シェアの時代  Share! Share!

本日は2017年1月31日火曜日である。

1月最後の日である。

あさっての2月2日に生まれて初めての「最終講義」があるのに、風邪っぽい。

微熱あり。喉が痛い。背中が痛い。だるい。しんどい。

どーするんだ。

どーもしないよ。

それはさておき、今日は「シェア」の静かなる普及と流行について書く。

きっかけは、美容院だった。

女性にとって、いきつけの美容院の馴染みの美容師さんは、親友のような存在である。

3週間や4週間に一度会い、3時間ぐらいは接する。

人によっては毎日接するかもね。

その間に、いろいろな話をする。

いろいろな話を聴く。

どこの病院がいいか、どこのレストランがいいか、どこの整体院がいいか、情報交換もする。

自然に自分の生い立ちや家族のことも話すようになる。

それが10年以上も続けば、馴染みの美容師さんは家族未満友人以上になる。

私が2005年あたりからお世話になっている美容室の美容師さんは、私より4歳か5歳ほど年下であり、ほぼ同世代である。

非常に頭のいい勉強熱心な美人である。

一流企業を定年退職なさっているご主人と、すでに成人している3人のお子さんもおられる。

家庭と仕事の両立をしてきたタフな女性である。

東京生まれの東京育ちらしく、名古屋人的な田舎モンの偏狭さがない。

お姉さんは大学に進学したが、「文系の大学を出ても食っていけない。でも理系に行ける頭じゃない」と冷静に自分を査定したそーだ。

で、美容師になった方である。

私と同世代の女性で、そこまで現実的に自分の進路を見定めることができた女性は少ないよ。

そういう女性なので、綺麗事は言わない。

偽善的なことは言わない。

非常に地に足がついている。

他のお客さんの前では知らないけれど、私の相手をしているときは「朝日新聞」みたいなことは言わない。

この美容院と美容師さんに出会うまでに、私はいろいろな美容院をさまよった。

私は、頭が悪い女性は嫌いだ。

品のない女性も嫌いだ。

ブスも嫌いだ。

センスが悪い女性も嫌いだ。

ギャアギャア無駄口の多い女性も嫌いだ。

運の悪そうな女性も嫌いだ。

そーいう人に、髪や頭を触られたくない。

あ、私は男性の美容師は想定しておりません。

すみません。

私の気難しい神経に触らなかった唯一の男性の美容師は、マンハッタンの美容院に勤めていた日本人男性でゲイだった。

ゲイは頭がいいね。

ゲイとカミング・アウトしなくても私にはわかるのだ。

ともかく、私は、長年のさすらいの末にようやく出会ったのだ、その美容院と美容師さんに。

ところが、その美容院と美容師さんがビジネス形態を変えると言う。

場所も移転すると言う。

シェアハウスとかシェアルームならぬ、「シェア美容院」に参入すると言う。

これまでは、ひとりのアシスタントを雇い、多忙な週末は「美容師派遣業者」から美容師を派遣してもらって美容院を経営してきた。

しかし、「私も2017年で還暦になるので、仕事の仕方を変えたい」と言う。

「自分のペースで自由にやりたい」と言う。

で、長年ともにやってきたアシスタントさんに転職を薦め、別の職種の資格をとってもらい、円満に解雇したと言う。

確かに、あのアシスタントさんは人柄は良かったが欲はない感じだったからなあ。

かつては、美容師はどこかの美容院に勤務し、技術を磨き、独立する例が多かった。

ところが、1970年代末あたりから美容院の数が増えてきた。

美容師の数も増えてきた。

競争が激しくなった。

せっかく独立して美容院を開いても客が来なくて経営が成り立たない事例が増えてきた。

かつては、将来は独立できて稼ぐことができると見込めたからこそ、大きな美容院に勤務し、店長を任され、夜遅くまで働いても、なんとか我慢できた。

今は、そのような時代ではない。

今は、そのような残業に対して労働基準局もうるさくなってきた。

それで、今の若い美容師さんは、大きな美容院で修行せずに、最初からフリーランスの美容師になるんだそーだ。

知らない人間から見ると、普通の大きな美容院であるが、実際はフリーランスの美容師さんが複数でルームシェアして、自分を指名する客だけを相手にしている例が増えてきたそーだ。

そういう美容院と知らずに行っても、誰も接客してくれません〜〜受付もありません〜〜

「面貸し」と言って、鏡と椅子だけのスペースを借りる例もあるそーだ。

その日に指名客の予約がなければ出勤しない。

指名客の予約希望時間については、極力対応する。

午後6時までしか営業しません、ということはない。

夜の10時でも対応する。真夜中でも対応する。

連絡は、みな美容師さん個人の携帯電話であり、店の代表電話はない。

会計も、その美容師さんがする。

で、私がお世話になってきた美容師さんは、他の美容師さんと部屋代を折半して、予約客だけを相手に営業することにしたと言う。

部屋代は、今まで20万円ほどだったけれども、今度は折半で12万円ですむし、今度のオフィスは駅に近い。

8万円の場所代圧縮。

それは大きい~~~!!

場所代だものね〜〜〜問題は。

支出削減のためには、家賃の圧縮は一番にすべきことよ。

他の美容師さんがルームシェアを辞めても、部屋の賃貸料が2倍にならない契約も大家さんと済ませたそーだ。

予約客のみ相手なので、毎日美容院をオープンする必要はない。

長年の間に、顧客との信頼関係を造ってきたからこそ、できることだ。

私だって、もう他の美容師さんは嫌だもんなあ〜〜〜

最近は、このようなオフィスシェアは増えている。

郵便物の受け入れ先も必要だし、税金対策も必要だし、オフィスの住所というのもイメージ的に大事だ。

やはり吉原より銀座であろう。

オフィスは繁華街に構える方がいいだろ。

しかし、そのスペースは他の複数の会社とのシェアという例は、かなり前から普通になっている。

パソコンとかプリンターとかコピー機のリース代とか光熱費も分担できる。

シェアしている会社もいろいろで、最低限の数の社員が電話番、連絡担当として常住している場合もある。

ただオフィスが形式上あるだけで、借り手はたまに出勤というケースもある。

顧客との連絡なんてスマホがあればできるもんね〜〜

会議室だって、今は貸会議室ビルが隆盛だしなあ。

自前で所有する必要は全くない。

最近は、オフィスシェアの費用さえ、惜しむようになっている。

フリーランスの人たちが、「スターバックス」でパソコン仕事をするようになったのは、いつ頃からだったか。

商談とか会議とかを「コメダ珈琲」でやっている人々もいる。

「ロイヤルホスト」において、胡散臭いセミナーを開いて、数人がかりでひとりの女の子を洗脳している現場を私は見たことあるぞ。

個人教授と言えば、かつては自宅に訪問して……が普通であった。

しかし今ではファミリーレストランばかりでなく、「コメダ珈琲」や「スターバックス」や「タリーズ」とかで、教えている。

2時間ぐらいならば、粘れるもんな。

でもなあ、あれでは英語の発音とかの指導はできないだろうなあ……

家庭教師ではなく「コメダ珈琲教師」である。

お店もウンザリしたのか、「商談や会議やセミナーでのご利用はお控えください」という注意書きを店頭に掲げている店もある。

友人が留守の時間帯に友人の部屋を掃除することを条件に、友人の部屋を無料で使わせてもらい、ギターを教えるという事例も聞いたことがある。

アメリカ人女性とお茶しつつ、自分は英語を学び、アメリカ人女性は日本語を学ぶという事例も聞いた。

そういうマッチング・ウエッブサイトもあるそーだ。

こういうのもいいね。

お金を使わずに、互いの知識や技能をシェア交換するわけだ。

自動車のシェアにせよ、このようなシェアリングの静かな普及というものを、どのように解釈すべきだろうか。

物なんか持たなくてもいいんだと、人々が物の所有にこだわらなくなったのか?

何をするかが問題であって、それをする空間は公園でもカフェでもいいということになったのか?

ただ単に余分なカネは使えないという不況時代の庶民の知恵なのか?

最近は、葬式費用が高くて無駄だからということで、遺体は病院から自宅に運ばれ、そこで葬儀屋を呼んで商談……ではなく、遺体を安置する「ご遺体ホテル」に運び、そこから火葬場に行く「直葬」というものもある。

