損を引き受ければ悪縁が切れる

本日は、2017年12月14日木曜日である。

いつも私が読んでいる某神道系霊能者さんのBlog( http://blog.goo.ne.jp/isehakusandou/e/0be1607208d317e9d4899210f235a02b)に、以下のような意見が書いてあった。

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以下は、そのブログの本日の記事に書いてあったことのフジモリ流勝手な要約だ。

「親に虐待されたり、酷い目にあうと、子どもは親を憎んで、老後の親に援助もしなかったりすると、「霊的な縁」ができてしまって、その馬鹿親と、来世でも縁ができてしまう。そういう馬鹿と縁を切るために、できるかぎりの援助をして、霊的な縁を切っておくのがいい。そういう馬鹿の子どもと生まれたことは、前世からの縁だから、あなたに全く責任がないとは言えないのであって、今世で縁を切っておくために、やれるだけのことをしておこう。貸しをうんとしておけば縁が切れる。清算しておきましょう」

この霊能者さんの意見って、法外に理不尽に見えるかもしれない。

損得に敏感な類の「一種のアメリカ人」なら絶対にわからない見解だ。

でも、私には、よくわかる。

前の記事では「一家心中メンタリティ」を批判したけれども、私がこの霊能者さんのこの意見に賛同することと、それは矛盾しないのだよ。

自分の馬鹿親が老後に病気とかで困ってる時に、(さんざん酷い目にあったけど、今は余裕のある)子どもが面倒みることは、「一家心中メンタリティ」ではない。

一家心中メンタリティは自他の区別がついていない。

しかし、以下のような姿勢には、親という他人への適切な距離がある。

「こいつはトコトン馬鹿だけど、この人たちの子どもとして生まれたことは、やはり私はこの人たちに相当に縁があるのであろう。ひょっとしたら、前世で私は随分とこの人たちに迷惑かけたのかもしれない。この人たちに親切に優しく対するのは無理だけど、カネは出そう。やれるだけのことはやろう。悔いは残さないでおこう。この悪縁の精算をさせてもらおう」と思い心に決めて葬儀まできちんとやり通す姿勢は、望ましいものだ。

マゾヒスティック?自虐的?

そうかなあ。

私は、なんか理不尽だなあ……こいつにこんなふうに扱われる筋合いはないなあ……と思うような人間関係に巻き込まれても、あえていちいち抵抗せずに、損を引き受ける傾向がある。

どうせ長く続く人間関係ではないのだから、やれるだけのことはやっておこう。

その方が、その人物と別れる時に悔いなくサッパリ別れることができる。

もっと、してあげられることがあったのではないか?と後悔することがない。

と、思う傾向が強い。

親切なんじゃない。

優しいのではない。

他人にしてもらうより、してあげる方が気楽だ。

別れるときにサッパリ忘れられる。

ご縁が切れる。

私に迷惑かけるような類の人間は、誰にでも迷惑かけているに違いないんで、いずれ結果は出る。

私がいちいち非難したり、説教したり、非を指摘して改善を促す必要など全くない。

お任せお任せ。

ここは、損を引き受けておいたほうが、長い目で見て得だよな……と私は考える。

こういう考え方になったのは、いつ頃からか覚えていない。

私の知人でも親御さんの相続財産のことで親族と揉めている人がいた。

弟の子どもたちが父親の養子になったから、私の相続分が減るではないか、私に承諾も得ずに勝手なことして!と怒り告訴した。

親の金なんて、他人の金なんだし、どうでもいいじゃないか。そんなの損を引き受けて、自分の取り分を諦めたり、少なくていいと引っ込めばいいのに……と私は思った。

そのことを口には出さなかったが。

それほど私は親切じゃないんで。

だいたいが、相続争いに裁判闘争するほどの正義はない。

そのような骨肉の争いによる心労のせいか、その知人は癌になって亡くなった。

あえて損を引き受けておけば、ストレスもなく、その知人は今でも元気であったかもしれない。

ややこしい内情の実家との縁が切れて、さぞ清々しかったろうに。

ありゃ、実家離れができていなかったのだろうなあ。

それはともかく、怨念とか憎しみとか、そういう負の感情は、感謝とか慈しみのような正の感情より激しいので、そういうものを持たないことが、怨念や憎しみという感情を自分に持たせた人間と縁を切る1番の方法だと思う。

それは、お前がアホで脳天気に生きてきて、酷い目にあったことがないからだろうって?

そうかもしれない。

確かに私が遭遇してきた理不尽さなど、大したものではないよ。

憎んでいる人もいないし、恨んでいる人もいないからなあ。

嫌いな奴はいっぱいいるけれども、そんなの関係ないしなあ。

確かに私では参考にならないだろうけれども、私が、あえて損を引き受けることで難を逃れてきたと思っていることは真実なんだよね。

私の人生が平々凡々で穏やかなものであったのは、その成果だと思ってる。

例の東京は深川の富岡八幡宮の日本刀殺傷事件だって、あの姉か弟のどちらかが宮司の立場でいることを諦めてしまえば、事は簡単だった。

あえて損を引き受けたほうが運が良くなるであろうことは確実だった。

急いで結論など出す必要はなかった。

あの姉と弟は来世でまた会うよ。

かわいそうに。

来世は弟が姉に殺されるんだろうね。

お疲れさま。

嫌いで憎い人間ならば、全力で、今世で縁を切っておかねば。

そのためには、カネで鎮魂するしかない。

カネは、魂さえ鎮めることができるのだ。

不倫による離婚調停でも、不倫問題を起こした方が、サッパリ全部を清算して捨てる方が、別れたい配偶者と縁が切れていい。

もう亡くなったが、私の好きな女優さんの山田五十鈴さんは、男性遍歴が多彩な人であったらしいが、別れるときは一切合切相手の男性に渡してきたそうだ。

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三國連太郎さんも面白い男優だったが、新しい女性との生活に入る前に、全財産を前の女性に渡してきたそうだ。

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だからこそ、山田五十鈴さんも三國連太郎さんも息長く俳優生活を全うすることができたのだろう。

全財産を渡しちゃえば、渡された方はまあ納得して、恨みも時間が経てば消える、忘れる。

反対に、大杉榮という大正時代に活躍した社会思想家は、すごい才能の持ち主だったのに、関わった女性に迷惑かけっぱなしで、若い愛人との逗留費用のカネを前の愛人(神近市子)に依頼して、持って来させて、頭にきた前の愛人に刺されて、挙げ句の果てには、関東大震災直後の混乱の中で憲兵に殺された。

