3000万円分の厄落とし

本日は、2017年3月30日木曜日だ。

3月28日火曜日の午後に区役所に行き、転入届を出し、晴れて(?)名古屋市民となった。

区役所からの帰りに、今や、アジア系外資に買われて全国展開しているが、もともとは名古屋ローカルであった「コメダ珈琲」に寄った。

コメ黒コーヒー500円を飲みに。

昼間からお客さんいっぱい。ほとんどが高齢者。

「昼間から遊んでる高齢者が多いなあ〜〜なんかむっかつくなあ〜〜」と思った瞬間、自分も同じだと気がついた。

高齢化社会に伴い、昼日中からフラフラ遊んでいる高齢者は増えつつあるのだろう。

うーん、人生最後のチャンスのこの時期にフラフラ遊んでいてなるものか……とあらためて決意した「退職者ビギナー」の私。

高齢者は暇だから選挙の投票にもマメに行く。

だから、票集めのために、若い人向きの政策を政治家は採らないとよく指摘される。

運転免許証返納制度があるんだからさ、

投票権返納制度も作ってさ、

「65歳過ぎた有権者のみなさまは、投票権を返納したら報奨金100万円が支給されます」にしたらどうか。

愚民系高齢者は投票権を売るぞ。

アホなタレントや作家なんかを知事にしたり国会議員にする愚民系高齢者を一掃できるぞ。

が、そんな法案を日本の国会議員が通過させるはずないか。

愚民系高齢者こそ、彼らや彼女らの強い味方だもんな。

それはさておき、去年の春あたりから始まった断捨離作業に引き続いての福山撤退作戦で気がついたことは、いろいろあった。

そのひとつは、桃山学院大学から福山市立大学に移って年収が「500万円」下がったことを、私は、やっと知ったということだった。

各種書類を破棄しているときに、桃山学院大学勤務時代の源泉徴収票を見つけたからだ。

私は、2011年3月に、自分の収入は減るであろうが、まあ常識的な線であろう……と思って、福山に来た。

その「常識的な線」というものの具体的な数字に関しての予測は、かなり甘かった。

愕然とした。

まあ、400万円くらいは下がったなあ……そりゃ、苦しいはずだ……とは思っていた。

ところが、実は、500万円下がっていたのだ!!

引っ越し作業の途中で、前の勤務先の源泉徴収票を見て、「ええええええ〜〜!!」と私は仰天してしまった。

400万円と500万円は大差ないかもしれない。

でも、500万円っていうキリのいい数字の衝撃力よ。

おおおおお……

ということは、私は6年間で3000万円の収入減だったのだ!!

うわあ……

私って、どこまで馬鹿?

もし、最初から年収500万円減ると知っていたら、私は福山市立大学に来たろうか?

来るはずない。

カネは大事だもん。

カネは、ほとんど全ての問題を解決するもん。

私が働いていた日本の大学教員業界は、正規雇用の終身雇用の場合は、公募段階では給与額を明示しないのが通例だ。

たとえ採用が決まっても、給与額を明示しないところもある。

もう、ニッチもサッチも行かなくなってから、やっと給与額を知る。

契約という概念がないからね。

job descriptionもない。

福山市立大学というのができるから、来ないか……と私に話を持ってきてくれた「大学設置準備委員会」の幹部の方に、「あの、お給料はどうなんでしょうか?」と私は質問した。

2007年か2008年のことであった。

返事は、「お給料は出ますよ〜〜出ないと困るでしょう〜〜」だった。

それだけだった。

その時点で、しっかりと疑うべきであった。

迂闊過ぎた私。

500万円年収が下がった私の福山ライフは、なかなかに私的にはハードだった。

可処分所得が500万円減るって すごいことだ。

慎ましい世帯ならば、家族4人や5人の生活費になれる額だもんね。

正直に言えば、6年の間、その大幅な収入減に慣れることができなかった。

生活のダウンサイジングは難しい。

消費傾向を是正するのも難しい。

500万円年収減でも、仕事量自体はそれだけ減ったわけではなかったし、ラクになったわけでもなかったし。

研究費は形式上はあっても、使えない仕様であったから、専門書の書籍代は私費自費であったし。

名古屋に帰る新幹線代や脚の不調からくるタクシー代や、整体などのセミ医療費も馬鹿にならなかった。

貯金なんて、ほとんどできなかった。

頭が悪いので、節約などの創意工夫もできなかった。

節約って、どうやってやるの?

途中から、「もういいよ……どうせ長く居るわけじゃないから……ここに居る間は気分良くやろう」と思ってしまった。

ついには「福山ライフの経済的困窮問題」は無視して放置してしまった。

という姿勢にも現れているように、私は現実逃避的人間である。

ついでに、何事も自分に都合良く考える気質である。

命の次に大事なカネを無くすことは、「厄落とし」になると考える気質である。

そう考えることで、経済合理性に欠ける自分の脳の悪さを諦めてきた。

で、今回も、その脳の悪さを発揮する。

自業自得とはいえ、6年間で3000万円の機会費用を喪失したということは、3000万円分の厄落としをしたということだ。

あのまま桃山学院大学の労働をこなしていたら、大病になっていたろうし。

だいたい、私の親族の女たちは50代や60代早々で死ぬ短命系だ。

父系の叔母2人は、クモ膜下出血で50代で死んでいる。

母方の叔母は心臓病で40代で死んでいる。

老人施設で寝たきりの被介護老女なんて、私が知る限り聞いたことない。

そうなる前に死んでいる。

私の親族の女たちのキャラは、共通して、まあ不器用無駄に無意味に熱血脳足りん大食い系である。

気は強いが身体は頑健ではない。

脳の血管が切れるか、静脈瘤破裂か、虚血性心筋障害か、まあその系統で討死しているのが多い。

だから、私も「ちょっと私もやばいかもね〜〜還暦まで行けるかね〜〜」という薄らぼんやりした不安はあった。

しかし、無事に還暦の坂を越えた。

これも、3000万円分の厄落としをしたからだ。

まあ、3000万円分の厄落としをしたから、「非アルコール性脂肪性肝炎」NASH程度で済んだのだ。

福山市在住のいろんな面白い方々にも出会えたのだ。

美味しいレストランにもいっぱい出会えたのだ。

伊勢湾の太平洋の海の色とは違う群青色の瀬戸内海とも出会えたのだ。

今や、賃金労働から解放されて、引越し疲れがまだ癒えないと言い訳しつつのお気楽読書三昧の日々である。

物体としての本が増えるのが怖くて、Kindle本の、頭を使わない類の読書が多いのでありますが……

3000万円分の厄落としの効果が出てくるのは、これからだ。

私は、自分で自分の仕事を創出すべく、黄金のババア時代を築こうとしているわけだ。

このように、何でも自分に都合良く自己肯定して生きる。

このように、何でも自分に都合良く考えても、無料だし非合法でもない。

これも、6年間のハードな福山ライフで一層に身に沁みついた生き方となった。

これも、3000万円分の厄落としの成果のひとつである。

3000万円分も厄落とししたのだから、意地でも、もっと幸せになってやる。Shit!

