みなさま、明けましておめでとうございます。
2026年のみなさまのご多幸とご健勝をお祈り申し上げます。
本日は2026年1月2日金曜日です。
大晦日は、夕方から早々と入浴して、お節料理代わりのおでんも作っちゃって、夕食は昆布敷き詰めて、その上に牡蠣並べて白菜ちょっと乗せてお酒振って酒蒸しの夕食を終えた。ポン酢でいただきます。これ簡単でいいよ。今冬の牡蠣は小さいけど。


年越しそばは大晦日のランチで食っちゃった。
夜はBS TV東京の「孤独のグルメ」をボケーと視聴していた。紅白歌合戦なんて見ないよ。
まともに、このドラマ「孤独のグルメ」を見るのは初めてだった。
夫が大腸ガンの腸閉塞で入院して、手術できるまで腸の炎症を抑えて、なるったけ空っぽにしときましょ、ってことで3週間ほど絶食で点滴だけ受けてた2018年秋に、iPadで、Amazon Prime Videoでいつもいつも「孤独のグルメ」を視聴していた。

絶食中にそんなもん見てたら、お腹空いて苦しいんじゃないかなあと私は思ったけれども、苦しいどころか楽しいと夫は言ってた。
昨日は、その気持ちが少しわかりましたです。
「孤独のグルメ」って、ロードムービーであると同時に、孤独な現代人が美味しく食事できる幸福感を孤独な視聴者と分け合うドラマだったのねん。
美味しいものってひとりで食べても美味しいもんね。いや、話す相手がいない方が、食べることに集中できるから、もっと美味しく感じるね。
福山勤務時代は、仕事を午後7時くらいまでして、お気に入りの「地中海料理FUKUHARA」に電話して、「お席空いてますかー?」って訊ねて、大丈夫と聞くと、タクシー呼んで、レストランに行き、カウンターで食いまくってた。
美味しかったな。あそこのウニクリームパスタは絶品だった。
福山って、ほんと美味しい飲食店が多かった。
ろくなことのなかった最後の勤務先ですが、福山で美味しいものいっぱい食べることができたのは、ありがたかった。嬉しかった。
デリバリーのピザでさえ、すっごく美味しかった。Mサイズひとりで食ってた。
まあ、だから肝臓さんにも負担かけることになったんですねえ。
だから、こうなってますねえ。
だけど、美味しいもの食べない人生なんて、生きててもしかたないじゃないの。
エンゲル係数が大きくたっていいですよ!
翌日の元旦は、年末の忙しさでくたびれたのか、朝起きて自宅のベランダから朝陽を拝んで、また寝床に入り、お昼近くまでダラダラと眠ってしまった。

