定点観測地としての大須

本日は2017年7月26日水曜日である。

ここずっと高温多湿に負けてる。

超訳「水源」Blogも放置だ。

超訳作業は、思ったよりも難儀な作業であった……

アホだ……

朝起きて湿度計見ると70%超えてる。うわ。

冷房の効いた室内から戸外に出ると眼鏡がくもる。うわ。

でも、私は、なんかブチブチ書いてないと精神が安定しない人間なんで、高温多湿で廃人にならないように、なんか書く。

Facebookの職業欄を、「フリーター」から「ブロガー」にしたった。

(無収入の)職業にしたんだから、ブログ記事を書く。

今日は、名古屋の大須(おおす)ついて書く。

大須は、私が定期的に歩き回りチェックする名古屋で唯一のエリアだ。

私は買い物は、食材以外はすべてネット通販なので、繁華街は歩かない。

ウインドウ・ショッピングもしない。どうせ私が着れるサイズは売ってないし。

栄(さかえ)も名古屋駅前も通過するだけ。

だけど大須は歩く。

ジロジロと見つめながら歩く。

3つくらいの大通りとアーケード街で構成された比較的狭い区域なので、ザザッと1時間も歩けば、街の変化がわかる。

つまり、世の中の変化がわかる。

大須は、私にとって社会の移り変わりをチェックできる定点観測所だ。

大須は、大須観音の門前町だ。

大須観音は、1324年に後醍醐天皇によって創建された北野天満宮の別当寺として創建された真福寺が始まりらしい。

織田信長の織田家の菩提寺の万松寺(ばんしょうじ)もある。

今では、この万松寺は、今風のコインロッカー式納骨堂で有名だ。

信長関係のお寺は、このエリアに他にもあって、駐車場を経営しておられる。

幕末には、大須観音の北に遊郭ができて、男性で賑わったらしい。

これは大正12年、1923年に中村区に移動して中村遊郭となった。

ちなみに、この中村遊郭は、今では風俗店街になっている。

昔の遊郭屋敷は、リサイクルされて、高齢者用デイケアセンターになっている。

なんか曰くありげな色っぽい建物が、老人施設になっているのはおもろい。

1945年3月の空襲で、大須の一体は焦土と化した。

しかし、私がガキの頃の1950年代や60年代は、名古屋の庶民が気楽に歩ける繁華街として復興していた。

当時は、仏壇店、家具店が多かった。演芸場があり、各種大衆食堂系飲食店が軒を並べ、街頭には占い師たちが腰かけて、通りすがりの人に声をかけていた。

「あ!ちょっと、ご主人!なんか気になるがね!ちょっと、ちょっと、しっかり顔見せてちょーだやあ〜〜」とか名古屋弁で人相見さんが客引きしてた。

ああいう街頭の占い師さんたちが面白くて、私は小学生の頃に、手相と人相について本を買い込んで自学自習した。

栄や広小路は、サンダルばきでは行けず、ちゃんとオシャレしないと歩けない繁華街だけど、大須は、サンダルばきで闊歩して構わない繁華街だった。

1970年代に入ると、大須が寂れ始めた。

1980年代のバブル期は、もっと寂れた。

アーケード街には、老人がトボトボ歩いているだけであった。

この大須が再び活況を呈し始めたのは、90年代始めあたりからだ。

まずコンピューターやIT関連機器を売る電気街として、若い人々が集まるようになった。

東京の「秋葉原」的に、名古屋のオタクが集まる街になった。

メイド喫茶もできた。コミケ雑誌店もできた。コスプレ専門店もできた。

アジア雑貨屋が増えた。手作りの革製品ショップが増えた。

ロリータファッションの店舗が増えた。

ゴシックロリータファッションで決めた女装の男の子が歩く街となった。

ブランドもののリサイクルショップのでっかいビルがオープンした。

古着ショップが集まった。

マンハッタンのSOHOとチャイナタウンをごっちゃにしたような、なんでもありの雑多な雰囲気の街になった。

大須でコスプレパレードが開催されたのは2004年だった。

今では、名古屋随一の多文化主義(?)の街だ。

中華や台湾や韓国レストランはあたりまえで、ブラジル料理店、トルコ料理店、ベトナム料理店が集まっている。

イスラム教徒用のハラール食料品店もある。

このブラジル料理店は、大須では老舗になってきたなあ。

今は多いのはゲーム店だ。

ディスプレイに映し出されるキャラクターとそっくりにダンスする少年。

黙々とひとりでダンスする少年。

私には不可解な意味不明な現代の若者たちの生態。

外国人観光客もどんどんどんどん増えている。

聴こえてくるのは、中国語に韓国語にタイ語に、その他のアジア系言語に、英語に、スペイン語かポルトガル語らしき言葉だ。

「お!イケメンの2人組だわん!カッコいいじゃないの!」と思うと、その2人は韓国語でしゃべってる。

どうも若い男の子の「男前度」では日本人は負けている。

まあ、女の子の「ファッションセンスのクール度」でも負けているんだけどさあ。

外国人観光客向けのDuty free shopも増えた。

和服の古着ショップでは、白人の観光客が羽織とか帯を吟味している。

タペストリーにでもするんかな。

去年は売ってなかったのに、「ドローン」を売っているプラモデル店もある。

1ヶ月行かないと、店舗が変わっている。

レストランが消えている。

変化が激しいのが大須だ。

この「おへそ」ヒーリング店は、前は水晶とかのパワーストーン店だったけれど。

大須は、上海あたりを参考にしているのかな?

