プー子から見た風景 (5) 手仕事の世界

本日は、2017年5月31日水曜日だ。

5月も終わりだ。

私が、正式に無職のプー太郎ならぬプー子になってから2ヶ月過ぎたのだ。

今の私のマイブームは、「手織り」である。

なんでかっというと、このBlogにも書いたように、「トヨタ産業技術記念館」の織機の展示に魅せられてしまったからだ。

特に、初期の頃の手織り機に、ビビビッと来た。

「夕鶴」の鶴の精じゃないけれど、女性が腰掛けて機織り機でパッタンパッタンやっているイメージというものは、非常に郷愁をくすぐる。


(http://www.nunokirie.com/sin.nsakuhin1.htm より)

この手織りという作業は、注意力や集中力は必要ではあるが、基本は反復作業なので、無心になれる。

空っぽになれる。

そこがいい。

おそらく、昔の女性にとって、機織り仕事は、他の仕事よりはるかに楽しく、自分自身の世界に没頭できる作業だったのではないか。

織物という成果もあるし。

自分の手から、綺麗なものが生まれるのだ。

同じ手を使う作業でも、料理や調理は、そうはいかない。

掃除も洗濯も、そうはいかない。

料理も掃除も洗濯も労働だもんな。

たとえば料理という労働は、非常に忙しい。

段取りを随時考え、テキパキと作りながら片付けつつ、火加減を見て、テーブルセッティングするわけであり、忙しい。

相当な集中力と注意力が必要だ。

認知症の初期症状のひとつに、「料理ができなくなる、億劫になる」というのが、あるそーだ。

納得できる。

料理できなくなったら、おしまいだな……と私自身そう思う。

確かに、料理は頭脳労働系肉体労働である。

一方、手織りのような手仕事は、労働というより、手仕事だ。

無心に手と指を動かせばいい。

そこがいい。

「夕鶴」といえば、鶴が自分の羽を抜いて、錦(にしき)の布地を織ったそうだが、あの羽をどうやって糸にするんじゃ……とか、

鶴の羽は白いのに、なんで錦(にしき)の布地ができるんじゃ…..とか、

いろいろ疑問はわいてくる。

ともかく、布を織る女性像というのは、私のツボにはまった。

どういうツボか知らんが。

トヨタ産業技術記念館で織機をいろいろ見て以来、ネットで検索して、チョコチョコと手織り機について調べてみた。

意外にも、「手織り」というのは、連綿と女性の趣味として生き残っている。

根強い人気がある。

YouTube動画も、「手織り」で検索すると、いろいろある。

外国にも、いろいろある。

手作りの段ボール紙で作れる手織り機の紹介動画もある。

100円ショップにも、手織りキットが売っているそーだ。

「手織り教室」というのも、あちこちにある。

月謝週に1回で3000円とか。

それらの動画を漁っているうちに、手織り機の仕組みというものが、なんとなくわかってきた。

感心する。

誰が、こんな仕組みを考えついたのか?

織物は、縦糸と横糸を交差させて作る。

織り機は、その動作をする装置だ。

縦棒と横棒四方の枠を用意する。

経糸=縦糸(warp)を、横棒2本の間にピンと張り、シャトルといいますか杼(ひ)に緯糸=横糸(woof)を巻く。

横糸が巻かれたシャトルを通すための隙間(shed)を開ける綜絖(そうこう、heddle)を縦棒に固定させて、その綜絖を上下させて、縦糸の下を横糸にくぐらせる。

縦糸にくぐらせた横糸をしっかり打ち込む。

この動作を繰り返すことが、織るということだ。

下の動画を見てちょーらい。織るということの基本は、これだ!

不思議なんは、この綜絖よ。そうこう。

誰が考えついたのか?