大杉さん、あの時代にリバータリアニズムなんか理解できた人で語学もすっごくできたから、頭が良すぎて、損を引き受けて難を逃れて、悪縁を切るという理不尽な発想ができなかったのだろうなあ。

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頭はいいが勘が鈍いというか、霊的知恵がないというか。

ま、私はどんなに馬鹿にされても、損を引き受ける方が悪縁を排除できるという説を採る。

まあ、馬鹿でいいのよん。

世界基準で考えれば、絶対に受け入れられない考え方だ。

イスラエルとパレスチナ自治区のどちらかが、あえてご縁を切るために損を引き受けます、なんてありえない。

中国が日本との悪縁を切るために、日本のやったことを許しますなんてことにはならない。

韓国が日本との悪縁を切るために、慰安婦問題についてもう黙ります、なんて金輪際言うはずない。

よほど、日本との縁を切りたくないらしい。

日本はアメリカの原爆投下についてアメリカを責めてないけど。

私は、バカお人好しでカネをむしり取られるばかりの方が、長い目で見れば、日本の得になるし徳になるし、悪縁も切れると思ってる。

同じ土俵に立つと縁が切れない。

いつまでも同じ土俵にいると相手の馬鹿が伝染する。

先に行こう。

コスモを上げよう。

脱一家心中メンタリティ

本日は、2017年12月13日水曜日である。

今日はBlog記事を2つ書いちゃう。

今朝の新聞にこんな記事があった。

仙台市で2015年に当時19歳だった少年が、父親からDVを受けている母親をかばって、父親を刺殺したという事件の裁判員裁判が近いのだそーだ。

で、その裁判では、「面前ドメスティックバイオレンス」の影響というものが焦点になるのだそーだ。

面前ドメスティックバイオレンス?

「夫婦間の激しい家庭内暴力を子どもに目撃させること」だそーだ。

「心理的虐待」と規定されているそーだ。

で、「面前DV」で健全な人格が育たなかったことが、量刑に反映されるか注目が集まっているそーだ。

子どもの頃から、母親が父親に暴力を受けていて、それを見て育ってきたので、精神的におかしくなっているから、殺人の責任は問えないと裁判員が考えれば、尊属殺人と言えども、刑は軽くなるということらしい。

私が思うことは、いい加減に「一家心中メンタリティ」から抜けろよ……ということだ。

父親が母親に暴力をふるう。

そりゃ見てれば辛いに決まっている。

だけど、しょせん、そんなの他人がやってることだ。

父親と言っても他人じゃないか。

それも、相当に馬鹿な類の他人だ。

暴力を振るわれている母親は、かわいそうではある。

が、自分に暴力をふるう男から逃げない女というのも、相当に変わってる。

いや、馬鹿でしょ。

母親といっても、自分ではないのだから、他人だ。

父親で母親といっても、いつもいつも暴力沙汰を見せて、子どもの心を傷つけている馬鹿な人間たちだ。

高校生ぐらいになったら、いくらなんでも、「僕の親は馬鹿である」と気がつかないだろうか?

馬鹿な人間といつもつきあっていると、自分も馬鹿になるよ。

ほんとうだ。

付き合う人間は選ばないと。

親兄弟だろうが親族だろうが、他人だ。

自分じゃないんだからさあ。

ほんとうは、この少年はサッサと家出すべきだった。

家出の準備を淡々と冷静に冷酷に遂行すべきだった。

馬鹿な親など放置でいいのだ。

そんな馬鹿な親の人生に対して責任を感じる必要は全くないのだ。

人間は自分で自分を幸福にする義務がある。

自分で自分を幸福にできない両親は、親でも放置するしかない。

誰も助けてあげることはできない。

助けてあげられると思う方が傲慢で思い上がっている。

100歳近くなって老化しきって認知症ってわけじゃないんだからさあ。

もしくは、この少年は、親元にいたとしても、断固として馬鹿親の影響を受けまいと、両親が激突するのを冷たく眺めて、受験勉強とか自立できる技術の習得に集中すべきであった。

なんで、こんな「一家心中メンタリティ」になるかね?

不思議だ。

自分は自分じゃないか。

自分の人生を潰してまで、馬鹿親をかばう必要はない。

子どもにかばわれなきゃいけない大人って、何だ? 情けない。

私が子どもの頃に、母が「今度、戦争が起きたら家族みんなで死ぬしかない」と言った。

私が「私は1人でも生き残るから」と答えた。

父も「俺もいやだ。戦争なんかに殺されるわけにはいかない」と答えた。

母は、ビックリしていた。

家族は大事だ。当たり前だ。

だけれども、それは自分が大事だから、自分の拡大としての家族が大事だということであって、家族に自分を溶解させるという意味ではない。

馬鹿な家族のことをいろいろ心配しても、馬鹿な家族が良くなるわけではない。

家族であっても、ひとりひとりの運命は違うのだ。生き方も価値観も違うのだ。資質も違う。

親が不幸の脳足りんだからといって、自分まで不幸の脳足りんやらなきゃいけないって、誰が決めたのか?

誰だって、自分の人生は自分で引き受けて生きるしかない。

家族に幸せにしてもらおうと思う人間は、異常にサイコに厚かましく怠惰で寄生虫だぞ。

自分で自分のことぐらい責任を持って幸せにしろ!

そりゃ、この「当時19歳の少年」は可哀想ではある。

親は選べないからねえ。

たまたま自分の親が両方とも脳足りんであり、子どもに正常な家庭を提供することができない未熟すぎる人々であると認めることは、辛いことだ。

でも、救いはある。

だって、彼と彼女は自分じゃない。他人だもの。

他人がデキが悪いだけだ。

関係ないわ。

そんな基本的に関係ない他人に自分の人生を侵食されることはない。

離れればいい。

拒否すればいい。

逃げればいい。

遺伝子の呪縛なんかねーよ。

親が馬鹿でも先祖の中には立派な人だっていっぱいいたんだぞ。

血縁とか血脈とか、そんなもんどうでもいいのだ。

この少年が、せめて高校時代に、そのことに気がつく機会があれば良かった。

アホ家族と一家心中しない生き方をしている大人とか友人に出会えれば良かった。

自分の人生に害にしかならん家族は捨てていいと教えてくれる本を読んでおけば良かった。

一家心中なんて人間の死に方じゃない。

1人の個別の人間の尊厳を踏みにじる悪魔の発想だよ、それは。

せめて、アイン・ランドの小説でも読んでれば、この「一家心中メンタリティ」から自分を解放することができたろうに。

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(備考)