上海の繁華街によく置いてあるような椅子が並べられ始めた。

外国人観光客さんが、よくここで休息しておられます。

ドンドン変わる大須。

変わらないのは、「サンダルばきで行ける街」ということだ。

はっきり言って、浅草ほどの情緒はない。

難波や道頓堀みたいな規模の大きさやエネルギーはない。

博多は中洲みたいな、氾アジア的エキゾチックなユニークさもない。

まあ、それが名古屋だ。

その中途半端な平凡さ。

居心地のいい平凡さ。

それが名古屋の良さ。

大須には、 昔ながらの名古屋があり、新しい風も吹く。

この街の老舗のお好み焼き店「しらかわ」は、大通り沿いの白い綺麗なビルの中に本店の店舗を構えている。

しかし、私が行くのは、裏通りにある昔の古い店舗の「しらかわ」だ。

お爺さんとお婆さんとアルバイトの大学生数人がいる小さな狭い古いお店だ。

なんちゅう昭和チックでしょーか!!

ここで焼くお好み焼きに、そばなんか入ってない。

「広島風お好み焼き」なんか断じてない!

ただし、大阪のお好み焼きの真似はする。

お好み焼きのソース以外に、マヨネーズを用意する。

これは、昔の名古屋のお好み焼き店にはありえなかった。

ともかく、私がガキの頃に、学校の帰りに友だちと寄り道したお好み焼き店のノリが残っているのは、今や、大須の「しらかわ」だけだ!!

あの頃の小学生はのんきなもんだった。

近所に新しい銭湯が開店すると、学校帰りに、友だちと入りに行ったもんなあ。

午後3時頃の大浴場は誰もいなくて、騒ぐことができたとよ。

昭和30年代だから、あの頃、いくらだったのかなあ。銭湯代は。忘れてしまった。100円くらいかな?

大須は、昔の名古屋を思い出させてくれる街でもあり、今という時代を教えてくれる街でもある。

今の大須は、名古屋では珍しく国際色豊かなエリアであるが、なんらかの状況で、このエリアから外国人や外国人経営のレストランが消えることもあるのだろうか。

私が死ぬ頃の大須は、中国語の看板が氾濫して、ほんとにチャイナタウンになっているかもしれない。

ということで、21年ぶりに帰ってきて正式住民となった名古屋は大須をウロチョロ歩いて、100円ショップで1800円分のプラスチックの整理箱を買い込み、マンション購入以来24年ぶりに台所を徹底断捨離整理して、室内プチ熱中症になった私でありました。

今日は、夕食は、お好み焼きにするかなあ。

プー子から見た風景(4) テーブルと椅子

本日は、2017年5月26日金曜日である。

昨日は尾道から福山に移動して福山に宿泊した。

今日も福山に宿泊する。

面白いよね。

短期間であれ、自分が住んだことがある場所に来ると、「帰ってきた」という感覚になる。

大阪に行けば、帰ってきたなと思う。

ニューヨークに行けば、帰ってきたなと思う。

福山に来たら、やっぱり「帰って来た……」と思った。

でもまあ、自分が一度でも行ったことがある場所なら、再訪すれば、帰ってきたなと思うのかなあ。

でもってですねえ、今日は、無職のプー太郎ならぬプー子になってみると、福山の知らなかった貌を見たよ、という話を書く。

昨日は午後遅くに、福山市内のよく通っていた中国整体院に整体と漢方蒸しの予約をしていた。

で、尾道から福山に着いてから数時間ほど時間があったので、ホテルのチェックインまで荷物を預けて、駅前をウロチョロしてみた。

すると、福山駅近くにある「アイネスフクヤマ」という商業ビルが面白いことに気がついた。

その「アイネスフクヤマ」というビルの中に入ったことはなかった。

このビルの2階にある「サルヴァトーレ・クオモ」というイタリアンレストランには、ネット予約して、ピザの配達とかお願いしたことは何度もあったけれども。

ここのピザは美味しいんすよ。

学生さんと研究室で話し込んでて、お腹が空いたね〜〜ピザの出前を頼もうか〜〜ということで、学生さんがスマホでネット注文してくれたんで、ここのピザの美味しさを知った。

もう、あそこのピザの美味しさを知ると、他のお店のピザを食べることできないよ、ほんと。

それはさておき、この「アイネスフクヤマ」というビルには、やたらと空きスペースに椅子とテーブルが置いてある。

あちこちに置いてある。

こんなところにも?というような目立たない場所にも置いてある。

これらのテーブルと椅子のスペースは、2階にも設けられていた。

2階には、カルチャーセンターの教室とか、旅行代理店とか、クリニックとかがある。

空いたところに、やたらと椅子やテーブルやベンチが置かれるのは、大学のキャンパスあたりだと、今は普通だ。

でも、商業ビルもそうなっているのかな?