(備考)

このトピックについて、教えてくれた人がいます。

公務員は、前歴計算が独特であるそーです。

私のように私立大学でのキャリアが長いと、1年が0.5年で換算されるんだそーです。

どうりで…30代の給与額に戻ったのは、そのせいであったか。

公務員の前歴計算の私立や民間軽視なんて知らなかった。

みなさま、民間でキャリアを積んでから、公務員になるときは、くれぐれも御注意ください。

とんでもないことになります。

ジャンクフード天国

本日は、2017年3月27日月曜日である。

25日土曜日に福山から名古屋に帰ってきた。

これで当分は福山に行くことはない。

31日の大学での「離任式」は欠席だ。

行く気力なし。

いよいよ本格的に名古屋定住生活だ。

それにしても、疲れた疲れた疲れた疲れたくたびれた。

2月の下旬からずっと続いていた研究室と福山の自宅退去引っ越し作業は、まだ完全には終わっていない。

名古屋の自宅の一室には梱包が解かれていない段ボール箱が、まだ残っている。

まあ、それにしても終わったんだよね、終わった。

ほんとに終わった。

25日土曜日の午後1時頃に名古屋に戻ってから、名古屋駅に迎えに来てくれた夫に頼んで行ったのは、熱田神宮近くの「カーマホームセンター」だ。

なんで、カーマホームセンターか。

名古屋が誇るB級グルメというか、限りなくジャンクフード的ラーメン店「すがきや」が出店しているからだ。

「すがきや」は、名古屋の老舗である。

私がガキの頃には、すでに「すがきや」は存在した。

1960年代には、すでに身近なものであった。

「すがきや」のラーメンのスープの味は、名古屋地方で生まれて育った人間をガキの頃に回帰させる。

特に久しぶりに食すると心が震える。

家に帰れば、亡き両親が待っているような錯覚を覚えさせる味である。

なんと説明するべきか……

あくまでも庶民的なチープな、化学調味料いっぱい風の濃厚な味である!

「すがきや」のラーメンこそ、名古屋のソウルフードである。


きしめんも美味い。

味噌煮込みうどんも美味い。

鰻の「ひつまぶし」も美味い。

味噌カツは、よくわからん。

なんでトンカツに甘い味噌なんだ?

あんかけスパゲティは、もっとよくわからん。

あのお店は、ご近所さんであるが、行ったことないよ。

名古屋生まれの人間として堂々と私は宣言する。

名古屋に遊びに来られても困るんよ。

是非とも見せたい場所はないんよ。

名物と誇りたいような食べ物もないんよ。

きしめんも、味噌煮込みうどんも美味しい。

鰻の三段活用「ひつまぶし」も美味い。

が、わざわざ他所から来た方々にお薦めしたいようなもんではない。

自慢するなんて、とんでもない。

「名古屋めし」なんて呼ばんといておくれやす。

「ブスで田舎もんだで、しかたないがね」と、ナゴヤ・フードは恥ずかしがっている。

名古屋人は 、「すがきや」のラーメンにいたっては、他国人に認知されると、かえって辛い。

「私ら、名古屋の庶民だけが理解できればいいんよ。私らが密かに愛していればいいんよ」の気持ちで、他国者の目から「すがきや」ラーメンを守り抜きたいのである。

「すがきや」は食品メーカーでもあるので、南大阪あたりのスーパーマーケットでも袋入りの「すがきやラーメン」は売っている。

大阪は和泉市の桃山学院大学勤務時代は、袋入り「すがきやラーメン」をこっそりと買って食っていた。

が、やはり、「すがきや」ラーメンは名古屋の場末のお店で食うのが1番だ。

疲れ切った時には、手の込んだきちんとした料理など食いたくない。

カレーライスやオムライスでさえ手間がかかり過ぎ。

25日の土曜日のお昼過ぎに名古屋に帰って来た私は、遅いランチとして、無性に「すがきや」のラーメンを食いたかった。

だから、夫に熱田神宮近くのカーマホームセンターに車で連れて行ってくれるよう頼んだ。

なんで、「熱田神宮近くの」カーマホームセンターか?

あのあたりは、戦前からの旧名古屋地区で、場末は場末でも穏やかだ。土曜日でもさほど混雑していないんよ。

もっと本格的に場末の、名古屋南部の生活保護受給者が多く居住している地域のカーマホームセンターにも「すがきや」は出店しているが、名古屋駅から自動車で行くには、ちょっと遠い。

と思ったけど、「すがきや」のカウンター前には順番待ちのお客さんが多かった。

家族づれのガキどもが、「すがきや」のラーメンのあとに「すがきや」のソフトクリーム舐めてた。

ジャンクフードのフルコースだ!!

至福の土曜日だね!

「すがきや」ラーメンのあとに、「すがきや」ソフトクリーム!

やはり、「すがきや」は、名古屋のソウルフードだ。

1番安い「すがきや」ラーメンは320円だ。

ラーメンの表面に浮かんでいる焼豚もどきみたいな薄い肉状の丸いものの枚数が増えるごとに値段が高くなる。

大盛りで具が増えて価格が高くなっても、せいぜいが480円だ。

「すがきや」は「寿がきや」と表記した、かつては。

最近は、「スガキヤ」と表記する。

だが、私にとっては、永遠に「すがきや」だ!

文句あるか!!

ないがね。

「すがきや」は、繁華街のお洒落でトレンディなショッピング・モールに出店されるような類のお店ではない。

パルコや高島屋には絶対に出店されない。

高級「すがきや」レストランも、名古屋の繁華街にはある。

でも、あんなん邪道よ。

「すがきや」は、場末のホームセンターとか、ちょっと乱雑小汚いスーパーマーケットの一角のフードコートに出店されていてこそ、「すがきや」である。

ああ、これからは、いつだって「すがきや」のラーメンを食べることができる!

お目当の「すがきや」で、肉いりラーメン(焼豚もどきが5枚も乗っている!)400円を食ってから、私は、入り口近くで4袋1000円で売っていた「昭和のお菓子」を物色した。

「よこづな」って知ってる?

下の写真のお菓子だ。

お菓子なんて上品なもんじゃない。

バリバリの駄菓子だ!

