私は6回叫んだ…小林旭さんコンサートの感動

これはFacebookにも書いたことないし、友人に話してもいないことだ。

私は、今年の9月10日に静岡県の浜松市に出かけた。

浜松には航空自衛隊の基地がある。

「航空自衛隊浜松基地広報館エアパーク」があるんで、そこに見学に行ってきた。

でも、ほんとの目的は、その日の午後6時半から「浜北文化センター」で開催された「夢コンサート」だった。

御年77歳になる小林旭(こばやし・あきら:1938-)さんの「夢コンサート」に私は出かけた。

「夢コンサート」つーのは、小林旭さん主演の「無法松の一生」という劇と、小林旭さんが中心のコンサートの2部構成の公演のことだ。

その他には、浅丘ルリ子さんとか黒沢利男さんとか三善英史さんとか1960年代から70年代にかけて活躍した俳優さんとか歌手さんとかが出演する。

要するに高齢者向けの「懐メロ・コンサート」だ。

この「夢コンサート」つーのには、「橋幸夫ヴァージョン」とか「小林幸子ヴァージョン」もあるらしい。

しかし、私が観たいし聴きたいのは「小林旭ヴァージョン」だけであり、「小林旭」だけだ。

ほんとは6月の末だか7月の始めだかに、小林旭さんは福山市にも公演に来た。

だけど、残念ながら仕事があったので、私は行けなかった。

だから、9月の浜松に出かけた。

小林旭さんのコンサートには2008年秋にも行った。

京都の平安神宮近くの会場だった。あのときの小林旭さんは70歳だった。

今度は、2015年は、77歳。

ひょっとしたら生きている現役の歌える小林旭さんのステージを見るチャンスは、これが最後かもしれない。

そう思った私は、浜松に行った。

私は、ガキの頃から、理屈抜きで「小林旭」のファンなのだ。

戦後日本における最高の歌手は、「小林旭」だと私は思っている。

小林旭さんこそ、天才である!!

「美空ひばり」じゃね~~よ!!

美空ひばりと離婚しようが、極道さんとおつきあいがあろうが、祇園や銀座で脳タリンに遊びまくろうが、70歳過ぎても借金かかえてドサ回りだろうが、どうでもいいの。

デブになろうが、髪が植毛だろうが、処女だった浅丘ルリ子を強姦しようが(ほんとだって。浅丘ルリ子の評伝にそう書いてあったぜ)、どうでもいいの。

「好き」に理由はないね。

好きは好きなんだから、しかたないね。

私は、コンサートなんかで観客が振る細長いライトあるじゃない、あれなんて呼ぶの、ペンライト? あれを2本購入して前から4列目の「プレミアム・シート」で待ち構えた。

あんなもん初めて買ったぜ。2本で1000円だった。

最初は「無法松の一生」の上演だ。

「無法松の一生」は、明治時代の九州は小倉を舞台にした貧しい人力車引きの男の物語だ。

自分を可愛がってくれた海軍将校だか陸軍将校だかの未亡人とそのヘタレの一人息子を守り尽くして死んでいく男の物語だ。

私は、この「無法松の一生」という物語も好きなのだ。

日本の男優は、この「無法松」を演じることができないようではあかん!という偏見の持主なのだ、私は。

「無法松」をかつて演じた男優は、私が知る限り、「坂東妻三郎」に「三船敏郎」に「三國連太郎」だ。

この3人とも私は好きだ!!!小賢しくないからね。

現代ならば、「山田孝之」君に演じてもらいたいね。

「無法松」は、愚直な父性つーのか、グジャグジャしょうもない屁理屈を言わずに行動で示す素朴な男らしさが、いいんである!!

ドサ回りの芝居と馬鹿にしちゃいけないよ。なかなかに、構成もよくできていて、楽しませてくれたですよ、小林旭さんの「無法松の一生」は。

で、いよいよコンサート!!

で、びっくりだった。

なんと77歳の小林旭さんは、70歳のときの小林旭さんより、元気で声が良く出ていた!!!

もう~~~~素晴しかった!! 素晴しい歌唱であった!!

