本日は2024年4月4日木曜日です。
昨日の3日の夜は、なんか急に気になって、クローゼットの中のバッグ類をいろいろ断捨離した。
断捨離に限りはない。
まだまだまだまだいっぱい断捨離対象物があるぞ。
こういう作業を繰り返して、物欲が消えて行く。
私は自由になって行く。
私の経済力で購入できるもののほとんどは、中途半端な品質だ。結局は廃棄することになる。
だから中途半端なものは買っちゃいけないと、あらためて思う。
超高級ブランドなら資産になるけどね〜〜
買った時の価格の4倍するんだって。エルメスのケリーバッグとかだと。400万円以上かい……
100万円くらいなら、ボーナスを無駄使いせずに購入しておけばよかったな。20年くらい前に。
まあ、買えたとしても、持って行く所がないけどさ、私では。
でも、家宝にしてしまい込んでおいて、時折り、箱から取り出しては、ニタニタと笑うべきだった。
ケリーバッグを勤務先や学会に持って行ってもしかたないよ。
あんな貧乏くさい所には、ナイロン製でいいんだわい。
あ、でも夏と冬のボーナス月には、100万円以上は住宅ローンを返済してたからな、無理だったな。
もうなるたけ早く完済したかったからね。一部繰り上げ返済を何度も何度も繰り返していたからね。
それでも予定より時間がかかっちゃった。
私が労働のストレスでプチ買い物依存症になってたからだわん。
と、どうでもいいことを思い出す。しょうもな。
一昨日の4月2日の晩は、夕食後に夜桜見物に出かけた。
名古屋の鶴舞公園の午後9時半でも、火曜日なのに花見客がいっぱいだった。
酔っ払いが下品に騒いでいるわけでもなく、若い人たちがはしゃいでいる声が聞こえるくらいで、お行儀のいいお花見客ばかり。
これぞ、ホワイト社会のコンプライアンス遵守のお花見。
みな楽しそうで幸せそうだった。
いいなあ、こういう風景。
でも、翌日3日から天気が崩れて雨が降り、花がかなり散ってしまった。
せめて今週中は雨知らずで、咲いてて欲しかったのになあ。
これじゃあ、今度の週末はちょっと寂しいなあ。
来年の春も、平和に夜桜とお花見客を見物できますように。
以下は名古屋は鶴舞公園の夜桜です。この公園は、国立名古屋大学病院の向かいにあります。
屋台もキッチンカーも昼間からいっぱいいっぱい出ますよ。
今年の3月15日から4月7日までは、鶴舞公園の「さくら祭り」なのです。
「願わくは 花の下にて 春死なん その如月の 望月の頃」
鶴舞公園の夜桜を眺めていて、この西行法師の歌の気持ちがちょっとわかったなあ。
なあああんか非現実的な空間に来ちゃったって感じで。
しばし、ボオオオオ〜〜としました。
如月(きさらぎ)ってのは2月だから、桜なんて咲いてないだろうと言わないように。
旧暦の2月ですから。
ついでに、平安時代は温暖期です。気温が高い時代だったのです。
でなきゃ、あんな寝殿作りなんて、風通しの良過ぎる家屋なんか作らないって。
だから、西行法師の「如月の望月の頃」って、今の3月の後半ですね。
桜は咲いてます!
それはさておき、本日は以下の本を紹介いたします。副島隆彦氏の『ヨーロッパの王と大思想家たちの真実』(秀和システム、2024)です。
そりゃさあ、副島隆彦歴史本というのは、織田信長は伴天連によって爆殺されたとか、徳川家康はすり替わったとか、教科書日本史に慣れた人からすれば、とんでもないでしょう。
「そんなもん、根拠も何もない作り話じゃないか」って言うあなた!
そう、そこの、あなたに訊きたい。
作り話じゃないものなんて、どこにあるの?