日本も東京や横浜だと、今はこうなっているのかな?

誰もが使えるテーブルと椅子が置かれていると、誰もがちょっと腰掛けたくなる。

で、お昼時であったので、いろいろな人が、そのスペースを利用して軽食を採っていた。

コンビニで買ったようなものを、そこで広げて食べていた。

食べたあとは、ずっとそこに座り込んで、おしゃべりに興じる高齢者のグループもいた。

かと思うと、なにか書類を広げて読んでいる人もいた。

スマホをいじっている人もいた。

あまり目立たない所に置かれている椅子とテーブルに着いて、静かにゆっくりと、コンビニで入手したらしいお蕎麦を上品に口に運んでいる高齢の紳士もいた。

気をつけてみると、テーブルと椅子ばかりではない。

そのビルには、人が気楽に腰をかけることができるスペースが用意されている。

下の写真のようなベンチとか。

こーいうベンチに腰かけて、スマホに英語で話しかけている女性もいた。

日本人の女性である。

こういうベンチに座り込んで文庫本を読んでいる初老の女性もいた。

かく言う私も、ウロチョロと、そのビルの「椅子とテーブルが置かれている場所」をチェックして、iPadで撮影している暇そうな初老のオバちゃんである。

そのビルに置かれているテーブルや椅子を利用する人々は、ほぼ絶対に、その商業ビルに入っているお店には入らない。

若い人向けのファッショナブルな衣類やバッグが売られているショップやネイルサロンが、1階にはある。

ネイルサロンに入る女性は、ネイルサロンにサッサと入るのであって、テーブルや椅子など使わない。

近所には福山市役所やオフィスがあるので、休みどきには、市役所職員や会社員らしい人たちが歩いている。

でも、その人たちは、「アイネスフクヤマ」ビルの中の椅子やテーブルなど使わない。

どこかのレストランで、ランチを食べるのであろう。

あのビルを設計した人は、どういうつもりだったのかな。

その設計者は、商業ビルに訪問する人々の憩いの場所として、ああいうスペースを設けたのかもしれない。

でも、実際の週日の昼間に、ああいうスペースを利用するのは、商業ビルに用がある人々じゃない。

街に出てきたけれども、行き場のない人々だ。

そのビルのテーブルと椅子を使っている人々は、孤独であるように見えた。

スマホで誰かに話しかけていても、孤独そうに見えた。

高齢者の人々は、グループであれ、ひとりであれ、時間を静かに持て余しているようであった。

それでも、家でじっとしているのではなく、誰もが街に出たい。

外気にあたりたい。

陽の光を浴びたい。

街の活気を浴びたい。

しかし、街に出ても、行くところもない。

買いたいものもない。

買えない。

そういう人々にとって、ああいう椅子とテーブルは福音だ。

テーブルと椅子が置いてあれば、座っていい。

とりあえず、そこにいれば 怪しくない。

私も、ホテルにチェックインできず、かといって映画館にもデパートにも行く気はせず、前の職場に寄るなんて思いもつかず、なんとなく、そのビルの中を独りでウロチョロしていた。

エレベーターの前に置かれた椅子に座り込んで、テーブルに肘をついて、iPadでKindle本を読んだりした。


商業ビルの中の椅子とテーブルにベンチ。

街に出てきても行き場のない人々のくつろげる場所。

孤独にボケッとしていてもいい場所。

「アイネスフクヤマ」の設計者は、功徳を積んだよね。

あのように、あちこちにテーブルや椅子やベンチを置いたので、おかげで、街に来たのはいいが行くところがないし、することもない人々が、そのスペースを利用できる。

ニューヨークの公園のベンチなんてさ、ひっくりかえって寝ていると警官が注意しに来たものだった。

今では、ベンチに寝っ転がれないように鉄枠でベンチを3席分に区切ったりしてる。

ケチ。

ホームレス対策らしいけれども。

いいじゃないか。ホームレスも街のにぎわい。

街ってのは、ニッチがいっぱいあるべきだ。

オープンでありつつ、孤独にしていられるスペースがいっぱいさり気なくあるべきだ。

行くところのない人間にとっての、しばしのヤドリギが、あちこちにあるべきだ。

カネ使わずに居ることができるスペースが、あちこちにあるべきだ。

街が好きだけど、行くところがない人々のスペースを、街はいっぱい作っておくべきだ。

商業ビルの中の椅子とテーブルの風景。

これこそ、無職のプー子でないと見ることがなかったであろう風景だなあ……

と、私は、「アイネスフクヤマ」ビルに感謝したとよ。

さて、これから私は歯科室「むつてっせん」に行きます。

定期的チェックを受けるために。

「舌剥がし」という口腔内の健康維持のための施術を受けに。

痛いそうです……

タオルを用意してくようにドクターに言われております。

泣くほど痛いのか……

シェアの時代  Share! Share!