私は静かに狂喜して、2本のペンライトを振りまくった。

ただ、最後まで静かにしてはいられなかった。

小林旭さんの歌やトークの邪魔にならない隙をねらって「アキラさあああああ~~~んんん!!!」と大声で、私は舞台に声をかけた。

計6回叫んだ。

ほほほ。気がすんだぜ。

こーいうことは、私は初めてであった。

歌舞伎なんかで、「澤潟屋!」(おもだかや)とか、「播磨屋!」とか「成田屋!」とか声をかけるじゃないですか。

あれをやってみたいけど、どうしても女の声ではサマにならない。

だから、どんなに先代市川猿之助(あくまでも先代だ!)の舞台に感激しても、私は舞台に声をかけたことはなかった。

でも、今回、舞台の小林旭さんに声をかけなければ、いつかけるんだ!!!

というわけで6回叫んだ!!

私の叫び声に誘われて、あちこちでオバハンやオバアハンが「アキラさ~~~ん!!」と声を出した。

だが、残念ながら、他のオバハンやオバアハンには、思い切りが足りなかった。

もっとストレートにでっかい声を出さねばいけない。

私は教師やってきたからね、ここぞという時に大声出すのは、得意だ。

日本人の観客は、ほんとにノリが悪い。

もっと讃えねばいけない。スターはストレートに讃えねばいけない。スターは神に選ばれた人なんだぞ。

77歳で、あれだけの声。あれだけの美声。脳天気に天井を突き抜けるあの声。

小林旭さんは、70歳以後に声楽の訓練を受けたに違いない。

でなければ、70歳のときより77歳の時の方が、声が出ているということはない。

70歳のときより進化していた小林旭さん!!

70歳のときより77歳のほうが、小林旭さんは輝いていた!!

歌の合間のトークも進化していた。

70歳のときの小林旭さんのトークは昔話が多かった。

宍戸錠も長門裕之も山城新吾も、かつて祇園で遊びまくってた頃の仲間たちは「ボケちゃった~~」みたいな話が多かった。

まあ、ちょっと愚痴っぽかった。

だけど、今回のトークは、「今でも現役で歌い、お客様が来てくれること」の悦びを語り、晴れ晴れとしていた。

あれから7年経過して、小林旭さんは吹っ切れていた。心が自由自在(のよう)に弾けていた(ように思えた)。

明るく顔が輝いていた。

なにしろ、どっかのオバハンが6回も自分の名前を大声で叫んでいたからな。

あの日は、一階観客席の8割が埋まっていた。8年前の京都の会場ではいっぱいの観客席だったが。

しかたない。小林旭さんのファンも高齢化で、どんどん死滅しているからな。

私は、小林旭さんのファンとしては最年少ぐらいだと思うよ、うん。

私は、あの日、あのコンサートで、6回「アキラさあああああ~~~んんんんん!!」と叫んだ。

私の愛は、小林旭さんに届いたに違いない。

小林旭さん、歌えるまで歌ってください。

私も、小林旭さんの「ダイナマイトが150屯」の歌声を支えに生きて行きます。

ありがとう、小林旭さん。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

2017年3月31日退職決定!!

先週の11月9日に決めた。

父方の祖父の命日だな。関係ないな。

今年の夏あたりから、深い疲労感に悩まされてきた。ダルサが半端ない。

まあ、でもこんなもんだろ・・・と思ってきた。

しかし、11月に入って、これはいくらなんでも異常だ・・・と思った。

で、病院嫌いの私であるが、同僚の渡邊明先生のコネを頼りに、福山市内の病院で急遽、診察を受けた。

そしたら、「非アルコール性脂肪性肝炎」(NASH)という病気であることが判明した。

は??なに、それ?

検索したら、5年後生存率65パーセントから75パーセントの病気で、肝硬変の5歩手前、肝臓癌の10歩手前くらいの病気だってさ。

げっ・・・

ということで、「強力ネオミノファーゲンシー」つーのを20mlを2本毎度静脈注射してもらうために、週に数回病院に通っている。肝臓の炎症を抑える薬品だって。道理で、強烈な疲労感はおさまっている。

あ~た、5年後生存率65パーセントから75パーセントの病気でっせ。時間がないよ。

もう、福山でグチャグチャぶ~たれている場合じゃないわ・・・ということで、「退職願」を、学部長経由で学長に提出した。

ただし、退職は来年の春じゃない。再来年2017年3月31日だ。定年退職の1年前だ。

今の3年生ゼミのゼミ生5人の卒論制作の指導はしなくちゃ。

来年度から、1年生必修「総合英語」e-Learningのシステムが変わるので、それも軌道に乗せなければならない。

ちょうど、来年度の専門ゼミの募集時期だったけれども、私のゼミは英文資料は読むし、課題は多いし、就職には直接関係のない政治系ということで、まったく人気がない。

で、今年の第一次希望者はゼロだった。

求められない教師の私。

必要とされていない教師の私。

泣き崩れる私。

なわけはない。

まあ、他のゼミで受け入れてもらえなかった学生が難民となって私のゼミに流入してくるから、最終的にはゼロにはならないけれども、私は「もう、いいよ、たくさんだ・・・」という気分になった。

