているそうなので、お試しの場合は銀の方をどーぞ。
陶器肌でございます!綾瀬はるかちゃんでございます!
もう、このようなコスメに関する情報はネット界でもすっごく氾濫しております。
つまり、もう現代は、ブスでいることが難しいのであります。ブスであることは、遺伝子の問題ではなく、情報量の問題なのです。
つまり、私が何を言いたいかと言いますと、現代は、情報さえあれば、みなが綺麗になれるのですから、ブスであることは一種の精神疾患、セルフネグレクト、傲慢なる怠惰であり、綺麗でいることは、当然の前提となるのです。
最近の『日経新聞』を眺めていますと(眺めるだけでいいです。中身はDS情報ですので読まんでも見出しだけでいいです)、なんかの国際フォーラムとか、シンポジウムとかの講師としてプロフィール写真を晒している女性CEOとか、女性研究者とか、何たらシンクタンクの女性研究員とか、ブスなんて1人もいません。
もちろん、それは塚本ダイ氏のようなプロのカメラマンの作品であるからでもありますが、世間一般が女性に要求する美貌度合いが前よりも上がっているからでもあります。
昔は、まあ学者さんだからね、仕方ないよね、高学歴で偏差値高いと、この程度の顔で新聞や雑誌に載って平気なのよね、恥ずかしくないのかねって、感じの人がいました。誰とは言いませんが。
私がいたころの学会とか、そうでした。学会のじい様たちに可愛がられている女性研究者は、美人というほどのこともなく、ファッションセンスもアホみたいでしたが、英文学会やアメリカ文学会では美人ということになっていました。
愛想よければ、ブスがいい気になって美人気取りしていられるから、学会っていいね〜〜って、私は内心思っておりましたです。すみません。
でも、今はそんな人いないんじゃないかなあ。
って、私は2017年以来学会なんて行ってませんが。2009年ごろに文学系学会は全て退会し、行ったのは日本政治学会と日本危機管理学学会だけです。
ともかく、女性であるならば、綺麗でいるのが当たり前という思想が、現代のルッキズムなのです。
また、アニメやアイドル時代が長く続き、一般の人々は、女性の見てくれについて要求する水準が高くなってしまいました。
アニメのヒロイン並みのスタイルと顔立ちを求めるのが暗黙の前提となりました。
それが女性にとって社会的生存条件になっちゃった。
そうなると不思議なものです。アニメみたいな美貌が生身の人間に具現化されるのです。
自然は芸術を模倣する。
これは、オスカー・ワイルドの言葉だそうですが、確かに表現representationが、現実realityを変えちゃうのであります。
あーた、そうなったら、女性はさらに自分の外見を磨くことが人生の仕事になっちゃいますよ。
私の頃みたいに手抜きで生きていられなくなるんよ。手抜きでいいよって男性もいなくなる。アニメに見慣れると、生身の人間の女性が汚く見えるから。
また、女性に対して、もっと美しくあれ!と檄を飛ばし、その方法を伝授する書籍も人気である。

この書籍については、「さとう式リンパケア」の私の先生である小野岩田純子さんに教えていただいた。著者は「美塾」主宰者の内田裕士氏です。
純子さん、貴重な情報をありがとうございます。
以下は、この本の冒頭のページです。