どう考えても、人間業とは思えない発想だ。

私なんか何十年かかっても、思いつかないぞ、こんな仕組み。

餃子を考案した人物は天才だ。

小麦粉でも蕎麦粉でも、水と塩で練って麺にした人物は天才だ。

同じく、この手織り機の仕組みを考案した人物も天才だ。

人類の恩人だ。

ということで、私も「夕鶴」さん、やってみたくなった。

「よひょう、あんたの言葉がわからない!」と言ってみたくなった。

しかし、いくら私が馬鹿の脳足りんでも、最初からきちんとした「手織り機」なんて購入したらあかんとわかる。

卓上手織り機は2万円くらいからある。

本格的な手織り機だと、最低10万円くらいはする。

私の不器用さは私が一番知っている。

で、まずはおもちゃの手織り機をAmazonで購入した。

「キティちゃん手織り機」も売ってたけど、そっちは1200円。

この「プチおりき」は、864円だ。

だから、こっちを注文した。

http://amzn.to/2rTOhcq

説明書を熟読しつつ、作業開始。

最初は、縦糸の張り方を間違えた。

それでも、コースター作成。以下は処女作。

なんだ これ?

幼稚園児以下のできばえである。

今度は、縦糸の張り方を間違えずに織る。

前よりは、ましなコースター完成。

下の写真に写っている上のコースターが二番目に織ったものだ。

ほんの少しではあるが、進歩してる。

自分で作ったものとは愛おしいものである。

料理だって、自分が作ったものは、相当にダメでも食える。

それと同じで、手織り初体験で作ったコースターは、可愛い。

うーん、自分の子どもも、きっと強烈に可愛いいんだろうなあ。

自分で作ったんだもんね〜〜〜

子どもは、親の作品だ!

失敗作でも愛おしいのだ!!

いったい、フジモリは何をやっているのか。

暇つぶしのために、アホなことやってるわけではないよ。

賃金労働はしていないけれども、やるべきことは多いんだよ。

読むべきものは多いし、書きたい論文もある。

でも、せっかく賃金労働から解放されたのだから、今までできなかったことを、なるたけやる。

手仕事は、そのひとつだ。

「手縫い」の衣類作りもする。

ミシン使わずに、作る。

編み物もする。

私にとって記憶に残っている亡き母や、亡き祖母の姿というのは、何かいつも手仕事をしているというものだった。

母や祖母は、何か縫い物や編み物をしながら、タラタラと話していた。

祖母は、着物は全部自分で縫うことができた。

母は、そこまではできなかったが、洋裁で簡単な子供服は縫ってくれた。

私の世代だと、子どもの頃は既製服があまりなかった。

デパートに、子どもや10代の衣類のジュニアショップができたのは、1960年代に入ってからだ。

それまでは、みな手作りだった。

私は、母や祖母の生き方やライススタイルを否定して、足蹴にして、フェミニストになり、「職業婦人」というものになった。

その私も64歳となり、生まれて初めて「専業主婦」というものになった。

無職のプー子になり、手仕事を遊びにできるようになった。

やっと、亡き母や祖母の気持ちをほんの少しだけ想像できるようになった。

なんで、ちゃんとお礼を言わなかったのだろう。

作ってもらったことに。

当たり前のことと思って、母や祖母の手仕事の恩恵を受けていた日々よ。

これも、プー子になって見える風景である。

心の風景である。

温かい記憶である。

でもってですねえ、以下のコースターが、第3作目。

進化しております!

次は、不要の衣類を裂いて、それを糸にして織ることをやってみる。

SF映画『メッセージ』は既成概念を静かに破壊する

本日は2017年5月30日火曜日である。

26日土曜日のお昼過ぎに尾道&福山から名古屋に帰ってきた。

土曜日の夜は、くたびれてスッキリしなかった。

だから、レイトショーで映画を観に行った。

『メッセージ』というSF映画だ。原題はArrivalだ。

非常に非常に非常に良かった!!

地味ではあるが、これも傑作だ!

静かにではあるが、脳が無茶苦茶に刺激された。

認識が広がる高揚を感じた。

アメリカでアカデミー賞にノミネートされたが、音響賞だけもらったそーだ。

いやあ、この映画がアカデミー賞を受賞できるほど、人類はまだそこまで賢くないわ。

よく、こんな映画を作れたなあ!と感心した。

原作も読んでみた。

「あなたの人生の物語」Story of Your Lifeだ。

中国系アメリカ人のテッド・チャン(Ted Chiang: 1967-) が書いた。

彼の短編集『あなたの人生の物語』(Stories of Your Life and Others)に含まれた同じタイトルの短編小説が原作である。

ほかの短編も面白いよ。

http://amzn.to/2sfDciu

http://amzn.to/2sfIXfJ

原作を読んで、またビックリ!