あ、この最後に紹介している『利己主義という気概」(ビジネス社、2008)というアイン・ランドのエッセイ集はすでに絶版です。

哲学的政治思想的エッセイだもん。売れるわけない。

読みづらい。

すみません。

元の価格は2000円+税でした。

今のamazonでは、3500円という値段がついています。

再販される可能性は当分ないでしょう。

日本の出版状況は大変ですもん。

私は、新品の『利己主義という気概』を、それなりの冊数保管しております。

どうしても読みたい!とご希望の方は、ご連絡ください。

別に読まなくていいですけど。

それでも読みたい!という方には、送料込みで2000円でお分けいたします。

ご連絡は、akirakatoh20040704@gmail.com にお願いいたします。

舌はがし (8) 肛門から舌に至る一本の管を立てること

本日は2017年12月13日水曜日だ。

先日の10日日曜日と11日月曜日は、福山にいた。

10日は、ほぼ2ヶ月に一度の歯の定期チェックを、福山の誇る「歯科室むつてっせん」に受けに行った。

http://mutsutessen.com/

相変わらず、広島東洋カープグッズでいっぱいの「歯科室むつてっせん」受付である。

還暦過ぎて、やっと「かかりつけの歯医者さん」ができたのだよ、私は。

それまでは、どこに行っても「ろくなもんじゃねーな」と思わせる歯科医師ばかりであったが。

希望は捨ててはいけない。

これならば、いつかは私の「かかりつけの内科の先生」に出会えるかもしれない。

今回は、やはり歯磨き法というか、歯の扱いが稚拙で、私の歯茎は炎症を起こし、かつ奥歯の汚れが取れていないそうで、歯間ブラシの使い方をじっくり教えていただいた。

院長の松永心子先生に、じっくり手鏡を用いて教えていただいた。

不器用な私では、デンタルフロスだと前歯くらいしか歯間に挟まった食べ物カスが取れない。

歯の定期的チェックは大事だ!!

歯の衛生と肛門の衛生は大事だ!!

人間は、肛門から舌につながる一本の管なんだからさ。

入口たる口腔内と、出口たる肛門の管理保全こそが大事だ!!

10日には、ご存知「舌はがし啓蒙活動リーダー」であり、福岡は「スパルタ七星鍼灸院」院長の平井幸祐氏の「舌はがし」施術も受けた。

http://nanahoshi89.wixsite.com/nanahoshi-hp

毎月どこかの週末に、平井氏は「歯科室むつてっせん」に来訪して、舌はがしを実践なさる。

「歯科室むつてっせん」の非常勤職員として。

だから私は、歯の定期チェックと舌はがしの両方を受けに、2ヶ月に一度は福山に出かける。

今回は、舌はがしを受ける前に、平井幸祐カリスマは、私をスツールに座らせて私の背中を押したりトントンと叩いたりなさった。

なんとなれば、私の背中が異様に大きくなっているそうなのだ。

要するに背中がデブってる。

座布団を背負ったみたいになってる。

ダウンのベストを着っぱなしみたいな背中であるということだ。

実は自覚症状はあった。

な〜〜んか、背中がスッキリしていないなあ、という感覚が。

なんか背中がボテッと硬直している感じが。

優れた整体師でもある平井カリスマによる背中トントンのおかげで、肩甲骨をしっかり動かせるようにしていただいた後、例の舌はがし施術開始。

痛い。

痛い!

痛い痛い!!

痛いわあああああああ〜〜〜〜〜!!!

まあ、私の舌はじょじょに上がってはいるが、舌が上口蓋にペタリとくっつくには、まだまだ道が遠い。

自分でも、わかる。舌を下口蓋に置いてみると、舌の先端はかろうじて下の歯列の中に収まるが、舌の中央から奥の部分は収まらない。舌が硬い。そのくせボテッとデブっている舌である。

口腔内も、まだまだ広がっていない。

口腔内の血行も悪く、口腔内部が伸びない感じだ。

お風呂に入ると、湯船の中で口腔内マッサージに励み、舌の裏を指でグイグイ押す毎日である。

元号が新しくなる頃には、私の舌も上がっているに違いない。

2019年5月1日か。

新しい元号は「舌揚」とかだといいなあ。

舌揚元年。

ぜつあげ元年。

新しい時代の幕開けだ!

上口蓋にペタリと舌全体がくっついてこそ、肛門から伸びる管が頭部を支えることができて、かつ肛門から舌につながる管の周囲に、腱によって留められ配置されている内臓の位置が正常に定まる。

肛門から舌に繋がる一本の管で、人間はできているのだからして、この管を真っ直ぐにしておかないと、姿勢ばかりか内臓までおかしくなり、脳も機能しないのだ。

http://amzn.to/2CaKwBK

自分の管(くだ)を愛そう。

あなたの肛門から舌へと伸びる一本の管を愛そう。

その管を真っ直ぐに伸ばそう。

真っ直ぐに伸ばそうと思うなら、ロープをピンと張るように引っ張らなくちゃ。

舌が上口蓋にペタリと密着すれば、管が引っ張られたことになるのだぞ。

うなじが伸びて、頭蓋も支えることになるのだぞ。

舌はがしの道に足を踏み入れたみなさま、私たちは門外不出であった人類のトップシークレットを知った「選民」でございます。

人間は肛門から舌につながる一本の管なのだから、この管を真っ直ぐに立てることこそ人の道。

これ以上の知恵はないのであります。

さて、歯のチェックと舌はがしが終わったら、松永心子先生のお誕生日会でありました。

ほんとはお誕生日はもうちょっと先なのですが、いいじゃないですか、早めにやっちまえということで、私の大好きな福山は引野町にあるフランス料理店「アンジュール」さんで、松永心子医師と「歯科室むつてっせん」の助手さんと平井カリスマと私とで、お誕生日会。

http://unjour-s.jp/

まあ、要するに集まって騒いで美味しいものをいただきたいだけだよん。

私が福山に行くのは、歯のチェックと舌はがし施術が目的ではあるが、福山の美味しい飲食店に行くことも目的だ。

あの価格であれだけの味を堪能できるのは、福山だからこそだ!!

名古屋ではなあ……

名古屋に来ていただいてもねえ……

この「アンジュール」さんは、福山市立大学最後のゼミ生から教えてもらった。

教えてもらって良かった!!

