虫歯は削っちゃダメ!食後に歯は磨いちゃダメ!

本日は2017年1月15日日曜日だ。

恐怖のセンター試験監督免除のかわりの「卒業研究論文要旨集」の目次などの原稿作成はまだ終わってない。

そんなことよりも、目下の私の関心はデンタルケア。

去年の11月あたりから痛かった歯の治療に、1月11日にやっと行ってきた。

福山市内の歯科医院のウエッブサイトとか口コミサイトを調べて。

歯科医に行くのは10年ぶりだ。実質的には17年ぶりくらい。

10年前に前の勤務先の近所の歯科医院に行った時は親知らずを抜けと言われた。

で、その歯科医院には1度だけで逃げた。

なんで自然に生えている歯を抜かないといかんか。

さて、2017年の福山市内の私がリサーチの末に選んだ病院はどうかな?

まず、前もって調べていない人が見たら「この人が院長かな?」と思うほどに態度のでかい中年の女性の歯科衛生士さんに、ボロカスに言われた。

「いいとこないね〜〜きちんと磨かれていないね〜〜〜歯では苦労してきた人生だね〜〜歯石も多いし、歯周病にもなってるね〜〜いいとこないね〜〜」だった。

次にレントゲンを撮った。

そのレントゲン写真を診療台(椅子)に備えつけのパソコンに映して、真打ちのドクター登場。中年のなんかいい感じの女医さんである。スカッとした感じのカッコいい方である。

ドクターいわく、「年齢のわりに歯がしっかりしてますね!骨もしっかりしてます。フジモリさんの年齢ですと、こんなに歯が全部残っていません」だった。

いいのか、悪いのか、どっちやねん。

最近の歯科医院は、なに、まずは歯科衛生士が脅して、次にドクターが安心させるのか?

若い刑事が容疑者を締め上げて、ベテラン刑事がそこに登場して「まあまあ……」と条理を尽くして説得する……という構図なんか?

ともかく虫歯の治療開始。

なんで、私がこの歯科医院を選んだかと言えば、そこは広島県でも唯一と言っていいのか、「虫歯を削らない」歯科医院なのだ。

知る人ぞ知る歯科医院なのだ。

ガリガリと虫歯の患部を削らないのだ。

あの音はいやだよね……あの痛みもいやだよね…

その歯科医院は、「プラズマチタンレーザー」というものを使用して虫歯治療する。

歯を削らないので、あんまり痛くない。

ただし、これは自由診療です。

つまり健康保険適用外です。

保険でやってちょーらいと言えば、ガリガリ削ってくれます。

レーザーならば、一回の治療で虫歯処置できる。

まあ、セメントつめて、そこに何を被せるかについては1回では済まないけど。

保険適用の銀とかにするか、保険適用外のセラミックとか別のものにするかの処置は1回ではできないけど。

みなさん、体内に、特に口腔内に金属を入れるのは危険なんですよ。

身体の不調の原因は、虫歯治療のために歯に入れられた金属かもしれないですよ……

虫歯処置が終わってから、ドクターは「これから3日間は砂糖は絶対に食べないでください」とおっしゃった。

砂糖は虫歯の原因であるばかりでなく、虫歯を刺激する。

「2005年以来砂糖そのものはまったく摂っていません。添加物はしかたないですが。煮物も蜂蜜かメイプルシロップを使います。コーヒーも紅茶も砂糖は使いません」と私は答えた。

そしたら、「それはいいことです!砂糖や小麦粉などの炭水化物の摂りすぎは虫歯や歯周病の元です!乳製品もいけません!内臓の病気も、かなりは歯周病が原因です!乳製品とかパン食とか、戦後の日本人の食生活の劣化はアメリカの陰謀です!」と、ドクターが宣った。

ひょっとしたら、このドクターと私は、読んできた本が結構かぶっているかも。

まさか、歯科医から「アメリカの陰謀」という言葉を聞くとは嬉しい想定外だった。

その初回に支払った医療費は13,000円だった。

領収書もらうの忘れたなあ。次回は言ってみよう。

私がいたく興味を惹かれたのは、そのプラズマチタンレーザーだ!

痛くない虫歯治療ができるのに、なんで日本中の歯科医院がそれを導入しないのか?

なんで保険適用にしないのか?

で、帰宅して最近の歯科医療についての本をKindleで2冊読んでみた。

1冊目はFacebook友だちで副島隆彦人脈のおひとりから教えていただいた小峰一雄医師の『名医は虫歯を削らない—虫歯も歯周病も「自然治癒力」で治す方法』(竹書房、2016)だ。

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次に読んだのが、森昭医師の『歯を磨いてはいけない』(講談社、2016)だ。

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もうーーーー!!

歯科医療の常識を覆す本だった!!

みなさん、この2冊は読んだ方がいいですよ。

身を守るために。

絶対に読んだほうがいいと思いますよ。

アイン・ランドの『水源』は読まずとも、この2冊は読んだほうがいいですよ!!

虫歯は「自然治癒」するんだ!!

砂糖摂取せずに、炭水化物の過剰摂取せずに、清潔にして放置で虫歯部分が塞がるらしいよ!

そこを、「あーーー虫歯だ!」ということで歯科医にかけこみ、ガリガリ削ると、歯を傷つけるし、歯が割れちゃったり、削った部分からおかしくなったり。

だから虫歯治療を済ませたはずの歯が、また痛み出して、同じ治療を重ねて、ついには神経まで犯され、歯を抜くはめになる。

歯を失くすと認知症になりやすい。

歯というか口腔内の健康と身体全体の健康は非常に関連している。

糖尿病も肝臓病も、歯周病由来かもしれないらしいよ。

私の「非アルコール性脂肪性肝炎」の原因は、歯周病かもしれない!!

妹の「原初性胆汁性肝硬変」&「胃潰瘍」の原因も、歯周病かもしれない!

ともかく歯の健康は何よりも大切かも。

ただし、歯科と内科の連携ができていないのであるが・・・

虫歯といえば、今では、削らずに、ややこしい高価な機械や器具なしで虫歯治療できる「ドックベスト治療法」も確立されてる。

じゃあ、 なんで、その療法が広まらないのか?

理由は簡単。

儲からないから。

患者の再生産ができないから。

そもそも、小学校での歯科検診で歯に針刺すチェックそのものが、あかんらしい。

虫歯を作っているようなもんらしい。

それと、びっくりなのは、いまどき、食後に歯磨きなんてこと言ってるのは、日本と韓国だけなんだってね。

食後すぐには歯を磨いてはいけない。

食後に唾液が出て食べ物カスとかが歯につくのを防ぎ綺麗にしているのに、歯磨きすることで、唾液をストップさせてしまう。

歯磨きは、就寝前と起床直後にしっかりとする。

まずはうがい、すすぎをして、デンタルフロスで歯間を掃除して、こまめに交換して清潔に保たれた歯ブラシで磨く。

就寝中に口腔内で増えていた雑菌を口にとどめたままで、朝の一杯の水なんて、とんでもない。

口の雑菌が内臓に入って病気の元となる。

市販の歯磨き剤は使わないほうがいい。ろくでもないものばかり入っている。

デンタルリンスとかは、確かに口腔内の雑菌を除去するけれども、必要な細菌類も殺してしまう。

歯の健康のためにはよしたほうがいい。

などなど……もう、今までの歯科衛生の常識がぶっ飛ぶ。

そりゃさあ、医療界なんて、病人製造が目的みたいな業界なんだからさ。

歯科医療界が、予防歯学ではなくて、患者という客増加のための療法しかしないとおうのも、当たり前だよね。

いや〜〜〜私は、定期的に歯科医院や病院に行って検査を受けないのは野蛮人だ、近代人じゃない、自己管理ができてないなどと、友人知己や夫から馬鹿にされてきたけど、

野蛮人でいいですわ。

なるたけ医者には近づかない。

これで正解だった。

「年齢のわりに歯が全部ある、しっかりしてる」のは、(凡百の)歯科医院に滅多に行かなかったおかげだ。

「ガラパゴス化」している日本の歯科医療に好きにされてたまるか。

大事な歯を削られてたまるか。

抜かれてたまるか。

自分の身は自分で守ります。

砂糖厳禁。

炭水化物の摂取過剰摂取厳禁。

これから拝領する(砂糖いっぱいの)お菓子は数個のみ食し、あとは廃棄します。

キリシトール100パーセントのチョコを注文したぞ。

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目下のところ、私の買い物はデンタルケア関連であります。

歯周病も自然治癒させてみせるぞ!!

