福山ハッピーホテル暮らし

image本日は2017年3月23日木曜日だ。

福山市立大学の卒業式の日だった。

2011年創立の福山市立大学の第3期生の卒業式だった。

この写真は、卒業式開始前の時間に会場のリーデンローズという福山市の施設で、ゼミ生のお母様に撮影していただいたものです。

ゼミ生のお母様というのもお若くてお綺麗で、考えれば、私の教え子の年齢であるのだよ。

うわあ……ということは、ゼミ生は「教え子」ではなく「教え孫」になるのだ。

うわあ……それでは、私も「卒業」時である。

見よ、フジモリの緩んだ顔を!

服役を終わって緩んで膨らんでデブった顔と身体である。

もう、こうなっては労働現場で何の役にも立ちません。

下の写真。

大公開!

うちのゼミ生は美人でしょ!!


上の写真はオマケだ。

ご卒業おめでとうございます〜〜

本日の卒業式は、私にとっても「大学教員としての卒業式」であったとよ。

3月21日から福山に戻りホテル暮らしをしている。

2011年3月11日に宿泊したホテルで暮らしている。

25日土曜日に名古屋に帰るとよ。

21日は 、ホテルにチェックインしてから、「歯科室むつてっせん」に行った。

レーザーによる虫歯の治療済み穴に「ジルコニア・インレー」つーのをいれていただいた。

めでたくめでたく左の奥歯でも物が嚙めるようになったとよ。

久しぶりに左の奥歯で噛みしめる喜び。

「左の奥歯で嚙めるようになった記念」で、福山駅前の「ともんちゃ」でヴォリュームいっぱいの「オムライス・カツセット」をいただいたとよ。

ちゃんとサラダついてるのに、さらにサラダを追加したとよ。

食い過ぎだっつーの!

歯科衛生士さんに言われちゃったとよ。

いつも凝りに凝って硬く鬱血してる口腔内の筋肉がブヨンブヨンに柔らかくなってるって。

うーむ、恐るべし、口腔内筋肉の正直さよ。

翌日の22日は、退職に伴う各種書類の提出に、原状回復した研究室と備品の総務課への返還を済ませた。

「福山市章バッジ」を返還せいと言われた。

何それ?

そんなバッジなんて知らない。記憶にありません!

と、昭恵夫人のごとく言い張った私。

薔薇のマークのバッジだそーだ。福山市が「薔薇の町」だから。

抵抗も虚しく、「紛失届け」を書かされましたです。

職員証といいますかIDカードも返還した。

学内では、レザーストラップのついたケースに入れて、いつも首からぶら下げていたカードだ。

このカードがないと、学内ではなんともならない。

もう、福山市立大学内のパソコン端末どれも使用できません。

図書館にも入れません。

情報処理室にも入れません。

これで実質的には大学とさようなら。

その後は、市役所に行き「転出届」を提出した。

転出届がないと、名古屋に転入届が出せないんだってね。

その際には、「マイナンバー」も申告なんだってね。

転入届がないと住民票がなくて、投票とか健康保険とかの手続きもできないのか。

ということは「逃亡者」には住民票はないんだな。

しっかりお役所に管理されている日本国民。

その後は、借りていたマンションの部屋を、その部屋の管理を請け負っている不動産会社にチェックしてもらって、鍵を返還。

居間のフローリングの汚れと傷みがどうたら、壁紙の汚れがどうたら……と細かく細かくチェックされたとよ。

契約時に支払った3ヶ月分の敷金は、どれくらい返ってくるかしらん。

夕方からは、「びんご経済レポート」という備後地方の企業向け情報誌を発行している会社の代表の方と編集者の方との会食でありました。

5月24日(尾道市)に「びんご経済レポート」さん主催の講演会で講師をすることになったとよ。

そーいうご依頼を受けたとよ。

ありがたいことであります。

が……

講演会の参加は誰でも自由だけれども、主として青年会議所のメンバーとか備後地方の経営者の方々がお聴きくださるらしい。

そんなビジネスマンの方々の前で何を話せばいいのか……

講演会の打ち合わせであったのだから、講演で何を話すべきかを議論すべきであった。

しかし、私はついつい食うことに集中してしまったとよ。

いや〜この後に及んで遭遇してしまった!

「福山の美味しいお店フジモリリスト」に新たに加わるべきお店に!

「中国料理  蓮華」だ!!

霞町の「なかくし」さんの近くだ!!

レンゲと読みません。「レンカ」

玄関の看板に「中国料理」と書いてあるけれども、中国料理ではないです。

オーナーシェフさんが中国で修行した日本人で中国語できるけれども、お料理は、中国料理ともフランス料理ともつかない不思議なお料理だ。

が、すっごく美味しい!!

感動。絶品。

まったく商売やる気なさそーなオーナーシェフさんですが、「海鮮とお野菜中心で」とかテキトーに注文すれば、見たことのないが実に美味なお料理をどんどん作ってくださる。



このお店にはメニューはあるが、実質的にはメニューない。

「とりあえずビールと餃子と青椒肉絲!」と注文できないです。

「蓮華」さんをご紹介くださった「びんご経済レポート」の代表の二宮恵氏に感謝いたします!

福山ライフ最後の最後に、素晴らしいレストランを教えてくださいました!

ありがとうございます〜〜

それはいいけれど……講演会を気楽に引き受けてしまって、どうしよう……

4月と5月に悶々と悩みそうだ。

みなさま、私も退職することですし、交通費(場所によっては宿泊費)を支給してくだされば、どこにでも行って講演会とかセミナー請負いますから。

「お前の話なんか聴いてもカネにならん」と言われても、それは事実ですから、私は怒りません。

「カネになるような話」が講演会で聴けると思う、その脳足りんさを私は糾弾いたしません。

というドタバタを経て、今朝はめでたく卒業式も終わった。

あとは、今日の夕方からと明日の夕方からは会食の予定があるだけだ。

福山でご縁ができた方々とのお別れを惜しむんである。

幸せな福山ライフの終幕である。

3月31日の朝に「離任式」つーのが大学の会議室であるのだけど……

せっかく「終わり良ければ全て良し」のハッピーな気分になっているのだし…

「蓮華」さんはランチ営業していないし……

まあ……「離任式」はサボるかもね……

新幹線代高いし……

「青春18切符」で名古屋から福山に来る根性は私にはないとよ。

福山撤退!

本日は2017年3月16日木曜日だ。

無事に、3月13日月曜日に研究室も福山の自宅も退去できた。

前日の12日など、「こんな状態で、ほんとに引っ越しできるんかしらん」とチラッと不安になったが、何とかなった。

下の写真をご覧ください。

6年間使わせてもらった研究室の原状回復完了!

机の上や本棚に置いてある物品は、研究費で購入したものか、設置者の福山市役所から支給されたものだ。

市役所には減価償却という概念はないので、何年使用しても、ちゃんと返却する。

まだ使用できるもの、消耗していないものは返却する。

パソコンのキーボードの埃取りブラシ500円も返還。


福山で借りていた(職場近くの)3LDKの住居に置かれていた家具も電化製品も全て処分した。

21年間の単身赴任生活で使用してきたベッドもテーブルも椅子もデスクもソファも本棚も何もかも。

食器もヤカンも鍋もフライパンも、カーテンも全て処分した。

渡邊明先生のFacebookお友だちである福山市内の廃品処理・リサイクル会社の「かこ川商店」さんに依頼したら、全て持って行ってくださった。

研究室の書籍を含む不用物(ヒーター、加湿器、ぶっ壊れた掃除機、日傘、湯沸かしティファール、マグカップ数個、小さい扇風機とか)も、全部持って行ってくださった。

ありがとうございます〜〜

「かこ川商店」さんは、社長さんもスタッフの方々も素晴らしいです!!