自宅が狭くてご遺体を安置できないので、「ご遺体ホテル」に運び、そこで家族が水入らずで別れの時間を過ごし、火葬場に運ぶのである。

これはいいアイデアだ。

葬儀屋に依頼して葬式を出すとなると、簡単に数百万円が飛ぶ。

僧侶への謝礼もバカにできない。

葬儀の参列者も忙しいから、迷惑をかけたくないし、気遣いされるのも煩わしい。

だから、身内だけでという家族葬は増えている。

冠婚葬祭も特定の時代の慣習であり、永遠に続くものではない。

いろいろ変わって行くのだろう。

それと同じで、所有形態も変わって行くのだろう。

その他にも、シェアできるものは、どんどん発見され考案されるのだろう。

いわゆる「エスコート・サーヴィス」なんてのも、あれもシェアみたいなもんだもの。

たまにいっしょにデートしてくれるガールフレンドのシェアに、ボーイフレンドのシェア。

配偶者と愛人は夫や妻を奪い合うのではなく、「シェアしている」と思えばいいけれど、そうはいかないか。

ひとつの建物を複数の学校でシェアもありえるのではないか。

夕方までは福山市立大学。夕方からは福山コンピューター・プログラミングスクール。

夏季休暇は、予備校に貸し出して受験特訓。

私なんてさ、夕暮れから閑散とする福山市立大学の教室や部屋を学習塾で貸し出せばいいのに……と思うよ。

公務員は副業禁止だけど、安月給なんだからそんなこと言ってないでさあ、アルバイトしたい教職員や学生や卒業生に使用させて使用料金を徴収すればいい。

まあ、この地球だって、ここで生きている人類を含む生物みんなでシェアしているようなものだ。

シェアリングというのは、「共有」に似ていて、「共有」とは違う。

あらかじめ所有しないことを前提に、使用時間を合意の上に決めて、ルールを定めて使用する。

お借りするだけ。

もともと、この世で手にしたものは、死ぬ時に手離すのだものね。

厳密に言えば、この世の全てのものは、誰のものでもない。

だから、シェアするという使い方が、ほんとうは一番に正しくて真実に近いのかもしれない。

まだまだ、いろんなビジネス・チャンスがあるようだ。

エリートはタフなもんだ

本日は2017年1月29日日曜日である。

また、「最終講義」について書く。

私の福山市立大学での最終講義は2月2日木曜日の午後4時半から6時の間にさせていただきます。

この写真は、Facebook友だちの男性が作って下さった。

ありがとうございます〜〜〜

嬉しいです〜〜〜

まだ何も準備していないです。

すみません。

福山市立大学で働いていても、大講義室で講義したことはないから、させてくれと我儘を言った。

なので、同僚に迷惑をかけることになった。

木曜日の4時20分まで大講義室では教育学部の授業がある。

休憩時間の10分間で、アシスタントの女性は会場を設営しなくてはいけない。

ごめんなさい、ごめんなさい。

副学部長は、忙しいのに、来て挨拶しないといけない。

学部長は出張から帰ってこなくてはならない。

すみません。

「アメリカ文化論」の受講生は教室を移動しなくてはならない。

私のゼミ生も、嫌々ながら出席しなくてはならない。

私とチームを組んで英語科目を担当してきた特任教員さんも派遣講師さんたちも出席しなくてはならない。

申し訳ない、申し訳ない、申し訳ない。

私みたいなチンピラが一丁前に「最終講義」なんて厚かましい。

でもね、この6年間きつかったの。

けっこう辛かったの。

最後だけ、好きにさせてください。

すみません。

ところで、「最終講義」について書くと最初に書いたけれども、ここで書くのは自分の最終講義についてではない。

先日に聴いた2人の同僚の最終講義のうちのひとつについては、昨日に書いた。

「公共事業は結果がすべて!」というタイトルで。

今日は、もうひとりの同僚の最終講義について書く。

私は、この同僚からは、「エリートつーのは実にタフなもんだね」という生きたサンプルを見せてもらった。

この同僚は、才能豊かな建築家で都市計画の専門家である。

建築家の養成をする学科を持つ日本の最高学府のひとつで学んだ。

あのね、「建築士」は工学部出なの。

でも、「建築家」は芸術大学出なの。

同僚は「建築家」だ。

エリートである。

同じ建築に従事するといっても、工学部出の建築士はゼネコンに入社して使われる。

芸術大学出の建築家は自分で事務所を持つ。

まずは、若い建築家は、大きな建築設計事務所に入る。

この同僚は、非常に非常に高名な国際的に有名な建築家の事務所に採用された。

どれだけ優秀であったかわかる。

さらに、これまた有名な建築家の事務所に入って、数々の有名プロジェクトの一部を担った。

いくつもの大きな国際的プロジェクトに参加した。

国際コンペにもよく入賞した。

だから海外にもよく行く。

「自分のお金で海外に行ったことは一度もない。すべてクライエントが払った」そうである。

一泊何十万円もするドバイのホテルにも宿泊したことがある。

エリートである。

アメリカの誰もが知る超一流大学で設計デザイを学び学位も得た。

その大学のチャペルで(各国から来た)学友たちに祝福されて結婚式をした。

エリートである。

高名な建築家の優秀な右腕として、エリザベス女王に謁見した。

皇太子夫妻を案内して、自分が設計した大学の建築について「御進講」した。

エリートである。

エリートはタフである。

この同僚も実にタフだ。

スポーツマンでもある。

趣味も幅広い。

料理もお手の物で、釣りも好きである。

私より10歳ほど年上であるが、実に頑健であり、体調が悪そうな時などない。

容姿も絵に描いたようなダンディであり、若い頃は美男であったことが偲ばれる。

この同僚は、やろうと思えば、俳優としても行けたと思う。

映画やドラマに登場する「大学教授」とか「弁護士」とか「医者」にぴったりだ。

もちろん悪役だ。

アイン・ランドの『水源』に出てくるピーター・キーティングを思わせる。

この同僚の「最終講義」は、自分の華麗なるキャリアの紹介であった。

自分が設計した建物の写真もいっぱい紹介された。

設計はしたものの実際には建築はされなかった建物のデザイン画もいっぱい紹介された。

建築家は10設計して1つが採用されれば成功である。

非常に美しい建築物ばかりであった。

自分が設計した立派な自宅(邸宅)の写真も紹介された。

ついでに、自分の結婚式の写真も見せていた。

真っ白なウエディングドレスに身を包んだ花嫁の写真は複数枚紹介された。

いかにも育ちの良さそうな長身の美女である。

この奥様は15年前に亡くなられたそうである。

この同僚のエリートぶりを、あらためて確認させられた最終講義だった。

しかしなあ……

なんで、このような人物が福山市立大学に赴任するはめになったのだろうか?

しかも非常な要職として。

開学したばかりの大学行政の管理職のひとりとして。

このような華麗なる洗練された学歴と職歴を持った人間に、開学したばかりで何も揃っていない大学の管理職が務まるはずがない。

大学の管理職というのは、ご奉仕係である。

いろいろな問題を日々処理し、心を砕き、多種多様な意見や苦情をまとめ、組織を統括する。

将来への備えも考え用意する。

リーダーは、もっとも損を引き受けねばならない。

それで褒められることはない。

きちんとやって当たり前だからだ。

しかも福山市立大学では、教員が管理職になっても、いわゆる「コマ落とし」というものはない。

「コマ落とし」とは、大学内用語で、管理職についた教員の担当クラス数を減らすことだ。

どこの大学でも、最低2科目は担当クラス数が減る。

しかし、非常勤講師依存率が私立大学並みに高い予算不足の福山市立大学においては、管理職についた教員の「コマ落とし」はない。

とんでもない「ブラック」である。

会議ばかりで時間は足らないのに、授業はしっかりとある。

教育研究と、管理職をきちんと務めたら大病になる。

普通は、そうなる。

しかし、この同僚は、さすがにエリートだ。

エリートは身体もタフだが、神経もタフである。

この同僚は倒れなかった。

自分が義務を尽くすために倒れるよりも、仕事を部下に「丸投げ」することを選んだ。

自分で決定しなければならないことも、部下たちに「話し合って決めてくれ」と丸投げした。

しかし、部下たちが話し合いのすえに決めたことが、自分の意に沿わないと、頑強に反対し、覆した。

ならば自分で決めればいい。

初めに結論ありきならば、部下に会議などさせないでくれ。

しかし、この同僚は、自分が決定して責任を問われるのは、まっぴら御免なのだった。

みんなで決めた。だから私に責任はない。

あくまでも、そうしておきたいのであった。

学長には絶対的に服従であった。

これは、高名な建築家の事務所にいた頃からの、若き頃からの習慣であろう。

目上の人間に素直であることが、ボスに可愛がられることが、若い頃の成功の要点である。

「コバンザメ戦略」である。

「ヒラメ戦略」とも言う。

この同僚にとって残念であったのは、今度のボスは、かつてのボスとは全く違ったことだった。

今度のボスは有名でもなければ国際的に活躍しているわけでもなく、服従しても何も旨味がなかった。

それでも若い頃からの習慣は治らない。

条件反射だ。

(自分は若い頃はボスに絶対的に服従していたのに)福山市立大学の部下たちは自分の言うことに従わない。自分に平気で口答えをする。上司の命令を聞かない。

と、よく怒っていた。

部下の手前、カッコつけるとかは一切なかった。

やせ我慢して、リーダーを務めることは一切なかった。

部下の冷たい視線など全く気にしなかった。

そこが、この同僚のエリートたる所以である。

自分にとって利益にならないことは眼中にない。

あっけらかんと無責任をやれる。

自分に都合が悪いことは聞こえない。

福山市立大学都市経営学部の失われた6年間の準A級戦犯は、この人物である。

しかし、この同僚にその自覚はない。

反省もない。

反省する義務なんかない。

福山市立大学都市経営学部のために尽くして働いても意味がないのだから。

学生も部下も職場もどうでもいい。

そんなことのために心を砕き時間を割いても、彼自身には利益がない。

世界は他人は、自分のために在る。

その意味では、この同僚は、実に合理的で、実に自分に正直である。

あっぱれなほどに、自分に負荷をかけない。

ほんとに、エリートというものは、すごいもんである。

しかし、なんであれだけの華麗なキャリアの持ち主が、福山くんだりに来るはめになったのかねえ……

公共事業は結果がすべて!

本日は2017年1月28日土曜日である。

土曜日だけど、午後に1年生必修受験のTOEIC IPテストが実施されるので、試験監督で出勤する。

2月2日の最終講義の準備は全くできていない。

忙しくてできなかった。

これから数日間でやらねばいけない。

どうしよう……

と、いつでも余裕のないアホな私だ。

先週に、同じく退職する同僚2人の最終講義があった。

45分ずつの最終講義であった。

ふたりとも自分が研究していることではなく、「来し方を振り返る」という趣の講義であった。

今日は、そのひとりの最終講義について書く。

この同僚は、福山市立大学設置委員会のメンバーを務めた。

開学前から、福山市立大学の立ち上げに非常に尽力した。

開学後も「主任教授」として、大学行政に大いに関わった。

教務委員や入試委員や図書館長を務めた。

どれもこれも、要職である。

この3つを引き受けるのは、とんでもないことである。

この3つを1人の人間に任せるのも、とんでもないことである。

任せた奴の気が知れない。

よほど酷薄なサディストであろう。

何よりもとんでもないのは、大学を最初から作り上げることである。

これは、実に実に実に大変なことである。

しかし、大学人ならば、やってみたいことの1つでもある。

学部のコンセプト作り、カリキュラム作り、担当教員の選定、文部科学省との折衝。

大学人には、自分なりの「理想の大学」のイメージがある。

ただ、それはイメージでしかない。

形にして運用するのは、それとは別のことだ。

都市経営学部の教科内容などのシステムは、みな、この教授が決めたようなものだ。

であるからして、この教授の都市経営学部への思い入れは並大抵ではない。

ということで、最終講義の内容は、自分の学歴職歴留学内容の紹介と、いかに都市経営学部が作られ、開学にあたっては実に多くの人々の尽力があったことを語り明かすというものであった。