みんな作り話でしょーが。
科学も政治も歴史も経済も、みんな作り話でしょ。
「ということになっています」ということでしかない。
真実でも事実でも真理でもないんよ。
多くの人が、それが事実だと思い込んでるだけでしょ。
同じ事故の目撃者が5人いたら、5人の話はぴたりと一致しない。
ひとりひとりの見ている世界が違うから。
ひとりひとりの脳は、同じことを把握していないから。
つまりはさ、この世界は、デカルトが言うように、物質と思考しかないんよ。
確かにそうよ。この世界は物質でできていて、その物質に人間の脳が生み出す思考が働きかけて物質が変化して、でもって世界は変わる。
知的生命体の思考が加わらない世界は無よ。
見る存在(知的生命体)がいないのだから、あっても存在しないのと同じよ。
私なんて、「霊があなたを見ている」とか聞くと、見るというには視神経があって、見るものを映し出すレンズがあって、その情報が脳に送り込まれるということだけれども、あなたを見ている霊ならば、その霊には視神経があって、脳があるに違いないけど、それは透明なの?とか考えてしまう。
それはさておき、思考のことを、デカルトはl’espritと呼んだ。
エスプリって何?spiritって何?
それは物質ではない。
あくまでも人間の脳が生み出すものがエスプリです。スピリットです。
でもってね、副島隆彦氏の『ヨーロッパの王と大思想家たちの真実』はね、ヨーロッパの歴史つーのは、人間の思考によって世界の物質は変わっていくのであって、神が決めるんじゃないというデカルトの考えを徹底的に憎み潰してきたバチカンキリスト教に呪われてきたと示唆するの。
どれだけの自由な思想家たちが、バチカンによって暗殺されてきたことか。
王や女王のような最高政治権力者たちでさえ、バチカンの思想統制には屈しざるをえなかった。
現在でさえ、アメリカ大統領の就任式には各キリスト教の宗派のトップがいるところで、聖書に手を当てて、新大統領は宣誓する。
政教分離してないんかい。
英国王室の王の就任式には、英国国教会のトップが先導する。
そんなもん形式でしかない?
形式は形式だけでは済まないんだよね。
世界のことは神が決めると言い立てるバチカンの呪いはね、いまだに消えていないでしょ?
教会も聖職者たちも、いまだにエスタブリッシュメントですよ。
相当に弱体化はしてるけどさ。
カトリックのイエズス会の上智大学の大学入試偏差値が落ちてるらしいけど、今後は、ミッションスクール系はみな偏差値が落ちるよ。
私が卒業した南山大学ってのも、カトリックでドイツ系の神言会が母体。
ぶっちゃけて言えば、ヨーロッパのキリスト教世界への憧れみたいなものがあったからこそ、名古屋地区では人気のある私立大学だった。
なあああんか、ハイカラな香りがしたわけですね。
名古屋にはプロテスタント系の男女共学の大学はない。
その南山大学も偏差値は落ちたです。
呼応するように、名古屋のキリスト教系女子大の人気も落ちている。
憑き物が落ちたみたいに。
ヨーロッパへの憧れが消えたんよ。
キリスト教世界への憧れも消えたんよ。
南山大学もさあ、教会のステンドグラスとかさ、高く聳える十字架の尖塔とかさ、神父さんの儀式とかさ、まあ、そういうカトリックグッズで、新入生を洗脳してくれたもんよ。
私も、けっこう洗脳されましたです。
「でも、結局はヨーロッパの帝国主義の先兵だったんだよな、キリスト教って」と私が気がついたのは、大学4年の時よ。
卒論制作のためにMark Twain(1835-1910)を読み始めたからよん。Twainって、すごい人だったんよ!学歴なんてないけどさ。物事の本質を鋭く捕まえる人だった。同時代より200年先を走っていた。脳が。
彼が大嫌いだったのが、思想統制。物事を神秘化して事実を明らかにしないこと。
だから、彼は文壇では出世もせず、子ども向け物語作家&漫談家と思われていたけれども、ほんとはヨーロッパ世界の呪いと欺瞞を見抜いていた文明批評家。
スコットランド系フリーメイソンであったらしいけれどさ。
なんで、こんな人が、あの頑迷キリスト教世界のアメリカ南部の辺鄙な村から生まれたんだ?