ただでさえ不本意入学の学生さんの多い大学の、不本意学部の、不本意ゼミってなんだよ。もう、いいよ。

桃山学院勤務時代の2008年には、すでに教師をする情熱は失せていた・・・

教えることはできるけど、学生と雑談のための雑談するのが、たまらなく退屈で苦痛になってきて久しい。

教師は若い方がいいよ。学生と年の差が開いてない方がいい。

どちらも同じくらいアホで、アホが集まってアホなことする。これが大事なことだ。

吉田松陰と、その弟子のごとく。

どちらもアホでいっしょに盛り上がる軽薄さこそが、教育効果なのだ。

いや、ほんと。

よく、わからんけど。

「何、やってんだかね・・・」と学生を「眺める」感じになってはいけない。

宇宙人が地球人を観測するような目つきになってはいけないのだ。

だが、私は、死後にこの世を眺めるような、透明なガラスの向こうを眺めるような気分で学生たちを眺めるようになって久しい。

もう、この状態は7年だ。

もう限界だ。

ということで、迷いなく退職を決めた。

そもそも、給料が安いうえに、二重生活で経費がかかるし、研究用の書籍代は研究費から出ないし(=市役所の管財課で入札してから届くので数週間から数か月はかかる)、福山と名古屋往復間の新幹線代はかかるし、福山市立大学にいても、経済的にはメリットがあまりない。

どっちかと言えば赤字だ。

なにかやろうと思えば、必ず持ち出しになる。

まあ、本気でやれば、どんな仕事も持ち出しの方が多いのであるが。

うちの大学は、教員の持ち出し大歓迎奨励機関やね。

ということで、迷いなく退職を決めた。

なにしろ、5年後生存率65パーセントから75パーセントの病気で、赤字の多い生活。

ほんとは、来年の春にサッサと名古屋に帰りたい。

ところではあるが、やはり、最後の1年間でやるべきことはきちんとすませる。

「非アルコール性脂肪性肝炎」(NASH)という病気の原因は、要するに生活の不節制よ。

過食。夜更かし。不規則な生活。運動不足。

以上の4要素で、私の福山ライフは構成されてきたからな。

多忙にまぎれて「ナチュラルパレオ食事法」なんてぶっ飛んでしまったよ。

夕食作るのが面倒くさくて、デリバリーでピザ注文して、Mサイズ1枚をひとりで食っちゃうなんて、よくあったしなあ。

広島県福山市ってのは、食べ物は美味しいところでさ、安くて美味しい料理を提供するお店は多いところなんだ。

他にいいところはないけれども、食べ物は美味しい。この長所は他の欠点を補って余りある。

だから、外食も多いんだよね・・・

エンゲル係数、とっても高いね・・・

夜更かしとか不規則な生活なんて、私の趣味だしなあ。

ところで、スピリッチュアル的には、肝臓の病気の原因って、「怒り」だってね。

「怒り」

それは、あ~た、2011年4月以降、怒りっぱなしですがな。

「カネも見識もないような市が、4年制大学なんか一丁前に作るな、馬鹿!!!」

「もっと選択と集中だ!こんなカリキュラムで、どんな学生を養成できるっていうんだ、馬鹿!!!」

「なんで、いつまでたっても海外での語学研修制度すらできないんだ!学生が私費で留学したら、それも単位として認めろ!!何やってんだ、ここのTOPは!!」

という怒りは、この5年間ず~~~~と腸と肺の間にくすぶってきてますがな。

そこが肝臓か。なるほど。

ということを、中国人の知り合いに話したら、こう言われた。

「あ~~やっぱりね~~~あそこの土地も建物も風水的に良くないね~~~ああいう入り江の埋め立て地は、ろくなもんが埋まってないからね~~犬や猫の死体とか汚物とか。いくら埋め立てても駄目よ~~~~邪気や汚れた気が、どんどん上がってくるね~~~」

「だいたい、あそこは化学工場だったでしょ、前は。埋め立て地で良くないのに、そのうえ化学工業の廃棄物なんかもいっぱい埋まってるよ~~~土地の気が悪いのよ~~~」

「僕ね~~~あそこあたりを通るとき、なんか冷たい空気が流れているのを感じるの~~あの建物も暗いね~~~良くないね~~~なんで、あんなの建てたかね~~」

知らんがな。

そうか、「気」が悪いのか・・・

まあ、あと500日ぐらいは、その「気」に負けずに過ごせるでありましょう。

はああ・・・・この解放感。

2011年4月以来「辞めたい」と思わなかった日は1日もなかったのだけれども、ひょんなことから、結論が出た。

これも御先祖様のお導きでしょうか。

さて、あと500日を楽しもう!!

