ヒラリーさんとトランプさんを占う

本日の日本時間9月27日の午前10時から、アメリカの大統領候補のヒラリーさんとトランプさんのTV討論会の第1回が開かれた。

日本でも生放送された。

それを視聴し終わって、戯れに、このお二人を占ってみた。

四柱推命で。

テキトーに。

ガキの頃に占いが趣味だったんで。

人相学、手相、四柱推命。

結婚相手も人相と手相と生年月日 チェックして決めた。

ほほほ。

ヒラリー・クリントンさんは1947年10月26日生まれ。

ドナルド・トランプさんは1946年6月14日生まれ。

実は ほんとうは1年しか年は違ってない。

この生年月日正しいよねえ?

中国人は、特に王様とかは生年月日を誤魔化した。

自分の誕生日は国家秘密にした。

敵に占われて、運気の悪い時に攻められたら困るから。

まずは、ヒラリーさんを占う。

非常に社交的で陽気で明るい。

スター性が豊か。

キャラとしては、よくあるタイプ。

50代半ばで急死した父方の叔母が、ヒラリーさんに顔立ちがよく似てた。

だから、私は、わりかし、ヒラリーさんに勝手に親近感持ってた。

ヒラリーさんは、すっごく財を築ける才覚と運がある。

さすが、クリントン財団。

ただし、財産があっても孤立するタイプで、家庭内に会話が少ない。

いいのは財運だけじゃない。

名誉運も仕事運もすっごくいい。

ご先祖に徳の高い人々がいたようです。

どっちかというと、芸能人っぽいなあ。

異性問題を起こしやすい。

美人だからね、しかたないね。

40代半ばから特に名誉運がついてます。

若き大統領夫人として世に出てきた頃ですね。

カッコ良かったし可愛かったですよねえ、40代の頃のヒラリーさん。

55歳までは青春よん。

ところが、ヒラリーさんは、今年と来年は空亡だ。天中殺だ。

ほんとは、今年と来年ばかりでなく再来年も気をつけるべき。

うーむ。

ヒラリーさんは、なにゆえか、刑事事件に警察や税務署の呼び出しを受ける星がある。

あれ、ほんとに逮捕されるかもね。

Lock her up!

目上の人に利用され騙されるという星もある。

この「目上の人」って、やっぱり、デイヴッド・ロックフェラー様でしょうか。

それともヘンリー・キッシンジャー様でしょうか。

ともかく、どなたか、ヒラリーさんに、今年と来年と再来年は気をつけてねと言って差し上げてくだされ。

私は知らんよ。

死の可能性もある……よ……

運気が悪い時に選挙か。

運気が悪い時に国を背負う大統領になんかならんほうがいいよね。

ヒラリーさんが大統領にならない方が、アメリカ合衆国のためだろう。

TOPに立つ人間は強運でなければいけない。

自分を強運にしなければならない。

どうやって?

運を貯金する。

あえて損を引き受ける。

貯めた運を引き出さない。

しょうもないことで運を使わない。

ここぞというときに、強運であらねばならないから。

が、このヒラリーさんの星周りでは、そういう発想ができる人徳がないかもしれない。

さて、トランプさんは、どうかな。

意外だ!!

やたら学者の星がある。

これだけ印綬と偏印があると、普通は研究者とか作家になるんですが。

ほんとは、立ち居振る舞いも穏やかな人のようだ。

マフィアの親分みたいなイメージとは実像はかけ離れているようだ。

だけど、数理計算に長けた、非常に非情に打算的なリアリストでもある。

カッカとしてるように見えて、ほんとはすごく冷静で落とし所を探ってる。

不動産には、ほんと縁がある。

やっぱりね。

アメリカ随一の不動産王だ。

学者的頭脳と経営者的頭脳があるなら、成功するに決まってる。

異性問題は起こしやすいけれども、夫婦仲が非常にいい。

家庭運が非常にいい。

トランプ・ファミリーすごいもんな。

人数も。

前の奥さんたちとの間の子どもに、今の奥さんとの間の子どもに、孫たちに。

異性問題は起こしやすいが家庭運はいいというのは、この男性は非常に可愛げがあるんじゃないでしょうかね、女性から見ると。

マッチョに見えて繊細で、悪趣味に見えて知的で、だけど冷徹にビジネスができて、リッチ。

そういう男性が夫ならば、奥さんは夫を大事にするに決まってる。

前の奥さんたちにも慰謝料をたっぷり出したに違いないから、恨みは買ってないよね、きっと。

さて、今の運気は。

いいです。

とてもいいです。

58歳から77歳まで、「大運天中殺」という滅茶苦茶に強運の時期に入っています。

この時期に入っている人は、77歳になる5年前あたりから生き方を変えるべきです。

でないと77歳で死んじゃいます。

それか没落します。

それかご家族に不幸があります。

おそらく、60代後半あたりから、トランプさんは、カネを稼ぐだけの実業家としてでなく、広くpublicに貢献する生き方をしたくなったんじゃないでしょうか。

生き方を変えたくなったんじゃないでしょうか。

で、大統領選挙に挑んだのではないでしょうか。

世間的イメージと違って、トランプさんは、ほんとに頭脳明晰だ。

実は、TV討論会を視聴していて、トランプさんが、メディアが流布させているイメージと違って、けっこう繊細なまっとうな人に見えたんで、私は驚いたんだ。

反対に、ヒラリーさんが「極道の妻たち」の岩下志麻みたいに見えた。

で、戯れに占ってみた。

結論としては、四柱推命で見ると、トランプさんが勝ちそうだ。

でも、大統領になったら辛いだろうなあ、トランプさん……

極道系キャラじゃないもんね、ほんとは。

もし、大統領になったら、74歳とか75歳とかあたりに倒れるかもしれない……

2期はやれないかもしれない……

まあ、四柱推命というのも、お遊びですから。

「第三の人」の可能性もあるからね………

って、いったい何を私はしているんですかね……

https://www.c-span.org/2016presidentialDebates/

ただのボヤキだから読まんでよろし

今の私は追い詰められている。

だから、いつもより一層に一層にしょうもないこと書く。

10月2日が締め切りの論文を1行も書いてない。

参考文献リスト作り、日本語要旨と英文要旨を書いただけで、あとは何もできてない。

ボケっとしてる。

3学期は今週の木曜日から授業が始まる。その前に会議もある。

どうするつもりなんかしらね。

って、他人事みたいに言ってるけど、

他人事ではない!

別に、諦めちゃってもいいんだけどさ。

私が論文を書かないと、誰かが困るってことは全くない。

書かないといけない!という類のもんでもない。

書かないと給与が出ない!というもんでもない。

書かないと名前が廊下に張り出されるってもんでもない。

教授になったとたんに、何十年と論文は書かない大学教授なんていくらでも棲息してる。

私だって、そうであっても良かった。

でも、論文書きというのは、私が自分に唯一課してきた脳トレであり、修行だもんね。

これを辞めたら、もう私は、ただただ食って排泄する糞袋なのね。

便秘しがちな糞袋よ。

まあ、論文を書いても糞袋だけど。

論文つーのは、書いたことがある人はわかるけれども、ほんとに辛い作業なんである。

カネにもならん。

自分以外は誰も読まない。

Blogじゃないから、書き散らせばいいもんじゃない。

一文書くごとに、その文の内容の根拠を示さないといけない。

私がそう思ってるんだからさあ!そうなのよ!これでいいのだ!

