ヨルダン・イスラエル旅行 (2) 必見!ペトラ遺跡!

本日は2017年9月13日水曜日である。

ペトラ遺跡は、世界遺産である。

「新・世界七不思議」のひとつである。

映画『インディ・ジョーンズ 最後の聖戦』のクライマックス=キリストの聖杯をめぐる攻防戦の舞台である。

映画『トランスフォーマー 2 』でも、「ヨルダンのペトラ山」が戦いの舞台となる。

とんでもない遺跡である。

http://www.visitpetra.jo/

ほんとに、すごいすごいスケールの石の遺跡群である。

圧倒されるよ、呆れるよ、自分の目で見ると。

すみません。正直言って、日本の世界遺産なんて、あってもなくても私は哀しくない。

しかし、このペトラ遺跡をISISが破壊したら、私の怒りの念で、ISISと、この組織の黒幕のネオコン軍産複合体を静かに静かに呪い殺すでありましょう。

言うまでもないが人類の最初の文明は、中東地域を流れるチグリス川やユーフラテス川流域で生まれた。

なんでだか、この古代中東にいたある種の人々は高度な灌漑技術や土木技術を持っていて、砂漠を緑化できた。

おそらく、ここらあたりに火星人だか宇宙人が飛来したのであろう。

でないと灌漑技術や土木技術や測量や天文学が、突如ここで花開くはずないっしょ。

その人々は、はるばると、地中海に比較的近いペトラあたりにも来たに違いない。

ペトラはギリシア語で「石」の意味で、ここらあたりは古代から砂岩の岩山がいっぱいの地域だった。

ペトラは標高1000メートルであり、気候は比較的凌ぎやすい。

ペトラの北あたりで、1万年前の新石器時代の集落が発掘されている。

で、紀元前6世紀あたりから、古代アラブ人の一派らしき「 ナバタイ人」が、ペトラに定住したらしい。

「ナバタイ人」とはセム語で「水を掘る人」という意味であり、砂漠で井戸を探し掘る技術に長けていた。

水道管や水路やダムを造る技術を知っていたナバタイ人こそ、あの地に降り立った火星人だか宇宙人の直系の末裔だったのだろう。

このナバタイ人が、天然の砂岩を掘り、岩肌をくりぬき、街路や建築物を造り、壮大壮麗な石の都市ペトラを築き上げた。

で、このペトラは、中国やインドやアラビア南部とエジプトと、シリア、ギリシャにローマを結ぶ大中継地点になった。

絹や香辛料などの貿易路の中継点となった。

要するにシルクロードの大いなる一部なんよ、ペトラは。

どうだ、すごいでしょ〜〜

って、私が自慢してどうする。

と自慢したくなるのは、ひょっとしたら、過去世で、私はペトラに住んでいたのかもね!

私の好みよ、ペトラって!

ここだけの話、火星人というのは日本人によく似ているそうだよ。

ほら、火星に前方後円墳みたいなのがあるそうではないの。

日本人の祖先は火星人なんじゃないの。

火星とペトラの砂漠って似てるんじゃないの。

つまり、べトラを造った人々の祖先は、日本人の祖先と同じなんじゃないの?

だから、私はペトラに魅かれるのかもよ。

それはさておいて、しかし、この壮麗な石の都市も、ユダヤ王国に攻撃されたり、ローマ帝国に併合されたり、363年には大地震に襲われて壊滅した。

6世紀末ぐらいから、遊牧民族のベドウィンぐらいしか住まなくなった。

7世紀にはイスラム教徒が来て、12世紀には十字軍が砦を造ったけれども(エルサレムが比較的近いからね)、それ以降は世界史からは忘れ去られた。

それが再発見されたのは1812年だった。シリアのダマスカスからエジプトのカイロに行く途中のスイス人探検家が、古代の石の都のことを聞きつけ、好奇心にかられてペトラまでやって来て、その遺跡を確認した。

ペトラの岩の都が世界史に再登場!

ということで、今やペトラ遺跡は石油の出ないヨルダンの最重要観光資源として外貨を稼いでいるのです。

私が加わったパックツアーは、8月29日と30日を、このペトラ遺跡入り口に建てられた「ペトラ・ゲストハウス」という屋号のホテルを宿泊所とした。

一帯は、みなペトラ遺跡目当ての観光客用ホテルと土産物屋とレストランだ。雰囲気は、日本の高原の温泉街だ。非常にネイティヴ風味がある。

下の写真は、8月30日の早朝のホテルの屋外レストランだ。

ここに映ってる、扉がピンクの客室は高級な別館のほう。

私らが宿泊したのは、普通のビルの客室で、レストランも屋内のフロント前のバイキング専用スペースです。

ところで、この朝、私は困った。

不具合のある右脚が痛くて、30日のハイライトであるべトラ遺跡中心街路踏破ができない。せいぜい5キロぐらいの道である。でも、私は歩くのは2キロが限度だ。

ペトラ遺跡は全部が発掘されていないが、発掘されている部分だけでも見るには最低3日や4日はかかる。5キロなんて、そのさわりでしかない。

諦めてホテルからペトラを眺めているだけでは辛いので、私と夫は、ツアーの方々とは別に、馬車を利用することにした。

で、ヨルダン人の英語ガイドさんに観光馬車の交渉をお願いした。

ガイドさんも馬車の業者も仲良しの観光業仲間なので、最初の交渉はガイドさんを通じてした方がいい。

昼食のレストランまで行って、昼食後午後1時に迎えに来てもらって、遺跡入り口まで戻るということで、60ドル。先払い。

チップは別だ。チップは馬車の御者の若い男性に渡すのではなく、元締めみたいなデブのオッサンに渡すよう言われた。

御者の若者はジーンズだけれども、元締めのオッサンはアラブの民族衣装だ。もろ、こーいう感じ。

赤と白のギンガムチェックみたいな大きな布をかぶって、黒い輪っかで留めている。

イスラム教徒もいろいろらしいが、ヨルダンはスンニ派(スンナ派)である。

サウジアラビアと同じ。

イランはシーア派。

ともかく、私と夫は、御者と同じ座席に座って、いざ馬車はペトラ遺跡を行く。

ヨルダン人ガイドさんに交渉をお願いするときにチップ10ドルをさりげなく渡したので、ちゃんとガイドさんが、写真を撮ってくれました。

チップをさりげなくドサクサ紛れに自然に敬意と感謝を表現しつつ渡すことができるようになるのに、普通の日本人は何年もかかるよ。

そこから先は、非常に楽しい馬車のドライブ。

これは、ローマ帝国に併合されたときに造られた劇場。

段々は座席ですね〜 円形舞台は、この写真からは見えませんが。

30分ほど馬車に乗り、あっというまに、レストランに着いてしまった。まだ午前10時前だ。

そこらに突っ立っていると、驢馬に乗ってペトラ山頂上近くのエド・ディルEd Deilという神殿( 紀元後はキリスト教の修道院Monastery)まで行けるよ、と客引きがひっきりなしだ。

遊牧民族のベドウィンは、ヨルダン政府により、ペトラ遺跡での観光業を許可されている。

15歳だと言う少年が達者な英語で、脚が悪くてもMonasteryに行けるよ、驢馬に乗っていけばいいって、安全だし安いよ、大丈夫だと何度も言う。

うううう……乗りたい! 驢馬に乗って行きたい!

しかし、「危ない!デブが驢馬に乗ったら驢馬がかわいそうだ」と夫が言うので諦めた。

こうなれば、私たちのツアー団体が午後12時にランチの予約をしているCrown Plaza系が経営している大きなレストランに入って、そこの屋外テーブルで待つしかない。

オレンジジュース1杯10ドル。高いわ……

でも、ほんとにオレンジ搾りたてのジュースだ。

風が非常に非常に気持ち良い。

しあわせ。

待つこと1時間半以上が経過して、旅のお仲間の方々が到着。

ランチです。

みなさん、炎天下を歩いていらしたので、かなりお疲れのようです。

でもタフです。

みなさんは、ランチ後は、950段の石段を登り、「修道院」に行く予定です。

1番お元気で健脚なのが78歳のご夫婦です……

ランチは美味しい。

ヨルダン料理は日本人の口にわりと合うのではないかなあ。

さて、午後1時に約束の馬車がレストラン前に来ました。

私たちだけは、先にホテルに帰らせていただく。

だいたいが、私は海外だろうが国内だろうが、旅先でもすぐにくたびれて、ホテルの部屋でへばっているのが常の根性なしである。

馬車の御者の若者は、私のかわりにiPadを使って写真を撮ってくれた。

Are you happy? Came from Japan?

