SF映画『メッセージ』は既成概念を静かに破壊する

本日は2017年5月30日火曜日である。

26日土曜日のお昼過ぎに尾道&福山から名古屋に帰ってきた。

土曜日の夜は、くたびれてスッキリしなかった。

だから、レイトショーで映画を観に行った。

『メッセージ』というSF映画だ。原題はArrivalだ。

非常に非常に非常に良かった!!

地味ではあるが、これも傑作だ!

静かにではあるが、脳が無茶苦茶に刺激された。

認識が広がる高揚を感じた。

アメリカでアカデミー賞にノミネートされたが、音響賞だけもらったそーだ。

いやあ、この映画がアカデミー賞を受賞できるほど、人類はまだそこまで賢くないわ。

よく、こんな映画を作れたなあ!と感心した。

原作も読んでみた。

「あなたの人生の物語」Story of Your Lifeだ。

中国系アメリカ人のテッド・チャン(Ted Chiang: 1967-) が書いた。

彼の短編集『あなたの人生の物語』(Stories of Your Life and Others)に含まれた同じタイトルの短編小説が原作である。

ほかの短編も面白いよ。

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原作を読んで、またビックリ!

この短い小説から、あれだけの映画作品をよく作ったものだ!!

凄い。凄い。すさまじい想像力だ。

映画と原作は、かなり違います。

コンセプトは同じですが。

映画は、一応は娯楽作品にしないと稼げないしね。

わかりやすくしないといけないしね。

あの原作を、あれだけ理解しやすく、しかも視覚的に表現した映画『メッセージ』は、哲学的思考とエンターテインメントの融合の成功例だ。

この映画は、フラッシュバックという技法をフラッシュフォーワードという技法にもした……

むふふふ……

ここで勘のいい人は、わかっちゃうな。

あらすじは書きません。

まあ、簡単に言えば……

未知の物体が地球上に出現して、その物体には生物が乗っていて、その生物とコミュニケーションをとるために人類が試行錯誤して、やっと意思の疎通ができるようになって、彼ら(か、彼女か知らんが)が地球に来た目的を知るという話だ。

今までのSF映画ってさ、最初から宇宙人が地球語を話したでしょ。

もしくは、テレパシーで語りかけてくるとかさ。

そういう設定はデタラメだよね。

地球人中心主義よ。

御都合主義ね。

あくまでも、地球人の認識の枠内で物語が展開する。

映画『メッセージ』においては、その地球外生物の言語体系は、人類のそれとは全く違う。

たとえば、人類の言語には、言葉の配列に規則性がある。

これが文法だ。

時制がある言語もあれば、時制のない中国語のような言語もある。

そんな中国語でも、過去を示す言葉や未来を示す言葉がある。

何かを記述するときに、人類のどの言語も時間の進行どおりに説明する。

時系列に記述する。

因果関係を示して記述する。

リニアに説明する。

ところが、映画『メッセージ』に登場する地球外生物「ペトラポッド」(7つの脚という意味)の表意言語には、ほんとうに時制がない。

ほんとうに時制がないというより、時間意識がない。

過去も未来も現在もない。

同時に進行しているのだ、過去も現在も未来も。

発声言語もあるが、主として「ペトラポッド」の言語は表意言語である。

形の違いで意味の違いを示す。

漢字みたいなもんね。

ただし、文字というより、書道の墨の染みみたいな形の組み合わせで表現する。

この黒い染みの形の差異で、意味が変わる。

原作において、上のような「ペトラポッド語」が表現されているわけではない。

このような図象を考案したのは、映画制作陣である。

すごいわ〜〜〜

中国のカリグラフィ(書道)からヒントを得たそーだ。

ともかく、主人公のほとんどの人類の言語を理解できる言語学者の女性は、ペトラポッド語を解明し、ペトラポッド人たちと意志の伝達に成功する。

で、彼ら(雌雄の概念も地球にしかないのかも)が地球に来た目的を知る。

そんなことはわからない諸外国の中には、ペトラポッドに軍事攻撃をしかけようとする大国もあった……

ヒロインは、どうやって、その大国の司令官にペトラポッド総攻撃を中止させるのか?

ここらあたりが、映画のクライマックスである。

ここは書かないぞ〜〜♬♬

映画を観に行ってちょんまげ。

その方法は、ヒロインがペトラポッド語を理解し、その認識法を受容できたからこそ、実行できた。

ヒロインは、人類の既成の認識法とは別の認識力を得た。

それは、物事を全体に丸ごとに見ること。

悲劇も喜劇も同じだ。

そのまま受容すること。

未来に起きることを知っていながら、現在を生きること。

過去は完結した安定的なものではない。

現在によって解釈が変わるもの。

だから未来も変わる。

過去も未来も現在によって変わる。

ペトラポッドたちは、自分たちの未来を知っていた。

自分たちが滅びることを知っていた。

しかし、地球の人類の手を借りれば、自分たちが生き延びる可能性もあるとも知っていた。

だから、その3000年先のために、地球人に自分たちの言語を教えに地球に来た。

3000年後に、地球人とペトラポッド人が意志の疎通ができるように。

それが完了したとき、ペトラポッド人たちの乗り物は消える。

次元の彼方に消える。

後日に、ヒロインは、ペトラポッド語の解明により、「宇宙共通の言語」Universal Languageを作る偉業を成し遂げる。

ネタバレしちゃって、すみません。

こういう展開は映画版だけです。

原作は、もっと静かに展開する。

この作者は、日系英国人作家のカズオ・イシグロに影響を受けているかもしれないなあ……

それはさておき……

この映画の、原作の要点は、そーいうことではない。

地球人と地球外生物の異文化コミュニケーションなんかがテーマじゃない。

認識法にはいろいろあるってことだから。

時間は、フィクションってことだから。

時間は、地球人に支配的な認識法が生み出した錯覚だから。

すべては、今ここにあるんだから。

よく失敗した人生などないと言われる。

すべてに意味と恩寵があるという説がある。

反対に、どんな人生も死に向かうのだから負け戦だという説もある。

どっちでもいいんじゃないの。

どっちみち、私たちが持てるのは、今というこの瞬間しかないのだから。

すぐに消えていく この今しか。

今が幸せならば、過去が肯定され、未来が祝福される。

予言された時点で、予言内容は実現しないという説がある。

人々の意識が 予言内容に干渉して、変わってしまうそーだ。

そうか。

今のあなたの意識が世界を変えるわけだ。

世界の未来を変え、歴史を書き換えるわけだ。

 『シン・ゴジラ』の戦車隊と閣僚たちへの疑問今頃

本日は、2017年2月12日日曜日だ。

終わった〜〜とのんびりしている場合ではない。

なのに、くたびれきって学期末試験答案の採点も放置だ。

アイン・ランドの『水源』を読んで「もう小説は読まんでいいわ。これは私の最終小説」と思ったように、『シン・ゴジラ』を観てから、私から映画鑑賞の悦びは奪われた。

『シン・ゴジラ』を8回観た私からすれば、もうあとの映画はどーでもいいのだよ。

が、昨日にamazonビデオでレンタル料390円ぐらい払って観たドイツ映画の『帰ってきたヒトラー』は、面白かったです。

原作も面白かったよ。

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ドイツって、メルケルさんの「難民100万人受け入れます〜〜」発言に見るように、非現実的な理想主義が跋扈しやすい国柄だ。

そのドイツが、ヒトラーがワープして現代ドイツに出現し、イスラム教徒やアフリカ人を嫌がる国民の声を拾ってテレビで大人気を博したり、動物愛護精神なんか蹴っ飛ばす映画を作ったとは。

おもろい。

さすがの優等生いい子ぶりっ子ドイツ人も我慢できなくなってきたか……

ドイツ人庶民も理想主義や人権思想に疲れているんね……

難民や移民が国内に入ってき嬉しいのは、難民や移民を低賃金で使いたい経営者だけだもんなあ。

メルケルさんのようなエリートは日常の生活の中で移民や難民とつきあわないけれども、庶民はね異文化と付き合わなければいけないから、難儀よ。

異文化コミュニケーションなんて、口で言うのは簡単だけど、うざいもんだ。

ところで、本日は、ずっと気にはなってたけれども、ここに書かなかった『シン・ゴジラ』に関する疑問2点について書く。

なんで今まで書かなかったかといえば、まあ瑣末といえば瑣末なことだったからだ。

でも、考えてみると瑣末じゃないぞ……と思うようになった。

ということで。

まず疑問の1

「タバ作戦」で、自衛隊がゴジラを迎え撃つシーンがあるでしょう。

鎌倉に上陸したゴジラは川崎を抜け、武蔵小杉を抜け、東京都に侵入寸前。

それを阻止せんと、陸上自衛隊の戦車部隊が多摩川河川敷に陣を張った。

そこで私は不思議に思った。

住宅や商業用ビルがいっぱい建っている地域の中を、あの戦車隊はどうやって、自衛隊の基地からこの河川敷にたどり着けたのか?

あのタイガーなる戦車は相当にでっかいのではないか?

私は陸上自衛隊の総合火力演習つーものを、富士の御殿場まで見に行ったことがある。

今の戦車というものは、非常にでっかい。

あの戦車が自由自在に移動できるような幅の広い道路があるのか?

自衛隊の基地から戦車隊が移動できるように、日本の道路は橋は作られているのか?

国道ならば大丈夫なのか?

ちょっと狭い道に入ったら、戦車に備え付けの砲台に火焔砲は道路脇の建物をなぎ倒してしまうのではないか?

ひょっとしたら、あの戦車隊は、巨大な軍用機で数台ずつ、あの河川敷に運ばれたのか?

と、ずうううーーーと心の隅っこで気にしていたら!