本日は2017年1月31日火曜日である。

1月最後の日である。

あさっての2月2日に生まれて初めての「最終講義」があるのに、風邪っぽい。

微熱あり。喉が痛い。背中が痛い。だるい。しんどい。

どーするんだ。

どーもしないよ。

それはさておき、今日は「シェア」の静かなる普及と流行について書く。

きっかけは、美容院だった。

女性にとって、いきつけの美容院の馴染みの美容師さんは、親友のような存在である。

3週間や4週間に一度会い、3時間ぐらいは接する。

人によっては毎日接するかもね。

その間に、いろいろな話をする。

いろいろな話を聴く。

どこの病院がいいか、どこのレストランがいいか、どこの整体院がいいか、情報交換もする。

自然に自分の生い立ちや家族のことも話すようになる。

それが10年以上も続けば、馴染みの美容師さんは家族未満友人以上になる。

私が2005年あたりからお世話になっている美容室の美容師さんは、私より4歳か5歳ほど年下であり、ほぼ同世代である。

非常に頭のいい勉強熱心な美人である。

一流企業を定年退職なさっているご主人と、すでに成人している3人のお子さんもおられる。

家庭と仕事の両立をしてきたタフな女性である。

東京生まれの東京育ちらしく、名古屋人的な田舎モンの偏狭さがない。

お姉さんは大学に進学したが、「文系の大学を出ても食っていけない。でも理系に行ける頭じゃない」と冷静に自分を査定したそーだ。

で、美容師になった方である。

私と同世代の女性で、そこまで現実的に自分の進路を見定めることができた女性は少ないよ。

そういう女性なので、綺麗事は言わない。

偽善的なことは言わない。

非常に地に足がついている。

他のお客さんの前では知らないけれど、私の相手をしているときは「朝日新聞」みたいなことは言わない。

この美容院と美容師さんに出会うまでに、私はいろいろな美容院をさまよった。

私は、頭が悪い女性は嫌いだ。

品のない女性も嫌いだ。

ブスも嫌いだ。

センスが悪い女性も嫌いだ。

ギャアギャア無駄口の多い女性も嫌いだ。

運の悪そうな女性も嫌いだ。

そーいう人に、髪や頭を触られたくない。

あ、私は男性の美容師は想定しておりません。

すみません。

私の気難しい神経に触らなかった唯一の男性の美容師は、マンハッタンの美容院に勤めていた日本人男性でゲイだった。

ゲイは頭がいいね。

ゲイとカミング・アウトしなくても私にはわかるのだ。

ともかく、私は、長年のさすらいの末にようやく出会ったのだ、その美容院と美容師さんに。

ところが、その美容院と美容師さんがビジネス形態を変えると言う。

場所も移転すると言う。

シェアハウスとかシェアルームならぬ、「シェア美容院」に参入すると言う。

これまでは、ひとりのアシスタントを雇い、多忙な週末は「美容師派遣業者」から美容師を派遣してもらって美容院を経営してきた。

しかし、「私も2017年で還暦になるので、仕事の仕方を変えたい」と言う。

「自分のペースで自由にやりたい」と言う。

で、長年ともにやってきたアシスタントさんに転職を薦め、別の職種の資格をとってもらい、円満に解雇したと言う。

確かに、あのアシスタントさんは人柄は良かったが欲はない感じだったからなあ。

かつては、美容師はどこかの美容院に勤務し、技術を磨き、独立する例が多かった。

ところが、1970年代末あたりから美容院の数が増えてきた。

美容師の数も増えてきた。

競争が激しくなった。

せっかく独立して美容院を開いても客が来なくて経営が成り立たない事例が増えてきた。

かつては、将来は独立できて稼ぐことができると見込めたからこそ、大きな美容院に勤務し、店長を任され、夜遅くまで働いても、なんとか我慢できた。

今は、そのような時代ではない。

今は、そのような残業に対して労働基準局もうるさくなってきた。

それで、今の若い美容師さんは、大きな美容院で修行せずに、最初からフリーランスの美容師になるんだそーだ。

知らない人間から見ると、普通の大きな美容院であるが、実際はフリーランスの美容師さんが複数でルームシェアして、自分を指名する客だけを相手にしている例が増えてきたそーだ。

そういう美容院と知らずに行っても、誰も接客してくれません〜〜受付もありません〜〜

「面貸し」と言って、鏡と椅子だけのスペースを借りる例もあるそーだ。

その日に指名客の予約がなければ出勤しない。

指名客の予約希望時間については、極力対応する。

午後6時までしか営業しません、ということはない。

夜の10時でも対応する。真夜中でも対応する。

連絡は、みな美容師さん個人の携帯電話であり、店の代表電話はない。

会計も、その美容師さんがする。

で、私がお世話になってきた美容師さんは、他の美容師さんと部屋代を折半して、予約客だけを相手に営業することにしたと言う。

部屋代は、今まで20万円ほどだったけれども、今度は折半で12万円ですむし、今度のオフィスは駅に近い。

8万円の場所代圧縮。

それは大きい~~~!!