と、いろいろ話しかけてくれた。馬もよく御して道の悪いところを巧みに進む。

仕事熱心である。真面目ないい子じゃ。

ベドウィンの物売りの6歳くらいの男の子がしつこく私に食い下がると、追い払ってくれた。

物売りの子どもたちは根性がある。

ちょっと怒鳴られたくらいでは引き下がらない。

手に絵葉書を持って、「マダム、買っておくれよ、10ドル!」と必死である。

この子たち、どこで英語を習うのだろう?

このペトラ遺跡の英語版パンフレットには、「遺跡内で、児童虐待や動物虐待を見かけたらVisitors’ Centerに御通報ください」と、小さな文字で書いてあった。

なるほどね、欧米基準で見ると、馬車の馬も、驢馬も、駱駝も、しっかり虐待されている。

子どもたちも、しっかりこき使われていた。

30分ほどガタガタ激しく揺れる馬車に揺られて、遺跡の入り口に帰って来た。

どこからともなく、あの馬車の元締めのアラブ服のオッサン再出現。

オッサンの目の前で、馬車の御者の若者に、「これは、あなたのだからね」と言って大枚20ドルチップを出したら、若者は「マネージャーにもチップ出してよ!」と目で強く強く私に訴えかける。

わかってるって! でないとあなたのチップが、このオッサンに取り上げられるんでしょ?

世の中そーいうもんよね。ピンハネね。

マネージャーのアラブ服のオッサンにも同額の大枚20ドルを渡す。

オッサン満足げだった。

なんと、数時間後の夕食の時に、ヨルダン人英語ガイドさんに、このことが筒抜けであるとわかった。

夕食の時に、「おかげで楽しかったです。馬車業者さへの交渉ありがとうね」と私が言ったら、「ふたりとも、たくさんチップいただいたと喜んでいました。あなたがそうしてくれて僕は嬉しい。みんなも嬉しい。Win-win gameね」とガイドさんが答えた。

「みんな、あなたのおかげです。これは、私の夫から」と、私は大枚20ドルのチップをさらにガイドさんに渡す。

これで、明日、イスラエルに行くまでのバスの中で、ガイドさんのすぐ後ろの座席に座り込んで、このガイドさんに根掘り葉掘り、ヨルダン事情を質問できる。

ガイドさんは首都アンマンの出身で、かなり欧米化されている。

英語がアメリカ英語風だったので、「アメリカにいたことある?」と質問したら、「アメリカもイギリスも行ったことないけど、お客さんがアメリカ人が多いから、影響されてアメリカ英語になったかも」と言っていた。

ガイドさんや、バスの運転手さんへのチップは、ツアーを企画してる会社も払っているけれども、観光客さんも、礼儀正しく少しは出しましょう。

ヨルダンにせよ、アラブ世界は、部族社会であるからして、誰がボスであるのか、誰の顔を立てないといけないか、ハッキリしている。

人様のプライドと面子を大事にしなければいけない。

礼はハッキリ言わねばいけない。

厚意には報いなければいけない。

ほんとは、人間社会はそういうものだよね。

アラブの人間関係は、江戸時代や戦前の日本人のそれだと思えば、間違いがない。

さて、馬車から降りて、ちょっと周囲の景色を楽しみ、ホテルの部屋に戻ったら、タオルがこうなっていた。

部屋に入るときにすれちがったハウスキーピングの男性の愛想がすっごくすっごく良かった。

私は、朝にチップに大枚10ドルとともに、英語で「Thank you! バスルームにトラブルあります。配管がおかしいです。排水が機能してません。修理してちょーらい」と書いたメモを部屋に置いておいた。

確かに、ゴミが詰まっていたバスルームの排水口は綺麗に掃除がされていた。

でも、バスタブの排水の問題は同じだった。

まあ、排水の問題は、ハウスキーパーがすぐに対処できる問題じゃあないよな。

ま、しかたないかな。

ヨルダンでは、普通は女性の仕事のようなホテルのハウスキーパーも男性が勤める。

概して働いているのは男性である。

レストランもウエイターはいても、ウエイトレスは見かけない。

いるとしたら、経営者の娘って感じだ。

雇われているのではなく見張ってる感じだ。

やはり、女性は家庭にいるのが一般的イスラム教徒の習慣のようである。

いや、アラブ人の傾向かなあ。

ところで、私がチップを払い過ぎだと思いますか?

カネというのは、こういうときのためにあるんだよ!!

チップ出す気がない人間は、海外に観光旅行なんかしない方がいいよ。

じょじょに日が暮れて行くペトラ。

ホテルのロビーにはヨルダン王室の方々の写真が飾られている。御真影だね。

元王様と現王様と皇太子の写真が。

国王の写真は、ヨルダンの街中のあちこちに飾られている。タイみたいだな。

ガイドさんいわく、「うちの王様はよく働く。いつも海外に行って、ヨルダンの売り込みしてる。アメリカの大学を出てるから英語がよくできるんで、いいビジネスマンだ。うちの空軍はすごいけれど、アメリカの戦闘機とか、王様がアメリカと話をつけて、もらってくるんだ」そーである。

ほんまかいな。

ヨルダンの国王は、名実ともに、The Head of the Stateであるそーだ。

この日のバイキングの夕食には、「海苔巻き」が出た。

グジャグジャに柔らかい海苔巻きであったが、酢飯ではなかったが、そこそこ美味しかった。

白身魚の天ぷらも出た。ただし、表示はFish Temboraであった。

テンプラとテンボラ。PとBの音は破裂音でよく似ているからね。

日本人団体客へのサービスであるね。

日本人宿泊客はそこそこ多いらしくて、馬車の業者もホテルの人も、「おはよう」「こんにちは」「こんばんは」「ありがとう」ぐらいは言える。

ヨルダン人の対日感情は悪くはなさそうだ。

そういえば、9月10日に河野太郎外務大臣がヨルダン宮殿でランチをご馳走になったとか。

異例の破格のもてなしだそーである。

日本政府がヨルダンのテロ対策に10億円無償資金提供するとかで。

そりゃ、ランチぐらいご馳走してくれるわさ。

河野太郎外相は、ペトラ遺跡をご覧になったであろうか。

このペトラ遺跡は多くの日本人に見てもらいたい。

いやあーーほんとにビックリするから。

素晴らしいから。

ヨルダンの砂漠も心を魅了するれども、ペトラ遺跡の石の都も最高だ。

ペトラの夜景は美しかった。

できれば、あそこに数日間は滞在して、ペトラ遺跡を堪能したかった。

そのためには、私は脚をなんとかしないとなあ……

痛む右脚を引きずりつつ、かばいつつ、明日はイスラエルだ……とスーツケースに荷物を入れる8月30日の夜でありました。

ヨルダン・イスラエル旅行 (1) 魅惑の砂漠

本日は2017年9月11日月曜日である。

ずっと更新できなかった。

9月3日にヨルダン・イスラエル旅行から帰って、ボンヤリしていた。

時差ボケもあったけれども、想定外にヨルダン・イスラエル旅行が刺激的だったので、呆然としていたのだ!!

まさか、中東に魅了されるとは!!

異国の風物は、どこのものでも刺激的ではあるけれども、実際に自分の目で見たヨルダンの砂漠は心に沁みた。イスラエルの首都エルサレムは美しかった。

64歳で脳をやられる旅を経験した。

こんなのは生まれて初めてだ。

iPadの壁紙をヨルダンの砂漠にした。

あの砂漠を見てしまったら、もうほんと、細かいことはどうでもいいわ……の気分になる。

欧米なんか中東に比較したら、ものすっごく退屈だぞ。

やっぱり、人類文明の発祥の地は、あそこよね!!