福山市立大学の前身は福山市立女子短期大学であること。

福山市立大学を作るにあたっては、福山市立女子短期大学を閉学にしなければならず、退職していただく教員が多かったこと。

そのために短大内にはいろいろ問題が起きたこと。

それでもセンターという組織を作り、できるだけ多くの短大の教員のポストを確保したこと。

いろいろあったが、短大の学長以下、福山市立大学の設立のための多大なる努力を続けたこと。

大学の建物の建設が遅れて入試には、他の公共の建物を使ったこと。

入試の日に雪が降ったこと。

後期入試は2011年3月12日であり、あの震災の翌日であったこと。

これらのことは、私は洩れ聞いてきたことだが、学生たちは知らないことばかりであったろう。

自分の在籍する学校の由来、沿革を知っておくことはいいことだ。

大学だってカネだって、湧いて出てくるものではない。

誰かの労力によって生まれる。

自分たちが寄って立つ場所は、自然発生したものではなく、他人が時間と体力を使って整えたということは、了解しておかなければならない。

いくつになっても、そういう想像力のない人間もいるが。

ともかく、この教授にとっては、福山市立大学都市経営学部は、一種の自分の作品であった。

一種の自分の子どもであった。

であるから、勤務ぶりは非常に勤勉であった。

事務職員がすべきことまで率先してしていた。

教務委員であり、入試委員であり、図書館長であるのだから、忙しいに決まっている。

財務大臣と外務大臣と文部大臣を兼ねているようなものだ。

ひとりの閣僚にそんなことさせる総理大臣がいたら狂人だよね。

ほんと。

確実に、この教授は都市経営学部において最も働いてきた教員であった。

その激務がたたり、過労で倒れて休職した。

ゆえに、自分が情熱込めて作ったカリキュラムのハイライトとも呼ぶべき「卒業研究」6単位の演習科目を担当できなかった。

卒論指導を一度もしていないのだ、この教授は。

ゆえに、この教授は、自分が作ったカリキュラムが、どのような4年生を生み出し、どのような卒業研究を生産させたかを、身をもって思い知らされていない。

卒論の電子データを提出させれば、それでいいではないか、わざわざ紙媒体で提出させる意味はあるのかと教授会での質問に、この教授は答えた。

「紙媒体で提出させるには、儀式的な意味合いがある!」と。

儀式って何だ。

未だに卒業研究論文は、まずは紙媒体で提出し、次に要旨を電子データで提出し、次に本論を電子データで提出する決まりだ。

くだらないご大層さだ。

ご大層に儀式にこだわるということは、実体が空虚であるからでもある。

空虚でもいいのであろう。

どっちみち、この教授の脳の中にあるのは、幻想の自分が設計した理想の大学なのだ。

イメージなのだ。

ゆえに、少しでもシステムを変えるような案には教授会でも頑強に頑固に反対してきた。

開学後に英語科目の責任者として私が、いろいろ苦情を言うと、「英語の科目設定には最初から無理があるとわかってます。失敗だとわかっています」と言った。

答えになっていない。

失敗とわかっているものを私に担当させたのか。

私がどれだけ大変でも、それはどうでも良かったのであろう。

さすが、自分が教務委員に入試委員に図書館長を押し付けられるという理不尽に抵抗しなかっただけのことはある。

こういう人物は、他人にも理不尽を無自覚に押し付ける。

たとえば、この教授は、自分の科目関連の非常勤講師を一度は自費で接待してご挨拶しろと命じた。

福山市にはそんな予算がないので、集中講義に来た先生とか非常勤講師を自費で接待しろと言った。

最初は、教務委員としてこの同僚が接待していたのだが、自分ばかりが自費でなぜ?と考え直したらしい。

普通ならば、じゃあご接待なんて分不相応なことはやめようと思うはずだ。

ところが、この同僚は、それを他の年下の同僚にさせた。

私も、英語の非常勤講師の方々の接待をした。

自費で。

まあ私自身が英語担当の非常勤講師の方々を把握しておきたかったので、この同僚に言われなくとも私はそうしたろう。

しかし、それを教授会で決めるというのは、脳がおかしい。

この同僚の意味のない頑固さというのは病気である。

こう変えよう、こうしたら金もかからず変えることができると提案しているのに、なにゆえか絶対に変えようとはしなかった。

無理もない。

都市経営学部のカリキュラムや運用方法は、彼自身が作ったのであるからして、変えるのは自分の非を認めるようなものだった。

最初の設定がおかしいのだから、どんどん改良すべきだという意見が出ると、この人物の抵抗はすごかった。

「そういうことは言うものではない。変えるのならば我々が退職してからにしてくれ」と会議の席上で言ったこともある。

ほんとうだ。

大事なのは自分のプライドであり、面子であり、現実の改善ではないのだ。

しかし、この教授が「誠実」に働いたことは確かである。

それは事実だ。

誰よりも働いた。

誰よりも時間と体力を大学運営に注いだ。

最終講義の日のこの教授は、過ぎし日々の充実を振り返ることができる歓びを噛み締めているようだった。

私は、その最終講義を聴きながら、思った。

おそらく、太平洋戦争敗戦後に、開戦を決め、敗戦必至となっても降伏を決定しなかった政治家や軍人たちを眺めた日本人の気持ちは、今の私の気持ちと似ていたのだろうと。

一生懸命やった。

誠実に努力した。

とんでもなく努力した。

しかし、結果はアホだった。

太平洋戦争というか大東亜戦争では300万人の日本人が死んだ。

福山市立大学では6年間が失われた。

その結果、都市経営学部から他大学に移る教員は後を絶たない。

早期退職者も少なくない。

これについて、責任者たちを責めても虚しい。

 この人たちは、この人たちの主観としては、懸命に誠実に事にあたった。

それ以上のことはできなかった。

それを責めてもしかたない。

で、私はさらに思った。

自分自身の能力から判断して、きちんとできないことをやるはめになる事態は回避するべきだ、と。

どれだけの迷惑を他人にかけるか想像するだけでも恐ろしい。

いくら善意でも、志があっても、努力しても、結果が出なければしかたないのが、プロの世界だ。

厳しい。

「能力」というのは、良い結果を出せるということだ。

これには運も関与してくる。

過程が大事である、というのも事実である。

「一生懸命やったんだから、いいじゃないの~~手を抜いたりさぼったりしたわけじゃないんだからあ~~」と言うことで、結果を出せなかった自分や他人を慰めることはできる。

しかし、多くの人間を巻き込む「公共事業」では、それは許されない。

だから、「公共事業」に関わる場合は、自分に問わねばいけない。

それを遂行できる能力と運を私は持っているだろうか?と。

個人の人生のことではないのだ。

多くの人々の運命を巻き込む公の仕事ならば。

私は私の能力にふさわしくヒラ教員で終わって良かった。

大きな大きな迷惑は他人にかけずにすんだ。

良い結果が出せないのならば、どんな善意があろうと、志があろうと、努力しようと、しかたない。

小学生の運動会じゃないんだからさ。

しかし、実際の世の中は、自分が「公共のことに関与できる能力と運を持っているだろうか?」と問うことなどないような能天気な人々が、政治とか行政とか経営に乗り出していくのであろう。

それぐらいに無神経で無責任で理不尽が平気な人間でなければ、何もできないのかもしれない。

それもこの世の真実なんだろうな・・・

だからさ、みなさん、政治家とか市長とか(起業したのではないサラリーマン)社長とか、あてにしてはいけないですよ。

何も考えなかったからこそ、その立場に立っている可能性があるから。

 

 

 

ロマンスと冒険と引っ越しはカネがかかる

本日は2017年1月25日水曜日である。

今日のテーマは別にないです。

ただの愚痴です。

忙しい、忙しい。

2月2日の最終講義の準備なんて全然できないじゃないの〜〜〜

28日の土曜日もTOEIC IPテストの監督があるよ〜〜〜

4学期末試験問題を作成しなくてはいけないよ〜〜〜

1年生必修英語は、私と特任教員と派遣講師のチームで運営しているクラスなんで、私が私流に問題作って印刷して終わり〜〜というわけにはいかない。

みなさまのご意見をうかがい……

インターネットのWebClassというソフトで、聴き取り用テストと読解用テストを作成し、さらに伝統的筆記問題の3種類作るのだ。

学生さんは90分フルに3種類の英語問題に解答する。

4学期制だから、1年に4回もこんな作業やっている。

TOEIC 訓練の「ビジネス英語」の試験問題は、もう私(正規雇用教員)がオリジナルで作らなくていいでしょ〜〜TOEIC IPテストを受講生に受けさせて、そのスコアを参考にして成績評価できるでしょ〜〜と強引に決めた。

私にTOEIC式オリジナル問題を作成させるなんて虐待よん。

嫌がらせよん。

6年間、私は英語の試験問題ばっかり作っていた。

アホみたい。

しかし、これも最後だ。

やれやれ。

我が都市経営学部も、私と同じくくたびれている。

またも若い教員から逃亡者が出て、とうとう今年度で25名(このうち2名が育休と病気で休職中)のうち7名が消えることになった。

でもまあ、退職者と早期退職者(私)入れて7名ぐらいじゃあ、インパクトが弱いな。

来年度は半分くらい消えたらどうかな。

そうすれば、いい加減に状況も変わるかもね。

6階の天井に断熱材入るかもね。

ともかく、私は、この6年間で忍耐強くなっただ。

大根メシ食うだ。

本日は会議も授業もなく、歯科医院における親知らず抜歯もキャンセルした。

最終講義の前に抜歯で、万が一にも体調がおかしくなったら怖い〜〜

還暦過ぎの抜歯は怖い〜〜

血が出たら、いや〜〜〜

歯茎が血だらけで笑ったら、怖い〜〜〜

ということで、本日は引っ越し会社に自宅まで来てもらい見積もってもらい、名古屋に荷物を送る日を決めた。

普通は、何社にも見積もってもらって決めるのが賢い人のやり方である。

が、私は面倒くさがりで、人を自宅に入れるのもうざい。

だから、最初に電話してきて見積もりに来た会社で決めてしまう。

すみません。

私は、まっこと原始人です。

いいんだよ、損したって。

損得考えてたら、生けてはいけんって!