おかげで下の写真のように、借りていた部屋の原状回復もできた。


引っ越し会社の現場作業員の若い人たちにもお世話になった。

ひとりじゃできないわ、ほんと引っ越しなんて。

みなさまのおかげでございます〜〜

ですわ、ほんとに。

アホな私も謙虚にならざるをえない引っ越し。

最後に部屋を出るときには感慨があった。

南向きの11階のベランダから朝晩眺めていた福山の街の風景を胸に刻んだ。

ラクなことなんかひとつもなかった福山ライフ。

だからこその感慨だ。


上の写真に写っている山の向こうに鞆の浦があるんかなあ。

ともかく、夫を含めた多くの人たちの手を借りて福山での引っ越し作業を完遂させて、私は3月13日の午後9時に名古屋駅に到着した。

で、翌日は、これまた引っ越し業者さんやエアコン取り付け業者さんなど、多くの人の手を借りて、福山の自宅や研究室から持ち込んだ書籍や衣類や書類を名古屋の自宅に運び込むことができた。

まだダンボール箱10ほどが、中身も確認されぬままに放置されている。

これから、あらためて、さらなる断捨離をする。

でも、ともかく私の「大引っ越し」は終わった。

もう30年くらいは引っ越しはしたくない。

体調ガタガタ。

歩くのさえ難儀。

雑巾掛けとかの水仕事も多くて、軍手使わずにいろいろ持ち運んだから、指先はアカギレ、手指は強張り荒れ放題。

とはいえ、正式に事務局に研究室を引き渡す儀式(?)もある。

卒業式もある。会食の予定もある。転出届も出していない。

福山で私が出逢った名歯科室「むつてっせん」で虫歯治療のあとにジルコニア・インレーをはめてもらう予定もある。

ジルコニアよん。クラジミアじゃないよん。

ジルコニアは高いけど硬いから丈夫。

もう虫歯にはなりたくない。絶対にいや!!

自分への戒めのためにジルコニア!

カネ出すと、懲りるからね。

カネ出すと、厄落としになるからね。

ということで、だから、来週は福山に戻りホテル暮らしをする。

ともかく私の単身赴任生活は終わった!

名古屋での定住生活が始まった!

新幹線は好きだけれども、新幹線で労働現場に戻らなくてもいい!

なんという安堵感。

なんという解放感。

こんなこと言うと、生活費獲得闘争の真っ只中にいる若い人たちに足蹴にされるだろうけれどね。

私は、もう賃金労働したくないの。

雇用されて働きたくないの。

貧乏でもいいから、働きたくないの。

大学入学してから、ずっとアルバイトしてた。

大学院生時代も、短大の専任教員として採用されるまで、ずっとアルバイトはしてた。

計46年間は賃金労働に従事してきた。

もういいよ。

カネ使って物を買っても、みな捨てるんだ。

本なんて買っても読み切れない。

名著と言われるもの、古典と呼ばれるものを読んでも、わからない。

理解できて読んだつもりでも、中身を忘れる程度の頭よ、私は。

ほんとうに知りたいことは、どこにも書いてない。

そもそも、ほんとうに知りたいことって何?

そんなこと、私にあるのか?

64歳の春になって、たどり着いた地点は、「私はトコトン馬鹿で、無駄なことばかりして、無駄な買い物ばかりしてゴミを生産してきただけ」という認識。

一時は、自分でも天職じゃないかと妄想錯覚したこともあったけれども、もう教師もやりたくない。

私には人様に教えられることなんか、ひとつもないと教師生活を終えた今となって、よくわかる。

何もない私。

Nothing!

Less than zero!

それでも食ってこれたんだから、運は良かったよな。

福山撤退の疲労と後遺症のために脳も心もグジャグジャだ。

いいじゃないの、less than zeroでも。

最低の地点から生き直せばいいんだ。

チームワークを学んだ個人主義者

本日は、2017年3月11日土曜日だ。

6年前の2011年の今日に、私は大阪府和泉市から広島県福山市に引越してきた。

で、2017年3月13日に名古屋に引っ越す。

引越し準備作業は、まだまだできていない。

それでも、今日と明日でなんとかなる。

なんとかするしかない。

研究室の退去準備は、ほぼ終わったし。

研究室の備品の拭き掃除も終わったし、掃除機もかけたし。


本日の午後6時から9時の間に、長野県の古書店に送る不要図書を28箱も、クロネコヤマトさんが集荷に来てくれる予定だ。

いやあ……今度の引越し作業は、きついきついきつい。

懲りた懲りた懲りた。

住居が2つあることをいいことにして、物を溜め込み放置してきた21年間よ。

去年の春から断捨離を重ねてきても、まだまだある廃棄物。


(28箱の書籍とDVDとCDを売ります〜〜Value Booksさんへ)

ところで、3月7日火曜日の晩は、英語科目担当スタッフとの送別会だった。

会場は、私の大好きな福山の名店「なかくし」さんである。

私にとっての福山市立大学における同僚というのは、実質的には英語科目担当スタッフだった。

英語科目担当スタッフではない同僚と会うのは教授会や委員会ぐらいなものだ。

いつも会って言葉を交わし連絡しあうのは、英語科目担当スタッフだった。

英語科目担当スタッフは、正規雇用教員の私と、特任教員さん1名に、アルク教育社から派遣されている常勤講師さん1名と非常勤講師さん2名だ。

他に非常勤講師の方々が3名ほどいるが、主たるスタッフは以上の5名だ。

その5名がチーム組んで、福山市立大学の英語科目を運営してきた。

正規雇用教員と契約雇用教員と派遣講師が協力して運営してきた。

雇用形態が違うスタッフが協力して、運営してゆくということは、なかなか難しい。

メンバーが女性ばかりだと、機械的な上意下達では機能しない。

女性というのは、基本的に心の奥では男性を馬鹿にしている。

だから、男相手だと、いくらでも面従腹背して、テキトーに男をおだてて立てて、テキトーにやれる。

女性どうしでは、それは通用しない。

女性どうしでは、嘘や誤魔化しは通用しない。

女性は、良くも悪くも、男性ほど単純ではない。

女性は自分に対する敬意が足りないことを、すぐに見抜く。

女性は自分の働きをきちんと評価しない人間に心を許さない。

女性どうしで働くときには、ほんとうに「真心」が必要である。

「誠」が必要である。

同性の女性とつきあうより、男性とつきあう方が楽だと言う女性は少なくない。

そりゃそうだろう。

男は単純だし、まともな男ほど女に手加減するからね。

私は、女性とつきあう方が好きだ。

女性は、嘘の多い誤魔化しの多い同性はすぐに見抜く。

女性は、その種の同性には絶対に気を許さないし、それを隠すこともない。

だから、狡猾な不正直な女性には女性の友人はできない。

いつでも手加減して甘やかしてもらえなければ、お守りしてもらえなければ立っていられない女性には、女性の友人はできない。

女というのは厳しい生き物なんよ。

それだけ真面目なんよ。

女が誠実だからこそ、世の中はちゃんと回っているんだぞ!