今度は、これを読みます。

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ひとりでも寂しくない人間

本日は2017年1月10日火曜日である。

昨日は、風邪っぽかったのでグダグダ寝ていた。

去年の大晦日の日から初めて完全にフリーの日だった。

私にとって、真の「お正月」だった。

明日に予約した歯科医院に行く前に、歯痛を市販されてる鎮痛剤で止めてる。

鎮痛剤は痛みを感じる神経を麻痺させる。

であるからして、おそらく他の神経も麻痺させてしまうのであろう。

ついつい、ボンヤリしてしまう。

鎮痛剤って飲むと痛みは止まるが、頭が悪くなる。

ほんと。

知らなかった。

あれを常用したら脳がやられる。

身をもって人体実験している私。

今日書くことも、鎮痛剤で脳足りんになっているので悪しからずです。

ところで、今日のブログのタイトルは、「アキラのランド節」でも2010年に使用したことがある。

「ひとりでも寂しくない人間」

太平洋戦争敗戦後にGHQに潰された政治結社に「玄洋社」というのがある。

右翼の大アジア主義者の頭山満(とうやま・みつる)で有名な玄洋社。

中村天風さんも若い頃にお世話になった福岡で生まれた政治結社。

幕末の男装の女性漢学者、高場乱(たかば・おさむ)の弟子たちが作った政治結社。

この頭山満が言ったそうだ。

「ひとりでも寂しくない人間にならないといかん」って。

つまり、ひとりの自分の時間と思いを充実させることができる人間でいないといけない、ということなのだろう。

家族であれ友人仲間であれ、他人とつるんで騒いでいることで人生を誤魔化すような人間ではダメだということなのであろう。

政治結社を率いて多くの人々の中にいた人物が、こういう言葉を残しているのは興味深い。

この頭山満の言葉をなんでまたも思い出したかというと……

去年の大晦日から1月4日までと1月8日に妹の入院先に見舞いに行ったときに、車窓から見た街の風景や人々の姿に「哀しさ」を感じたからだ。

哀しさを感じたのは、私が哀しいからだったろうか?

いや、私は哀しくない。

今までの人生で1番と言っていいほど、私は幸せを感じている。

ああ〜〜〜ありがたいなあ……と一瞬一瞬に感じているぞい。

でも、街を眺めると、人々を眺めると、哀しみを感じてしまう。

なんで?

平和な風景なのに。

繁栄した風景なのに。

道端に餓死者も戦死者も見えないのに。

で、私は「空から爆弾も落ちてこないし、街角から戦車も出現しないのに、なぜ日本人は哀しいのだろうか?」とfacebookに投稿した。

まあ、日本の道路は狭いので、戦車が通れないけど。

専守防衛の自衛隊に戦車隊は要らんわ。

そーいう話ではないな。

ともかく、なんで日本人は哀しいのかと質問したら、facebook友だちのおひとりが、「さみしいのですよ」とコメントしてくださった。

「ほんとうに充実しているわけでもなく、生きていることがさみしいのです」という内容のコメントをしてくださった。

ほんとうに自分が充実しているわけではなくてさみしいと感じる人々の想念が、ついには街を覆って哀しみを醸し出しているのか?

そうなの?

ならば、この哀しみは水準が高いぞ。

「私は、こんなにさみしいんだな」と思うことは、自分の感情や心の声に耳を澄ませているということだ。

正気になっているということだ。

それは自分の魂の声に耳を正直に澄ませているということだ。

自分の魂に出会っているということだ。

自分に正直でいるということは、そういうことだ。

自分の魂が、自分のいる環境を静かに眺めているってことだ。

で、さみしいね……と思う。

これはいいことだ。

魂が世界に開かれているってことだから。

閉じていた魂が、外界に開かれて、外界を眺めて戸惑っているんだ。

その戸惑いを表現する言葉がない。

強いて言えば、さみしさに似ているのだよ、その戸惑いは。

人間って何のためにこの世界に生まれて生きていくのかわかんない。

でも生きていくんだ。

よくわからないけど、生きていくんだ。

そういう戸惑い。

その戸惑いは自分で引き受けるしかないのだな……と思うこと。

それが「さみしさ」なのだろう。

でも、その「さみしさ」をしっかり受け止めて、世界を見つめれば、この世界はなんて面白いのだろう。

見つめていて飽きることがない。

人々の生態も見つめていて飽きることがない。

この世界のこの時代に、この国で生まれて生きてきた不思議。

その奇跡。

そうだ、日本人は、そういう奇跡を感じる寸前の段階に来ているのかもしれない。

暮れからお正月とか連休とか、人々が多忙さから正気に戻る時だ。

まだまだ亜人間の若い人々や子どもは、イヴェントで大騒ぎして自分から逃げるしかない。

ひとりでいると寂しいから。

大人になると、わかるよ。

ほんとは、誰といても寂しいのだよ。

さみしいのだよ。

でもって、誰でもそうなんだなと、わかるのだよ。

みんな、そういうさみしい人生を1人で引き受けているんだな、って。

そこに、共感が生まれるのだよ。

生きとし生きている存在に対し共感が生まれるのだよ。

さみしさを掘って掘って突き抜けると広い場所に出るのだよ。

そこでは、自分1人の孤独など何ほどでもない空間だ。

ひとりを超えて行け〜〜♫♫だ。

正月の街に、1月の連休の平和な街に漂っていた哀しみは、日本人が自分のさみしさをしっかり抱きしめる前の戸惑いの集積なんだ。

その戸惑いを直視しよう。

正気になろう。

隣国のある種の人々は、従軍慰安婦像というか少女像を日本の領事館や大使館や世界中のあちこちに設置すれば熱く充実できるらしい。

いいなあ。

他人のせいにできるのは。

いまや、多くの日本人はアメリカの悪口や中国の悪口を言ってもしかたないよなあ…イルミナティやNew World Orderのせいにしてもしかたないよなあ……と思い始めた。

マトリックスを超えないと、自分自身の狭い認識を超えないと……と思い始めた。

自分の魂と出会うまであと一歩だ。

だからの、戸惑いだ。

ひとりでも寂しくない人間になるまで、あともう少し。

ひとりを超えて行け〜〜♫♫

マトリックスを超えて行け〜〜♫♫

ミンクのコート

本日は2017年1月7日土曜日だ。

午後5時半から予定がはいっているが、それまでは何もしないでボケっとしてる。

さっき、古着を1袋分をzozotownに送るべくクロネコヤマトさんに集荷してもらった。

去年の春先からジワジワと進めてきた断捨離も、この2月と3月でクライマックスに達する。

そろそろ、福山の住居の家具の処分先を決めねば。

書籍はなあ……これは最後の最後まで置いておこう。

随分と売ったし捨てたけれども、まだまだよん。

桃山学院大学での15年間と福山市立大学での6年間の計21年間を、住居が2つある状態で生きてきた。

それを4月から、名古屋の住居だけで暮らさなくてはならなくなる。

住居2軒分の私物を1軒分に縮小しないといけない。

いやだ、いやだ、いやだ!

私は物欲はいっぱいあるんだ!!

物欲と食欲は大きいんだ!!

と言ってもしかたないんである。

若い頃は、マンハッタンにも軽井沢にも部屋を買うつもりでいたのに、結局は買えたのは名古屋の自宅の3LDKの部屋だけだった。

まっこと甲斐性のない私である。

しかし、断捨離と言えば、ありがたいのはリサイクル市場。

古着に古書にバッグに家具のリサイクル市場。

断捨離に随分と利用させてもらっている。

昔から売るにせよ買うにせよ古書市場にはよくお世話になっていた。

しかし!知らぬ間に古着や古バッグの市場もすごいことになってる。

1990年代後半以降の日本におけるリサイクル市場の発展はすごいなあ。

アメリカでは、もっと早くから古着ショップとか古レコード店とかは立派なトレンディなビジネスであったが。

新品で買えば50万円くらいするものも、古着になると5万円ぐらいの価格で販売だ。

ブランド品なら、もっと高い価格で再販売。

古着や古バッグもいろんなランクがあり、未使用品なんてものも売っている。

好奇心の強い私は、「この値段ならば買えるよなあ」と思うと、前々から、どんなもんかしらねえ~~?実物を見たいねえ〜〜と興味津々であったものを中古専門店のインターネット通販で購入する。

身につける予定もないのに。

身につける予定もないのに、自分のものにしたいのだ。

私は物欲と食欲は強い!