やっと起きて、仏壇だの神棚だののお世話して、おでん食べて、ぜんざい食べて、食べ過ぎた〜とボケーとしてた。
年賀状で出していなかった方々への返事を書いて郵便局に投函するついでに、元旦の名古屋の街をドライブしましょ、ということで、夕暮れの金山、今池、大須、栄、名古屋駅周辺を夫に走ってもらった。
元旦はお店はお休みか、早々と閉まる。そんな繁華街をウロチョロと歩いている若い人たち。
そりゃそうだよね。親の家にいても面白くないよね。やってきた親類は嫌味しか言わないし。
時代が違うのに、頭の悪い人々は、若い人になんの役にもたたない助言をしたがる。自分こそ空虚な人生を送っているのに、そこから目をそらして、偉そーに説教垂れる夜郎自大なオッサンたち。
オッサンよ、お前らが食ってこれたのは、たまたま時代が楽なだけだったからだよ。今の時代に25歳だったら、お前らだって非正規雇用でボーナスなんか出なくて、SNSに愚痴書いてるだけだったろうよ。
凡庸極まりない男と結婚して凡庸以下みたいなガキしか産み育てることができなかったのに、女はやっぱり結婚して子ども産まなきゃと宣うオバハン。
あんたみたいな人生を送りたくないわと心の中で叫びつつ、若い女の子の大半は、粘って勉強する頭はないし、血液中の勤勉濃度が低いから、パパ活だの婚活だのしてるけど、自分を守って食わしてくれる男は見つからない。
オバハンよ、お前らが結婚して専業主婦やっていられたのは、お前らが魅力があったわけではないのだ。お前らが若かった頃は、大小零細いろいろあっても男は終身雇用の会社に勤務できて、年々歳々昇給しボーナスも出て、配偶者控除もあったからだ。
おまけに専業主婦は、第3号被保険者として、掛け金を払わずとも、国民年金は手にすることができたのだ。
問題は経済だ。労働力の再生産という労働を担わせるために専業主婦にささやかなる特典が与えられてきたのだ。
という単純なことさえわからないオッサンやオバハンに何言ってもしかたない。理路整然と話しても、その日本語は通じない。日本人の半分以上は読み書きのできる文盲だもん。
だから若い人は若い人の鬱屈を抱えつつ、元旦の夕暮れの街を彷徨う。
その心を反映し、衣服の色は黒だ。グレーだ。貧乏くさい類のベージュ色だ。黒い衣服の若者たちが、ネオンも少ない元旦の夕暮れ繁華街を彷徨っている。
元旦でも、吉野家とかすき家は開店している。マクドも開店している。そんなお店の前に行列を作って待っている黒を身につけた若い人たち。
そんなもん自宅でサトウの餅でも焼いて食ってる方が安上がりなのにさ。
でも、若い人は動きたい。
人間だって動物だもん、動きたいよ。
動いていないと寂しいんだよ。
動き、運動の種類は人それぞれ。やみくもに旅に出る人もいれば、性交運動に勤しみ性病になったりする人もいる。
FIREを目指して投資の勉強ばかりしたり、YouTuberになって毎日更新したり、ただただジョギングしたり、ボランティア活動に勤しむ人もいる。
正月にしたいこともないしと、アルバイトしている若い人もいる。
動いていないと、何者でもない自分、何もできない無能な自分、実は孤独な自分、この先どうやって生きていくのか見えない自分が見える。そういう自分を直視しても不快なだけだ、寂しいだけだ。
だから動く。
私も、大学生の頃はアルバイトで動いて時間を潰せるのが気が楽だった。
身体を運べば金が入って、それでどうでもいいものを買うことで気晴らしした。
何か目的とか志があったわけじゃない。
ただ動きたかっただけだ。寂しさから逃げたいだけだった。
で、いよいよ正規雇用で就職すると、俄然忙しくなる。それはそれで逆説的に楽だった。何も考えなくても仕事をこなしていけば、この社会の片隅に居場所は確保できるんだもんね。
賃金がそこそこ出る労働はラクよ。現実逃避にはもってこいよ。死ぬまでの暇つぶしにはもってこいよ。
寂しくはあっても苦にならない。そもそも自分の内面なんか見てる余裕がなくなるから。
まあ、それも年月が重ねられて、労働の内実が明らかになってくると、別の問題が生じてくる。別の寂しさが生じてくる。
それらとの格闘が始まり、人生は次のステージに進むけれども、それはまた別の話。Another storyね。
労働は自由への道というスローガンは、アウシュビッツの強制収容所の入り口に掲げられていたらしいけど、ナチスの強制収容所の事実と真実は、いまだに明らかになっていないけど、何も考えずに労働マシーンになるのが自由であるのなら、まあ確かにそれは自由なんだろう。人間性からの自由。
それはさておき、私は、元旦の夕暮れ繁華街を彷徨う黒い衣服の若者たちのために祈った。どうか、この人たちに良きことがいっぱいいっぱい起きますようにって。
生まれて育った時代が悪くたって、幸せに生きることはできるよ。トイレは水洗だしさ。
彼女と元旦の夕暮れを彷徨って、歩き疲れて、もうラブホテルにお泊まりしかないと思ったら、コンビニに行けば、下着もスエット上下も売ってるからね。
ついでに飲み物とお菓子も買っていこう。
ラブホテルの部屋にはレンジ置いてあるのかな?ならば、コンビニで買った冷凍たこ焼きなんか温めて食べよう。コンビニで割り箸をもらうこと忘れないでね。
それもいい思い出になるよ、お正月の。
なるか!っつーの!
ところでさ、こういうBlogにYouTubeの動画をはめ込めなくなりましたね。だから、私は自分の10年前の講義動画を紹介できなくなったよ。
まあ、10年も前のものだから、情報も古いからいいけどね。
さ、私はまたお気に入りのYouTube「一平ちゃんのラクラク日本史チャンネル」を視聴します。
ほんと勉強になる。1ヶ月4000円出す価値はある!私は馬鹿だから、ひとつの動画を何回も視聴しないと頭に入ってこないけどね。
時代が悪いなら勉強してりゃいいんよ。頭を動かすのだって運動だからね。
脳が刺激されれば身体も動き出すんよ。身体が動けば脳も心も動き出す。