幸いにも、福山市立大学で共に英語科目を担当することになった女性たちは、質のいい人々だった。

基本的に善意であり、勤勉であり、公平に物事を見る姿勢を持っている。

敬意をちゃんと示すこと、評価して感謝すること、公平に接すること、情報を共有すること、目標設定を明確にすること、目標達成への方法についてコンセンサスを得ること。

以上のことを守っていれば、問題なく仕事は進行した。

もちろん、水面下では葛藤もある。

みな負けず嫌いだもの。

最初の数年間は、気心も知れなかったし。

みな人柄が良くても、軽い小さいトラブルは起きる時は起きる。

そのような小さなトラブルをいくつか通過して6年もすれば、互いの気質への理解もできて、互いに許容しあえるようになる。

やっとそこまで来たところで私は退職だ。

長年の間、他の大学で自分のペースで授業運営してきた私にとっては、福山市立大学の英語科目運営をチームでこなすことは面倒くさいことではあった。

いちいち話し合い、情報を共有しあい、確認しあうのは面倒くさいことだった。

しかし、ひとりの力より、ふたりの力や3人の力や複数の人たちの力は大きい。

目標が明確で、その目標に向かう手段が明確に当事者たちに共有されていて、メンバー間に信頼があれば。

その意味で、チームで担当科目を運営するということから、私は大いに学んだ。

随分と、私は彼女たちから助けてもらった。

あ、そうだ、福山市立大学の英語科目スタッフには、男性もいたな。

英国人の専任講師がいた。

まあ、こいつは関係なかった。

TOEIC IPテストの試験監督をしているときでさえ、「なんで僕がこんなことを……」とブチブチ英語で文句言っている。

チイチイパッパの英会話しか教えられない専門も何もない奴が、ゼミの担当もできない奴が、何を言っているのか。

日本の大学の正規雇用教員のくせに、30年近くも日本に住んでいるのに、日本語ができない奴が何を言っているのか。

解答用紙を配布するぐらいのことは黙ってやれ。

入試の時も、「なんでこんな難しい問題を出すんだ、僕に聞けばいいのに……」と文句を言っている。

ある大学の英語の入試問題を、その大学の英語担当教員が作成することが明々白々であるのは危険だ。

問題漏洩の標的になったりとか。

特に英語担当教員の数が非常に限られている場合は。

それを避けるために、英語担当教員は英語の入試問題作成にはタッチしない。

ということは規模の小さい大学では当然の配慮だ。

ということも還暦にもなっても、わからんのか……

私も説明してあげる親切もないし。

親切にすると、つけあがるからなあ。

福山市も不思議な人間を採用したもんだ。

それはさておき、ともかく、6年間の私の福山市立大学ライフの多くの部分は、彼女たち英語科目担当スタッフに負ってきた。

面倒くさいことを通過してみると、私が得たものは大きかった。

彼女たちのサポートのおかげで何とかやってこれた。

感謝感謝です。

個人主義者であり、マイペースでしか仕事をしてこなかった私は、彼女たちのおかげでチームワークを学ぶことができた。

共に働くということの大切さを学んだ。

リーダーとして無能であった私を、英語力もかなり怪しい私を、優秀な彼女たちは随分と助けてくれた。

ありがとうございました〜〜🎶🎶

彼女たちは、私にプレゼントまで用意しておいてくれた。

そんなんいいのに…高価なのに……

シャネルの絹のスカーフと、ドバイ土産(スタッフのひとりがテニスが好きでドバイまで見物に行く)のカシミアのショールだ!

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シャネル〜〜!!

ドバイ〜〜!!

どちらも私の大好きな色である!!

素敵な色合いだ!!

ありがとうございます〜〜🎶🎶

大事に大事に愛用させていただく。

私の場合、シャネルのスカーフよりも、名古屋は大須のアーケード街あたりで購入した980円のストールでいいんですが。

首にグルグル巻いて「中村主水スタイル」が好き。

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「なかむらもんど」って知ってる?「必殺仕事人」ね。

引越しが終わったら、シャネルやドバイのスカーフを「中村主水スタイル」でグルグル首に巻いて早春の街に出よう〜〜🎶🎶

 

 

 

 

ハグで終わった最後の晩餐

本日は2017年3月7日火曜日だ。

忙しい。忙しい。

福山の自宅と研究室の退去活動で忙しい。

猛烈に忙しいのに、思うほどに作業は捗らない。

3時間作業しただけでヘロヘロになる。

昨日は研究室で6時間ノンストップで作業したので、帰宅時に脚が前に進まず難儀だった。

だから今日は、夕方の英語教育スタッフとの食事会(送別会&私からの感謝会)まで、ノンビリする。

いや〜〜〜「ほんとの引越し」って大変。

今までは、引越し業者に、一切合切のもの全部段ボール箱に入れてもらって、運んでもらって、新しい場所に着いたら、段ボール箱の中のものを取り出してもらうというパターンだった。

今回は、その「新しい場所」というのがない!

名古屋の自宅のスペースに収まる程度のものしか持って帰れない。

もう〜〜大量の処分だ。

もう〜〜「一生に一度」じゃないかと思えるほどの大大大大断捨離だ。

でもって、この断捨離というのは、自分がやるしかない。

卒業論文に修士論文に博士報告論文に書いたMark Twain ( 1935-1911)の本も、分厚い自伝The Autobiographyだけ残す。

結局は、その作家の生涯の記録を超える作品なんてないのかも。

フィクションは、所詮はフィクションだもの。

Ayn Rand が自伝を書いておいてくれなかったのは残念だ。

まあ、あの人、どっか幼稚というか、女性の秀才にありがちな馬鹿優等生みたいなところもあって、自己省察能力はない方だったから、嘘ばっかの自伝じゃあ残されてもしかたないか。

自分を突き放して見るとこが弱いよな、アイン・ランドは。

ともかく、13日の引越しまでの準備に忙殺されている日々だ。

ところで、今日は、3月4日の午後6時半に開催の「私のゼミの最後の晩餐」について書く。

場所は、福山駅からタクシーで50分くらいの岡山県浅口市鴨方にあるフランス料理店である。

福山駅に集合して、チャーターしたジャンボタクシーと小型タクシーに分乗して、会場の「ビストロ・ノヴァ村鴨方」に向かった。

鴨方は、「鴨方うどん」で地元では知られているけど、私たちはフレンチだ!

ここの「ビストロ・ノヴァ村鴨方」というレストランは、知る人ぞ知る名店なんである。

地元では気軽なランチで賑わい人気店だが、本格的フレンチこそいいのだ!!

その晩は、レストランを貸し切らせていただいた!

はっきり言って、なんであんな田舎にあのような凄くいいレストランがをひっそりとさり気なく建っているんだ?

自己主張いっさいせずに。欲もなく。

せめて岡山市内か福山市内で営業して欲しいよ。

オーナーシェフの安田文博さんは、1980年代にフランスで修行なさった。

安田さんのお料理は、ほんとに美味しいのだよ!!