いえ、ただ計算能力がないだけですが。

とても安く済ませれば、それにこしたことはないけれども、そうなると、きっと私の知らない所で、無理が生じているんだ。

誰かが泣いているかもしれん。

ところで、驚いた。

今日引っ越しの見積もりをしてくれた会社の営業マンさんが、おもむろに資料を取り出して話し始めた。

「え〜〜フジモリさんは、1996年の3月6日に名古屋の大学の研究室から大阪の和泉市に移転なさって〜〜〜そこから2003年の7月に同じく和泉市内に移転なさって〜〜〜それから2011年3月11日に福山に転居なさって〜〜〜でも、そのとき移転先は今のお住まいへとは違っていて、このお住まいへの移転は、うちでお世話はさせていただかなかったんですよねえ?」と。

なんで、私の引っ越し歴を知ってるんだ!?

この人はCIAか?

なんと、なんと、私はずっと、ほとんど同じ引っ越し会社に依頼してきたのだ!

だもんだから、その記録が残っていたのだ!

1996年ならば、もうインターネット時代に入って数年後だからね、不思議ではないね。

知らんかった……

私は、ほとんど同じ引っ越し会社に依頼してきたのか……

なんで?

別に、その会社に思い入れもなんもないよ。

まあ、なんでもいいよ。

1月中に予約すれば、なあああ〜んと3割引サービス期間だそーだ。

3割引は大きいね〜〜

それでも、こんなにかかるのかよ……

ともかく、3月13日に書籍と衣類とその他もろもろは名古屋に送る。

21日以降に、もろもろの家具類や家電類は、リサイクル業者か処分業者に引き取ってもらう。

で、卒業式の23日に研究室を明け渡し、職員証も返却する。

その前に研究室の整理と処分だ。

2月16日には、ドドドド〜〜と段ボール箱が研究室に搬入される。

うわあ〜〜〜

とうとう名古屋に帰ったのちに、もう戻って来る場所がなくなる。

だんだん心配になってきた。

一箇所だけに住むなんて、定住なんて、私にできるのだろうか。

けっこう引っ越しの多い人生だった。

移動の多い人生であった。

それが苦にならないのだった。

特に大きな深刻な問題もないのに、職場も4回変えてきた。

それもこれも、ただただ「どこか遠くへ行きたい」と思う性分だからだ。

要するに、逃亡癖だ。

移動が好きとか、引っ越しが苦にならないとか、職場を変えるのが好きとか、知らない所に行きたがるとか、逃げるのが癖になってるとか、こーいう気質はカネがたまらん。

そんなの、住居だろうが職場だろうが、一箇所にじっとしている方が絶対に経済的なんだから。

忍耐はペイするよ。

我ながらアホだなあ……と思う。

しかし、私の人生で、アホでなかった時などない。

反省しても遅い。

反省しても治らない。

反省するだけ時間の無駄。

自分自身の「稼ぐ能力はないのに、カネのかかることばかりする」という愚劣さを思うと、私が必ず思い出す本がある。

今でもアメリカでは根強く売れ続けているThe Millionaire Next Doorという本だ。

1996年に出版された。

1990年代にアメリカの社会科学者ふたりが調べた実際のアメリカの億万長者たちの生き方の報告書みたいな本。

翻訳のタイトルは「となりの億万長者」だった。そのまんまですね。

//rcm-fe.amazon-adsystem.com/e/cm?lt1=_blank&bc1=000000&IS2=1&bg1=FFFFFF&fc1=000000&lc1=0000FF&t=akira1905-22&o=9&p=8&l=as4&m=amazon&f=ifr&ref=as_ss_li_til&asins=4152093927&linkId=423ee49072f746778e4ba54c7da0ebaf

ここに書いてあったことで印象に残っているのは、アメリカで一代で億万長者になった人々の多くの、身も蓋もない堅実さであった。

彼らは「夢見る心」なんて、しょうもないものは持たない。

たとえば、ほとんどの億万長者は離婚しない。

離婚はカネがかかるから。

慰謝料とか養育料とか、引っ越しとか……

不倫もしない。カネがかかるから。

大人のデートは、コンビニで100円のコーヒーで、というわけにはいかない。

密会は、「吉野家」や「餃子の王将」ってわけにはいかない。

お好み焼き屋さんでデートすると、歯に青海苔がつく。

歯につくならまだしも、歯茎についたら難儀よ。

アメリカに「お好み焼き屋」はないか。

何につけても、ロマンスや冒険はしない。カネがかかるから。

夢見る心は不経済よ。

ベンチャーはリスク高いよ。

大きい家に住まない。カネがかかるから。

だって、維持費と光熱費がかかるでしょ。固定資産税とかも。

高級住宅街に住まない。カネがかかるから。

ああいうとこってさ、ご近所でホームパーティとか、いろいろ、しょうもないことやるじゃないの、アメリカの郊外族ってさ。

自家用車はTOYOTAでいい。故障しないから。

時計はセイコーでいい。定期的にオーバーホールなんかせんでもいい。

スーツなんか400ドル(1990年代時価)でいい。

靴は150ドル(1990年代時価)でいい。

アメリカ合衆国には、昔の日本人のような、このような堅実な人々も元気に生きているのだ。

たまに、私はこの本を読み直す。

堅実さ、質実剛健さ、安定や合理性に徹底的に欠けた我が身を振り返り、自虐的になるために。

ああ……浮き草のように引っ越しを不合理にも不経済にも繰り返してきた我が人生よ。

それでも、もう一回くらいは引っ越したいなあ〜〜なんて思っている性懲りなさよ。

この不経済なアホさ加減は死んでも治らない気がする。

『下克上受験』読むべし

本日は、2017年1月22日の日曜日だ。

『下克上受験』という奇妙なタイトルに惹かれて、TBSの新番組のドラマの第1回の見逃し配信を見た。

中卒の父親がひとり娘を偏差値72の「桜蔭中学」に合格させようと苦闘する実話である。

面白かったので、すぐに原作を読んでみた。

桜井信一著『下克上受験—両親は中卒 それでも娘は最難関中学を目指した!』(産経新聞出版,2015)だ。

まあ、とんでもないタイトルかもしれないが・・・

//rcm-fe.amazon-adsystem.com/e/cm?lt1=_blank&bc1=000000&IS2=1&bg1=FFFFFF&fc1=000000&lc1=0000FF&t=akira1905-22&o=9&p=8&l=as4&m=amazon&f=ifr&ref=as_ss_li_til&asins=481911297X&linkId=3ce024bbef4b09f57488a2d4cd5fa98c

中卒。

ちょっと昔の中卒と、現代の中卒はわけが違う。

いまどき中卒であるということは、貧困が原因ではない。

公立高校の授業料は無料の時代だ。

私立高校も無償になりつつある時代だ

だから、現代の20代や30代で中卒であるということは、何らかの不如意があって高校を中退したか、中学を不登校だったかであろう。

もしくは、「学校なんか行かなくても生きていける」と世の中を舐めて、「面倒くさいことから逃げた」んである。

しかし、その10代前半での選択(逃避)のツケは大きい。

TVドラマでは、主人公は不動産屋に勤務していることになっているが、今の不動産屋の社員は、ほとんどが大卒だ。

不動産会社の社長が中卒であることはあっても。

昔の中卒には優秀な人が多かったから。

TVドラマの設定は、やはりTVドラマだから、相当に甘い。

中卒の男の同じく中卒の妻を「深田恭子」が演じている。

深キョンだ。

美人だけどバカで、5分の4と4分の3のどちらが大きいかわからないし、「誤認逮捕」の意味を「5人逮捕」と思っているという設定だ。

現実には、あれだけの美人は、中卒のふつーの貧乏な男の妻にはならない。

原作の方では、著者の「中卒の父親」は、自分の職種は明らかにしていない。

彼は、愛する娘に、自分や妻と同じ生き方はして欲しくないと思う。

「頑張ってもタカが知れてるんだし、気楽に生きればいい」と言いつつ現実から目を逸らす生き方はしないでもらいたいと思う。

父母も中卒、祖父母も中卒の「世の中の底辺にいることの自覚なく、その日暮らしをして生きてきて、努力を嫌い、達成感を得ることのない生き方」の遺伝子の流れを、娘には変えてもらいたいと思う。

彼は、ひょんなことから、「桜蔭中学」からエスカレーター式に進学する「桜蔭高校」は、東大と慶応と早稲田に大量の合格者を出す超進学校だと知る。女子私立中学の最高峰だと知る。

で、娘を「桜蔭中学」に入れたいという「野望」を彼は抱く。

娘も同意する。

娘は小学校5年生だ。中学受験まで1年半ぐらいしかない。

受験塾では、最下位クラスにしか入れない成績だ。

そんなクラスで入れる中学はソコソコの私立中学でしかない。

そこの付属の高校から入学できる大学は、地方国公立か、私立ならマーチ(March 明治、青山、立教、中央、法政)である。

彼は、それは嫌だ……と思う。

中卒の彼の収入から月謝の高い受験塾に通わせるのは、とんでもない重荷だ。

私立中学受験用塾の月謝は安くて4万円ぐらいだ。有名塾だと7万円ぐらいだ。夏期集中講座や冬季集中講座の受講料は、それとは別だ。

そこまでの犠牲、金銭的代償を払うのならば、やはり東大に合格しないとモトが取れない。

東大でなければダメだ!

と、中卒の彼は思う。

でも、どっちみち、塾に通わせるカネはない。

中卒の父親は決心する。こうならば、自分も娘といっしょに受験勉強をして、同じ苦労と努力をしようと。やれることを全部やってみようと。

社会的地位の高い父親は、社会への責任があるから、子どもにだけ時間は割けない。

子どもの受験に伴走できない。コーチできない。

しかし、中卒の自分が背負っているのは家族の生活費を稼ぐことだけだ。

だから、娘の受験のために全てのエネルギーを注ぐことができる。

娘だけに苦労はさせない。自分も同じ苦労を背負うんだ。

というわけで、毎日毎日午後7時半から夜の12時半や午前1時くらいまで父と娘が受験勉強に集中する日々が始まる。

「親塾」だ。

中卒の彼にとって、生まれて初めて真剣に勉強する日々が始まる。

算数と国語と社会と理科に苦闘する日々が始まる。

私立中学の入試問題のレヴェルはとんでもなく高い。

特に「桜蔭中学」の入試問題は。

ただの記憶力で解けるような問題ではないのだ。

算数ならば、公式を覚えておけば解けるような類の問題は出ない。

特に国語の問題の水準の高さたるや……

中卒の父と娘は苦労しつつも、父はうつ病になりつつも、勉強の楽しさ、努力する楽しさ、目的を持って生きて行く充実を学んで行く。

結果は……

これ以上は書かないでおこう。

みなさん!この本すっごくいいですよ!