この元アメリカ陸軍大尉で、今は危機管理コンサルタントの飯柴智亮氏の『金の切れ目で日本から本当に米軍はいなくなる」(講談社)を、去年の秋に読んでたら!

「日本の自衛隊に戦車隊は無用。専守防衛の日本は、外国の領土に侵入しないので、戦闘があるのは、日本の国土の中になる。外国やテロリストの軍隊が日本国土に侵入したときのみとなる。でも、日本の国土は戦車が自由自在に動けるような広さがない。戦車隊持ってても無駄。売っちゃえ」

というような事が書いてあったとよ!

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やっぱり〜〜!!!

自衛隊の戦車隊は狭い日本の国土では移動すらできないんだ!!

人家をぶっ潰さないと移動できんよ、あんなでっかいものは。

消防車よりでっかいよ。

やっぱり〜〜!!!

ならば、『シン・ゴジラ』の「タバ作戦」のタイガー戦車隊は、どうやって多摩川の河川敷に並ぶことができたんじゃ。

私の疑問は尽きないの。

もうひとつの疑問について。

『シン・ゴジラ』で、閣僚たちが乗り込んだヘリコプターがゴジラの吐き出した火焔に焼かれて爆発したでしょ。

主たる閣僚が全員死亡したでしょ。

あのときも不思議だったんよね。

なんで、閣僚がほぼ全員で同じヘリコプター乗るんだ?

全員が乗るヘリコプターが墜落したら、国家の機能が停止するでしょ。

ふつうは、安全保障上は、バラバラで避難するでしょ。

アメリカで、大統領と副大統領(上院議長でもある)と下院議長と国務長官と防衛長官と、あともろもろのcabinet membersが、同じ飛行機で移動するって、ありえない んじゃないか。

先日も、安倍首相と稲田防衛大臣が、同じ専用機に同乗してたのは変だと、畏友で元同僚の国際安全保障学者の松村昌廣氏がfacebookに書いてた。

首相と防衛大臣が同時に死亡という状況に備えて、要職にある公人はバラバラで移動するのが国際政治の常識らしいよ。

やっぱり〜〜〜!!!

一般人でも、お子さんのいる(用心深い)ご夫婦は飛行機に同乗しないと聞いたことある。

事故があったら、子どもは両親を亡くし孤児になる。

そのリスクを考えて、夫と妻は敢えて別の飛行機に乗る。

わかるわ〜〜〜

これぞ危機管理。

で、私は思った。

ありがたいことに平和が72年も続いてきたので、やっぱり日本人は呆けてる んだ。

非常に想像力がある映画作家でも、戦車隊が移動できるスペースが日本にあるかどうかまで考えることはできなかった(わかっていても目をつぶったのかも)。

政治家の家で生まれて育った首相でも、のん気に防衛大臣と同じ飛行機に乗る。

のん気過ぎるわ。

平和が続いたという最高の恩寵は、恩寵だけでは終わらない。

戦争の代償もあるが、平和の代償もある。

頭が悪くなるという代償が。

 

(追記)

首相はじめ閣僚が同じヘリコプターに乗ったのは、Facebook友だちの岡山在住の女性によると、「日本の閣僚は誰でも勤まる。首相の代わりは誰でもできる」という意味が込められているんだそーです。なるほど……

これもFacebook友だちの方からの情報ですが、日本の幹線道路は戦車対応だそーです。つまり、戦車隊を基地から動かすために、他の車両は通行止めにしたんでしょうね〜〜〜

 

『ゴジラ』の起源は田河水泡『のらくろ』だった!?

本日は、2016年12月12日月曜日だった。

本日はくたびれはてて、ついでに歯痛と眩暈でへばっていた。

歯が痛いつーのは、何ともならんなああ……

昨日は 名古屋で大学院時代の指導教授だったアメリカ人神父、御歳78歳の恩師を囲む会に出席するために、ほんとに久しぶりに母校の南山大学(Catholic University of Nagoya)に出かけた。

南山大学は、ドイツのカトリック修道会の神言会設立である。アジア侵略の尖兵だったイエズス会とは関係ない。

南山大学の同窓会事務局は、名誉教授対象に年に1度か2度ほど、「ダレソレ先生を囲む会」を開催している。

同窓会事務局によると、大学の会報で会についてアナウンスしても、ほんの少数しか卒業生が集まらない名誉教授もいる。

しかし、私の恩師のドイツ系アメリカ人神父を囲む会は、最多数の45名ほどの卒業生が東京や九州から集まった。

まあ、この神父さんは、お若い頃はハリウッド映画俳優顔負けの美男子だった。ほんと。

ついでに神父らしく実に温厚な方だ。ゆえに女子学生の 人気は高かった。

「囲む会」の出席者も、見事にほとんどオバハンばかりであった。

私のようなオバアサンも数名はいたな。

この神父さんのアメリカ文学のゼミに延べ8年間(修士3年&博士4年&研究生1年)ずっと出席していたおかげで、私はなんとか英語を聴くことや話すことに慣れた。外国語は話すよりも聴き取りが1番苦労する。

この神父さんは、アメリカ南部なまりの彼のゼミでの聴き取りや議論ができずに悩んでいる大学院の後輩に対して、「あのフジモリでさえ、最初はまるっきり英語はダメだったから、あんたも大丈夫。心配ない」と励ましていたそーだ。

で、あの、えらそーに大きな声で酷い英語をしゃべり散らかして恥知らずのフジモリでも、そんなもんだったのかと、後輩たちは大いに安堵したそーである。

昔から、私はろくでもないサンプルであった。


(やっぱ若作りしても、私は63歳だよなあ……神父さんは、相変わらず格好にこだわらない方である)

それはさておき、南山大学は私の名古屋の住居と徒歩15分か20分しか離れていない。そんなにご近所でも、行かないもんだ。

南山大学のキャンパスは、フランク・ロイド・ライトの弟子だったアントン・レイモンド設計なんで、美しい。レイモンド亡き後は、レイモンドの日本人弟子の事務所が設計建築にずっと関与している。

「ハウステンボスか桃山学院大学か」というほど、私の前の勤務先の桃山学院大学のキャンパスも美しい。しかし、南山大学のキャンパスは格別だ。ほんとよん。


(今は就職支援センターらしいけど、昔は大学院生研究棟だった。若き日の私の棲息場だった)

ところで、昨日、私は「大発見」をした!

年度中に退職してイラクに行った同僚から引き継いだ4年生男子学生3名のうちのひとりの卒業論文のテーマが「太平洋戦時下の『少年倶楽部』に表出された男性性」である。

最初から私のゼミ生であれば、こんなややこしいテーマは私は許さない。文献調べて整理したら書けるような類のテーマの方が楽に決まってるから。

だいたい、このテーマならば、太平洋戦時下の『少年倶楽部』だけ調べてもしかたない。

太平洋戦争前と戦後の記事も調べないと困る。比較検証できない。

『少年倶楽部』は1915年くらいに創刊されて、1946年に廃刊された雑誌だ。執筆陣が豪華だ。大正時代には、当時の文学博士とか法学士とか医学博士に理学博士に司法大臣に陸軍大将や陸軍大尉や海軍大尉が寄稿している。

一時期は旧制中学受験雑誌化したが、基本的には立身出世志向のエリートの卵養成少年雑誌だ。 

もしくは、そういうエリートの卵に憧れる少年の雑誌かな。

出版社は、「大日本雄弁会講談社」だ。今の講談社の前身。

佐藤紅緑や佐々木邦やサトーイチローが寄稿するようになったのは、昭和に入ってからだ。

ところが、当該学生は太平洋戦争時期の『少年倶楽部』の記事しか調べていなかった。

アホか、どーするねん。

もうこの時期に及んでは、東京の国立図書館に行って『少年倶楽部』の当時の現物を調べてコピー取ってる時間はない。

どーするねん。

と、私は、ついFacebook で愚痴った。

そしたら、畏友の国際安全保障研究者の松村昌廣氏が、「のらくろ」を読めばいいんじゃないかと提案してくれた。

「のらくろ」とは、1931年から41年まで、この雑誌に連載されていた田河水泡の漫画『のらくろ』のことだ。

孤児の野良犬が陸軍の「猛犬連隊」に入所して、ブルドッグ連隊長に可愛がられて、刻苦勉励し手柄をたて、二等兵から上等兵へ、軍曹から曹長になり、士官学校に入学させてもらって、最終試験に合格し、憧れの将官となり、小隊長 となり、ついには大尉に出世する物語だ。

この漫画は、勝ち戦であった日中戦争時代で終わっている。だから明るい。

この漫画と太平洋戦時下の記事とを比較すれば、なんとかなる。

ゼミ生の卒論は形がつく。

さいわいに復刻版全10巻は古書店で入手できる。8000円から1万円くらいで売ってる。

戦前に箱入りで単行本化されたものが、1970年代に復刻されて結構売れた。

当時は、戦前の『少年倶楽部』を読んで育った人々が、まだ大量に生き残っていたから。

ということで、急遽、私も『のらくろ』全10巻を古書店から取り寄せて読んでみた。

で、大発見!!

すごい発見だ!!

『のらくろ』全集の第5巻『のらくろ小隊長』に「古代の恐竜の生き残り」と戦うというエピソードがあった!

えええええええ?

漫画に描かれた恐竜は、まさしく私が愛するゴジラではないか! 

ゴジラだよおおおおおおおおおお〜〜〜!!