私がこのお店にFacebook友だちの福山在住の女性(ご自宅レストランのオーナーシェフだ!)に連れて行っていただいたのは、今年の1月7日だった。

感激だった。

2009年に行った当時は東京白金にあった「カンテサンス」を思い出させる味だった。

丁寧にひとつひとつが調理されている。

美味しいのだよ…

本格的よ……

プロフェッショナルよ……

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上の最初はアミューズです。「つきだし」ですね。

写真の右側の黒いものは、カエル。蛙。ゲロゲロ蛙よん。

左は、牡蠣でございます。

違う、違う。反対だ。右が牡蠣で、左が蛙。

私は、いまだに左右の区別がつかない。アホや。

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この前菜が、また絶品! すべて美味しかった。

特にヒラメのしめたものに、ライスペーパーをさっと揚げて本物のマヨネーズとイクラ乗せが、もう〜〜素敵。

小瓶に入っているは、ヤリイカのマリネ。

海老のゼリーみたいなものも良かった。

テリーヌも美味しかった!

この前菜だけでも、ボリュームがあってお腹が満足しそう。

が、この後にさらにさらに素敵なものが登場した!

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これは、人参とカボチャのスープ。これも絶品。心も身体も温まった。

メインディッシュのお肉は子牛。ソースがもう……

デザートが楽しい……チョコパウダーまでいただいたぞ!

しまった! お魚料理を忘れていた!

スズキとホタテとブロッコリーとなんかのココット。

底に残るスープ?が最高。

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これは、特に女子学生さんたちの評価が高かった一品。

あ!自家製の美味しいパンを撮影するのも忘れた。

パンも美味しいのよ〜〜

みんなお代わりしたのよ〜〜

出席者は、私の最後のゼミ生7人(途中で流入3人組と4名、ほんとは8名だけど1名不登校)と、私のゼミ生と仲良しの他ゼミの学生1名と、第1期ゼミ生3名が加わり計12名の晩餐会!

第2期ゼミ生も招待したのだけれども、都合が悪くて欠席。残念だった。

いやあ、楽しくて美味しかった!!

まだ大学生のゼミ生のほとんどにとっては、ビストロとはいえ「フランス料理フルコース」は初体験だ。

食べ終わったら、ナイフとフォークは、こうやって並べておくんだよね〜〜と、互いに教えあってる。

最後のゼミ生第3期ゼミ生たちも2年も経過すると、互いに打ち解けた感じになる。

去年の9月から流入したゼミ生(担当教員がイラクに行っちゃった)は、最初から遠慮なく言いたいこと言ってる。

他ゼミからの参加者は、みなにいじられている。愛すべき「いじられキャラ」である。

卒業生のひとりは、農協で元気に働いている。在学中は、もてまくっていたが今は真面目だそーだ。

なにしろ、卒論の一部を彼女に作成してもらったもんな。

私は、すぐに見抜いたぞ。なめんじゃねーよ、教師を。

もうひとりは、釣りの専門誌の記者で忙しい。『月刊 釣り画報』です。よろしく!

いつも彼女が欲しいと言っていたが、ちゃんと彼女ができた。同じ高校の同級生だ。

彼の出身高校の前身は、夏目漱石が教えた旧制松山一中である。名門校である。

だから、彼は日露戦争の秋山好古の後輩にあたる。『坂の上の雲』やね。

彼女が結婚したがっているが、断わることができそうもない、押し切られそうだ……と言っていた。

松山一中の女の子ならいいよ。母親の知能指数が子どもに遺伝する。父親じゃない。

「小沢一郎研究」5万字の卒論を書いた卒業生は、ブラック企業の某大手学習塾を辞めて、出雲の実家に帰り大学院に入院すべく猛勉強中。

「小沢一郎政治塾」に参加し、そこで知り合った某政治学研究者のもとで学びたいそーだ。

ブラック大手学習塾で講師やっているときは20キロ痩せたのに、実家に帰って30キロ体重増加。

なんで、そんなに器用に痩せたり、デブになったりできるか不思議。


(デザートを食べ終わって、おすまし。エヴァンゲリオンみたいな奴もいる)

しかし、今時の子たちは、彼らや彼女の世代は「ゆとり世代」なんで、食事中に間隔があくと、すぐにスマホをチェック。中にはゲームまで始める学生もいる。


アホか、こいつら。

私は、Facebook友だちの方からとか、たまに同僚からも、「学生に対して愛情が豊かですね」と言われるが、そんな甘いもんじゃないんだよ、今時の大学の教員と学生間の関係は。

大事に育てられ好き勝手に生きてきた小動物を放し飼いにして、放し飼いにしつつ、ここまで連れてきた気分やね。

羊飼いのオバサンね、私は。

きちんとお行儀よくいただき、残さず綺麗にいただき、帰るときにスタッフの方々にお礼が言えれば、それでいいのだ!!

うちのゼミ生で食べ方が汚い学生はおりません。

晩餐会が終わったら、藤森ゼミ恒例の儀式「お別れのハグ」だ!

ほんとは、卒業式が終わったら研究室に来てもらってするのだけれども、卒業式前日には私は研究室を退去する。総務課の職員さんに全て引き渡す。

だから、卒業式ではなく、「最後の晩餐会」でハグの儀式を強行した。

堂々とセクハラできる最初で最後のチャンスです!




うちのゼミ生の女子は美形揃いです。

上の彼女なんか、岩崎宏美をもっと美人にしたみたいです。

ついでに、卒業生ともハグ。


ハグすると面白いことに気がつく。

彼女とかいる男子学生はハグし慣れているので、照れない。

ハグしあっても、身体が自然によく馴染む感じ。

彼女いたことがない男子学生は、オバハンとハグなんてしたくない。

その抵抗感がおもろい。

こんな感じね。

2人とも照れているというより嫌がってる。

そこを無理強いする。


ぐはははははは〜〜

いうことで、私の最後のゼミ生との「最後の晩餐会」と「お別れのハグの儀式」は、終わったのでありました。

大学の教員になったからこそ、わけのわからんペットみたいな若い子たちの生態を観察し、彼女たちや彼らたちと触れ合うことができた。

子どものいない私にとっては、これはほんとうに幸せなことだった。

大人からすると、若い子って別の生き物に見えるもんね。

ついつい、自分と同じ人間とは思えずに、目に映る風景になっちゃう。

でも、ペットみたいに見える今時の若い子たちも、それなりに考えている。

ひとりひとりのかけがえのない人生と個性と世界がある。

いろいろな想いを抱えて生きている。

そういうことも、教師になったからこそ、学べたことだ。

「出会う人はみな先生」ということは、確かに言えるな。

あの子たちに出会ったことで、学生たちと触れ合ったことで、私は随分といろいろ学んだ。

私が教員生活で出会った学生さんたち全てに感謝だ。

みんな、ありがとうございました!

みんな、いい人生を創っていってください。

みんなのご多幸をお祈りします。

3月4日の「最後の晩餐会」集団は、またもジャンボタクシーと小型タクシーで福山駅に戻り、午後10時半頃に、陽気にアッサリとサッパリとアッケラカンと解散した。

さようなら&ありがとう「都市経営学部」!