ここまでするか!という努力の記録は読むに値する!!

この『下克上受験』に記録された父娘の苦闘の記録は、絶対に読むに値する!!

ただただ頑張った!の記録じゃない。

学ぶこと、分析すること、合理的に考えることのなんたるかを実例をもって教えてくれる。

この本は一気に読めなかった。

あまりに心に響くと、速く読めない。

心に響くことは、辛いことでもあるのだ。

ああ、できれば、この本は小学校4年くらいの時に読みたかったな。

私の人生の悔いはいろいろあるけれども、最も大きな悔いは、子どもの頃に努力しなかったことだ。

好きなことだけして、面倒くさいことから逃げたことだ。

今でも、その傾向が大きい。

行き当たりばったりで、無駄な努力はしても、必要な努力は回避する。

私の親も気が弱かった。

できの悪い娘に期待して裏切られて幻滅するのが怖かったのだろう、「女の子だから、偉くならなくていい」と父は私に言った。

浪人して、もっといい大学に行けと言わなかった。

駄目だって!!

親が期待してくれないと、子どもは「これでいいんかなー」と思っちゃうって!!

親が期待しないで、いったい誰が期待してくれるんだ!

男だろうが女だろうが、生まれたならば、できる限りの力を振り絞って、なるったけ「偉くなる」べきだ!!

その方が面白いんだ!

いろんな景色が見えるんだ!

出会う人々の質だって違ってくるんだ!

でなきゃ、生きてたって面白くないでしょう!!

ほんとは、そうだよ。

それが真実よ。

自分を誤魔化しちゃいけない!!

「ありのままで」とか「無理しないで」とか「身の丈にあった生き方を……」とか、みんな逃げの台詞だ。

努力して高みを目指すことぐらいしか、人生ですることなんかない。

「高み」の内容は、人それぞれにしてもさ。

私の頭としては法外に幸運に恵まれて、大学の教員になれたので、同僚には東大出や京大出も少なからずいた。

正直に言うと、「せっかく東大や京大を出ても、私と同じ大学の教員になるんじゃあ、しょうがないじゃん・・・」と思った。

と同時に思った。

私は、もっともっともっと真剣に勉強するべきだった……と。

努力するべきだった……と。

私が東大出ならば、大学の教員程度の人生では絶対に終わらせなかったぞ……と。

ほんとは父に私を誇ってもらいたかった。

父が人様に自慢できるような娘でありたかった。

ということで、63歳になっても、私は勉強します。

算数も理科も社会も勉強し直します。

勉強ってのは、受験だけのためにあるんじゃないんだから。

勉強は楽しいことなんだぞ。

『下克上受験』において、娘と父の受験勉強が終わった夜に、娘が言う。

「わりと楽しかったね」と。

ほんとに賢いお嬢さんだ!!

アッカンベーしよう!

本日は2017年1月18日水曜日である。

先日月曜日にも、私の研究室の窓の前の出っ張り部分に、鳥の羽の散乱と「食べ残し」があった。

またもや、総務課の若い職員さんが片付けてくださった。

今度は手袋、マスク、新聞紙、雑巾、汚物入れの段ボール小箱持参。完全装備で登場。

2度あることは3度あるであろう。

「僕も対策を考えます」と職員さんはおっしゃった。

毎度、鳥の死体があったくらいで、気の弱いアホな退職間際の教員に呼び出されてはかなわんよね。

トンビかワシの猛禽類が鳩とか烏を食ってるのかなあ。

ど んどん食ってちょーだい。

ただし私の研究室の窓辺以外で。

そうやって食らいあうこと自体は生態系の維持としてはいいことなんだけどさあ、私の研究室の窓辺ではやめてよ。

と言っても詮ない。自然は私の外部にある。

最近、福山市立大学の中庭にも鳥の羽の散乱が非常に多いそうである。

凶々しいわああ〜〜

うちの都市経営学部のアシスタントの女性は、「これでは受験生が気持ち悪く感じるかも」ということで、センター試験の朝に、散乱した鳥の羽を一箇所にまとめて片付けたそうである。

立派!!

うーむ。猛禽類が鳩を食するレストランと化した福山市立大学。

これも、獲物である鳩が太って美味そうであることが原因なのではないか。

鳩を太らせたのは、毎朝、鳩に餌をやる近所の高齢男性である。

この高齢男性避けの機械はないのか。

私は早朝にキャンパスで見張って、待ち伏せして、この高齢男性に依頼説明する気はない。

門も塀もなんもない誰もが平気で入り込める福山市立大学のキャンパスの無防備さを補うべく努力する気は、私にはない。

鳥よけ超音波機もあるらしいが。

私の研究室に限って言えば、窓辺にマネキンとか理科室の人体模型みたいなもん置いておくのもいいかも。

その顔に猛禽類のマスクをかぶせたら「鳥人」だ。

漫才の「笑い飯」のネタみたい。

今年度になって、最後の年度ということで担当クラス数が減って私が研究室の窓辺をウロチョロする頻度が減ったから、鳥が安心して来たのかもしれない。

ところで、今日は昨日行った歯科医院で歯科衛生士さんに教えていただいたことを書く。

昨日は、ドクターによるレザー治療の後に、歯科衛生士さんによる歯石とりと、口腔内マッサージを受けた。

歯茎のマッサージではなく、口の中の筋肉のマッサージ。

私の口の中の筋肉は、すっごく凝ってるそうである。

口凝り!!

口凝りは肩凝りの原因であるそーだ!

私の口の中の筋肉は、凸凹しているそーである。

血流が悪い証拠だそーである。

で、歯科衛生士さんに口腔内筋肉をマッサージしていただいた。

痛かった。

でも、だんだん気持ちが良くなった。

整体と同じやね。

マッサージが終わると、あれー不思議。

なんかお口周りが軽くなった感じ。

この「口腔内 マッサージ」ができる歯科衛生士さんは、福山市内でもその歯科衛生士さんだけである。

東京まで講習に行ったそうである。ドクターと共に。

私は、このような勉強熱心な歯科医院にたどり着けた!

何という幸運!

さらに、歯科衛生士さんによると、私の舌の筋肉が非常に弱っているそうである。

このままいくと、食べ物を喉に運び飲み込むことができなくなるそうである。

というより、今も食べ物の飲み込み方がおかしいかもしれないそうである。

ええええ??

食べ物の吞み込み方の舌の使い方にも、正しいやり方というものがあるのか!?

そうかあ……

贅肉はあっても、筋肉はないのが私の身体的特徴のひとつである。

しかし、舌の筋肉までないのであるか!!

なんとか舌の筋肉を強化せねば!

それで教えていただいたのが、「あいうべ体操」である。

お口の体操である。

口呼吸を鼻呼吸に治すための体操でもあるが、舌の筋肉を強くするための体操でもある。

口腔内筋肉の血流を良くし、口凝りを防ぐ体操でもある。

この体操を広めておられる福岡の今井一彰医師の『あいうべ体操と口テープが病気を治す』(新潮社、2015)によると、この体操は、アトピー皮膚炎や花粉症改善に効果がある。

//rcm-fe.amazon-adsystem.com/e/cm?lt1=_blank&bc1=000000&IS2=1&bg1=FFFFFF&fc1=000000&lc1=0000FF&t=akira1905-22&o=9&p=8&l=as4&m=amazon&f=ifr&ref=as_ss_li_til&asins=4103366516&linkId=a7a0df405977dc5c2a6760770f8d4702

私も私なりに勉強して、疲れるとアトピー風になる体質や、花粉症の改善に努力してきた。

で、けっこう効果はあった。

しかし、これで「あいうべ体操」を加えれば、花粉症とサヨナラできるかもしれない!

この体操は非常に簡単だ。

あーーーと縦に大きく口を開く。

次に、いーーーと横に大きく口を開く。

ただし、上下の歯をつけてはいけない。

歯を離す。

次に、うーーーと唇を前に突き出して発声。

最後に、アッカンベーをしっかりする。

アッカンベーは、ヨガでも薦める体操であるよ。

口腔内の雑菌を消毒する唾液の分泌を促す体操であるよ。

舌の根が痛いくらいに、しっかりと舌を出す。

この動作が1セット。4秒ぐらい時間をかけてする。

急いで焦ってやっちゃいけない。

しっかりと、ゆっくりと実行する。

これを1日に最低30回する。

特に入浴中がいい。

お風呂だと口を開けても乾燥しないから。

口呼吸で口を開けていると、口腔内が乾燥して、雑菌の住処になる。

その雑菌は体内に入り、さまざまな内臓病の原因となる。

昨日から、素直な私は、帰宅後も、この「あいうべ」体操を思い出すと励行している。

股関節可動域を広げる体操とともに、この体操も毎日やろう。

永遠にやろう。

股関節の可動域が広がる気配はまったくないけど、たびたび忘れてしまうけれども、やり続けるしかない。

でも、この「あいうべ」体操は3ヶ月くらいで効果が実感できるらしい。

なんか、私は全く知らなかったけれども、最近の小学校では、この口体操を教えているってね。

いろんな歯科医院が患者に教えているってね。

歯科医療も進化しつつある!

もともと、この口体操は、最近にお亡くなりになった異色の医師で新潟大学医学部名誉教授であらせられた安保徹医師が、考案したものであったらしい。

//rcm-fe.amazon-adsystem.com/e/cm?lt1=_blank&bc1=000000&IS2=1&bg1=FFFFFF&fc1=000000&lc1=0000FF&t=akira1905-22&o=9&p=8&l=as4&m=amazon&f=ifr&ref=as_ss_li_til&asins=4837978835&linkId=d3e75897e5ca3c5040f91da28d036265

この安保医師こそが、12年くらい前にご著書を通じて、私に免疫力について教えてくださった方である。また、内臓における腸の重要性を教えてくださった方でもある。

現代の医療の常識を疑わせる契機をくださったのは、この安保徹医師のご著書であった。

「口呼吸」の怖さを教えてくださったのは、西原克成医師の御著書であった。

//rcm-fe.amazon-adsystem.com/e/cm?lt1=_blank&bc1=000000&IS2=1&bg1=FFFFFF&fc1=000000&lc1=0000FF&t=akira1905-22&o=9&p=8&l=as4&m=amazon&f=ifr&ref=as_ss_li_til&asins=4408320692&linkId=c5cff43e971627a1c9ad2d21c13206ba

そうか〜〜

ふたたび間接的に再会した安保徹理論と西原克成理論!