あと数回ぐらい中東を旅できたら死んでもいいわ。

であるからして、しばらくヨルダン・イスラエル旅行について、ここでは書く。

この旅行は個人旅行じゃなかった。

アラビア語は「シュクラン」(ありがとう)しか知らないし、ヘブライ語は「シャローム」しか知らない。

だから、個人旅行は最初から諦めた。団体旅行なんて21歳の初めてのアメリカ旅行以来だったんじゃないか。

いろいろ調べて、「クラブ・ツーリズム」という「近畿ツーリスト」の子会社が企画したビジネスクラスの4泊7日間のツアーにネットで申し込んだ。

ビジネスクラス利用でも、キャセイ・パシフィック航空利用で比較的費用が安かった。いろいろ合計して旅費は1名42万円くらいだった。これ日航とかANAとか使ったら70万円くらいかかるよ。冗談じゃないわ。

どうせ日本からイスラエルに直通のエアラインはないのだ。乗り継ぎの待ち時間が長くたって、ビジネスクラスならラウンジ利用できるので、そこのソファで寝ていればいいのだ。

私の体力や脚の不具合を考えれば長い旅行は無理なので、4泊7日でいいのだ。

ビジネスクラス利用でヨルダン・イスラエル旅行なら、勘違いしたうるさい馬鹿は参加しないだろうから、添乗員つきツアーでも、うざくないだろうと思った。

予想通り、参加者は13名だけで、平均年齢66歳の海外旅行に慣れた方々ばかりで、マナーも良かったし、教養のある方々ばかりであった。

添乗員の30代半ばの女性も非常に優秀でタフで忍耐強い方であった。

現地のヨルダン人の英語ガイドさんも、イスラエルの日本人ガイドさんも優秀で有能だった。

ちゃんと選べば、ああいう質の良い団体旅行はいいものですね。

全部お膳立てしてあるしね。気楽だわ〜〜

海外旅行で困るのは、トイレの確保だ。団体旅行だと、 まめに「おトイレ休憩」あります。あれ助かるわあ〜〜

もうゼミ生引率してのニューヨーク旅行なんかだと、前もってトイレの場所を確認しておかないと歩き回れないもんね。ここのホテルのトイレ、ここの大学内のトイレ、この博物館のトイレって。

質のいいツアー旅行なら、添乗員さんやガイドさんがいろいろ教えてくださるんで『地球の歩き方』を熟読せんでもいいし。

ということで、フジモリも老化劣化して、パック旅行に参加して人様頼りの旅をするようになってしまったとよ。

まず、最初はイスラエルは地中海沿いのテレアビヴ市のベングリオン空港での入国審査。

8月28日に日本出国して、29日にイスラエル入国。

この空港の雰囲気はアメリカの南部の空港と似てた。

イスラエル人の雰囲気は、フレンドリーではないけどまっとうな先進国のヒトって感じ。

イスラエルでは、入国のスタンプをパスポートにポンと押さない。

こーいう「ブルーカード」と呼ばれる紙片を渡される。

イスラエル入国の記録がパスポートにあると、イランとかサウジアラビアとかのその他中近東諸国では入国拒否されるから。

イスラエルに入国したら、大型バスに乗り込んで、ひたすらヨルダン国境まで向かう。

このツアーの最初の2泊はヨルダンで。

中東のパリと呼ばれるヨルダンの首都アンマンには行かないツアーだ。

イスラエル国内も日本車が随分と走っていた。トヨタ、三菱、マツダ、イスズに、ダイハツ、ニッサン。

イスラエルとヨルダンの国境は三箇所ある。

そのうちのひとつの国境で、ヨルダン入国審査。

正確には、ヨルダン・ハシェミット王国。北海道くらいの大きさで人口は2016年度で950万くらい。

最近のISIS騒ぎで、ヨルダンにもシリアから難民が入って、人口が膨れ上がった。

これは、いずれ問題が大きくなるかもね。

国際連盟によるイギリスの委任統治領だったんで、英語がある程度は通じるけど、母語はアラビア語で、1946年に独立して、立憲君主制国家になった。

でも、国民の半数は、中東戦争でイスラエルに占領された地区から難民として流入した人々か、その子孫。

ヨルダンは、今の王様のお妃さまが才色兼備で有名ですね。

ヨルダンの王室と日本の皇室も仲がいい。

1953年に今上天皇が皇太子時代に、昭和天皇の代理で、英国のエリザベス女王の即位式に出席した。でも、第二次世界大戦終結から8年しか経ってなかったので、日本の皇太子に対して冷たくて、座る席がひどかった。

そしたら、今の王様のおじいさんだかお父さんだかのヨルダン国王が明仁皇太子に親切に声をかけて、ご自分の隣の席に案内してくださった。その親切を嬉しく思った明仁皇太子は、その後ヨルダン王室に特別な親愛を感じるようになった。

という説がありますね。

ヨルダンの国王は、英米相手に戦った日本に畏敬の念を持っておられたのかもね。

私だって、すごいわ〜〜と感心してるもんな、日本の先人たちに。

ほんと、あいつらの傲慢さに、よくぞ日本は挑んだ!!

なんちゃって……

それはさておき、唐突に話は変わるが、2017年7月の始めに、国境で、イスラエル人とヨルダン人が衝突した。

イスラエルへの感情は良くないようだ。

イスラエルからヨルダンに入ると、イングランドからスコットランドに入るみたいに景色が変わる。

景色が貧乏になる。 いや、ほんと。

私たちの団体は、テレアビヴのベングリオン空港から乗ったバスを降りて、スーツケースも全部出して、入国審査終わったら、ヨルダンのバスに乗り込んだ。

暑い! 陽射しがすごい!

ヨルダンに入ったら砂漠の中の一本道。

うわあ〜〜〜見渡す限り砂漠。

ヨルダンの国土の80%が砂漠だそーだ。

まさに、旧約聖書の世界だ〜〜〜すごい〜〜〜

バスは、第1の観光地のネボ山に向かう。Mount Neboね。

モーゼが死んだとされる山だ。ヨルダン中部にある。

モーゼは、紀元前15世紀か13世紀あたりで(すっごい大雑把ですね)、120歳で亡くなったということになっている。

旧約聖書には、そう書いてある。

だから、ここは原始キリスト教の信者が、エルサレムから巡礼に行く聖地なんである。

標高680メートルくらいの山だ。800メートルという説もある。

山のてっぺんに教会が建っている。

4世紀末にモーゼの昇天を記念して建てられた教会だ。

宗派はフランシスコ修道会。

ユダヤ教のシナゴーグじゃない。

モーゼが持っていた杖つーのもある。

蛇をあしらった十字架の形をしている。

モーゼの身長は、少なくとも2メートルはないと、この杖は持てないだろう。

ほんとうは、荒野をさまよったモーゼの青銅の蛇状の杖と、イエス・キリストの十字架を象徴したモニュメントだ。

教会の中は、こうなってる。

古代のモザイク壁画がいっぱいあって、研究調査中。

お墓も発掘されている。

ここらあたりで、すでに、私は砂漠の風景に脳が侵され始めた。

なんという魅惑!

なんという崇高の美か!

この砂漠の向こうに見えるのは、あの「死海」であり、ヨルダン川である。

イエス・キリストや預言者ヨハネが洗礼を受けた川じゃ。洗礼って禊やね、要するに。

もっと晴れていたら、死海の向こうにエルサレムも見えるのさ。

ネボ山の次は、おトイレ休憩を兼ねたモザイク制作工房訪問ついでの土産物屋さん。

こういう場所でトイレ使用する場合には、トイレ入り口に立ってる人に1ドル渡す。

現地ガイドさんの顔を立てるためにも、なんか買うべきよん。

別にリベートもらってるとかそういうことではなく、友だちの店に連れて行くなんて、当たり前のことなんだからさ。ロシアでもどこでもそうだよ。

お互いに助けあって生きるのよん。観光客は、ちゃんとカモになるべき。

私が買ったのは、蓋がモザイク画のアクセサリーいれみたいな一辺が15センチくらいの箱。150ドル。時計とか指輪とか放り込んでおけるよ。

店員だか店主の娘さんだか知らないが、すっごい美人(ヨルダンの女性にブスはいないが)が、他に買うともっと安くなるよ、ヴァージンオリーブオイルの化粧品はどうですか?とか英語で話しかけてくる。

ああいう美人相手にグジャグジャしゃべっていたかったけれども、休憩時間はすぐに終わる。

次の目的地は、マダバだ。Madabaだ。首都のアンマンから南へ30キロだけど、ネボ山からは数時間かかった。

多くの古い教会が残り、モザイクで有名な街だ。

私が参加した団体の目当ては、古い時代のパレスチナのモザイク地図が遺る聖ジョージ教会だ。ギリシア正教の教会だ。

ヨルダンとかアラブというと、みんなイスラム教徒のような気がするが、キリスト教徒のアラブ人も多い。

ここで見たモザイクでできた紀元6世紀頃のパレスチナ地図というのが面白い。もともとは21メートルx 7メートルの大きさだだったけれども、今は13X5メートルしか残っていない。