ガキの頃に、いつもポリポリ食ってた駄菓子だ。

久しぶりに、「よこづな」に再会し、私は歓声をあげた。

疲れ切っているときはジャンクフードに限る。

嬉々として、私は「よこづな」4袋を買った。

それから、出口の近くの店舗で売っていた「たこ焼き」8個と、「ミックスお好み焼き」1枚を買った。

名古屋人は、「たこ焼き」に対して煩くない。

大阪人は、たこ焼きの中にタコが入ってないと怒る。

大阪人は、中はトロリとしているが、外はカリッとカリカリに焼きあがっているたこ焼きを良しとする。

名古屋人は、小さい球状の小麦粉の塊が熱ければ、それでいい。

中身なんて気にしない。

ほんとにタコが入っていると、ビックリする。

「あ!すごい!タコが入ってる!」って。

たこ焼きもお好み焼きも、大阪人以上に名古屋人が愛するジャンクフードである。

帰宅した私は、たこ焼きとお好み焼きを食い、ソファにひっくり返って、毛布をひっかぶって昼寝した。

大きないびきをかいていたそーである。

うーん、そういえば、耳元で何かが煩かったような気がしたが……

で、夜は、Amazonから届いていた『シン・ゴジラ』DVDを鑑賞しつつ、「よこづな」をいっぱい食ったった。

「歯科室むつてっせん」で税抜き70,000円で入れてもらったジルコニア・インレーが入った左下奥歯で、バリバリ噛んだった。

噛んだるぞ〜〜!

税抜き70,000円もしたんだぞ〜〜噛んだるぞ〜〜!!

済ませるべき事の全てを、今度こそほんとうに済ませて、福山から名古屋に帰った3月25日は、私にとってジャンクフード天国の日だった。

子ども時代に戻ったジャンクフード食べ放題の日だった。

福山ハッピーホテル暮らし

image本日は2017年3月23日木曜日だ。

福山市立大学の卒業式の日だった。

2011年創立の福山市立大学の第3期生の卒業式だった。

この写真は、卒業式開始前の時間に会場のリーデンローズという福山市の施設で、ゼミ生のお母様に撮影していただいたものです。

ゼミ生のお母様というのもお若くてお綺麗で、考えれば、私の教え子の年齢であるのだよ。

うわあ……ということは、ゼミ生は「教え子」ではなく「教え孫」になるのだ。

うわあ……それでは、私も「卒業」時である。

見よ、フジモリの緩んだ顔を!

服役を終わって緩んで膨らんでデブった顔と身体である。

もう、こうなっては労働現場で何の役にも立ちません。

下の写真。

大公開!

うちのゼミ生は美人でしょ!!


上の写真はオマケだ。

ご卒業おめでとうございます〜〜

本日の卒業式は、私にとっても「大学教員としての卒業式」であったとよ。

3月21日から福山に戻りホテル暮らしをしている。

2011年3月11日に宿泊したホテルで暮らしている。

25日土曜日に名古屋に帰るとよ。

21日は 、ホテルにチェックインしてから、「歯科室むつてっせん」に行った。

レーザーによる虫歯の治療済み穴に「ジルコニア・インレー」つーのをいれていただいた。

めでたくめでたく左の奥歯でも物が嚙めるようになったとよ。

久しぶりに左の奥歯で噛みしめる喜び。

「左の奥歯で嚙めるようになった記念」で、福山駅前の「ともんちゃ」でヴォリュームいっぱいの「オムライス・カツセット」をいただいたとよ。

ちゃんとサラダついてるのに、さらにサラダを追加したとよ。

食い過ぎだっつーの!

歯科衛生士さんに言われちゃったとよ。

いつも凝りに凝って硬く鬱血してる口腔内の筋肉がブヨンブヨンに柔らかくなってるって。

うーむ、恐るべし、口腔内筋肉の正直さよ。

翌日の22日は、退職に伴う各種書類の提出に、原状回復した研究室と備品の総務課への返還を済ませた。

「福山市章バッジ」を返還せいと言われた。

何それ?

そんなバッジなんて知らない。記憶にありません!

と、昭恵夫人のごとく言い張った私。

薔薇のマークのバッジだそーだ。福山市が「薔薇の町」だから。

抵抗も虚しく、「紛失届け」を書かされましたです。

職員証といいますかIDカードも返還した。

学内では、レザーストラップのついたケースに入れて、いつも首からぶら下げていたカードだ。

このカードがないと、学内ではなんともならない。

もう、福山市立大学内のパソコン端末どれも使用できません。

図書館にも入れません。

情報処理室にも入れません。

これで実質的には大学とさようなら。

その後は、市役所に行き「転出届」を提出した。

転出届がないと、名古屋に転入届が出せないんだってね。

その際には、「マイナンバー」も申告なんだってね。

転入届がないと住民票がなくて、投票とか健康保険とかの手続きもできないのか。

ということは「逃亡者」には住民票はないんだな。

しっかりお役所に管理されている日本国民。

その後は、借りていたマンションの部屋を、その部屋の管理を請け負っている不動産会社にチェックしてもらって、鍵を返還。

居間のフローリングの汚れと傷みがどうたら、壁紙の汚れがどうたら……と細かく細かくチェックされたとよ。

契約時に支払った3ヶ月分の敷金は、どれくらい返ってくるかしらん。

夕方からは、「びんご経済レポート」という備後地方の企業向け情報誌を発行している会社の代表の方と編集者の方との会食でありました。

5月24日(尾道市)に「びんご経済レポート」さん主催の講演会で講師をすることになったとよ。

そーいうご依頼を受けたとよ。

ありがたいことであります。

が……

講演会の参加は誰でも自由だけれども、主として青年会議所のメンバーとか備後地方の経営者の方々がお聴きくださるらしい。

そんなビジネスマンの方々の前で何を話せばいいのか……

講演会の打ち合わせであったのだから、講演で何を話すべきかを議論すべきであった。

しかし、私はついつい食うことに集中してしまったとよ。

いや〜この後に及んで遭遇してしまった!

「福山の美味しいお店フジモリリスト」に新たに加わるべきお店に!

「中国料理  蓮華」だ!!

霞町の「なかくし」さんの近くだ!!

レンゲと読みません。「レンカ」

玄関の看板に「中国料理」と書いてあるけれども、中国料理ではないです。

オーナーシェフさんが中国で修行した日本人で中国語できるけれども、お料理は、中国料理ともフランス料理ともつかない不思議なお料理だ。

が、すっごく美味しい!!

感動。絶品。

まったく商売やる気なさそーなオーナーシェフさんですが、「海鮮とお野菜中心で」とかテキトーに注文すれば、見たことのないが実に美味なお料理をどんどん作ってくださる。



このお店にはメニューはあるが、実質的にはメニューない。

「とりあえずビールと餃子と青椒肉絲!」と注文できないです。

「蓮華」さんをご紹介くださった「びんご経済レポート」の代表の二宮恵氏に感謝いたします!

福山ライフ最後の最後に、素晴らしいレストランを教えてくださいました!

