散々だった瀬戸内海感謝お別れのミニ旅

本日は2017年2月28日火曜日だ。

本日は絶食しておとなしくしている。

転居に必要な事務手続きだけ電話でしまくっている。

一昨日の26日に桃山学院大学の大学院で教えた人が沖縄から福山に遊びに来てくれた。

で、夕食を福山が誇るミシュラン店&名店「なかくし」さんでご一緒した。

翌日の27日は、観光タクシー使っての「しまなみ海道と尾道」ミニ旅に出かけた。

出発は朝の10時で、午後5時から6時の間に福山に戻ってくる予定のミニ旅。

私も名古屋に戻ったら、瀬戸内海の多島美を楽しむことなどできなくなる。

良い機会だから、「瀬戸内海感謝お別れのミニ旅」やろうと思った。

瀬戸内海の豊かな海の幸には、ほんと慰めてもらったもんね〜〜

お刺身ね〜〜牡蠣ね〜〜サワラのタタキね〜〜タタキはカツオじゃなくてサワラね〜〜♫♫

ところがだ!

瀬戸内海に浮かぶ多くの島々をつなぐ橋や凪いだ瀬戸内海を眺め、因島に建てられている(生島出身の)ナントカという有名画家の美術館に行き、大三島の大山祇神社(おおやまづみじんじゃ)に参拝し、来島海峡大橋を見下ろせる亀老(きろう)山展望台に行き、瀬戸内海の絶景を堪能したところまでは良かった。

そこまでは、実に良かった。

教え子さんとも話が弾んだ。

なのに、亀老山展望台から尾道に向かう(つまり福山に戻る方向ね)ときに、私は吐き気を催してしまった。

何度もタクシーに止まってもらい、側溝に嘔吐した。

なんだ、なんだ、どうしたのか!?

サービスエリアではトイレに籠城して嘔吐しまくった。

大山祇神社前のお店でランチに食した価格2000円ちょっとした「特上海鮮丼」を全部吐いた。

特上海鮮丼でっせ……特上よおお〜〜〜

なんか、やたら味付けが濃いなあ……と思わせる海鮮丼であった……

あれは素材が古いのを誤魔化すためであったらしい……

あ、例の有名店ではないですからね!

そこは、もうズラリと客が外に並んでいた。

台湾人のお客さんが多かったようだ。

ところで、新鮮ではなかった特上海鮮丼……

私も、教え子さんと同じ「鯛釜飯セット」にしておくべきであった。

あれ美味しそうだったわ……

とにもかくにも、吐き気と全身の倦怠感と胃の痛みで、尾道に行くのはもう無理となった。

そのまま福山の自宅のあるマンションまで直行してもらうことになった。

全部吐いたと思ったら、まだ駄目で、自宅マンションの花壇にも吐いた。

帰宅してからも午後9時過ぎくらいまで苦しかった。

お白湯一杯飲む気になれなかった。

なんで、こーいうことになるの!?

せっかく教え子さんが沖縄から来てくれたんよ。

楽しんでもらいたかったよ!

私だって転居や研究室の退去でドタバタ忙しい中を、ちょっと気分転換で旅情を味わいたかったんよ!

なのに、なんで嘔吐だ!!

サルトルかよ!!

教え子さんも、尾道行きが楽しみで、原田知世の「時をかける少女」のDVD見てきて予習してきたのに。

時をおおおおお〜〜〜かける少女おおおおお〜〜〜愛は輝く船えええ〜〜♫♫

なのに、かつての教師はゲーゲー吐いてる。

元気の良かったセンセイも還暦過ぎて疲れたババアになってる。

しかもゲロ吐いてる……

なんやねん……

観光タクシーの運転手さんにも申し訳なかった。

しかし、教え子さんも、運転手さんも嫌な顔せずに付き合ってくれた。

せっかくの「瀬戸内海感謝お別れのミニ旅」は、散々の状態で終わった。

まず、引っ越し作業でくたびれていたんだろうなあ。

そこに、新鮮度の落ちる「特上海鮮丼」を食した。

そして、標高300メートル超える亀老山展望台に登った。

この展望台つーのが、手抜きでさあ。

隈ナントカという名前の有名建築家が設計した「建築に見えない建築」だそーだが、ただただ上がり辛い鉄骨だかスチールだけで作られた階段でできてるだけ。

身体障害者や私みたいに脚の悪い人間のことなんか何も考えていない巨大なジャングルジムみたいな展望台。

そりゃ、標高300メートル超える山の頂上から見える瀬戸内海と瀬戸内海に浮かぶ島々ですからねえ、絶景に決まってる。

それはもう〜〜〜絶景。絶景絶景絶景絶景絶景絶景絶景絶景絶景!!

言葉を失う。

絶対に見るべき価値あり!!

(教え子さんです。絶賛婚活中です。41歳です。高収入です。読書と旅が好きな教養人です。育ちいいです!心遣いのできる人です。いいお婿さんになります!20代30代の女性希望!初婚!よろしくお願いします!)

しかし……絶景なのに怖かった……

高所恐怖症だから怖かったんじゃない。

この写真に写っている「来島海峡」(くるしまかいきょう)というのは、海難事故が古代から多くあったところだ。

どんだけの数の船が沈んでいるのかわからない海域だ。

岩礁が多くて船が事故に遭いやすい。

私は、この絶景を眺めているうちに寒気がして心臓が痛くなった。

2月の末とはいえ、穏やかな晴れた日であり、寒くはなかったし、風もなかった。

なのに寒気がした。

あれは、太平洋戦争末期に沖縄の司令軍があった洞窟の小部屋に入ったときに感じた寒気と痛みだ。

その小部屋は、日本軍降伏の1945年昭和20年6月に、5人くらいの将校がたったひとつの手榴弾で集団自決した部屋だった。

たったひとつの手榴弾で5人が即死できるか!!