この短い小説から、あれだけの映画作品をよく作ったものだ!!

凄い。凄い。すさまじい想像力だ。

映画と原作は、かなり違います。

コンセプトは同じですが。

映画は、一応は娯楽作品にしないと稼げないしね。

わかりやすくしないといけないしね。

あの原作を、あれだけ理解しやすく、しかも視覚的に表現した映画『メッセージ』は、哲学的思考とエンターテインメントの融合の成功例だ。

この映画は、フラッシュバックという技法をフラッシュフォーワードという技法にもした……

むふふふ……

ここで勘のいい人は、わかっちゃうな。

あらすじは書きません。

まあ、簡単に言えば……

未知の物体が地球上に出現して、その物体には生物が乗っていて、その生物とコミュニケーションをとるために人類が試行錯誤して、やっと意思の疎通ができるようになって、彼ら(か、彼女か知らんが)が地球に来た目的を知るという話だ。

今までのSF映画ってさ、最初から宇宙人が地球語を話したでしょ。

もしくは、テレパシーで語りかけてくるとかさ。

そういう設定はデタラメだよね。

地球人中心主義よ。

御都合主義ね。

あくまでも、地球人の認識の枠内で物語が展開する。

映画『メッセージ』においては、その地球外生物の言語体系は、人類のそれとは全く違う。

たとえば、人類の言語には、言葉の配列に規則性がある。

これが文法だ。

時制がある言語もあれば、時制のない中国語のような言語もある。

そんな中国語でも、過去を示す言葉や未来を示す言葉がある。

何かを記述するときに、人類のどの言語も時間の進行どおりに説明する。

時系列に記述する。

因果関係を示して記述する。

リニアに説明する。

ところが、映画『メッセージ』に登場する地球外生物「ペトラポッド」(7つの脚という意味)の表意言語には、ほんとうに時制がない。

ほんとうに時制がないというより、時間意識がない。

過去も未来も現在もない。

同時に進行しているのだ、過去も現在も未来も。

発声言語もあるが、主として「ペトラポッド」の言語は表意言語である。

形の違いで意味の違いを示す。

漢字みたいなもんね。

ただし、文字というより、書道の墨の染みみたいな形の組み合わせで表現する。

この黒い染みの形の差異で、意味が変わる。

原作において、上のような「ペトラポッド語」が表現されているわけではない。

このような図象を考案したのは、映画制作陣である。

すごいわ〜〜〜

中国のカリグラフィ(書道)からヒントを得たそーだ。

ともかく、主人公のほとんどの人類の言語を理解できる言語学者の女性は、ペトラポッド語を解明し、ペトラポッド人たちと意志の伝達に成功する。

で、彼ら(雌雄の概念も地球にしかないのかも)が地球に来た目的を知る。

そんなことはわからない諸外国の中には、ペトラポッドに軍事攻撃をしかけようとする大国もあった……

ヒロインは、どうやって、その大国の司令官にペトラポッド総攻撃を中止させるのか?