はっきり言って、物欲の方が強い!

で、クローゼットにぶら下げて「むふふふ……」と喜んでいるのだ。

なんちゅう無駄使いか。

我ながらクルクルパーだな、と思う。

それで購入した海外有名ブランドのドレスを、大学の学園祭の女装コンテストに使用したりした。

男子学生に着せるんである。

自分では1度も着たことないのに。

実は私は「ミンクのコート」つーものも持っている。

大阪の高級古着ショップの類から購入した。

どーいうわけか未使用状態で売っていた。

かなり安かったです。

ブランド不明。

どこで製造されたか不明。

ロシアかな。

韓国かな。

北朝鮮かな。

中国かな。

モンゴルかな。

ウイグルかな。

ほんとにミンクかな。

タヌキかもね。

私には「動物愛護精神」はないです。

すみません。

ともかく、わけがわからん商品だけど、一応ミンク。

手触り、肌触りは、すっごくいい。

まったく着用しておりません。

どこに着て行くんだ、そんなもん。

熊に見えるわ、私が着たら。

なんで、そんな必要もないものを買ったのか?

長編小説「水源」(The Fountainhead,1943) の映画化権で巨額のお金が入ってきたときに、アイン・ランドが最初に購入したのは、「ミンクのコート」だった。

ニューヨークの冬は寒いからではなく、出世するとパーティとかにも招かれるからということで、「ミンクのコート」。

ソ連からアメリカに来て、亡命して、頑張って頑張って、やっと作家として成功して、巨額のお金が入ってきて、経済的に余裕ができて、最初に購入したのが、「ミンクのコート」。

うーん、すっごく女らしい!!

可愛らしい!!

好き!!

帝政ロシアのプチ・ブルジョワの家庭で育ったのに、ロシア革命で何もかも没収されてしまい、新生ソ連で困窮生活を送ったわりには、アイン・ランドは物欲は少ない。

そこは私とは違う。

さすが秀才だ。

アイン・ランドは洒落っ気も、あんまりない。

髪なんか何日も洗わないので、ご主人にいつも怒られていたそーだ。

それでも、1番最初に購入したのは「ミンクのコート」だった。

きっと、子どもの頃に、母親や叔母や祖母のミンクのコートを当たり前に眺めていたんだろう。

お嬢ちゃん育ちだったのに、ソ連体制により思春期の少女期にビンボーにされちゃって、親族の女たちはミンクのコートも宝石も売らねばならなかったのも見ていたのだろう。

確か、アイン・ランドが購入したミンクのコートは、1940年代後半で5000ドルぐらいだった(と思う)。

今ならば、日本円換算で200万円以上はするコートじゃないでしょーか。

そのコートを着て写っているアイン・ランドの写真もある。

私は、その逸話を知って、「ミンクのコート」つーのを私も手にしたいと思った。

ロシアじゃあるまいし、冬のニューヨークじゃあるまいし、日本ではミンクのコートもセーブルのコートも無用だ。

そこまで寒くない。

セーターなんか着て、ああいう類のコートを着たら暑いだけだ。

薄手のシルクのドレスの上に着るようなもんが、ああいう毛皮のコートだ。

新地や銀座の女性でなければ、「社交界」にご縁のある上流階級の女性でなければ、ああいう類のコートは日常では着ないし、着る必要もない。

だけど、私は実際に自分の目で「ミンクのコート」を舐めるように見て、自分の手で触りまくりたいと思った。

自分のものとしての「ミンクのコート」を。

アイン・ランドの気持ちを味わいたいと思った。

で、購入した。

ただし古着ショップで。

毛皮のコートの古着ショップで。

まあ、ほんとうは温暖化ではなく、世界は寒冷期に向かっているそうだから、いつかは「ミンクのコート」着るかもね。

70歳くらいになったら、着ても似合うかもね。

私が何を言いたいかと言えば、今のような中古品市場が大きくなっている時代は、おもろいですよ、ということだ。

好奇心があれば、リサーチ熱心であれば、いろいろ体験できますよ、ということだ。

私も、今のような時代でなければ、「ミンクのコート」をクローゼットの肥やしにできなかった。

ミンクかタヌキか知らんけど。

本日は、歯が痛いので、常日頃よりも一層にしょうもない話でした。

股割りを夢見て

本日は2017年1月6日金曜日だ。

2017年最初の授業は今日からだ。

で、昨日に名古屋から福山に戻ってきた。

妹の吐血入院騒ぎで正月気分などなかった。

妹はといえば、もっと大きな設備のいい公立病院に転院し、希望どおりに1人部屋に「入居」した。

大部屋の方が、他の患者さんの生態を観察できるのに。

同室の方々のお話を引きずり出せるのに。

いろんな人生があるんだから。

しかし、輸血拒否の妹に対し、病院側もやれることはない。

やれることないなら、病院にいてもらっても困るから、様子をみて退院だ。

ここは、病院に何とかしてもらおうという怠惰な依存心は捨てるしかない。

自分で自分の身体を管理するぞ〜〜!の気概で生きるしかない。

少食と(ウイルスや細菌や癌細胞増殖させないぐらいの)体温を保持し、適度な運動をし、肝硬変が肝臓ガンに進行しないように務めるしかない。

と、妹を洗脳するしかないね、私は。

ま、無理かな。

去年の12月30日に吐血して以来、絶食中の妹は、「1週間食べないと気持ちがいい、スッキリした〜〜」とか言っている。

1週間絶食でも、必要な栄養は点滴で摂取してきたから、問題はない。

消化に伴う内臓フル稼働をしないですむと、非常に身体はラクであるらしい。

うーん……私もやってみるか……

とは思わない。

しかし「食べること」は、子どもや若い人はいざしらず、成人や高齢者にとっては負担になるばかりであるようだ。

現代人なんてさ、ぶっちゃけて言えば、現実逃避の気を紛らわせるために食ってるようなもんだ。

食ってりゃ考えなくてすむから。

私はといえば、同じく肝臓に問題を抱えている身の私としては、妹の状況を見て、あらためて食生活の自己管理を意識するようになった。

やっぱ、自分で自分の身体管理よね〜〜♫♫

前にこのブログで、骨盤の歪みによって脚の長さ(短さ)が左右で違ってきて歩行が不自由になって、筋トレがどうのと私は書いた。

2016年7月16日号だ。

そしたら、読者の方から「股割り」というか「開脚」によって股関節の可動域を広げることの重要性を教えていただいた。

その節は、ありがとうございました。

しかし、この開脚って、なかなかにきつい。

股割り開脚180度なんて夢のまた夢、巨大な夢で、開脚しても50度くらいの私だ。

痛い。痛いよお〜〜〜骨が鳴るよお〜〜

で、ついつい放置していた。

でも、やっぱ自己管理だ!

整体師さんに頼ってちゃいけないんだ!

と、思い直した。

で、毎日開脚運動をすることにした。

1ミリずつでも股関節の可動域を広げるんだ!

で、1週間ほど経過。

驚いた。

歩くのがラクになった。

2012年の秋以来だ。

サッサカ脚が進む。

走ることはできないけれども、比較的自然に歩ける。

びっくりだ!!

なんでもっと早く股関節の可動域を広げる運動を始めなかったのか!

私の4年間を返して!

が、整体師さんにも股関節の可動域を広げる運動を、しきりに勧められていた。

開脚、股割りの重要性については本も多く出版されている。

YouTube映像もいっぱいある。

しかし、私はサボってきた。

私自身に、自分の身体を自分で正常化させよう!という気持ちが足りなかったのだ。

自分が悪い。

天は自ら助くる者を助く。

しかし〜〜自分で自力で、自分の身体を変えることができた!というのは歓びだ!!