ありがとうございます〜〜

それはいいけれど……講演会を気楽に引き受けてしまって、どうしよう……

4月と5月に悶々と悩みそうだ。

みなさま、私も退職することですし、交通費(場所によっては宿泊費)を支給してくだされば、どこにでも行って講演会とかセミナー請負いますから。

「お前の話なんか聴いてもカネにならん」と言われても、それは事実ですから、私は怒りません。

「カネになるような話」が講演会で聴けると思う、その脳足りんさを私は糾弾いたしません。

というドタバタを経て、今朝はめでたく卒業式も終わった。

あとは、今日の夕方からと明日の夕方からは会食の予定があるだけだ。

福山でご縁ができた方々とのお別れを惜しむんである。

幸せな福山ライフの終幕である。

3月31日の朝に「離任式」つーのが大学の会議室であるのだけど……

せっかく「終わり良ければ全て良し」のハッピーな気分になっているのだし…

「蓮華」さんはランチ営業していないし……

まあ……「離任式」はサボるかもね……

新幹線代高いし……

「青春18切符」で名古屋から福山に来る根性は私にはないとよ。

出所後の貧乏も怖くない

本日は2017年3月20日月曜日で、かつ春分の日である。

引越しの疲労が酷くて、今年度最後の定例教授会(15日開催)も、後期入試判定臨時教授会(昨日19日開催)も欠席した。

すみません。

13日に福山から撤退し、14日の朝に名古屋の自宅で目覚めた時の安堵感。

それから今日の朝に至るまで、目覚めるとホッとする。

終わった んだあ……ほんとに終わったんだあ……という解放感。

刑務所を出所して娑婆に帰ってきたような気分だ。

と言ったら、蹴飛ばされるか。

だって、実感なんだからさ、しかたなかんべさ。

賃金労働をするってさ、勤務するってさ、刑務所の囚人みたいな状態よ。

やっと私は出所できたんよ。

賃金労働という刑務所から出て娑婆に出るにあたって、心配なのは「食ってゆけるんかしら」ということだよね。

私としても、早期退職を決めた時に、31年間の短大や大学の教員暮らしから給付される年金額で100歳くらいまで食ってゆけるんかしらん?と訝しんだ。

賃金労働歴は46年だけれども、年金掛け金を支払ったのは31年間だけだから、年金額が多いわけはない。

まだ現役で働いている夫に、しばらくは寄生することはできる。

いや、寄生させてもらうわさ。

この際、背に腹は変えられない。

フェミニストとしてのドグマは捨てて、心情的リバータリアンとしての気取りは捨てて、現実的に生きるわさ。

が、最悪なことも想定しておかないといけない。

年金については、いろんな情報が氾濫してる。

国家財政破綻するから年金額は予定の3割になるとか、全く支給されなくなるとか。

預金封鎖で、新円切り替えになり、庶民の蓄えは極度に目減りするとか。

いや、日本が財政破綻するわけないとか。

なんとなれば、日本が持っている資産(個人の預金も含めて)は、日本政府の借金をはるかに超えているので、大丈夫とか。

日本経済破綻説なんて財務省の陰謀だとか。

国民に重税を課すための脅しであるとか。

私は、経済や金融についてもサッパリ理解できない脳タリンなんで、そーいう予測があるということを知っても意味不明。

そもそも、不安や心配の種なんか、数え上げたらキリがない。

国家財政破綻以外も、大地震に、富士山の大噴火に、中国の軍拡に、東アジア情勢の激変(第二次朝鮮戦争ね)に、第三次世界大戦の勃発に、自分や家族の認知症発症に、泥棒に強盗に、頑固な便秘とか。

だから、とりあえず、「まあ、何とかなるっしょ……」と思考停止するしかない。

が、今回の引越しで、意外にも、私には妙な「自信」が生まれた。

やってゆけるよ、貧乏でも……という自信だ。

大大大断捨離をせざるをえなくなって、自分が自分の器以上に物を持ち過ぎているとわかった。

書籍にしろ衣類にしろ何にしろ。

読まなかった本いっぱい。

着なかった衣類いっぱい。

買って使いこなさなかったものいっぱい。

ナンタラ鍋とかスープ製造機械とか、各種健康器具とか、自己啓発CDセットとか、いろいろいろいろ。

しんどい思いして働いて得たカネをしょうもないものに使ってきた。

破棄するしかしょうがないような類のものに費やしてきた。

退職に伴う引越しのおかげで、あらためて私が知ったことは、以下のことだ。

私が欲しいと思って見境なく買ってきたものの半分以上は無用なものだったということ。

無用ではあったけれども、さんざん愚かにも無駄使いしたんで、気が済んだということ。

無駄使いしてやったぞおおおお〜〜〜という点において満足し後悔はないということ。

したいときにさんざんしたからもういいよ、枯れることができますわ……

というのは、性欲も買い物欲も同じなのだよ。

したい時にしよう!!さんざんしよう!!

貧乏でもいいよ、やってゆけるよと自信を持ち始めた理由としては、他にもある。

かつて大好きだった海外旅行にも、関心が消えてきた。

これは、骨盤の歪みからくる脚の不具合のせいだ。

長距離を自分の脚で歩けないなら、行ってもしかたない。

パック旅行の物見遊山なんて興味ないんだからさあ、私は。

知らない国の知らない街を、ジロジロ観察し覗き、ウロチョロと自分の脚で探索し歩き回れないなら、行ってもしかたない。

ああ、行ける時に行っておいて良かった。

歩き回れる時に、歩き回っておいて良かった。

いつでも行ける、退職後にのんびり行こうなんて思っちゃダメだよ。

行きたい時に行かねば。

行きたいなら、すぐに行こう!

ということで、買い物もしないし、海外旅行も行かないなら、貧乏でもいいんじゃない?

国内旅行は、神社めぐりしか興味ないから、カネはかからない。

病気になっても病院に行かないしさ、私は。

学校や職場と同じく、病院も刑務所だ。

なんで、わざわざあらたな刑務所に入らねばならないか。

せっかく自由になったのに。

歯科医院だけは行くけれども。

数ヶ月に1度は福山の「歯科室むつてっせん」に。

歯は大事よ。ははは。

数ヶ月に1度くらいは新幹線にも乗りたいし。

ということで、賃金労働という刑務所出所後の経済的不安は、今回の引越し疲労のおかげで、消えたのでありました。

貧乏でもやってゆける。

大丈夫。

貧乏でも大丈夫という確信も、安堵感と解放感をもたらすなあ!

私はもう充分に持っている。

屋根とトイレとお風呂がある住居があってさ、水道、ガス、電気、インターネットのインフラに加えて、トイレは水洗でウオッシュレットついててさ、乾燥機能付きの全自動洗濯機があってさ、冷凍冷蔵庫と、エアコンがあってさ。デロンギも何台もあってさ。

あれだけ断捨離したのに、クローゼットには似合わない衣類もいっぱいぶら下がってる。

あれだけ断捨離したのに、書籍もいっぱいだ。

暇なんか、いくらでも潰せる。

私って、昔の王侯貴族以上の生活してるな。

私は、今まで生きてきた日々の中でも、1番気楽で幸せな日々を過ごしている。

でも、みなさんは、もうしばらく刑務所で働いてください。

刑務所での労働の先に自由があります!

福山撤退!