ここらあたりが、映画のクライマックスである。

ここは書かないぞ〜〜♬♬

映画を観に行ってちょんまげ。

その方法は、ヒロインがペトラポッド語を理解し、その認識法を受容できたからこそ、実行できた。

ヒロインは、人類の既成の認識法とは別の認識力を得た。

それは、物事を全体に丸ごとに見ること。

悲劇も喜劇も同じだ。

そのまま受容すること。

未来に起きることを知っていながら、現在を生きること。

過去は完結した安定的なものではない。

現在によって解釈が変わるもの。

だから未来も変わる。

過去も未来も現在によって変わる。

ペトラポッドたちは、自分たちの未来を知っていた。

自分たちが滅びることを知っていた。

しかし、地球の人類の手を借りれば、自分たちが生き延びる可能性もあるとも知っていた。

だから、その3000年先のために、地球人に自分たちの言語を教えに地球に来た。

3000年後に、地球人とペトラポッド人が意志の疎通ができるように。

それが完了したとき、ペトラポッド人たちの乗り物は消える。

次元の彼方に消える。

後日に、ヒロインは、ペトラポッド語の解明により、「宇宙共通の言語」Universal Languageを作る偉業を成し遂げる。

ネタバレしちゃって、すみません。

こういう展開は映画版だけです。

原作は、もっと静かに展開する。

この作者は、日系英国人作家のカズオ・イシグロに影響を受けているかもしれないなあ……

それはさておき……

この映画の、原作の要点は、そーいうことではない。

地球人と地球外生物の異文化コミュニケーションなんかがテーマじゃない。

認識法にはいろいろあるってことだから。

時間は、フィクションってことだから。

時間は、地球人に支配的な認識法が生み出した錯覚だから。

すべては、今ここにあるんだから。

よく失敗した人生などないと言われる。

すべてに意味と恩寵があるという説がある。

反対に、どんな人生も死に向かうのだから負け戦だという説もある。

どっちでもいいんじゃないの。

どっちみち、私たちが持てるのは、今というこの瞬間しかないのだから。

すぐに消えていく この今しか。

今が幸せならば、過去が肯定され、未来が祝福される。

予言された時点で、予言内容は実現しないという説がある。

人々の意識が 予言内容に干渉して、変わってしまうそーだ。

そうか。

今のあなたの意識が世界を変えるわけだ。

世界の未来を変え、歴史を書き換えるわけだ。

プー子から見た風景(4) テーブルと椅子

本日は、2017年5月26日金曜日である。

昨日は尾道から福山に移動して福山に宿泊した。

今日も福山に宿泊する。

面白いよね。

短期間であれ、自分が住んだことがある場所に来ると、「帰ってきた」という感覚になる。

大阪に行けば、帰ってきたなと思う。

ニューヨークに行けば、帰ってきたなと思う。

福山に来たら、やっぱり「帰って来た……」と思った。

でもまあ、自分が一度でも行ったことがある場所なら、再訪すれば、帰ってきたなと思うのかなあ。

でもってですねえ、今日は、無職のプー太郎ならぬプー子になってみると、福山の知らなかった貌を見たよ、という話を書く。

昨日は午後遅くに、福山市内のよく通っていた中国整体院に整体と漢方蒸しの予約をしていた。

で、尾道から福山に着いてから数時間ほど時間があったので、ホテルのチェックインまで荷物を預けて、駅前をウロチョロしてみた。

すると、福山駅近くにある「アイネスフクヤマ」という商業ビルが面白いことに気がついた。

その「アイネスフクヤマ」というビルの中に入ったことはなかった。

このビルの2階にある「サルヴァトーレ・クオモ」というイタリアンレストランには、ネット予約して、ピザの配達とかお願いしたことは何度もあったけれども。

ここのピザは美味しいんすよ。

学生さんと研究室で話し込んでて、お腹が空いたね〜〜ピザの出前を頼もうか〜〜ということで、学生さんがスマホでネット注文してくれたんで、ここのピザの美味しさを知った。

もう、あそこのピザの美味しさを知ると、他のお店のピザを食べることできないよ、ほんと。

それはさておき、この「アイネスフクヤマ」というビルには、やたらと空きスペースに椅子とテーブルが置いてある。

あちこちに置いてある。

こんなところにも?というような目立たない場所にも置いてある。

これらのテーブルと椅子のスペースは、2階にも設けられていた。

2階には、カルチャーセンターの教室とか、旅行代理店とか、クリニックとかがある。

空いたところに、やたらと椅子やテーブルやベンチが置かれるのは、大学のキャンパスあたりだと、今は普通だ。

でも、商業ビルもそうなっているのかな?

日本も東京や横浜だと、今はこうなっているのかな?