真ん中にエルサレムで、エルサレム周辺のほとんどの重要都市と地形が描かれているのだけれども、どうも同じ地図の中に時代がずれたものが描かれている感じ。

日本人なら安土桃山時代を描いた絵の中に奈良時代のものは描き込まないだろう。

でも、このパレスチナ地図には、古代から6世紀にいたって存在した街がみな同一平面上に描かれているようだった。

歴史感覚が違うんだね、ヨルダンの人々は。

時間感覚と言うべきか。

紀元前も紀元後も現代も同時にリアルに感じているんじゃないか、ヨルダンの人々は。

「永遠の相のもとに」生きている? とも、ちょっと違うなあ。

古代と現代が共存している感じ。

そんな不思議な街が、マダバだった。

さて、バスは、8月29日の宿泊所のペトラ遺跡のホテルへ向かう。

ヨルダンの比較的北部のマダバから、ヨルダンの比較的南部にあるペトラまでは、バスで4時間くらいかかる。

日も暮れてきた。

ヨルダンの街は横断幕が好き。

これは、ロシアなんかもそうだね。

ホテルに到着時間は午後8時頃。

バイキングの夕食をすませて、一行は、中部セントレア空港を発ってから、初めてベッドで眠るのです。

ううう〜〜〜くたびれた。

ホテルは高級ホテルだけど、バスルームの配管がぶっ壊れてる。

排水がうまくできない。

バスタブに湯を溜めて、使用して、バスタブの栓を抜いて、水を流すと、バスルームが浸水します。

バスタブに溜めた湯は使用しても放置。ゆっくりゆっくり排水。

トイレの水が正常に流れれば良しとしましょう、中東だもん。

爆睡の8月29日の晩でした。

尾道!恐るべし!

本日は2017年5月25日木曜日だ。

昨日の講演会は無事に終えることができた。

主催してくださった「びんご経済レポート」社の方々にはお世話になりました〜

ありがとうございました!!

会場の尾道市立中央図書館というのが、また良かった。

いまどきの公立図書館って、公務員さんが運営していないんだってね。

民間企業が委託されて運営管理しているそーだ。

この尾道市立中央図書館も、啓文社という尾道に本社のある大きな書店と、NTTデータという企業が、協力して運営管理している。

いろいろなセミナーも開催している。

最近は、子どものためのコンピュータープログラミング教室も開催している。

このコンピュータープログラミング教室は、父母の方々にも好評だそーだ。

映画鑑賞会もある。

図書館は午後9時まで開館である。

これは、公務員さん運営時代ではありえない。

自習室では、制服姿の高校生がいっぱい勉強していた。

頑張れ!受験勉強!!

今の努力が人生を決めるぞ!!

私みたいに、サボっちゃダメだぞ!!

私の講演会も、尾道市立中央図書館の管理運営を任されている啓文社さんやNTTデータさんも後援してくださったのだ。

講演会が始まる前の時間、興味津々の私は、啓文社の管理職の方やNTTデータの管理職の方に、根掘り葉堀り、質問させていただいた。

民間企業というのは、合理化には非常に努力している。

投資するカネなく生産性を上げるには、人間が動くしかない。知恵を出すしかない。

これは、私が聴講させていただいている三重大学大学院工学部開講科目「生産管理論特論」において、渡邊明先生がおっしゃった言葉である。

ということで、公立図書館の管理運営コストは、民間企業委託以後は、抑えられている。

だけど、サーヴィスは向上している。

確かに、行ってみると、公立図書館っぽくない。

空気が緩くない。スタッフもテキパキしてる。

うーむ、すごい。

公立図書館の管理運営を民間に委託することには非常な反対も多いそうである。

ライブラリアンが低賃金で長時間勤務させられるとか、いろいろ。

しかしまあ……コストが低くなることは大きいことだからなあ……

この流れは、止まらないだろうなあ……

下の写真は、講演会の開始前の会場である。

あいにくと、24日は雨が降っていて、かつ尾道では、いくつかの会合が開催されていたそうである。

青年会議所とか、医師会とか、それぞれに講演会があり、私の講演会に来てくださる方々は少ないかもしれないと、前もってお聞きしていた。

でも30人ほどの方が来てくださった。

「びんご経済レポート」のスタッフの方々が、いろいろお声をかけて下さったのであろう。

無名の私の講演会に30名の方々が集まるなんて、ありえないもの。

ありがたいことである。

尾道在住のFacebook友だちの方々とか、広島銀行の方々とか、尾道で一番の伝統的進学校の同窓生ネットワーク の方々が来てくださった。

大人の方々の前で話すのはいい。

綺麗事を言わないですむからなあ。

一応、私の話は退屈ではなく、好評をいただいたようだ。

ホッとした。

しばらく人前で話していないから大丈夫かなと思ったけれども、何とかできた。

動画撮影していただいたので、後日、このBlogで公開してしまうぞ。

その折には、お気が向いたら視聴してやってくださいまし。

いやあ〜〜尾道って、面白いところだ!!

尾道は初めてではない。

2012年の1月にウロチョロ日帰りだけど歩き回って楽しんだ。

あの頃は、まだ健脚だった。

脚がおかしくなったのは、2012年の秋からだった。

尾道は、映画の『転校生』や『時を駆ける少女』の舞台だからね、ロープウェイで千光寺まで昇り、そこから眺めた尾道水道や瀬戸内海の多島美よ!!


しかし、あらためて来ると、もっとおもろい!!

空襲にあっていないので、戦前からの街の雰囲気が残されていて、独特の情緒がある。

福山も人々が穏やかで時間の流れ方がゆったりしていた。

しかし、尾道は、さらに深く古き良き日本の雰囲気を残している。

下の写真は、JR尾道駅の近くにある洋食レストラン「もぐら亭」である。

1957年以来尾道の文化人に愛されてきたレストランである。

講演会後に、「びんご経済ジャーナル」の代表の二宮 恵氏に、このお店でご馳走していただいた。

ありがとうございます〜〜美味しかったあ!!

さすが、尾道を牽引する人々が集うレストランである。

大都市のそのへんのレストランでは、考えられない会話がかわされる。

「市長のお兄さんがね……」とか。

「9月の仮装大会に知事も参加するから……」とか。

「薪能があるからご招待するわ……」とか。

うーん……「タキギノウ」………

観世流……

私は、これでもお能は好きなんである。

DVDセットも持っているんである。

歌舞伎よりも、今はお能なんである、私的には。

そういう会話をかわしている方々は、いかにも上品で教養がありそうな60代半ば過ぎの女性たちだ。

お洒落である。身につけているブローチやスカーフのセンスがいい!

64歳になっても風格も教養も品もセンスもなんもない私は、感心して眺めるだけだ。

おもろいわーーああいう女性たちって。

尾道は、かつては北前船が運ぶ物産の集積地であったところだ。

(この図は、https://n-story.jp/topic/35/page1 から拝借しました〜〜)

多くの蔵が瀬戸内海沿いに建てられていたところだ。

その富の集積が、時代を経て、ああいう女性たちを生んだのだろう。

尾道、恐るべし。

日本のあちこちに、戦災にあわずに戦前からの伝統や人間関係や文化を伝える「京都」が、ひっそりと生きている。

尾道は、そういう京都的街のひとつだ。

こっそりまた来訪して、あのもぐら亭でオムライスいただくべ。

バニラアイスに熱いエスプレッソぶっかけて、いただくべ。

2017年4月28日から30日までの上海印象記

本日は、2017年5月4日木曜日である。

4月30日、上海からは、夜遅くに自宅に帰ってきて、それから、ずっとへばっている。

5月2日火曜日の三重大学工学部大学院渡邊明先生ご担当の「生産管理論特論1」第4回ご講義の聴講にも行けなかった。

5月4日本日に同志社大学で開催されるThe Ayn Rand Institute会長のYaron Brook氏の講演会にも行けない。

たった2泊3日の上海旅行なのに、くたびれた。

もともとが福山から帰る前から帰ってからも、ずっと体調不良なのに上海に行ったのが間違いであったか。

その後、東アジア情勢は小康を得ているので、良かった。

まあ、深刻な軍事衝突に見せて、金正恩さんとトランプさんとプーチンさんと習近平さんの世界に向けた八百長大芝居らしいけれど。

みなさま、今のうちですよ、東アジア諸国に旅行に行くのは。

八百長にせよ、一応なんか実際にやらかさないと落とし所がないですからね。

例の落合莞爾氏によると、北朝鮮問題にしろ、シリア問題にしろ、ここまで大きくなると、金正恩さんもアサドさんも、いずれは表舞台から引かざるをえない。

そうなるけど、それは偽装死だそーだ。

金正恩さんが死んだことになって表舞台から消え、金正男さんの息子さんが金王朝を継いで、北朝鮮は非核化して、韓国には北朝鮮よりの政権ができて、韓国はいよいよ一層に無国籍企業が跋扈する経済特区というか租界化して、朝鮮半島は一国二制度体制で行くそーだ。

偽装死ねえ…

南北朝時代の後醍醐天皇の御子の大塔宮護良親王が死んだことになって、実はヨーロッパに渡り、西の皇統を支えたごとく。

西郷隆盛が西南の役で自害せずに、ヨーロッパに渡り、大日本帝国憲法を作るための各国の憲法を調査したごとく。

幕末徳川幕府の頭腦であり理系工学系の傑物であった小栗忠順(おぐりただまさ:1827-68) は、官軍に斬首されたのではなく、フィラデルフィアに渡り、アメリカの通貨制度を整えたごとく。

って、これは全部、落合莞爾史観ですからね!