映画『ゴジラ』を監督した円谷英二氏は1901年生まれ。

のらくろ小隊長が恐竜の生き残りの怪獣と戦う漫画が掲載されたのは1935年くらい。昭和10年くらいだ。

円谷英二氏がゴジラを構想したのは、アメリカ映画の『キングコング』を見たからだというのが定説である。

1935年当時34歳の円谷英二氏が『少年倶楽部』の愛読者だったとは思えない。

それでも、1935年に人形アニメ作品『かぐや姫』を発表した新進気鋭の映画人であった円谷英二氏は、同年に瀬野光世氏によって製作されたアニメ『のらくろ二等兵』や『のらくろ一等兵』を見ていたに違いない。見なかったはずはない。

その後に単行本化された『のらくろ小隊長』を読んでいた可能性は大いにある。

戦後の円谷英二氏のゴジラ製作には、『のらくろ』がヒントを与えたのは確実だと思う。

私が知る限り、このことに言及した情報はないけれども、間違いない!

ということで、思いがけずに、私の永遠のアイドルのゴジラの起源に遭遇した12月の夜だった。

しかし……

ほんとに卒論指導はくたびれる。

ゼミ生の卒論製作の伴走は、7人もいるとくたびれる。

それでも、提出日の12月22日まで駆け抜けよう。

歯の痛みなんかに構ってはいられない。

『この世界の片隅に』に描かれる「気立ての良い人々」の気高さ

本日は2016年11月30日水曜日だ。

推薦入試の合否判定の臨時教授会が早く終わったので、3学期末試験の採点をするのもなんかなあ……と思い、福山駅前の「福山シネマモード」に行ってしまった。

午後3時5分から、確か『この世界の片隅に』が上映されるはずだと思い出してしまったから。

監督は片渕須直さん。原作は、こうの史代さんの漫画。音楽はコトリンゴ。

この映画は、すでに非常な評判作だ。

なんと、『シン・ゴジラ』や『君の名は。』を超える作品だという説もネットで見かけた。

ええ?そうなん?

で、やっと見た。

確かに『君の名は。』を超えてる。

はるかに超えてる。

しかし、『この世界の片隅に』を『シン・ゴジラ』と比較するのは、冒涜的な気がする。

どちらに対しても比較するのは失礼である。

世界観が違いすぎる。

正反対だ。

カトリックとプロテスタントぐらいに違う。

いや、カトリックと無神論ぐらいに違う。

舞台は、戦前戦時敗戦直後の呉市と広島市。

主人公は、広島市内の海苔作りが家業の平凡な家の長女のすず。兄と妹がいる。

すずは、19歳で話したこともない呉市の北條さんの家に嫁ぐ。

どういうわけか、そこの1人息子がすずを見初めたそうだ。

(どこで見初めたか、勘のいい観客ならすぐわかる)

北條さんところは、お父さんは呉軍港に努める軍属。お母さんは足がちょっと悪い。

1人息子で、すずの夫になる人も海軍に勤務しているが、軍人ではない。

この夫には姉がいる。この姉は独身の頃はモガ(モダンガール)で鳴らした近代風女性。

この姉は、広島市の繁華街にある大きな時計店の後継と恋愛結婚して、一男一女をもうけた。

しかし、その後継は早々と亡くなり、姉は後家さん(未亡人のこと)になった。

婚家先の時計店も強制疎開で閉店となり、婚家の両親は孫息子だけ連れて下関に行ってしまったので、姉は娘だけを連れて実家に出戻って来た。

ということで、すずの夫のお姉さんは、けっこうすずに当たりが強い。でも悪気はない。有能でいい人。ツンデレです。今風に言えば。

すずは、早朝から井戸の水汲み、炊事、洗濯、掃除に、畑の世話と休む間も無く家事に追われる。

すずは、苦にもせずにクルクルと不器用ながらもよく働く。

すずが、北條さんの家に嫁いだ頃から、だんだん戦局が厳しくなる。

昭和19年から20年と、呉市はたびたび空襲にあう。

昭和20年の7月の呉空襲はひときわ過酷だった。

すずは、広島市に帰りたくなる……

軍港のある呉は空襲にあうけれども、広島市なら安全だから……

これ以上は、ネタバレになるので書かない。

このアニメを見終わったとき、私は不覚にも涙が出てしかたなかった。

泣いたのは、戦争と庶民の暮らしとか、空襲の中で健気に強く生きる女たちとか、そういう文脈で心を動かされたのではない。

すずの生き方の「混じりっけのない気立ての良さ」に圧倒的な郷愁を感じたからだ。

このような「気立ての良さ」こそ、人間として最も尊い資質であるのに、この資質を豊かに持つことを現代日本人は恥じるようになって久しい。

現代において、「お人好し」は、褒め言葉ではない。

それは「他人に社会に国に騙される頭の悪さ」の同義語になってしまった。

「気立てが良い」のは、ヒロインのすずばかりではない。

登場する人々が、すべて「気立てが良い」。

意地悪な人間は誰も登場しない。

みな善意で単純で正直だ。

素朴な愛情を素直に発揮する。

すずの夫もすずへの愛情を隠したりしない。

照れたり、カッコつけたりするような気の小さい男じゃない。

手練手管とか陰謀とか権謀術数なんかのない世界。

意地が悪いのは、憲兵くらいなもんだ。

その憲兵だって、単純すぎて憎めないアホさ加減だ。

私は、ヒロインのすずの「気立ての良さ」に思い出した。

アナトール・フランスの短編小説「聖母の軽業師」を。

サーカスの薄らボンヤリした軽業師が、毎晩こっそり教会のマリア像に会いに行く。

で、マリア像の前でせっせと軽業をしてる。

「なに、あいつはやってんのかね……」とサーカスの仲間たちは、冷笑してる。

「俺ができることは他に何もないから。マリア様にして差し上げることが他に何もないから」と、その貧しい無知な軽業師は言う。

ある晩、仲間の1人が、軽業師が何をしているか覗いたら、彼は今夜も額に汗を流しながらマリア像の前で跳んだり跳ねたりしている。

ところが、仲間の1人は驚愕する。

台座の上で端正に黙っていた(あたりまえだけど)マリア像が、台座から降りて、軽業師の額の汗を拭っている!!

………

私は、この話が好きだ。

合理性だの主体性だの構築性だの自意識だの、近代的概念のいっさいが欠如した人間の真心。

純粋なる善意。

そのとき自分ができることをすることに躊躇しない大らかさ。

見栄も虚栄もなく他者と対する正直さ。

自分でない人間のふりをしない単純明快さ。

丸裸の真心でマリア像に対する卑しい孤児だった軽業師の気高さよ。

このアニメ『この世界の片隅に』を批判することは容易だ。

戦争を、こーいう風に描いちゃあかんやろ……と思う。

女をこういうふうに描くのは、もう消えてしまった美しいものへの挽歌でしかない……と思う。

だけれども、私の心の奥に憧れが潜んでいる。

地方に生まれ、同じく地方の顔もよく知らない男の元に嫁ぎ、婚家先の家族と暮らしを共にし、家事に明け暮れ、子どもをいっぱい産み育てて、いつしか婚家先の家族に馴染み、義理の両親や兄弟姉妹に信頼され、老人を見送り、近隣地域に根を生やし、働いて働いて死んでゆく女性の生涯というものに。

そのような女の一生など、近代的価値観からすれば、アホみたいだ。

でも、なんと気高い人生だろう。

なんと強靭で勇気に満ちた人生だろう。

「近代的女」や「フェミニスト」が束になってかかっても、このような女性にはかなわない。

ヒロインのすずの声を担当する「のん」という声優さんの発声が、また、その気高い平凡な女性の人生の輝きを、よく表現している。

いやーもう泣かされちゃったなあ!

(追記)  声優の「のん」さんは、女優の能年玲奈さんだそーですね。

沖田修一監督の作品に描かれる緩い日本人庶民は真のリバータリアン?

この週末、amazonビデオで沖田修一(1977-)監督の『キツツキと雨』(2012)とか『南極料理人』(2009)とか『モヒカン故郷に帰る』(2016)を観た。

どれも、とても面白かった。私にとっては新鮮だった。

何が新鮮かというと、ほんとに地方の普通の日本人の庶民の暮らしの細部がリアルに描かれていたから。

その細部が醸し出すユーモアと微かな哀感と幸福感。

うわあ。

こういう才能があるんだ!

うわあ。

確かに、私たち庶民の人生って、こういうもんだなあ。

うわあ。

これは発見! めっけもんだ!

庶民を主人公にした映画というのは多い。

だけれども、「庶民の哀感を描く映画」というのも、木下恵介監督の映画のごとく、小津安二郎監督の映画のごとく、あくまでも作り物の映画であって、どこか水彩画のような風景画のような趣であった。

あそこに描かれていたのは、浮世絵みたいな近代日本であった。

ともあれ、私は、ある時期くらいから日本映画は見なくなった。

観るとしても、黒澤明とか溝口健二とか、庶民の日常を描くのではなく、歴史系物語系映画であった。

20代から60代にわたる40年間ほどを私は洋画、つまりアメリカ映画ばかり観てきた。

映画というのは、私にとっては、すでにしてアメリカ映画がデフォルトになっていた。

ところが、夏に『シン・ゴジラ』に出会って以来、それまでの私としては異例なほどに、映画館に通った。

でもって、映画館では予告編というのを何本も何本も紹介する。

で、私が思ったのは、「えええ?こんなに日本映画って多く作られているの?」ということだった。

それから、シネコンに上映作品と上映時間が掲示されるデジタルボードがあるでしょう。

あれ見てると、日本映画も多い。

で、けっこう客が入っている。

ここは日本なんだから日本映画が多いのは当たり前のはずだけれども、私にとっては意外だった。

日本映画なんて、つまらんのに、誰が観るんだ?という気分だった。

予告を観ても、なんかくっだらない感じの恋愛映画とか、けち臭い感じの犯罪映画とか、どうでもいい感じの家族もの映画の感じだった。

なんか相変わらず「箱庭」だなああ……

最近の日本人は「字幕」というものをサッと読みつつ映画を鑑賞するということができなくなっている人々が多いらしい。

洋画も「吹き替え版」というのが「字幕版」と同時に上映されている。

俳優は声も命なんで、吹き替え版なんて無意味だろう〜〜

ということで、洋画も吹き替え版で観てるようでは、退屈なテーマの小さい日本映画が受けているようでは、ダメですね〜〜というのが私の姿勢だった。

上から目線?