本日は2017年3月2日木曜日だ。

昨日の3月1日は、私が所属する福山市立大学の「都市経営学部」が私を含めた3名の退職者のために送別会を開催してくれた。

会場として、幹事の若い同僚が私の好きなお店を選んでくれた。

大黒町の「地中海料理FUKUHARA」だ!

美味しかった!!

出席者は少ないけれども、すっごく気持ちのいい送別会となった。

まあ、気持ちのいいメンバーしか出席していないから当然だけれども。

話も大いに弾んだ。

みな言いたいことを口走っていた。

いつもあんな調子で忌憚なくしゃべり倒して陽気に大笑いできればいいのにねえ!

みなさん、ありがとうございました〜〜♫♫♬

同僚たちは、学部長や副学部長をはじめ、みな忙しくて疲れているのに、わざわざ送別会を開いてくれた。

うちの学部は、ほんと忙しいんよ。

福山市立大学は「教育学部」と「都市経営学部」で成立している。

定員は1学年「教育学部」は100名。「都市経営学部」は150名だ。

しかしだ!

学生定員が1.5倍多い「都市経営学部」の教員数は、教育学部の教員数より少ない。

なんで?

「都市経営学部」の教員は、両学部の共通教養科目も担当している。

なのに、その数は教育学部の教員数より少ない。

なんで?

「都市経営学部」は学際的な学部であるので、いろんな分野の教員が必要である。

学際的な学部の教員数は多い決まってるんよ。

理系も社会科学系も必要だ。人文系も必要だ。

なのに、「都市経営学部」の教員数は、教育学部のそれより少ない。

なんで?

不思議だ……

ということで、うちの学部の教員の仕事量は多くて、みな疲れているのだ。

設置者の福山市は、何のつもりで、こういう学部を作ったのか?

ぶっちゃけて言えば、「教育学部」なるものはどこの国立大学にもちゃんとある。

わざわざ、福山市が作る必要はなかった。

集中と選択。

日本で初の「都市経営学部」を設立するのならば、これひとつに集中するべきだった。

いっそ「福山市立都市経営大学」にするべきだった。

なのにさ……

そりゃさあ……

若い教員が、「都市経営学部」から逃げるのも無理はないんよ。

これではさ……

2012年の初夏に、たまたま福山市の2名の副市長に会う機会があったときに、私は福山市立大学の状況を伝えた。

というより、陳情したんよ。

「このままでは、優秀でやる気のある教員ほど、追い詰められて辞めて行きますよ」って。

実際に、そのとおりになってしまった。

あの日が、随分と昔のことに思える……

あの2人の副市長は薄ら笑いを浮かべていただけだった。

話を戻そう。

ともかく、うちの同僚は、送別会などすればお金もかかるし、ただでさえ安い給与から参加費を出すのはきついのだから、送別会などしなくていいのに、わざわざ送別会を開いてくれた。

私は、大阪の桃山学院大学勤務時代には、同僚の送別会の幹事を随分としたので、ああいうことを準備することの面倒くささがわかる。

それに加えて、同僚たちは記念品も用意してくれていた。

これだ!


良いでしょ!?

これはね〜〜福山市の北部に位置する神辺(かんなべ)にある「中村金襴」(なかむらきんらん)という会社の製品である。

伝統工芸品の金襴(きんらん)を織る工場がひとつだけ残っているのだ、福山に。

製品は京都で販売しているが、織っているのは福山の工場だ。

これは、テーブルセンターとコースターのセットですね〜〜

タペストリーにもなるね〜〜このテーブルセンターは。

コースター使うのもったいないね〜〜

でも使うぞ!!

黒地に銀の糸を織り込み、微量に金も織り込んでいるのが素敵だ。

シンプルで品が良い。

柄は、薔薇と蝙蝠だ。

薔薇は、福山のシンボルなんである。

一応は、福山市は「バラの町」なんである。

蝙蝠も、福山のシンボルである。

なんで、コウモリ?

理由は知らない。

私は、この記念品を拝領するまで、福山にこのような工芸品があることを知らなかった!

「中村金襴」!

私って、福山のことを、よく知らないままに福山から去るんだなあ……

と、あらためて、この6年間の自分の不調について残念に思った。

やっぱりさあ……

58歳で新しい土地に来るのって、キツかったのかなあ。

58歳では、新設大学に挑戦するには、老けすぎていたかなあ。

58歳の時には、すでに教師としての情熱ややる気も落ち込んでいたしなあ。

「都市経営学」という学問分野に貢献できる何ものも私は持っていなかったしなあ。

福山について知るためにあちこち福山を歩き回ろうにも、2012年には脚の具合が悪くなっていたし。

いつもくたびれていたし。

大学の体制に、いつも怒っていたし。

もろもろの理由で、私は、せっかくの新しい学部の「都市経営学部」の充分な戦力になれなかった。

これは、揺るぎないかけ値ない真実。

昨晩の送別会での私の気分は、存分に闘った戦場を振り返るというものではなかった。

「負け戦でした〜〜」の気分であった。

それでも、私の最後の職場の「福山市立大学都市経営学部」を、私は私なりに愛していた。

その気持ちを確認した送別会の夜だった。

さようなら、ありがとう、私の「都市経営学部」!

日本の大学は寂しくて哀しい

本日は2017年2月18日土曜日だ。

やっと、本日で4学期末試験の採点も終わった。

答案をチェックしているとき、受講生の氏名を見ても、その受講生の顔が浮かばないことがある。

58名登録実際の受講生は53名くらいの「アメリカ文化論」でも、顔が浮かばない学生が7名くらいはいる。

私は、複数の学生から「先生は学生の名前を覚えているからいい。授業中、学生の名前を呼びながら話をする先生は、あまりいない」と言われたことがある。

つまり、私は学生の名前と顔を結構覚えている類の教師らしい。

それでも「アメリカ文化論」の受講生の7名くらいが顔がわからない。

1年生必修の「総合英語」でも、受講生が50名超えると、数人の学生の名前と顔が一致しない。

自分の担当のゼミの学生の名前と顔が一致しないということはありえない。

そーいう教員がいるとしたら、脳の病気である。

卒業論文指導も大学院生にさせて、自分は一切チェックしない教員も同僚の中にいる。

その噂を聞いた上司が事の真偽を、その同僚に問い質したら、その同僚はあくまでも断固として自分が指導していると言い張ったそうである。

この教員は早期認知症だと、他の同僚から疑われている。

しかし、誰が言えるだろうか、その人物に「病院に行って検査してもらったほうがいいですよ」なんて。

下手すればハラスメントになりかねない。

それはさておいて、自分が担当のクラスに顔と名前が一致しない受講生がいるのは、寂しい。

自分の記憶力が悪くて、学生全員の名前を覚えられないから寂しい。

ということもある。

30代や40代のときは、数週間もすれば受講生の名前は全部覚えていたのに。

しかし、今はそうではない。

学生の定員数が少ない公立大学ですら、知らない学生が多いというのは、おかしい。

それは、やはり学生定員数が多過ぎるのではないか。

2005年と2006年にロシアに行ったときに、サンクトペテルブルク大学の日本語科の准教授(当時は助教授と言っていた)と卒業生さんにガイドをしてもらった。

そのとき仰天したのが、学生数だ。

2005年当時で、日本語学科の学生の数は1学年で7名くらいだった。

7名だ。

7名。

それもペレストロイカ以降、ソ連崩壊以降は、入学時の成績の悪い学生からは授業料をとっていいということになったから、7名になったのだ。

で、2005年当時で、1学年7名の日本語科の学生のうち4名は授業料を払っていた。

ということは、だ。

ソ連時代は、日本語学科の学生数は1学年3名か4名だったのだ。

日本語学科の教員は4名と聞いた。

4年生までフルに数えて、日本語学科の学生数は7✖️4=28だ。

教員1人あたりの学生数は7名だ……

だから、当然、教員と学生の人間関係は非常に濃密だ。

「アレックスは、私にとって日本語の先生であり、コンピューターの先生であり、日本人観光客相手のガイドの仕事の先生であり、親友でもあります」

と、2006年にガイドをしてくれたサンクトペテルブルク大学日本語学科を卒業したばかりの女性が、自分の恩師のアレクサンダー・ナントカという日本語学科の准教授について語った。