誰もが使えるテーブルと椅子が置かれていると、誰もがちょっと腰掛けたくなる。

で、お昼時であったので、いろいろな人が、そのスペースを利用して軽食を採っていた。

コンビニで買ったようなものを、そこで広げて食べていた。

食べたあとは、ずっとそこに座り込んで、おしゃべりに興じる高齢者のグループもいた。

かと思うと、なにか書類を広げて読んでいる人もいた。

スマホをいじっている人もいた。

あまり目立たない所に置かれている椅子とテーブルに着いて、静かにゆっくりと、コンビニで入手したらしいお蕎麦を上品に口に運んでいる高齢の紳士もいた。

気をつけてみると、テーブルと椅子ばかりではない。

そのビルには、人が気楽に腰をかけることができるスペースが用意されている。

下の写真のようなベンチとか。

こーいうベンチに腰かけて、スマホに英語で話しかけている女性もいた。

日本人の女性である。

こういうベンチに座り込んで文庫本を読んでいる初老の女性もいた。

かく言う私も、ウロチョロと、そのビルの「椅子とテーブルが置かれている場所」をチェックして、iPadで撮影している暇そうな初老のオバちゃんである。

そのビルに置かれているテーブルや椅子を利用する人々は、ほぼ絶対に、その商業ビルに入っているお店には入らない。

若い人向けのファッショナブルな衣類やバッグが売られているショップやネイルサロンが、1階にはある。

ネイルサロンに入る女性は、ネイルサロンにサッサと入るのであって、テーブルや椅子など使わない。

近所には福山市役所やオフィスがあるので、休みどきには、市役所職員や会社員らしい人たちが歩いている。

でも、その人たちは、「アイネスフクヤマ」ビルの中の椅子やテーブルなど使わない。

どこかのレストランで、ランチを食べるのであろう。

あのビルを設計した人は、どういうつもりだったのかな。

その設計者は、商業ビルに訪問する人々の憩いの場所として、ああいうスペースを設けたのかもしれない。

でも、実際の週日の昼間に、ああいうスペースを利用するのは、商業ビルに用がある人々じゃない。

街に出てきたけれども、行き場のない人々だ。

そのビルのテーブルと椅子を使っている人々は、孤独であるように見えた。

スマホで誰かに話しかけていても、孤独そうに見えた。

高齢者の人々は、グループであれ、ひとりであれ、時間を静かに持て余しているようであった。

それでも、家でじっとしているのではなく、誰もが街に出たい。

外気にあたりたい。

陽の光を浴びたい。

街の活気を浴びたい。

しかし、街に出ても、行くところもない。

買いたいものもない。

買えない。

そういう人々にとって、ああいう椅子とテーブルは福音だ。

テーブルと椅子が置いてあれば、座っていい。

とりあえず、そこにいれば 怪しくない。

私も、ホテルにチェックインできず、かといって映画館にもデパートにも行く気はせず、前の職場に寄るなんて思いもつかず、なんとなく、そのビルの中を独りでウロチョロしていた。

エレベーターの前に置かれた椅子に座り込んで、テーブルに肘をついて、iPadでKindle本を読んだりした。


商業ビルの中の椅子とテーブルにベンチ。

街に出てきても行き場のない人々のくつろげる場所。

孤独にボケッとしていてもいい場所。

「アイネスフクヤマ」の設計者は、功徳を積んだよね。

あのように、あちこちにテーブルや椅子やベンチを置いたので、おかげで、街に来たのはいいが行くところがないし、することもない人々が、そのスペースを利用できる。

ニューヨークの公園のベンチなんてさ、ひっくりかえって寝ていると警官が注意しに来たものだった。

今では、ベンチに寝っ転がれないように鉄枠でベンチを3席分に区切ったりしてる。

ケチ。

ホームレス対策らしいけれども。

いいじゃないか。ホームレスも街のにぎわい。

街ってのは、ニッチがいっぱいあるべきだ。

オープンでありつつ、孤独にしていられるスペースがいっぱいさり気なくあるべきだ。

行くところのない人間にとっての、しばしのヤドリギが、あちこちにあるべきだ。

カネ使わずに居ることができるスペースが、あちこちにあるべきだ。

街が好きだけど、行くところがない人々のスペースを、街はいっぱい作っておくべきだ。

商業ビルの中の椅子とテーブルの風景。

これこそ、無職のプー子でないと見ることがなかったであろう風景だなあ……

と、私は、「アイネスフクヤマ」ビルに感謝したとよ。

さて、これから私は歯科室「むつてっせん」に行きます。

定期的チェックを受けるために。

「舌剥がし」という口腔内の健康維持のための施術を受けに。

痛いそうです……

タオルを用意してくようにドクターに言われております。

泣くほど痛いのか……

尾道!恐るべし!

本日は2017年5月25日木曜日だ。

昨日の講演会は無事に終えることができた。

主催してくださった「びんご経済レポート」社の方々にはお世話になりました〜

ありがとうございました!!