と開き直れない。

論文というのは、ひたすらに「我を折る」作業である。

ひたすらに矮小な自分を超える作業である。

客観的な根拠を並べて、つまり他人の意見を並べて、自分の意見を保証してもらい、補強してもらう。

煉瓦を積むごとく、バケツ一杯の水を運んでプールを満たすごとく、自分が行きたいと思う方向に向かいコツコツと文を積み重ねて行く。

自分が作った論文要旨を大量に水増ししなければならない。

実に根気のいる作業だ。

もう生来どうしようもなく脳が混乱していて、かつ、体力も忍耐力も何もない私みたいな人間にとっては、論文書きが一番に辛い修行なんである。

家事労働だって、滝に打たれるんだって、お遍路さんだって、修行だけどさ。

私は、体力ないから、その種のことはできないのね。

滝に打たれたら流されて溺死だ。

お遍路さん なんて、2キロも歩けんわ。

家事労働は、今の時代は洗濯も、洗濯機に放り込んでおけば、洗濯から乾燥まで機械がやるからさ。

もう還暦過ぎたら、栄養のことなんか考えずに何を食ってもいいんだからさ。

ほんとは、食わんでもいいんだからさあ。

料理は、貧しい庶民が持っても差し支えない唯一の趣味よ。

すべからく、趣味ってものは実益を兼ねないと庶民はやってられんよ。

2,000円で食える外食と、2,000円で買える食材と比較したら、食材の勝ち。

今の時代では、幼い子どもも介護要老人もいないと、家事労働は修行にならん。

教師ならば、教師道を極めて、教室運営と講義構成に留意するのも修行だけど、

私は、そこまでの使命感も義務感もないんよ。

そういう自己欺瞞能力ないの。

学校というのは、行くところがない若い人たちの暇つぶしの収容所であって、通いの緩い刑務所なの。

教師は舎監なの。刑務官なの。

ほんとに頭のいい若い人に教えるべき学問の蓄積なんて私にはないしね。

通いの緩い刑務所の刑務官で食ってこれただけでも、法外に幸運だったんだから。

ともかく、論文書きの辛さを味わわないとエクスタシーが得られない。

充実感が得られない。

論文書きに比較すれば、他のことなんてほんと簡単に思えるよ。

私は、卒業論文を書いたときに、発見したんだ。

論文書きつーのは、私が忍耐力をつけるのに1番いい作業だ!と発見したんだ。

「自虐」つーのは、やるべきだ。

ここだけは、自虐する!という分野を持つのは、いいことだ。

自分を踏みつけにしてこそ、見える風景がある。

とはいえ、自分を踏みつけにするのは、やはり辛いこと。

で、チョロチョロと逃げまくり、今日に至る。

あああ……

今の勤務先の所属学部の紀要(論文集)の編集委員会は、非常に真面目だからなあ……

締め切りはほんとに厳守なんだよね。

冗談抜きで、厳守なんよ。

私が所属する「都市経営学部」って、理系や社会科学系が主で、私みたいな脳の緩い人文系スタッフはいないのよね。

みんなキチンとしてる。

そのチキンぶりじゃなく、キチンとしたあり方に意味があるかどうかはさておいて、キチンとしている。

数時間の教授会でも、みなトイレにも立たない。「内職」もしない。

私ひとりが、コソコソと小テストの採点してる。

あんな小テストしたって、効果ないんだけどさ。

英語力もつかないんだけどさ。

なんかやってます〜という身振りは必要だからさ。

意味ないと知りつつ、意味あることをやっている振りって、辛いのよ。

私みたいに白痴的な正直な人間は、自己欺瞞能力もないから、教師は務まらんね。

だいたいが、英語なんかできないのに、英語の教師やっていることのストレスよ。

世間さまを騙していることのストレスよ。

あのね、追い詰められて、うわあああ〜〜と焦って、恐怖にかられて、「やっぱ、やんなきゃ!」と思えるのも、若さなのよね。

追い詰められてるのに、ボケっと初秋の青空を眺めてるってのは、やっぱり老化よね。

そんなことしてる場合か!

と思いつつも、ボケっとしてしまうって、老化よね。

恐怖すら、今の私に火をつけないのね。

Set me on fire!

火がつかない……

あ……津波が来るのね………と、薄らボンヤリと海を眺め……

で、津波にさらわれるのね。

ただのボヤキでした。

『シン・ゴジラ』  はアジア市場でコケた?

世紀の大傑作『シン・ゴジラ』は、100国以上で上映される予定だそうだ。

だけど、今のところアジア諸国ではヒットしていないそーだ。

シンガポールでは、2週間しか上映されなかったとか。

…………………

無茶苦茶に面白くたって、1回ぐらい観ただけでは理解できなくて7回観に行った私からすれば、そんなもん当然かもね………と思う。

あれだけの台詞量を字幕でどうやって説明するんだ?

登場人物たちは、日本語でだって、相当に集中しなければ理解できないような内容のあることしか言ってない。

『シン・ゴジラ』は、登場人物たちが、ものすごく早口で台詞をしゃべると指摘されている。

それは2時間以内に収めなければいけない映画だから、俳優はなるたけ早口に台詞を言うことを監督から要求されたからだそうだ。

私は自分が早口なんで、他人の早口も聴き取れるんで、その点に関しては鈍感にも気がつかなかった。

タラタラ言われると苛々するタイプだからさあ。

会議なんか、早回ししたいもんね。

『シン・ゴジラ』には、日本映画によくある類の「思わせぶりに情感込めてタラタラダラダラ言ってもいいような言わなくてもいいような類の無内容なことを言い合ってる」シーンがない。

もう、これだけで稀有よ!!

議論大会、討論会みたいな日本映画って、ほんと稀有なんだぞ!!

頭を使ってる登場人物が出る日本映画なんて、滅多にないんだぞ!!

『シン・ゴジラ』は、日本映画にはほとんど皆無な知的刺激に満ち満ちた映画なんだぞ!!

それで狂喜乱舞した私であった。

狂喜乱舞〜〜〜〜♫♬

きょうきらんぶうう〜〜〜〜♫♬

その私でさえ、環境省の課長補佐で、東京3区壊滅後に課長代理になった(課長さん死んだのね……)尾頭ヒロミさんが言う科学的説明なんかは理解ができなかったんだぞ。

そんな映画を、外国人が理解できるはずない。

特に「ゴジラ」を見に来る類の観客は、知的な客ではない。

「ゴジラがド派手に街をぶっ壊す」ところが見たいんであってさ。

あんな「政治映画」期待もしていないんだからさ。

インテリが見に行く類の映画じゃないんよ、ゴジラ映画つーのは、もともとが。

私だって、「ゴジラがド派手に街をぶっ壊す」映画だろうと気楽に観に行って、仰天したんだからね。

子ども時代からの慣習なんよ。

ゴジラに会いに行くのは。

名古屋は伏見の東宝劇場(だったかなあ、今は移動したみたい)に父親に連れられて、ゴジラ映画見て、映画終了後は道路を挟んだ向かいのお鮨屋さん(「東寿司」だったかな)「鉄火丼」を食う。

これが、私のガキ時代の夏休みの大イヴェントだった。

1960年代初期の頃の庶民のガキにとって、お鮨屋さんで「鉄火丼」を食うというのは、もおおおお〜〜すっごい贅沢だったんだぞ。

昔は、お寿司はスーパーマーケットやコンビニで売っているものではなかった!!

実は、ここだけの話、『シン・ゴジラ』5回目を観に行ったとき、映画館の隣の席で、亡き父の気配を私は感じた。

「あ〜〜私があんまり騒ぐから、なんじゃなんじゃと思って観に来たんだなあ……」と思った。

霊の父と私とで、いっしょに映画を観たとよ、52年ぶりぐらいに。

ゴジラが生まれたのは1954年。

私が生まれたのは1953年。

ゴジラと私は幼馴染なんよ。

ということで、幼馴染に会いに行くつもりで、しかし、なんも期待せずに気楽に観に行ったら、なんと立派な崇高な男前のゴジラ………

ついでにバリバリの「政治映画」だったもんだから、もう〜〜

もう〜〜想定外に喜ばせちゃ、いやっ!!

ほんとに、いやっ!!

それはさておき。

そもそも「政治映画」というのは、外国人観客にとっては、きつい。

国によって政治事情が違うので、外国の政治映画は 、その政治事情に関する知識がないと、わからないし、楽しめない。

ハリウッド映画だって、ドンパチのしょうもないアクション映画に見えて、政治映画なんだぞ。

ハリウッド映画を作っている人々はインテリだからね。

パニック映画ですら、そこに政治的メッセージはあるわけよ。

映画評論の水準も高いしね。

アメリカ人批評家の黒澤明監督の『七人の侍』評には驚いたけど……

あの戦国末期映画は核戦争を意識しているって……

死んだ侍たちは、剣の闘いで死んだのではなく、銃で撃たれた。

あの銃は核兵器の暗喩だって……

だから、『七人の侍』は、冷戦映画だって……

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同じく黒澤明監督の『生きる』は、アメリカ人批評家からすると、「官僚制批判映画」なんだよ。バリバリ政治映画なんだよ。