死ぬまでどれだけ痛み苦しんだろうか……

もしくは、あれは、ひめゆり部隊が野戦看護婦として徴用されて篭っていた洞窟前か塹壕前に立った時に感じた寒気と痛みだ。

もしくは、あれは、自殺の名所の日本海は東尋坊に立った時の寒気と痛みだ。

桃山学院大学のセミナーハウスがあった和歌山県白浜の絶壁近くに立った時の寒気と痛みだ。

もしくは、京都の念仏寺で感じた寒気と痛みだ。

つまり、不成仏霊がウジャウジャいる類のところで私が感じる寒気と痛みだ。

うわああ〜〜〜

来島海峡の海の上には、標高300メートルあたりにも、海難事故で浮かばれない霊がウジャウジャ。

うわああ〜〜〜

私の亡き母は霊が見える体質だったけれども、私は断じて見えない。

見えてたまるか。怖いわ。

でも、寒気とか心臓の痛みとかはあるんですね〜〜〜

ベランダなんかで寒気感じると怒鳴って追い払って終わりなんだけれども。

夏でも私はハイネック。ハイネックでない場合は首にショールを巻く。

デコルテを晒すなんて、とんでもない。

霊は首の後ろから入ってくるんよ。

欧米の女性の正装ってデコルテ晒すドレスでしょ。

だから西洋人女性はエロス過剰気味なんじゃ。

色情霊に首からガンガン入り込まれるんじゃ。

しかし、来島海峡大橋をはるか見下ろす亀老山展望台にいた不成仏霊は1柱や2柱ではなかったぞ。

ということで、私の一見食中毒風嘔吐は、疲労と、あまり新鮮ではなかったナマモノと、霊障のせいであったらしい。

Facebook友だちの若い看護師さんによると、私は胃腸が丈夫だったからこそ、胃がノロウイルスっぽいナマモノを受け付けず吐くことができたのだそーだ。

ほんとにノロウイルスだと、嘔吐と下痢の中で死ぬケースがあるそーだ。

上から下からゲーゲー吐いて死ぬそーだ。

難儀やわ。

看護師さんにとっては、そういう患者さんの死後の掃除が大変だそーである。

嘔吐と下痢だもんなあ……

大量のカレーライスを床にぶちまけたのを掃除することを想像するだけでも心が萎えるわ……

だから、私の場合は、大難が小難になったと言えるらしい。

嘔吐だけで済んだ。

嘔吐と下痢で死ぬはめにならなかった。

おお、これも、来島海峡大橋を見下ろす亀老山展望台に来る前に、大三島の大山祇神社で「神恩感謝」のご祈祷を挙げていただいたからであろうか。

月曜日だったので、参拝客もほとんどいなくて、清浄な神気に満ち満ちていた大山祇神社であった!

私が嘔吐しただけで済んだのは、「こいつ、ノロウイルスで死ぬとかわいそーだから、早いとこ嘔吐させちゃえ」という大山祇の神様のご加護だったのでしょうか。

私ときたら、恩ある瀬戸内海の島々と海に感謝するつもりが、島々のあちこちの側溝を嘔吐で汚してしまってきた。

感謝するどころか、汚してきてしまった。

申し訳ないです。

ほんと申し訳ないです。

犬が縄張りにオシッコするのと同じで、この際、しまなみ海道は私の吐瀉物により私のテリトリーとなった……

ということに強引にさせていただき、あらためて感謝の旅をさせていただこう。

ご縁は続くよ、どこまでも。

凡人が自分に正直に生きてたらホームレスになる

本日は2017年2月25日土曜日だ。

本日は昼下がりに福山市内の廃棄物処理会社の方に来ていただいて、見積もっていただく。

家具に電化製品に不要書籍とか処分していただかねばならないよ。

もう2月も終わりだ〜〜焦ってしまうぞ〜〜

3月13日には退去だぞ〜〜引越しだぞ〜〜

名古屋に帰るぞ〜〜

ところで、今日は、「自分に正直に生きろと言われますが、そんなことやっとれん!」という話を書く。

私が、自分に正直に生きていたら、とうの昔にホームレスだったろう。

こう書くからといって、私はホームレスの人々を軽蔑しているわけではない。

ただただ正直であるなあ……と思うだけだ。

私の場合、自分にとことん正直にしていたら、働かない。

賃金労働しない。

興味もない人々相手に「社交」しない。

挨拶もしない。

家事しない。

洗濯しない。

洗濯したくないから、下着は裏表に履けば2日分だ、などとやりかねない。

ほんと。

掃除しない。

埃が溜まっても見ないことにしておけば苦にもならん。

ベランダは廃棄しないゴミ袋いでいっぱいになるだろう。

料理もしないね。

台所は賞味期限切れの食品ばかりになるだろう。

冷蔵庫の中は腐った野菜でいっぱいになるよ。

ピザのデリバリーに飽きたら、スーパーマーケットのお惣菜だけですます。

それも面倒くさくて食わない。

髪も洗わない。

痒くなっても2週間もすればおさまる(と思う)。

私は、ほんとは無茶苦茶に怠惰ですからね〜〜〜

ボケっと空を眺めて寝たいときに寝て、起きたいときに起きて、食いたいときに食って。

学校なんか行かない。

ゲゲゲの鬼太郎だ。

よく「ゴミ屋敷」とかが話題になるでしょう。

あれ、私的には全く他人事ではない。

ほんとは、ああなりかねないんよ、私は。

一時期「ショッピングバック・レイディ」とか、アメリカのホームレスの女性のことを呼んだでしょう。

自分の持ち物をショッピングバッグいくつかに入れて持ち運びつつさまよい歩く高齢女性。

もうそれは、絶対に他人事じゃない。

ただし私の場合は、カート付きスーツケースのリモアに寝袋とか、アイン・ランドの「水源」とか、「ゆびのばソックス」を大事に大事に詰め込んで、スーツケースをゴロゴロ転がしながら、フラフラ歩くだろうけれども。

「自分に正直に生きよ」という教えを実践していいのは、その自分自身というのがスペシャルな人よ。

「自分に正直に生きる」ことをしていいのは、非常に才能豊かで、自分に正直に生きたら有意義な人生が展開する類の人物であるよ。

私みたいな凡人以下の人間が、自分に正直に生きたら、ただのゴミだ。

私みたいな類の人間は、他人の目や世間の目を意識して、したくもないことして生きるしか、「まともには」生きられなかった。

退職を前にして思うことは、自分にめいっぱい嘘ついて、自己欺瞞をして、働いてきて良かったな、ってことだ。

世間体のいい職種に就けるように頑張り、その職にしがみついてきて良かったな、ってことだ。

書きたくもない論文というゴミを書き、したくもない学会発表をして、そのストレス解消で買い物依存症になったり、大食いしてデブったり。

それでも、ともかく、自分の職にしがみついてきた。

辞めたいと思わない日はなかったけれども、「私に何ができるねん。なんもできんわ・・・」と思い、職にしがみついてきた。

こうも思うよ。

自分の「持ち家」がないと、高齢になって働けないときに家賃を払うのはいやだから、狭いマンションでも買っておくか……と思って買って、還暦前にローンを完済しておいて良かったな、って。