本日は2017年3月16日木曜日だ。

無事に、3月13日月曜日に研究室も福山の自宅も退去できた。

前日の12日など、「こんな状態で、ほんとに引っ越しできるんかしらん」とチラッと不安になったが、何とかなった。

下の写真をご覧ください。

6年間使わせてもらった研究室の原状回復完了!

机の上や本棚に置いてある物品は、研究費で購入したものか、設置者の福山市役所から支給されたものだ。

市役所には減価償却という概念はないので、何年使用しても、ちゃんと返却する。

まだ使用できるもの、消耗していないものは返却する。

パソコンのキーボードの埃取りブラシ500円も返還。


福山で借りていた(職場近くの)3LDKの住居に置かれていた家具も電化製品も全て処分した。

21年間の単身赴任生活で使用してきたベッドもテーブルも椅子もデスクもソファも本棚も何もかも。

食器もヤカンも鍋もフライパンも、カーテンも全て処分した。

渡邊明先生のFacebookお友だちである福山市内の廃品処理・リサイクル会社の「かこ川商店」さんに依頼したら、全て持って行ってくださった。

研究室の書籍を含む不用物(ヒーター、加湿器、ぶっ壊れた掃除機、日傘、湯沸かしティファール、マグカップ数個、小さい扇風機とか)も、全部持って行ってくださった。

ありがとうございます〜〜

「かこ川商店」さんは、社長さんもスタッフの方々も素晴らしいです!!

おかげで下の写真のように、借りていた部屋の原状回復もできた。


引っ越し会社の現場作業員の若い人たちにもお世話になった。

ひとりじゃできないわ、ほんと引っ越しなんて。

みなさまのおかげでございます〜〜

ですわ、ほんとに。

アホな私も謙虚にならざるをえない引っ越し。

最後に部屋を出るときには感慨があった。

南向きの11階のベランダから朝晩眺めていた福山の街の風景を胸に刻んだ。

ラクなことなんかひとつもなかった福山ライフ。

だからこその感慨だ。


上の写真に写っている山の向こうに鞆の浦があるんかなあ。

ともかく、夫を含めた多くの人たちの手を借りて福山での引っ越し作業を完遂させて、私は3月13日の午後9時に名古屋駅に到着した。

で、翌日は、これまた引っ越し業者さんやエアコン取り付け業者さんなど、多くの人の手を借りて、福山の自宅や研究室から持ち込んだ書籍や衣類や書類を名古屋の自宅に運び込むことができた。

まだダンボール箱10ほどが、中身も確認されぬままに放置されている。

これから、あらためて、さらなる断捨離をする。

でも、ともかく私の「大引っ越し」は終わった。

もう30年くらいは引っ越しはしたくない。

体調ガタガタ。

歩くのさえ難儀。

雑巾掛けとかの水仕事も多くて、軍手使わずにいろいろ持ち運んだから、指先はアカギレ、手指は強張り荒れ放題。

とはいえ、正式に事務局に研究室を引き渡す儀式(?)もある。

卒業式もある。会食の予定もある。転出届も出していない。

福山で私が出逢った名歯科室「むつてっせん」で虫歯治療のあとにジルコニア・インレーをはめてもらう予定もある。

ジルコニアよん。クラジミアじゃないよん。

ジルコニアは高いけど硬いから丈夫。

もう虫歯にはなりたくない。絶対にいや!!

自分への戒めのためにジルコニア!

カネ出すと、懲りるからね。

カネ出すと、厄落としになるからね。

ということで、だから、来週は福山に戻りホテル暮らしをする。

ともかく私の単身赴任生活は終わった!

名古屋での定住生活が始まった!

新幹線は好きだけれども、新幹線で労働現場に戻らなくてもいい!

なんという安堵感。

なんという解放感。

こんなこと言うと、生活費獲得闘争の真っ只中にいる若い人たちに足蹴にされるだろうけれどね。

私は、もう賃金労働したくないの。

雇用されて働きたくないの。

貧乏でもいいから、働きたくないの。

大学入学してから、ずっとアルバイトしてた。

大学院生時代も、短大の専任教員として採用されるまで、ずっとアルバイトはしてた。

計46年間は賃金労働に従事してきた。

もういいよ。

カネ使って物を買っても、みな捨てるんだ。

本なんて買っても読み切れない。

名著と言われるもの、古典と呼ばれるものを読んでも、わからない。

理解できて読んだつもりでも、中身を忘れる程度の頭よ、私は。

ほんとうに知りたいことは、どこにも書いてない。

そもそも、ほんとうに知りたいことって何?

そんなこと、私にあるのか?

64歳の春になって、たどり着いた地点は、「私はトコトン馬鹿で、無駄なことばかりして、無駄な買い物ばかりしてゴミを生産してきただけ」という認識。

一時は、自分でも天職じゃないかと妄想錯覚したこともあったけれども、もう教師もやりたくない。

私には人様に教えられることなんか、ひとつもないと教師生活を終えた今となって、よくわかる。

何もない私。

Nothing!

Less than zero!

それでも食ってこれたんだから、運は良かったよな。

福山撤退の疲労と後遺症のために脳も心もグジャグジャだ。

いいじゃないの、less than zeroでも。

最低の地点から生き直せばいいんだ。

チームワークを学んだ個人主義者

本日は、2017年3月11日土曜日だ。

6年前の2011年の今日に、私は大阪府和泉市から広島県福山市に引越してきた。

で、2017年3月13日に名古屋に引っ越す。

引越し準備作業は、まだまだできていない。

それでも、今日と明日でなんとかなる。

なんとかするしかない。

研究室の退去準備は、ほぼ終わったし。

研究室の備品の拭き掃除も終わったし、掃除機もかけたし。


本日の午後6時から9時の間に、長野県の古書店に送る不要図書を28箱も、クロネコヤマトさんが集荷に来てくれる予定だ。

いやあ……今度の引越し作業は、きついきついきつい。

懲りた懲りた懲りた。

住居が2つあることをいいことにして、物を溜め込み放置してきた21年間よ。

去年の春から断捨離を重ねてきても、まだまだある廃棄物。


(28箱の書籍とDVDとCDを売ります〜〜Value Booksさんへ)