28人の学生に4人の教師。

日本語学科というのは、実にマイナーな学科だから、こういうとんでもない贅沢な比率になっているのかもしれない。

とはいえ、私は羨望を禁じえなかった。

あまりの羨望に、そのことについては考えるのをやめたくらいだ。

そりゃ、そんな少ない学生数しか入学させないという強烈に贅沢なことやっていては、大学に金がないのは当然だ。

当時のサンクトペテルブルク大学の日本語学科の教員研究室は共同研究室だった。

個人の研究室はなかった。

コンピューターも1台しかなかった。

デスクも2つぐらいしかなかった。

日本語の資料は研究室所蔵であり、個人の教員が所持できなかった。

給料も低くて、観光ガイドのアルバイトをしなくては生活できないと言っていた。

「せめて、給料は2000ドル欲しい。月に500ドル相当ではやっていけない」と、准教授は言っていた。

授業も観光ガイドの仕事もないときは、ダーチャ(別荘)に行って野菜を作っていると言っていた。

2005年や2006年当時の話であるので、今は状況が違っているかもしれないが。

しかし、それにしても教員4名に日本語学科の学生が全部で28名だ。

そういう状況なら、教員は自分の持っているものを全部学生に注ぎ込める。

上級生は下級生に、これまた自分の得た情報を注ぎ込むだろう。

教師と学生の関係も、学生同士の関係も、まさに共同体だ。

4学年(3学年かもしれない。アイン・ランドは3年で卒業してるので)あわせて28名しかいないのならば、否が応でも、付き合いが密になる。

大学って、ほんとは、そういうものだろう……

私は寂しいよ。

教師を辞める最後の年度になるまで、全学生と親しく話をするような、時間的余裕は、私にはなかった。

ひとりひとりと言葉を交わしたかった。

「少人数教育の公立大学」と言われるけど、「都市経営学部」全学年600名ちょっとに、教員数25名。

この25名のうち数人は病気療養中であり、育児休暇中である。

日本語の話せない教員もいるし、早期認知症らしき教員もいるので、実質的には20名くらいの教員で600名以上の学生の相手をしている。

実際は、相手などしていないのだ。

授業や講義だけが大学教員の仕事ではないのだから。

こんなんで、「少人数教育の公立大学」と言えるのか。

どこが少人数なのか。

どこが大学なのか。

日本の大学は、寂しい。

日本の大学の学生でいることは寂しい。

日本の大学の教員でいることは寂しい。

その根本的貧しさが哀しい。

 終わった

本日は2017年2月10日金曜日だ。

本日で、大学の教師としての授業は終わった。

ゼミ生の卒業研究発表会が終わった。

まだ学期末試験とか採点や成績報告は終わっていない。

研究室や福山の自宅の整理は、もちろん終わっていない。

会議も少しある。

でも、大学の教師としての講義や指導は全部終わった。

この最後の1週間がきつかった。

非常に忙しかった。

先週の最終講義に送っていただいたお花のお礼状も書いていない。

e-メイルのアドレスを存じ上げない方へのお礼状も書いていない。

くたびれた。

冷えるせいか右脚も痛かった。

歩くのが難儀だった。

また杖が必要になるのかなあ……と思うくらい。

寝るときはデロンギに湯たんぽの1週間だった。

いつも授業してきた情報処理室や中講義室を、しみじみとあらためて眺めた。

いつも昇り降りする階段も、あと何回昇降するのだろうか。

アメリカの連続テレビドラマに『ER』というのが、あったでしょう。

シカゴの大病院の緊急医療室を舞台にしたドラマ。

あの主人公の医療関係者たちのひとりにDr.Greenって、いたでしょう。

あのグリーン医師は癌で亡くなるのだけれども、その亡くなる寸前に、グリーン医師の意識は、長く働いたシカゴのあの病院の中を歩き回っていた。

通路に、ナースステイションに、医務室に、病室に、手術室に、休憩ラウンジに。

すでに末期の癌で歩くこともできずに病床にいるグリーン医師は、元気な頃と同じように、白衣を着て、病院内を軽やかに歩き回る。

自分が苦闘し愛した医師の仕事の場を振り返りながらグリーン医師は亡くなる。

そのシーンを見ながら、私は思ったものだった。

私も、また自分が死ぬ前に自分の意識をかつての職場に飛ばすだろう、と。

まだ40代や50代始めの頃のように軽々と脚を進めて、キャンパスを歩き回るのだろう、と。

私が、まがりなりにも少しは教師らしくなったのは、大阪の桃山学院大学に来てからだ。

30代や40代なりたて頃の私は、どうしようもなくアホな教師であった。

教師としての努力や心労を十分にはしていなかった。

だから、桃山学院大学に移る前のふたつの職場については、死ぬ寸前の私の意識は、そこを歩き回らないと思う。

しかし、桃山学院大学と福山市立大学は歩き回るだろうなあ。

それだけ大変だったから。

客観的に見れば、どうということのない凡庸な大変さだ。

苦労のうちには入らない程度のものだ。

でも、まあ私本人にとっては苦闘の日々であったのだよ。

思い出して、楽しいとか嬉しいという日々ではなかった。

だけれども、あの日々が私の人生のハイライトだったんだろうなあ。

ドタバタ忙しく追いまくられているうちが華よ。

それが人生の華。

でも、その人生の華の真ん中で苦労しているときには、自分がどんな華の上で走り回っているかは、わからない。

過ぎてみないち、わからない。

というわけで、どういうわけじゃわからないが、お気が向いたら 下の動画をご覧ください。

本日の午後3時から100分間ほど開かれたゼミ生の卒業研究発表会のひとりの発表である。

12分くらいかな。

テーマは「新しい戦争形態」だ。

もっと明解にまとまった発表はいくつもあった。

でも、それらの動画は公開しない。

「福山市立大学都市経営学部」は、日本では生まれたばかりの「都市経営学」という学問分野を形成している途上にある。

形成している途中なので、専門性がまだ確立していない。

だから、学生は、卒業研究のテーマもほんと好きに選ぶ。

この学生は、その典型。

ゼミの担当教員がイラクにいってしまって急に退職したので、私のゼミにやって来た。

去年度に私の「アメリカ文化論」を受講していたので、私のゼミを希望してやって来た。