ところで、この安保徹医師は暗殺されたという説もネット界にあったけれども……

日本の医学界の常識を転覆させたと言うことで……特にがん手術について否定なさってきたことで・・・「がんは切っちゃいけない!」と唱えたことで……

さらに、歯科衛生士さんによると、足の不調も歯の不調に繋がり、歯の不調が内臓の不調に繋がっているそーだ。

足の不調は、足の5本指がパッと開かない、足の指の力が足りないことで、解るそうである。

私の骨盤の歪みからくる右足の不調が、私の歯科的問題の原因かもしれない!

この問題への対処方法も、私が通いだした歯科医院で教えてくださるそうである。

ということで、私が福山を去る2017年3月末まで短い期間に、この歯科医院でいろいろなことを教えていただく。

スパルタで教えていただく。

集中講義。

いい時期に、このような歯科医院に出会えたありがたさよ。

来週には、院長先生のドクターと夕食をご一緒する。

ほほほ……

デンタルフロスと歯間ブラシを使い出して数日経過。

おもろい。

気持ちいいね〜〜〜

学ぶことは、いろいろある!

だから生きていることは楽しい!

みなさま!

この体操は良いことづくめ!

しかも無料です!

それにしても……

本日の「教授会」が……

アホ教員の言うことを無視できない「いい先生」たち。

あいつ仕事したくないから日本語わからないふりしてるだけでさ……

タチ悪いわ……

良心的すぎるんだよなあ……まとも過ぎるんだなあ……我が最後の同僚たちは。

来年度から、もっとややこしくなる体制。

私は、もう現状の大学のありようについて行けない。

ついて行く意味がわからない。

このブログ記事は、教授会の最中に書いた。

すみません。

虫歯は削っちゃダメ!食後に歯は磨いちゃダメ!

本日は2017年1月15日日曜日だ。

恐怖のセンター試験監督免除のかわりの「卒業研究論文要旨集」の目次などの原稿作成はまだ終わってない。

そんなことよりも、目下の私の関心はデンタルケア。

去年の11月あたりから痛かった歯の治療に、1月11日にやっと行ってきた。

福山市内の歯科医院のウエッブサイトとか口コミサイトを調べて。

歯科医に行くのは10年ぶりだ。実質的には17年ぶりくらい。

10年前に前の勤務先の近所の歯科医院に行った時は親知らずを抜けと言われた。

で、その歯科医院には1度だけで逃げた。

なんで自然に生えている歯を抜かないといかんか。

さて、2017年の福山市内の私がリサーチの末に選んだ病院はどうかな?

まず、前もって調べていない人が見たら「この人が院長かな?」と思うほどに態度のでかい中年の女性の歯科衛生士さんに、ボロカスに言われた。

「いいとこないね〜〜きちんと磨かれていないね〜〜〜歯では苦労してきた人生だね〜〜歯石も多いし、歯周病にもなってるね〜〜いいとこないね〜〜」だった。

次にレントゲンを撮った。

そのレントゲン写真を診療台(椅子)に備えつけのパソコンに映して、真打ちのドクター登場。中年のなんかいい感じの女医さんである。スカッとした感じのカッコいい方である。

ドクターいわく、「年齢のわりに歯がしっかりしてますね!骨もしっかりしてます。フジモリさんの年齢ですと、こんなに歯が全部残っていません」だった。

いいのか、悪いのか、どっちやねん。

最近の歯科医院は、なに、まずは歯科衛生士が脅して、次にドクターが安心させるのか?

若い刑事が容疑者を締め上げて、ベテラン刑事がそこに登場して「まあまあ……」と条理を尽くして説得する……という構図なんか?

ともかく虫歯の治療開始。

なんで、私がこの歯科医院を選んだかと言えば、そこは広島県でも唯一と言っていいのか、「虫歯を削らない」歯科医院なのだ。

知る人ぞ知る歯科医院なのだ。

ガリガリと虫歯の患部を削らないのだ。

あの音はいやだよね……あの痛みもいやだよね…

その歯科医院は、「プラズマチタンレーザー」というものを使用して虫歯治療する。

歯を削らないので、あんまり痛くない。

ただし、これは自由診療です。

つまり健康保険適用外です。

保険でやってちょーらいと言えば、ガリガリ削ってくれます。

レーザーならば、一回の治療で虫歯処置できる。

まあ、セメントつめて、そこに何を被せるかについては1回では済まないけど。

保険適用の銀とかにするか、保険適用外のセラミックとか別のものにするかの処置は1回ではできないけど。

みなさん、体内に、特に口腔内に金属を入れるのは危険なんですよ。

身体の不調の原因は、虫歯治療のために歯に入れられた金属かもしれないですよ……

虫歯処置が終わってから、ドクターは「これから3日間は砂糖は絶対に食べないでください」とおっしゃった。

砂糖は虫歯の原因であるばかりでなく、虫歯を刺激する。

「2005年以来砂糖そのものはまったく摂っていません。添加物はしかたないですが。煮物も蜂蜜かメイプルシロップを使います。コーヒーも紅茶も砂糖は使いません」と私は答えた。

そしたら、「それはいいことです!砂糖や小麦粉などの炭水化物の摂りすぎは虫歯や歯周病の元です!乳製品もいけません!内臓の病気も、かなりは歯周病が原因です!乳製品とかパン食とか、戦後の日本人の食生活の劣化はアメリカの陰謀です!」と、ドクターが宣った。

ひょっとしたら、このドクターと私は、読んできた本が結構かぶっているかも。

まさか、歯科医から「アメリカの陰謀」という言葉を聞くとは嬉しい想定外だった。

その初回に支払った医療費は13,000円だった。

領収書もらうの忘れたなあ。次回は言ってみよう。

私がいたく興味を惹かれたのは、そのプラズマチタンレーザーだ!

痛くない虫歯治療ができるのに、なんで日本中の歯科医院がそれを導入しないのか?

なんで保険適用にしないのか?

で、帰宅して最近の歯科医療についての本をKindleで2冊読んでみた。

1冊目はFacebook友だちで副島隆彦人脈のおひとりから教えていただいた小峰一雄医師の『名医は虫歯を削らない—虫歯も歯周病も「自然治癒力」で治す方法』(竹書房、2016)だ。

//rcm-fe.amazon-adsystem.com/e/cm?lt1=_blank&bc1=000000&IS2=1&bg1=FFFFFF&fc1=000000&lc1=0000FF&t=akira1905-22&o=9&p=8&l=as4&m=amazon&f=ifr&ref=as_ss_li_til&asins=B01MQGANY3&linkId=cb3395ca13f865a38dcd173d89e2d348

次に読んだのが、森昭医師の『歯を磨いてはいけない』(講談社、2016)だ。

//rcm-fe.amazon-adsystem.com/e/cm?lt1=_blank&bc1=000000&IS2=1&bg1=FFFFFF&fc1=000000&lc1=0000FF&t=akira1905-22&o=9&p=8&l=as4&m=amazon&f=ifr&ref=as_ss_li_til&asins=B01KNVKBFO&linkId=fa6d69f7d029cf14fd7552e39141d449

もうーーーー!!

歯科医療の常識を覆す本だった!!

みなさん、この2冊は読んだ方がいいですよ。

身を守るために。

絶対に読んだほうがいいと思いますよ。

アイン・ランドの『水源』は読まずとも、この2冊は読んだほうがいいですよ!!

虫歯は「自然治癒」するんだ!!

砂糖摂取せずに、炭水化物の過剰摂取せずに、清潔にして放置で虫歯部分が塞がるらしいよ!

そこを、「あーーー虫歯だ!」ということで歯科医にかけこみ、ガリガリ削ると、歯を傷つけるし、歯が割れちゃったり、削った部分からおかしくなったり。

だから虫歯治療を済ませたはずの歯が、また痛み出して、同じ治療を重ねて、ついには神経まで犯され、歯を抜くはめになる。

歯を失くすと認知症になりやすい。

歯というか口腔内の健康と身体全体の健康は非常に関連している。

糖尿病も肝臓病も、歯周病由来かもしれないらしいよ。

私の「非アルコール性脂肪性肝炎」の原因は、歯周病かもしれない!!

妹の「原初性胆汁性肝硬変」&「胃潰瘍」の原因も、歯周病かもしれない!

ともかく歯の健康は何よりも大切かも。

ただし、歯科と内科の連携ができていないのであるが・・・

虫歯といえば、今では、削らずに、ややこしい高価な機械や器具なしで虫歯治療できる「ドックベスト治療法」も確立されてる。

じゃあ、 なんで、その療法が広まらないのか?

