早春の幻視

今日は2016年3月19日土曜日です。

今日書くことは、まあ、どうでもいいようなこと。

4週間の自宅療養の間は、ほぼ引きこもっていたけれども、1泊だけ伊勢に行った。ただし、伊勢神宮参拝はしなかった。

伊勢神宮に参拝するなら、ちゃんと黒いスーツとか着て正装して御垣内(ミカキウチ)参拝したい。でも、体調的にそういう気分ではない。

別に祈願したいことがあるわけでもないので、気楽に神社に行きたかった。

で、第一日目は、伊雑宮(イゾウグウ、イザワノミヤ)に参拝した。ここは、ほんとに空気が違う。神気が違う。

このお社の前の旧旅館は、お昼だけ鰻丼を提供してくれる。美味しい!!

北に向かって200mくらい歩くと、倭姫命(ヤマトヒメノミコト)がなんかしたみたいな遺跡もある。

倭姫命は景行天皇の妹で、日本武尊(ヤマトタケル)の叔母さん。日本武尊に叢雲の剣(のちに草薙の剣に改名)を渡して、「がんばってちょーらい」と見送った人だ。

このお姫さまは、自分の先祖の天照大御神を祀る場所を求めて旅をしてた。で、この今の志摩の磯部町に上陸して、「ここ、いいね」って思ってお社を建てた。それが「伊雑宮」。

次に宮川に行って、ここらあたりもいいねと思って、またお社を建てた。それが、今の「瀧原宮」(タキハラノミヤ)。

で、最終的に五十鈴川のほとりが最高!こここそご先祖のお墓にいい!と思って、今の伊勢神宮の内宮を建立。

ということになってる。「古事記」には、そう書いてある。

で、私は伊雑宮の次は瀧原宮に参拝した。

伊勢神宮は、テレビで霊能者が「パワースポット」とか言ったんで、観光客が押し寄せてうるさくなった。ほんとギャアギャアうるさい。愚民は「おかげ横丁」で伊勢うどん食ってるだけにしとけ。ほほほ。

しかし、元伊勢の伊雑宮も瀧原宮も、非常に静かで清々しく素晴らしい。

翌日は、早朝の倭姫神社へ。

この小さいが美しい神社は、皇學館大学の近くにある。

それから、鳥羽市に向かった。

鳥羽市の国崎(クザキ)町に「海士潜女神社」(アマノカズキメジンジャ)というのがあり、その近くの海岸に倭姫命は上陸して伊勢に向ったと聞いたからだ。

情報源は、同僚の渡邊明教授である。渡邊先生と私の共通の趣味は「神社」である。

鳥羽の国崎町に行く前に、ちょっと石鏡(イジカ)という町にも寄った。

ここは、1954年の東宝映画「ゴジラ」において、原爆だか水爆実験で目覚めてしまった古代怪獣のゴジラが上陸した地点ということになっている。

ここからゴジラは上陸して日本国土を蹂躙(ジュウリン)したんである。

ゴジラは、私の永遠のアイドルである。

なんでか?好きに理由はない!