ところで、3月7日火曜日の晩は、英語科目担当スタッフとの送別会だった。

会場は、私の大好きな福山の名店「なかくし」さんである。

私にとっての福山市立大学における同僚というのは、実質的には英語科目担当スタッフだった。

英語科目担当スタッフではない同僚と会うのは教授会や委員会ぐらいなものだ。

いつも会って言葉を交わし連絡しあうのは、英語科目担当スタッフだった。

英語科目担当スタッフは、正規雇用教員の私と、特任教員さん1名に、アルク教育社から派遣されている常勤講師さん1名と非常勤講師さん2名だ。

他に非常勤講師の方々が3名ほどいるが、主たるスタッフは以上の5名だ。

その5名がチーム組んで、福山市立大学の英語科目を運営してきた。

正規雇用教員と契約雇用教員と派遣講師が協力して運営してきた。

雇用形態が違うスタッフが協力して、運営してゆくということは、なかなか難しい。

メンバーが女性ばかりだと、機械的な上意下達では機能しない。

女性というのは、基本的に心の奥では男性を馬鹿にしている。

だから、男相手だと、いくらでも面従腹背して、テキトーに男をおだてて立てて、テキトーにやれる。

女性どうしでは、それは通用しない。

女性どうしでは、嘘や誤魔化しは通用しない。

女性は、良くも悪くも、男性ほど単純ではない。

女性は自分に対する敬意が足りないことを、すぐに見抜く。

女性は自分の働きをきちんと評価しない人間に心を許さない。

女性どうしで働くときには、ほんとうに「真心」が必要である。

「誠」が必要である。

同性の女性とつきあうより、男性とつきあう方が楽だと言う女性は少なくない。

そりゃそうだろう。

男は単純だし、まともな男ほど女に手加減するからね。

私は、女性とつきあう方が好きだ。

女性は、嘘の多い誤魔化しの多い同性はすぐに見抜く。

女性は、その種の同性には絶対に気を許さないし、それを隠すこともない。

だから、狡猾な不正直な女性には女性の友人はできない。

いつでも手加減して甘やかしてもらえなければ、お守りしてもらえなければ立っていられない女性には、女性の友人はできない。

女というのは厳しい生き物なんよ。

それだけ真面目なんよ。

女が誠実だからこそ、世の中はちゃんと回っているんだぞ!

幸いにも、福山市立大学で共に英語科目を担当することになった女性たちは、質のいい人々だった。

基本的に善意であり、勤勉であり、公平に物事を見る姿勢を持っている。

敬意をちゃんと示すこと、評価して感謝すること、公平に接すること、情報を共有すること、目標設定を明確にすること、目標達成への方法についてコンセンサスを得ること。

以上のことを守っていれば、問題なく仕事は進行した。

もちろん、水面下では葛藤もある。

みな負けず嫌いだもの。

最初の数年間は、気心も知れなかったし。

みな人柄が良くても、軽い小さいトラブルは起きる時は起きる。

そのような小さなトラブルをいくつか通過して6年もすれば、互いの気質への理解もできて、互いに許容しあえるようになる。

やっとそこまで来たところで私は退職だ。

長年の間、他の大学で自分のペースで授業運営してきた私にとっては、福山市立大学の英語科目運営をチームでこなすことは面倒くさいことではあった。

いちいち話し合い、情報を共有しあい、確認しあうのは面倒くさいことだった。

しかし、ひとりの力より、ふたりの力や3人の力や複数の人たちの力は大きい。

目標が明確で、その目標に向かう手段が明確に当事者たちに共有されていて、メンバー間に信頼があれば。

その意味で、チームで担当科目を運営するということから、私は大いに学んだ。

随分と、私は彼女たちから助けてもらった。

あ、そうだ、福山市立大学の英語科目スタッフには、男性もいたな。

英国人の専任講師がいた。

まあ、こいつは関係なかった。

TOEIC IPテストの試験監督をしているときでさえ、「なんで僕がこんなことを……」とブチブチ英語で文句言っている。

チイチイパッパの英会話しか教えられない専門も何もない奴が、ゼミの担当もできない奴が、何を言っているのか。

日本の大学の正規雇用教員のくせに、30年近くも日本に住んでいるのに、日本語ができない奴が何を言っているのか。

解答用紙を配布するぐらいのことは黙ってやれ。

入試の時も、「なんでこんな難しい問題を出すんだ、僕に聞けばいいのに……」と文句を言っている。

ある大学の英語の入試問題を、その大学の英語担当教員が作成することが明々白々であるのは危険だ。

問題漏洩の標的になったりとか。

特に英語担当教員の数が非常に限られている場合は。

それを避けるために、英語担当教員は英語の入試問題作成にはタッチしない。

ということは規模の小さい大学では当然の配慮だ。

ということも還暦にもなっても、わからんのか……

私も説明してあげる親切もないし。

親切にすると、つけあがるからなあ。

福山市も不思議な人間を採用したもんだ。

それはさておき、ともかく、6年間の私の福山市立大学ライフの多くの部分は、彼女たち英語科目担当スタッフに負ってきた。

面倒くさいことを通過してみると、私が得たものは大きかった。

彼女たちのサポートのおかげで何とかやってこれた。

感謝感謝です。

個人主義者であり、マイペースでしか仕事をしてこなかった私は、彼女たちのおかげでチームワークを学ぶことができた。

共に働くということの大切さを学んだ。

リーダーとして無能であった私を、英語力もかなり怪しい私を、優秀な彼女たちは随分と助けてくれた。

ありがとうございました〜〜🎶🎶

彼女たちは、私にプレゼントまで用意しておいてくれた。

そんなんいいのに…高価なのに……

シャネルの絹のスカーフと、ドバイ土産(スタッフのひとりがテニスが好きでドバイまで見物に行く)のカシミアのショールだ!

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シャネル〜〜!!

ドバイ〜〜!!

どちらも私の大好きな色である!!

素敵な色合いだ!!

ありがとうございます〜〜🎶🎶

大事に大事に愛用させていただく。

私の場合、シャネルのスカーフよりも、名古屋は大須のアーケード街あたりで購入した980円のストールでいいんですが。

首にグルグル巻いて「中村主水スタイル」が好き。

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「なかむらもんど」って知ってる?「必殺仕事人」ね。

引越しが終わったら、シャネルやドバイのスカーフを「中村主水スタイル」でグルグル首に巻いて早春の街に出よう〜〜🎶🎶

 

 

 

 

ハグで終わった最後の晩餐

本日は2017年3月7日火曜日だ。

忙しい。忙しい。

福山の自宅と研究室の退去活動で忙しい。

猛烈に忙しいのに、思うほどに作業は捗らない。

3時間作業しただけでヘロヘロになる。

昨日は研究室で6時間ノンストップで作業したので、帰宅時に脚が前に進まず難儀だった。

だから今日は、夕方の英語教育スタッフとの食事会(送別会&私からの感謝会)まで、ノンビリする。

いや〜〜〜「ほんとの引越し」って大変。

今までは、引越し業者に、一切合切のもの全部段ボール箱に入れてもらって、運んでもらって、新しい場所に着いたら、段ボール箱の中のものを取り出してもらうというパターンだった。

今回は、その「新しい場所」というのがない!