私は上から目線に決まってる。

ところが、10月22日土曜日に福山駅前のシネマモードという映画館で開催されたShort Movie Party 2016に行って、私の心に日本映画に対する変化が生まれた。

このシネマモードという映画館は福山で唯一、映画文化のためにいろいろな企画を提供している映画館である。俳優とか監督が舞台挨拶に来る映画館である。

このシネマモードのディレクターの岩本さんという方は、福山の良質の映画愛好者たちの要となる人物である。

私は、お姿をお見かけするだけで、ご挨拶したこともないけれども。

あーた、福山だからって馬鹿にしちゃいけないんよ!!

文化人も知識人も芸術家もいるんだからね!!

馬鹿っぽいのは、福山市役所だけなんだからね!!

Short Movie Party 2016においては、地元福山のアマチュア映画監督たちの短編映画14本が披露された。

福山大学や、我が福山市立大学の学生の自主制作映画も披露された。

今は、スマホやiPadでも映画は制作できるそうだ。

『シン・ゴジラ』でも蒲田にゴジラが侵入して逃げ惑う人々とか、タバ作戦の戦車部隊の戦闘シーンとかは、スマホで撮影されたらしいよ。

imovieとかいうソフトがあれば、編集もアフレコもできるそうだ。音楽も入れられるそうだ。

デジタル化が進んで、映画制作の本数はすっごく伸びているそうだ。

日本映画だけでも年間700本は制作されているそうだ。

700本というのは、プロの映画監督の作品ですよ。

アマチュアの作品を入れたら、いかほどの作品が作られていることか。

そのShort Movie Party 2016の全14作品の中でも、福山市立大学の学生たちの作品は、Best 3 に入る佳作だったよ、ほんと。

映像が映画になっていた。

映像が映画に見えるって、稀有なことだ。

俳優も福山市立大学の学生ばかりであったけれども、「演技が自然に見えるような高度な演技」であった。

感心した。脚本もカメラも監督も俳優も、うちの学生だ。

監督は教育学部の美人女子学生だ。すごい。

ひょっとしたら、福山市立大学はプロの女性映画監督を生むかもしれない。

確かに「才能」というものを感じさせる作品だった。

それはさておいて、そのShort Movie Party 2016 という催しのゲストで呼ばれて14作品の講評をしたのが、「沖田修一」監督だった。

その前に、この監督の短編映画も3本上映された。

私は、それまでこの監督については知らなかった。

だいたいが日本映画はほとんど見ないんだから、最近の日本映画の監督について知るはずない。

で、私は驚いたんよ。

その監督の「緩さ」に。

普通は、プロの映画監督として、こういうアマチュア映画作品のショーに招待されたら、ひとつひとつの作品のいいところを強調しつつ指摘して、ちょっと建設的な意見を提供する。こうしたら、もっといいですね!的コメントをする。

ところが、この沖田修一監督は、非常にテキトーであった。

が、非常に温かかった。

怠惰とか不真面目というのではない。

仕事だから地方に来ました〜〜これも営業です〜〜という感じでもない。

「別にいいんじゃない〜?映画が好きなら好きなように作ればああ?」のノリであった。

評価しない。

点数つけるみたいなことしない。

勝ち負けなんか明示しない。

批判しない。

テキトーに肯定的感想を緩く言うだけ。

別に批判してもしかたないしね。

プロの映画監督になれる人間は、ほっておいてもなる。

プロの映画監督になれない人に、「あなたはプロにはなれません」と言う必要ない。

グジャグジャ賢しらにものを言う必要はない。

結果は出るものだよ。

それにプロの映画監督になれなくてもいい。

自分の人生をちゃんと走り続ければ歩き続ければいい。

私は、実物のナマのプロの「映画監督」を観るというのは、初めてではなかったけれども、その「緩さ」は意外だった。

「映画監督」というのは、作家や漫画家とは違う。

前提として集団作業の親方が「映画監督」だ。

だから、集団作業がうまく進行するように、集団の成員がみな気持ちよく仕事できるようにするのも、監督の仕事なんだろう。

だから、こーいう「緩さ」の方が、柔よく剛を制すのだろう。

撮影現場をピリピリ緊張させて、スタッフを怒鳴りつけるやり方は、理不尽がデフォルトであった昔の日本ならば通用したけれども、今の若い人ばかりの日本では通用しないだろう。

政治や経済や社会は、はっきり言って今だって「理不尽なる戦国時代」だ。セクハラにパワハラにモラハラは当然が世界の実相だ。

でも、平和が続いた普通の日本人社会では、もうそんな「理不尽さ」は通用しない。

緩い優しさを保持したまま何かを達成することもできるはずだ。

それが、ほんとうは人類の進化だ。

私は、この「緩さいっぱい」の沖田修一監督のありように「進化した人類」を感じた。

だから、沖田修一監督の作品をまずは観てみようと思った。

で、観た。3本。

特に感心したのが、『キツツキと雨』とか『モヒカン故郷に帰る』だ。

主人公たちの住居など、田舎だろうが都会だろうが、ゴチャゴチャ物が置かれていて、片付いてなくて、住居というより「寝ぐら」だ。

こーいう「寝ぐら」に趣味なんてものはない。

悪趣味は、まだ趣味のうちだ。ライフスタイルだ。

でも、その「寝ぐら」には、テレビだってパソコンだって仏壇だってベッドだってソファだってちゃんとある。

真に快適な場所なのだ、「寝ぐら」というのは。

その「寝ぐら」丸出しのゴチャゴチャした暮らしの中で、登場人物が食事する姿も、またむき出しにリアルだ。

お行儀とかマナーとか関係なく、喰らう。

添加物いっぱいのウインナーを味付け海苔で丸めて、ご飯の上に乗せて喰らう。

美味ければいいんだよ。

缶詰の鮭フレークの中身をガバッとご飯の上に乗せて喰らう。

口を茶碗に持って行って、背中丸めて喰らう。

おかずが不味ければ何も言わずに各種の「ふりかけ」をご飯の上にかけて喰らう。

それでいいんよ。

いわゆるイケメンやアイドルの若い俳優さんが、気取りもカッコつけもなく、飯を喰らう。

物がゴチャゴチャ置かれた居間の冴えないソファの上で、いぎたなく眠りこける。

いわゆるイケメンやアイドルの軽薄さが消えて、演技力も何もない俳優から、現代日本に棲息する庶民の若い日本人の健気さが滲み出す。

すごい。

映画には、特別なスペシャルな異常な事件が起きるわけではない。

家出していた息子は母親の三回忌の法事の前日には帰ってきて黙って部屋を片付け掃除して、父親の喪服を出しておく。

癌の末期の呆けちゃった父親をテキトーに世話する家族たちのテンションの低い日常の描写。

緩いんだけど、ちゃんと生きてる。

ちゃんと自力で生きている。

平凡以下っぽい片付かない人生をそのまんま受け止めて、時にドタバタしつつも、毎日のご飯を美味しく食べて生きて行く。

うわああ〜〜

こーいう映画って、アホみたいに見えて稀有だよ〜〜〜

『シン・ゴジラ』もいいけどさ、ああいう大きなテーマは超最高だけどさ、

『キツツキと雨』も『モヒカン故郷に帰る』も、すっごくいい。

世界は戦国時代だ。理不尽と暴力と陰謀が渦巻いている。

でも、庶民の暮らしは、こうよね。

経済破綻だろうが、預金封鎖だろうが、第三次世界大戦だろうが、天変地異だろうが、庶民の暮らしは、こういうもんよ。

草の根の庶民って、こういうもんよ。

誰の責任にもせずに、自分の人生を引き受けて受け容れて生きる。

ほんとうのリバータリアンは、もともとがリバータリアンだから、リバータリアニズムなんて意識もしないのかも。

沖田修一監督は、実はほんとのリバータリアンかもね〜〜

あの「緩さ」は、ただもんじゃない!!

神は細部に宿る『シン・ゴジラ』

『シン・ゴジラ』を観た方々は、すでにお気づきになったでしょう。

あの映画の神道的想像力は、「ヤシオリ作戦」や「アメノハバキリ部隊」だけに現れていない。

『シン・ゴジラ』の神道的想像力は細部に宿っている。

あの映画には、首相官邸がよく舞台として使われている。

だから、総理執務室も出てくる。

内閣官房長官執務室も出てくる。

内閣官房副長官(政務担当)室も出てくる。

それらの執務室のデスクの背後のカウンターには、みな「天照皇大神」のお札が立てかけられている。

大河内総理執務室のデスクの背後のカウンターの「天照皇大神」のお札は、数回ほど画面に出たが、微妙に位置が移動していた。

総理大臣はゴジラ騒ぎの最中にお札を手にしてお祈りでもしたのかな。

日本をお守りくださいって祈ったのかな。

それとも、小道具の記録係の人の記憶の混乱から生じたのかな。

こういうことは、わりとある。

コップに水が半分くらいしかはいってないのがテーブルの上に置いてあったのに、次の場面では、その水がコップに8割ぐらい入ってるとか。

ベッドサイドのテーブルに置かれた物が変わってるとか。

私は、そーいう細かいところを見るのが好きだ。

1972年に放映されていた『木枯らし紋次郎』なんて、チャンバラやってる田んぼの向こうに鉄塔が映ってた。

ゴジラの熱戦攻撃で総理とともに亡くなった官房長官執務室のデスク背後のカウンターは一度しか場面に出なかったので、「天照皇大神」のお札の位置は移動せず。

矢口蘭堂こと内閣官房副長官の執務室は数度出てきたけれど、こちらもお札の移動はなかった。

ただし、蘭堂さんは、「天照皇大神」のお札だけではなく、なんか別のお札も並べて飾ってた。

おそらく選出県の地元の氏神様のお札なんかな。

ネット検索してみると、蘭堂さんは「山口県」選出である。

ここで、「なんだ安倍さんかよ」とか「田布施システムかよ」と突っ込んではいけない。

山口県というのは、総監督・編集・脚本の庵野秀明氏の出身地なのだ。

山口県で由緒正しい神社ってどこなんかな?