彼の祖先はスコットランドで偉かったのかもね。
キリスト教バチカンは、植民地支配の前に、ヨーロッパ自体の支配もしていたからね。
支配というのは被支配者が自分から服従してくれれば一番便利だからさ、で、神の摂理に従順にと教え諭すことは、神の代理人たる教会に従順にってことだから。
ヨーロッパの教会は地方行政の単位でもあったしね。教会が住民の生死も結婚も記録してたからさあ。教区の教会は、役所で警察で裁判所みたいなものでもあった。
で、その制度を真似て、江戸時代の為政者は檀家制度を作って、氏子制度作って、寺社による住民管理監視をさせたんでしょ。
伴天連に教えてもらったんだわさ、その方法は。
檀家制度や氏子制度なんて、戦国時代にはなかった。江戸期から。
で、日本人の脳に墓、葬式、先祖供養、法事に、前世だの後世だの、カルマだの因果応報だの、転生ファンタジーだのを埋め込んだんでしょ。
みいいいいいいいんな、人々の思考を支配したからこそ可能になったこと。
それについての善悪は問いません。
支配者というものは、被支配者の統治をしなきゃいけないんだし。
私が言いたいのは、ともかく何だって、神が為したことじゃないということ。
人間が為したこと。
人間の思考が為したこと。
人間の歴史って、物質に働きかけて物質を活用した人間の思考の軌跡よ。
となるとさ、私たち個人の人生だって、自分の思考によって物質に働きかけるプロセスよね。
同じワンルームの部屋でも、住人の思考と、その思考を物質に作用させようとする行動によって変わる。
しょうもないこと考えてると、しょうもない人生を作っちゃう。
夢を見るならいい夢を見ないと。
面白い思考を持たないと。
今の時代は、デカルトを暗殺したバチカンキリスト教の神父の思考の枠を破って、ヨーロッパの人々もバチカンの呪いから抜け出しつつある。
日本人は葬式仏教の呪いから抜け出しつつある。
どんどん、自分の思考が枠にはめられていたことに気づく人々が増えている。
だから不登校も増える。
引きこもりも増える。
ある程度のカネを貯めたら、仕事辞めてアルバイトで暮らすFIREも出てくる。
ブラック企業に我慢しないで辞職代行業に依頼してでも退職しようとする。
セクハラ、パワハラ、モラハラを我慢しない。
離婚も増える。
家庭を形成維持することが、必ずしもいいこととは思えないから。
親に寄生し続ける子どもは捨てる。
毒親も捨てる。
異質の共存ということがわからない男は捨てる。
搾取的な寄生虫女は捨てる。
はちゃめちゃに見えて、今の時代は、思考にはめられた輪っかを取りつつあるの。
無規範に見えるけれども、無秩序に見えるけれども、いずれ落ち着く。
人類って、やっと自由に思考するという自由を獲得したのではないの?
でもって、その自由な思考と物質のすり合わせをすれば、無駄に現実逃避にもならないでしょ。
自由な思考とは、気ままで破壊的な妄想とは違うってことをわかっている人にとってはね。
ま、色々なことを考えさせられた副島隆彦氏の『ヨーロッパの王と大思想家たちの真実』でした。
以下は、Amazonに書いたレヴューです。
(転載はじめ)
本書は力作だ。非常に非常に面白かった。
高校時代の世界史の意味不明さに悩んだトラウマで、西洋史は日本史よりも訳がわからんからいやだなあと思いつつ読み始めたら、読み終わるまで止まらなかった。
頭が硬く鈍い読者には、本書はヨーロッパ近代史を駆け抜ける副島仮説の漫談風詰め合わせに見えるかもしれない。まあそれは事実ですよ。
しかし、その表層の下にあるもの凄さを素直に認めよう!