そんなこと言われたら、フセインさんもカダフィさんも、ヒトラーも偽装死かなと思っちゃうよ。


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臨死体験のプロみたいな「あの世飛行士」の方によると、織田信長は本能寺で死んでいなくて、長男の信雄(のぶかつ)と明智光秀といっしょにヨーロッパに渡り、イタリアで修道士になり、枢機卿までになったそーだ。
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これを読んだ時は、そんなアホな……と思ったけれども、ありえるかもね。

落合莞爾史観的に見ると、この世界は、マニ教ウバイド・ワンワールドと覇道一神教イエズス会共産主義との闘争であり、ワンワールドの東の皇統である日本から多くの歴史的人物が偽装死してヨーロッパに渡っているそうだからな。

信長は、東の皇統の指令でバチカンに潜り込みイエズス会の動きを諜報していたのかもね。

と、落合莞爾史観の面白さにはまってしまった最近の私。

ところで、本日は、上海で見たこと感じたことを箇条書きにする。

でないと私は忘れてしまうから。ほんとに病的に忘れる。ほんとは病気かもしれない。

浦東地区の金融街の超高層ビルについては、前回にすでに書いたので、省いた。

(上海ミニ旅 覚え書き始め)

(1) エアラインは中国南方航空。中国のエアラインだから、サーヴィスはあかんやろと思っていたら、以外にもCAさんも感じが良く親切でマナーが良く、かつ美人。機内食はエコノミークラスとして普通の水準。美味しいはずはないが、食えればいい。

(2) 上海の浦東(プードン)空港は新しく綺麗で清潔で広い。広過ぎる。トイレも綺麗。イミグレイションに行くまでが時間がかかる!

(3)イミグレイションはブースがたくさんあるのに、半分しか開いてなくて時間がかかった。スタッフの愛想は良くもないが悪くもない。

2005年や2006年のロシアは、スタッフがひとりしかいなくて、ニコリともせずで、それよりはマシだった。顔写真を撮影された。アメリカみたいに指紋撮影はなかった。

(4)イミグレイションに設置されているTVでは、「中国の発展と繁栄のために貢献するスタッフたち!!」と英語字幕のついた自画自賛動画がずっと放映されていた。こういう空港は初めて。

これは、スタッフに対してキチンと働け!サボるな!と言うのが目的の放送かな? きちんと働くのが当たり前の日本で、こういう「社内放送」はない。

(5)空港の到着出口では、多くの出迎えの人々の中に、Kayoko Fujimoriと書いた紙をもった中国人中年男性が待ちくたびれたように立っていた。日本で前もってインターネットで送迎セダン車をチャーターしてあったから。タクシーを待つのがいやだったんで。料金は370元。日本円で6000円弱。https://www.veltra.com/jp/

(6)空港からホテルまでは約50分くらい。景色はロシアとアメリカいっしょにしたような大きい風景。大規模な高層ビルがいっぱい。でっかいマンションというか、住宅らしい。窓から突き出された棒に洗濯物が留められているし、日本式にベランダに布団がかけられている部屋もある。

が、総じて、ベランダはガラス窓で覆われていて、サンルームのようになっている。

(7) ホテルはThe Westin Bund Center in Shanghaiにした。黄浦江沿いの外灘(ワイタン)地区にあるし、ネットで調べたら、英語で事が足りると書いてあったから、ここにした。スタッフは、みないい感じだった。もちろん、 日本のサーヴィス業の水準を外国で求めてはいけない。

(8) ホテルの隣にPacific Cafeというカフェがあって、ホテルとは関係ない店であるが、ここの店員さんも英語が話せる。マナーは普通。中には中国人風に無礼で、釣銭をごまかす奴もいる。上海の繁華街や観光地で働く若い人たちは、だいたい英語が通じる。特にカフェとか西洋風レストランならば確実に通じる。

(9) 黄浦江沿いの、向かいの金融街の高層ビルが立ち並ぶ浦東地区を望める外灘プロムナードは人気スポットであり、特にその夜景は有名。私はくたびれて夜の外出はできなかった。

(10)ホテルの5階にある水晶ナンタラという中華料理店は非常に美味しかった。2日目の夜は疲れていたので、夕食はルーム・サーヴィスにしたけれど、これも美味しかった。

(11)ホテルの設備はいい。トイレにウオッシュレットはついてなかった(当然かな)。湯沸かしのティファールは置いてあるけれど、ティファールが使えるコンセントがティファールが置いてある場所にない。バスルームにドライヤーは置いてあるけれど、ドライヤーが使えるコンセントはない。ホテルのドアにチェーンとかその類のものがない。ホテルのドアに訪問者をチェックできる覗き窓みたいな装置がない。どこかトンチンカンで間が抜けてる感じ。

(12) 翌日29日は浦東地区の金融街の超高層ビルの風景とThe Shanghai World Financial Centerの展望台から現代上海の大きな風景を楽しんだあとは、浦東地区と黄浦地区を隔てる黄浦江に造られたトンネルを通過。ロープウェイのゴンドラみたいな乗り物に乗って「光のトンネル」を通過。3分ほどの短さだが、楽しい。

(13)光のトンネルを通過して外に出れば、そこは外灘。プロムナードには観光客がいっぱい。家族連れがいっぱい。平和な休日の光景。中国は、しばらく「ひとりっ子政策」だったので、両親と子ども1人の組み合わせが多く、子どもはほんとに慈しんで可愛がられているようだ。反対に、成人したひとり息子さんが、お母さんやお父さんを気遣いながら歩く姿もある。中国の家族は仲睦まじく、情が濃い感じである。

(14)上海の観光地で最も人気があるのは、豫園。よえん。ユーユアン。400年前の豪商が作った豪壮な屋敷と庭園が今は国家財産となり入場料を稼ぐ観光施設になっている。いかにも中国風建築であり、庭園であり、面白い。

この屋敷と庭園の周りに、豫園風建物の店やレストランが立ち並ぶ。伊勢神宮の「おかげ横丁」の上海版だ。いつもものすごい人出であるそーだ。ただでさえ、人口の多い上海のものすごく混雑している豫園の風景は、中国の活力を感じさせる。人間の数が多いというのは、それだけですごいものであるなあ。圧力が違う。

(15)この豫園で1番人気のあるレストランは、小籠包で有名な南翔饅頭店である。店の中も店の外もズラズラと席待ちの客の行列ができている。最低1時間は待たねばいけないそうである。毎日そうであるそーだ。私の場合は、日本語ガイドの中国人女性が、この店のマネージャーの友人なので、予約もなしに、他の客を無視して、3階の席をゲットできた。そういうことは中国では普通のことであるらしい。


この南翔饅頭店の支店は日本にもある。名古屋にでさえあるそーだ。売り物の小籠包は美味しかった。日本の小籠包より皮が厚い。

このレストランはいかにも中国である。客もスタッフも声が大きく騒がしい。現代中国の一般ピープルの活気溢れる空間であった。

(16) 5月1日がメーデーで労働者の革命を成し遂げた共産党政権下の中国では祝日である。だから、4月29日土曜日から三連休なので、29日も30日も上海はすごい人出であった。30日は、ホテルをチェックアウトして、スーツケースをホテルに預けた。それから、上海博物館に行くつもりだったが、この人出の真ん中に入ってみたいと思い、南京東路を抜け、人民広場まで歩くことにした。やはり、歩かないと街はわからない。南京東路は毎日が歩行者天国である。