会場の尾道市立中央図書館というのが、また良かった。

いまどきの公立図書館って、公務員さんが運営していないんだってね。

民間企業が委託されて運営管理しているそーだ。

この尾道市立中央図書館も、啓文社という尾道に本社のある大きな書店と、NTTデータという企業が、協力して運営管理している。

いろいろなセミナーも開催している。

最近は、子どものためのコンピュータープログラミング教室も開催している。

このコンピュータープログラミング教室は、父母の方々にも好評だそーだ。

映画鑑賞会もある。

図書館は午後9時まで開館である。

これは、公務員さん運営時代ではありえない。

自習室では、制服姿の高校生がいっぱい勉強していた。

頑張れ!受験勉強!!

今の努力が人生を決めるぞ!!

私みたいに、サボっちゃダメだぞ!!

私の講演会も、尾道市立中央図書館の管理運営を任されている啓文社さんやNTTデータさんも後援してくださったのだ。

講演会が始まる前の時間、興味津々の私は、啓文社の管理職の方やNTTデータの管理職の方に、根掘り葉堀り、質問させていただいた。

民間企業というのは、合理化には非常に努力している。

投資するカネなく生産性を上げるには、人間が動くしかない。知恵を出すしかない。

これは、私が聴講させていただいている三重大学大学院工学部開講科目「生産管理論特論」において、渡邊明先生がおっしゃった言葉である。

ということで、公立図書館の管理運営コストは、民間企業委託以後は、抑えられている。

だけど、サーヴィスは向上している。

確かに、行ってみると、公立図書館っぽくない。

空気が緩くない。スタッフもテキパキしてる。

うーむ、すごい。

公立図書館の管理運営を民間に委託することには非常な反対も多いそうである。

ライブラリアンが低賃金で長時間勤務させられるとか、いろいろ。

しかしまあ……コストが低くなることは大きいことだからなあ……

この流れは、止まらないだろうなあ……

下の写真は、講演会の開始前の会場である。

あいにくと、24日は雨が降っていて、かつ尾道では、いくつかの会合が開催されていたそうである。

青年会議所とか、医師会とか、それぞれに講演会があり、私の講演会に来てくださる方々は少ないかもしれないと、前もってお聞きしていた。

でも30人ほどの方が来てくださった。

「びんご経済レポート」のスタッフの方々が、いろいろお声をかけて下さったのであろう。

無名の私の講演会に30名の方々が集まるなんて、ありえないもの。

ありがたいことである。

尾道在住のFacebook友だちの方々とか、広島銀行の方々とか、尾道で一番の伝統的進学校の同窓生ネットワーク の方々が来てくださった。

大人の方々の前で話すのはいい。

綺麗事を言わないですむからなあ。

一応、私の話は退屈ではなく、好評をいただいたようだ。

ホッとした。

しばらく人前で話していないから大丈夫かなと思ったけれども、何とかできた。

動画撮影していただいたので、後日、このBlogで公開してしまうぞ。

その折には、お気が向いたら視聴してやってくださいまし。

いやあ〜〜尾道って、面白いところだ!!

尾道は初めてではない。

2012年の1月にウロチョロ日帰りだけど歩き回って楽しんだ。

あの頃は、まだ健脚だった。

脚がおかしくなったのは、2012年の秋からだった。

尾道は、映画の『転校生』や『時を駆ける少女』の舞台だからね、ロープウェイで千光寺まで昇り、そこから眺めた尾道水道や瀬戸内海の多島美よ!!


しかし、あらためて来ると、もっとおもろい!!

空襲にあっていないので、戦前からの街の雰囲気が残されていて、独特の情緒がある。

福山も人々が穏やかで時間の流れ方がゆったりしていた。

しかし、尾道は、さらに深く古き良き日本の雰囲気を残している。

下の写真は、JR尾道駅の近くにある洋食レストラン「もぐら亭」である。

1957年以来尾道の文化人に愛されてきたレストランである。

講演会後に、「びんご経済ジャーナル」の代表の二宮 恵氏に、このお店でご馳走していただいた。

ありがとうございます〜〜美味しかったあ!!