「周防一の宮玉祖神社」かな。

「松陰神社」ってのもあるらしいが。

ああいうテロリストの神社ではないような気がする。

ともかく、無造作にさり気なく主要登場人物の執務室には神札が飾られている。

「神棚」はない。

当然だ。

日本は政教分離なんだから、公職に就いている人間の公職のオフィスに神棚は置けない。

でも、神札ならいいんかな。

これ、実際の議員会館の国会議員のオフィスなんかにも、「天照皇大神」とか地元の氏神様のお札が飾られているのだろうか?

『シン・ゴジラ』の神道的なるものへの嗜好は、他にもドサクサに紛れて見つけられる。

第二形態ゴジラの「蒲田くん」が、進化して直立して「品川くん」になったとき。

あのとき、人々が避難した先は「品川神社」だ。

1187年(文治3年)建立の神社。

御祭神は、素戔鳴尊(スサノオノミコト)と、天比理乃ナンタラという神様と、宇賀乃ナンタラという神様。

東海七福神のひとつで大黒天も祀ってるそーだ。

ゴジラ第四形態の「鎌倉くん」を迎え撃つ自衛隊戦車部隊が陣を張ったのが多摩川河川敷で、作戦部隊の本部が設置されたのが、「多摩浅間神社」だ。

タマセンゲンジンジャね。

ほら、あの「タバ作戦」の。

多摩川をはさんで、ゴジラを自衛隊の戦車タイガーが攻撃する作戦。

ほら、あのピエール瀧扮する西郷タバ戦闘団長が、作戦失敗したときに、部下に言うでしょう。

「気落ち不要!攻撃ばかりが華じゃない」って。

あの台詞すっごく良かったですねえ!

気落ち不要!!

あの「多摩浅間神社」は、東京都大田区田園調布にあるんだって。

デンエンチョーフだよ。

多摩浅間神社は、木花咲耶姫命(コノハナサクヤヒメノミコト)をお祭りしてる。

創建は鎌倉時代初期らしい。

「タバ作戦」は、なんで「タバ作戦」なんだろ?

多摩川の古い古い呼び方は「タバ」だったそうだ。

なんだ、それ。

なんちゅうオタクな……

あの神社は是非とも行かねば。

「聖地巡礼」せねば。

そういえば、鎌倉って、庵野秀明氏と奥様の安野モヨコ氏が家を買ったとこだよね。

ということは、この大田区とかにも庵野氏は住んでらしたのかな?

品川にも、住んでらしたのかな?

なんで、また今頃になって『シン・ゴジラ』かだって?

昨日10月20日は午後7時から、福山駅近くの映画館で『シン・ゴジラ』の「激音上映」というのがあったんよ。

「発声可能上映」というのは聞いたことある。

でも、「激音上映」というのは聞いたことない。

激音だから、すごい高性能のスピーカー使って、音が生々しくすごいんじゃないかな?

ゴジラの足音なんかが凄いんじゃないかな?

と思って、仕事が終わってからテキトーに胡桃パンを3個食ってから、映画館に行った。

映画館に行ったら、意外にもお客さんが多かった。

駅前の映画館は私もたまに行くが、こんなにお客さんがいるのは珍しい。

けっこうな人気作品でもお客さん10人くらいって、ザラだもの。

みな、福山駅近辺ではなく、駐車場の広いシネコン系に行くから。

お客さんの年齢層は中年が多い。

若くても30代最初くらい。

大学生らしいのはいなかった。

ああ、いた。

私の4年生ゼミ生がいた。

イラクの復興支援でバグダッドに派遣されて、休職して行こうと思ったら退職することになってしまった優秀な女性の同僚のゼミ生で、3学期から私のゼミに流入してきた3人の男子学生のひとりが、いた。

彼は、「太平洋戦争期の青少年雑誌のジェンダー研究」が卒論のテーマだ。もう1人の学生のテーマは「人工知能による人間総失業時代の到来」について。もう1人は、「新しい戦争形態」についてだ。すべて私の好きなテーマだわん。

それはさておき、8回目『シン・ゴジラ』は、やはり良かった。

よくぞ、こんな凄い作品を作ることができたなあ……とあらためて感心した。

「終」の字がスクリーンに映し出されたとき、やっぱり私は拍手した。

そしたら、他の観客の方々も盛大に拍手した!!!

長い長い拍手に包まれた『シン・ゴジラ』。

いやああ……幸せな120分でした。

でも不思議だったのは、なんも「激音」ではなかったこと。

普通の上映だったこと。

????

「激音上映」というのは、「発声可能上映」のことだと、facebook友だちの方に教えてもらった。

なんだあ……

だったら大騒ぎしたのに。

観客のみなさん、誰も大声なんかあげていなかった。

コスプレもしていなかった。

知らなかった……

ところでですねえ、私が毎日読んでる(毎日更新されてるから)某神道系霊能者のBlogにですねえ、

『シン・ゴジラ』のことを予言映画だと書いておられた。

あの映画は、偶然に製作されたように見えて、神意によって生み出された国策(国魂)映画だと書いておられた。

駿河湾を震源とする地震が起きたら、東京湾からの水が東京都内の河川に流れ込み、川が氾濫する可能性があるって。

川が氾濫して自動車が押し流されて凶器になるって。

予言は教えてくれているのだから、想定して、それに備えておけば最悪の事態は回避できるって。

おろおろと不安と心配を抱えつつ、それでも淡々と状況を受け入れつつ備えて歩き続ける姿勢が大事らしいです。

そういえば、本日10月21日午後2時頃かな、福山にも地震があった。

震度4。

鳥取は震度6。

午後9時くらいでも、かすかな余震を感じる。

うーん、日本列島の地龍さんは、中国地方と山陰地方をお散歩しているようだ。

目に見えないゴジラさんは地下にもぐり、どこに移動しているのか?

「神ゴジラ」は、お怒りだろうなあ……

すみません。だらしのない生き方してます。

「神ゴジラ」に踏み潰されても、しかたないなあ……私は。

上も下もダメ『ジェイソン・ボーン』の孤愁

『ボーン・アイデンティティ』(The Bourne Identity)は、2002年に発表された。

『ボーン・スプレマシー』(The Bourne Supremacy)は、2004年に発表された。

『ボーン・アルティメイタム』(The Bourne Ultimatum)は、2007年に発表された。

以上は「ボーン三部作」と呼ばれ、監督はみなポール・グリーングラス(Paul Greenglass: 1955-)だ。

イギリス生まれのケンブリッジ大学出。

ハリウッド映画でいい作品を作っているのは、外国人監督が多いね〜〜ドイツ人のローランド・エメリッヒ(Roland  Emmerich:1955-)とか、イギリス人のクリストファー・ノーラン(Christopher Nolan:1970-)とか。

「ボーン三部作」のあとに、2012年に『ボーン・レガシー』( The Bourne Legacy) が発表されてる。

けど、これは監督が違う。

主人公のジェイソン・ボーン(Jason  Bourne)は登場しないです。

2002年頃というのは、世界の事情に疎い私のようなアホ平和ボケ無知日本人ですら、以下のことを知るようになった時期だ。

CIA (アメリカ中央情報局)というのは、アメリカ合衆国の国益のためにならない(とCIAが判断した)政治家や外国の要人を暗殺はするわ、弱みを掴んで操作利用するわ、エージェント(スパイ)を世界中に潜伏させるわ、いろいろやってきた機関であるとか。

CIAの活動資金は税金だけでは足りないので、南米で麻薬のコカインを製造させて、売りさばいてきたとか。

まあ、麻薬売って稼ぐのは、満州の関東軍もやってたし。

親米政権を倒すような政権が属国に出てくると、CIAは、エージェントを使ってクーデターを起こしてきたとか。

インドネシアのスカルノ政権潰しとかさあ。スカルノは、デビ夫人のご主人ですね〜〜〜

いうこと聞かない国を経済的に破綻させるということもしてきた。エコノミック・ヒットマンですね〜〜〜

公的機関の文書は国会図書館に保管され、一定の時間が過ぎれば、必ず公開されることが法的に決まっていて、それはCIAも例外ではないということになっていて、それでばれたのが、日本でも岸信介や読売新聞の正力松太郎が、CIAのエージェントであったという事実。

日本人でさえ、そういうことを知るようになってきたということは、アメリカ人なら、先刻ご承知。

CIAの超一級エージェントで暗殺マシーンだったが、CIAのありように不審を抱き一匹狼になるジェイソン・ボーンの物語は、アクション映画の形をとったCIA風刺批判映画だ。

「ボーン三部作」の面白さは、いろいろある。

記憶を失ってしまったボーンが、自分が何者であるのかを含んだ事実を追求していくプロセスとか、アクションの無茶苦茶に高い水準とか。ボーンが移動していく各国の風景とか。

私にとって、何よりも驚いたのが、CIAがターゲットを定めた時の探索手段のハイテックぶりだった。

CIAという政府の諜報機関による監視体制の凄さだ。

固定電話に携帯電話にインターネットに電子メイルに、ファイル転送に、メッセンジャーに、ビデオ会議にSkypeとか、すべての通信が傍受されている。

傍受された何百億という通信の中に、「ジェイソン・ボーン」という言葉がひとつでもあれば、ボーンの居場所は判明する。

何百億でっせ……

1000億に近いデータ数だろうなあ、きっと。

街角や駅構内の監視カメラが設置されていれば、どんな群衆の中からでもターゲットを見つけ出す。

プライバシーなど実はなんもない。

別にCIAから足抜けしなくたって、もう我々のプライバシーなんて、ないのも同然なんだよね。

その種の情報を教えてくれる映画は、それまでにもあった。

でも、この「ボーン三部作」は、決定的に、もう逃れようのないシステムに閉じ込められている人々を描いて秀逸だった。

「へええ〜〜今の世の中は、こうなっているのかああ〜〜!」と、あの映画はいろいろ教えてくれた。

私は、ボーンを演じるマット・デイモン(Matt Damon: 1970-)のファンだ。

なんでか?