ほら、ぬかるみになる公園を何とかしてくれと陳情する奥さんたちが役所をたらい回しにされるでしょう。

「役所仕事」批判の政治映画なんだよ、アメリカ人からすると。

それも、リバータリアン映画なんよ。ほんと。

かくも、政治映画というのは、政治風土の差によって受容のありようが違ってくる。

日本人は、政治映画を政治映画として認識するだけの感性が育成さない政治風土に生きてんじゃないの。

おそらく、他のアジアの国々も……

ここらあたりの問題については、まずは、副島隆彦氏の『ハリウッド映画で読む世界覇権国アメリカ』上下巻(講談社、2004)を読んでちょーらい。

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『ハリウッドで政治思想を読む』(メディアワークス、2000)とか、『副島隆彦の政治映画評論 ヨーロッパ映画編』(ビジネス社、2014)を読んでちょーらい。

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「なんで、あんなに会議ばっかりしてるの?」という反応も、外国人観客には多いそうだ。

会議ばっかり……というのが日本の社会と政治の「リアル」だもんなあ……

「老人が避難していないという理由で、なんで首相が自衛隊の攻撃を止めさせるの?老人2人の生命の方が、東京防衛より重いはずない」という反応も外国人観客には多いそうだ。

その感想はごもっとも。

しかし、「東京を守るために、老人2人を見殺しにしましょう」という政治的判断は、今の日本の「リアル」じゃないんだなあ……

胃瘻だの何だのと延命治療して、回復の見込みのない老人を無意味に長生きさせているのが、日本の現状だからなあ。

老人自体も、自分で点滴の管を引きちぎって「サッサと死なせろ!馬鹿!!」と家族や医者を怒鳴りつける気概はないしなあ。

還暦過ぎたら、もうなるたけ病院に行かないというのが、病院に行くと病気にされる…と思うのが、高齢者の教養ではないだろうか。

と、日本で言うと問題なんだよなあ……

「なんでヒロインと恋愛しない?」という感想も外国人観客に多いそうだ。

馬鹿なの?

なんで恋愛シーンが要るの?

日本人は草食化といいますか、人類としての進化を遂げつつありまして、恋愛なんかどうでもいいんだよ。

頭の悪い奴の暇つぶしだろ、恋愛って。

あ……すみません。

また本当のことを言ってしまいました……

ということで、今日も私の『シン・ゴジラ』慕情は高まり、心深くに潜行しております。

夏が過ぎ、台風も何回も来て、大雨にさらされ、秋になった……
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すみません、『シン・ゴジラ』 における愚民の諸相

昨日9月19日に7回目の『シン・ゴジラ』を観てきた。

三連休最後の日のレイトショーなのに、多くの観客がいた。

私は名古屋市内の映画館ではなく、わざわざ郊外のイオンのシネコンに行く。

混雑してないからね。

必ず席があるからね。

あそこなら、いざというときにも逃げることができる。

周囲が田んぼだもん。

名古屋駅前のミッドランド・ビルのシネコンだと、火災や地震が起きたら逃げるに逃げられんわ。

『シン・ゴジラ』は7月29日に封切りされたが、私が行く名古屋の郊外地のイオンのシネコンにおいては9月19日の観客が一番多かった。

というのは、どーいうこと?

新聞やTVなどの旧メディアは、『シン・ゴジラ』について沈黙を守っている。

取り上げても、野村萬斎がゴジラの動きをどうたらという程度のことしか言及しない。

あの映画の明らかなる政治的メッセージについては、絶対に触れない。

そのかわりに、某アニメ作品の大人気については、やたら取り上げる。

岐阜県の飛騨市がアニメの舞台だとかで「聖地」めぐりが流行っていると、やたら報道する。

という具合に旧メディアの扱いは不公平に冷淡であるのに、『シン・ゴジラ』人気は衰えていない。

どころか、実はジワジワと口コミで広がっているのではないか、『シン・ゴジラ』のすごさが。

だって、9月19日の段階で、あの観客動員ぶり。

おおおお……

日本人も旧メディアの評価ではなく、口コミを信じるようになった。

進歩だ。

ところで、今回は、『シン・ゴジラ』がはっきり描いている愚民の諸相というものについて、考察(?)する。

あの映画は、はっきりエリート主義よ。

「なんのかんのと言っても、頭が良くてガッツのある連中が頑張らんと困るでしょ」と言っている映画だ。

この映画には、どうにもお気楽で危機管理意識の欠落した一般ピープルの姿が風刺的に描かれている。

第一形態ゴジラが東京湾に出現してるときに、それを悠長にスマホで撮影している一般ピープルの皆様。

あんたら、何やってんの?

第二形態ゴジラ「蒲田君」が、東京湾から大田区の呑川に侵入して上陸してる姿を遠くのビルから眺めてスマホで撮影してる一般ピープルの皆様。

あんたら、何やってんの?

「蒲田君」が迫って来ているのだからサッサと逃げればいいのに、バックに着替えなんか詰めてる奥さん。

そのために一家はグズグズと逃げ遅れ、そこに第二形態ゴジラ「蒲田くん」がマンションをぶっ壊して一家は全滅。

すぐに取り出せる避難リュックぐらい前もって用意しておきなさいよ、もう。

手足が生えて直立した第三形態ゴジラ「品川君」を自衛隊が攻撃しようとしてるときに、近くの踏切をタラタラ渡っている老人ふたり。

お婆さんをおぶってタラタラ歩いているお爺さんは夫婦か?

それとも、老々介護の母と息子か。

どちらにしても、散歩してんじゃねーよ!!

あの段階のゴジラなら、まだ口から火を噴くこともできないし、背中から光線も発射できないし、身長も60メートルぐらいだから、自衛隊の攻撃で駆除できたかもしれない。

だとしたら、国連の安保理に東京を熱核攻撃すると決定させるみたいな事態は回避できたのかもしれない。

だけど、首相は「自衛隊の弾を国民に向けるわけにはいかない!」と言って自衛隊の攻撃を中止させた。

この首相の軽薄な「いい子ぶりっ子」と責任回避的姿勢と優柔不断ぶりは、実にリアル。

でもって、第三形態ゴジラの「品川君」が東京湾に戻り、小康状態になる東京。

普段と変わらないみたいに学校に通う小学生たち。

あのねえ……

あのさあ……

ちょっと考えてよ。

ああいう巨大不明生物が出現したら、たとえその生物が海に帰っても、あなたは東京にいますか?

日常生活に戻りますか?

気の利いた人間ならば、サッサと東京から、関東から、逃げるだろう。

仕事なんかほっぽりだしてさあ。

なんで、のん気に小学校に通ってるんだ、子どもたちは。

学校なんか行かんでいいわ!

出現した巨大不明生物は、また出てくる可能性があることぐらい誰でも予想がつくのに。

政府発表なんかあてにできるのか。

あてにできても、あてにしないのが庶民の気概である。

自分のことは自分で守るしかない。

サッサと自主避難せい!

まずは、この段階で大量の東京都民が、いち早く東京脱出するんじゃないの?

東京都民どころか、東京近辺の地域の人々も逃げるのが普通だ。

第四形態ゴジラが鎌倉に出現した時に、のんびりと鎌倉旅行していた人々は異常だ。

頭がおかしい。

のどかに走ってんじゃないよ、江ノ電!!

それから、各省庁から集められた「巨災対」のメンバーが不眠不休で仕事してるのに、官邸外で「ゴジラを倒せ」と騒いでいるデモ隊。

政府にああせい、こうせい、と騒ぎ要求することしかできない非力な一般ピープル。

そう騒ぐならば、お前らが自分たちで倒せ!