25歳とか26歳頃にヨガを励行して体重を落とすことができたときも嬉しかった。

ただ、ヨガは戦闘意欲を失くす。

これは困るんだよね。

20代や30代って、戦闘意欲だけで生きてるようなもんだから。

55歳くらいまでは、荒々しい戦闘意欲で生きるしかない。

いや、ほんと、そーなのよ。

ファイトだけよ、人生は。

金はなくとも、ファイトよ。

だから、28歳くらいで私は、「ヨガって痩せるけど、これは世捨て人の坊さん向き」と判断して、ヨガはやめた。

ヨガのことはさておき、とりあえず、股関節の可動域を広げる運動をコツコツやる。

永遠にやる。

看護師の年下の友人が言う。

股関節が固い患者のオムツを交換するとき、すっごくやりにくいから、ついついオムツ交換回数が減る。患者さんのお尻はかぶれる。

だから、介護されるときに備えて、股関節だけは柔らかくしておくべきだって。

だから、彼女は開脚180度なんである。

自分が介護されオムツ交換されるときのことを考えて、股割りに勤しんだそうである。

……………

学ぶことは多いようである……

股割り開脚180度というのは、達成するのに、普通の人で最低1年はかかるそうである。

私の場合は、5年以上かかるだろうなあ。

相撲レスラーさんは、絶対に股割りができないと駄目だそーだ。

バレリーナと同じなんだ。

とりあえず、2017年の抱負は、「股割りを夢見て開脚励行」だ。

お金かからない抱負って、いいよね。

 

 

 

 

 

 

輸血拒否にも対処する現代の病院!

本日は2017年1月4日水曜日である。

年末年始、吉川英治の『三国志』全5巻を読破するつもりでいた。

しかし、妹の入院騒ぎと連日の見舞いで、第1巻目すら読み終えていない。

家族に病人が出ると落ち着かないものである。

なんで吉川英治『三国志』全5巻かというと、facebook友だちで、「東京アイン・ランド読者会」主催の講演会に来てくださった女性が、「読まないと生涯の損失であるような本」と激賞しておられたからだ。

アイン・ランドの『水源』やニーチェの本や小室直樹氏や副島隆彦氏のご著書以外に、そんな本があるのか!?

と、冬休みに入る前に全5巻を注文しておいたのであるが。

中国の古典的物語も読んでおかないとね。

ところで、本日は私はまたひとつ勉強した。

今の病院ってすごいね。

私の妹は、「ものみの塔」というか「エホバの証人」と呼ばれるキリスト教団体のメンバーである。

今はJWOというか、Japan Watch Tower Organizationと称しているらしい。

1980年代はじめの頃に妹は第一子を流産で亡くした。

それから落ち込んでいたのだが、友人の勧めで、教会に通い始めた。

私が気がついたときは、妹は、すでにバリバリのカチカチの信者になっていた。

戸別訪問でパンフレット置いてくる「ご奉仕」をしていると聞いて、「時給いくら?」と私が訊いたら、妹はカンカンに怒った。

妹の夫も義理の両親も、私の両親も私も、「まあ私たちに入団を進めるわけでもないし、趣味ならいいんじゃないの」という姿勢であった。

妹は、「クリスチャンだから」ということで、親類縁者にしろ、義理の両親の葬式にせよ、自分の親の葬式にせよ、ご焼香を拒否した。

「アホか……焼香台の前で会釈ぐらいできるだろ。ガキじゃあるまいし」と私は思ったが、まあ好きにしなはれが周りの反応だった。

妹の無意味な頑固さというのは、誰でもちょっと話してみればわかるぐらいの程度に明らさまであるので、みな説得を諦める。

問題は、この教団が「輸血絶対に反対」であるということだ。

根拠は知らない。

調べたことない。

父が癌の末期に輸血が必要だったのだが、「輸血は神の意志に反する」と妹はグジャグジャ私に言った。

「うっせーよ。あんたの信仰はあんたの自由。うちは浄土真宗東本願寺なの!」と私は無視した。当然だ。

この問題は、妹の夫が手術を受けるときにも起きた。

手術には家族の同意書が署名に押印が必要なのに、「輸血が必要な手術はダメ!」と署名しなかったのだ、妹は。

手術って、だいたいが輸血が必要なんじゃないの?

この場合は、妹の夫のお姉さんが署名捺印してくださって、事なきを得た。

で、今度はいよいよ自分の番、妹本人が輸血の必要な手術を受ける可能性が出てきた。

で、もちろん妹は「輸血を必要としない処置をお願いします」と病院に要求した。

また、相変わらずワガママな頑固なやっちゃ…

と私は呆れた。

しかし! すごい!!

「信仰上とか思想信条の都合で輸血を拒否する患者を受け入れる病院」があるのである!!

ちゃんと、そういう病院があるのである!!

愛知県にもいくつかあるのである!!

主治医はまだ正月休みだったので、まだ若いお医者さんが、妹の要望を聞いて、あちこちの病院に電話してくださった。

カッコいい男前のお医者さんであった。

「ねえねえ、カッコいい男前のお医者さんだねえ!」と私が嬉々として妹に言ったら、妹は冷ややかな視線を私に向けたが。

ともかくも、お医者さんの尽力で、妹が入院中の病院より大きくて伝統もある某公立病院が、「そういう患者さんも引き受けます」と言ってくださった。

そこの「原発性胆汁性肝硬変」の専門医が「輸血しない治療法」を試みてくださることになった。

「ただし、どうしても輸血しないと命に関わるときは、患者さんのご希望どおりに輸血しないわけですが、それでもいいのですね?」

という確認に、妹は「それでお願いします。輸血はしません」と答えた。

「はい、ならば転院可能です〜〜」ということで、妹は明日の朝に、その病院に介護タクシーで移動する。

驚いた!

驚いた!

そういう病院があるのだ!

「エホバの証人」の信者が激増していて病院で輸血拒否者が多いという噂は聞いたことがない。

でも、なにかこれに類した裁判事例があったのかもしれない。

それで、病院も対応策を考えるようになったのかもしれない。

まあ、ほんとうは輸血はしないほうがいいとも聞く。

他人の血液でなく、塩水でもいいのだという説も聞く。

その塩というのは食塩とか味塩ではなく、海塩とかなんだろうなあ。

塩を混ぜる水は水道水でもいいのかなあ。

やっぱりミネラルウオーターかしらね。蒸留水??

ひょっとしたら、輸血に関しては、じょじょに「なるたけ避けたほうがいい」という認識が医療界にジワジワ広がっているのかもしれない。

ということで、いろんな類の患者の要望に応じる姿勢を、今の病院が採っていることにビックリした私。

みなさん、ご存知でしたか!?

さて、妹の転院先の病院で、次に私は何を学べるだろうか。

患者の要望があれば、医療大麻とかモルヒネ打ちまくりで安楽死させてくれる病院とかあるといいのにねえ〜〜

(後日談)

輸血拒否患者を受け入れてくれる病院に妹が行ったら、「副院長が引き受けてしまっただけで、輸血はできないなんて、私は責任を持って対処できません」と、直接の担当医に言われたそうで、揉めているらしい。

まあ、そりゃそうよね。

まあ、自分の信仰で決めたことなのだから、しかたないね。

本来ならば、ほんとうは近代医療そのものを拒否して入院なんて依存心の強いことしちゃいけないんだよね。

まずは湯船に10分以上

本日は2017年1月2日だ。

明けましておめでとうございます〜〜〜

2017年も、よろしくお願いいたします〜〜〜

めでたいお正月なのに、私の気分は暗め。

お正月は気楽に読書三昧と思っていたけれど、「原発性胆汁性肝硬変」に伴う胃静脈瘤破裂で入院中の妹の見舞いして、インターネットで妹の病気について検索したりしてる。

で、とっちらかっております。

だから、まとまりのないことを書く。

トイレ掃除もサボる落ち着かない気分。

食事は、大晦日の晩に大量に作っておいた「おでん」ですましている。

お昼も晩もおでん。

この写真には、里芋が写ってないな。

昆布と鰹節と手羽先と醤油とお酒だけで作っただし汁で、グツグツ煮込んだおでん!!