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ニーチェ気分の昼下がり

2015年の収穫は、私的にはニーチェに再会したことだ。ほほほ。

翻訳が出ている範囲ではあるけれども、まあほぼ読破したことだ。けけけ。

若い時に、大学院生の時に『悲劇の誕生』を読んで、「わかったような、わからないような・・・」で終わってしまって、あれから35年。

こういうことってあるよね。

若い時に会っていたのだけれども、自分の水準がすさまじく低かったので、その人の凄さがわからなかった。

で、やっと自分の脳が動き出してから再会したら、もう無茶苦茶にその人は魅力的だった、みたいな。還暦過ぎてやっとつかんだ真の恋というような(あるか、そんなもん!)。

ああ、再会できてよかった。

再会できていなかったら、私の人生はどうなっていたんだろ・・・と思うような再会。

今、ニーチェを読むと、無茶苦茶によくわかる!!

この人、私のソウル・メイトかしらん!!と思うほど共感する。

アイン・ランドの『水源』を読んだときにも、この人、私のソウル・メイトかしらん!と思った。大感激した。47歳のくたびれかけた全細胞が活性化した!

けれども、『肩をすくめるアトラス』を読んだときに、エッセイの『利己主義という気概』を読んだときに、「やっぱり違うわ・・・」と思った。

「女の秀才にありがちな硬直した合理主義に陥っている。馬鹿優等生一歩手前になっている。どうしたんだ??何があった??」と思った。

でも、ニーチェの言うことは、全部共感できる!!

こんなすごい面白い人の書いたものが、「大哲学者」というレッテルのために、敬遠され読まれていないとしたら、すっごく、もったいないことだ。

「ナチスに思想的背景を提供した」という濡れ衣のために、うさん臭いと思われて読まれないとしたら、ほんと人類の損失よ。

こんなポップな人はいないよ!!

こんなに面白いこと書ける人はいない!!

リバータリアニズムと地脈が通じているんだよね、ニーチェの哲学は。

今日は、その中でも、「超人」思想についてフジモリ流に紹介しちゃう。

いろいろ誤解してる馬鹿が多いからさあ。

ニーチェの『ツアラトゥストラはこう言った』上下巻(氷上英廣訳、2015、岩波文庫)から引用しちゃう。

9月に自分が書いた論文(ただいま校正中)からコピペしちゃう。

超人とは、いわゆるスーパーマンとか超能力者とか新人類とかの意味では全くない。

そもそも、「人間は克服されなければならない或物」(ニーチェ、上巻、氷上訳、2015、14)だ。

「人間は動物と超人のあいだに張りわたされた一本の綱なのだ、—深淵のうえにかかる綱」(18-19)である。

「人間おける偉大なところ、それはかれが橋であって、自己目的ではないということ」であり「人間において愛されるべきところ、それは、彼が移りゆきであり、没落であるということ」(19)である。

人間は汚れた流れであるが、その汚れた流れを受け容れ、不潔にならないために「大海」(16)であろうとするのが超人である。

超人は、幸福というものを貧弱で不潔でみじめな妥協と安逸だと考える。超人は、自分の幸福は、人間の存在そのものを肯定し、是認するものと考える(17)。

超人は、自分の理性は獅子が獲物を求めるように知識を激しく求めていなければならないと考える。超人は、自分の徳や正義や同情などは、すべて中途半端なものと考える。超人は、自分の炎で自分を焼き殺そうと思わねばならない。でなければ、あたらしいものになれないからだ(107)。

だから超人は創造者だ。超人は、自分自身を超えて創造しようとし、そのために破滅する(108)。

だから、超人は没落せざるをえない。しかし、超人であろうとすること、そう意志して生きることそのものが、人間である。常に古い自分、矮小な自分、安逸に自足する自分を超えようと志向しなければならない。

「自由を手にいれた精神も、さらに自己を浄化しなければならない」(69)。

「魂の中の英雄を投げ捨てるな!」(71)。

ね、カッコいいでしょう!!

すっごくカッコいいでしょう!!