むっかつくなあ〜〜と思って嫌いな奴ばかりといえども、上司や同僚とふつーにつきあって、ややこしい確執もなく過ぎて良かったな、って。

どこに行っても、わけのわからん不快な人間は棲息してるからね。

私だって、他人からすれば、相当に不快な人間だろうからね。

ということで、「自分に正直に生きていないわ……私……自分の人生をすり減らしているわ……」と悩んでいる方々へ。

いやいや、あなたの日々は、それでいいのよ。

「自分に正直に生きる」という言説も、いい加減なもんでさ。

ほとんどの人間にとっては、その「自分」というものの中身も曖昧模糊としてるんよ。

特別に何かになりたいわけでもない。

特別に何かしたいわけでもない。

ほんとのほんとのほんとの事を言えば、ボケっと空を眺めて食うに困らず、雨露雪風をしのぐ屋根や壁のある住まいで安心安全していられれば、それでいい……

そんなもんじゃないでしょーか。

そりゃ、自分の心に正直に生けていなければ、身体が正直に信号を発しますですよ。

腰が痛い〜〜チック症状が出る〜〜難聴になる〜〜原因不明の咳が出る〜〜円形脱毛症になる〜〜

便秘になる〜〜背中が痛む〜〜肝炎になる〜〜癌になる〜〜認知症になって現実逃避する〜〜

私だってさ、この6年間の福山市立大学勤務時代の身体的不調は、加齢のせいもあるけれども、「こんなとこ嫌い!!」の気持ちをねじ伏せて働いてきたことが要因だ。

でも、ストレスなんて当たり前だから。

嫌なことするために、自分を捻じ曲げ抑えつけるなんて、当たり前だし。

心を抑圧したんで身体的不調が出たというのも、当然の普通のことだし。

凡人以下の私にとっては、放置すればホームレスになりかねない私にとっては、「普通に人並みに生きること」に伴う苦渋を引き受けたことの引き換えに、64歳となった今、慎ましいながらも最低限食うに困らない暮らしと、雨露雪風しのぐ屋根と壁のある住まいを確保できていることが、嬉しいのよん。

しょうもない人生?

夢も希望もない人生?

矮小な人生?

「しょうもなくない人生」のイメージが私にはないので、そう言われても……

「夢も希望もない人生」と言われても、夢なんて前提としてなかったので……

希望っていうのは、生きてる限り人間が持っている内臓みたいなもんだからなあ、絶対に伸びてくる爪みたいなもんだからなあ……

「矮小な人生」と言われても、私は他人の寄生虫にはなってこなかったので……

他人の労働に寄生する貴族の人生の方が、よほど矮小だと思うけどね……

私が買って良かったもの(14) ゆびのばソックス

本日は2017年2月24日金曜日である。

写真に写っている5本指ソックスは、単なる5本指ソックスではない。

「ゆびのばソックス」といって、足の5本指をちゃんと伸ばして広げて強くするための矯正ソックスである。

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しっかりと目の詰んだコットン製である。

メリノウール製のもあるよ。

伸縮性豊か。

洗うときは、乾燥機にかけちゃダメ。

乾かすのに時間がかかるよ。

ペラペラなソックスじゃないから。

ハイソックス型もあれば、シルク製の就寝用もある。

普通の5本指ソックスも履きにくいが、この「ゆびのばソックス」は、さらに履くのに難儀する。

といっても、それも最初だけ。

だんだん慣れてくるであるよ。

この「ゆびのばソックス」を履き始めてから1週間経過!

確かに効果がある!

この「ゆびのばソックス」は、私が通っている福山市内の「歯科室むつてっせん」の院長先生と歯科衛生士さん御推薦のソックスである。

院長先生は、血管系のご病気のあとに、時にまっすぐ歩けない状態になったが、この「ゆびのばソックス」を履くようになって、まっすぐ歩けるようになったそうである。

歯科衛生士さんのお母様は、膝の痛みのために歩けなかったのだが、この「ゆびのばソックス」を履くようになって、膝の痛みにも悩まず歩けるようになったそうである。

なんでかっというと、人間の足や脚の不調の多くは、足の指がきちんと広がり伸びていないことから生じるからだそーだ。

意外と多くの人々の足の指はまっすぐに伸びていないそうである。

多くの人々の足の指は地面につかずに浮いていたりする。

もしくは、足の指が5本全部しっかり伸びずに、曲がっていたり内側に折れていたりする。

合わない靴のせいで、足の指が曲がっていることも多い。

下半身の不調は、骨盤の歪みとか股関節がどうたらとか、膝の軟骨がどうたらとか原因はいろいろ指摘される。

しかし、基本的に足の指がきちんと身体を支えていられない状態になっていることが原因であるそーだ。

足の5本指がきちんと伸ばして広げられない状態になっている人は多いそうである。

で、考案されたのが、「ひろのば体操」である。

足の指を伸ばす体操。

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本もあるよ。

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しかし、私みたいなモノグサで、体操の類は全部嫌いな私には、足の指を広げ伸ばす矯正ソックス。

それが、「ゆびのばソックス」だ。

「ゆびのばソックス」は、「ひろのば体操」を考案したクリニックが開発した商品である。

この「ゆびのばソックス」は、足の指を全部きちんと伸ばして「地に足をつけて」立って歩くために開発されたのだよ。

素直な私は、さっそく、この「ゆびのばソックス」を5足購入した。

image

1日に最低8時間は履いていないと効果がないそうである。

ならば……と思って就寝時も、この「ゆびのばソックス」を履いて眠っている。

足の冷え防止にもいいのであるよ。

「ゆびのばソックス」履いて湯たんぽで足を守る私。

何事にも極端な私。

値段が高い?

適正価格だと思いますよーー効果を考えれば。

私は、いつもは、ついつい右脚が痛くて、右脚を引きずり気味に歩いてしまう。

不安定に歩いてしまう。

この状態も2012年秋から5年目だぞ。

しかし、この「ゆびのばソックス」を履いていると、なんか安定して歩ける感じだ。

歩くスピードも少しは早くなる。

最近はちょっと出てきた膝の痛みが消えた。

なんで?

私の脚の不調は、骨盤の歪みのために右脚が左脚より3センチくらい短い状態になってるせいだと思っていた。

と同時に、足の指がきちんと伸びていないことも理由だったのか!

文字通り地に足がついていないということも理由だったのか!

私は手足も短いけど、手の指も足の指も短いね〜〜

と我が身を点検して思っていたけれども……

たった1週間経過で、足の指が伸びたような気がする。

あのね、歩くときはかかとから地面につけて大股で歩けとか、書いてあるじゃないですか。

「正しい歩き方」の本に。

私も、だから努めてかかとから地面に着くように歩いてきた。

しかし、なんと!

そーいう歩き方は白人や黒人向きらしい。

普通のアジア人の骨格だと、膝から下を使って、足の5本指をちゃんと地につけて、チョコチョコ歩きが適切らしいです。

アジア人の骨格で、白人や黒人みたいに大股で颯爽とかかとから地面につけて歩くと、腿の筋肉が痛くなるだけだってさ。

そーなのよ。

腿がパンパンに痛くなるのよ。

私はアジア人。

足の5本指をしっかり地面につけて、膝から下でチョコチョコ歩くわん。

もう「ゆびのばソックス」なしの生活は考えられない。

足の指を意識すべし!

足の指をしっかり広げ伸ばして立とう。

足の指をしっかり地面に着けて歩こう。

この「ゆびのばソックス」について教えてくださった「歯科室むつてっせん」の院長先生と歯科衛生士さんに感謝いたします!

ありがとうございます!

この「歯科室むつてっせん」は歯だけではなく、身体全体の健康を考える稀有な歯科医院です。

虫歯を削らない広島県で唯一の歯科医院です!

まさか歯科医院で、脚の不調まで改善していただくとは!