理由はないです。ただ好きなだけです。

どっちかというと普通の平凡なインテリ男性の役が似合うイメージの男優が、意外にもものすごいスパイで暗殺者を演じるというので、期待もせずに観に行った映画が、『ボーン・アイデンティティ』だった。

これが最高だった!!

CIAから追われてユーラシア大陸を股にかける主人公の哀愁と、展開の速度と、アクションの無茶苦茶ぶり。

パスポートはいくつもあって、何ヶ国語も話せて、(コカイン販売によって得られた)活動資金は潤沢で。

CIA 資源を駆使してCIAから逃げるジェイソン・ボーン!!

「ボーン三部作」の最後の『ボーン・アルティメイタム』など、これ以上のアクション映画は作られないんじゃないかなあ!とため息つくような傑作だった。

で、あのジェイソン・ボーンが帰ってきた。

9年ぶりに帰ってきた。

30歳そこそこだったマット・デイモンさんも、渋い中年になってきました〜〜〜♫♫

Mobyの歌う主題歌Extreme Ways とともに〜〜〜♫♫

嬉しいなあ〜〜〜♫♫

いそいそと会いに行くに決まってますがな。

あれから9年。

もう中央アジアの奥地で、身体張ってストリート・ファイトで食っていくしかない状態のボーンです。

この9年間の間に変わったのは、ほんとうにアメリカ政府が「プリズム」(Prism)という盗聴監視システムを展開したということだ。2007年にね。

このプリズムを暴露したのが、エドワード・スノーデン(Edward Snowden:1983-)だった。

彼は、CIAとNSA(国家安全保障局)で働き、通信情報傍受活動に従事していた。

でもって、「いくらなんでも、こんなことやってはいかんだろーー!!」ということで、ジャーナリストに接触し、内部告発した。2013年のことだ。

世界中の大新聞が報道して、各国の要人の電話傍受ばかりでなく、自国の市民生活までコソコソと聴きまくるアメリカ政府による盗聴は人々が知ることとなった。

といっても、だからといって、アメリカ政府はプリズム・システムを破壊などせんよ。

安全保障上は必要なことなんだし。

サイバー戦争の時代だし。

ハッカーは跋扈してるし。

スパイはいっぱいだし。

ところで、スノーデンさんは今どこに?

ロシアに匿われているのかなあ?

それはさておき、21世紀になってから、インターネットによって、IT技術によって、ますますもって世界は緊密に結びつくようになった。

同時に、それらの技術によって、盗聴監視システムによって市民の自由とプライバシーが消えていくことにもなった。

9年ぶりの、(おそらくボーン・シリーズ最終作であろう)新作『ジェイソン・ボーン』の裏テーマは、これなんよ。

民間のソーシャルネットワークからデータを取得することによる、より完璧な監視体制を構築しようとするCIA(と政府とその背後にいる超特権層)のありようがテーマなんよ。

アップルやマイクロソフトや、グーグルやヤフーやフェイスブックは、関与を否定しているが、おそらくこれらの大会社は政府の監視体制に協力している。

映画の中にも、スタンフォード大学出のインド系らしき青年IT実業家で、Deep Dream という世界最大のSNS のCEOが登場する。

このDeep Dream にCIA長官は目をつける。

最初は抵抗していたCEOも暗殺の危機にあい、CIAにDeep Dream のデータ提供を同意する。

これで、CIAは、Deep Dreamを使って、どんな情報操作もできる。

もちろん、ユーザーのデータはダダ漏れだ。

「アラブの春」は、Facebookによって実現されたとか言われたけど、書き込んでたのは、アメリカのエージェントたちだったように。

旧弊な、昔ながらの共同謀議派のCIA 長官のやり方に疑問を感じた若い幹部候補生の女性CIA局員は、「新しいCIAを作ろう」とボーンに接近する。

彼女は、Deep DreamのCEOとスタンフォードで同窓だ。

おお! CIAも変わるのか?!真の国益を考える組織に変わるのか?

若い人々による新生アメリカが!?

自由なアメリカが再生するのか!?

と思いきや、狙撃されてビビって、コロッとユーザーを裏切ることに同意するDeep Dream のCEOと同じく、彼女も旧弊なCIA長官と同じだった……

ということで、ジェイソン・ボーンにとっては、上の世代は権力欲丸出しでアホ、下の世代も軽薄でカッコつけるだけで根性なしのアホ。

今回のジェイソン・ボーンには、会社の重役たちもアホ、若い社員もアホで、上と下に挟まれる良識ある中年の孤愁が漂っておりました!

確かにねえ……組織というのは、上も下もねえ……

かくして、ジョージ・オーウェル(George Orwell)の『1984』で、すべての国民を監視しているBig Brotherは、現代ではSNSでもある時代に、我々は生きているわけであります〜〜

自由に交流しているつもりでも、しっかり見張られている私たち。

Deep Dreamとはうまく言ったもんですねえ。

現実を生きているつもりで、私たちは、支配層がメディアや学校などを通じて私たちにあてがう情報の中に生き、それが現実で事実だと疑わない。

まさに深い夢を生きている。

酔生夢死。

私は、1999年発表の映画『マトリックス』(The Matrix)のネオのように覚醒することができるのだろうか。

『シン・ゴジラ』と『君の名は。』をめぐる陰謀?

やっぱり書いておこう。

『君の名は。』大人気現象(に見えるもの)は、『シン・ゴジラ』潰しの陰謀によって作られたものである。

日本映画には稀有なシャープな傑作政治映画『シン・ゴジラ』のプレゼンスを希薄にするために、『君の名は。』人気は捏造されたんである。

『シン・ゴジラ』によって日本人が賢くならないように、今までどおりにお馬鹿なままでいるように、『君の名は。』鑑賞に日本人を誘導する企みがあるんである。

うわあ……

そんなことまでするとは……

存在しもしない「ヒラリー人気」ばかりを宣伝するアメリカのメディアと同じではないか!!!

うーむ。

まずいぞ、これは。

まあ、長期的に見れば、真実は知られるわけだから、いいんだけどさ。

でも、総監督・編集・脚本の庵野秀明氏は、世紀の傑作政治映画を作ってしまったがゆえに、これから映画作りを何者かたちによって、邪魔されるかもしれない……

うーむ。傑出した人には、苦難も多いんよね。それも栄光のうちなんよね。

ともかく『君の名は。』は、興行成績最高だそうだ。

『シン・ゴジラ』より、はるかに人気があるそうだ。

10月になって、私がよく行く名古屋郊外のシネコンでは、『シン・ゴジラ』は、もう1日に1度しか上映しなくなった。

ネット検索すると、その1度の上映に多くのお客が座席予約している。

ただし、上映する部屋はどんどん小さくなっている。

一方、『君の名は。』は、日に何度も上映されている。

しかも、あのシネコンでは1番大きい部屋だ。

ネット検索すると、ほぼ座席が埋まっている。

と言いつつ、私が予約したのは、さすらいの元CIAエージェントをマット・デイモンが演じる『ジェイソン・ボーン』だったけど。

『ジェイソン・ボーン』の話は次回にでも。

本日は、『君の名は。』の不自然なる人気について。

おそらく、あのアニメは、興行成績1番、観客動員数最高とかの報道により、観客が増えているのだろう。

TVでも、よく紹介されていた。

『君の名は。』の舞台の岐阜県の町が「聖所巡り」されているとかで。

私は、素直というかアホな人間だから、へ〜〜〜あの世紀の大傑作『シン・ゴジラ』より大ヒットしてるのかあ〜〜〜じゃあ観ておこうか……ということで、観に行った。

9月の某日に。

で、頭の中は疑問符でいっぱいになった。

なんで?????

なんで?????

なんで?????

確かに、そこそこ面白い。

音楽は凡庸だけど、まあ、こんなもんだろ。

映像は、とても綺麗だ。

テーマは、パラレルワールドもの。

このテーマは、うまく構成すれば、相当に面白い。

が、『君の名は。』の場合は、その組み立ては雑だった。

それでも、雰囲気はいいアニメだ。

笑える台詞も多い。

確かにヒットしても不思議ではない。

でも、大ヒットするようなもんかなあ?

興行成績1番になるほどの作品かなあ?

東京の男子高校生と岐阜県の山里の町の女子高校生が、互いに何の接点もないふたりが、遠く離れたふたりが、入れ替わる。

いわゆる1970年代末に大ヒットした尾道を舞台にした大林宣彦監督の快作映画『転校生』が元ネタだ。

この映画は最近もリメイクされたけれども、やはり『転校生』のヒロインは「小林聡美」でなければ!!!