国崎の鎧崎(ヨロイザキ)漁港から望む太平洋は雄大だった。

コンクリート製の桟橋は、海鳥のトイレであった。

地元の妊婦さんが男の幼児を連れて散歩していた。

体調が悪いのだろうか、挨拶したら寂しそうな笑顔が返ってきた。

旅人にとっては野趣豊かな風景であるが、地元の住人にとっては鬱屈があるのかもしれない。若い女性にとってはリアリズムはきつい。

鎧崎あたりの道は非常に狭い。あんなん消防車は絶対に通れない。

鎧崎漁港から鎧崎の灯台まで歩いた。途中に神社がある。これは、伊勢神宮に奉納する鮑(アワビ)の調理処だそーだ。秋篠宮ご夫妻と眞子様が参拝なさったそうである。

ところで、なんで鎧崎か?よろいざき。

ここで倭姫命は上陸して、鎧を解いたからである。

鎧を着けて船の旅をしていたのだ。尾張から。倭姫命は、都のある奈良を出発し、近江、美濃、尾張と巡行して、尾張から船で伊勢に向かったのだ。

鎧を着けていたということは、けっこう強盗や山賊や海賊の類に遭遇する危険もあったのだ。

日本の戦うお姫さまの元祖は倭姫命である。

セーラームーンやもののけ姫の元祖は、倭姫命である。

そのとき海を眺めていた私は、身の丈3mぐらいある古代の衣装に鎧をつけたお姫さまが、太平洋の荒波を蹴飛ばして上陸してくる姿を幻視した。

古事記でも旧約聖書でも、超古代の人々は長生きである。300年くらい平気で生きてる。

哺乳類は身体がでっかくなるほど長寿である(らしい)。

であるからして、超古代の人間はすっごく大きかったんじゃないか。

沖縄には、身長2m以上の女性が海を越えてやってくるという神話があると聞いた。

この話は、私のFacebook友だちのひとりで、私を「前世の私の母である」と言い張るハチャメチャな気質の霊能力を持った沖縄出身の看護師さんから聞いた。おとなしい私から、あんな波乱万丈の娘が生まれたはずはないが。

うーむ。海の向こうからでっかいお姫さまがやってくるとは、なんと気宇壮大な伝承でしょうか。

そうなんよ。あの海から、身長150センチくらいのお姫さまがチョコチョコやって来るとは思えんなあ。

なんと人類の祖先は猿じゃなくて、恐竜だという説もある。

だから、最初の人類はピテカントロプス並みの大きさだったんよ。

そういえば、天皇の身体のことを「龍体」と呼ぶよな。龍ぐらいに大きかったんよ、神武天皇は。

だから、私の幻視は必ずしも荒唐無稽ではないかもしれない。

そういえば、石鏡にゴジラが上陸したという設定は、ひょっとしたら、古代の神々の記憶が転写されたのかもしれない。

あの映画「ゴジラ」の主題歌である「ゴジラ協奏曲」の作曲者の伊福部昭(イフクベアキラ)氏のご実家は、出雲の神社だそーだ。

一泊の伊勢旅行は、ゴジラ大の大きさの倭姫に思いを巡らす旅でした。 

    
    
    
   

新世界か?それとも人類牧場か?

本日は、2016年3月18日金曜日だ。

4週間の自宅療養も終わり、今は福山にいる。

名古屋でも断捨離作業をチョコマカとしていた。福山に戻っても断捨離作業をチョコマカとしている。

1996年以来20年に渡る大阪や福山での単身赴任生活を来年の3月には終える。であるからして、20年間分の単身赴任生活を終わらせるための廃棄処分作業をしなければいけない。

チョコチョコと少しずつ廃棄処分していく。果てしない作業に思えるよ・・・

今までの引っ越しは、とりあえず段ボール箱に詰め込んで、引っ越し先に来ても段ボール箱開けないままに放置。それで良かった。

が、今度は、そうはいかない。

とうとう20年間のだらしなさのツケを払う時期が来た。

ところで、4週間の自宅療養期間に私が思ったことのひとつは、「生活費獲得労働にあけくれない日々は、それはそれで大変なんじゃなかろうか」ってことだ。

24時間全部が自由になる。毎日が日曜日。

これは、日々の労働のストレスにさらされる身にとっては憧れの境地かもしれないけれど、私は自宅療養4週間に、「毎日が日曜日」をわが身で人体実験して、これは大変だと思ったよ。

「時間がいっぱいあるから嬉しい~~~うんと勉強しよう!!」と思って勉強できるような頭を私が持っていたら、こんな人生はおくってない。

そりゃ負荷のかからないラクちんな暇つぶしの方法はいくらでもあるから、死ぬまでの暇つぶしはできるだろう。

物見遊山みたいなカネのかかるものではなく、ほぼ無料のエンターテインメントは、ありがたいことに現代は各種とりどりある。

インターネットがある。iPadで無料動画アプリ利用して映画でも韓国連続ドラマでも見逃し配信でも視聴していれば、暇はつぶれる。

平和な日本だから、散歩もいい。空から爆弾は降ってこない。ドローンが爆弾を運んでこない。テロリストや通り魔に遭遇するかもしれないけど、その確率は宝くじにあたるよりも低い。

私は、自宅療養4週間の間で、よ~~~くわかった。

「生活費獲得労働のない自由を活用するのはなかなかに大変だ」と。

かといって、1年早めに退職する予定を変える気はない。だって、組織人としても教師としても、きちんと責任を果たす気力も体力も能力も私にはないと、つくづくわかったからね。病気はその気持ちを後押ししただけだ。