私ってラッキーだわん。

 

 

 

 

北欧高度福祉社会&人権大国の凋落?

本日は2017年2月22日水曜日だ。

名古屋の自宅の断捨離を済ませた。

追いつめられて、ガンガン処分した。

死ぬときは何も持っていけないもんね。

それでも、私は、かつて霊能者さんに「下手すると100歳まで生きますよ」と、呪いの言葉をかけられたので、そうは簡単に世捨て人になれない。

物欲いっぱい!執着いっぱい!

それでも、今の私がほんとうに必要としているものを絞り込めた!

福山に戻ったら潔くガンガンガンガン処分する覚悟ができた!

それはさておき、まっこと世は移り変わるなあ……と思うことしきりな昨今の世界情勢。

今はトランプ政権の「アメリカ合衆国主席戦略官」であり「上級顧問」のスティーヴン・バノン(Stephen Bannon:1953-)さんが、2007年に創設した保守系というか右翼系ニュースサイトの「ブライトバート」(Breitbart)の発信ニュースを読んでいたら、こんなニュースがあった。

http://www.breitbart.com/london/2017/02/21/ten-topics-swedens-multicultural-utopia-massively-failing/

このバノンさんは、超右翼で性差別主義者ということで、評判悪い。

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眼鏡かけてることも多いですね〜〜バノンさん。

このバノンさんがトランプ政権に入ったので、Breitbartを引き継いだ若き美男子のミロ・イアノポロス(Milo Yiannopolous: 1984-)さんが、つい最近になって、小児性愛を認めるような発言を責められて辞任しましたね〜〜

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「16歳の美少年にエロスを感じてもおかしくはない」みたいなこと言っちゃって。

別に発言は自由だろ〜〜感じ方は千差万別よ〜〜

と思うけど、ニュースメディアのCEOがこういうこと言っちゃいけないということで、リベラル勢力からバッシングされましたですね〜〜

いろいろトランプ政権は攻撃されておりますね〜〜

アメリカの主要メディアは圧倒的にリベラル系民主党系だからね。

どうしても、こうなる。

先日も、トランプ大統領が「スウェーデンで起きてるみたいなことがアメリカで起きちゃ困る!」みたいなこと発言して、スウェーデン政府から抗議された。

でも、移民の天国=人権大国のスウェーデンは、ほんとうは困ったことになっている。

以下は、ブライトバートが報じていた「多文化主義の天国だったスウェーデンが急速に凋落しつつある10の理由」だ。

順番は、報道記事に記されていたとおりではないですが。

1   移民に殺された女性のことをスウェーデンのメディアは報道しない。

2   スウェーデン政府は移民の犯罪をメディアに報道させない。

3   スウェーデン警察から離職者続出。大量に。移民警護がいや。国民を守りたいのに。

4  手榴弾が飛び交う移民無法地帯がスウェーデン国内にある。

5  スウェーデン国内に少なくとも55の移民無法地帯がある。

6  凶悪犯罪のほとんどが移民によるもの

7   移民のシェルターに移民が寄り付かない。強姦が多過ぎる。

8   スウェーデンの学校は移民対応のために教育の劣化が進行中

9  スウェーデンの失業者のほとんどが外国人。つまり移民。

10  移民はスウェーデン女性を強姦する。

あれあれ。

「右翼のメディア」だからデタラメとは言えないですよ。

「左翼のメディア」も、相当にデタラメですからねえ……

話半分にしても、スウェーデンきつそう。

日本みたいに綺麗事言ってるだけならいいけれども、綺麗事を本気にして実践するとまずいよ。

地獄への道は善意で敷き詰められているのだよ。

The road to Hell is paved with good intentions.

他山の石ですよ〜〜〜

かつて、冷戦終結後の日本の左翼さんたちの憧れは、北欧諸国にシフトしたよね、ソ連から。

高度福祉社会スウェーデン!! デンマーク!!

前の勤務先の男子学生なんて、「デンマーク人になりたい!」と言っていた。

「デンマーク人になると、すっごく楽なんです。どうやったらデンマーク人になれますかね?」

と、私はその学生に尋ねられた。

「1番手っ取り早いのは、デンマーク人の女性と結婚してヒモになるんだね。頑張ってね〜〜」

と、私は答えておいた。

学費、医療費が無料で、外国人にも福祉が手厚いデンマーク。

でも、その財源は税金でさ、勤勉なデンマーク人の収入から差っ引かれたオカネなのだよ。

デンマーク社会に貢献できるような技能も知識もない類の日本人が、「生きるのにラクだから」という理由でデンマークに行きたいと思うなんて。

こんな平和な日本においてでさえ、働くのが嫌だから、デンマーク人になりたいと思うとは……

どうして、そんな寄生虫根性になれるのかねえ……

と、私は呆れつつ、その学生の顔をマジマジと見たものだった。

日本人女性のヒモになるのさえ、どう考えても無理な類の容貌の持ち主であったが……

高度福祉国家というのは、まず成員数が限定されていないと成立しない。

我も我もと、その高度福祉国家に殺到したら、福祉の受益者ばかりが殺到したら、成立しない。

あたりまえだ。

高度福祉国家というのは、財源である税金を支払うことができる人間が成員の多くを占めていないと、維持できない。

あたりまえだ

だから、高度福祉国家は、前提として、閉ざされていなければならない。

成員の人権は尊重し保障するが、非成員のことまでは知らん。

これが、高度福祉国家のリアルだ。

なのに、なんで、スウェーデンにしろ、デンマークにしろ、移民の流入を認めちゃったのだろう。

もっともデンマークは移民政策を変えて、移民への福祉給付を半減したそうであるが。

当然だなあ。

しかし、スウェーデンは、そこまでやっていない。

スウェーデン社会に貢献できる類の人々を移民として受け入れるのはいいけどさ。

自国で食いつめた類の人間まで、なんで受け入れるんだ。

高度福祉国家と「移民の人権も守りますよー」の類の人権大国は、両立しない。

医療の無料化はいいけれども、医療従事者の賃金が低く抑えられているので、「こんなん、やっとれんわ」ということで、医師も看護師も海外に出稼ぎに行ってしまうのが、デンマークの現状だ。

ということで、冷戦終結後の日本の左翼さんは、憧れの半社会主義国家の北欧諸国が移民の流入により荒廃し疲弊していく現状をどう考えるのだろう。

次は、どこの国をお手本にしますか?

北朝鮮ですか?

それとも、人工知能にガンガン労働させて生産性を上げて、その収益でベイシック・インカムを実現させて、「人類牧畜化」を推進しますか?