もう、私のような腐女子は、1970代でも1980年代でも女性としては生き難かったのでありますが、今ならば、もうほんとにどうしようもないですよ。
だけど、美貌を女性が努力して獲得し維持しても、賃金労働だの、家事育児だの、介護だの、人生で女性に課せられる仕事量は減るわけではないのだよ。
たとえば、世間はAIだの、人間の労働力が無用になるだの言っている。
でも、生活するには、まだまだ、誰かがしなければならないことが多い。
その誰かとは、だいたいが女性よ。
日常の快適で清潔な暮らしが要求する労働は細々といろいろある。
たとえ全自動洗濯機でも、洗濯槽には洗い物を入れ、洗剤(私は過炭酸ナトリウムの粉末ですが)を入れ、乾いたら畳んで、所定の位置に収納しなくてはならない。
たとえばトイレ掃除。
トイレの床は水拭きに乾拭き。雑巾は使わず、古着を使いやすく四角に切ったものを使い捨てる。
便器はクエン酸かけて、これも古着を切って雑巾用にしたものが突っ込んである袋から取り出したもので拭く。見えないところも拭く。しつこく拭く。
ビニール手袋して、便器と配管の境界を手探りして、汚物を掻き出す。これもマメにしないとダメよん。便器の表面さえブラシで拭いておけばいいというわけではない。
ウオッシュレットのノズルも拭く。
たった2人の老夫婦でさえ、トイレは汚れる。躾されていない馬鹿なガキが多い家庭や、ガキ並みの知能と想像力しかない男の多い家庭は大変だ。
さらに、不特定多数の人々が使用する公衆トイレなどは、ほんとに清掃は大変だろう。トイレが汚いと、もっと汚くされるからね。
玄関のたたきも水拭きして乾いた布で拭く。洗面所に台所のシンクもマメに清掃。洗面所の鏡も水拭き乾拭き。
マメに雑に清掃。丁寧にやろうと思ったら面倒くさくなる。だから四角い部屋を丸く掃除機かけるので、いいのだ。しないより、はるかにいいのだ。
ガスコンロ周辺と浴室の清掃は、私は夫に丸投げしてる。
私のように長年の共働きで、家事は分担するのが当たり前になっている家族でも、家事はキリがないのだ。
仏壇だの神棚だの、TV周りに、ベッド下の埃だの、壁に飾ってある絵の額の清掃だの、もう清掃場所はいっぱいあるのだ。
簡単でも料理して食えば、後片付けの食器洗いが必要だし、食材の管理が必要だし、腐らせないようにしなければならない。
郵便物の管理と処分に、レシートの分類に、新聞やダイレクトメールの整理処分に、積読されて床を占領する書籍の処分。
そこに災害用備蓄品の確認が必要。食品となると、いつのまにか賞味期限切れちゃったもの多し。
つまり、ルッキズムの時代には、これまでの女性に課せられてきた数々の労働の上に、さらに自分の外見の美貌度を上げるという労働が加わる。
そして、この種の外見保持労働は、年齢を重ねるにつれて、もっと増えるのだ。
20代より30代に。30代より40代に。40代より50代に。50代より60代に。
最近は、高齢化社会で、60代や70代や80代の女性のオシャレ動画がいっぱいある。YouTubeで検索してちょーらい。
うわあ。
まあなあ、AIの発展で、勉強してもキャリア形成に役に立つわけでもないという時代がくれば、美容しかやることのないという女性は、小学生からドンドン増えるだろう。
人間の97%が無用者階級になるのならば、その97%を食わせるためにベイシックインカムが導入されるのだろう。
ベイシックインカム導入後の女性は、ギリギリ食っては行けるので、綺麗になることが生きることになるのだろう。
確かに、女性は綺麗でいれば、何でも通用しちゃうという局面は多いから。
しかし、ベイシックインカム導入はいつになるかわからない。
それまで、女性は、従来の伝統的女性の労働に加えて、いつも綺麗でいるという労働が加わるので、人類史において、もっとも忙しい人類であり続けるのだろう。
なんかね、いわゆる足の踏み場もないゴミ部屋状態になる女性って、別に精神病でもなく、生活費獲得の賃金労働と社会に受け入れられるための外見保持労働のために疲れ切って、ゴミを捨てる暇もない事例が多いらしいよ。
だから、特殊清掃業者に自宅の清掃を依頼する客には、20代や30代の働く女性や、子育て中のシングルマザーで賃金労働で多忙で掃除などしていられないという状況の女性も少なくないらしい。
子どもは幼いうちは、自分の家庭が普通だと思うので、ゴミ部屋が当たり前の感覚になるらしい。
でも、あくまでも彼女たちは外見は綺麗にしているらしくて、ゴミ部屋に住んでるとは誰も想像できないらしい。
社会的生存のために私生活がガタガタになっているのだ。
そりゃそうだろうなあ。私でさえ、単身赴任で賃金労働してた頃は、トイレ掃除だけはして、他の掃除なんて2週間に一度で、Amazonや通販の段ボール箱を解体する体力もなく、部屋に積んでおいたもんな。
スッピンの私でさえ、賃金労働には消耗してた。そこにメイクだのヘアだのルッキズム労働が増えていたら、もうぶっ倒れていたに違いない。
これでは、日本の女性は、よほど意識的に体力をつけないと、書籍一冊も読めない毎日となるだろう。メディアやネット情報を鵜呑みにして、正気になることはないだろう。クルクルパーであり続けるだろう。すみません、また真実を言ってしまって。
だからさ、時にはルッキズムから自分を解放して、自分の部屋では思いっきり汚くしていることも必要だよね。毛脛を伸ばし放題にして。ほほほ。
いつも美しくなんてさ、理不尽なファンタジーよ。

「ブスであることは一種の精神疾患、セルフネグレクト、傲慢なる怠惰」、まことに同感です。
美輪明宏さんも「泥のついた大根」と「洗った大根」のたとえをされています。
美輪さんは美形は本屋で立ち読みができないが十人並みの容姿ならできると話されていました。
美輪さんが得られない、自分なりの幸せを享受しております。
私が高校で英語を教えていたときによく話したのは、O・ヘンリの『手入れの良いランプ』の話でした。
田舎から出てきた2人の若い娘が、一人は薄給のデパートガール、もう一人は実入りの良いクリーニング店員として働き始める。
最後に笑うのは薄給でも審美眼を磨き、男を見る目を養っていたデパートガールだったというO・ヘンリならではの大どんでん返し。
小学生の頃から「真面目に勉強していれば良いだろう」というマインドセットでやってきた自分がそれではダメだと気づかされたのは30代半ば。
一時期は目覚めましたが、今は再び「冬眠状態」でしたので、ブログ記事を拝読して、自分へのメッセージと受け止めました。
すぐに髪と眉を整えました。ありがとうございました。
奇跡の71歳の動画には驚きました。10のポイント、生かせそうです(養殖鮭は食べませんが…)。
自分らしく、聡明さのある歳の重ね方をしていきたいです。
・洗濯洗剤として過炭酸ナトリウムの粉末を使うのは私には新情報でした。重曹にしていたのですが、過炭酸ナトリウムを試してみたいと思います。
・トイレ掃除は教えていただいた方法も取り入れていこうと思います(クエン酸、奥まで磨く)。ありがとうございました。
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sasukeさま
コメントありがとうございます。拙文お読みくださり、ありがとうございます。
トイレは奥の配管との繋ぎ目についた汚れを掻き出す、って感じです。汚れやすいんですよおお。トイレにはこだわる私。過炭酸ナトリウムって重曹みたいなもんだと思いますが、よくわかりません。界面活性剤入り洗剤を使いたくなくて、そうしてます。
ルッキズムの件ですが、外見差別はまずいですけど、まあ、元気ないときは、自分の外見からあげて、テンション上げるっていうのも手ですよね。家の中でも、カジュアルではあっても、それなりにキチンとしておくと、あんまりダラシなくもしていられない気持ちになりますし。
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