きちんと責任を果たす気力も体力も能力もないのに職場にすがりつくには、私は気が小さすぎる。そんな厚かましさや度胸はない。

ほんとに、退職後こそが人間の真価が問われるんだなあ。問うのは世間じゃない。他人じゃない。自分だ。自分の目は誤魔化せないぞ~~~

自分で自分の生き方に納得できる毎日を自分で創っていかないといけない。それを評価するのも自分というこの厳しさ。

もう要請される仕事を受け身でやっているほうが、ほんとラクだよ。

奴隷の方がラク。

こき使われて働いている方がラク。

目の前の実のない労働をしている方がラク。

なんも考えなくていい。自分で管理実行しなくていいし。結果が悪かったら、上司のせい。

ですから、みなさん、今の労働を大いに楽しんでください。

多忙さにドタバタしているのが花です。人生の花です。大輪のバラの花です。ほんと。

だって、人生の時間を全部「あなたが自由に主体的に管理運営して創造しなさいね」と言われて、なんとかそれを前向きに生産的に実践できる人間って少ないと思いませんか?

まさに、退職後の人生こそ、大挑戦で大冒険で大問題で大難関だ。

労働に狩りたてられない自由は、大挑戦で大冒険で大問題で大難関だ!

どうしよう。

と思っていたら、なんと~~~来年の春からの私の厳しい状態は、「未来の人類の常態」になるらしい!

うわあ~~この重荷に人類は耐えることができるのか?

最近、スイスとかが、ベーシック・インカム(basic income)を導入するかどうかの国民投票を6月に実施するとか報道されたではないですか。国民投票で可決されたら、全国民に(現在の日本円換算で)月に30万円支給される。未成年は月に7万円だってさ。

フィンランドはすでに全国民に(現在の日本円換算で)月に11万円支給することが決まっている。

そのかわりに、国民健康保険、年金、障害者手当とか、生活保護給付とか、社会福祉給付は消える。

ベーシック・インカムは、福祉制度の運営にコストがかかり過ぎる(福祉官僚の肥大化)から導入されると考えられてきた。というか、私はそうだと思ってきた。

ところが、違うらしい。NHKの見逃し配信で視聴した『クローズアップ現代』では、以下のような内容のことを識者が示唆していた。3月15日の午後7時半から放送されたやつね。

念のために言っておくが、以下のことは、もろに言われていたわけじゃない。あくまでも「示唆」されていたんよ。NHKがあの時間帯で、こんなラディカルなこと明々白々に言うはずない。

「資本主義体制は、どんどん商品を生産し、それが消費されることで成立される。しかし、消費者に購買力がなければ商品は売れない。不景気は続く。中央銀行が貨幣をいくら発行しても景気は良くならない。労働者の収入に直結しないからだ。そもそも労働者が不要になってきている。人工知能は、現在の人類の労働の半分以上を担うことになる。仕事が消える。仕事がなければ収入がない。収入がなければ購買できない。購買できない人間が多くなると不景気になる。よって、資本主義体制の維持のためには、国家が国民に一定の購買力を付与しておくべきだ。だからベーシック・インカム」

ははああ~~~~????!!!

と、私は仰天した。

なんという発想の逆転。

そうか、福祉制度の維持のコストもさることながら、資本主義体制(社会主義も資本主義体制だよ、国家独占資本主義!!国が企業で国民は完全雇用の社員っていうシステムだ)の維持のためには、購買力のある国民が必要。だけど、人類は失業するから、収入がない。だもんだから、国家がそこは保障する。

巨大なる自転車操業。マッチポンプ。

商品を購買してもらいたいなら、まずは自分の企業の労働者の賃金を上げろよ・・・と思っても、労働者にやってもらいたい仕事は人工知能ロボットがする。その方が生産性が高くコストが低い。

だけど、ロボットは購買しない。消費者&購買者は生身の人間。だから、企業が税金を国家に払い、国家が税金を国民に支給する。で給付金で国民は購買する。

この方式は機能するのか??

このシステムが機能するとして、人間はどう生きるんだろうか??

これ、未曽有の事件だ!!! 人類始まって以来の大事件だ!!!

労働から解放されて、稼ぐことから解放されて、人間は何をするの?

子どもたちは勉強するの?