だいたいが、自分の国の現状が酷いからと言う事で外国に逃げてくるような不甲斐ない人間なんかに、入ってこられても迷惑だろ。

移民というのは、移民が出る国というのは、その国の政治が失敗しているということだ。

その国の政治の失敗は、その国の人間が何とかしなければ何ともならないんだ。

と、生まれた国と自分自身を一体化して考える「遅れた意識の私」である。

追いつめられて

本日は、2017年2月20日月曜日だ。

昨日の19日日曜日の昼下がりは、謎の天才的中国人整体師さんに施術していただき、そのあとは「漢方蒸し」で身体を温めた。

で、その後はゆっくりすればいいものを。

施術していただき、漢方蒸しの後は、好転反応というか、疲れが出るのでおとなしくしているべきである。

しかし、私は福山発名古屋行最終の午後9時26分の新幹線で名古屋に帰ってきた。

新幹線で隣にいた乗客さんの鼻が良ければ、隣の座席の私から漢方の香りを感じたはずである。

すみません。

煎じ薬みたいな匂いをプンプンさせて。

漢方蒸しの蒸気が肌から身体に染み込むように、漢方蒸しのあとは入浴しないんである。

すみません。

若い女性ならば、煎じ薬みたいな匂いをまとって外出するなんて、新幹線に乗り込むなんてできないのだろうけれども。

還暦すぎると、どうしても無神経に厚かましくなるな。

すみません。

名古屋に着いたのは午後11時20分だった。

誰もいないホーム。

研究室の撤去、福山で借りている部屋の撤去で忙しいのに、何を悠長に名古屋に帰ってきたのか。

なんでかというと、福山から名古屋に送る書籍と衣類の量を考えると、名古屋の自宅の断捨離が足りない!

決定的に足りない!

と判断したからだ。

福山の自宅の家具や家電や布団毛布類は全部廃棄処分する。

リサイクルショップに売れるようなものもあるけど、もう時間がないよ。

一切合切、処分だ!!

でですねえ、名古屋の自宅を点検してみると、まだまだ断捨離対象のものがいっぱいある!

去年の早春から、断捨離を繰り返してきたのに、まだいっぱいいある!

本日は、靴と衣類の処分。

思い出多き衣類を資源ゴミ用ビニール袋に丁寧に入れた。

もっともっと着倒すべきだった。

最悪デブ時代にサイズがなくて既製品では間に合わずにオーダーで作ったものは生地も上質なんだけどねえ….

オーダーでは、売れもしないし、もらってくださる方もいない。

ブランドものは、すでに売ってしまったか、もらってくれる方にもらっていただいた。

やはり、ブランドものは強いね。

買うならブランド。

処分もできる。売却できる。

けっこう使い込んだバッグでも買ってくれるもんなあ〜〜

ノンブランドは価格は安くて入手しやすいけれども、処分は廃棄しか手がない。

もったいない〜〜♫♫

ブランドものを買えないなら、買わない。

度重なる断捨離を経て、たどり着いた結論。

あたりまえの結論。

つまり、買うな!

ってことよ。

これも、あまりにもあたりまえのこと。

あたりまえのことができない脳足りん人生。

明日から、天守閣の書籍を攻め落とす。

ううう……辛いよ〜〜

金曜日には、また福山に戻らねばならない。

去年の夏休みにもっともっと断捨離すべきであった。

売れるものは売っておくべきであった。

しかし、9月に入ったら忙しくなり、10月以降はもっと忙しくなり、今日に至るまで何もできなかった。

とうとう、追いつめられた!!

3月13日には福山の自宅も研究室も綺麗に空っぽにしなくてはならない。

名古屋の自宅から大量のものを廃棄しなければ、福山の自宅や研究室から持ち込む書籍や衣類は納められない。

ロッカールーム借りて保管しておくなんて、贅沢はやってられんよ。

4月から、私は年金生活者になるんだからね!

GPIF( 日本年金積立運用基金?正式名知らず)の原資の約半分の51兆円をアメリカのインフラ整備会社に投資すると政府が決めたんで、年金生活者の未来は暗い。

その投資はうまくいかないと予測しておいて、ちょうどよろし。

物事は最悪を予想しておいて、ちょうど良い。

油断しないですむからね。

ポジティヴ・シンキングつーのは、自分に都合のいいことばかり考えて、最悪のことに備えて対策をとらないでいることを意味しない。

どんな状況になっても、自分と自分の運命を信じて生きることが、ポジティヴ・シンキングだ。

と、私は勝手に定義している。

ということで、日本がどうなろうと、年金額が3割になろうと、2割になろうと、国家が破綻しようと、私は元気に生きて行くしかないのだ。

庶民には他にできることはない!

何の話か。

追いつめられてこそ、自分にギリギリ何が必要か見えてくるのだろう。

明日の天守閣攻撃=残すべき書籍選択は、長い戦いになりそうである。

日本の大学は寂しくて哀しい

本日は2017年2月18日土曜日だ。

やっと、本日で4学期末試験の採点も終わった。

答案をチェックしているとき、受講生の氏名を見ても、その受講生の顔が浮かばないことがある。

58名登録実際の受講生は53名くらいの「アメリカ文化論」でも、顔が浮かばない学生が7名くらいはいる。

私は、複数の学生から「先生は学生の名前を覚えているからいい。授業中、学生の名前を呼びながら話をする先生は、あまりいない」と言われたことがある。

つまり、私は学生の名前と顔を結構覚えている類の教師らしい。

それでも「アメリカ文化論」の受講生の7名くらいが顔がわからない。

1年生必修の「総合英語」でも、受講生が50名超えると、数人の学生の名前と顔が一致しない。

自分の担当のゼミの学生の名前と顔が一致しないということはありえない。

そーいう教員がいるとしたら、脳の病気である。

卒業論文指導も大学院生にさせて、自分は一切チェックしない教員も同僚の中にいる。

その噂を聞いた上司が事の真偽を、その同僚に問い質したら、その同僚はあくまでも断固として自分が指導していると言い張ったそうである。

この教員は早期認知症だと、他の同僚から疑われている。

しかし、誰が言えるだろうか、その人物に「病院に行って検査してもらったほうがいいですよ」なんて。

下手すればハラスメントになりかねない。

それはさておいて、自分が担当のクラスに顔と名前が一致しない受講生がいるのは、寂しい。

自分の記憶力が悪くて、学生全員の名前を覚えられないから寂しい。

ということもある。

30代や40代のときは、数週間もすれば受講生の名前は全部覚えていたのに。

しかし、今はそうではない。

学生の定員数が少ない公立大学ですら、知らない学生が多いというのは、おかしい。

それは、やはり学生定員数が多過ぎるのではないか。

2005年と2006年にロシアに行ったときに、サンクトペテルブルク大学の日本語科の准教授(当時は助教授と言っていた)と卒業生さんにガイドをしてもらった。

そのとき仰天したのが、学生数だ。

2005年当時で、日本語学科の学生の数は1学年で7名くらいだった。

7名だ。

7名。

それもペレストロイカ以降、ソ連崩壊以降は、入学時の成績の悪い学生からは授業料をとっていいということになったから、7名になったのだ。

で、2005年当時で、1学年7名の日本語科の学生のうち4名は授業料を払っていた。

ということは、だ。

ソ連時代は、日本語学科の学生数は1学年3名か4名だったのだ。

日本語学科の教員は4名と聞いた。

4年生までフルに数えて、日本語学科の学生数は7✖️4=28だ。

教員1人あたりの学生数は7名だ……

だから、当然、教員と学生の人間関係は非常に濃密だ。

「アレックスは、私にとって日本語の先生であり、コンピューターの先生であり、日本人観光客相手のガイドの仕事の先生であり、親友でもあります」

と、2006年にガイドをしてくれたサンクトペテルブルク大学日本語学科を卒業したばかりの女性が、自分の恩師のアレクサンダー・ナントカという日本語学科の准教授について語った。