ほんとに、しょーもない暇人たちだな。

映画は、多国籍軍の熱核攻撃決定後の短期間に各地に避難疎開する360万人の人々を運ぶバスや大型ヘリコプターや船を映し出す。

その避難バスのおびただしい数のために、ニッチもサッチも行かない高速道路の絶望的な状態を、映画は映し出す。

不思議にも富裕層とかが空港に群がって日本脱出を図っているシーンはなかった。

ともかく、『シン・ゴジラ』に描かれる一般ピープルって、ものすっごくアホだ。

信じられないくらいに無用心で、あなた任せである。

まさに愚民だ。

お前らなんか、ゴジラに踏み潰されろ。

ということで、みなさま。

『シン・ゴジラ』は、我々一般庶民に教えているんでございます。

こーいう「のん気な愚民」やってちゃダメよって。

ちゃんと自分で考えて、自分で備えて、危機を回避しなさいって。

自分の身は自分で守りなさいよって。

「巨災対」みたいに、エリートたちが不眠不休で救ってくれるとは限らないんだからね。

あんなに整然と避難なんかできやしないんだからね。

新刊『明治を創った幕府の天才たち—蕃書調所の研究』讃

amazon.co.jpにレヴュー書いたけど、ここにも書いておく。

水増しして書いておく。

この本はすごい。ただの幕末明治真実暴露本じゃない。

「幕末明治真実暴露本」というのは、近年は珍しくなくなった。

たとえば、会津藩がスケープゴートにされたことは、今やかなりの人々が知っている。

会津戦争は不必要な虐殺だった。

会津は、官軍という薩長の寄せ集めの下級武士たちの八つ当たりと怨恨の標的にされてしまった。

たとえば、いまどき坂本龍馬を英雄として崇拝しているのは、歴史的無知。

ジャーディン・マセソンというイギリスの商社から極東の離れ小島に派遣されたトマス・グラバー(フリーメイソンです)のパシリやっていた龍馬の実相は、すでに知られつつある。

たとえば、映画化もされた「長州ファイヴ」の若者たちに関する神話について。

後の伊藤博文を含む5人の若者たちが借金して渡航費を工面し、鎖国下の日本から密航し、当時の世界帝国イギリスに渡り、そこで学んだことにより、日本の近代化に貢献したという話。

そんなことできるはずない。

彼らの渡航費用を彼ら自身で用意できるはずない。みな貧乏な下級武士の子弟だもの。

イギリスで彼らを世話してくれた誰かがいなければ、ロンドンの大学で学べるはずない。

密航して日本に来たジンバブエの若者たちが東京に居を構えて、東大で聴講できるか?

できねーよ。

長州にせよ薩摩にせよ、徳川幕府打倒を心に秘めて、先進の思想や技術を学ばせるために若者たちをイギリスに送ったのだ。

情報独占と貿易は、一番カネになるしね。

長州や薩摩をテキトーに動かしていたのは、イギリス人。

日本国を背後から管理収奪することを目論む大英帝国の東アジア支配の一環として、イギリス人は極東の離れ小島からやってきた土人の若者たちの世話をしたのだ。

あと、孝明天皇暗殺とか、明治天皇すり替えとか、「幕末明治に関わる真実暴露言説」は、いろいろある。

しかし!

この『明治を創った幕府の天才たち—蕃書調所の研究』(成甲書房、2016)は、単なる「幕末明治真実暴露本」じゃない。

その水準を超えてる。

もっと普遍的な問題を示唆している。

極東の離れ小島に位置している日本という国が、世界において持たざるをえない運命について直視している。

つまり、地政学的に属国であらざるをえない国は、情報弱者でいることは亡国であるという事実について直視している。

日本がなんとか国体を保って21世紀まで生き残っているのは、優秀な類の日本人たちが、中国や西洋から学んできたからだ。

島国で引きこもってチイチイパッパやれるのは庶民だけだ。

あのね、この『明治を創った幕府の天才たち—蕃書調所の研究』はね、是非とも副島隆彦氏の「属国・日本論』と『日本の歴史を貫く柱』(『歴史を見通す眼』改題)とともに読むべきです。

簡単に大雑把に表面的に言えば、この本の趣旨は、以下のとおり。

1856年に徳川幕府によって正式の洋学研究所として設立された蕃書調所は12年間しか存続しなかったが、ここに各藩から集められた大秀才、天才たちこそが、明治政府の中間官僚として、国政を実際に動かした。幕末維新をめぐる薩長中心史観は歴史の真実を見ていない。明治政府の近代化は、徳川のテクノクラートたちによって遂行された。

では、その徳川のテクノクラートたちを輩出した徳川という時代のエリートたちの学習内容とはどういうものであったのか。

徳川時代は鎖国の時代だ。

だからといって、徳川のエリートたちは徳川幕藩体制を維持強化するための御用学問=儒学(朱子学)を学んでいただけではない。

長崎出島のオランダ人からもたらされる情報(蘭学)も、キリスト教に影響された陽明学も、連綿と徳川時代のエリートたちの心をつかんでいた。

幕府の学問機関の昌平黌で、エリートが読んでいたのは漢文に翻訳された西洋事情であった。

ほんとよ。

国学とかもあったけど、そんなもん極東の離れ小島の精神的田舎もんのナルシズムよ。

実のところ、徳川時代のエリート武士に要求されていたのは「数学」だった。

藩の運営=経営には数理に強い藩士がいないとダメだった。

だいたい、自分の藩の土地の広さだって、測量技術がなければ、把握できんでしょ。

大砲だって、砲の着地点を選ぶのに計算しないと、あかんでしょ。

数学は、いかに日本にもたらされたか?

実は、キリスト教宣教師たちから教えられたんよ!

各藩の選り抜きの秀才たちが学んでいたんよ!

キリスト教宣教師たちは、みな殺されたわけではなく、隔離されて、西洋事情や西洋の学問を教えさせられていた。

生きてる情報だもの。

殺すのもったいない。

日本人キリシタンなんか要らんけど。

ペリー黒船来航のはるか前から、徳川幕府のエリートたちは世界情勢についてある程度知っていた。

オランダ語ばかりでなく、英語やロシア語習得の必要性も知っていた。

同時代のヨーロッパでは、英国とロシアがグレート・ゲームを展開していたことも知っていた。

ペリーが2度目に開国を求めて来たときに、徳川幕府は、ペリーに、交渉をオランダ語ですることを要求した。

英語じゃなく。日本語でもなく。

互いにとっての外国語であるオランダ語で。

なるたけ、公平な交渉にするために。

徳川幕府は無能だったわけじゃない。

目一杯やってたんだ。

神国日本といくら自画自賛しても、日本は極東の島国だ。世界基準の思想が生まれる国じゃない。

あまりに辺境の田舎よ。

だからこそ、日本の世界における生き残りは、先進国の思想や技術を学ぶことに依存している。情報弱者であることは亡国への道だ。

徳川時代のエリートたちは、それがよくわかっていた。

幕末開国以前も以降も、なんとか日本がやってこれたのは、外国の先進思想や技術を鎖国下の体制の中でも学び続け、伝え続けてきた人々が幕府の中にいたからこそだ。

日本人は外国から学び続けるしかない。それが極東の島国の運命だ。

というわけで、収録されている論文は、すべて読みごたえのある力作である!! 

文章も読み易い。

マーカーで線を引きまくりだ。

もうBook Off に売れません。

巻頭論文の石井利明氏の「尊皇攘夷から開国和親へ–その歴史の秘密」は、尊皇攘夷って騒いで、天下の大老まで暗殺しておいて、急に開国和親へ動いたのはなぜかという、中学や高校の日本史の時間に誰もが抱いたに違いない疑問への解答を、日本における(キリスト教に影響を受けた)陽明学と蘭学の受容から考察する。

六城雅敦氏の「明治の国家運営を担った旧幕臣の数学者たち」は、数学(天文学)の日本への導入の経緯や、数理に強い武士でないと出世栄達できませんでしたという意外な事実を教えてくれる。

田中進二郎氏の「蕃書調所の前身・蕃書和解御用と初期蘭学者たち」は、鎖国キリシタン禁止令以後も脈々と日本の知的風土に浸透していった西洋なるものの受容の諸相を教えてくれる。

吉田祐二氏の「東京大学の原型「蕃書調所」をつくった勝海舟」は、論文としてもっとも構成ができている。まずはこの論文から読むと、この優れた論集のテーマが把握できる。

古村治彦氏の「大隈重信の旧幕府と新政府主流派にまたがる人脈」の「知られざる大隈像」に驚く。大隈重信って、こういう人物だったのか!

大隈重信は、英語とオランダ語ができたので、通訳の立場で外交の秘密に関与できた!うーん、やはり、語学は身を助ける。

津谷侑太氏の「幕末の科学研究所・蕃書調所で起きていた権力闘争」の福沢諭吉論は大胆で面白い。この想像力と推理力はすごい。鬼才というか、異才というか。

副島隆彦氏と剣術家の古本肇氏の対談の章もある。

これが無茶苦茶に面白い。

剣で戦うということのリアルが伝わる。

剣で戦うということの現実は、こういうものであったのだ!

剣はさ、長ければ勝てるんだって。

短い刀は長い刀に絶対に負ける。

なんで?

読んでみて。

みなさん、ここだけでも読まないと人生を踏み外しますよ。

ほんとうの剣の使い手は、チャンバラしません。

強い剣豪は、安易に軽薄にチャンバラしません。

この対談だけでも、読んでみて。立ち読みでもいいから!