将来、収入の高い職業に従事できるよう勉強してきたのに、旧人類は。

失業と転落と飢えの恐怖から、人間は学校に行き、子どもの頃からしたくもないことに耐えてきたのに、旧人類は。

これは、すごいことだ。

普通の人類は「毎日が日曜日」になるかもしれない。

そのかわりに、「国家の人畜」確定。

ベーシック・インカムの実施がデフォルトになった人類社会は、どの方向に進んでいくのだろうか。

死ぬまでの暇つぶしを創造的に多様に自由に開拓する「素晴らしき新世界」なのか。

ただ食っちゃ寝て彷徨して消費しているだけの「人類家畜世界」か。

これこそ、イルミナティの目指してきた「新世界秩序」New World Orderか?

まあ、今現在は、世界恐慌の回避のために第三次世界大戦が起きるかもしれない状況なんで、こんなこと言っていても始まらない。

だけど、「戦後の世界」は、必ず人工知能が3K仕事を請け負う世界になって行く。

その時代の人類の課題は、今の人類の抱えている課題より簡単ということはなさそうだ。

ま、私は、人類に先駆けて、「素晴らしき新世界」をどう生きるか身を持ってやりまっしょ。

 

正気

本日は2016311日の金曜日だ。

 5年前の2011311日金曜日は寒い日だった。私にとっては非常に忙しい日だった。

大阪府和泉市に位置する桃山学院大学の近くに借りていたマンションの部屋の引っ越しの日だった。15年間働いた大学を辞める日が近づいていた。

 20114月開校の福山市立大学というところに私は移るのだった。

 だから、福山市にすでに2月には住居を確保していた。

 引っ越し業者のトラックにすべてを積み込んでもらった。トラックを見送ったのが、午後1時頃。

 それから長年住み慣れた大阪の住まいの掃除をすませた。いろいろ汚れていた。

 マンションを後にしたのが午後2時頃。

 和泉中央駅の和食店で遅めのランチをとった。お腹が空いていた。熱い鍋焼きうどんを食べた。大阪のうどんは美味しいのだ。

 大阪府和泉市に別れを告げて、夫の運転する自動車で広島県福山市に向かったのが午後3時頃。

 福山市は遠かった。高速道路のインターから福山市の市街地に入るのに時間がかかった。なんで地方で渋滞するんだ??

 やっと福山市内のホテルにチェックインして、テレビをつけたのが午後7時半近く。

 それで東北に大地震と津波が起きたのを知った。津波の映像が凄まじかった。

 そうか、神戸のパーキング・エリアの売店のテレビの前に人だかりがあったのは、これのせいであったのか!

 夜の8時頃に福山駅近辺の和食店で遅い夕食をとった。

 Twitterを確認したら、東京の帰宅難民の人たちに宿泊場所やトイレを提供する情報でいっぱいだった。

 涙が出た。日本人がみんなで支え合っていた。

 翌日は、福山に借りた部屋に大阪から運び込まれた家財道具を入れる作業があった。くたびれまくった。

 夜にテレビのニュースで福島県の東京電力原子力発電所の事故を知った。仰天した。

 原発の事故おおおお~~~~!!!????

なに、それえええ???

日本の原発は、旧ソ連の原発とは違うんでしょ??そうじゃなかったの??

 それからは落ち着かない不安な日々が続いた。

 夜が眠れなかった。

 インターネットで情報を漁ったが、原子力の知識も放射能の知識もない私には何が何だかサッパリわからなかった。

 西日本にいても放射能汚染で死ぬかもしれないという恐怖があった。

 でも、放射能に汚染されると、どうやって死ぬんだろう?

 まったく見当も想像もつかなかった。

 新しい職場に新しい住居でドタバタしているときに、なんで原発事故なんだ。どーすりゃいいの?