最高である。

朝は、お白湯と人参ジュースとオレンジジュースのみ。

非加熱性の蜂蜜natural raw honey とシナモンを熱湯で溶かしたものを飲んだり、シナモンに加えて黒胡麻の摩り下ろしを入れたり、粉末の生姜を入れたり。

2005年頃 に、「過食は万病の元」と知った。

消化のためのフル稼働で内臓が疲弊するのよん。

同時期に、「体温が低いのも万病の元」と知った。

ウイルスや細菌は温かいのが嫌いなのよん。

以来、朝食は取らず、固形物はとらず、生姜の摩り下ろしと黒砂糖を熱湯で溶かしたものと、人参ジュースで、朝はすましてきた。

これらの食品は、体温を上げる効果がある。

冬の朝の「生姜湯」は、ありがたいもんよ。

元気も出るし。

なのに、2011年からの「美味しい福山」での食生活がたたって肝臓を悪くした私は脳足りん。

原因は食生活ばかりでなかったけれども。

やりたくもないタイプの英語の授業の多さというストレスもあった。

新設の勤務先の「大学」とは思えない類の管理体制に対するストレスもあった。

二重生活の疲れもあった。

原因はいろいろ複合的。

複合汚染というか複合疲労ね。

どっちみち、勤務とか俸給生活というものにストレスや疲労はつきものだ。

仕事だから、時には、あるいはたびたび、あるいはしょっちゅう、無理もしなくてはならない。

内臓のどこかが機能不全になるのも、しかたない。

同僚を眺めてると、内臓がおかしくならない場合は、人格がおかしくなっている。

人格がおかしいということは、脳とか腸がおかしいということだから、やはり内臓だ。

脳と腸は直結よん。

生き物の構造は、腸と肛門と口なんだから。

最初に腸ができて、口と肛門が形成されるんじゃ。

脳も心臓も肺も胃も肝臓も、腸の派生物なんだから。

摂取して消化して排泄するだけが生物よん。

だから便秘は怖いのよ。

何の話だ。

しかしだ、誰もが内臓を傷めて、病んで死んで行くと知りつつも、ついつい妹の状況をインターネットで調べていると、「発病以後の余命は10年」とか読むと、実に精神衛生に悪い。

残り時間はまだいっぱいあると思っていても、実は少ない(のかもしれない)。

いつでも会えると思っていても、それっきりのことも多い(のかもしれない)。

私の両親はどちらも60代で亡くなっている。

特に私の父方の家系は、無駄に長生きはしない傾向がある。

気が短いというか、潔いというか、勇み足というか。

長生きしないと見えない風景もあるのに。

やっぱ、早めに退職して、やりたいことすることに決めたのは正解であったと思う正月だ。

いただく年賀状にも、「大腸ガンになったんで、抗がん剤で治療してます。死ぬときは死ぬんですから」と4歳年上の先輩が書いている。

正確には大学院の先輩の奥様であるが。

あの元気溌剌がスカート履いているような明るい聡明な優しい女性でも、大腸ガンになるのか。

きっと、それは、これからの世界の状況を見て辛い辛い思いを先輩がしないで済むための神様やご先祖様のご配慮。

2039年時点では日本も世界も平和で繁栄しているけれども、これからの15年くらいは過酷だから。

「米中もし戦わば」系出版物が増えてる。

こうして、米中が戦う空気が醸成されていく。

アジアや中東に軍事衝突は起きるのであろう。

日本も無傷ではすまない。

それでも、2039年には、新たな平和が構築されているんだ。

2039年という数字の根拠?

ないです。

根拠などというものはない!

信じるだけよ。

大腸ガンになった先輩の女性は、「肝臓ガンと診断された女性が、断食と少食と内臓温度(体温)を上げることで、健康を取り戻した例」をご存じかな?

病気の原因は、ほとんどが過食だから、3日プチ断食すれば、病気の6割は治ると説く本もある。

ウイルスにせよ細菌は加熱すれば死ぬわけだから、内臓温度をあげればガン細胞も増殖できないから、まずは体温を上げるべしという説もある。

40度以上のお風呂にじっくりじっくりよ。

体温を上げる食物(生姜とか)を適量に摂取よ。

低体温が昂じると、お風呂の湯船に浸かっていられなくなるらしい。

自身の身体が冷え切っているので、お湯の中にいるのが痛くて辛くなるので、シャワーですますらしい。

若い人は体温が低いらしいが、あれはお風呂に入らずシャワーばかりだから低体温ではなく、お湯の浴槽に浸かるのが苦痛なのかも。

で、ついには爬虫類のような低温動物になる……

病人は、まずはお風呂よ。

入院すると、毎日気楽にお風呂に入れないでしょ。

あれが良くない。

あれが絶対に悪い。

すべての病院に銭湯があるべきだ。できれば温泉にサウナも。

病人は内臓温度を上げなくてはならない。

内臓がゆで卵寸前になるくらいに身体を温めなければならない。

1日に何回でもお風呂に入るべきだ、病人は。

まずは、みなさん、お風呂で身体の細胞を温めましょう。

顎まで湯船に浸かって10分以上瞑想タイム。

全細胞がホンワカと温められることをイメージしましょう。

悪い類の細胞は温められて昇天なさいます。

2017年の日本の国民的アジェンダは「湯船に10分以上浸かる!」だ!

 

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ありのままのあなたには誰も用がない

本日は2016年12月14日水曜日だ。

今日の福山は朝から冷たい雨だったけれども、午後からは雲も晴れてきた。

ふと唐突に思い出した。

唐突にじゃないな。11日の日曜日に久しぶりに母校に行ったから思い出したんだろうなあ。

大学院の独身の男性の先輩が、たまたま私と私の独身の友人が写っている写真を見て、こう言った。

「僕なんか、この人にビビッと来た。是非ともこの人を紹介して」と。

私が30代最初の頃のことだから、先輩も友人も婚期の遅れた独身の30代であった。

あのね、1970年代や1980年代はね、いまほど未婚率は高くなかったからね。

先輩も友人も良いお相手がいるならば……とお見合いすることになった。

先輩は、すでに私立大学の助教授(今は准教授と言う)であったし、友人は美人のピアノの先生であった。

条件的には問題がないはずだった。

だが、友人は最初に会って直後に「このお話はなかったことに……」と断ってきた。

なんでかと言うと、互いに30歳過ぎているのでザックバランにお話しいたしましょうということで、居酒屋でおしゃべりしたところまでは良かった。

途中で先輩がトイレに立った。

帰ってきたら、ズボンのチャックが開いていたそーだ、

その姿が、「実にサマになっていた」そーだ。

それから居酒屋を出てふたりで駅まで散歩する感じで歩き出した。

そしたら、先輩が「ちょっと失礼」と言って、道端で「立ち小便」をした。

また、その姿が、これまた「実にサマになっていた」そーだ。

で、友人は思った。

「あの人物のズボラな無神経さは絶対に絶対に治らない。こーいうのは私は絶対に絶対に耐えることはできない。あそこまで自然にズボンのチャック開けっぱなし、あそこまで自然に悪びれず女性を待たせて立ち小便。ああいう気質は絶対に絶対に治らない」と。

で、固く固く、その縁談を断ってきた。

先輩は嘆いた。

あろうことか、私を責めた。

「あんた、友だち甲斐がない。なんで僕の弁護をしないんだ。僕は、ありのままの僕を見てもらいたかったんだ!」と。

で、私は思った。

こいつアホや。

こいつは「甘えのお化け」だ。

「ありのままの僕」って何だ?