場所代だものね〜〜〜問題は。

支出削減のためには、家賃の圧縮は一番にすべきことよ。

他の美容師さんがルームシェアを辞めても、部屋の賃貸料が2倍にならない契約も大家さんと済ませたそーだ。

予約客のみ相手なので、毎日美容院をオープンする必要はない。

長年の間に、顧客との信頼関係を造ってきたからこそ、できることだ。

私だって、もう他の美容師さんは嫌だもんなあ〜〜〜

最近は、このようなオフィスシェアは増えている。

郵便物の受け入れ先も必要だし、税金対策も必要だし、オフィスの住所というのもイメージ的に大事だ。

やはり吉原より銀座であろう。

オフィスは繁華街に構える方がいいだろ。

しかし、そのスペースは他の複数の会社とのシェアという例は、かなり前から普通になっている。

パソコンとかプリンターとかコピー機のリース代とか光熱費も分担できる。

シェアしている会社もいろいろで、最低限の数の社員が電話番、連絡担当として常住している場合もある。

ただオフィスが形式上あるだけで、借り手はたまに出勤というケースもある。

顧客との連絡なんてスマホがあればできるもんね〜〜

会議室だって、今は貸会議室ビルが隆盛だしなあ。

自前で所有する必要は全くない。

最近は、オフィスシェアの費用さえ、惜しむようになっている。

フリーランスの人たちが、「スターバックス」でパソコン仕事をするようになったのは、いつ頃からだったか。

商談とか会議とかを「コメダ珈琲」でやっている人々もいる。

「ロイヤルホスト」において、胡散臭いセミナーを開いて、数人がかりでひとりの女の子を洗脳している現場を私は見たことあるぞ。

個人教授と言えば、かつては自宅に訪問して……が普通であった。

しかし今ではファミリーレストランばかりでなく、「コメダ珈琲」や「スターバックス」や「タリーズ」とかで、教えている。

2時間ぐらいならば、粘れるもんな。

でもなあ、あれでは英語の発音とかの指導はできないだろうなあ……

家庭教師ではなく「コメダ珈琲教師」である。

お店もウンザリしたのか、「商談や会議やセミナーでのご利用はお控えください」という注意書きを店頭に掲げている店もある。

友人が留守の時間帯に友人の部屋を掃除することを条件に、友人の部屋を無料で使わせてもらい、ギターを教えるという事例も聞いたことがある。

アメリカ人女性とお茶しつつ、自分は英語を学び、アメリカ人女性は日本語を学ぶという事例も聞いた。

そういうマッチング・ウエッブサイトもあるそーだ。

こういうのもいいね。

お金を使わずに、互いの知識や技能をシェア交換するわけだ。

自動車のシェアにせよ、このようなシェアリングの静かな普及というものを、どのように解釈すべきだろうか。

物なんか持たなくてもいいんだと、人々が物の所有にこだわらなくなったのか?

何をするかが問題であって、それをする空間は公園でもカフェでもいいということになったのか?

ただ単に余分なカネは使えないという不況時代の庶民の知恵なのか?

最近は、葬式費用が高くて無駄だからということで、遺体は病院から自宅に運ばれ、そこで葬儀屋を呼んで商談……ではなく、遺体を安置する「ご遺体ホテル」に運び、そこから火葬場に行く「直葬」というものもある。