(17) 南京東路には、お店の呼び込みでチラシを渡そうとする人も多い。カフェで休んでいると、小銭ちょーだいと紙コップ持った乞食さんが接近してくる。老女の乞食さんもいるし、男の子を車椅子に乗せている中年女性の乞食さんもいる。あの男の子はほんとは健常者なんじゃないか、ほんとは。小銭をお渡しして離れていただく。

(18) カフェで休んでいると、どこからともなくやって来るのは、乞食さんたちだけではない。靴磨きさんも来る。勝手に靴にクリームをつける。Where did you come from? と発音のいい英語を話す靴磨きの押し売りさんである。この方からは逃げた。

下の写真で、イタリア人らしき観光客の靴を磨いておられる白いキャップをかぶった方が、そうです。

(19) 上海では、疲れると、ベンチばかりでなく、デパートやオフィス前の花壇の縁に腰をかけている人々が多い。脚の悪い私も、歩いては腰かけ、歩いては腰かけ、歩いては腰かけた。腰かけることができる場所には腰かける。これはいい習慣である。腰かけながら、街を行く人々、建物を眺めるのは楽しい。

(20) 上海では、老若男女みな好きな格好で堂々と街を歩いている。流行というものがない。若い人たちは、特に若い男性は、比較的決まり切ったファッションをしているが、女性は好き勝手である。ブスもブサイクも堂々と歩いている。デブが比較的少ない。化粧はしていないスッピン女性が多い。私が中国語で話しかけられたり、道を尋ねられたのは、スッピンだからなのであろう。

(21)子どもは、特に女の子は、レースみたいなお姫様ルックが多い。ひとりっ子で大事にされていることが、よくわかる。ブスでも自信を持って歩いているのは、ひとりっ子で小さい時から大事にチヤホヤされたからではないか。気後れなく人懐っこい。ブスでもすっごく愛嬌があり、伸び伸びして明るくチャーミングである。

(22) 南京東路を通過し、左に曲がって人民広場をめざし、そこにある上海博物館に行こうと思ったけど、私の脚が痛くなったので、しかたなく福州路という古い道に入る。そこに古い京劇の劇場があるんで、京劇でも見ようかと思ったけど、開始時間が午後1時半で、これでは空港に戻る時間に遅れるので、京劇見物は諦める。いかにも昔からある風情の劇場がいい。写真撮るの忘れた。残念。

(23) 福州路沿いには、書店が多い。8階建ての書店もある。学校も多い。古い建物が残っているのが面白い。

(24) 上の写真の黄色い自転車は上海の公設レンタル自転車。観光用レンタル自転車としても使えるが、上海市民が街角の駐輪場に置いてある黄色い自転車の先端のQRコードをスマホでパシッと写して、乗っている。で、乗ったら、テキトーにテキトーな場所に乗り捨てている。スマホで写してなんかすればレンタル料金を払ったことになるらしい。Line Payみたいなもんかな。

(25)上海のあちこちに、「公安」と書かれたゼッケンをつけた男性が立っている。「公安」とは中国語で「警察」のこと。パトカーも巡回している。日本の公安警察は、中国語で言うと「警察の警察」かな?

(26) 上海の街角にある中華レストランの値段は1セットで10元とか、高くともセットで20元で安い!! ホテルの中華レストランだと一品が安くとも90元くらいだけど。しかし、地元の人間でないと入れそうもないし、疑い深いがお腹が壊れるのも嫌だった。で、外から覗くだけにしておいた。

(27)30日のランチは、黒板に英語のメニュが書いてある西洋風レストランで食べた。外のテーブルで上品な白人の高齢女性が食べていて、私が黒板の文字を読んでると、Very good here! と言ったから。その白人の高齢女性は、おそらくアメリカ人。アメリカ人の高齢女性はよく1人で海外旅行してる。独立心高い。そこは、smoked beefが売り物のお店で、河南路沿いにある。黄浦江の南を走る大きな道路沿いである。お客は、みな欧米人だった。中国人店員もみな英語が達者だった。

あの人たちも、何を食べていいか困って、西洋風レストランに入ったんだろうなあ。

(28) 上海の人たちは、西洋人みたいにペットボトルの水は持たずに、透明の水筒に大きめのお茶の葉1枚入れた水を入れて持っている。

豫園で入ったお茶専門店の巧みなデモンストレーションで教えてもらったが、お茶の葉は何度も何度もお湯やお水を注いで飲むそーだ。1週間ぐらい保つそーだ。最後は、色の変わったお茶の葉を食べるそーだ。私も、夫用に高血圧にいい普洱茶(プーアルチャ)の白いのと、私には肝臓にいい一葉茶を購入した。1230元。

(29) 上のお茶のお店の日本人観光客向けデモンストレーション写真に写っている蛙の置物について。蛙は、中国では縁起のいい生き物だそーだ。お湯をかけると黄金色に変わる。急須は紫砂(シンシャ)製でないと、お茶はいい味が出ないそうである。

中国のお茶って、固められたものもある。下の写真の塔とか看板とか、これみなお茶である。おもろい。

(30) 帰りの空港まで予約した車が来る時間の午後3時が近づいたので、初日28日に入ったPacific CafeでMaccha Late の冷たいのを飲む。「抹茶ラテ」のことだ。21元。安くないね。抹茶ラテって、 日本発?アメリカ発?

隣の席では、中国人のゲイらしき2人組の若い男性が、延々と話し込んでいた。おしゃれでカッコつけた若者たちであった。

(31) 上海の街には、漢方のお店は多いが、いわゆる西洋の薬屋さん、Pharmacyがない。漢方のお店は大きい店舗で人がいっぱい。中国の医学部には、漢方医学部があると聞いたが、なるほど!

(32) 上海には、英語の子ども向けスクールの大きな広告が多い。ホテルやレストランの若い人の英語力から見ると、観光都市の上海では、英語ができないと働きクチがない感じだ。

(33) 上海を走る自動車は、やはりドイツ車が多い感じだ。自動車は信号無視。歩行者も信号無視。だけど事故が特別に多いわけではない。もともとがルール無視のドライバーが多いので、油断せずに運転するからとガイドさんが言っていた。かえって、日本ではルールを守る人が多いので、ルール破りに弱いというか、想定せずに油断してるというか。

(34) 上海や北京の大気汚染はひどいと聞いていたが、私がいる間は特にそうとは感じなかった。ただ、空港から送迎の車の運転手さんも、2日目にお世話になったガイドさんも咳をしていた。やはり、気管支に悪い状態なのだろうか。

(35) 上海の浦東空港は死ぬほど広い。さすが万里の長城の国である。ただでさえ広く、土地は全部が国有地だから、「成田闘争」もないので、いくらでも土地は使える。だから、空港は死ぬほど広い。

ホテルに 迎えに来た車から空港で国際線のターミナルに降ろされ、荷物をスキャンされて空港の建物に入ったが 、それからが難儀だった。

日航や中国東方航空のカウンターはあったが、中国南方航空のカウンターがない。なんでないの?とスタッフに英語で聞いたら、ここにはないよという答え。

予約した空港までの車の運転手さんも、私も、浦東空港の国際線はターミナルが2つあることを知らなかった。私が調べておかなかった。

空港のインフォメーションの女性に英語で質問。下に降りてバスでターミナル2に行けと言った。下に降りても別のターミナル行きのバスがどこから出るかわからない。そこにいる女性スタッフに英語で聞いたら、上に行って、あそこの通路を行けと言った。

上に行って、その通路を行ったら遠い遠い。遠い遠い。どこまで歩いても 、私が乗る中国南方空港にチェックインできるターミナル2にたどり着けない。

やっとターミナル2に着くと、何度も何度も荷物をスキャンされる。やっとやっと国際線のカウンターが並んでいる場所に行って電子掲示板を見たら、中国南方航空のカウンターはDにある。しかし、Dに行ってもない。

Eに行ってもない。そこの男性スタッフに英語で質問したら、China Southern Airline?と首を傾げてる。数秒考えて、あそこだと指をさされて、Dの隅っこのカウンターに行き、やっとチェックインできた。

さっさと搭乗口ゲートに行こうとしたら、階段を何階も降りた先。何これ?