28人の学生に4人の教師。

日本語学科というのは、実にマイナーな学科だから、こういうとんでもない贅沢な比率になっているのかもしれない。

とはいえ、私は羨望を禁じえなかった。

あまりの羨望に、そのことについては考えるのをやめたくらいだ。

そりゃ、そんな少ない学生数しか入学させないという強烈に贅沢なことやっていては、大学に金がないのは当然だ。

当時のサンクトペテルブルク大学の日本語学科の教員研究室は共同研究室だった。

個人の研究室はなかった。

コンピューターも1台しかなかった。

デスクも2つぐらいしかなかった。

日本語の資料は研究室所蔵であり、個人の教員が所持できなかった。

給料も低くて、観光ガイドのアルバイトをしなくては生活できないと言っていた。

「せめて、給料は2000ドル欲しい。月に500ドル相当ではやっていけない」と、准教授は言っていた。

授業も観光ガイドの仕事もないときは、ダーチャ(別荘)に行って野菜を作っていると言っていた。

2005年や2006年当時の話であるので、今は状況が違っているかもしれないが。

しかし、それにしても教員4名に日本語学科の学生が全部で28名だ。

そういう状況なら、教員は自分の持っているものを全部学生に注ぎ込める。

上級生は下級生に、これまた自分の得た情報を注ぎ込むだろう。

教師と学生の関係も、学生同士の関係も、まさに共同体だ。

4学年(3学年かもしれない。アイン・ランドは3年で卒業してるので)あわせて28名しかいないのならば、否が応でも、付き合いが密になる。

大学って、ほんとは、そういうものだろう……

私は寂しいよ。

教師を辞める最後の年度になるまで、全学生と親しく話をするような、時間的余裕は、私にはなかった。

ひとりひとりと言葉を交わしたかった。

「少人数教育の公立大学」と言われるけど、「都市経営学部」全学年600名ちょっとに、教員数25名。

この25名のうち数人は病気療養中であり、育児休暇中である。

日本語の話せない教員もいるし、早期認知症らしき教員もいるので、実質的には20名くらいの教員で600名以上の学生の相手をしている。

実際は、相手などしていないのだ。

授業や講義だけが大学教員の仕事ではないのだから。

こんなんで、「少人数教育の公立大学」と言えるのか。

どこが少人数なのか。

どこが大学なのか。

日本の大学は、寂しい。

日本の大学の学生でいることは寂しい。

日本の大学の教員でいることは寂しい。

その根本的貧しさが哀しい。

 『シン・ゴジラ』の戦車隊と閣僚たちへの疑問今頃

本日は、2017年2月12日日曜日だ。

終わった〜〜とのんびりしている場合ではない。

なのに、くたびれきって学期末試験答案の採点も放置だ。

アイン・ランドの『水源』を読んで「もう小説は読まんでいいわ。これは私の最終小説」と思ったように、『シン・ゴジラ』を観てから、私から映画鑑賞の悦びは奪われた。

『シン・ゴジラ』を8回観た私からすれば、もうあとの映画はどーでもいいのだよ。

が、昨日にamazonビデオでレンタル料390円ぐらい払って観たドイツ映画の『帰ってきたヒトラー』は、面白かったです。

原作も面白かったよ。

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ドイツって、メルケルさんの「難民100万人受け入れます〜〜」発言に見るように、非現実的な理想主義が跋扈しやすい国柄だ。

そのドイツが、ヒトラーがワープして現代ドイツに出現し、イスラム教徒やアフリカ人を嫌がる国民の声を拾ってテレビで大人気を博したり、動物愛護精神なんか蹴っ飛ばす映画を作ったとは。

おもろい。

さすがの優等生いい子ぶりっ子ドイツ人も我慢できなくなってきたか……

ドイツ人庶民も理想主義や人権思想に疲れているんね……

難民や移民が国内に入ってき嬉しいのは、難民や移民を低賃金で使いたい経営者だけだもんなあ。

メルケルさんのようなエリートは日常の生活の中で移民や難民とつきあわないけれども、庶民はね異文化と付き合わなければいけないから、難儀よ。

異文化コミュニケーションなんて、口で言うのは簡単だけど、うざいもんだ。

ところで、本日は、ずっと気にはなってたけれども、ここに書かなかった『シン・ゴジラ』に関する疑問2点について書く。

なんで今まで書かなかったかといえば、まあ瑣末といえば瑣末なことだったからだ。

でも、考えてみると瑣末じゃないぞ……と思うようになった。

ということで。

まず疑問の1

「タバ作戦」で、自衛隊がゴジラを迎え撃つシーンがあるでしょう。

鎌倉に上陸したゴジラは川崎を抜け、武蔵小杉を抜け、東京都に侵入寸前。

それを阻止せんと、陸上自衛隊の戦車部隊が多摩川河川敷に陣を張った。

そこで私は不思議に思った。

住宅や商業用ビルがいっぱい建っている地域の中を、あの戦車隊はどうやって、自衛隊の基地からこの河川敷にたどり着けたのか?

あのタイガーなる戦車は相当にでっかいのではないか?

私は陸上自衛隊の総合火力演習つーものを、富士の御殿場まで見に行ったことがある。

今の戦車というものは、非常にでっかい。

あの戦車が自由自在に移動できるような幅の広い道路があるのか?

自衛隊の基地から戦車隊が移動できるように、日本の道路は橋は作られているのか?

国道ならば大丈夫なのか?

ちょっと狭い道に入ったら、戦車に備え付けの砲台に火焔砲は道路脇の建物をなぎ倒してしまうのではないか?

ひょっとしたら、あの戦車隊は、巨大な軍用機で数台ずつ、あの河川敷に運ばれたのか?

と、ずうううーーーと心の隅っこで気にしていたら!

この元アメリカ陸軍大尉で、今は危機管理コンサルタントの飯柴智亮氏の『金の切れ目で日本から本当に米軍はいなくなる」(講談社)を、去年の秋に読んでたら!

「日本の自衛隊に戦車隊は無用。専守防衛の日本は、外国の領土に侵入しないので、戦闘があるのは、日本の国土の中になる。外国やテロリストの軍隊が日本国土に侵入したときのみとなる。でも、日本の国土は戦車が自由自在に動けるような広さがない。戦車隊持ってても無駄。売っちゃえ」

というような事が書いてあったとよ!

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やっぱり〜〜!!!

自衛隊の戦車隊は狭い日本の国土では移動すらできないんだ!!