名古屋の自宅のスペースに収まる程度のものしか持って帰れない。

もう〜〜大量の処分だ。

もう〜〜「一生に一度」じゃないかと思えるほどの大大大大断捨離だ。

でもって、この断捨離というのは、自分がやるしかない。

卒業論文に修士論文に博士報告論文に書いたMark Twain ( 1935-1911)の本も、分厚い自伝The Autobiographyだけ残す。

結局は、その作家の生涯の記録を超える作品なんてないのかも。

フィクションは、所詮はフィクションだもの。

Ayn Rand が自伝を書いておいてくれなかったのは残念だ。

まあ、あの人、どっか幼稚というか、女性の秀才にありがちな馬鹿優等生みたいなところもあって、自己省察能力はない方だったから、嘘ばっかの自伝じゃあ残されてもしかたないか。

自分を突き放して見るとこが弱いよな、アイン・ランドは。

ともかく、13日の引越しまでの準備に忙殺されている日々だ。

ところで、今日は、3月4日の午後6時半に開催の「私のゼミの最後の晩餐」について書く。

場所は、福山駅からタクシーで50分くらいの岡山県浅口市鴨方にあるフランス料理店である。

福山駅に集合して、チャーターしたジャンボタクシーと小型タクシーに分乗して、会場の「ビストロ・ノヴァ村鴨方」に向かった。

鴨方は、「鴨方うどん」で地元では知られているけど、私たちはフレンチだ!

ここの「ビストロ・ノヴァ村鴨方」というレストランは、知る人ぞ知る名店なんである。

地元では気軽なランチで賑わい人気店だが、本格的フレンチこそいいのだ!!

その晩は、レストランを貸し切らせていただいた!

はっきり言って、なんであんな田舎にあのような凄くいいレストランがをひっそりとさり気なく建っているんだ?

自己主張いっさいせずに。欲もなく。

せめて岡山市内か福山市内で営業して欲しいよ。

オーナーシェフの安田文博さんは、1980年代にフランスで修行なさった。

安田さんのお料理は、ほんとに美味しいのだよ!!

私がこのお店にFacebook友だちの福山在住の女性(ご自宅レストランのオーナーシェフだ!)に連れて行っていただいたのは、今年の1月7日だった。

感激だった。

2009年に行った当時は東京白金にあった「カンテサンス」を思い出させる味だった。

丁寧にひとつひとつが調理されている。

美味しいのだよ…

本格的よ……

プロフェッショナルよ……

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上の最初はアミューズです。「つきだし」ですね。

写真の右側の黒いものは、カエル。蛙。ゲロゲロ蛙よん。

左は、牡蠣でございます。

違う、違う。反対だ。右が牡蠣で、左が蛙。

私は、いまだに左右の区別がつかない。アホや。

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この前菜が、また絶品! すべて美味しかった。

特にヒラメのしめたものに、ライスペーパーをさっと揚げて本物のマヨネーズとイクラ乗せが、もう〜〜素敵。

小瓶に入っているは、ヤリイカのマリネ。

海老のゼリーみたいなものも良かった。

テリーヌも美味しかった!

この前菜だけでも、ボリュームがあってお腹が満足しそう。

が、この後にさらにさらに素敵なものが登場した!

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これは、人参とカボチャのスープ。これも絶品。心も身体も温まった。

メインディッシュのお肉は子牛。ソースがもう……

デザートが楽しい……チョコパウダーまでいただいたぞ!

しまった! お魚料理を忘れていた!

スズキとホタテとブロッコリーとなんかのココット。

底に残るスープ?が最高。

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これは、特に女子学生さんたちの評価が高かった一品。

あ!自家製の美味しいパンを撮影するのも忘れた。

パンも美味しいのよ〜〜

みんなお代わりしたのよ〜〜

出席者は、私の最後のゼミ生7人(途中で流入3人組と4名、ほんとは8名だけど1名不登校)と、私のゼミ生と仲良しの他ゼミの学生1名と、第1期ゼミ生3名が加わり計12名の晩餐会!

第2期ゼミ生も招待したのだけれども、都合が悪くて欠席。残念だった。

いやあ、楽しくて美味しかった!!

まだ大学生のゼミ生のほとんどにとっては、ビストロとはいえ「フランス料理フルコース」は初体験だ。

食べ終わったら、ナイフとフォークは、こうやって並べておくんだよね〜〜と、互いに教えあってる。

最後のゼミ生第3期ゼミ生たちも2年も経過すると、互いに打ち解けた感じになる。

去年の9月から流入したゼミ生(担当教員がイラクに行っちゃった)は、最初から遠慮なく言いたいこと言ってる。

他ゼミからの参加者は、みなにいじられている。愛すべき「いじられキャラ」である。

卒業生のひとりは、農協で元気に働いている。在学中は、もてまくっていたが今は真面目だそーだ。

なにしろ、卒論の一部を彼女に作成してもらったもんな。

私は、すぐに見抜いたぞ。なめんじゃねーよ、教師を。

もうひとりは、釣りの専門誌の記者で忙しい。『月刊 釣り画報』です。よろしく!

いつも彼女が欲しいと言っていたが、ちゃんと彼女ができた。同じ高校の同級生だ。

彼の出身高校の前身は、夏目漱石が教えた旧制松山一中である。名門校である。

だから、彼は日露戦争の秋山好古の後輩にあたる。『坂の上の雲』やね。

彼女が結婚したがっているが、断わることができそうもない、押し切られそうだ……と言っていた。

松山一中の女の子ならいいよ。母親の知能指数が子どもに遺伝する。父親じゃない。

「小沢一郎研究」5万字の卒論を書いた卒業生は、ブラック企業の某大手学習塾を辞めて、出雲の実家に帰り大学院に入院すべく猛勉強中。

「小沢一郎政治塾」に参加し、そこで知り合った某政治学研究者のもとで学びたいそーだ。

ブラック大手学習塾で講師やっているときは20キロ痩せたのに、実家に帰って30キロ体重増加。

なんで、そんなに器用に痩せたり、デブになったりできるか不思議。


(デザートを食べ終わって、おすまし。エヴァンゲリオンみたいな奴もいる)

しかし、今時の子たちは、彼らや彼女の世代は「ゆとり世代」なんで、食事中に間隔があくと、すぐにスマホをチェック。中にはゲームまで始める学生もいる。


アホか、こいつら。

私は、Facebook友だちの方からとか、たまに同僚からも、「学生に対して愛情が豊かですね」と言われるが、そんな甘いもんじゃないんだよ、今時の大学の教員と学生間の関係は。

大事に育てられ好き勝手に生きてきた小動物を放し飼いにして、放し飼いにしつつ、ここまで連れてきた気分やね。

羊飼いのオバサンね、私は。

きちんとお行儀よくいただき、残さず綺麗にいただき、帰るときにスタッフの方々にお礼が言えれば、それでいいのだ!!

うちのゼミ生で食べ方が汚い学生はおりません。

晩餐会が終わったら、藤森ゼミ恒例の儀式「お別れのハグ」だ!

ほんとは、卒業式が終わったら研究室に来てもらってするのだけれども、卒業式前日には私は研究室を退去する。総務課の職員さんに全て引き渡す。

だから、卒業式ではなく、「最後の晩餐会」でハグの儀式を強行した。

堂々とセクハラできる最初で最後のチャンスです!