3回読んでも飽きない。『シン・ゴジラ』並だ。

で、この本の教訓。

極東の離れ小島の人間は、外のことを勉強しないと生き残れない。

宝は他から。

それが、極東の離れ小島の人間のリアルな道。

地政学的にどうしても属国やるしかない辺境の島国の人間は、ナルシズムに閉じこもるわけにはいかないのよん。

それは、哀しみである。

しかし、強みでもあるのだ。

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『シン・ゴジラ』と「食わずに生きる」可能性

9月も中頃にさしかかって、まだ『シン・ゴジラ』かよ!

と思う人は、読まんでよろし!

私が『シン・ゴジラ』に狂喜した理由はいくつもあるけれど、そのひとつについて書く。

ネットを検索しても、このことについては私が知る限り、誰も書いてないみたいだ。

私が6回も『シン・ゴジラ』を観に行ったのは、主として、あのゴジラが食わずしてどうやって生きてるのか?に関する科学的説明が聞いててもよくわからないので、確かめに行ったからだ。

6回聞いてもわからない?

ほんとうに頭が悪いなあ!

と、言われても、どうってことない。

わからないことは、わからない!

私自身がわからないのならば、その他の人類全員が理解できても意味がない。

わかるまで通うんじゃ!

7回目も行くぞ。

わからんことは、まだまだあるんよ!!

映画では、あのゴジラは「体内で元素変換できる」ということだった。

海底に廃棄されていた使用済み核燃料を大量に食っちゃった古代生物は、巨大化して、体内に原子炉ができちゃって、その核分裂でエネルギーを得ている、ということだった。

使用済み核燃料というのは、また使えるのか?

使用済み核燃料がゴジラの体内で核分裂を起こして、エネルギーを生産することができるとするなら、元使用済み核燃料の使用済み燃料は、どうなるんか?

また、使用されるのか?

そういう設定なのか?

わからん。

あのゴジラは、原子力発電所に行くこともなく、鎌倉と東京をお散歩してただけだった。

何も食わなかった。

何も飲まなかった。

排泄物も残さなかった。

私は、従来のゴジラ映画28本は全部観ているが、子どもの頃に「ゴジラはウンチしないなあ……オシッコもしないなあ……」と思ったもんだった。

ウルトラマンだって、トイレに行かないし。

ほんとうならば、東京にゴジラが出現するのならば、東京のどこかにゴジラの糞の山が築かれるべきであるのだが。

ゴジラが便秘でイライラしているという設定でなければ。

しかし!

『シン・ゴジラ』が凄いのは、かつての私の疑問に答えてくれていることだったのだ!!

ゴジラは、いわば「動く植物」なんである!!

植物は排泄しない。

あのゴジラは、「光合成」やっているようなもんなのだ!

体内の放射性物質ばかりでなく、大気の窒素や酸素を、体内で元素変換して栄養素にできるのだった。

ここに、私はビビビビッと来た。

おおおおおおおおーーーと胸がときめいた。

私が関心を持っている問題のひとつが、「人間は食わんでも生きていける能力があるんじゃないか?」ってこと。

すでに、カリウム40っていう物質は、体内でカルシウムに元素変換することは明らかになっている。

ならばさあ、他の物質だって、人間の体内で元素変換できるんじゃないの?

人間だって、太陽の光から栄養素を得るだけで、食わんでも生きていけるんじゃないの?

人間だって光合成できるんじゃないの?

なんで、できないの?

だってですねえ、すでに「不食」で生きている人間の実例はある。

1日に青汁一杯で生きている女性もいる。

この女性は、丸顔でふっくらしておられる。

拒食症風のガリガリじゃない。

この女性について調査したら、この女性は500mlの青汁の栄養素を体内で吸収する能力が非常に高いということが判明したんよ。

もっと調査したら、おそらくこの女性には体内元素変換機能があるということが、わかるんじゃないか。

最近は、「1日1食ならば、人間は健康でいられる!」という内容の本も多く出版されている。

食わなければ病気の7割は治るそうじゃないですか。

たまの断食は、いいことばかり起きるらしい。

うつ病も認知症も改善するらしいよ。

太平洋戦争末期の 南洋の島々での日本軍の凄まじい勇猛さは、ひょっとしたら食料不足だったからではないか。少食ゆえに、生命力が亢進されたのかもしれない。

合掌。

それに引き換え、大本営と日本政府の優柔不断と見通しの甘さは、あいつらが過食していたからではないか。

蹴飛ばす。

大人になってからの「1日3食」は、過食であることは確かだ。ほんとよ。

還暦過ぎて、もう背も伸びないし、生きててもしかたないくせに、3食しっかり食べてるなんて、そーいう暇を持て余して意地汚いことやってるから、認知症になるんじゃ。

ホテルのケーキバイキングに群がってる高齢女性たちは、絶対に脳が一層に萎縮するわ。

あ、すみません。つい本当のこと言っちゃって。

2005年あたりから、「不食」が可能ならば、人間社会の問題って消えますね〜〜と考えている。

「食うために働く」と言うけれども、食わなくてすむならば、労働しないですむね。

ブラック企業に好きにされずにすむ。

温暖化ではなく、氷河期になったら、気温が下がり農産物の収穫高が減って、食糧難になるぞ〜〜飢餓の時代が来るかもね〜〜食料の取り合いで戦争になるぞ〜〜という恐怖も、人間が食わんでも生きてゆけるなら、問題じゃない。

戦争になると、食料不足とかの問題が出てくるけれども、食わなくていいから問題なし。

そもそも自国民を食わせないといかん!ということで外国の領土に侵入したり侵略するのだけれども、食わなくていいなら、戦争の必要もなし。

政府がどうだろうが、闇の勢力がどうだろうが、イルミナティがどうだろうが、ロックフェラーとかロスチャイルドがどうだろうが、モンサントが人間の生殖能力をなくすような穀物をどんだけ生産しようが、ケムトレイルで何を空から散布されようが、食わなくても生きていけるならば、まずまずOK。

私たちは、人類は、「食べないと病気になるし死ぬ」と信じて疑っていない。

でも、これこそが大洗脳かもね。

人類の盲点かもね。

人類平和恒久繁栄を望むならば、人類の体内の元素変換機能を覚醒させることだ。

少なくとも、過食が病気の元であり、少食こそが身体と精神の健康の元ということは、知られつつある。

食品業界、外食産業、医療界、遺伝子組み換えモンサントさんには不都合なことながら。

2005年以来、私も朝食は取らなくなった。人参ジュースだけだ。

2005年前と2005年以後とでは、体調は明らかに2005年以後がいい。

最近は、1日1.5食だ。昼間は超軽くしている。

ナッツちょっと食べて、「非加熱蜂蜜&シナモンパウダー&黒胡麻すりおろし」に熱湯を注いだものを飲むくらいだ。

非加熱蜂蜜( raw natural honey)とシナモンの組み合わせは無敵らしい。

黒胡麻すりおろしは、肝臓にいい。

何にでも入れちゃうね、私は。

夕食は好きに作って食べる。

お肉はお付き合い程度。

やっぱ、豚も牛も鳥もすごい殺され方をして、マーケットに並ぶ。

やっぱ、キモイわ。

昼間に食べると、仕事にならない。読書もできない。

ほんとうは、1日1食に挑戦するべきであるけれども。

「非アルコール性脂肪性肝炎」NASHになったのは、福山市立大学における勤務のストレスにより外食が多くなったからだろう。

福山は美味しいお店が多いから、食べ歩きし過ぎだった。

この病気も、2016年度で退職と決まりストレスが減り、食事にも気をつけるようになり、小康を得ている。

何の話か。

そう、ゴジラのこと!

ゴジラは体内に原子炉を持ってるけれども、放射能でおかしくなることはなく、放射能を体内で元素変換して栄養素に変えている!と同時に、呼吸した空気や浴びた太陽光も、体内で栄養素に元素変換している!