人家をぶっ潰さないと移動できんよ、あんなでっかいものは。

消防車よりでっかいよ。

やっぱり〜〜!!!

ならば、『シン・ゴジラ』の「タバ作戦」のタイガー戦車隊は、どうやって多摩川の河川敷に並ぶことができたんじゃ。

私の疑問は尽きないの。

もうひとつの疑問について。

『シン・ゴジラ』で、閣僚たちが乗り込んだヘリコプターがゴジラの吐き出した火焔に焼かれて爆発したでしょ。

主たる閣僚が全員死亡したでしょ。

あのときも不思議だったんよね。

なんで、閣僚がほぼ全員で同じヘリコプター乗るんだ?

全員が乗るヘリコプターが墜落したら、国家の機能が停止するでしょ。

ふつうは、安全保障上は、バラバラで避難するでしょ。

アメリカで、大統領と副大統領(上院議長でもある)と下院議長と国務長官と防衛長官と、あともろもろのcabinet membersが、同じ飛行機で移動するって、ありえない んじゃないか。

先日も、安倍首相と稲田防衛大臣が、同じ専用機に同乗してたのは変だと、畏友で元同僚の国際安全保障学者の松村昌廣氏がfacebookに書いてた。

首相と防衛大臣が同時に死亡という状況に備えて、要職にある公人はバラバラで移動するのが国際政治の常識らしいよ。

やっぱり〜〜〜!!!

一般人でも、お子さんのいる(用心深い)ご夫婦は飛行機に同乗しないと聞いたことある。

事故があったら、子どもは両親を亡くし孤児になる。

そのリスクを考えて、夫と妻は敢えて別の飛行機に乗る。

わかるわ〜〜〜

これぞ危機管理。

で、私は思った。

ありがたいことに平和が72年も続いてきたので、やっぱり日本人は呆けてる んだ。

非常に想像力がある映画作家でも、戦車隊が移動できるスペースが日本にあるかどうかまで考えることはできなかった(わかっていても目をつぶったのかも)。

政治家の家で生まれて育った首相でも、のん気に防衛大臣と同じ飛行機に乗る。

のん気過ぎるわ。

平和が続いたという最高の恩寵は、恩寵だけでは終わらない。

戦争の代償もあるが、平和の代償もある。

頭が悪くなるという代償が。

 

(追記)

首相はじめ閣僚が同じヘリコプターに乗ったのは、Facebook友だちの岡山在住の女性によると、「日本の閣僚は誰でも勤まる。首相の代わりは誰でもできる」という意味が込められているんだそーです。なるほど……

これもFacebook友だちの方からの情報ですが、日本の幹線道路は戦車対応だそーです。つまり、戦車隊を基地から動かすために、他の車両は通行止めにしたんでしょうね〜〜〜

 