こーいうことをほざく人間は、「世界のどこかに僕を丸ごと受け容れてくれる女性がいる」ということを無自覚に前提としている。

というより、「世界は、他人は、ありのままの僕を受け容れるべきだ」と思い込んでいる。

よく言うわ。

ありのままのあんたを受け容れる義理も義務も、世界にも他人にもないわ。

肉親にすら、ないわ。

ありのままのあんたなんか、なんぼのもんじゃ。何様のつもりか、アホ。

天皇陛下や皇太子殿下でさえ、ありのままに生きているとは思えない。

(皇太子妃殿下は知らんけど)

みな、この世界の中での役割を引き受けて、その役割を果たすために仮面をつけて生きている。

それが当たり前だ。

初対面の女性との会食の席で緊張もせずに、ズボンのチャックを開けたままにして、かつ立ち小便。

そんなもん独裁者のスターリンやヒトラーでさえ、しないぞ。

なんで、私の友人が、あんたのありのままを受け容れて愛さねばならないか。

そんな、みっともないありのままを。

私の友人は、お化粧もお洒落も、さり気なくも念入りにしてお見合いに臨み、「ありのままの自分」を剥き出しに見せつけるような甘ったれた姿勢は採らなかった。当然だ。

女は、そんな油断はしない。

だいたい、「ありのままの僕を受け容れろ」という要求は、一見ワガママで自我が強そうでいて、逆説的に言って自我が弱い。

ほんとに自我が強固な人間は、他人に自分を受け容れてもらわなくても平気だ。自分で自分を受け容れているから。

自分という素顔が安定しているので、いくらでも時と場合に応じて、仮面をかぶることができる。

30歳過ぎても、「ありのままの僕を……」とほざいている先輩を、それ以後、私は心理的に斬り捨てた。

こんな奴には誰も紹介せん!

まれに、男子学生なんかで、「僕のことをどう思いますか?どう見えますか?」と質問してくるのがいる。

どこまで、こいつ自分のことが好きなんか、不細工なくせにナルシストなんだな……と思ってはいけない。

こういうことを質問してくる学生の自我は、ほんとうは非常に脆弱である。

他人に自分自身について問いかける必要があるくらいに、自分が安定していない。

他人の言葉に依拠しなくては立っていられないほどに自我が脆弱なのだ。

こういうお子様ランチが「ありのままの僕を……」と言うのはしかたない。

お尻に、まだ蒙古斑が薄っすら青く残っている年齢の場合はしかたない。

しかし、30歳過ぎて、そんなこと言ってたら、スペシャル・ウルトラ・アホだ。SUAだ。

ええ?

結婚(するかもしれない)相手に対しても「ありのまま」じゃいけないのかだって?

限度があるでしょーが、それは。

結婚生活だって社会生活だ。

洞窟の中で、パンツをはいていない全裸の北京原人二匹が火を焚いてるのとは違う。

「仮面夫婦」とか言うけれども、仮面夫婦でない夫婦が存在するのか?

ありのままの自分をぶつけ合って上手くいく人間関係などない。

そこまで、ありのままの自分にこだわるほど、あなたの自分というのは、他人を必要としているのか?

いい年こいて、そーいう類の依存性をカッコ悪いと思わないのか?

なんで、そんなに暇なのか?

仮面をつけていない社員など、職場では邪魔だ。

素顔を見せるような店員など邪魔だ。

ありのままでいたら、ろくなことはないぞ、個人間も国家間も。

え〜〜〜いったい、何を私が言いたいかと言いますと……

「ありのままで〜〜♫♫」は、雪山でひとりだけで歌っていてください。

レリゴ〜〜レリゴ〜〜♫♫

真実は、ありのままのあなたには他人は誰も用がないし、興味もない。

自分で自分のありのままを愛して慈しんでいればそれでいいのであって、しょうもないことを他人に求めるのはやめましょう。

それは一種の搾取だ。

やらずぶったくりだ。

「ありのままの自分を受け容れろ」と暗黙に求める人間に限って、他人のありのままを受け容れる気はサラサラない。

無垢な子どもでさえ、親の前で演技して可愛く可愛くふるまってこそ、生き延びることができる。

Survival of the Prettiest 

ってタイトルの本が20年前くらいにアメリカで出版されたことがあった。

最も可愛い子どもが生き残れる。

美人はブスより生き残れる。

「適者生存」the survival of the fittestのもじりだ、もちろん。

「可愛くない子どもは虐待にあって殺され易い」ことをデータで説明した本でもあった。

可愛いガキでさえ、ありのままにしてると、可愛げがなくなくなり虐待にあうんだぞ。

まして大人なんて、ただでさえ汚いんだから、可愛げがなかったら、廃棄だ。

ありのままではなく、飾れるだけ飾るのが文明だ。文化だ。人間の華だ。

ということでありました。

本気というのは気を向けるということ

本日は2016年11月26日土曜日。

久しぶりに早く済ませないといけない仕事もないお気楽な土曜日だった。

ほんとに予定がないのかなあ、私は実に忘れっぽいからなあ……と手帳をチェックしたら……

ひと月以上も前に中国整体と、その中国整体院で提供している「漢方蒸し」の予約を入れていたことが判明。

「漢方蒸し」ってのは、韓国の「よもぎ蒸し」をアレンジしたものだ。

「よもぎ蒸し」つーのは、よもぎを煮立てた熱で人間を蒸すこと。

「漢方蒸し」つーのは、よもぎを含めた薬草を生薬(ショウヤク)にしたものをいろいろ混ぜて煮立てた熱で人間を蒸すこと。

「よもぎ蒸し」は韓国が発祥の地だ。

李朝時代から伝えられる民間療法で、身体の冷えによく効く(らしい)。

特に更年期障害の女性によく効く(らしい)。

どうやって人間を蒸すのか?

まず、直径10センチくらいの壺に生薬(薬草を干したもの)を水を入れて煮立たせる。グツグツ煮立たせる。

1時間は煮たたせないと、生薬の成分が湯の中に溶けない。

そのグツグツと生薬が煮立った壺の上に、比較的頑丈な陶器のスツールをかぶせる。

ただし、その陶器のスツールは上部に大きな穴が開いている。

洋式便器状である。

人間はといえば、全裸になり、ビニール製のマント状の大きなガウンを頭からかぶる。

そのガウンの上部はゴムがはいっていて首のところで留まる。

ガウンは長くて首から下は全部すっぽり覆われる。

つまり、人間はてるてる坊主みたいになる。

で、人間は、よもぎが煮立った壺の上にかぶさった便器状陶器に腰をかける。

注意して腰掛ける。

壺で煮立てられた漢方の生薬の湯気が、肛門や陰部、特に膣にあたるように陶器に腰をかける。

その前に、まずは5分間、便器状陶器の上部の穴から覗き込むようにして、煮立った生薬の湯気を顔にあてる。

次に両のふくらはぎを、煮立った生薬の熱にあてる。これが10分間。

それから30分間は、便器状陶器に腰掛けて、煮立った生薬の湯気を肛門や陰部全体にあてる。

このとき、うっかり自然反射的に、便器状陶器を便器として使用してはいけない。

絶対に反応してはいけない。

油断すると反応しそうになるので、絶対に油断してはいけない。

人間扱いされなくなります。

で、最後に5分間ほどマント状てるてる坊主風ガウンを頭からかぶり、髪もろとも、湯気にあてる。

こうして、人間が蒸されるのであります。

身体も顔も髪も、漢方のわけのわからん匂いでいっぱい。

煎じ薬のような匂いでいっぱい。

で、50分蒸されると、夏は全身が汗ビッショリになる。

終わってからシャワーなど浴びない。

備え付けのタオルで身体を拭くだけ。

生薬が肌から浸透するのに、水でザーザーザー流さない。

本当は、漢方蒸しをした日は、お風呂も入らない方がいい(らしい)。

漢方蒸しは、蒸されたあとが大事(らしい)。

煮立った壺はその頃には熱もおさまっている。

その壺の中身を検討することも大事である。

しっかりと肛門や陰部から、粘膜から、煮立てられた生薬の湯気、エッセンスが吸収された場合は、壺の中の水分がかなり減っている。

その壺に残った生薬煮立てた残りの湯の表面に膜がいっぱい張っているならば、成功。

それは、煮立てられた生薬の湯気によって身体から毒素が出た証拠。

デトックス!デトックス!