ゲートからはバスに乗って飛行機まで行って、タラップを昇らねば座席につけない。

ということで、脚の悪い私にとっては非常にハードな状況が展開された。

ということで、上海に行くときは、浦東空港を使うときは、ターミナルに気をつけてください。

(36) 最後に気になったことは、浦東空港の国際線の英語表示についてだ。そこには、International & Hongkong, Macau, Taiwan とあった。

「国際、および香港、マカオ、台湾」ってさあ。

香港とマカオはわかるけど。台湾ってさあ。台湾は別の国だろ。

台湾=中華民国の人が見たら、嫌な気持ちになるだろうなあ。

(上海ミニ旅 覚え書き終わり)

まとめてみる。

上海に限って言えば、観光地なんで、反日的扱いは受けない。

中国的大雑把さを楽しめば、気持ち良く旅ができる。

上海に限って言えば、アメリカに似ているし、ロシアにも似ているが、アメリカやロシアにある哀愁は、まったく感じられない。

中国人というのは、非常に即物的であるようだ。

躊躇いとか、迷いとか持たずに、欲望にストレートに素直であり、余分なことは考えないようだ。

他人のことは見ていない。

自分と家族の人生をストレートに大事にして前進する。

実は、すでに中国バブルは崩壊しているらしい。

中国の外貨準備高は急速に減っている。

中国企業がヨーロッパの会社を買収しようとしても、その資金がキャッシュで用意できない。

中国人による外国への資金流出も止まらない。

しかし、庶民にもわかる程度のあからさまな経済危機の段階には、まだ至っっていない。

上海に限って言えば、まことに平和である。

ミンスキー・モーメントはまだ到来していないようだ。

バブルが崩壊しても、明確な経済危機になるまでに何年間かのタイムラグがある。

そのラグが終わり本格的にあからさまに経済危機が起きる瞬間がミンスキー・モーメントだ。

そのミンスキー・モーメントまでのタイムラグの真っ最中が2017年の春らしい。

とは言え、上海の活気のシャワーを浴びると、経済危機が中国を襲うとか信じられない気がする。

また、中国が日本を侵略するなんてありえない気がする。

栄えている国が、もっともっと栄えようとしている国が、「デフレ貧乏な国」を侵略してもしかたないと思える。

上海人は「北京なんてど田舎知らんわ」の姿勢であり、世界の上海の住民として、日本なんか全く興味ないようだ。

中国のCCTVを眺めていても、コマーシャルは中国の繁栄を知らせるものばかりだ。

ユーラシア大陸に鉄道を張り巡らせる「一帯一路」政策のコマーシャルも多い。

上海を見る限り、中国の膨張と繁栄は嫌が応もなく続いていくように思える。

南沙諸島の暴挙は、人民解放軍の勝手な行動であって、中国政府の総意ではないように思える。

だって、あんなに甘やかされた若者たちに戦争なんてできないよ。

しかし、あれだけの人々の胃袋を十分に満たすだけではなく、エネルギーの吐き出し口を、どうやって用意するんだろう、あの国は。

習近平さん、大変だな。

上海に来た!

本日は、2017年4月29日土曜日である。

昨日の28日から上海に来ている。

東アジア情勢が緊迫しているので、外務省から近隣諸国への渡航禁止命令が出ないうちに、中国に行こうと思ったので、来た。

脚の具合もあるし、体調も悪いんで、2泊3日という短い旅だ。

だから明日は帰る。

短い海外旅行ってのも年取るといいよ。

荷物も少ないし、上海なら飛行機に乗っていてもすぐに着く。

上海つーのは、戸籍上人口は2500万だけど、ほんとは3000万人ぐらいいる大都市だ。大港町だ。

上海の中心地は、黄河の支流の黄浦河をはさんで、黄浦地区と浦東地区に分かれる。

黄浦地区には、観光客向けホテルがいっぱいで、阿片戦争敗北以来入り込んだ英国が建てた壮麗な建築物が立ち並ぶ外灘(ワイタン)がある。

浦東(プードン)は、40年前は田圃ばかりだったが、今や中国随一の金融センターだ。

いわゆる上海のThe Wall Streetだね。 Cityだね。

でも、マンハッタンや、テムズ川のロンドンより、浦東地区ははるかにはるかに広い。

マンハッタンも仰天するような超高層ビルが広い広い広いぺったんこの土地に、ニョキニョキと建てられている。

全部が銀行や証券会社だ。

こんなにも中国は投資されているし、投資しているんかね。

現代的な超高層ビル群の風景が大好物の私は、本日の午前中は興奮してしまった。

下の写真は、外灘プロムナードから見た浦東地区。

1番高いビルは、世界最高の632メートルの高さを誇る上海タワー。まさしくバベルの塔だ。

ただし、中身がまだできていない。

この現代のバベルの塔の左下に、センヌキみたいな形のビルがあるでしょう。

これが、The Shanghai World Financial Center  だ!

474メートルあり、ここのObservatory展望台が必見だ!

日本の日立のエレベーターで高速で100階まで昇ると、そこから展望台に行ける。

床の一部がガラス張りで下の風景が見える。

怖い!怖いよ!脚がすくむよ!

しかし、その展望台から見える現代上海の眺望は素晴らしい!!

どこまで行っても、ビルビルビルビル。

瀟洒な住宅地も広がっている。

この金融センタービルよりも有名なのが、東方明珠だ。テレビ塔だ。赤い玉ねぎみたいな展望台の形で有名だ。

ここの展望台の床が、そもそもガラス張りで有名だけれども、ここはいつもすさまじい混雑らしい。

特に、本日の29日から中国でも三連休で、人出がものすごい。

もう人でいっぱい。

どこから湧いて出てくるんだと思わせるくらいに人がいっぱいいっぱいいっぱい。

3時間も炎天下で待っていられないので、中国人女性の日本語ガイドさんの薦めで、私はThe Shanghai Financial Centerに行った。

いやあ〜〜良かった良かった良かった!!

「AIIBの本部は、上海にあるんですか?」とガイドさんに聞いたら、AIIBと言ってもわからないみたいだった。

やっぱ、中国語できないと、ダメだな。

「アジアインフラ投資銀行」って、中国語でなんて言うんだ?

やっぱり、来て自分の目で見てみないとあかんよね。

Seeing is believingだ。

上海すごい。

上海を蠢めく人間の数がすごい。

これだけの人間を食わせなくてはいけないのだ、中国政府は。

これだけの人間に幻想を与え、働かせなくてはいけないのだ、中国政府は。

ローマ帝国の時代から、帝国の人民に「パンとサーカス」を与えることが為政者の仕事だ。

13億の人間に与えるパンとサーカス。

強権発動で非民主的で人権なんか蹴飛ばして、中国は前進せねばならない。

ゼンチン!ゼンチン!ゼンチン!

チアンジン! チアンジン! チアンジン!

どっちやねん。

中国語(プートンファ)の発音は難しい。

浦東空港から上海の中心地の外灘にあるホテルまで乗った自動車(ネットで予約してチャーターしておいた)の車窓から見えた街の風景は、ロシアとアメリカを足したような大陸風。

建物は、やたら大きくて高い。

大きさでまずは圧倒するという姿勢が、おもろい。

何につけても、尋常ではない大きさ、広さを誇るのが、中国の観光地であり、中国のありようだ。

その底は浅いが、巨大なる虚仮威しのハッタリ全開が、おもろい。

いやあーーもう、すごい。

中国の脅威にびびる人々に、副島隆彦氏は講演でこうおっしゃった。

「中国を怖がり嫌う前に、まずは行って見てくることです。自分の目で見てきなさい」と。

で、やっと私は見に来た。

すごい。

圧倒された。

トンチンカンな点は多々ある。

しかし、中国はガンガンガンガン前進中だ。

たとえ、虚仮威しのハッタリであろうと、ああいう大きな景観を作った中華人民共和国はすごい。

私は、マンハッタンでも、トロントでも、サンフランシスコでも、チャイナタウンが好きだけれども、上海はみんなチャイナタウンだ。

おもろい。

散々だった瀬戸内海感謝お別れのミニ旅

本日は2017年2月28日火曜日だ。

本日は絶食しておとなしくしている。

転居に必要な事務手続きだけ電話でしまくっている。

一昨日の26日に桃山学院大学の大学院で教えた人が沖縄から福山に遊びに来てくれた。

で、夕食を福山が誇るミシュラン店&名店「なかくし」さんでご一緒した。

翌日の27日は、観光タクシー使っての「しまなみ海道と尾道」ミニ旅に出かけた。

出発は朝の10時で、午後5時から6時の間に福山に戻ってくる予定のミニ旅。

私も名古屋に戻ったら、瀬戸内海の多島美を楽しむことなどできなくなる。

良い機会だから、「瀬戸内海感謝お別れのミニ旅」やろうと思った。

瀬戸内海の豊かな海の幸には、ほんと慰めてもらったもんね〜〜

お刺身ね〜〜牡蠣ね〜〜サワラのタタキね〜〜タタキはカツオじゃなくてサワラね〜〜♫♫

ところがだ!