ここも、すごいですよ!!

センスがすごい。独創的お料理です。

お店の方々のご配慮で、お誕生日のケーキも出たぞ!!

なんと素敵なケーキよ!!

この最後の写真に注目!

お皿が鏡になっていて、天井にシャンデリアが映るようになっている。

お〜〜心憎い演出。

おフランスは嫌いだけれども、フランス料理は人類の文化遺産。

フランス料理も、イタリアンも、日本で生まれ変わり花を咲かせるのだよ。

ところで松永心子医師は皇太子妃殿下雅子さまと同年同月の御生れである。

だから、雅子さまが皇太子妃殿下に選ばれたと知ったときは、「やられた!」と思ったそーである。

意味不明だ。

下の写真は、雅子皇太子妃殿下と「同期」の松永心子医師であります。

ところで、12月16日土曜日は、名古屋で「舌はがし勉強会」開催されますからね!!

門外不出の一子相伝の「人類の知恵」にアクセスできる機会ですからね!!

https://aynrandassociates.com/2017/11/11/%e8%88%8c%e3%81%af%e3%81%8c%e3%81%977-%e5%91%8a%e7%9f%a5%e6%9d%bf-%e5%90%8d%e5%8f%a4%e5%b1%8b%e3%81%a7%e3%82%82%e8%88%8c%e3%81%af%e3%81%8c%e3%81%97%e5%8b%89%e5%bc%b7%e4%bc%9a%e3%81%82%e3%82%8a/

肛門から舌に至る一本の管を機能させよう!!

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心に神社を

本日は2017年12月9日土曜日である。

昨日は驚いた。

東京は深川の富岡八幡宮という、そこそこ有名な神社の女性宮司さんが、弟に日本刀で殺害されたというニュース。

Facebookには、殺害された女性宮司さんのBlogが紹介されていた。

https://ameblo.jp/tomiokashrine/entry-12334480912.html

なんか、宮司さんばかりの集まりの忘年会に行ったらジジイの宮司さんたちにセクハラされたという内容の記事が最後であったようだ。

この女性宮司さんの弟は代々の神官のお家の長男に生まれたのに、中学生時代から不良で賽銭泥棒であり、素行の悪さには定評があり、姉に脅迫状を出したりして、宮司をやっていられなくなったそうだ。

で、この弟は、生業に就て地道に働く能力もないので、宮司に戻りたくて、しかし戻れず金に窮して、脳がおかしくなり、姉を殺害して自分自身をも刺して死んだそうだ。

どこの家でも何らかの問題をかかえているだろうけれども、こんな事件を起こすとは、この宮司さんのお家は、よほど神様のお怒りを買ったのだねえ。

で、このような流血騒ぎに穢された富岡八幡宮は、どうやって浄化されるんかしらん?

水晶のアクセサリーの浄化は、こんな風にすればいいけどね。

この浄化シートは、例の「舌はがし啓蒙活動リーダー」の平井幸祐氏よりpdfファイルで送っていただいたものを、プリントアウトしたものだ。

インドのサイババさん考案の浄化シートらしいです。

ネットで検索すると見つかるらしいです。

水晶というものは吸い込んでくれた邪気とかを中に閉じ込めるので、濁りやすい。

その濁りを取るのに、いいそうだよ、このシートは。

平井カリスマは、摩訶不思議なことを、いっぱいご存知である。

話を元に戻す。

要するに私が言いたいことは、大きな神社でも寺院でも教会でも、そこを管理する聖職者は必ずしも神仏や聖なる大いなる存在を信仰しているわけではないということだ。

まあ、それはわかる。

長年、教師をやっていた私は、教育の力など信じていなかったからなあ。

教えることは、単なる生活費獲得活動でしかなかったからなあ。

まあ、他に食べる手段がなくて神仏ビジネス参入しましたという人々がいることは、わかる。

だけど、神仏ビジネスのサービスを提供する人間が、自分へのサービスを強要しちゃいかんよね。

カトリックの神父たちが、少年相手に性的虐待をしてきたことは周知された。

バチカンの法王が謝罪したぐらいだ。

私の昔の教え子さんの女性のお家は、代々カトリックであるが、幼い頃に下半身を露出した神父から、扇で風を送るように命じられたそうだ。

どこに風を送れというのか。

キッモいわ、変態!!

成長してから、そのことをお母さんに告白したら、「あなたの記憶違い、勘違いでしょう」と相手にされなかったそうだ。

どーいう記憶違いか?

勘違いで、そんなこと告白するか?

お母さんは、神父さんがそんなことするはずない!と信じたかったのでありましょう。

お母さんは、神父がそんな変態では、私の信仰はどうなるの!?と思われたのでしょう。

信仰と宗教組織におけるヒエラルキーは関係がないのだよ。

変態神父を弾劾したって、信仰が穢れることはないのだよ。

教会が消えても、信仰が消えることはないのだよ。

もう、いい加減に、人間は宗教組織に騙され利用され搾取されることを拒否すべきだ。

教会や寺院や神社がなくても、自分の心の中に自分の聖なる社を建てればいい。

建物は建物に過ぎない。

宗教心と宗教施設は別物だ。

宗教心と宗教組織は別物だ。

教祖さんなんか、はっきり言って、口舌の徒でしかないだろう。

まあ、百に1つぐらいは、信者の悩みを当てたり、運命を当てたりすることはできるのだろう。

でも、だから何だと言うのか。

実際のところは、その人間の人生を好転させるのは、その人物の努力や気持ちの持ちようだろう。

教祖さん、関係ない。

そんなに霊験あらたかならば、あんた、北朝鮮のミサイルを落としてよ。

中国の南シナ海に作った基地を沈めてよ。

原子力発電所の放射性廃棄物の毒性を無化する技術を開発してよ。

イスラエルとパレスチナ自治区のいざこざを治めてよ。

世界中に石油が採れるようにして、世界中がエネルギーを自給自足できるようにしてよ。

自給自足できれば、戦争も起きないんだからさあ。

そんなこともできないのに、なにが教祖だ。

芋食って寝てろよ。

予言して何かやったような気になってんじゃねーよ。

神仏の教えを説くことを生業にしているからといって、実際に街の清掃する人や、デリバリーのピザを配達する人ほどにも社会に貢献していない。

神仏の教えを説くことを生業としている人々だからといって、神仏に近い生き方をしているとは限らない。

21世紀は暴露される時代だ。

だから、21世紀は聖職者と言われる人々の実態もバレる時代なのだ。

神様のことを考えていたい?