なぜならば、副島仮説のヨーロッパ近代史の方が筋が通っているから。
全体像が見えるから。
ヨーロッパの近代史を貫く大きな思想闘争が見えるから。
その思想闘争を利用したり、その闘争に牽制利用されたりする王や女王の生々しい人間臭ささが見えるから。
どの国が一番に悪辣で知能指数が無駄に高いのか、こうやって俯瞰すればよく見えるから。
著者の副島隆彦氏が書いているように、本書は世界史の教科書のような「事件の羅列」ではなく、欧州の近代史を作ってきた各国の王や女王たちの動きを「横に横につないで、この時、他の主要国がどう動いていたかを同時並行で描く」ことに挑んでいる。
同時に、その王や女王たちに、その時代の傑出した思想家や知識人がどう関係したかを明らかにして、ヨーロッパ近代という時代を鷲掴みにして読者に提示している。
ヨーロッパとはキリスト教バチカンに脳の奥深くまで呪われた空間なんですね。
ヨーロッパの帝国主義に巻き込まれた他の世界(アジアやアフリカ)もまた、その呪いから未だに解放されていない。
まず本書の記述は1547年の英国王ヘンリー8世の死から始まる。フランシス・ベーコンはエリザベス1世の隠し子という説から始まる。
英国内のカトリックと国教会の対立という問題と、奇妙な処女王(なはずないでしょーが)の奇妙な生き方が交錯する。
確かに、あんな田舎の村からシェークスピアみたいな多作な文豪が生まれるはずない。Stratford upon Avonに行けばわかるって。
次は1650年のデカルトの暗殺。犯人はカトリックの神父。デカルトはカトリック、バチカンから徹底的に憎まれた。「この世は物質と人間の脳が生み出す思考の二つからできている」と言ったから。
つまり全知全能の神なんて存在しない。それは人間の思考の産物。神の摂理で世界が動いているわけじゃないと、暗に言っちゃったから。
このことは、21世紀の今でも大っぴらにハッキリ言うと、人非人を見るような眼差しをいっぱいに浴びるはめになる。いや、ほんと。似非スピリチュアルに汚染されてきた日本でも、そうです。
1748年に、今のドイツのプロシアの王フリードリッヒ2世にオーストリア王位継承戦争でマリア・テレジアが負けた。
そのハプスブルク家の女家長に帝政ロシアのエリザベータ女王とフランスのポンパドゥール夫人(ルイ15世の愛人)が加勢して、フリードリッヒ2世と7年戦争が始まる。まあ、ほんとうに戦ったのは末端の兵士や傭兵だけれども。
しかし、3人の女性権力者の「ペチコート同盟」(副島氏はパンティ同盟と呼べばわかりやすいと書いておられる。確かに忘れない)は、フリードリッヒ2世に負けた。彼を援護射撃する英国の深謀遠慮に負けた。
自分は陰に隠れて、ヨーロッパ大陸の各国を操作して対立させ弱体化させる英国。ターゲットになるのは、特にドイツ、フランス、ロシアですね。
これ、未だに続いている。ウクライナ戦争で疲弊するのは、どこでしょう?得をするのは、どこでしょう?
こんな短いレヴューでは、本書の全貌を紹介できないが、まずは134頁の思想家の相関図、147頁と177頁の物質と思考の二元論を唱えた思想家たちの図、150頁の「ヨーロッパの王と大思想家たちの生死の重なり」 の表をご覧ください。それだけで、何かは伝わります。
ヨーロッパにかけられたバチカンの呪いは巨大なので、その呪いを粉砕しようとする思想家たちと呪いに屈する思想家たちの対立はダイナミックです。その対立に関与する王や女王たちの生き方も、また変態じみて人間臭くダイナミックです。
こうして比較すると、日本の南北朝とか戦国時代の対立なんて微笑ましいものかもしれません。
私は、今までの副島氏の歴史書のおかげで、初めて、ルネサンスなるものが何であったのか、アメリカ合衆国とは何であるのか、薄らぼんやりではありますが理解できました。本書からも大いに学びました。副島氏と担当編集者の方に感謝いたします。
(転載おわり)
世界は物質とあなたの思考で成っているから、しょうもないことで自分の思考を縛らないこと。
あなたの人生がしょうもないのは、あなたの思考がしょうもないから。
この本もいっしょに読んでね!
ルネサンスの次がヨーロッパ近代ですからね!
ものすっごく面白いですからね!