 と、私は不安でいっぱいだった。

ストレスで花粉症の症状がひどくなり、顔はアトピー症状でボコボコニに赤く腫れた。かゆみのために掻き毟った目も充血してしまった。

 けれども、けれども、私の不安とはうらはらに、広島県福山市は実にのんびりしていた。

 新しい職場であるところの福山市立大学の人々の話題に、原発事故のことも放射能汚染のことも出なかった。

 学長が、「この未曾有の大惨事から復興する日本を支える人材を、この新しい大学で育てましょう!」と力強く全教職員に檄を飛ばすわけでもなかった。

東日本大震災は遠い遠い別世界の出来事のようであった。

 あれはあれで、プチパニック状態だった私にいい影響を与えたのかもしれない。

 しかし、思えば、あのときからの違和感であった。

 「街がキャンパス」がキャッチコピーの大学だ。福山市以外のことは、どうでもよかったのだろう。

 ともあれ、2011311日と、それからの日々は、日本にとって忘れられないものとなった。

 同時に、私個人にとっても、それからの日々は忘れられないものとなった。

 なんとなれば、日本にとっても、私個人にとっても、実に残念な日々が続いたから。

 日本どうなるかわからない。安全だと思っていたのに、安全じゃない。

 きちんとしていないだろうと疑いつつも、無自覚にも、きちんとしていると期待していたけれども、やっぱり、きちんとなんかしていなかった。

 政府も役人も電力会社も。エリートのくせに、頭いいはずなのに何をしていたんだろう??

 やっぱり、自分にできることは自分でやっておかなくちゃ。他人を頼っちゃいけないんだ。

 私は、やたらと防災用備蓄用品を買い込み始めた。

 米や水や保存食料や簡易トイレに、寝袋にヘルメットに災害用ラジオに懐中電灯。

ということで、ドタバタとしていたあの頃。

 あれから5年。

 当時の落ち着かない不安な日々を静かに振り返ることができる今のありがたさ。

 日本は、いろいろあっても、ちゃんと存続している。

 私も、問題をいっぱい抱えながらも、なんとか生きている。

 不安な未来を想像しながら災害用備蓄に励むのも大事だけど、「今」「ここ」に生きていることを楽しもう、味わおうと思えるようになった。

 当時は何でもストックしておかないと!という不安で、シャンプー買うにしろ何個も買い込んでいた。トイレットペーパーも1年分は買い込んでいた。下着も何年分もストックした。まだ、あるよ、あのときに買い込んだ下着。

 インターネットに流れる「次は、何年何月に、どこそこで大地震が起きる!!」情報に踊らされて、この日は外出しないでおこう、もっと水の補充をしておこうと動いた。

 福山と名古屋の移動のときは、新幹線に閉じ込められる事態に備えて、リュックには必ず水と食料を入れた。

 今は、シャンプーがなくなれば「湯シャン」でいいと思えるようになった。風にサラサラなびく髪などなくても困らないと思うようになった。誰がババアの髪なんか気にするんだ。

 物などないならないで、なんとでもなる、と思うようになった。

 数日間ぐらい食わなくても死にはしないし、かえって健康にいいと思えるようになった。

 いろいろ怖がってもしかたない、想定しておくことは重要だけれども、何にしても迎え撃つ勇気だけあればいいと思うようになった。

 「今」「ここ」でやるべきことに集中して。無駄に心配することはないと思うようになった。

 いつ死ぬかわからないからこそ、「今」「ここ」を大事にするんだと思うようになった。

 死んだら死んだでいいじゃないか、大地震で瓦礫に埋もれて死体がバラバラになっても、津波で死んで海の向こうに引きずりこまれても、身元不明でも、死んだことすら不明でも、葬式の手間も死体を焼く手間も省けていいわ、と思うようになった。

 さてさて、これから私は福山での最後の1年を迎える。

 この最後の1年は、ゼミ生の卒論指導をきちんとしながら、福山の自宅と研究室の断捨離作業を粛々とする。同時に名古屋の自宅の断捨離もする。

 1996年に大阪の桃山学院大学に移って以来20年間にわたる二重生活、単身赴任生活を終わらせる作業をする。

 いっぱい捨てる。いっぱい処分する。これだけは残していこう、これだけは手元に置いておこうと思えるものを選択する。

 あの2011311日が日本に与えた影響というのは、これからより明確にされていくのだろう。5年間ぐらいでは測定できないような変化を東日本大震災と原発事故は日本に与えた。

 クルクルパーでのん気に非現実的に徹底的にいぎたなく世俗的に生きてきた日本人の多くが、自分たちの寄って立つ場所の不安定さや儚さを意識するようになった。

 少なくとも、私にとっては、あの日からの日々は、「死」を意識する日々となった。物事を見る視線が違ってきた。

 「正気」になったと言うべきか。

 しかし、実のない労働の中で、その「正気」も濁り曖昧になりがちだった。

 これからは、「正気」を保持する。

 「今」と「ここ」を見つめつつ、「今」と「ここ」を愛しつつ、「正気」を生きていく。

私にあるのは、「今」と「ここ」だけなんだから。

 