身近に感じていたい?

そんなこと自分でできる。

本もあるんだしさあ。

自分の収入の1割も2割も宗教組織に寄付することなんかない。

初詣のために、凄まじい数の人々の波の中に入ることなど、くだらないことだ。

インフルエンザが伝染するわ。

ほんとうに神仏に近くありたいならば、神仏を商売にするような類の人間の繰り出す下手なお芝居なんかに木戸銭を払うのはやめる。

私は、神社に行くことは好きだが、参拝する神社に神様がいなくても構わない。

神気なんて全くなくても構わない。

なんということはない土地でも、多くの人々が祈りや感謝を捧げれば、そこが聖地になる。

たとえ、そこが寄付や賽銭を着服して無駄な奢侈に費やすよう脳足りん宮司しかいない神社でも、そこに神様がいると信じて敬虔な祈りを捧げる人々がいれば、そこは神の社になる。

私が祈った場所が聖地になる。

祈るときには、人間はたった独りで目には見えないが大きな存在の前に立っているんだ。

伊勢神宮も行きたいけど、あの混雑を思うとうんざりだ。

内宮をギャアギャア騒いで歩いている人々の群れの中に加わる気がしない。

何度も参拝した伊勢神宮の道やお社を脳内に再生している方がいい。

まあ、神社なんかに行くと、ずううううううううっと本殿の前に立って、ずううううううううと、なんかブチブチ言ったり頭垂れたりしてる人がいるけどさあ。

あんたみたいな小さな人間の思うことなんか、もし神様がいるとしたら、お見通しなんだから、グジャグジャいつまでも突っ立ってんじゃないの。

ほんとに、もうそーいう神を使役して自分に都合よく動かそうとする姿勢が卑しいし怠惰だわ。

祈ってる暇になんかできるだろう。

断捨離とか資源ゴミ整理とかさあ。

寺院消滅とか言われる。

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宗教消滅とかの本もある。

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でもねえ、問題は宗教組織じゃない。

人間が集まって組織作れば、だいたいが、ろくでもないものになるに決まってる。

何よりもダメなのは、そういう神仏詐欺に依存してしまう私たちの心のありようだ。

だから悪徳教会や悪徳寺院や悪徳神社に騙される。

自分の心の中に神社や教会やでっかい壮麗な寺院を建てればいい。

もう神仏ビジネスの欺瞞はバレてしまった。

神仏ビジネスのプロじゃなきゃいけないってこともないだろ。

お経も祝詞も自分であげればいい。

DIYよ。Do it Yourself!

全知全能の神ならば、あなたの勝手なデタラメな祝詞でもお経でも、趣旨は理解してくださるだろう。

ま、今回の深川の富岡八幡宮事件は、日本人が自分の心の中に神社を作ればいいんだ……と覚醒するいい契機になるかもしれない。

といっても、来年のお正月も、富岡八幡宮は初詣客でいっぱいになるだろう。

多くの人々が敬虔な気持ちで祈れば、きっと浄化されるよ。

知らんけど。

脱糞テロ

本日は2017年12月6日水曜日である。

Facebookに次のようなニュースが投稿されていた。

https://breaking-news.jp/2017/12/05/037042

新宿駅構内に人糞が散乱しているというニュースだ。

これは事実であるようだ。

複数のネットニュースが報じている。

Twitterでも目撃者が投稿している。

NHKニュースが報道するかしらん。

この事件について、Facebook友だちの数人とネット上で話したことについて、今日は書く。

ひとりのFacebook友だちは、「単に高齢者が自分では気がつかずに脱糞したのではないか?高齢者施設では、廊下に脱糞されているのは、よくあることで、当人は自分では気がついていない」と言った。

彼女は介護士さんだ。30代半ばくらい。

彼女とは、「認知症の原因は脳の器質的問題かもしれないし、心理的問題かもしれない。寂しさからくる現実逃避であり、その寂しさはどういうものであるのか?年取って介護されてるならば、ありがたいことなのに、なんで寂しいのか?」などと、延々とチャットしたりする。

彼女によると、肛門が緩んでズボンを通過して床に大便を落とすということは、よくあることだそうだ。

本人は気がついていないので、うっかり問い詰めてはいけないそうだ。自分は他の老人とは違うんだ!という自負のある高齢者だと、激怒するそうだ。

自分の下着に脱糞しても、自分がしたとは絶対に認めないそうだ。

誰かが自分に悪意を持って自分の下着に脱糞したと言い張るそうだ。

誰がするねん。

脱糞陰謀論である。

まあ、新宿駅のケースは、高齢者の無自覚脱糞が犯人ではない。

散乱していたのだから、故意に決まっている。

たまたま無自覚脱糞人が10人くらい新宿駅にいたわけではないと思う。

ただ、テロにもいろいろあるもんだと、私は感心した。

サリンテロもあれば、脱糞テロもある。

安上がりのテロだ……しかも効果は大きい。

だけど、64歳の高齢者予備軍の私としては他人事ではないよ。

さらに、Facebook友だちの看護師さんの女性は言う。

「区長を長年勤めていた立派な男性で、元気がいいことを自慢していた高齢者がプールサイドを満面の笑顔で手を振りながら歩きつつ、ボトンボトンと脱糞しているのを目撃したことがある。プールの警備員も呆然としてどう対処したらいいかわからないようだった。で、私が『おじさん、ウンコを落としてますよ」と指摘したら、その男性の高齢者は愕然としていた」と。

その元区長さんは自分の若さと元気に自信を持っていたのだろう。

ところが、現実には、ボトンボトンと脱糞しながら歩いていたのだ。

それを知ったショックを想像すると、他人事ながら胸が痛む。

夢にも思わなかったろうなあ。

何事も想定しておいた方がいいよ、ほんと。

私は教師時代に、何が怖かったかといって、教壇で立ってる時に、スカートやパンツのウエストのボタンがパチンと取れて、スカートやパンツがストンと床に落ちて、無様な下着姿を晒す羽目になることほど怖いことはなかった。

地震や戦争より怖かった。

だから、40歳過ぎたら、ウエストはゴム入りだけ着用。

さらに、ウエストのゴムに負荷がかからないよう、サイズは大きめを着用。

さらに、万が一ゴムが切れて下に落ちても大丈夫なように上着やブラウスやセーターは長めか、チュニック系にしていた。

スカートやパンツが下に落ちたと想像するだけで、胸をかきむしるほどの絶望である。

なのに知らずに脱糞なんて……

どうやって生きろと言うの。

話を元に戻す。

そのプールはもちろん閉鎖で、清掃と消毒のため何日も費やしたそうである。

その元区長さんは、賠償金は要求されなかったのであろうか?