男子高校生の身体に女子高校生の心が入る。

女子高校生の身体に男子高校生の心が入る。

ふたりは、だんだん、自分の心が入れ替わる時があることに気がつく。

自分が別人になっている夢を見ているのだと思ってたら、それは現実のことだった。

ところが、ある日、突然に、その入れ替わり現象が消える。

男子高校生の瀧(たき)は、記憶を頼りに、誰か見知らぬ少女と入れ替わって見た風景を描くことに熱中する。

ついには、その絵の風景を求めて、岐阜県に行く。

岐阜に行き、その絵を見せても、地元の人は知らないと言う。

唯一、その絵に反応した食堂の夫婦によると、それは3年前に巨大な隕石が落ちて壊滅した山里の町の風景だった。

彗星が地球に近づいているという報道はされていたが、想定外にその彗星がふたつに分裂して、片方が落下したのが、その町だった。

町は、ちょうど夏祭りの最中で、町の人々は湖のそばの神社に集まっていた。

その神社が直撃されたのだ。

だから、住民のほとんどが亡くなった。

今では、廃墟になっているその町を見て男子高校生の瀧は愕然とする。

じゃあ、僕が入れ替わっていたあの少女は幽霊なのか?

僕は、なぜ3年前に死んでいた少女と入れ替わったのか?

……というわけで、物語は途中までは、そこそこ面白かった。

が……だんだん、展開がアホらしくなった……

上映時間は1時間47分なのだけれども、もっと長く感じた。

冗長に感じられた。

映画が終わったら、サッサと席を立ちたかった。

でも、座席が埋まっている。

サッサと席を立っても、席を立たない人たちの前を通ることになる。

だから我慢してクレジットが終わり座席が明るくなるまで待つしかなかった。

『君の名は。』は、大人にとっては、1度見れば充分な作品だ。

『シン・ゴジラ』の観客はリピーターが多い。

大の大人が何度も観に行く。

何度も見たくなる作品だから。

30回観た人もいるぐらいだ。

私だって、毎日でも観たいぞ。

『シン・ゴジラ』は、見ないと生涯の損失だ。

それでも観客動員数は、『君の名は。』の方が多いらしい。

ほんまかいな。

不思議だ……

謎だ……

不自然だ……

私が、このアニメを観た時の他の観客の反応は微妙だった。

『シン・ゴジラ』のときは、座席に緊張感がみなぎっていた。

観客がスクリーンに引き込まれ夢中に集中していく空気が感じられた。

でも『君の名は。』の時は、そういう観客がスクリーンに心を奪われている感じがなかった。

感動しているようでもなかった。

はっきり言って、「すっごく面白いはずらしいけど、あれ?そうでもないような……」という空気だった。

まあ、何事も反応の薄いノリの悪い愛知県の観客だからかもしれない。

けれども、それでも、あの雰囲気は、絶対に「感動」ではなかった。

あれは、「戸惑い」だった。

「あれれ?すっごくいいらしいから来たんだけど……私が鈍いのかなあ?」的戸惑い。

いっしょに観た夫は居眠りしていた。

帰り道で、「もう〜〜時間損した」とブチブチ言っていた。

いや、ほんと、ごもっとも。

つき合わせてしまって、すみません。

まあ、若い子ならば、ああいうツイン・ソウル系恋愛物語に憧れるのもありだろう。

先日、授業の時に、40人くらいの英語のクラスで、『シン・ゴジラ』を観た学生は、たった3名。

一方、『君の名は。』を観た学生は20名ぐらいはいた。

お子ちゃまは、しかたないよ。

お子ちゃまは、アホだもん。

夢の中で入れ替わっていた恋人よおお〜〜〜♫

会えなくなって心に穴ができた〜〜〜♫

ずっと誰かを待っている気がする〜〜〜♫

やっと出会えたね〜〜〜♫

もう1人の私〜〜〜もう1人の僕〜〜〜♪♫

君の名は〜〜〜〜??♫♫

ここで「真知子」と言うと、年齢がばれます。

意味わかんない?

わからなくていいよ。

普通はさあ、ああいうアホ恋愛幻想ソウルメイト探索アニメは、一種のカルト・ムービーで終わるんよ。

脳の緩い類の若い子たちだけが観るカルト・ムービー。

大人が観て面白いものじゃない。

ソウルメイトなんかに出会わなくても幸せになれると大人は知っているから。

なのに……

なのに……

変だ……

『君の名は。』を私が観に行ったとき、観客は老若男女いた。

まったくもって不思議だ……

いくらなんでも、ああいう感じのお子ちゃま向きアニメが、「国民的人気」を獲得するはずがない。

いくらなんでも、今の日本人一般が、あれぐらいの水準の物語に感動するほど幼稚なはずない。

『攻殻機動隊』を産んだ日本だぞ。

『AKIRA』を産んだ日本だぞ。

『シン・ゴジラ』を産んだ日本だぞ。

日本人の知的劣化が激しく進行しているとは思えない。

で、結論。

『君の名は。』は、たまたま上映時期が『シン・ゴジラ』と重なっていたので、利用されちゃったのかも。

『シン・ゴジラ』の危険性を感じた勢力が、日本人を啓蒙覚醒させるパワーに危険を感じた勢力が、「庶民はクルクルパーでいいんだよ」ということで、『シン・ゴジラ』潰しのために、『君の名は。』 人気をでっち上げたのかも。

『君の名は。』の無料鑑賞券なんかも、こっそり大量に撒き散らしたのかも。

メディアを使って、『君の名は。』人気をやたら報道させたもかも。

聖地巡りをしているとかでTVニュースに取り上げられていた人々は、みな雇われた人たちかも。

そうとは知らない人々は、「へええ……そうかああ……じゃあ、見に行こうかあ?」ということで映画館に足を運ぶ。

かくして、『君の名は。』は大ヒット。

私も騙された。

騙されてしまった!!

くそ!

Shit!

陰謀に騙された。

大ヒットしているという報道に騙された。

あれならば、シニア料金1,100円も出すことなかった。

再来年にでも、Amazonビデオで無料(プライム会員は無料)で視聴すれば充分だった。

ああああ〜〜〜騙されちゃったあ!!

 

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『シン・ゴジラ』  はアジア市場でコケた?

世紀の大傑作『シン・ゴジラ』は、100国以上で上映される予定だそうだ。

だけど、今のところアジア諸国ではヒットしていないそーだ。

シンガポールでは、2週間しか上映されなかったとか。

…………………

無茶苦茶に面白くたって、1回ぐらい観ただけでは理解できなくて7回観に行った私からすれば、そんなもん当然かもね………と思う。

あれだけの台詞量を字幕でどうやって説明するんだ?

登場人物たちは、日本語でだって、相当に集中しなければ理解できないような内容のあることしか言ってない。

『シン・ゴジラ』は、登場人物たちが、ものすごく早口で台詞をしゃべると指摘されている。

それは2時間以内に収めなければいけない映画だから、俳優はなるたけ早口に台詞を言うことを監督から要求されたからだそうだ。

私は自分が早口なんで、他人の早口も聴き取れるんで、その点に関しては鈍感にも気がつかなかった。

タラタラ言われると苛々するタイプだからさあ。

会議なんか、早回ししたいもんね。

『シン・ゴジラ』には、日本映画によくある類の「思わせぶりに情感込めてタラタラダラダラ言ってもいいような言わなくてもいいような類の無内容なことを言い合ってる」シーンがない。

もう、これだけで稀有よ!!

議論大会、討論会みたいな日本映画って、ほんと稀有なんだぞ!!

頭を使ってる登場人物が出る日本映画なんて、滅多にないんだぞ!!

『シン・ゴジラ』は、日本映画にはほとんど皆無な知的刺激に満ち満ちた映画なんだぞ!!

それで狂喜乱舞した私であった。

狂喜乱舞〜〜〜〜♫♬

きょうきらんぶうう〜〜〜〜♫♬

その私でさえ、環境省の課長補佐で、東京3区壊滅後に課長代理になった(課長さん死んだのね……)尾頭ヒロミさんが言う科学的説明なんかは理解ができなかったんだぞ。

そんな映画を、外国人が理解できるはずない。

特に「ゴジラ」を見に来る類の観客は、知的な客ではない。

「ゴジラがド派手に街をぶっ壊す」ところが見たいんであってさ。

あんな「政治映画」期待もしていないんだからさ。

インテリが見に行く類の映画じゃないんよ、ゴジラ映画つーのは、もともとが。

私だって、「ゴジラがド派手に街をぶっ壊す」映画だろうと気楽に観に行って、仰天したんだからね。

子ども時代からの慣習なんよ。

ゴジラに会いに行くのは。

名古屋は伏見の東宝劇場(だったかなあ、今は移動したみたい)に父親に連れられて、ゴジラ映画見て、映画終了後は道路を挟んだ向かいのお鮨屋さん(「東寿司」だったかな)「鉄火丼」を食う。

これが、私のガキ時代の夏休みの大イヴェントだった。

1960年代初期の頃の庶民のガキにとって、お鮨屋さんで「鉄火丼」を食うというのは、もおおおお〜〜すっごい贅沢だったんだぞ。

昔は、お寿司はスーパーマーケットやコンビニで売っているものではなかった!!

実は、ここだけの話、『シン・ゴジラ』5回目を観に行ったとき、映画館の隣の席で、亡き父の気配を私は感じた。

「あ〜〜私があんまり騒ぐから、なんじゃなんじゃと思って観に来たんだなあ……」と思った。

霊の父と私とで、いっしょに映画を観たとよ、52年ぶりぐらいに。

ゴジラが生まれたのは1954年。

私が生まれたのは1953年。

ゴジラと私は幼馴染なんよ。

ということで、幼馴染に会いに行くつもりで、しかし、なんも期待せずに気楽に観に行ったら、なんと立派な崇高な男前のゴジラ………

ついでにバリバリの「政治映画」だったもんだから、もう〜〜

もう〜〜想定外に喜ばせちゃ、いやっ!!