これ、すごい。

これこそ完全生物。

映画『シン・ゴジラ』においては、真のヒロインの尾頭ヒロミが、ゴジラの体内メカニズムをあきらかにすれば、人類にとっても大きな福音になる、みたいなことを言っていた。

私は、『シン・ゴジラ』は予言していると思う。

人類がもっと進化したら、自分の中の「不食でも生きていける機能」に目覚めるということを予言していると思う。

まずは、人体の元素変換機能が覚醒されるまで、少食で行きましょう〜〜
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ニート・ビギナー63歳の抱負

先日、中学時代からの友人に会ったら、「なんか顔がゆったりしてきたね」と言われた。

家族からは、「昔みたいな脳天気な顔に戻ってきた」と言われた。

白髪を染めてもらう(長いおつきあいの)美容師さんからも、似たようなことを言われた。

そりゃそうだろう。

今の私は、今まで生きてきたなかでも、もっともハッピーな日々を過ごしているのだから。

もう「やらなきゃいけないこと」はないもんね〜〜

私、ちゃんと学校も行って卒業したもんね〜〜

ちゃんと就職して働いてきたもんね〜〜

狭いマンションだけど買ってローンの返済も終えたもんね〜〜

税金も払ってきたもんね〜〜

まあ、子どもを産んで育てるということはしなかった。

すみません。

あちこちで試して作って産むという元気もなくて。

あんまり社交的じゃないものですから。

独りでも作れるものならばいいのにね、子どもも。

おそらく前世で散々に育児はやったろうということで、今世はお役目御免だったのだろう。

と、何でも自分に都合良く考える。

ともかく、世間一般が、「こうでなきゃいけません」と人間に最低限期待&強要する生き方は、ちゃんと素直にしてきたもんね〜〜

つまり、課題は済ませたわけよ。

ちゃんとやったもんね〜〜

この社会において人間が取得すべきだとされる類の単位は取ったよね〜〜

どうでもいいような単位ではあったけれどさあ〜〜

もう私は自由よね〜〜

あと半年ちょっとは勤務があり、それは極めてハードであろう。

でも、気分はすでに無職のニートだ。

好きに本を読んで、好きにインターネットやって、洗濯して掃除してメシだけ作ってればいいもんね。

去年の秋に2016年度で退職する!と決めた時に、私は気がついちゃったんだよね。

自分が「勤めるのが嫌いで、勤勉じゃなくて、競争や葛藤が嫌いで、面倒くさいことが大嫌いで、細かいこと言われると意味わかんなくなり、サッサと逃げたい人間」であることに。

いやあ、今までよく我慢してやってきましたわ……

今まで、ほんとに無理してきたんだ……

いやあ〜〜自分の正直な本音に気がついたのが62歳の秋でよかった。

22歳の秋に気がついても困ったよね〜

私が22歳の頃には、「ニート」も「引きこもり」という言葉もなかった。

だから、私が22歳の1975年当時で、無為にしていたら、家族や友人知人からは、「ただの甘ったれた怠け者の負け犬」と思われたろう。

何よりも、自分でもそう思って無駄に自分を責めたろう。

働くのが嫌いでもさ、高収入ならば、働きたくないという気持ちを押し殺して働くことにも意味も意義もあるけどさ。

カネは魅力だからね。

カネで手に入るものも魅力だからね。

まあ、何とか我慢してやってこれたのも、職種と職場に恵まれたからだな。

でも、低収入で勤勉にやれと言われても無理よね。

福山市立大学も高給だったら、私も65歳までキッチリと働いたろうけどもね。

カネで転ぶ私です。

カネがいっぱい出るなら、ちょっと我慢します。

でもまあ、今の勤務先では我慢することも意味がない。

まあ、ともかく、今の若い人がフラフラしていたい気持はわかるのよ!

好きにやりたい気持は、わかるのよ!

ただし、その際には、親の家を出て自力でフラフラすべきである。

親の老後を脅かし、親の年金で食っていくという生き方は良くない。

成人した子どもの人生については、親にはもう責任はないから。

フラフラと好きに生きていきたいのならば、まずは家を出て、ニートという生き方を極めるべきだ。

カネなくても生きる方法を模索するべきだ。

とはいえ、親も「ニートしてていいよ〜好きに居ていいよ〜」と理解と諦念があるのならば、他人がとやかく言うことではないが。

そういう場合は、せめて家事はすべきである。特に料理はすべきである。

家事もしないで親の家に居候など生ゴミ以下である。

ということで、最近の私は、ニートでインターネットで食っているとか、在宅でネットで食ってるとか、そーいう人の本を熱心に読んでる。

若い人々の書いた本から勉強してる。

私は、「ニート」のビギナーだからね。

先輩から学ばねば。

おかげで、「アフィリエイト」とか「せどり」とか言う言葉も知ったよね。

Book Offで、小さい家電用品とか、キャラクターものの縫いぐるみとか、DVDとかゲームソフトとか、いろいろ買い込んでるオッサンを見ると、「ああ、せどりの仕入れやってるのかもなあ……」と、わかるようになった。

「せどり」というのは、私は知らなかったけれども、安く仕入れた古書とか中古品を、amazonとかヤオフクで高く売ることだってね。

それで思い出した。

前の勤務先の桃山学院大学の社会人聴講生に、50代後半で役所を退職したって方がいて、「安い古書を仕入れて、高く売ってるんですよ。月に最低10万円は稼げるんで、年金と合わせれば食ってゆけるんで役所勤めを辞めました〜〜」と言っておられたことを。

そうか、あの方は「せどり」のプロだったんだ。

10万円も!すごい。

私が知るようになったくらいだから、「アフィリエイト」も「せどり」も、すでにニートの稼ぎ方としては常識になり過ぎて、もはや稼げないものになっているらしい。

でも、ニート・ビギナーとして、ニートの稼ぎ方の諸々を、ちょっと齧ってみたい。

でもって、独立独歩のニートとしての、好きなことして稼いで生きる方法を私なりに極めたい。

私は、ちゃんと課題は済ませた!

「人並み」やった!

世間の土俵に上がってみた!

日本英文学会だって、日本アメリカ文学会だって、全国大会のシンポジウムの講師を依頼されるようになってから退会した。

「逃げた」のではなく、やるだけのことはやって、「やっぱりくだらねえ。つまんない。面白くない」とあらためてわかったから、土俵から降りた。

土俵から降りたら、舗装されていない原っぱがある。

これからこそが、私の人生だわん。
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私が買って良かったもの(12) お掃除スリッパ

まずは、スリッパとは関係ないことを延々と書く。

最近、名古屋市内の池下よりの覚王山にあった「クロワッサンの店」が閉店した。

「クロワッサンの店」というのは、雑誌の『クロワッサン』で紹介している商品を売るお店だ。

雑誌の『クロワッサン』は、1970年代末だか1980年代初頭に創刊された女性雑誌だ。

今の『クロワッサン』は、どうなっているんだか私は知らない。

私がこの雑誌を購入して読んでいたのは、1980年代後半から90年代にかけてであって、21世紀に入ってからは知らない。

私にとっては、懐かしい雑誌である。

『クロワッサン』は、女性週刊誌やファッション雑誌とは違う新しいタイプの女性雑誌だった。

「意識高い系」の女性向き生活重視充実志向雑誌として人気を博した。

『暮しの手帖』ほど左派系インテリ志向ではなかった。

『暮しの手帖』は、いわば国立大学や公立大学や偏差値65以上の私立大学卒業女子向き雑誌であった。

一方、『クロワッサン』は、中道派であり、偏差値60から55ぐらいの私立大学卒業女子向き雑誌であった。

ただし、この「偏差値60から55ぐらいの私立大学」の中には、いわゆるお嬢さん大学は含まれていない。

お嬢さん大学出身者は、この種の「堅実中産階級女子」向け女性雑誌など読まない。

海外のファッション雑誌とか家事雑誌とか、『家庭画報』とか『婦人画報』を読むのであろう。

『クロワッサン』に紹介されている商品は、私的にはいいものが多かった。

衣類だと、コットンやリネンやウールなどの天然繊維系で、手洗い水洗い可能で、シンプルであり、流行には関係ないような定番系の普段着であった。

紹介されている台所用品も良かった。食器も良かった。食品も良かった。家具も良かった。靴も良かった。文房具も良かった。

すべてシンプルでありつつ、オシャレだった。

洋風ではあったが、日本の良さも取り入れ、自然志向であった。

価格は安くはなかったが、とても高いというわけではなかった。

何につけても適度であった。

何につけても堅実ではあるが、実質志向ではあるが、品位は失いたくない上層労働者階級向けであった。

後発の『カタログハウス』という雑誌は、『クロワッサン』の商品紹介コーナーを拡大拡充したようなものだったと言える。

『クロワッサン』は、戦後日本に生まれて育ったベビーブーマーの女性たちが結婚し主婦になり、それまでの日本の家庭生活とは違うものを模索し始めた頃に、彼女たちの要求に応える形で生まれた雑誌だ。

1953年生まれの私のちょっと年上お姉さんたちのバイブルになったような雑誌だった。

だから、『クロワッサン』が開発し紹介している商品を扱う「クロワッサンの店」も、人気だった。

1986年当時は、まだ名古屋市内に「クロワッサンの店」は一店もなかった(と思う)。

岐阜市の中心部近くにはあった。

当時の私は、岐阜市内の公立女子短大の教員だったので、名古屋の自宅に帰る途中で、そのお店によく立ち寄ったものだった。

さて、その「クロワッサンの店」が閉店した。

おおお………

これは、ひょっとしたら、かなり大きなことではないか?