理由は簡単。

儲からないから。

患者の再生産ができないから。

そもそも、小学校での歯科検診で歯に針刺すチェックそのものが、あかんらしい。

虫歯を作っているようなもんらしい。

それと、びっくりなのは、いまどき、食後に歯磨きなんてこと言ってるのは、日本と韓国だけなんだってね。

食後すぐには歯を磨いてはいけない。

食後に唾液が出て食べ物カスとかが歯につくのを防ぎ綺麗にしているのに、歯磨きすることで、唾液をストップさせてしまう。

歯磨きは、就寝前と起床直後にしっかりとする。

まずはうがい、すすぎをして、デンタルフロスで歯間を掃除して、こまめに交換して清潔に保たれた歯ブラシで磨く。

就寝中に口腔内で増えていた雑菌を口にとどめたままで、朝の一杯の水なんて、とんでもない。

口の雑菌が内臓に入って病気の元となる。

市販の歯磨き剤は使わないほうがいい。ろくでもないものばかり入っている。

デンタルリンスとかは、確かに口腔内の雑菌を除去するけれども、必要な細菌類も殺してしまう。

歯の健康のためにはよしたほうがいい。

などなど……もう、今までの歯科衛生の常識がぶっ飛ぶ。

そりゃさあ、医療界なんて、病人製造が目的みたいな業界なんだからさ。

歯科医療界が、予防歯学ではなくて、患者という客増加のための療法しかしないとおうのも、当たり前だよね。

いや〜〜〜私は、定期的に歯科医院や病院に行って検査を受けないのは野蛮人だ、近代人じゃない、自己管理ができてないなどと、友人知己や夫から馬鹿にされてきたけど、

野蛮人でいいですわ。

なるたけ医者には近づかない。

これで正解だった。

「年齢のわりに歯が全部ある、しっかりしてる」のは、(凡百の)歯科医院に滅多に行かなかったおかげだ。

「ガラパゴス化」している日本の歯科医療に好きにされてたまるか。

大事な歯を削られてたまるか。

抜かれてたまるか。

自分の身は自分で守ります。

砂糖厳禁。

炭水化物の摂取過剰摂取厳禁。

これから拝領する(砂糖いっぱいの)お菓子は数個のみ食し、あとは廃棄します。

キリシトール100パーセントのチョコを注文したぞ。

//rcm-fe.amazon-adsystem.com/e/cm?lt1=_blank&bc1=000000&IS2=1&bg1=FFFFFF&fc1=000000&lc1=0000FF&t=akira1905-22&o=9&p=8&l=as4&m=amazon&f=ifr&ref=as_ss_li_til&asins=B005Q382VA&linkId=87aa63ab6a7fbd22f7e405e820d1b41c

目下のところ、私の買い物はデンタルケア関連であります。

歯周病も自然治癒させてみせるぞ!!

今度は、これを読みます。

//rcm-fe.amazon-adsystem.com/e/cm?lt1=_blank&bc1=000000&IS2=1&bg1=FFFFFF&fc1=000000&lc1=0000FF&t=akira1905-22&o=9&p=8&l=as4&m=amazon&f=ifr&ref=as_ss_li_til&asins=B01HO5XKO6&linkId=e614ffc3468651a3be86880639507380

 

 

 

 

鳩に餌をやる人間は迷惑以上犯罪者未満だ

本日は2017年1月13日金曜日。

通常ならば、金曜日は3クラスあり、ヘトヘトになる曜日であるが、今日は全学休講だ。

14日と15日に実施される大学入試センター試験のために、13日は準備作業の日で授業はなし。

私は、ありがたいことに「恐怖のセンター入試監督」を今年度も免除された。

そのかわりに、「福山市立大学都市経営学部卒業研究論文要旨集2016」作成担当者としての作業を自宅でする。

16日月曜日には、すべての原稿を印刷会社に渡さないとね。

これも去年と同じ。

ところで何の話を書くつもりだったのか?

そうだ!

先日1月11日水曜日に出勤して、研究室の窓を開けて、私は絶叫した。

窓の外の出っ張り(あれは何と呼ぶの?)の上に、鳥の惨殺死体があったのだ!!!

食い千切られて、捨て置かれた鳥の死体が!!

前々から、その出っ張りの上には、鳥の羽が散乱していた。

鳥の糞もベタリと付着していた。

どうも、その出っ張りは、鳥たちの休憩所だけではなく、「獲物の調理場」になっているらしい雰囲気があった。

窓の出っ張り部分はけっこう広い。窓の清掃のために業者の人が立って作業できる広さがある。

いかにも、鳥からすれば、最近の人間を舐めきった鳥からすれば、按配のいい休憩所であり、「調理場」なのだ。

だから、とうとう!

しっかり食い終わらずにそのまんまの黒い鳥の死体が!!

全長20センチくらいの。

私が平然と鳥の惨殺死体を片付けることができるはずない。

汚いトイレと鳥は大嫌いだ。

鶏肉も食べることができない。

で、アシスタントの女性に泣きついて事務局に電話していただいた。

なんともならんのよ、私は!!

長い棒みたいなもので、その惨殺死体を押して、出っ張りから下に落とそうかとも思った。

しかし適当な長さの棒がなかった。

ありがたいことに総務課の若い男性職員さんが、すみやかに綺麗に処理してくださった。

助かった!!

建物の管理は総務課のお仕事だそーです。

汚れた出っ張り部分を雑巾で拭き清めてくださった。

ありがとうございます〜〜ありがとうございます〜〜ありがとうございます〜〜

もう総務課の悪口を言いません。

Facebookにも書きません。

鳥にいかにも「ここで休んでね!ここ使ってね!」と言わんばかりの具合のいい出っ張りを造ってしまった、福山市立大学の建物の設計上の問題はさておき、

なんで、こうも鳩がウロチョロしてんだ、うちの大学の近辺には。

聞くところによると、近隣の男性の高齢者が、早朝毎日、鳩に餌をやっているそうである。

だから、うちの大学の鳩は肥満しているそーである。

肥満は、デブは、鳩も人間もいけない。

人間が与える高カロリー餌に慣れた鳩は、餌探しすることもない。

暇だもんだから、ついつい他の鳥を追い詰めて食おうと思ったら不味かったので、そのまんま「調理台」に置いてきちゃった……

鳩に餌をやる馬鹿がいるので、鳩が余計に寄り付き、その糞害もうざい。

人間に相手にされないし、自分の心の寂しさを鳩の間抜け面に投影して、餌をやるのは、ただただ近隣に迷惑なだけではない。

鳥インフルエンザに感染したらどーするんだ。

それで鳩に餌やる高齢者が死ぬのはいい。

それは、とてもとてもいいことだ。

ただ、その高齢者が感染した鳥インフルエンザのウイルスに感染した人間はどうなるんだ。

乳幼児に感染したらどうなるんだ。

体力がたまたまないうちの学生に感染したらどうなるんだ。

みなさん、鳩に餌をやるのはやめましょう。

鳩に人間が接近すると鳥インフルエンザに感染する危険があるんだぞ。

鳩のウイルスというのもあるし、糞の中のウイルスが風に乗って……ということもあるんだぞ。

地球は回る〜〜♫  糞を乗せて〜〜♫

いつかきっと出会うウイルス乗せて〜〜♫♫

このことは、Facebook友だちの医療関係者の方に教えていただいたぞ。

こーいうことは、保健所とかが声を大にして言うべきことらしいよ。

まあ、役所のやることは常に後手に回る。

だから、私たちは気をつけねば。

みなさま、自分の感傷を動物に投影するような脳足りんな真似はやめましょう。

そういう、「いい人だけど、どうでもいい人」的行為は慎みましょう。

一見思いやりに満ちた優しい行動に見えて、人間社会にとっては脅威になりかねないような頭の悪い行動は慎みましょう。

鳩はあなたのことなんか、どーでもいい。

感謝もしないよ。

鳩は鳩で食ってける。

勝手に空を飛べる。

ほっておけ。

いるんだよ、こーいう馬鹿。

野良猫に餌をやるのを習慣にしている馬鹿もいる。

野良猫を救ってもどうしようもないという事実を直視できない馬鹿が。

頭が悪くて、想像力がなくて、だから人に迷惑かけるので、無視され孤独になり、鳩や野良猫に餌をやって、なにほどか良いことをした気分になって自分を慰めるという類の人間には、死んでもわからないだろうなあ。

鳩や野良猫に餌をやることで、ただでさえ頭が悪くて人様に迷惑かけてきた人生にさらに人様に迷惑かける悪行を加えてしまっているということを。

地獄への道は善意で敷き詰められている。

捕鯨が残酷とか言い募って捕鯨船の邪魔する団体があるが、おかげで鯨が増えてしまって、海の小魚を食い過ぎて、他の魚にとって食糧危機で、漁獲高が減っているとか。

善意の心優しき人々の視野の狭さと事実を直視できない脳の緩さが、世界を脅威に晒すんじゃ。

鳩に餌をやる人間は、迷惑以上犯罪者未満です。

こういうことを、頭の狂った類の高齢者に言ってもしかたない。

しょーもない「動物愛護精神」の持ち主に言ってもしかたない。

こーいうことは「巷の常識」として、広めて行きましょう。

鳩とか野良猫に餌をやるなんて行為は、ただの頭の悪いセンチメンタリズムであるばかりでなく、人間社会にとって迷惑以上の脅威になるということを。

ああ……3月末で退職で良かった。

あんな鳥の惨殺死体を、研究室の窓辺で何度も見る羽目になったら、もう……心臓麻痺で死ぬわ。

ひとりでも寂しくない人間

本日は2017年1月10日火曜日である。

昨日は、風邪っぽかったのでグダグダ寝ていた。

去年の大晦日の日から初めて完全にフリーの日だった。

私にとって、真の「お正月」だった。

明日に予約した歯科医院に行く前に、歯痛を市販されてる鎮痛剤で止めてる。

鎮痛剤は痛みを感じる神経を麻痺させる。

であるからして、おそらく他の神経も麻痺させてしまうのであろう。

ついつい、ボンヤリしてしまう。

鎮痛剤って飲むと痛みは止まるが、頭が悪くなる。

ほんと。

知らなかった。

あれを常用したら脳がやられる。

身をもって人体実験している私。

今日書くことも、鎮痛剤で脳足りんになっているので悪しからずです。

ところで、今日のブログのタイトルは、「アキラのランド節」でも2010年に使用したことがある。

「ひとりでも寂しくない人間」

太平洋戦争敗戦後にGHQに潰された政治結社に「玄洋社」というのがある。

右翼の大アジア主義者の頭山満(とうやま・みつる)で有名な玄洋社。

中村天風さんも若い頃にお世話になった福岡で生まれた政治結社。

幕末の男装の女性漢学者、高場乱(たかば・おさむ)の弟子たちが作った政治結社。

この頭山満が言ったそうだ。

「ひとりでも寂しくない人間にならないといかん」って。

つまり、ひとりの自分の時間と思いを充実させることができる人間でいないといけない、ということなのだろう。

家族であれ友人仲間であれ、他人とつるんで騒いでいることで人生を誤魔化すような人間ではダメだということなのであろう。

政治結社を率いて多くの人々の中にいた人物が、こういう言葉を残しているのは興味深い。

この頭山満の言葉をなんでまたも思い出したかというと……

去年の大晦日から1月4日までと1月8日に妹の入院先に見舞いに行ったときに、車窓から見た街の風景や人々の姿に「哀しさ」を感じたからだ。

哀しさを感じたのは、私が哀しいからだったろうか?