あと2名の男子学生も、同じ理由で私のゼミに入ってきた。

もともとが私のゼミにいる学生4人(5人いたけど1名不登校で消えた)も、好きにしかできない連中だ。

去年の秋に私のゼミに乱入してきた3名も、好きにしかできない人々だ。

でもまあ、こういうわがままな連中が好きなんだね、私は。

これもご縁だ。

ともかく、私の最後のゼミ生たちの卒業研究発表会が無事に終了した。

兵隊に使役される将校

本日は2017年2月5日日曜日である。

最終講義が終わっても、仕事はまだまだいっぱいある。

特に明日の6日から13日まで、すっごく忙しいのに、まだ風邪も治らない。

しつこいよな〜〜

ところで、本日は「人間は平等だけど、職種は違うわけだから、職の使命を果たすために、敢えて他人を使役せよ」という話を書く。

私は、大学の教員は、大学組織を軍隊に例えるならば、将校だと思う。

大学の職員は、大学組織を軍隊に例えるならば、兵隊だと思う。

将校は将校の機能を果たさなければならない。

兵隊は兵隊の機能を果たさなければならない。

はっきり言えば、将校は脳であり、兵隊は手足だ。

手足が機能するためには、脳が機能していなければならない。

大学組織の脳たる教員facultyが、ちゃんと組織の脳に徹していないと、手足たる職員administrationが機能できない。

教員の役割は、教育と研究。

大学の職員の役割は、教育と研究の環境整備管理運営である。

しかし、この区別が曖昧になる事態は、しばしば起きる。

その理由の第一は、その区別を徹底させておく最高司令塔の不在である。

簡単に言えば 、教育や研究のヴィジョンが不明確であり、研究者としても教育者としても理想もなく覇気もなく、大学行政の真似事だけしていたい類の人間が学長であると、こういう事態が起きる。

第二の理由は、「将校」たる教員が、将校らしくないことである。

本気で教育や研究に従事していれば、これは私の仕事ではない!と明確に言える。

兵隊=職員ができないことを担っている将校=教員としての義務感や使命感が曖昧であると、これは私の仕事ではない!と明確に言えない。

教員の中には、自分の教育や研究について自信がない場合に、大学行政に関与することで、その劣等感を補償する類の人間がいる。

そういう類の人間は、職員がすべきことをする。

大学教員がすべきことができないから、その補償として、職員がすべきことをする。

他の例としては、若い大学教員に見受けられるのだが、「教員も職員も平等なんだから、職員を手足扱いするなんて……」と「いい子ぶる」ケースである。

人間は平等だが、職種は違う!

将校は将校がすべきことを目一杯するべきだからこそ、兵隊ができることは兵隊がすべきである。

敢えて、兵隊は使役せねばならない。

それは、将校としての仕事をするためである。

将校としての自覚が名目だけの将校は、一見すれば、兵隊のやるべきことも担う勤勉な将校に見えるかもしれないが、ただのアホだ。

近視眼に過ぎるし、自分の職種への責任感が薄いのだ。

どーいうわけか、若い教員で「いい人」の類に、こーいうのが多い。

兵隊は兵隊であるからして、仕事量は少ない方がいいのだから、自分から進んで仕事などしない。

それができるなら、兵隊にいつまでも甘んじていない。

兵隊というのは、命令されて動くだけである。

自主的に動ける兵隊ならば、いつまでも兵隊をやっていない。

あくまでも、兵隊は命令されて動く職種である。

だから、問題は、将校の側にある。

福山市立大学は、開学まだ6年目ということもあり、将校の仕事と、兵隊の仕事の区別が、まだまだ曖昧である。

その理由は、上記に書いた理由の全部があてはまる。

司令塔の不在。

教育研究に集中できない資質の教員が職員がすべき仕事までして、自分の存在価値をアピールしてきたこと。

そういう類の教員が幹部教授であったこと。

将校としての自覚が薄い若い教員たちの、覚悟の足りない気概のない近視眼的「いい子ぶりっ子」姿勢。

加えて、福山市立大学には、特別な事情もある。

福山市立大学の職員は、プロの大学職員ではない。

みな福山市役所の職員である。

数年したら市役所内の別の部署に移動する。

いずれ福山市立大学から別の部署に移動する。

おそらく、福山市立大学の職員で、アメリカにも日本にもあるような「大学職員の学会」の会員はいないのではないか。

例えば「大学行政管理学会」とか(https://juam.jp/)。

ここは、大学行政全般に関する情報交換と研究成果を発表する学会である。

プロの大学職員としての自覚がなければ、なるたけ仕事などはしたくないし、教員にさせたがるのも無理はない。

幸いにも、気の弱い、職員の顔色を見るような教員が多いのだからして。

学長など、クリスマスには職員全員にささやかなプレゼントもしてくれるし。

しかしだ!

やっぱりさ、悪いのは、将校の自覚の足りない教員だよ。

人間は平等だ。

でも、同じじゃない。

職種が違う。

職種の義務と責任を果たすためには、あえて他人を使役する。

使役できなければ、自分の責任が果たせない場合は、堂々と使役する。

それができないみたいな奴は将校になるな。

大学の教員になるな。

「誰とでも仲良く和気藹々と協力して〜〜それが協働で〜〜〜」なんて、どうでもいい御託並べて、将校と兵隊がチイチイパッパやってるような軍隊なんか、なんもできない。

ほんとに、ここはスペシャルに脳軟化状態で緩いよな……と呆れ眺めつつ6年経過。

大学教員としても生きかたが中途半端だから、兵隊に使役される類の将校みたいな教員になるんじゃ!

私の最終講義の動画です!

本日は2017年2月4日土曜日だ。

昨日も今日も風邪で寝込んだり起きたり。

来週1週間は忙しいんだから、早く風邪よ治れ。

試験前の授業もあるし、学期末試験もあるし、卒論発表会もある。

どこまで続くぬかるみぞ。

でも、これが人生よん。

ぬかるみを歩いていないと、わからないことがいっぱいあるんよ。

ところで、2月2日の私の最終講義を、渡邊明先生(三重大学名誉教授、埼玉大学名誉教授であらせられますが、福山市立大学名誉教授の称号は要らんとお蹴飛ばしになりました)が撮影、編集、配信してくださいました!

渡邊先生、ありがとうございます!!