滅茶苦茶にカッコいいでしょう!!

特にいいのは、超人は「降りていく存在」だってこと。幸福や安寧に充足せずに、自分の狭い殻を常に打ち破って先に進んでいくってこと。

高みにすわって衆愚を眺めるっていう貧血気味のインテリみたいな矮小さには陥らないこと。

自分の認識を広げるために、高みから降りていくってこと。そーいう好奇心とスタミナがあるってこと。

高いところから見えることもあるけれども、地面にたたきつけられるからこそ見えるものもある。

カネ持っているから見える風景もあれば、カネがないからこそ見える風景もある。

若くて美人だからこそ見える風景もあれば、ブスのババアだからこそ見える風景もある。

いろいろなものを獲得することが人生の成功かもしれないけれども、どんどん失っていかないと到達できない認識もあるんじゃないか。

どんどん手放してこそ、見える何かがいっぱいあるんじゃないか。

降りてこそ見える広い広い眺めがあるんだ。

でも、そこに安住しちゃいけない。安住は退屈だし、頽廃と傲慢と脳タリンを生む。

いや、ほんとニーチェの言葉は、還暦過ぎた人間をこそ勇気づけてくれるよ。

ところでさ、女ってさ、閉経にならんと脳が動かないような感じがしないですか?

生理があるうちは、生殖関係に神経がいくようにできているようで、雑念ばっかりなんじゃない?

振り返ってみると、そう思うね。

若い女性のみなさま、閉経以後を楽しみにしていてね。あらたな認識の地平が開けるわよん。

やっと脳が稼働始めるわよん。霊性が覚醒を始めるわよん。

さあ、「大海」に乗り出そう。ほほほ。

今日も大冒険!

大島弓子さんってご存知ですか?

大島優子ちゃんじゃないよ。

特に1970年代から1980年代に大活躍した萩尾望都とか竹宮恵子とか山岸涼子とか樹村みのりとかと並んで、「24年組」と称された少女漫画家のひとりだ、大島さんは。

この人たち、だいたいが1949年昭和24年生前後に生まれた人々だったので、「24年組」と呼ばれた。

(不思議なことに、『ベルサイユのばら』の池田理代子は「24年組」とは呼ばれてない。『ガラスの仮面』の美内みすずも「24年組」に入ってない)

もう当時は少女漫画の大革命時代だった。

1970年代から80年代にかけて、日本の少女漫画の水準は飛翔したんよ。

才能がピカピカ光っている少女漫画家たちが噴出した時代だったんよ。

その中でも、大島弓子さんの作品は、漫画でなければ表現できない世界を作り上げた。

たとえば、猫を擬人化したり。

『綿の国星』なんか、そーだよね。子猫が可愛らしい少女として描かれる。

精神年齢で登場人物を描いたり。

『夏の夜の獏』とか。

これが大傑作だった。

『夏の夜の獏』の主人公の8歳の男の子は、27歳くらいの青年として描かれている。

40代始めくらいの両親は13歳くらいに描かれている。

19歳の兄も同じく13歳くらいに描かれている。

痴呆のおじいちゃんは、赤ちゃんとして描かれている。

介護士のお姉さんだけは、精神年齢と肉体年齢が同じの20歳で、主人公の心の慰めになってくれる。

主人公の男の子は、親も兄も幼稚だし、学校の同級生も担任の先生も幼稚なんで、孤独に考える時間が長くて、精神的にどんどん成長しちゃった。

そのうち、幼稚な両親が互いに不倫して離婚しちゃった。

痴呆のおじいちゃんが亡くなった。

お兄ちゃんは家出して、介護士のお姉さんと結ばれ、急速に精神的に成長する。

主人公の男の子の家庭は崩壊した。

心の慰めだった介護士のお姉さんはお兄ちゃんのお嫁さんになってしまって、赤ちゃんができた。

男の子は、独りぼっちになった。

ほんとに自分には帰るところがないと思った。

そのとき、27歳ぐらいの青年の姿で描かれていた主人公は、8歳の男の子の姿になる。

ワイワイオイオイと泣きながら、ガキの姿で町を走る。

この『夏の夜の獏』は、初めて読んだ日から、ずっと心に残っている。

で、この漫画のおかげで、私に変な習慣がついた。

他人を見る時も、自分を見る時も、肉体年齢と精神年齢のギャップという観点から見る習慣が。

「この人はいくつ?60代の終わりくらい?精神年齢は22歳くらいだな。なんでも部下に丸投げだ。そのへんの狡猾なニイチャンだ。自分のことだけで精一杯だもんな~~虚栄心が強くて気が小さいくせに威張りたがる」とか。