膜があまり張っていない場合は、毒素が出なかったってことで、身体の代謝が悪いということになる。

ほんまかいな。

効果があるのかどうか、よくわからないが、私はこの「漢方蒸し」が面白くて、整体に行くたびに、蒸されてくる。

私が行く整体院では整体受けるお客さんは多いが、蒸されに来る人は少ない。

たまには「蒸された豚まん」の気分もいいよ。

1ヶ月に1度か2度くらい「豚まん」気分。

関東では「肉まん」って言うのかな。

ほんとに体調が悪い場合は、毎日でも蒸された方がいい(らしい)。

癌の原因は身体の冷えだそうだから、毎日蒸されたら治るかもね。

癌細胞消えるかもね。

抗癌剤より効き目があるかもね。

料金は4500円。ただし、整体といっしょに受けてくるので1000円ディスカウントで3500円。

で、回を重ねて、私は気がついた。

下半身の粘膜が漢方の湯気を吸収する度合い=生薬を煮立てた壺の中身の減り具合は、私が蒸されつつ本など読んでいると少ないということに。

下半身の粘膜を意識して、湯気を吸い込んだるぞ〜〜♬の気分でいると、壺の中身の減り具合は大きい。

ついでに壺の中身の表面に浮く毒素と呼ばれるものの量も多い。

やはり、こういうものでさえ、本気でやらないといけないのだ。

本気とは気を向けることだ。

ちゃんと気にかけることだ。

ながら仕事ではダメということだ。

本読んだり、スマホいじってたりしてちゃダメってことだ。

デートや友人と外出して食事中とかに、相手の話を聴かず、相手と会話せずに、スマホいじってたり、タブレットいじってたりしたら、アウトでしょ。

やはり、きちんと接しないと。

話をしないと。聴かないと。気を向けないと。

本気になるというのは、気を向けることという当たり前のことに、あらためて気がついた土曜日の午後だった。

私は、どれくらい本気を出して来たのだろう。

ちゃんと自分の人生に気を向けてきたのだろうか。

仕事に気を向けて来たろうか。

接する人たちに気を向けてきたろうか。

「ながら」やってちゃ、ダメなんだ、やっぱり。

料理だって集中して心を込めないと美味くならないもんなあ。

人様だって、集中して心を込めて見つめないと、その人間性はわからないもんなあ。

学生さんだって、気を向けて個人的にじっくり話を聴いてみないと、わからんもんよね。

病名がつくと便利だね

本日は2016年11月23日水曜日。

くたびれて、ソファに毛布かぶって寝っころがって、晩秋の曇り空を見てる休日の午後。

いつもくたびれている63歳。

心は10歳くらいの馬鹿ガキなのに、世間向きには63歳のフリするわけだから、くたびれるに決まってる。

どうでもいいこと書きたい気分なんで、どうでもいいこと書く。

病名がつくと便利だね。

たとえば、非常に落ち着きがなく、何か作業を始めても、その作業をきちんと終わらせずに、思いついた他のことを衝動的に始めてしまい、その結果、いつも仕事や家や部屋が片づかない。片づけることができない。

こういうのは、「発達障害」のひとつで、「注意欠陥多動性障害」(ADHD)と呼ばれる。

でも、この病名が発明される前は、このようなタイプの人は、「不注意」とか「ちゃんとモノを考えない」とか「だらしない」とか言われ非難された。

そういう自分を直そうとしないからダメとか、努力が足りないとか、道徳的に非難された。

でも、「注意欠陥多動性障害」と病名がつけば、まあ病気なんだから、しかたないよね、となる。

「発達障害」なんだから、しかたないよね、となる。

病名がつくと便利だ。

わかったような気分になるし。

まあ、しかたない……と寛容にもなれる。

その原因が不明でもさあ。

脳の器官的障害については、まだまだわからないことが多いんだし。

生来、脳の表面に擦り傷がいっぱいついているのかもしれないし。

乳児期の脳の発達期に何かの栄養が足りなかったのかもしれないし。

脳なんて、お鍋に入れられたお豆腐みたいなもんだから、多少はみんな壊れてるか欠けてるか、割れちゃってるのかもしれないし。

まあ、医学がもっと進めば、原因も判明するんだろう。

私自身も地味めに発達障害だなあ……と思う。

よくこの年まで生きてこれたなあ……と思う。

発達障害から初期の認知症に移行しつつあるのかもわからんけど。

大人になってから、幼い頃の自分の状態が一種の病気であったと知ることがある。

私は、物心ついた頃から高校時代ぐらいまで、ときどき、変な状態に陥った。

急に周りの風景がグダグダのモノクロームの縞模様になった。

その縞模様がグニャグニャと揺れている中で私は呆然としているしかなかった。

昔のテレビは、深夜は何も放送していなくて、そんなときには画面いっぱいにモノクロームの横縞がザーザー走っていた。

あの横縞が、もっと太くなってグニャグニャと360度四方いっぱいに動いていると思ってください。

そういう世界。

私は、「あ、まただ」と思って、そのグニャグニャモノクローム横縞を眺めてるしかなかった。

机も椅子も壁も消えた。

外を歩いているときは、樹々も家々も道路も消えた。

ただグニャグニャモノクローム横縞の世界。

自分が誰なのかもわからなくなった。

自分の身体が見えなくなった。

どこにいるのかもわからなくなった。

ただ、意識はあった。

グニャグニャモノクローム横縞の世界に漂っている意識。

ただし、そういう状態は長くは続かなかった。

1分も続かなかったんじゃないか。

まもなく、いつもの風景が戻ってきた。

だから、私は気にもしなかったし、誰にも言わなかった。

悩むようなことでもなかったし。

世界や自分は、ときどき形を失って、グニャグニャモノクローム横縞になる。音も匂いもなんもない。

それは普通のことなんだ。

と、勝手に思っていた。

そういう状態は、ボケっと漂っていれば、まもなく終わる。

実害なし。

そういう状態がどういうものかについて、自分なりにわかるようになったのは、大学院生の時だった。

私たちは、これは机、これは椅子、ここは部屋で、私はこういう人間で……と世界を意味づけて生きている。

フランスの精神分析学者ラカンの言う「象徴界」だ。

世界という混沌を、記号化し分類し意味づけすることが世界把握で世界を理解するということだ。

私たちが理解している世界は、ありのままのむきだしの世界ではなく、人間の認識というフィルターを通して整理された世界だ。

認識というフィルターを構築していくのが、人間の知能の発達だ。

それが広義の意味での社会化だ。

ところが、急に瞬間的に、認識というフィルターが機能しない状態になることもあるのではないか。

そうなると、人間は意味も何もない存在そのものになって、意味も何もない存在そのものとなった世界と直面する。

高校を終えるぐらいまでの私の目の前に現れたグニャグニャモノクローム横縞世界は、なんらかの理由で私の認識器官がフリーズした時に見せた世界の素顔だったのではないか。

世界というか、プレ世界世界というか、世界と記号化される前の世界というか。

なんの意味も音も匂いも光もないグニャグニャモノクローム横縞。

これは、ラカンの言う「想像界」なんかな。

まあ、何でもいいわ。

要するに、私の脳は、子どもの頃から17歳のくらいまでの期間に、ときどき認識機能を失った。

こういう症状は、「離人症」と呼ばれる。

そうか、私は17歳くらいまで「離人症」だったのか!

病気だったんだ!

知らないうちに治ってたんだ!

自然治癒したんだ!