みなさま、お気が向いたら、ご視聴してやってください。

こういうものは、「ながら」で聴けるからいいよね。

私も、台所仕事しながら、Amazon通販の段ボール箱を解体しながら、よく人様の講演のYouTube配信をiPadで聴いている。

私に、ネット難民の類の私に、講演や講義をYouTubeで配信してみなさいと薦めてくださったのは渡邊先生であった。

最初にそう薦めていただいたときは、「えええ?」であった。

しかし、まがりなりにも、情報発信者とし生きるつもりであるのならば、身を曝すことに躊躇していてはいけないよね。

ここに、私の最初で最後の「最終講義」を配信させていただきます。

パワーポイント資料は、他の講演会で使ったものなどもリサイクルしています。

例によって例のごとく、いい間違いがすっごく多いです。

親イスラエルのつもりで、親イスラムと言っている。

婿さんのつもりで、娘婿と言っている。

トランプ政権のつもりで、オバマ政権と言っている。

脳がおかしい。

瑣末なことが気になる方々は、視聴しないほうがいいです。

悪しからずご了承ください。

 

 

我が人生最良の日

本日は2017年2月3日金曜日だ。

昨日2月2日のアイン・ランドの誕生日に決行した私の最終講義(=「アメリカ文化論」第14回)は、無事に終わった。

結果的には、昨日は、私の人生の最良の日となった。

会場の設営や進行をしてくださった同僚の方々、ありがとうございます。

いろいろお手数をおかけいたしました。

教育学部の若い先生も聴いてくださっていた。

福山市立大学にお越しくださった方々、ありがとうございます。

福山市内ばかりでなく、尾道や、なんと大阪や静岡からも来てくださった。

「アメリカ文化論」受講生以外の学生さんたちも来てくれた。ありがとうございます。

お花やお菓子や名茶をお贈りくださった方々、ありがとうございます。

このBlogやFacebookで無思慮に最終講義の宣伝をしたので、多くの方々にお気を遣わせてしまった。

私は「うわあ〜〜大講義室でワンマンショー90分できる〜〜!!」と軽薄に喜んで、書き散らしていただけだった。

が、東京在住の方や北海道在住の方が「残念ながらうかがえません」とメッセージをくださった。

そんな……来れなくて……当たり前ですがな。

来ないですよ、普通は……

無名の大学教員の最終講義に出席するのは、受講生の学生と(義理で出席する)同僚だけである。

お気を遣っていただいて申し訳なかった。

恐縮してしまった。

宣伝などせずに、こっそりと静かに「この福山の片隅で」最終講義をすべきであった。

そうすれば、みなさんにお気を遣っていただくことはなかった。

すみません、すみません。

配慮のない私であった。

加えて、美しいお花を贈ってくださった方々には、金銭的ご負担もかけてしまった。

苦楽を共にした英語教育スタッフや、学部の同僚の方々からのお花だけではなかった。

ゼミ生からのお花だけではなかった。

最終講義に出席できないからと教育学部の学生さんがお花を持ってきてくれた。

福山市内の某学習支援NPO(たまーにこちらに少額寄付を……)の方々からもお花が届いた。

2014年の大阪でのアイン・ランド講演会に来て下さった東京在住の作家志望の漫画家の女性からも、お花が届いた。いっしょにイラストも送ってくださった。

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桃山学院大学時代の東京在住の教え子さんからもお花が届いた。

ちゃんとBlog読んでくれていたんだ。

その教え子さんの鳥取県在住のお母様からもお花が届いた。

お母様もBlogを読んでくださっているのか!?

南山大学の後輩の女性からは、教壇に飾る横に広がるアレンジのお花を贈っていただいた。

Facebook友だちの女性からも、ロマンチック極まりない真紅の薔薇の花束を頂戴した。

去年の3月末でご退職なさった渡邊明先生(三重大学名誉教授、埼玉大学名誉教授。福山市立大学名誉教授の称号は無用だと仰った)まで花束と「赤福」を持って来てくださった。

で、最終講義の撮影もしてくださった。

後日にYouTubeに配信してくださるそうでありますよ〜〜♫♫

ありがとうございます~~ご退職後もお世話になっている私だ。

いっぱいのお花のおかげで、殺風景な大講義室が華やかになった。

大講義室の前方あたりの席は、お花の香りに満たされた。

入試の時期で忙しいのに、夫まで、きちんとスーツを着て名古屋からやって来た。

「あんた、ヒラの教員で終わるからさあ、ヒラ教員の最終講義には教職員も来ないことが多いからさあ、可哀想だからさあ、サクラで来てやった」と言って。

同僚や友人知己にいっぱいの配慮をしていただいた。

最終講義が始まる前から、感謝感激でいっぱいになった。


風邪が治らなくて、「ユンケル皇帝液プレミアム」つー栄養剤を飲んだのだけれども、うーん……別に……

なんで皇帝液??黄帝液??肯定液??

最終講義で話したことは、主として以下の3点だった。

(1)トランプの閣僚構成やオリバー・ストーンの近作映画『スノーデン』や、2008年リーマンショック後の草の根の人々のTEA ( Tax Enough Already) Party Movement (減税運動)におけるアイン・ランドの影響について。

(2) ソ連から移民したユダヤ系の女の子がアメリカの国民作家に成り上がっていく経緯。

(3)アイン・ランドが提唱者のひとりであるリバータリアニズム(自由至上主義)の、西洋政治思想史における布置。

natural law(自然法)からnatural rights(自然権)へ、そこから人権へと移る西洋近代啓蒙思想の流れの中でのpositive law(人定法)に立脚するリバータリニズムの特異性。

このあたりについては、副島隆彦氏の超名著『世界覇権国アメリカを動かす政治家と知識人たち』がネタでありますよ。

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要するに、人間社会のことはすべて、人間に責任があるのだから、人間が考えて変えていくんだ!

これがpositive law だ。

human-made lawだ。

いるかいないかわからない神の法ではなく、あるのかないのかわからない自然の掟ではなく、人間が話し合って、その時代時代にもっとも適合していると判断して定める法が、positive lawだ。

人間中心主義だ。

『水源』の主人公のハワード・ロークは、なぜ建築家になりたいのか?と訊かれたとき、こう答える。

「僕は神を信じていないので。地上を愛しているので。地上を美しくするのは建築ですから」と。

この世を良くし美しくするために、いるのかいないのかわからない神に頼ってもしかたない。

人間が、この世を良くし美しくするんだ。

という近代の極北たる人間賛歌がアイン・ランドの世界。

もっとも言いたかったことは、この(3)であった。

けれども時間が足りず説明不足となってしまった。

ルネサンスも、宗教改革も、西洋近代啓蒙市民革命も継続中。

ずっとずっと継続中。

まだまだ未完のプロジェクト。

その流れの中のアイン・ランドについて私は話したつもりだった。

日本人は科学技術の面では西洋に負けないけれども、社会科学分野ではすっごく遅れている。政治思想なんてない。

幼稚な国粋思想があるだけ。人真似の左翼思想の雰囲気があるだけ。

そういう日本の精神風土でモノを考えることを、アイン・ランドを通じて私は根づかせたい!!

なんてね。

63歳になっても、うまく伝えられない。説明できない。

最終講義終了後に、いただいたお花やお菓子を私の研究室に運ぶのは、ゼミ生や受講生の学生さんがワラワラと手伝ってくれた。

これも嬉しかったなあ。

普段、愛想もなくクールな男子学生が、「研究室に花を運びましょーか」とクールに言ってくれた。

いい子じゃ!

彼は、「リバータリアン」なる人種は僕と似ていると言った。

わかっとんのかねえ?

2月2日の夜は、興奮さめぬままにひとりで夕食は嫌だったので、福山在住のFacebook友だちの女性と、岡山在住のFacebook友だちの女性にお願いして、夕食をご一緒していただいた。

ありがとうございました〜〜

幸せな2月2日でありました。
みなさま、ほんとうに、ありがとうございました。

終わり良ければ全て良し。

これで、感謝いっぱいで福山市立大学を去ることができる。

 

 

(後日談)

この最終講義に関する「アメリカ文化論」受講生のコメントを読んでいて笑った。

「先生は、最終講義でも、いつもの授業と同じだった」って。

違うはずないだろ!!