 終わった

本日は2017年2月10日金曜日だ。

本日で、大学の教師としての授業は終わった。

ゼミ生の卒業研究発表会が終わった。

まだ学期末試験とか採点や成績報告は終わっていない。

研究室や福山の自宅の整理は、もちろん終わっていない。

会議も少しある。

でも、大学の教師としての講義や指導は全部終わった。

この最後の1週間がきつかった。

非常に忙しかった。

先週の最終講義に送っていただいたお花のお礼状も書いていない。

e-メイルのアドレスを存じ上げない方へのお礼状も書いていない。

くたびれた。

冷えるせいか右脚も痛かった。

歩くのが難儀だった。

また杖が必要になるのかなあ……と思うくらい。

寝るときはデロンギに湯たんぽの1週間だった。

いつも授業してきた情報処理室や中講義室を、しみじみとあらためて眺めた。

いつも昇り降りする階段も、あと何回昇降するのだろうか。

アメリカの連続テレビドラマに『ER』というのが、あったでしょう。

シカゴの大病院の緊急医療室を舞台にしたドラマ。

あの主人公の医療関係者たちのひとりにDr.Greenって、いたでしょう。

あのグリーン医師は癌で亡くなるのだけれども、その亡くなる寸前に、グリーン医師の意識は、長く働いたシカゴのあの病院の中を歩き回っていた。

通路に、ナースステイションに、医務室に、病室に、手術室に、休憩ラウンジに。

すでに末期の癌で歩くこともできずに病床にいるグリーン医師は、元気な頃と同じように、白衣を着て、病院内を軽やかに歩き回る。

自分が苦闘し愛した医師の仕事の場を振り返りながらグリーン医師は亡くなる。

そのシーンを見ながら、私は思ったものだった。

私も、また自分が死ぬ前に自分の意識をかつての職場に飛ばすだろう、と。

まだ40代や50代始めの頃のように軽々と脚を進めて、キャンパスを歩き回るのだろう、と。

私が、まがりなりにも少しは教師らしくなったのは、大阪の桃山学院大学に来てからだ。

30代や40代なりたて頃の私は、どうしようもなくアホな教師であった。

教師としての努力や心労を十分にはしていなかった。

だから、桃山学院大学に移る前のふたつの職場については、死ぬ寸前の私の意識は、そこを歩き回らないと思う。

しかし、桃山学院大学と福山市立大学は歩き回るだろうなあ。

それだけ大変だったから。

客観的に見れば、どうということのない凡庸な大変さだ。

苦労のうちには入らない程度のものだ。

でも、まあ私本人にとっては苦闘の日々であったのだよ。

思い出して、楽しいとか嬉しいという日々ではなかった。

だけれども、あの日々が私の人生のハイライトだったんだろうなあ。

ドタバタ忙しく追いまくられているうちが華よ。

それが人生の華。

でも、その人生の華の真ん中で苦労しているときには、自分がどんな華の上で走り回っているかは、わからない。

過ぎてみないち、わからない。

というわけで、どういうわけじゃわからないが、お気が向いたら 下の動画をご覧ください。

本日の午後3時から100分間ほど開かれたゼミ生の卒業研究発表会のひとりの発表である。

12分くらいかな。

テーマは「新しい戦争形態」だ。

もっと明解にまとまった発表はいくつもあった。

でも、それらの動画は公開しない。

「福山市立大学都市経営学部」は、日本では生まれたばかりの「都市経営学」という学問分野を形成している途上にある。

形成している途中なので、専門性がまだ確立していない。

だから、学生は、卒業研究のテーマもほんと好きに選ぶ。

この学生は、その典型。

ゼミの担当教員がイラクにいってしまって急に退職したので、私のゼミにやって来た。

去年度に私の「アメリカ文化論」を受講していたので、私のゼミを希望してやって来た。

あと2名の男子学生も、同じ理由で私のゼミに入ってきた。

もともとが私のゼミにいる学生4人(5人いたけど1名不登校で消えた)も、好きにしかできない連中だ。

去年の秋に私のゼミに乱入してきた3名も、好きにしかできない人々だ。

でもまあ、こういうわがままな連中が好きなんだね、私は。

これもご縁だ。

ともかく、私の最後のゼミ生たちの卒業研究発表会が無事に終了した。

兵隊に使役される将校

本日は2017年2月5日日曜日である。

最終講義が終わっても、仕事はまだまだいっぱいある。

特に明日の6日から13日まで、すっごく忙しいのに、まだ風邪も治らない。

しつこいよな〜〜

ところで、本日は「人間は平等だけど、職種は違うわけだから、職の使命を果たすために、敢えて他人を使役せよ」という話を書く。

私は、大学の教員は、大学組織を軍隊に例えるならば、将校だと思う。

大学の職員は、大学組織を軍隊に例えるならば、兵隊だと思う。

将校は将校の機能を果たさなければならない。

兵隊は兵隊の機能を果たさなければならない。

はっきり言えば、将校は脳であり、兵隊は手足だ。

手足が機能するためには、脳が機能していなければならない。

大学組織の脳たる教員facultyが、ちゃんと組織の脳に徹していないと、手足たる職員administrationが機能できない。

教員の役割は、教育と研究。

大学の職員の役割は、教育と研究の環境整備管理運営である。

しかし、この区別が曖昧になる事態は、しばしば起きる。

その理由の第一は、その区別を徹底させておく最高司令塔の不在である。

簡単に言えば 、教育や研究のヴィジョンが不明確であり、研究者としても教育者としても理想もなく覇気もなく、大学行政の真似事だけしていたい類の人間が学長であると、こういう事態が起きる。

第二の理由は、「将校」たる教員が、将校らしくないことである。

本気で教育や研究に従事していれば、これは私の仕事ではない!と明確に言える。

兵隊=職員ができないことを担っている将校=教員としての義務感や使命感が曖昧であると、これは私の仕事ではない!と明確に言えない。

教員の中には、自分の教育や研究について自信がない場合に、大学行政に関与することで、その劣等感を補償する類の人間がいる。

そういう類の人間は、職員がすべきことをする。

大学教員がすべきことができないから、その補償として、職員がすべきことをする。

他の例としては、若い大学教員に見受けられるのだが、「教員も職員も平等なんだから、職員を手足扱いするなんて……」と「いい子ぶる」ケースである。

人間は平等だが、職種は違う!

将校は将校がすべきことを目一杯するべきだからこそ、兵隊ができることは兵隊がすべきである。

敢えて、兵隊は使役せねばならない。

それは、将校としての仕事をするためである。

将校としての自覚が名目だけの将校は、一見すれば、兵隊のやるべきことも担う勤勉な将校に見えるかもしれないが、ただのアホだ。

近視眼に過ぎるし、自分の職種への責任感が薄いのだ。

どーいうわけか、若い教員で「いい人」の類に、こーいうのが多い。

兵隊は兵隊であるからして、仕事量は少ない方がいいのだから、自分から進んで仕事などしない。

それができるなら、兵隊にいつまでも甘んじていない。

兵隊というのは、命令されて動くだけである。

自主的に動ける兵隊ならば、いつまでも兵隊をやっていない。

あくまでも、兵隊は命令されて動く職種である。

だから、問題は、将校の側にある。

福山市立大学は、開学まだ6年目ということもあり、将校の仕事と、兵隊の仕事の区別が、まだまだ曖昧である。

その理由は、上記に書いた理由の全部があてはまる。

司令塔の不在。

教育研究に集中できない資質の教員が職員がすべき仕事までして、自分の存在価値をアピールしてきたこと。

そういう類の教員が幹部教授であったこと。

将校としての自覚が薄い若い教員たちの、覚悟の足りない気概のない近視眼的「いい子ぶりっ子」姿勢。

加えて、福山市立大学には、特別な事情もある。

福山市立大学の職員は、プロの大学職員ではない。

みな福山市役所の職員である。

数年したら市役所内の別の部署に移動する。

いずれ福山市立大学から別の部署に移動する。

おそらく、福山市立大学の職員で、アメリカにも日本にもあるような「大学職員の学会」の会員はいないのではないか。

例えば「大学行政管理学会」とか(https://juam.jp/)。

ここは、大学行政全般に関する情報交換と研究成果を発表する学会である。

プロの大学職員としての自覚がなければ、なるたけ仕事などはしたくないし、教員にさせたがるのも無理はない。

幸いにも、気の弱い、職員の顔色を見るような教員が多いのだからして。

学長など、クリスマスには職員全員にささやかなプレゼントもしてくれるし。

しかしだ!

やっぱりさ、悪いのは、将校の自覚の足りない教員だよ。

人間は平等だ。

でも、同じじゃない。

職種が違う。

職種の義務と責任を果たすためには、あえて他人を使役する。

使役できなければ、自分の責任が果たせない場合は、堂々と使役する。

それができないみたいな奴は将校になるな。

大学の教員になるな。

「誰とでも仲良く和気藹々と協力して〜〜それが協働で〜〜〜」なんて、どうでもいい御託並べて、将校と兵隊がチイチイパッパやってるような軍隊なんか、なんもできない。

ほんとに、ここはスペシャルに脳軟化状態で緩いよな……と呆れ眺めつつ6年経過。

大学教員としても生きかたが中途半端だから、兵隊に使役される類の将校みたいな教員になるんじゃ!

私の最終講義の動画です!

本日は2017年2月4日土曜日だ。

昨日も今日も風邪で寝込んだり起きたり。

来週1週間は忙しいんだから、早く風邪よ治れ。

試験前の授業もあるし、学期末試験もあるし、卒論発表会もある。

どこまで続くぬかるみぞ。

でも、これが人生よん。

ぬかるみを歩いていないと、わからないことがいっぱいあるんよ。

ところで、2月2日の私の最終講義を、渡邊明先生(三重大学名誉教授、埼玉大学名誉教授であらせられますが、福山市立大学名誉教授の称号は要らんとお蹴飛ばしになりました)が撮影、編集、配信してくださいました!

渡邊先生、ありがとうございます!!

みなさま、お気が向いたら、ご視聴してやってください。

こういうものは、「ながら」で聴けるからいいよね。

私も、台所仕事しながら、Amazon通販の段ボール箱を解体しながら、よく人様の講演のYouTube配信をiPadで聴いている。

私に、ネット難民の類の私に、講演や講義をYouTubeで配信してみなさいと薦めてくださったのは渡邊先生であった。

最初にそう薦めていただいたときは、「えええ?」であった。

しかし、まがりなりにも、情報発信者とし生きるつもりであるのならば、身を曝すことに躊躇していてはいけないよね。

ここに、私の最初で最後の「最終講義」を配信させていただきます。

パワーポイント資料は、他の講演会で使ったものなどもリサイクルしています。

例によって例のごとく、いい間違いがすっごく多いです。

親イスラエルのつもりで、親イスラムと言っている。

婿さんのつもりで、娘婿と言っている。

トランプ政権のつもりで、オバマ政権と言っている。

脳がおかしい。

瑣末なことが気になる方々は、視聴しないほうがいいです。

悪しからずご了承ください。