いや、油断はできない。

あのグニャグニャモノクローム横縞は、また私の目前に出現するかもしれない。

でも、再びあの症状が出ても、私はあわてもしないし、恐れもしない。

病名があるもん。病名知ってるもんね。

離人症。

リジンショウ〜〜〜♫♫♬

軽度の離人症。

脳の認識機能が、短時間だけフリーズするんだ。

短時間だけの脳の認識機能障害。

軽度とはいえ、そんな病気を抱えて、生きてきたんだもの、よく頑張ったよ、私。

私はサボったわけじゃない、怠け者だったわけじゃない、道徳的に劣っていたわけではない。

病気なんだからさあ、しかたなかった。

母は内心は心配していたらしい。

知恵遅れじゃないかとか、何とか。

まあ、子どもがときどきフリーズして静かに固まってるんだから、そりゃ心配だよね。

ご心配なく。

ちゃんと履いてます。

違う、違う。

あなたのガキは、ちょうどその時、世界の実相と対面中でした。

私が、権威主義になれないのは、世間的な価値基準や序列で物事を見ることが苦手なのは、どこか人を人と思わないといいますか、物を物と思わないといいますか、自分を自分と思わないといいますか、非常に大雑把なのは、人畜無害にアナーキーなのは、脳の機能障害のせいなんだろうなあ。

世界を意味づける機能の不具合のせいなんだろうなあ。

あのグニャグニャモノクローム横縞こそが、ほんとうの世界なんだろうなあ。

あれが、ほんとうの宇宙なんだろうなあ。

宇宙の管理者は、ヴァーチャル・リアリティを構築しているんだけど、そのマトリックスが瞬間的にせよ不具合を起こして、リアル・リアリティを垣間見せてしまうのだろうなあ。

もしくは、脳の中には洗脳しきれない部分があって、ときにその部分が稼働してしまって、マトリックスの向こうにあるものを目撃するのだろうなあ。

あのグニャグニャモノクローム横縞世界こそ、「神なき世界」であり「ロゴスのない世界」なんだろうなあ。

混沌。

将来、あのグニャグニャモノクローム横縞が目の前に出現したら、今度こそじっくり、その混沌を見つめよう。

ヴァーチャル・リアリティの外に出てみよう。

そここそ人跡未踏の空間。

怒涛の1週間が終わった、消耗した、眠った!

本日は11月14日月曜日だ。

怒涛の過労の1週間が過ぎた。

アメリカ大統領選では、私のヘボ占いがあたって、トランプさんが当選した。

ジョージ・ソロスさんとこが作った集票機械を駆使して、ヒラリーさん勝利に向けて不正選挙をセッセとした(はずな)のに、トランプさんが勝った。

ほんとは、トランプさんの獲得した票はもっと多かったかもしれない。

アメリカ人と結婚して長くアメリカに住むFacebook友だちの女性は、ご主人ともどもトランプ支持であった。

が、居住しているのはニューヨーク市であり、ヒラリーさん支持者が多い。

トランプさん支持者たちは、「隠れトランプ派」として沈黙を守ることを余儀なくされてきたそーだ。

で、結果が出た……

もう〜〜トランプさん当選後の近隣のヒラリーさん支持者の荒れようが酷いそーだ。

被害者意識でギャアギャアキャアキャア騒いでいるそーだ。

「民主主義は死んだ!!」と騒いでいるそーだ。

40歳過ぎて学生で、ご主人はフリーランスで、それでも子どもだけは4人(実子2名、養子2名)もいる女性は、共和党政権になったらオバマケアがなくなって、医療保険料の負担が多くなると嘆いているそーだ。

奥さんも働くしかないよ。奨学金(学生ローン)でしょうもないこと学んでも、奨学金返済借金が増えるだけだ。子どもたちの学費はどうするつもりなんだ。

自分の子ども2人でさえ育てられるかおぼつかない無職の女が、甲斐性のない亭主しかいない女が、なんで養子をふたりとってるのか、意味不明。

偽善も極まれり、だ。

教会の神父も嘆いているそーだ。

まあ、神父なんてのは特にそーだろな。

他人の献金で食ってきたんだから。

みんな寄生虫気質の人々やね。

誰が大統領になっても、心は無頼で、自分で自力で生きて行く。

これが庶民の気概ではないか。

それがアメリカの建国の精神だ。

国に餌をもらって生きて行くのは、貴族か寄生虫のやること。

いつのまにか、アメリカ人の多くも「国畜」志向になってしまった。ヨーロッパ化といいますか、リベラル化といいますか、奴隷道徳に洗脳されたといいますか。

だもんだから、綺麗事ばかり言い募りながら、立場を利用しながら蓄財に励んでいた優等生ぶりっこの政治家やメディアに騙される人々が多くなっていたようだ。

いったい、どうやって、その無力感、依存性は育まれるのか?

政治家に何ができるというのか?

税金を徴収して変な不均等な配分をすることぐらいしかできんよ。

それでも、そーいう汚れ仕事をしてくれる人間は必要なのだ。

庶民は、そんな暇はないからね。

私はといえば、11月9日はアメリカ大統領選挙速報をチェックしつつ、11月12日開催の福山市立大学大学祭「第5回英語プレゼンテイション・コンテスト」参戦者学生の発表原稿の添削をしていた。

日本の普通の大学生が「英作文」なんて20年早い。

きちんとした英文を真似て書くしかない。

日本人丸出しの発想で英文を捏造されても困る。

英語に見えるけれども、英語じゃない。

1年ぐらい留学して書ける英文は、友人相手には問題なく送れる程度のE-メイル文だ。

留学先で親切に英文を添削してくれる教師に出会うとしたら、それは、まだ添削できる英文を書いてるからだ。

添削ではなく全部を書きなおさなければならない場合は、もう捨て置かれる。

あたりまえだ。

なんで、安月給の語学教師がそこまで脳足りんの留学生に親身にならねばいけないか。

だいたい、語学留学なんてもの、そのものが頭がおかしい。

英語そのものならば、日本でできるんだから。

日本で英語をきちんと勉強しなかった人間が、なんでアメリカやカナダに行って本気で勉強するんよ。

したがって、「語学留学」したけど、「語学留学」したからこそ、英文もどきの無茶苦茶なアルファベット並列文を書いて、英文を書いたつもりの日本人は多い。

私は、もう、つくづく、学生の英作文の添削にくたびれた。

それが「英語の先生」の仕事であるので、長年やってきたが、もういい。

くたびれた。

英語風アルファベット羅列文に飽きた。

英会話なんぞというものは、テキトーにしゃべり散らしていればいい。

「世間話」なんて文法なんかどうでもいいし、散漫でもいい。

アメリカの田舎のオッチャンと「異文化コミュニケーション」するのならば、それでいい。

でも、プレゼンテイションは、英会話とは違う。

何を伝えたいのか明確になってないと困る。

伝わりやすいよう伝えることを組み立てていないと困る。

そうしなさいよと、参戦学生たちを追い込むのは、しんどい。

学生さんもしんどいであろうが、教員もしんどいよん。

「いったい、何をあなたは言いたいの?」と質問されるだけで、学生はビビる。

自分が言いたいことは、親や教師や他人が推量してくれるものと暗黙の期待をして育ってきた子たちだもの。

言いたいことがないなら無駄口たたかず黙ってろ。

言いたいことがあるなら、わかるように話せ。

わかるように話さなければ、わかってもらえない。

他人にわかるように話せない人間は、「誰もわかってくれない!」と泣いてろ。

表現力のない人間は無視され足蹴にされて当然だ。

表現力のない人間を理解する義務など、誰にもない。

なんて、そんなこと誰にも言われたことないんだよな、今まで。

日本語でさえ「言いたいことがあるなら、わかるように話せ。わかるように話もしないで、わかってくれないと騒ぐな!」なんて、他人に要求されたことがないんだよな。

日本に生まれて普通に育つと、散漫なこと言っていても人生が過ぎるからね。

そーいう生き方でいいと思うなら、英語プレゼンテイションなんかしなくていいよ。

ドタバタドタバタといろいろあって、前日の予行演習は午前1時まで続いた。

で、当日のコンテストでは、参戦学生たちはめでたく最高の自分を全開した。

みんな、カッコ良かった!

ユーモアも交えて生き生きとプレゼンできた!!

本番がもっとも輝いていた!!

去年より、プレゼンテイションの質は上がったと思う。

まあ、私が満足したという意味ではないけれども。

私のイメージには合致していないコンテストではあったけれども。

最初の2012年のときは、私も遠慮して、あまりダメだししなかったけれども、いい加減に「お子ちゃまのお守り」やっているのも嫌になり、2013年からは厳しくなった。

終わったときの安堵感……

私の大学教員としての最後の「英語プレゼンテイション・コンテスト」が終わった。

翌日の昨日は爆睡しましたです。

さてさて、もうすぐスーパームーンだ。

ニュージーランドでは震度7.8の地震だ。

2016年が無事に終わるとは思えない。

2017年は、さらに激動だろう。

みなさま、御油断なく。

私も、もうちょっと水を備蓄しておくかな。

重い水を運んでくださるクロネコヤマトや佐川急便の方々、申し訳ないです……