ほんとに、いやっ!!

それはさておき。

そもそも「政治映画」というのは、外国人観客にとっては、きつい。

国によって政治事情が違うので、外国の政治映画は 、その政治事情に関する知識がないと、わからないし、楽しめない。

ハリウッド映画だって、ドンパチのしょうもないアクション映画に見えて、政治映画なんだぞ。

ハリウッド映画を作っている人々はインテリだからね。

パニック映画ですら、そこに政治的メッセージはあるわけよ。

映画評論の水準も高いしね。

アメリカ人批評家の黒澤明監督の『七人の侍』評には驚いたけど……

あの戦国末期映画は核戦争を意識しているって……

死んだ侍たちは、剣の闘いで死んだのではなく、銃で撃たれた。

あの銃は核兵器の暗喩だって……

だから、『七人の侍』は、冷戦映画だって……

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同じく黒澤明監督の『生きる』は、アメリカ人批評家からすると、「官僚制批判映画」なんだよ。バリバリ政治映画なんだよ。

ほら、ぬかるみになる公園を何とかしてくれと陳情する奥さんたちが役所をたらい回しにされるでしょう。

「役所仕事」批判の政治映画なんだよ、アメリカ人からすると。

それも、リバータリアン映画なんよ。ほんと。

かくも、政治映画というのは、政治風土の差によって受容のありようが違ってくる。

日本人は、政治映画を政治映画として認識するだけの感性が育成さない政治風土に生きてんじゃないの。

おそらく、他のアジアの国々も……

ここらあたりの問題については、まずは、副島隆彦氏の『ハリウッド映画で読む世界覇権国アメリカ』上下巻(講談社、2004)を読んでちょーらい。

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『ハリウッドで政治思想を読む』(メディアワークス、2000)とか、『副島隆彦の政治映画評論 ヨーロッパ映画編』(ビジネス社、2014)を読んでちょーらい。

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「なんで、あんなに会議ばっかりしてるの?」という反応も、外国人観客には多いそうだ。

会議ばっかり……というのが日本の社会と政治の「リアル」だもんなあ……

「老人が避難していないという理由で、なんで首相が自衛隊の攻撃を止めさせるの?老人2人の生命の方が、東京防衛より重いはずない」という反応も外国人観客には多いそうだ。

その感想はごもっとも。

しかし、「東京を守るために、老人2人を見殺しにしましょう」という政治的判断は、今の日本の「リアル」じゃないんだなあ……

胃瘻だの何だのと延命治療して、回復の見込みのない老人を無意味に長生きさせているのが、日本の現状だからなあ。

老人自体も、自分で点滴の管を引きちぎって「サッサと死なせろ!馬鹿!!」と家族や医者を怒鳴りつける気概はないしなあ。

還暦過ぎたら、もうなるたけ病院に行かないというのが、病院に行くと病気にされる…と思うのが、高齢者の教養ではないだろうか。

と、日本で言うと問題なんだよなあ……

「なんでヒロインと恋愛しない?」という感想も外国人観客に多いそうだ。

馬鹿なの?

なんで恋愛シーンが要るの?

日本人は草食化といいますか、人類としての進化を遂げつつありまして、恋愛なんかどうでもいいんだよ。

頭の悪い奴の暇つぶしだろ、恋愛って。

あ……すみません。

また本当のことを言ってしまいました……

ということで、今日も私の『シン・ゴジラ』慕情は高まり、心深くに潜行しております。

夏が過ぎ、台風も何回も来て、大雨にさらされ、秋になった……
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すみません、『シン・ゴジラ』 における愚民の諸相

昨日9月19日に7回目の『シン・ゴジラ』を観てきた。

三連休最後の日のレイトショーなのに、多くの観客がいた。

私は名古屋市内の映画館ではなく、わざわざ郊外のイオンのシネコンに行く。

混雑してないからね。

必ず席があるからね。

あそこなら、いざというときにも逃げることができる。

周囲が田んぼだもん。

名古屋駅前のミッドランド・ビルのシネコンだと、火災や地震が起きたら逃げるに逃げられんわ。

『シン・ゴジラ』は7月29日に封切りされたが、私が行く名古屋の郊外地のイオンのシネコンにおいては9月19日の観客が一番多かった。

というのは、どーいうこと?

新聞やTVなどの旧メディアは、『シン・ゴジラ』について沈黙を守っている。

取り上げても、野村萬斎がゴジラの動きをどうたらという程度のことしか言及しない。

あの映画の明らかなる政治的メッセージについては、絶対に触れない。

そのかわりに、某アニメ作品の大人気については、やたら取り上げる。

岐阜県の飛騨市がアニメの舞台だとかで「聖地」めぐりが流行っていると、やたら報道する。

という具合に旧メディアの扱いは不公平に冷淡であるのに、『シン・ゴジラ』人気は衰えていない。

どころか、実はジワジワと口コミで広がっているのではないか、『シン・ゴジラ』のすごさが。

だって、9月19日の段階で、あの観客動員ぶり。

おおおお……

日本人も旧メディアの評価ではなく、口コミを信じるようになった。

進歩だ。

ところで、今回は、『シン・ゴジラ』がはっきり描いている愚民の諸相というものについて、考察(?)する。

あの映画は、はっきりエリート主義よ。

「なんのかんのと言っても、頭が良くてガッツのある連中が頑張らんと困るでしょ」と言っている映画だ。

この映画には、どうにもお気楽で危機管理意識の欠落した一般ピープルの姿が風刺的に描かれている。

第一形態ゴジラが東京湾に出現してるときに、それを悠長にスマホで撮影している一般ピープルの皆様。

あんたら、何やってんの?

第二形態ゴジラ「蒲田君」が、東京湾から大田区の呑川に侵入して上陸してる姿を遠くのビルから眺めてスマホで撮影してる一般ピープルの皆様。

あんたら、何やってんの?

「蒲田君」が迫って来ているのだからサッサと逃げればいいのに、バックに着替えなんか詰めてる奥さん。

そのために一家はグズグズと逃げ遅れ、そこに第二形態ゴジラ「蒲田くん」がマンションをぶっ壊して一家は全滅。

すぐに取り出せる避難リュックぐらい前もって用意しておきなさいよ、もう。

手足が生えて直立した第三形態ゴジラ「品川君」を自衛隊が攻撃しようとしてるときに、近くの踏切をタラタラ渡っている老人ふたり。

お婆さんをおぶってタラタラ歩いているお爺さんは夫婦か?

それとも、老々介護の母と息子か。

どちらにしても、散歩してんじゃねーよ!!

あの段階のゴジラなら、まだ口から火を噴くこともできないし、背中から光線も発射できないし、身長も60メートルぐらいだから、自衛隊の攻撃で駆除できたかもしれない。

だとしたら、国連の安保理に東京を熱核攻撃すると決定させるみたいな事態は回避できたのかもしれない。

だけど、首相は「自衛隊の弾を国民に向けるわけにはいかない!」と言って自衛隊の攻撃を中止させた。

この首相の軽薄な「いい子ぶりっ子」と責任回避的姿勢と優柔不断ぶりは、実にリアル。

でもって、第三形態ゴジラの「品川君」が東京湾に戻り、小康状態になる東京。

普段と変わらないみたいに学校に通う小学生たち。

あのねえ……

あのさあ……

ちょっと考えてよ。

ああいう巨大不明生物が出現したら、たとえその生物が海に帰っても、あなたは東京にいますか?

日常生活に戻りますか?

気の利いた人間ならば、サッサと東京から、関東から、逃げるだろう。

仕事なんかほっぽりだしてさあ。

なんで、のん気に小学校に通ってるんだ、子どもたちは。

学校なんか行かんでいいわ!

出現した巨大不明生物は、また出てくる可能性があることぐらい誰でも予想がつくのに。

政府発表なんかあてにできるのか。

あてにできても、あてにしないのが庶民の気概である。

自分のことは自分で守るしかない。

サッサと自主避難せい!

まずは、この段階で大量の東京都民が、いち早く東京脱出するんじゃないの?

東京都民どころか、東京近辺の地域の人々も逃げるのが普通だ。

第四形態ゴジラが鎌倉に出現した時に、のんびりと鎌倉旅行していた人々は異常だ。

頭がおかしい。

のどかに走ってんじゃないよ、江ノ電!!

それから、各省庁から集められた「巨災対」のメンバーが不眠不休で仕事してるのに、官邸外で「ゴジラを倒せ」と騒いでいるデモ隊。

政府にああせい、こうせい、と騒ぎ要求することしかできない非力な一般ピープル。

そう騒ぐならば、お前らが自分たちで倒せ!

ほんとに、しょーもない暇人たちだな。

映画は、多国籍軍の熱核攻撃決定後の短期間に各地に避難疎開する360万人の人々を運ぶバスや大型ヘリコプターや船を映し出す。

その避難バスのおびただしい数のために、ニッチもサッチも行かない高速道路の絶望的な状態を、映画は映し出す。

不思議にも富裕層とかが空港に群がって日本脱出を図っているシーンはなかった。

ともかく、『シン・ゴジラ』に描かれる一般ピープルって、ものすっごくアホだ。

信じられないくらいに無用心で、あなた任せである。

まさに愚民だ。

お前らなんか、ゴジラに踏み潰されろ。

ということで、みなさま。

『シン・ゴジラ』は、我々一般庶民に教えているんでございます。

こーいう「のん気な愚民」やってちゃダメよって。

ちゃんと自分で考えて、自分で備えて、危機を回避しなさいって。

自分の身は自分で守りなさいよって。

「巨災対」みたいに、エリートたちが不眠不休で救ってくれるとは限らないんだからね。

あんなに整然と避難なんかできやしないんだからね。