自宅が狭くてご遺体を安置できないので、「ご遺体ホテル」に運び、そこで家族が水入らずで別れの時間を過ごし、火葬場に運ぶのである。

これはいいアイデアだ。

葬儀屋に依頼して葬式を出すとなると、簡単に数百万円が飛ぶ。

僧侶への謝礼もバカにできない。

葬儀の参列者も忙しいから、迷惑をかけたくないし、気遣いされるのも煩わしい。

だから、身内だけでという家族葬は増えている。

冠婚葬祭も特定の時代の慣習であり、永遠に続くものではない。

いろいろ変わって行くのだろう。

それと同じで、所有形態も変わって行くのだろう。

その他にも、シェアできるものは、どんどん発見され考案されるのだろう。

いわゆる「エスコート・サーヴィス」なんてのも、あれもシェアみたいなもんだもの。

たまにいっしょにデートしてくれるガールフレンドのシェアに、ボーイフレンドのシェア。

配偶者と愛人は夫や妻を奪い合うのではなく、「シェアしている」と思えばいいけれど、そうはいかないか。

ひとつの建物を複数の学校でシェアもありえるのではないか。

夕方までは福山市立大学。夕方からは福山コンピューター・プログラミングスクール。

夏季休暇は、予備校に貸し出して受験特訓。

私なんてさ、夕暮れから閑散とする福山市立大学の教室や部屋を学習塾で貸し出せばいいのに……と思うよ。

公務員は副業禁止だけど、安月給なんだからそんなこと言ってないでさあ、アルバイトしたい教職員や学生や卒業生に使用させて使用料金を徴収すればいい。

まあ、この地球だって、ここで生きている人類を含む生物みんなでシェアしているようなものだ。

シェアリングというのは、「共有」に似ていて、「共有」とは違う。

あらかじめ所有しないことを前提に、使用時間を合意の上に決めて、ルールを定めて使用する。

お借りするだけ。

もともと、この世で手にしたものは、死ぬ時に手離すのだものね。

厳密に言えば、この世の全てのものは、誰のものでもない。

だから、シェアするという使い方が、ほんとうは一番に正しくて真実に近いのかもしれない。

まだまだ、いろんなビジネス・チャンスがあるようだ。

暇つぶし能力の劣化

本日は2017年1月3日火曜日である。

昨日も入院中の妹を見舞ったが、大晦日や元旦は静かであった街が、すでにザワザワと蠢いていた。

初売りとかで、デパートだのショッピングモールは開店していた。駐車場はいっぱいだった。

私は、妹から依頼された(注文の細い)下着の物色に某ショッピングモールに出かけた。

パンティを漁っただけだが、くたびれた。

どこから人が湧いてくるのかと思うほどの人出であった。

私は妹の下着を購入しただけで、すぐに退散。

私が欲しいものは売っていない。

現金はセールしてないからね。

2日ともなると、飲食店もかなりが開店しているようだった。

コンビニは大晦日も正月も24時間開店。

大晦日や元旦には高速道路もあまり走っていなかった自動車も、わらわら増えていた。

道端を歩く人々も増えていた。

特に家族連れが多い。おじいちゃん、おばあちゃん、おとうさん、おかあさん、子供たちで、5人以上の集団が街角を彷徨っている。

大晦日や元旦は屋内にいたけれども、外気が欲しくて、家から出たという感じだ。

やることもないし、おせち料理も飽きたから、外食でもしようかという感じである。

各種のファミリーレストランや、「コメダ珈琲店」の駐車場いっぱい。

レストラン前に空席待ちで立っている人々もいる。

これだからなあ…

うちの学生さんが、アルバイト先の飲食店が忙しいので、年末年始に実家に帰れません〜〜1月7日と8日に休みもらえます〜〜と言うはずだ。

大晦日や正月3日間くらい休め!休業せい!

コンビニも閉店せい!

レストランも休め!

外食なんかしなくても死なない。

Amazonも正月ですら「翌日配達」なんかせんでいい。

ただし、公共施設は無給でオープンでしかるべきなのに、公共施設はしっかりと休業だ。

みなが休息する大晦日にお正月は、公立図書館は24時間オープンでいいのに。

県立博物館、国立美術館オープンでいいのに。

動物園も水族館もオープン。

国会議事堂もオープン。

各種役所は全部オープン。

お城も皇居の一部もオープン。

官邸オープン。

普段は、そういうところの内部を見学する時間は一般ピープルはないのだからさあ。

病院や警察や軍隊までオープンにせいとは言わないからさあ。

なのに、公共施設はしっかり閉じている。

みんな、公務員になりたがるはずだ。

いまどき、どこもかしこも民間企業は厳しくてブラック化しているから、「人間らしくマイペースで生きたい」と思えば、公務員になるしかないのだろう。

「人間らしくマイペースで生きる」つもりが、あまりに自分に負荷をかけずに生きることができるから脳をやられて早々と認知症になるだけなのであるが。

私が何を言いたいかと言えば、つまり。

日本のサーヴィス業の過剰労働は、ただでさえ劣化しつつある日本人の「暇つぶし能力」を、さらに劣化させるということだ。

大晦日やお正月にファミリー集合したって、嬉しいのはお年玉をもらえるガキだけだ。

大人たちにとっては、互いに特に話すこともなく、うざいだけだから、どこか行こうかとなるのも無理はないけれども。

TVもつまらんしねえ〜〜〜最高につまらんしね~~♪♪

「芸能人かくし芸大会」はとうの昔に消えたし。

1970年代のあの番組は本気でやってたけどね。

英語劇や中国語劇なんて、面白かったですよ。

いっそ正月はTV放送なしとかも、いいんじゃないの。

滅多に会えないファミリーのコミュニケーションをはかるのも、難儀よね。

話し合うといっても、世代も習慣も好みも違う。

議論の方法なんて知らない。

うっかり深く話込んだら口論や喧嘩になりかねない。

成人以後の親子なんて、互いに我慢しあってつきあっているんだから。

ましてや、結婚相手の家族なんか知らんわ、何も話すことないわ〜〜正月くらい気楽にやりたいのに〜〜〜

というのが、若いお嫁さんやお婿さんの本音だ。

それでも、お盆とか年末年始の休みぐらいには、「面談」しないといかんわけよ。

「会って喋ってみる」ということを定期的にやってみないといかんわけよ。

全く会わなくなると、家族だって壊れていくし、消えてくいくのだよ。

面倒くさいけれども、親と会ってみる。祖父母と会ってみる。退屈だけれども喋ってみる。

ということが必要なんよ。

血縁なんて、すぐに無縁になるのだよ。

若いお嫁さんやお婿さんには、あえて私は言いたいのだよ。

年に数日間ぐらいの結婚相手の家族へのご奉仕ができないようでは、あかんのよ。

それぐらいのことができないようでは、人生の荒海を泳ぎ越えることができないんよ。

世の中を泳ぎ切るには、まずは、ご奉仕ご奉仕ご奉仕なんよ。

give& takeできるのは長期的視野に立ってこそであり、短期的にはご奉仕ばっかりなんよ。

そんなことは誰でもわかってるよね?