 

 

 

 

 

豚時代の終焉

本日は2016年3月1日火曜日である。名古屋での自宅療養も13日目だ。

3月16日までは仕事は何もしないのである。断固としてしない。

ただ気ままに読書する。読書に飽きたら、無料動画アプリのGYAO!とか、TBSの見逃し配信とかで、映画とかTVドラマを視聴するんである。

はっきり言って、私の人生の楽しみは、「乱読・雑読」と「なるたけ無料で映画やドラマを視聴すること」だけで構成されている。

「労働」は生活費と本代を稼ぐためだけのものだ。

「研究」というのは、乱読・雑読だけでは脳が緩くなるので、読んだことを組織化して活字にしておくためのものだ。

それだけのことだ。「楽しみ」の隙間に「労働」と「研究」がある。

だから、今のように、「労働」も「研究」もせずに、ただただ「楽しみ」しかしない日々は、無茶苦茶に嬉しい。しみじみ幸福である。森羅万象に感謝である。

テキトーに病気になったおかげだ。ありがたい。これが、末期の癌とかだと、死ぬ準備で忙しい。肝炎ぐらいで良かった。

おお!!「乱読・雑読」と「なるたけ無料で映画やドラマを視聴すること」で構成される日々!!

このような日々を満喫できるのは人生で初めてである。

ガキの頃から、ただただ自分の楽しみを追求するだけの日々は許されなかった。

登校しなければならなかった。家でテレビを見ていてはいけなかった。漫画を読んでいてはいけなかった。

夏休みだって宿題というものがあった。朝は「子ども会」のラジオ体操に参加しなくてはならなかった。

受験勉強の真似事もしないといけなかった。

学校は通いの緩い刑務所であった。自由とはほど遠いのであった。

大学院を出ても職を得るのに時間がかかった。アルバイトの日々が3年ほど続いた。

専任の職を得たのは、やっと33歳だった。

専任講師になったら助教授(今は准教授と言う)にならねばいけなかった。

助教授になったら、教授というものにならねばならなかった。

そのためには、論文と呼ばれるどうでもいい作文をいっぱい捏造しなければならなかった。

職場の労働もラクなわけではなかった。「巧妙なサボり方」を実践できるほど器用ではなかった。

いつもいつも、くたびれていた。

病気になって、やっと私は、自分の楽しみだけしていればいい日々を獲得できた。まあ、これもあと2週間で終わるんだけどね・・・

だけど、2017年の春に退職すれば、今の「自分の楽しみだけしていればいい日々」が死ぬまで続くんである。

下の写真は、読んでいる最中の本。『これからのエリック・ホッファーのために—在野研究者の生と心得』(東京書籍、2016年、1500円& 税金)だ。

エリック・ホッファ(Eric Hoffer: 1902-83)つーのは、アメリカの哲学者ね。港湾労働者しながら本書いた人ね。

1987年生まれの荒木優太さんという若い研究者がお書きになった「在野研究者」の列伝は面白い。

「在野研究を実践する方法」指南も面白い。文章がいいなあ。

自分の子どもくらいの若い人の書いたものから学ぶ素直な私。

なんで、こーいう本を読んでいるかというと、私の長年の乱読・雑読の蓄積というか「ゴミの山」というか、それらが私にささやくのよ。

「やっと、あんたも日本語が理解できるようになったね。本が読めるようになったね。研究者になれる準備ができたね!」って。

そーなんすよ。63歳にして、私はやっと向学心が出てきたらしい。

長年の乱読・雑読の蓄積というか「ゴミの山」形成の効果が、やっと私の全細胞に浸透してきたらしい。

どんな名著を読んでも「豚に真珠」でしかなかった脳が、やっと人並みになりつつある。名著に感動できる脳になってきたらしい。

長きに渡った「豚時代」が終わり、やっと「人間時代」に入ったらしい。

そーなの。私は、やっと「研究者」やる気になってる。

そーいう人生もあるのよん。

遅くたっていいじゃないの、遅すぎてもいいじゃないの、幸せならば。

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