閉店したということは、ビジネスとして成立しなくなったからだろう。

その理由としては、「クロワッサンの店」の主流購買層のベビーブーマーの女性たちの高齢化が挙げられる。

年金生活に入った彼女たちの購買力が落ちたからだよね。

「クロワッサンの店」は、ベビーブーマー前後の女性(と彼女たちの配偶者)以外の顧客を獲得しそこなった。

なぜならば、1990年代から不景気になったからだ。

新自由主義政策やグローバリズムにより、国内の産業の空洞化が始まった。

人件費の安い新興国の労働者との競争で、という理由で、日本の労働者の賃金は頭打ちとなった。

正規雇用が減り、非正規雇用者が増えた。

デフレ不況で、物価は下がった。

90年代半ばから100円ショップが隆盛となり、リサイクルショップも増えた。

普通の日常の家庭生活にお金をかけることができる中流層が薄くなった。

「クロワッサンの店」で買い物など、今の若い世代や若い主婦はしない。

もっともっと安価な商品は溢れている。

「断捨離」も流行してる。

「物を持たない生活」=ミニマリズムも流行しつつある。

「貧乏」なら「貧乏」をカッコよく生きようというわけだ。

ということで、層が厚くなりかけていた中産階級の暮らしの充実と便利さと適度な高級志向と自然志向を刺激した『クロワッサン』という雑誌や、それの一部拡大拡充版であった『カタログハウス』は、苦戦するようになった。

なんで、そんなことを断言できるかって?

だって、私がそうだもん。

私が、その種の雑誌を買わなくなったし、読まなくなったもん。

私って、ほんと平均的日本人よ。

かつては、『クロワッサン』や『カタログハウス』に紹介されていた便利商品をガンガン購入していたけれども、最近はサッパリ。

考えれば、なくても済むものばっかりだもん。

買わなくても済むものばっかりだもん。

正気に帰れば、買わなくても、いいようなもんばっかりだもん。

ということで、今の私が購入して「良かったなあ〜〜」と思うのは、「お掃除スリッパ」である。

ペタペタ履いて歩いてるだけで、床のゴミを取ってくれるお掃除スリッパ。

水洗いできるお掃除スリッパ。

ネットに入れて洗濯機で洗える。

一足461円だ。

私は、スリッパ履くのが嫌いで室内では裸足が常であった。

であるからして、私の足の裏は当然に真っ黒になりやすかった。

そのことでも家族にガミガミ注意されてきた。

私は、他人からすると、なんか注意や小言を言いたくなる人間らしいのである。

子ども時代も大人になっても。結婚前も結婚後も。

1996年以来単身赴任生活だったのでお気楽だったが、来年の4月以降は、より一層に家族の小言にさらされるであろう。

それでも、スリッパを履かなかった私はホームセンターを散歩してるときに、「お掃除スリッパ」を発見した。

これなら、ズボラな私もスリッパ履きます。ほほほ。

写真の足が汚いのは、見て見ぬふりしてください。
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昔話(2) 救霊?浄霊?除霊?

2000年3月の私の体調は、ひどかった。

47歳だった。

思えば、あれは更年期障害というものだったのだろう。

1週間休養していても、泥のような疲れで、何もできなかった。

そういうときは病院に行くべきなのかもしれなかった。

1992年に父を亡くし、1998年に母を亡くした2000年時点の私には、病院とか医師とか医療というものへの期待がサッパリ消えていた。

今でも病院は刑務所と同じだと思っている。

病院に行ったら、「病人」にされる。

病院には行きたくない。

でも、この不調は何とかしなくてはならない。

ということで、じゃあ、この某宗教カルトの「救霊」を受けてみようか?

と、私は唐突に思った。

溺れる者は藁をも掴む。

どうして、唐突にそう思ったのか、わからない。

だって、「原因不明の不調は、救われていない先祖の訴えだったり、あなたが意図せずに傷つけた人々の生霊のせいかもしれません。救霊を受けると、あなたの霊体が浄化され、やる気が戻ってきます。会員でなくても救霊を受けることはできます」と、その宗教カルトの本に書いてあった。

このままでは困るんだよ、仕事できないよ。忙しいんだよ!

その某宗教カルトは神道系であった。

そこの教祖さんの著書を、私は何冊も読んでいた。

オカルト系本は、私の大好物なのだ。

書いてあることは至極まともなことばかりであったし、読みやすかった。

名古屋でも「救霊場所」があるようだ。

ということで、私は、この宗教カルトのオフィスに電話して「救霊」の予約をした。

で、2000年4月始めの日に、「救霊」を受けた。

これは、私が経験したことのなかでもベスト5にはいる「不思議体験」であった。

招き入れられた個室には神棚が祀られていた。

救霊師さんを待つ時間が長かった。

まずは、救霊師さんの御霊(みたま)を鎮めないと、他人のために祈る態勢ができないとのことだった。

あ、そうですか。

待っているうちに、両腕の皮膚がピリピリしてきた。

なんで?

やっと救霊師さん登場。

私よりちょっと年上の感じの、実直そうな中年男性だった。

神道の祝詞と言霊で救霊するそうだ。

救霊時間は2時間ほどだそーだ。

救霊師さんは神棚に向かう。

救霊されているときは目を開けていてもいいそうだが、私は両目を閉じた。

そこからが実に不思議で奇妙な時間が始まった。

当時の私は祝詞なんて知らなかったので、救霊師さんが何を唱えているか、わからなかった。

ただ行儀よく座っているだけだった。

そうしたら、しばらくしたら、私の意志とは関係なく、私の身体が勝手に動き始めた。

ただし、腰から上だけ。

両腕がクニャクニャ動き、上半身が激しく揺れ動き、首も前後に激しく動いた。

何これ?

ときおり、救霊師さんが「アマテラスオオミカミ〜〜」と唱えるときのみ、私の身体が勝手に背筋を伸ばし、頭を丁寧に下げた。

何これ?

どうも私自身の中に存在する何者かが、救霊師さんの言葉に反応していた。

私自身はと言えば、「よく、こんなヘンテコリンな動きを私ができるなあ……」と呆れていた。

両手を合わせた両腕を頭の上に高く掲げたままに、グニャグニャと上半身が踊っている。

何これ?

これ以上できないという具合に上半身が激しく踊っている。

撮影して後で見たら絶対に笑う。

絶対に爆笑だぞ。

それぐらいに奇妙奇天烈に動いている。

無茶苦茶に動いている。

自慢じゃないが、私は体が硬い。

自由自在に体が跳ねるとか動くとか踊るというのは、ありえない。

なのに、私の上半身はソファの上でピョンピョン踊っていた。

何これ?

しかし「アマテラスオオミカミ〜〜」と言う救霊師さんの言葉が聞こえると、あくまでも私の身体は静まり、スッと背筋が伸びて、頭を丁寧に下げている。

どうして?

そういうわけのわからん時間が過ぎた。

それだけ激しく動いて疲労が溜まるはずなのに、まだまだ私の上半身と両腕は激しく揺れ踊り続けた。

もう勝手にせいと、私は観念した。

だって、私では止められない。

勝手に身体がグニャグニャ踊ってるうううう〜〜〜〜

もう知らんわ。

………………………………

やっと、「救霊」が終わった。

救霊師さんが言った。

「終わりました。これから徐々にフジモリさんの体調は良くなります。フジモリさんには、クリスチャンの生霊が結構ついていました。みなお祓いしておきました。これからのフジモリさんのご活躍とご多幸を祈念します」と。

クリスチャンの生霊?

あ、それは1996年3月末で退職した名古屋のキリスト教系女子大の短大部の同僚たちだろう。

まっことご立派なクリスチャンばっかりだったから……

あいつら、生霊になって私に憑いていたのか。

私のおかげで、あいつらのメンツ丸つぶれだったもんな。

あいつらが私を恨むのも無理はないな。

若い頃の私は容赦がなかったから。

「あのお、待ち時間の間に両腕の皮膚がピリピリしたんですが……」という私の質問に、その救霊師さんは答えた。

「あ、それは霊には自分たちが祓われるとわかるんで、抵抗したんです。怖がっていたんですねえ」と。

料金は1万円ちょっとだった。

「????」と不思議な気分のまま、私は帰宅した。

くたびれた。

翌朝に驚いた。

身体が非常に軽い!