まあ、それでも大邸宅でもない家の中で顔をつきあわせているのも気鬱なんで、だから、どこか行こうか、三越は高いから、イオンに行こうか、福袋を買おうか、となるのであろうけれども。

しかし!

日本のサーヴィス業に従事する人々を過労に追い詰めないためにも、ブラック化を促進しないためにも、日本人はもっと暇つぶしの方法を開拓しないとなあ。

独り遊びにせよ、数人遊びにせよ。

老若男女で餃子を大量に作り焼くとか。

お母さんとお嫁さんだけに任せちゃダメ。

いまどき料理できない男はゴミ。

子どももやれることをする。

古典的に百人一首するとか。

家族めいめい勝手にひっくり返って読書でもいいし。

家族で「プレゼンテイション・コンテスト」やってみるとか。

おじいさんが創作した先祖の物語の朗読会やってみるとか。

一族みんなで仮装行列して神社に行くとか。

ただただ街を踏破するとか。

これは「難民プレイ」である。

満州開拓民の悲劇を追悼しつつ。

シリアの難民に思いをはせ。

不謹慎すみません。

でも、想定しておくことは大事だ。

想定しておけば起きない。

油断していると、起きる。

それにしても、他人事ながら、(金のかからない)暇つぶしの方法を考案できない人間は、どうやって生きていくのかいな・・・

と思う正月の3日でありました。

入院中の妹が「退屈だ」と言った。

そりゃそうだよ。

食べることも飲むことも入浴も外出も禁じられてるんだから。

こっそりと点滴のポールを引きずりながら、この大病院中を探検したらどうか、この一角はなんかきもい……成仏してない霊の溜まり場かも……とか発見があるんじゃないか……

と言ったら、黙殺された正月の3日であった。

12歳に見える超古老が日本人か?

本日は、7月28日木曜日だ。

2学期は年間の中で、卒論提出時期と同じくらいに忙しいのであるが、その忙しさの峠は過ぎた。

やれやれ。

先日、Facebookで「マッカーサーは日本人の精神年齢は12歳と言ったけども、いまだにそうで・・・」みたいな投稿をしたら、桃山学院大学時代の同僚で10歳くらい年下の畏友の安全保障学研究者の松村昌廣氏が、「いや、日本人は超古老なんだ。実はそうなんだ」とコメントが返ってきた。

それについて、私なりに考えてみた。

私は、反対意見をもらうと、素直に考え直す人間である。

松村氏は、私の「文学部的思考」を「社会科学的に」コテンパンに批判する。

リアリズムの観点から、私の文学部的思考=人間の思惑や願望や期待とは別に動いているこの世界のシステム(疎外)を忘れて、人間の感情や願望に重きを置いてしまう軟弱なセンチメンタリズムを批判する。

「うっせーなあ~~~どう思おうが、私の勝手じゃんか!!」と思うことも多々ある。

しかし、的確な批判をしてくれる優秀な友は貴重だ。

無料で教えてくれるんだからな。

話は戻り、精神年齢12歳に見える日本人は、実は超古老だという件について。

私が思うのは、第二次世界大戦敗戦直後の日本人の変わり身の早さだ。

進駐軍は、あれだけ南の島々でも沖縄でも抵抗した日本軍と日本人だから、もう本土上陸となれば、どんな抵抗にあうか・・・と戦々恐々だった。

が、日本人は抵抗しなかった。

つまり、日本人は、第二次世界大戦の大義、大東亜戦争の大義なんか信じていなかった。

ということだよね

鬼畜米英のスローガンも信じてはいなかった。

状況がこうだから、テキトーに本気のフリして、状況にあわせておくが、ほんとうは心の奥の奥では、こう思ってた(のかもしれない)。

「何やってもさあ・・・しかたないよね。やりたければやるしかないけど、すべて消えていくよ。風に吹かれて飛んでいく塵芥よ・・・だけどまあ、今のこの時点では何か意味あることをしているつもりでやるんだけど、ほんとはみな、どっちでもいいようなことよね・・」と、日本人は思っていた(のではないか)。

こーいう世界観を「諸行無常」と呼ぶのだけれども、歴史が長い日本では、そういう世界観を言語化して意識したのも随分と歴史的に古いので、日本人は自分で意識もできないぐらいに深く深く「諸行無常」なのではないか。

この世界観は、もう心の奥の奥の遺伝子に書き込まれてしまっている。

だからして、自分がほんとうは何も信じていないし、すべては消えていくものだから受け容れる真似だけしていれば、時間が解決すると思っているということを、日本人は自覚できていない(のではないか)。