いや、私は哀しくない。

今までの人生で1番と言っていいほど、私は幸せを感じている。

ああ〜〜〜ありがたいなあ……と一瞬一瞬に感じているぞい。

でも、街を眺めると、人々を眺めると、哀しみを感じてしまう。

なんで?

平和な風景なのに。

繁栄した風景なのに。

道端に餓死者も戦死者も見えないのに。

で、私は「空から爆弾も落ちてこないし、街角から戦車も出現しないのに、なぜ日本人は哀しいのだろうか?」とfacebookに投稿した。

まあ、日本の道路は狭いので、戦車が通れないけど。

専守防衛の自衛隊に戦車隊は要らんわ。

そーいう話ではないな。

ともかく、なんで日本人は哀しいのかと質問したら、facebook友だちのおひとりが、「さみしいのですよ」とコメントしてくださった。

「ほんとうに充実しているわけでもなく、生きていることがさみしいのです」という内容のコメントをしてくださった。

ほんとうに自分が充実しているわけではなくてさみしいと感じる人々の想念が、ついには街を覆って哀しみを醸し出しているのか?

そうなの?

ならば、この哀しみは水準が高いぞ。

「私は、こんなにさみしいんだな」と思うことは、自分の感情や心の声に耳を澄ませているということだ。

正気になっているということだ。

それは自分の魂の声に耳を正直に澄ませているということだ。

自分の魂に出会っているということだ。

自分に正直でいるということは、そういうことだ。

自分の魂が、自分のいる環境を静かに眺めているってことだ。

で、さみしいね……と思う。

これはいいことだ。

魂が世界に開かれているってことだから。

閉じていた魂が、外界に開かれて、外界を眺めて戸惑っているんだ。

その戸惑いを表現する言葉がない。

強いて言えば、さみしさに似ているのだよ、その戸惑いは。

人間って何のためにこの世界に生まれて生きていくのかわかんない。

でも生きていくんだ。

よくわからないけど、生きていくんだ。

そういう戸惑い。

その戸惑いは自分で引き受けるしかないのだな……と思うこと。

それが「さみしさ」なのだろう。

でも、その「さみしさ」をしっかり受け止めて、世界を見つめれば、この世界はなんて面白いのだろう。

見つめていて飽きることがない。

人々の生態も見つめていて飽きることがない。

この世界のこの時代に、この国で生まれて生きてきた不思議。

その奇跡。

そうだ、日本人は、そういう奇跡を感じる寸前の段階に来ているのかもしれない。

暮れからお正月とか連休とか、人々が多忙さから正気に戻る時だ。

まだまだ亜人間の若い人々や子どもは、イヴェントで大騒ぎして自分から逃げるしかない。

ひとりでいると寂しいから。

大人になると、わかるよ。

ほんとは、誰といても寂しいのだよ。

さみしいのだよ。

でもって、誰でもそうなんだなと、わかるのだよ。

みんな、そういうさみしい人生を1人で引き受けているんだな、って。

そこに、共感が生まれるのだよ。

生きとし生きている存在に対し共感が生まれるのだよ。

さみしさを掘って掘って突き抜けると広い場所に出るのだよ。

そこでは、自分1人の孤独など何ほどでもない空間だ。

ひとりを超えて行け〜〜♫♫だ。

正月の街に、1月の連休の平和な街に漂っていた哀しみは、日本人が自分のさみしさをしっかり抱きしめる前の戸惑いの集積なんだ。

その戸惑いを直視しよう。

正気になろう。

隣国のある種の人々は、従軍慰安婦像というか少女像を日本の領事館や大使館や世界中のあちこちに設置すれば熱く充実できるらしい。

いいなあ。

他人のせいにできるのは。

いまや、多くの日本人はアメリカの悪口や中国の悪口を言ってもしかたないよなあ…イルミナティやNew World Orderのせいにしてもしかたないよなあ……と思い始めた。

マトリックスを超えないと、自分自身の狭い認識を超えないと……と思い始めた。

自分の魂と出会うまであと一歩だ。

だからの、戸惑いだ。

ひとりでも寂しくない人間になるまで、あともう少し。

ひとりを超えて行け〜〜♫♫

マトリックスを超えて行け〜〜♫♫

成人の日の誓い

本日は2017年1月9日月曜日だ。

成人式の日で休日。

昨日また名古屋に戻り妹を見舞った。

転院先の病院は前の病院より大きくて、図書室も談話室も美容院もある。個室も多い。

個室に入って良く眠れるようになったとかで、妹は落ち着いている。

うちの姉妹はふたりとも偏屈で鈍感で自分勝手なくせに、超神経質であるところが似ている。

妹は再度の検査で胃潰瘍まで見つかった。

肝硬変に胃潰瘍か。

爆弾を抱えているようなものだな。

なのに病院の昼食に「牛乳」が出ていた。

いまどき、なんで「牛乳」なんだ。

「牛乳」なんて飲めば飲むほど、骨粗鬆症になるという説もあるのに。

日本人は「牛乳」に弱い遺伝子なんだぞ。

乳製品は身体に悪いという説もあるんだぞ。

乳製品の摂取は乳がんの原因とかの説がアメリカで発表されて、人々が乳製品摂取を控えたら、乳がんの発症が減ったという説もあるんだよ。

肝臓が悪いのに、なんでオレンジジュースが出るんだ。

人参ジュースじゃないの?

果物の糖は肝臓に良くないんだぞ。

そんなもん残せ!

体温を上げるために、なんで患者を毎日に何度も入浴させないんだ?

朝は、熱い生姜湯を提供してちょーらい。

ともかく菜食、少食、咀嚼を守ってちょーらい。

病院で提供される食事内容は、時代遅れだよなあ……と私は思う。

ちょっと昔の常識だよなあ……と思う。

しかし、入院とは他人に身を任せること。

自分の判断で動けない。

入院とは、緩い緩い刑務所に入所するようなものだ。

強制収容所とまでは言わないけれども。

「わけのわからない薬は飲みません」と言っても通用しない。

「何時に寝ようが勝手でしょ」は通用しない。

「なんで3食も食う必要あるんよ」は通用しない。

患者は管理管制下に置かれるしかない。

妹を見舞うたびに、私は決意をあらたにする。

なんとか自分の身体をコントロールして「歯科医院」以外の病院には関わらないこと。

病院と関わらないことが、私の後半生の自由と個人の尊厳を確保する。

病院と関わって入院するはめになったら、アウトだ。

私的には、入院は強制収容所送りである。

アウシュビッツだ。

私的には、だ。

妹の入院にあたっては、医療関係者の方々には感謝している。

妹や妹の家族は、普通に人並みに、医療洗脳にドップリ浸かっている。

それはそれでいいのだ。

私は、他人の洗脳状態を解く気はない。

説得する気もない。

おそらく夫が病気を診断されたら、やはり入院して医師や看護師の指示に従うのだろう。

それはそれでいい。

他人の生き方に口を挟む気はない。

でも私は嫌だ。

物心ついたら、幼稚園だの小学校だの中学校だの高校だの大学だのとずっと「緩い刑務所」に通った。

大人になってからは、生活費確保で、勤務先に通った。

やっと自由になる。

なのに、今度は病院の管理下で暮らすなど、かなわん。

そんなマゾヒストじゃないです、私は。

高齢者は、病院に行って診断を受ければ病気らしきものが見つかるに決まっている。

だから、まずは病院に行く羽目になることを回避しなくてはならない。

還暦まで生きてこれたのならば、もう病院にはなるたけ接近しないことだ。

一昨年の秋に、私は病院に行き、しばらく通っていたが、途中で通院は辞めた。

際限がないわ……これでは……

他人任せじゃいけない、自分の身体なんだから。

ともかく自分で何とかしよう、と思った。

ほんとうは健康診断も受けない方がいい。

あれは日本医師会の陰謀である。

病気を発見して脅して医療を受けさせるために実施されている。

病気予防のため?

健康診断を義務化して以降、健康保険の医療費はちゃんと減っているの?

どんどん膨らんでいるのではないの?

病気捏造のための健康診断なんじゃないの?

まあ、医療界も大産業なんだから、しかたない。

稼ぐしかない。

これ以上、失業者が出てもしかたない。

どうぞ頑張ってください。

しかし、私はそんな産業に貢献する気はない。

癌だとしても、癌と気がつかずに、お気楽に好きに生きて、バリバリ生きて、ある日ぶっ倒れる。

病院に担ぎ込まれて1週間か2週間ぐらいで死亡。

「手遅れでした〜〜〜」で死亡。

これがいい。

これが理想だ。

還暦過ぎたら、それでいい。

ほんとは中年でも若年でも、その方がいいんじゃないか。

癌と診断されて、大慌てで手術とか放射線治療とか抗がん剤とか……

冗談じゃないわ……

ほんとは、就寝中に心臓麻痺で死亡。

これが最高。

しかし、私は日頃の行いが悪い。

そんな恩寵を求めるのは、厚かましい。

自分がしてきたことの結果は引き受けます。

罰は受けます。

でも、入院はいやだ。

とはいえ、現行の日本の法律では、どんな死に方しようと、医師に「死亡診断書」を書いてもらわねば、火葬の許可は出ない。

「あ、死んでるわあ〜〜〜この人……火葬場に運んで焼却してもらおう〜〜〜」では、すまない。

だから、どこかで病院に関わらざるをえない。

ま、死亡診断書だけは書いていただきましょう。

よろしくお願いいたします。

でも、入院は回避だ。

いよいよ、自分の身体を自分で管理することを真剣に取り組み、それを継続しないとなあ〜〜

と決意をあらたにする成人の日。

ところで、健康保険を使っていない人間には保険料を返して欲しいわあ。

保険なら、満期金とか出るじゃないの。

健康保険っていう名称をやめてよ。

「医療税」と正しく呼びなさいよ。

病院に関わらず自分で自分を信じ律して医療費を使わなかった人間に、保険料を返して欲しいわあ。

え?(厚顔無恥第一級の類のたかり根性の国々からの)移民の病気治療に使うから駄目?

病院しか行くところがない高齢者の無意味で無駄な長生きのために使うから駄目?

医療界が政権に渡す献金のために使うから駄目?