私は、スポーツジムでも市民プールでも、温泉でも銭湯でも、海水浴でも、不特定多数が利用する公衆系施設は苦手だ。

失禁とかで大腸菌やバクテリアが大量にウジャウジャのイメージだ。

免疫力が弱っている時こそ温泉に行って休養したいのに、変な細菌に感染したらかなわん。

最初から苦手であったわけではない。

最近の人々のマナーとか、マナーの悪い系外国人の使用とか、いろいろな事例を知るにつれて、気軽に使うとまずいなあと思うようになった。

超大衆社会においては、大勢の人が集まるところは怖いよ。

人糞も尿もサリンもミサイルも飛び交うのだよ。

いや、ほんと。

神経質過ぎる?

はい、神経質ですけど。それが何か?

話がまたずれている。

で、Facebook友だちの介護士さんと看護師さんとで、脱糞テロの事件を契機に意見交換した結論は、以下のとおり。

人間は老いる。

誰もが老いる。

弱る。

排泄力も弱る。

これ現実。

老いて肛門が緩んだりする。

舌はがしに勤しみ、舌をあげて、身体を貫く肛門から舌までの1本の管(くだ)をしっかりと張っても、緩むかもしれない。

そのことを自覚できなくなるかもしれない。

切迫した尿意を感じて、トイレに急いでも、トイレに行く前に氾濫するかもしれない。

便意を感じて、トイレに急いでも、トイレに行く前に爆発するかもしれない。

辛い辛い。

恥ずかしい恥ずかしい。

あまり長生きできなかった時代と違って、今は想定外に長生きしてしまう時代だ。

かつては、あまり口外されてこなかった老人の実態というものも、徐々に知られつつあるようになってきた。

育った家庭に老人がいなくて、両親ともに60代で死んでいる私は、老人の実態を知らない。

ずっと今の状態のままでいるような気がしがちだ。

でも、長生きして老いるということは、無自覚に脱糞する事態になる(かもしれない)ということなのだ。

前代未聞の絶望状態になる(かもしれない)ということだ。

そういうものなのだ。

それは自然なのだ。

しかたのないことなのだ。

自分だけずっと元気で若いなんてことはない。

どこでもいつでも脱糞する可能性に満ち満ちた老いというものから目を逸らしちゃいけない。

現実を受け容れるしかない。

新宿の脱糞テロの事件から、私は学んだ。

脱糞を受け容れることができるようにならねばならないと。

ああ、クリアしなくてはならないことの多さよ。

やはり、生きて行くことは大変なことだ。

とりあえず、この漫画でも読むか。

この漫画って、排泄物しか出てこない。

『少年ジャンプ』史上(誌上?)もっとも下品と讃えられた漫画だ。

まずは、この漫画に耐えよう。

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それから、介護本も読まねば。

自分の脱糞よりも、家族の脱糞へ冷静に対処できるようにしておかないとね。

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いや〜無職になっても、忙しい!!

これも読もう。

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獰猛な母になるしかない現代

本日は、2017年12月5日火曜日である。

今日も新聞記事関連で思ったことを書く。

紙媒体の新聞は、資源ゴミとして処分が面倒ではあるが、私の世代だと、ネット記事より紙の方が読みやすく感じる。

だから、家族と「もう購読するのやめようかあ、ネットで読めるし〜〜Wall Street JournalもWashington Post も紙媒体では発行しなくなったんだよお〜〜」と話しながらも、ズルズルと購読し続けている。朝刊だけ。

本日に目についたニュースは、これだ!

名古屋鉄道=名鉄(メイテツと地元では呼ぶ)が、痴漢の多いことで知られる電車事業だけではなく、学童保育事業に参入するそーだ。

学童保育は、乳幼児保育と同じくらいに需要が大きい分野だ。

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名鉄は、乳幼児の保育園事業にも参入するそーだ。

高齢者向け事業にはすでに参入しているらしい。

地域密着ではなく、名鉄沿線とか地下鉄沿線とかにオフィスを置き、夜の8時まで営業で、月5回で最低額税抜き59,000円の学童保育だ。

これは、いいビジネスだ。

質のいい人材を集められるぐらいに保育スタッフに高待遇を保証し、研修訓練を怠りなくすれば、このビジネスは行ける。

最低額59,000円だとすると、英語とかプログラミングの受講料とか含めば、自宅に帰るまでに出す軽食給食費とか含めば、おそらく月額8万円から10万円はかかるだろう。

これ、専門職で忙しく働く母親なら出す金額だ。

自分のためのスーツとかバッグを買わなければ出せる額だ。

身につかないお稽古事に金を出すよりいい。

親が帰宅するまでの時間を、きちんと子どもの面倒見てくれるならば、母親はお金を出す。

そりゃ、子どもが家に帰れば母親が待っているのが理想だ。

言うまでもない。

しかし、そういう専業主婦になれるのは運がいい女だけだ。

男を男らしくする教育機能は日本の社会から失われている。

父を父らしくする経済機能を昨今の男は容易に身につけられない。

ぶっちゃけていえば、現代において、女は男を頼りたくても頼れない。

信頼できないのだよ。

精神的にも経済的にも。

自分が稼げるお金の方が信じられるの。

それでも、男など歯牙にもかけないながらも専業主婦の道を選び、家庭内ケアや教育力を発揮できる女性というのは、尋常じゃない能力の持ち主だ。

能力ばかりでなく蛮勇も持っていなければならない。

蛮勇とはコストパフォーマンス考えずにエネルギー注ぎ込めるヴァイタリティーのことだ。

いまどきの、無駄に大事にされ甘やかされて育ったひ弱な女には無理。

ともかく比較的高給の専門職に従事したい女にとって、子育て期間というのは恐ろしい。

いまどき、献身的に娘のキャリアを守るために孫の育児に集中してくれる祖父母なんていない。

子育てなんて還暦過ぎたらできない。

子どもというのは、子どもでなければ育てられない。

この意味わかります?