よく日本人一般は、政府がどんな政策をとっても怒らないと言われる。

どんな理不尽も受け容れて黙々と奴隷のように生きていくと言われる。

洗脳されたままに騙されて酔生夢死で生きて死んでいくと言われる。

そうなのかもしれない。

少なくとも表面上はそうだ。

でもさ、これ日本人の無自覚な知恵かもね。

ひょっとしたら最強の思想かもしれない。

歴史が古いからさ、権力者だろうが奴隷だろうが、同じ人間であり、考えていることはあまり変わらないと日本人はわかっている。

だから、ほんとのところは権力者に期待していない。

こんなもんじゃないの?と思っている。

というより、自分たちとは関係ない人々に興味は持たない。

興味のあるフリしてるだけで、どうでもいい。

戦前のゴリゴリ天皇制時代において、日本人の庶民は陰では天皇陛下のことを「天ちゃん」と呼んでいた。

「天皇陛下は神だ」なんて信じていたのは、ガキと軍人の一部くらいなものだった。

それは、左翼的な天皇制への反感からではない。

天皇制はこう変わるべきだとか、こう変わるだろうとかの政治意識なんかあるはずない。

「自分たちには関係のない人であるが、まあ、ああいう風に祀り上げられるのも大変だよね・・・」的感覚だ。

だから、敗戦になっても、天皇を処刑するとか、国民が一丸となって責任を追及するとかされなかった。

言語化はできないまでも、当時の庶民の心理というのは、「あの人も立場上、ああいう風にしないといけなかったんだろうし、まあ、しかたないんじゃないの。それ以外の生き方なんかできなかったんだろうしさ。人間なんて弱いもん。軍部に抵抗なんできるはずないでしょ~~もういいじゃん、過ぎたことは・・」だったのではないか。

米軍が駐留して猛威を振るっている間は、猛威を振るわせておいて、従っておく。

米軍が帰ったら、それはそれで適当に時流に合わせておく。

だって、すべては流れ消えていくのだ。やきもきする必要ない。

幼稚に見えつつ、日本人は500歳も生きてきたんで世の中の流れを幻想なしに見るようになって久しすぎる超古老のように、すべてをテキトーに受け容れ、すべてをどうでもいいものとして流していく。

ジタバタと世の中を変えようとしても無駄。

市民革命なんて人類史上で起きたためしなし。

クーデターとか、特権層の間の権力闘争があるだけで、そんなもんあたいらに関係ない・・・

基本的に、ろくなことしかしないのが「お上」ってもんだろう。でも「お上」を食わせているのは、あたいらだから、あたいらを殺しちゃうことまではしないだろ・・・

たまに強烈に頭の悪い「お上」もいるけど。

でも、そんなの、あたいらがどうこうできるもんでないし。

殺されるときは抵抗するけど、まあ、テキトーにハイハイ言ってりゃいいんじゃないの。

どうせ他愛のない人間どうしだもん。面従腹背でいいっしょ。

ということで、日本人は「12歳に見えて、ほんとは超古老」説に、私は納得した。

私自身の心を分析してみても、私の心の奥の奥の奥には、「みんな時間の産物よ。歴史の産物よ。変わらないものなどない。普遍的なものなどない・・・」と思っているもの。

うんうん、そうか。日本人は、リバータリアン以上に徹底したリバータリアンなんだ。

ほんとは、日本人は、奴隷のふりした天上天下唯我独尊の永遠以上の長い時の旅人かもしれない。

ならば、中国が来ようが、ロシアが来ようが、日本人は「いやだなああ~~~」って顔はしても、面倒くさいから特に抵抗もせずに、ダラダラと従い生きていくだろう。

いずれは、すべては消えて去っていくものだからして。

こー言う姿勢は、カトリックみたいに「我々は、永遠の相の下に生きています」というほどのもんでもない。

永遠というものをカトリックが想定するとしても、その永遠は「神が宇宙を創り、神が宇宙を終焉させるまでの間」でしかない。

でも、日本人の心の奥底の古層にあるのは、そんな短い期限付き永遠ではない。

ほんとうにカトリックが、「永遠の相の下に」物事を見る人々ならば、プロテスタントをあれほど迫害はしなかった。

宗教戦争なんか起こすはずはなかった。

バチカンを頂点とした教会が徹底的に管理していく中世など、構築しなかった。

カトリックなんて、他の人間集団、他の圧力団体と同じ、利権拡大ゲゼルシャフトだよ。

何が神の栄光だ。

祈ってるだけで食ってゆけるような無能な人間の特権集団が。

カトリックはさておき、私は安心したよ。

まあ、心は超古老で、外見は未成熟な極東のアジアのチビのままに、日本人は生き残っていくであろう・・・

まあ、ガキばかりの世界の中で超古老が生きていくのは孤独ではありましょうが、ま、何とかなるっしょ。

ともかくね、日本人のみなさん、ご自分の心の奥の奥の奥の超古老に気がつきましょう。

その超古老が、あなたの魂だ。

西洋中心の学問体系によって、「日本はこうだから駄目だ!!」なんて自分や同胞を苛める必要ない。

エネルギーの無駄。

西洋中心の学問体系だろうがなんだろうが、騙しと欺瞞と洗脳のシステムであることは変わりないんだから、いつかは消えていくもの。

それでも、新しいものは生まれるよ。

で、また消えていく。

私たちの心の奥の奥の奥に生きる超古老は、びくともしないで見つめているよ。

あなたが意識できなくとも。