「この厚化粧の50代のオバハンの心は、まだ18歳くらいのギャルだな。花柄のワンピースに、前髪を眉毛までおろしてロングヘアってさあ・・・はにかんで笑うなよ・・・目じりの皺が怖いわ」とか。

「この学生は19歳だけど、精神年齢は28歳くらいはあるかもな・・・頭もいいんだろうけど、親が頼りにならなくて早く大人にならざるをえなかったのかな・・・」とか。

「いまどきの普通の学生の精神年齢は12歳くらいかなあ・・・まあ、マッカーサーの昔から日本人はそんなもんだったらしいけどね」とか。

「こいつ、東大出の科学者だけど、中坊じゃねーか」とか。

「今の私の精神年齢は25歳くらいに退化しているぞ!!あかん!!」とか。

そのうちに、だんだんと気がついた。

いくら老いても、人の心は少年、少女だってことに。

絶望的なくらいにガキだってことに。救いようがないくらいにガキだってことに。

だから、高齢者に向かって、安易に馴れ馴れしく「おじいちゃん」とか「おばあちゃん」とか呼んじゃいけないってことに。

でも名前を知らないと、どう呼びかければいいのか。

英語ならば、SirとかMadam(Ma’am)とか、あるのになあ。

まあ、「ご主人」とか「奥さん」と呼ぶしかないのかなあ。

さらに、気がついたことは、親というのが、とても可哀そうな存在だってこと。

まだまだ心はギャルなのに母親のふりしないといけない。

夢見る乙女なのに、クソ・リアリズムの生活を引き受けなければならない。

ほんとは心細くて泣きたいのに、頼りがいのある父親の顔をしないといけない。

女房や子どもの暮らしの責任を負うために、ひたすら満員電車で通勤する。ほんとは動物園に行きたいのに。

両親が健在の頃に、まだ若くて無知無知していた私は、両親の中に、そのような繊細な心細い傷つきやすい女の子や男の子が住んでいるということを想像できなかった。

なんたる想像力の欠如。

私のような愚かな人間は、親にも幼児時代があり、少女時代や少年時代があったのだという、あたりまえのことを認識するのにも、長い時間がかかった。

亡き両親に対して申しわけないことだったと、今は思う。

かわいそうなことをしてしまったと、今は思う。

学生と話していると、今の学生の親たちというのは、どうも、いつまでたっても、親になりきれないようだ。

いい年をしてギャルであり幼稚な青年であるらしい。

親のふりさえできないようだ。

子どもの方が親をお守りしているような家庭もあるらしい。

それを思うと、精一杯、「親」をしてくれた両親を持てた自分の幸運に感謝する。

さて、今の私は、自分自身の中に、いつまでたっても小学4年くらいの女の子がいるということに自覚がある。

たとえば、私の職場の「福山市立大学」というところで、私が所属している「都市経営学部」ってのは、創設年度の2011年度と翌年の2012年度は、私以外には女性教員がいなかった。

だから、教授会は、当然に男性ばかりの中に女性は私がひとりだけだった。ポツンと混じっていた。

そんな第1回教授会で、私は周りを見回しながら思ったものだった。

「オッチャンばっかりだ!知らないオッチャンばっかりだ!ほんとオッチャンばっかりだ!なんで、こんなオッチャンばっかりの中に私はいるんだろ・・・」と。

その時の私の心は、もろに小学校4年くらいの女の子だった。

ランドセルをしょって、会議室に紛れ込み、ちょこんと座っていた。床につかない両脚をブラブラさせながら。

今の私は、出勤する時に「これから、かよちゃんの大冒険~~~♪」と言ってみる。

小学校4年生の馬鹿ガキが、初老のオバサンの着ぐるみの中に入って、「センセイ」のふりをする。

だから、うまくできなくても、しかたない。

ドタバタしてあたりまえだ。

不器用でドジばかりでも、しかたない。

ひとつひとつ、ゆっくりあわてずに、やっていこう。

ひとつひとつ、勉強しよう。

わかるまで、できるようになるまで、練習しよう。

10歳の脳タリン気味の女の子が、62歳の「大学の先生」のふりをするのだから、疲れるに決まっている。

クタクタでヘトヘトになるに決まっている。

そのわりには、よくやっているんじゃないか。

自分の頭をナデナデしてあげよう。

ということで、私は今日も「かよちゃんの大冒険」に出かける。