足が軽やかに歩を進める。

鏡に映る顔の肌の色が白くなっている。

なんだか気分が明るく澄んでいる。

新学年度の授業でゼミの学生から、「センセイ、色白になりましたねーー」と言われた。

仰天した。

同僚にも言われた。

「なんか、サッパリした顔してるね〜〜色が白くなって〜〜なんかいい事あったああ?」と。

霊的に汚れてくると、顔色がドス黒くなるそうだ。

私の顔色もくすんでいたのだろう。

「ひょっとして、これは本物かも?」と思った。

で、私は、その宗教カルトに入会した。

好奇心もほんといい加減にせい!

4回ほど集会に参加した。

なにゆえか、「あなた、救霊師になりなさい。絶対に救霊師に向いている。受講料は50万円」と勧誘された。

誰がなるか。

集会は目新しく面白かった。

教祖さんも見た。

でも、「こいつらアホか……」と思った。

ときどき、そのカルトでは、「手相みます」フェスティバルみたいなものをやっていたが、私は小学生の時に人相学も手相学も勉強していたので、アホらしかった。

ネット検索して、その宗教カルトに関する批判とかも読んだ。

で、退会した。

4ヶ月で退会。

1年分払った会費の8ヶ月分は、ちゃんと返してもらった。

あの宗教カルトについてはどうでもいい。

だけれども、あの「救霊」については、あれは本物であった。

いまだに感謝している。

凄まじく体調が悪く、どうにも気分が沈んで仕方なかった私が、事実として救われたのだ。

また忙しい日々に元気よく対処できるようになった。

今では顔も忘れてしまった救霊師さんにも感謝している。

見ず知らずの他人の私のために、あの方は何時間も祈ってくれた。

ありがたいことだった。

「アマテラスオオミカミ〜〜」の言葉に、私の意志に反して頭を下げたのは、私の中の誰だったのか?

あれは私の中の真の私であったのか。

私の魂であったのか?

宗教カルトというものは、馬鹿にされ揶揄される。

しかし、その宗教カルトにも、何かしらの真実や真理はあるのかもしれない。

私が宗教カルトに入会したり、救霊を受けることは2度とない。

でも、2000年の春の救霊体験については、世の中には不思議なことがあると私に思わせた貴重な体験だった。

神道について自分なりの勉強を始めたのも、あの救霊体験からだった。

超スモール・ビジネス初体験

来年3月末で、21年に渡る単身赴任生活を終わらせる。

住居も名古屋の1カ所になる。

で、今年は暇があると断捨離している。

で、生まれて初めて、古着を売るとか、バッグを売るとかも経験した。

今の日本におけるリサイクルショップの市場は大きいようだ。

有名ブランド品ならば、20年前に購入して使っていなかったバッグとかジャケットとか、10,000円以上で買い取ってくれる。

18年前に50,000円ぐらいで買ったルイ・ヴィトンのポシェットも10,000円で売れた。これは数回は使ったのかな。

買った時の価格の2割で買ってくれるなんて……なんと。

いいのか。

zozotown様、ありがとうございます!!

zozotownで買って5回ぐらいだけ着て飽きたら、その「古着」を次にzozotownで別のものを買う時に売り、その価格分だけ新品の価格から差し引いてもらう。

というサーヴィスもzozotownはしている。

ただし、zozotownに「お客様登録」して購入してくださいね〜〜

でないと、購買記録に残らないです〜〜〜

買ったものを買ってくれる(ややこしいね)ならば、同じ買うならzozotownで買おうか、となるよね。

zozotownは、すっごく多くのブランドを扱っているからね〜〜

zozotownは、商売うまい!!

しかし、そこそこ知られた国内ブランドのバッグの買い取り価格は、zozotownでも安い!

みなさん、バッグや衣類を買うときは、売るときのことも考えるといいかもしれません。

有名海外ブランド品を買えるまでは買わないとかの選択も大事ですね〜〜

とはいかないか。

今は、どこの中古品買取業者も、連絡すれば、梱包用バッグや段ボール箱を送ってくれるしね。

便利だ!!

実は今までも、断捨離は時たまやってきたが、何でもかんでもブランド品もファストファッション系も、ガンガン廃棄してきた。

なんだ、買ってくれるんだ。

知らんかった。

最近のリサイクル市場について無知だったわん。

ほんとに、のん気な世間知らずのババアだわ、私。

福山市立大学に来てからずっと貧乏だったのに、なんで利用しなかったのかしらん。

もう中産階級じゃなかったのに。

で、思った。

書籍は段ボール箱に詰めて古書店に送りつけて終わりだったけれども、本もきちんと売ろう。

私は、雑本の類を発売されるとどんどん買って読んで、どんどん廃棄してきた。

でも、読みたい人に売ることができれば、本も嬉しいだろう。

雑本の類は、線も引かずに斜め読みなんで、本の状態も綺麗なんで、ちゃんと商品になるよ。

ということで、amazon.co.jpのFBAに登録した。

amazonの古書販売は、売主が梱包発送するのと、梱包発送はamazonに任せるのと、2種類ある。

私は、まだ勤めがあるので、梱包発送はやってられない。迅速に対応できない。

でも、FBA(fulfillment  by amazon)ならば、買主の希望に応じて翌日配達のサーヴィスも提供できる。

amazonから郵送されるので、迅速である。

もちろん手数料は取られる。あたりまえだ。

売れない商品の保管料もかかる。一月で本1冊で5円くらいは払う。

だから、サッサと売れる本でないとまずいよ。

価格を1000円に設定すれば、そこから郵送料とamazonの手数料を引かれれば、私の手に入るのは、だいたいが500円だ。

大雑把に考えれば、そうなる。

価格を500円に設定すれば、私の収入は50円もない。

ならば、安く買われるにしても、Book Offに持っていく方が簡単でいい。

が、私は、こーいう超スモール・ビジネスに挑戦(?)してみたかった。

長く給与生活者として生きてきたんで、こういう「自営業」に憧れ(?)がある。

しかし、面倒くさいことは面倒くさい。

インターネットで売りたい本を登録し、本の状態を登録し、価格を設定し、バーコードを印刷し、バーコードを商品に貼り付け、梱包し、本をamazonの指定の倉庫に送る。

バーコードの印刷は、バーコード用シートに印刷する。

梱包だって、適当な大きさの段ボール箱が必要だし、丁寧にしないといけない。

商品だもの。

いろいろドタバタして、ひとまず9月1日に19冊送ったら、9月4日現在で9冊売れた。

売れるのは、やはり出版されたばかりの本だ。

労力とか、バーコード印刷用紙代とかの「初期投資」とか、amazonの倉庫に「商品」を送る送料とか考えれば、身入りは非常に少ない。

「小銭」程度の収入にしかならない。

しかしだ!

これが面白いのだ!

「先生」稼業で、給与が毎月出て、ボーナスが出るのがあたりまえの生活をしてきたので、小銭とはいえ「稼ぐということ」が、これだけ面倒くさいとは知らなかった。

1,000円を稼ぐのって大変だ!!

1,000円って貴重だわ!!

1,000円の重みよ!!

5,000円稼げれば、すっごく嬉しいよ。

ということで、今は大量のCDを処分しようとしている音楽好きの家族を制止している。

無職になったら、私が売るから!と言って止めている。

全部バーコードを貼り付けて売るから!!

しばらく自宅が倉庫状態でもいいじゃないの。

「あなた、退職後は本気で今度こそ勉強するんじゃなかったの?こーいう作業は、あなたに1番向かないよ。口説の徒でしかないんだから、あなたなんてさ」と言う家族の真実の直言を無視する。

ふん。

わかっとるわい。

私は無能だ。

わかってる。

勉強はするよ、ずっと。

でもさ、ほんとの真実も情報も庶民の私ごときに届かない。

勉強してもさ……御用学者の書いてるような類の本なんかで勉強してもさ、騙されるばっかりだ。

超スモール・ビジネスに従事するのも勉強だよ!!

自分で売ってみると、金銭感覚が是正されてくる〜〜〜〜♫♬

さて、どこまで続くやら。

以下に、私が超スモール・ビジネスやってみようと思わせてくれたり、参考になった本のURLを載せておきます。

うーむ。

ほんとは、私自身が生産したものを商品にできればいいんだけどね〜〜

でも、ともかく、私は自分の貧乏から逃げないわん。

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