大人になると、子どもみたいな亜人間につきあえない。

教師だって若い方がいい。

学生はパープリンだから、同じくパープリンの若い教師でないと、つきあえない。

だから、祖父母に頼るのは間違い。

が、保育園はいつも足りない。

小学校にはいれば学童保育所も足りなくて、午後6時くらいまでしか見てくれない。

かといって、追い詰められて、子育てのために仕事を辞めたら、再就職は難しい。

2億円の生涯賃金が消える。

それまでに自分に投資した金額の回収ができない。

子どもは可愛い。

しかし、子どもにエネルギーを特攻隊的に注いでも、馬鹿に育つリスクはある。

心込めて育てても、頭も悪く矮小な人間に育つ可能性はある。

だから、そこまで、子どもという他人のために自分を捧げていられないのだよ。

現代の高学歴の合理的に思考する女は、そこまで考える。

でも、結婚もしたいし、子どもも欲しいのだ。

キャリアも結婚も子どもも欲しい。

現代の女の勝ち組になりたいのだよ。

キャリアと結婚と子ども。この3つ。

虚栄心?

はい、そうですが。それが何か?

だから、必要なのは、自分のキャリア=金稼ぎをサポートする「不合理な子どもケア仕事」をある程度任せられる質のいい保育サービスである。

金は出すよ。

どうせ無駄使いするんだから、保育料に出す方がいい。

ずっと続くことじゃない。

12年間の保育料支払いが終われば、中学になって学習塾の支払いが始まるけれども。

それでも、2億円の生涯賃金が消えることに比較すれば、なんということはない。

その生涯賃金から自分の老後の年金が積み立てられ、いずれ支払われるのだ。

幼い子どもとと過ごす時間が貴重だし、時間は消えたら、取り返しがつかない?

そうですよ。

だから何?

後悔のない人生なんてないのだよ。

手抜き?

手抜きですよ、そりゃ。

でも、ほとんどが手抜きで見切り発車するのが人生でしょう?

母性愛の欠如?

何を言ってんの?

女が母性愛を発揮していられないような社会環境にしておいて、何を言ってるの?

あんた馬鹿?

あんたって、人類の総称だよん。

人類って馬鹿。

ということで、月額1人の子どもに10万近くの学童保育料を払える親に特化した保育事業はビジネスとしていいと思うよ。

え?

そんな保育料払えない働く親はどうするのかって?

どうぞ、動かない役所に陳情してください。

やれることやってください。

この国の政府は、本気で子育て支援に税金を投下する気ない。

そこんとこは承知しておいてください。

ほんとは、こういう世の中の実情を小学校で教えることが必要なんだけれども。

小学校でも中学校でも、社会はこうあるべきだ!という理想図は教えているらしい。

しかし、実情はこうですから、この対処はしておきましょう、自力でね……とは教えないようだ。

たまたま家庭の文化資本蓄積力のある子どもは、世の実相に関する情報にアクセスできて、準備ができる。

たまたま遺伝子が良質で、生来、観察力と思考力と危機管理能力のある子どもは、ボケっとしてると、ろくな目にあわないなと心して準備できる。

じゃあ、そうでない子どもはどうなるかって?

そりゃ、不用心に無知なまま世界に放り出されるのですよ。

かわいそう?

かわいそうです。

だけど、何かあなたにできますか?

自分の面倒を見るだけで精一杯でしょ、凡人は。

やれもしないこと心を傷めるよりも、最後まで自分で自分の面倒を見れるように努力しましょう。

金がないなら、ないなりに健やかに生きることに挑戦するとか、やることはいっぱいあります。

ということで、実際は、格差はどんどん広がっている。

いや、昔から格差はあった。

それが情報技術の発展で、あからさまに見えるようになっただけだな。

しかし、キャリアをめぐる子育てなどの女の状況は、ますますアメリカ的になってきたなあ。

アメリカでは移民の女性を安くベビー・シッターで雇える。

ベビー・シッターは子どもを見てるだけ。

オムツもなんも替えない。

8時間替えなくていい紙オムツは、そのために開発されたんだから。

8時間もオムツを替えてもらえない子どものことを気にしてたら、アメリカの女は生きていけない。

子どもとはいえ、どうせ成長したら離れていく他人なのだ。

それより、自分自身の人生の安全保障たるキャリアを優先する。

愛より金。

愛は金の後からついてくる。

そこに一抹の悔いも寂しさも感じない。

アメリカの母のハードボイルドはすごい。

日本の母も、アメリカの母の獰猛さのいくばくかを身につけ始めたようだ。

東京あたりでは、すでに私企業による「差別化された」保育事業は実施されてきているのだろう。

子育てをめぐる階級差は、可視化されて久しいのだろう。

とうとう、名古屋あたりの地方都市でも、それが始まった。

誰だって、母親ならば、こんな可愛いに猫ちゃんミニグラタンを用意して、学校から帰る子どもを待っていたいよ!!

しかし、現実としては、容赦なく心無い獰猛な母でいるしかないのだ。

日本の母よ、稼ぎまくりつつ、堂々と獰猛に生きましょう。

天照大神でさえ引きこもった

本日は、2017年12月4日月曜日だ。

とうとう2017年も最後の月になってしまった。

今日は、朝刊に掲載されている身の上相談について書く。

今日の『毎日新聞』朝刊の身の上相談は、こういうものであった。

36歳の男性から、奥さんがひ弱で、どうしたらいいかわからんという相談である。

もうお守りするのも疲れたという相談である。

で、それに対する作家の高橋源一郎氏の回答がこうである。

この回答はすごい。

要するに、回答の肝は、「奥さんの好きなようにさせておくしかないでしょう、離婚する気がないならば」ということだ。

言い換えれば、奥さんは、今は生きている気がしていなくて疲れているのだから、疲れが取れるまで待っているしかないでしょ〜〜と答えている。

実に適切な回答だ。高橋さん、すごい!!