瀬戸内海に浮かぶ多くの島々をつなぐ橋や凪いだ瀬戸内海を眺め、因島に建てられている(生島出身の)ナントカという有名画家の美術館に行き、大三島の大山祇神社(おおやまづみじんじゃ)に参拝し、来島海峡大橋を見下ろせる亀老(きろう)山展望台に行き、瀬戸内海の絶景を堪能したところまでは良かった。

そこまでは、実に良かった。

教え子さんとも話が弾んだ。

なのに、亀老山展望台から尾道に向かう(つまり福山に戻る方向ね)ときに、私は吐き気を催してしまった。

何度もタクシーに止まってもらい、側溝に嘔吐した。

なんだ、なんだ、どうしたのか!?

サービスエリアではトイレに籠城して嘔吐しまくった。

大山祇神社前のお店でランチに食した価格2000円ちょっとした「特上海鮮丼」を全部吐いた。

特上海鮮丼でっせ……特上よおお〜〜〜

なんか、やたら味付けが濃いなあ……と思わせる海鮮丼であった……

あれは素材が古いのを誤魔化すためであったらしい……

あ、例の有名店ではないですからね!

そこは、もうズラリと客が外に並んでいた。

台湾人のお客さんが多かったようだ。

ところで、新鮮ではなかった特上海鮮丼……

私も、教え子さんと同じ「鯛釜飯セット」にしておくべきであった。

あれ美味しそうだったわ……

とにもかくにも、吐き気と全身の倦怠感と胃の痛みで、尾道に行くのはもう無理となった。

そのまま福山の自宅のあるマンションまで直行してもらうことになった。

全部吐いたと思ったら、まだ駄目で、自宅マンションの花壇にも吐いた。

帰宅してからも午後9時過ぎくらいまで苦しかった。

お白湯一杯飲む気になれなかった。

なんで、こーいうことになるの!?

せっかく教え子さんが沖縄から来てくれたんよ。

楽しんでもらいたかったよ!

私だって転居や研究室の退去でドタバタ忙しい中を、ちょっと気分転換で旅情を味わいたかったんよ!

なのに、なんで嘔吐だ!!

サルトルかよ!!

教え子さんも、尾道行きが楽しみで、原田知世の「時をかける少女」のDVD見てきて予習してきたのに。

時をおおおおお〜〜〜かける少女おおおおお〜〜〜愛は輝く船えええ〜〜♫♫

なのに、かつての教師はゲーゲー吐いてる。

元気の良かったセンセイも還暦過ぎて疲れたババアになってる。

しかもゲロ吐いてる……

なんやねん……

観光タクシーの運転手さんにも申し訳なかった。

しかし、教え子さんも、運転手さんも嫌な顔せずに付き合ってくれた。

せっかくの「瀬戸内海感謝お別れのミニ旅」は、散々の状態で終わった。

まず、引っ越し作業でくたびれていたんだろうなあ。

そこに、新鮮度の落ちる「特上海鮮丼」を食した。

そして、標高300メートル超える亀老山展望台に登った。

この展望台つーのが、手抜きでさあ。

隈ナントカという名前の有名建築家が設計した「建築に見えない建築」だそーだが、ただただ上がり辛い鉄骨だかスチールだけで作られた階段でできてるだけ。

身体障害者や私みたいに脚の悪い人間のことなんか何も考えていない巨大なジャングルジムみたいな展望台。

そりゃ、標高300メートル超える山の頂上から見える瀬戸内海と瀬戸内海に浮かぶ島々ですからねえ、絶景に決まってる。

それはもう〜〜〜絶景。絶景絶景絶景絶景絶景絶景絶景絶景絶景!!

言葉を失う。

絶対に見るべき価値あり!!

(教え子さんです。絶賛婚活中です。41歳です。高収入です。読書と旅が好きな教養人です。育ちいいです!心遣いのできる人です。いいお婿さんになります!20代30代の女性希望!初婚!よろしくお願いします!)

しかし……絶景なのに怖かった……

高所恐怖症だから怖かったんじゃない。

この写真に写っている「来島海峡」(くるしまかいきょう)というのは、海難事故が古代から多くあったところだ。

どんだけの数の船が沈んでいるのかわからない海域だ。

岩礁が多くて船が事故に遭いやすい。

私は、この絶景を眺めているうちに寒気がして心臓が痛くなった。

2月の末とはいえ、穏やかな晴れた日であり、寒くはなかったし、風もなかった。

なのに寒気がした。

あれは、太平洋戦争末期に沖縄の司令軍があった洞窟の小部屋に入ったときに感じた寒気と痛みだ。

その小部屋は、日本軍降伏の1945年昭和20年6月に、5人くらいの将校がたったひとつの手榴弾で集団自決した部屋だった。

たったひとつの手榴弾で5人が即死できるか!!

死ぬまでどれだけ痛み苦しんだろうか……

もしくは、あれは、ひめゆり部隊が野戦看護婦として徴用されて篭っていた洞窟前か塹壕前に立った時に感じた寒気と痛みだ。

もしくは、あれは、自殺の名所の日本海は東尋坊に立った時の寒気と痛みだ。

桃山学院大学のセミナーハウスがあった和歌山県白浜の絶壁近くに立った時の寒気と痛みだ。

もしくは、京都の念仏寺で感じた寒気と痛みだ。

つまり、不成仏霊がウジャウジャいる類のところで私が感じる寒気と痛みだ。

うわああ〜〜〜

来島海峡の海の上には、標高300メートルあたりにも、海難事故で浮かばれない霊がウジャウジャ。

うわああ〜〜〜

私の亡き母は霊が見える体質だったけれども、私は断じて見えない。

見えてたまるか。怖いわ。

でも、寒気とか心臓の痛みとかはあるんですね〜〜〜

ベランダなんかで寒気感じると怒鳴って追い払って終わりなんだけれども。

夏でも私はハイネック。ハイネックでない場合は首にショールを巻く。

デコルテを晒すなんて、とんでもない。

霊は首の後ろから入ってくるんよ。

欧米の女性の正装ってデコルテ晒すドレスでしょ。

だから西洋人女性はエロス過剰気味なんじゃ。

色情霊に首からガンガン入り込まれるんじゃ。

しかし、来島海峡大橋をはるか見下ろす亀老山展望台にいた不成仏霊は1柱や2柱ではなかったぞ。

ということで、私の一見食中毒風嘔吐は、疲労と、あまり新鮮ではなかったナマモノと、霊障のせいであったらしい。

Facebook友だちの若い看護師さんによると、私は胃腸が丈夫だったからこそ、胃がノロウイルスっぽいナマモノを受け付けず吐くことができたのだそーだ。

ほんとにノロウイルスだと、嘔吐と下痢の中で死ぬケースがあるそーだ。

上から下からゲーゲー吐いて死ぬそーだ。

難儀やわ。

看護師さんにとっては、そういう患者さんの死後の掃除が大変だそーである。

嘔吐と下痢だもんなあ……

大量のカレーライスを床にぶちまけたのを掃除することを想像するだけでも心が萎えるわ……

だから、私の場合は、大難が小難になったと言えるらしい。

嘔吐だけで済んだ。

嘔吐と下痢で死ぬはめにならなかった。

おお、これも、来島海峡大橋を見下ろす亀老山展望台に来る前に、大三島の大山祇神社で「神恩感謝」のご祈祷を挙げていただいたからであろうか。

月曜日だったので、参拝客もほとんどいなくて、清浄な神気に満ち満ちていた大山祇神社であった!

私が嘔吐しただけで済んだのは、「こいつ、ノロウイルスで死ぬとかわいそーだから、早いとこ嘔吐させちゃえ」という大山祇の神様のご加護だったのでしょうか。

私ときたら、恩ある瀬戸内海の島々と海に感謝するつもりが、島々のあちこちの側溝を嘔吐で汚してしまってきた。

感謝するどころか、汚してきてしまった。

申し訳ないです。

ほんと申し訳ないです。

犬が縄張りにオシッコするのと同じで、この際、しまなみ海道は私の吐瀉物により私のテリトリーとなった……

ということに強引にさせていただき、あらためて感謝の旅をさせていただこう。

ご縁は続くよ、どこまでも。