うちのゼミ生の女子は美形揃いです。

上の彼女なんか、岩崎宏美をもっと美人にしたみたいです。

ついでに、卒業生ともハグ。


ハグすると面白いことに気がつく。

彼女とかいる男子学生はハグし慣れているので、照れない。

ハグしあっても、身体が自然によく馴染む感じ。

彼女いたことがない男子学生は、オバハンとハグなんてしたくない。

その抵抗感がおもろい。

こんな感じね。

2人とも照れているというより嫌がってる。

そこを無理強いする。


ぐはははははは〜〜

いうことで、私の最後のゼミ生との「最後の晩餐会」と「お別れのハグの儀式」は、終わったのでありました。

大学の教員になったからこそ、わけのわからんペットみたいな若い子たちの生態を観察し、彼女たちや彼らたちと触れ合うことができた。

子どものいない私にとっては、これはほんとうに幸せなことだった。

大人からすると、若い子って別の生き物に見えるもんね。

ついつい、自分と同じ人間とは思えずに、目に映る風景になっちゃう。

でも、ペットみたいに見える今時の若い子たちも、それなりに考えている。

ひとりひとりのかけがえのない人生と個性と世界がある。

いろいろな想いを抱えて生きている。

そういうことも、教師になったからこそ、学べたことだ。

「出会う人はみな先生」ということは、確かに言えるな。

あの子たちに出会ったことで、学生たちと触れ合ったことで、私は随分といろいろ学んだ。

私が教員生活で出会った学生さんたち全てに感謝だ。

みんな、ありがとうございました!

みんな、いい人生を創っていってください。

みんなのご多幸をお祈りします。

3月4日の「最後の晩餐会」集団は、またもジャンボタクシーと小型タクシーで福山駅に戻り、午後10時半頃に、陽気にアッサリとサッパリとアッケラカンと解散した。

さようなら&ありがとう「都市経営学部」!

本日は2017年3月2日木曜日だ。

昨日の3月1日は、私が所属する福山市立大学の「都市経営学部」が私を含めた3名の退職者のために送別会を開催してくれた。

会場として、幹事の若い同僚が私の好きなお店を選んでくれた。

大黒町の「地中海料理FUKUHARA」だ!

美味しかった!!

出席者は少ないけれども、すっごく気持ちのいい送別会となった。

まあ、気持ちのいいメンバーしか出席していないから当然だけれども。

話も大いに弾んだ。

みな言いたいことを口走っていた。

いつもあんな調子で忌憚なくしゃべり倒して陽気に大笑いできればいいのにねえ!

みなさん、ありがとうございました〜〜♫♫♬

同僚たちは、学部長や副学部長をはじめ、みな忙しくて疲れているのに、わざわざ送別会を開いてくれた。

うちの学部は、ほんと忙しいんよ。

福山市立大学は「教育学部」と「都市経営学部」で成立している。

定員は1学年「教育学部」は100名。「都市経営学部」は150名だ。

しかしだ!

学生定員が1.5倍多い「都市経営学部」の教員数は、教育学部の教員数より少ない。

なんで?

「都市経営学部」の教員は、両学部の共通教養科目も担当している。

なのに、その数は教育学部の教員数より少ない。

なんで?

「都市経営学部」は学際的な学部であるので、いろんな分野の教員が必要である。

学際的な学部の教員数は多い決まってるんよ。

理系も社会科学系も必要だ。人文系も必要だ。

なのに、「都市経営学部」の教員数は、教育学部のそれより少ない。

なんで?

不思議だ……

ということで、うちの学部の教員の仕事量は多くて、みな疲れているのだ。

設置者の福山市は、何のつもりで、こういう学部を作ったのか?

ぶっちゃけて言えば、「教育学部」なるものはどこの国立大学にもちゃんとある。

わざわざ、福山市が作る必要はなかった。

集中と選択。

日本で初の「都市経営学部」を設立するのならば、これひとつに集中するべきだった。

いっそ「福山市立都市経営大学」にするべきだった。

なのにさ……

そりゃさあ……

若い教員が、「都市経営学部」から逃げるのも無理はないんよ。

これではさ……

2012年の初夏に、たまたま福山市の2名の副市長に会う機会があったときに、私は福山市立大学の状況を伝えた。

というより、陳情したんよ。

「このままでは、優秀でやる気のある教員ほど、追い詰められて辞めて行きますよ」って。

実際に、そのとおりになってしまった。

あの日が、随分と昔のことに思える……

あの2人の副市長は薄ら笑いを浮かべていただけだった。

話を戻そう。

ともかく、うちの同僚は、送別会などすればお金もかかるし、ただでさえ安い給与から参加費を出すのはきついのだから、送別会などしなくていいのに、わざわざ送別会を開いてくれた。

私は、大阪の桃山学院大学勤務時代には、同僚の送別会の幹事を随分としたので、ああいうことを準備することの面倒くささがわかる。

それに加えて、同僚たちは記念品も用意してくれていた。

これだ!


良いでしょ!?

これはね〜〜福山市の北部に位置する神辺(かんなべ)にある「中村金襴」(なかむらきんらん)という会社の製品である。

伝統工芸品の金襴(きんらん)を織る工場がひとつだけ残っているのだ、福山に。

製品は京都で販売しているが、織っているのは福山の工場だ。

これは、テーブルセンターとコースターのセットですね〜〜

タペストリーにもなるね〜〜このテーブルセンターは。

コースター使うのもったいないね〜〜

でも使うぞ!!

黒地に銀の糸を織り込み、微量に金も織り込んでいるのが素敵だ。

シンプルで品が良い。

柄は、薔薇と蝙蝠だ。

薔薇は、福山のシンボルなんである。

一応は、福山市は「バラの町」なんである。

蝙蝠も、福山のシンボルである。

なんで、コウモリ?

理由は知らない。

私は、この記念品を拝領するまで、福山にこのような工芸品があることを知らなかった!

「中村金襴」!

私って、福山のことを、よく知らないままに福山から去るんだなあ……

と、あらためて、この6年間の自分の不調について残念に思った。

やっぱりさあ……

58歳で新しい土地に来るのって、キツかったのかなあ。

58歳では、新設大学に挑戦するには、老けすぎていたかなあ。

58歳の時には、すでに教師としての情熱ややる気も落ち込んでいたしなあ。

「都市経営学」という学問分野に貢献できる何ものも私は持っていなかったしなあ。

福山について知るためにあちこち福山を歩き回ろうにも、2012年には脚の具合が悪くなっていたし。

いつもくたびれていたし。

大学の体制に、いつも怒っていたし。

もろもろの理由で、私は、せっかくの新しい学部の「都市経営学部」の充分な戦力になれなかった。

これは、揺るぎないかけ値ない真実。

昨晩の送別会での私の気分は、存分に闘った戦場を振り返るというものではなかった。

「負け戦でした〜〜」の気分であった。

それでも、私の最後の職場の「福山市立大学都市経営学部」を、私は私なりに愛していた。

その気持ちを確認した送別会の夜だった。

さようなら、ありがとう、私の「都市経営学部」!