あのね、この奥さんは、日本の女性には結構多いタイプだ。

わがままとかひ弱とか言われたら、それはそうなのだけれども、この奥さんは、遅ればせながら、自分の気持ちに正直に向かい合ったのだ。

こういう女性は、わりと、子どもの頃から良い子で素直で親の言う通り、先生が期待する通りに生きて来た。

自分のほんとうの気持ちを問う前に、外部の要請に従ってきた。

だからこそ、今の非婚晩婚時代に、結婚もできたのだ。

普通ならば、自分に正直に生きていると、結婚は遅くなるし独身も当たり前だ。

他人を自分の人生に引き入れるのはリスクが大きいからね。

判断を間違えて、とんでもない人間と関与したら人生を潰される。

バツ1なんて、普通の当たり前のことだ。

1回で済んでるとしたら、たまたま運が良かっただけだ。

ともかく、この種の奥さんは、自覚はなくとも、他人の期待に応えて生きてきた。

ところが、やはり人間だから、他人の要請にばかり従っていると、疲れてくる。

自分自身の充実感はない。

いつも、やらされてる感じだ。

我慢してご期待に応えてるから被害者意識が蓄積される。

人間って、特に日本人なんかはボケっと生きてこれるので、自分の気持ちをとことん問い詰めたりしない。

だけれども、いくら鈍い人間でも、30代くらいになると、自分の心に問いかけるようになる。

「これは、私がしたいことなの?ほんとに?」と。

ほんとは、子どもの頃から始めるべき自分への問いを30歳過ぎてするはめになる。

この種の女性は、結婚についてすらも、「ほんとに、私はこの男でいいのか?この男が世界中を敵に回したら味方できるか?この男の子どもを産む気があるのか?この男の親族とつきあう気があるのか?」と自分に問わなかった。

いや、ほんとそうだって。

特に不快でもなく、職業も学歴も家柄も悪くないなら、特に相手のことが好きじゃなくても結婚するのが日本の女の子だ。

私の従姉妹なんか、結婚式1週間前に破談にした。

「よく考えたら好きじゃなかった」が、破談理由だった。

プロポーズしてくれた男性の条件が良かったので、断る理由もないし、有利だしということで婚約したけれども、よくよく考えると相手の男性といっしょにいたいわけじゃないということだった。

親戚みんな驚いたが、私はさもありなん……と思った。

こーいう事例は結構あると思う。

従姉妹の場合は結婚前に自分の気持ちに気づいたから良かった。

しかし、気づかずに、結婚する女性も多い。

そのうち、子どもが生まれて、いろいろ忙しくなる。

責任重大だ。

疲れる。

鬱っぽくなる。

なんで気持ちが沈むかわからない。

子育てはしんどいが幸福感いっぱいのはずなのに。

ともかく疲れる。

子供の頃から、何かに追われてここまで来た。

忙しかった。

忙しいままに、結婚生活に入り、子どもが生まれて、もっと忙しくなった。

すっごく疲れる。

寂しい。

生きている気がしない。

もともと深く考えてきたわけではない。

外部の期待に精一杯応えてきただけだ。

自分で当事者意識を持って選んできたわけではない。

覚悟があって生きてきたわけではない。

それでも育児は待った無し。

さらに鬱になり、とうとう身体が動かなくなる。

鬱になったら、休養しているしかない。

心療内科に行って変な薬を処方されたら、ほんとに病気にされる。

もう、何もせずに、休みながら、自分の生きてきたプロセスを振り返って、時間かけて心を修復するしかない。

この心の修復に、まず最短で半年はかかる。

そういう静かで自由な時間を奥さんが過ごし、奥さんが自分で自分の道を行こうと心に決め、主体的に自分と家族の生活を創って行こうと思えるようになるには、おそらく1年くらいはかかる。

その静かで自由な時間を奥さんに提供できないならば、奥さんの鬱は治らないだろう。

鬱の原因は、深い疲れだ。

蓄積された疲れと自分の人生を自分で作ってこなかったことの抑圧。

その疲れが癒えるのに1年は長くない。

身体の疲れよりも、心の疲れは癒されるのに時間がかかる。

その時間を奥さんに提供できますか?

と、回答者は相談者に問うているのだ。

いい子ちゃんは、こうなる危険があるよ。

天照大神でさえ、高天原の政争に疲れて、天の岩戸にお隠れになった。

要するに、鬱になって引きこもった。

いい子ちゃんのお姫様のお嬢ちゃんだったので、高天原における自分の配下の者たちと弟の素盞嗚尊の間の対立に、どうしたらいいかわからなくなってしまった。

で、お隠れになってしまって、多くの人々が右往左往した。

女の子というのは、デキがいい子ほど、こうなる。

その点、私のようなデキの悪い女は、お隠れにならない。

他人の期待に応えるより、まずは自分の気持ちが優先する。

学校なんて、テキトーに行っておけばいいと決めて、ズル休みして家でTVを見てる。

宿題なんてしない。

幼稚園は中退してる。

習い事は全滅。学習塾も不登校。

小学校も中学校も欠席は多かった。

高校は2年の秋から確信犯的にプチ不登校だ。

出席日数さえクリアすればいい んだよ。

大学も欠席が多かった。

大学院は修士課程2年を3年かけてる。

博士課程3年を4年かけてる。

馬鹿だもん。

馬鹿のくせに無理して頑張れる能力もないし。

「なんでもっと真面目に生きないの?」と母が枕元で言った。

真面目に生きるって、何だよ、それ。

犯罪を犯しているわけじゃないのに。

私は自分の本音を知っていた。

好きにフラフラと自分がしたいことだけしていたい。

好きにフラフラと自分がしたいことだけしつつ食って行くにはどうしたらいいのか?

大学の教員が自由時間が多そうだし、世間と付き合わなくてすみそーだ。

別に研究者になりたかったわけではないし、研究したいこともなかった。

教育なんて、できるはずない。

伸びる奴は勝手に伸びるだろ。教師のせいじゃないよ。

教育サービス労働者として最低限の労働をこなすことだけはした。

ということで、デキの悪い女の子は、デキの悪い大学教員として食って、無事に退職して、今やデキの悪い無職である。

他人の期待や要請に応じて生きる能力はないし、そんな利他的志向は全くない。

したくないことは極力しない。

つきあいたくない人間とはつきあわない。

打算しない。自分の好みが優先。

下手な計算は休むに似たり。

だから、無理を重ねて、勤務時代に入院することもなかったし、鬱病になることもなかった。

夫に向かって「ここは私が幸せになれる場ではない」とメソメソ泣きながら訴えたこともない。

何が言いたかって?

要するに、引きこもりはマメにしとけ!ってことです。

まとめて引きこもるよりも、マメに引きこもっている方が実害が少ないよ、ってことです。

世間なんかとまともにつきあうことはないの。

世間なんて、アホなんだから。

まともにつきあってると、こっちが保たない。

天照大神だって、引きこもって「自分はどうすればいいんかなあ」と考えて心を休ませる時間が必要だった。

普通の人間ならば、なおさら、「ちょっとこの浮世から抜けます」と逃げて引きこもる時期が必要だよ、ということです。

それか、私のように、マメに勝手に不真面目に、もろ無能に、浮世からの逃亡活動を頻繁にいたしましょう、ということです。

ということで、私は目のお灸をいたします。