さすが、尾道を牽引する人々が集うレストランである。

大都市のそのへんのレストランでは、考えられない会話がかわされる。

「市長のお兄さんがね……」とか。

「9月の仮装大会に知事も参加するから……」とか。

「薪能があるからご招待するわ……」とか。

うーん……「タキギノウ」………

観世流……

私は、これでもお能は好きなんである。

DVDセットも持っているんである。

歌舞伎よりも、今はお能なんである、私的には。

そういう会話をかわしている方々は、いかにも上品で教養がありそうな60代半ば過ぎの女性たちだ。

お洒落である。身につけているブローチやスカーフのセンスがいい!

64歳になっても風格も教養も品もセンスもなんもない私は、感心して眺めるだけだ。

おもろいわーーああいう女性たちって。

尾道は、かつては北前船が運ぶ物産の集積地であったところだ。

(この図は、https://n-story.jp/topic/35/page1 から拝借しました〜〜)

多くの蔵が瀬戸内海沿いに建てられていたところだ。

その富の集積が、時代を経て、ああいう女性たちを生んだのだろう。

尾道、恐るべし。

日本のあちこちに、戦災にあわずに戦前からの伝統や人間関係や文化を伝える「京都」が、ひっそりと生きている。

尾道は、そういう京都的街のひとつだ。

こっそりまた来訪して、あのもぐら亭でオムライスいただくべ。

バニラアイスに熱いエスプレッソぶっかけて、いただくべ。

三重大学工学部大学院「生産管理論特論1」第6回講義(2)初期トヨタ生産方式

本日は、2017年5月23日火曜日である。

本日は、三重大学工学部大学院科目渡邊明先生ご担当「生産管理論特論1」の5月16日開講第6回ご講義の中心部分の紹介をする。

このご講義は、前もって受講生にデジタル資料がいくつも毎週送信される。

毎回のご講義の前に送信される。

5月16日講義用に送られた数種類の資料のうちのひとつを、スペッシャルに勝手にお見せいたしましょう。

いいのか……

下のURLをクリックしてください。

これだ!!

パクっちゃダメよ。

それは、剽窃よん。

これだけで9ページあるのだ……

https://cdn.fbsbx.com/v/t59.2708-21/18446278_1361792380568086_5164839353309986816_n.pdf/%E3%82%B8%E3%83%A3%E3%82%B9%E3%83%88%E3%82%A4%E3%83%B3%E3%82%BF%E3%82%A4%E3%83%A0%E9%96%A2%E4%BF%82.pdf?oh=6a4a3545d432d8262cb123b9eca2405a&oe=59253D10&dl=1

こういう具合の資料がガンガン送られる。

いくつもいくつも、データが前もって送られる。

講義前に予習しておけという意味合いである。

なんちゅう、ややこしい……

さすが、国立大学の工学部の大学院の講義である。

私には、何もわからない。

数十秒凝視する。

わからない。

講義で配布される資料も多い。

渡邊先生がご自身で作成した、非常に非常に詳細な年表も配布される。

日本の技術政策の変化や、トヨタ生産方式の変化や、個別の部品の進化などもギッチリ記載された年表である。

すごい年表なんである。

この年表をネタに博士論文書けるだろ〜〜くらいな質量の年表である。

家宝にしてもいい年表である。

以下の写真は、その年表の簡易版というかビギナー版。

これらの、渡邊先生の学識が詰まった資料を駆使しつつ、講義がなされる。

やはり、すさまじい研究の蓄積である。

だから、ご講義を紹介するのならば、ご講義中に使用されるこのような資料にも言及するべきである。

でも、それ私の能力を超えていますね〜〜

Blogで紹介できるようなものでもないね〜〜

で、あるからして、私のこの覚え書きにおいては、そのあたりは、全部無視させていただく。

キレイに頑固に無知蒙昧に無視させていただく。

私では、見ても理解できんのよ。

私は、表だのグラフだの見ているだけで、目がチカチカする脳足りんなのよん。

自分がキャッチできた範囲の内容を文章化するだけで、私は精一杯である。

敢えて、理解できないことは大胆に聞かなかったことにさせていただく。

でないと、覚え書きを作ることが嫌になる。

せっかく、食べていくための勉強や、生活費獲得としての労働や、義務としての労働からは解放されたのだ。

楽しめないことは、断固としてしない。

大学院生時代の悪夢を、なんで64歳になってまで蘇らせねばならないか。

ほんと、大学院生時代の、あのわけのわからん勉強は辛かった。

でも、アメリカの大学の大学院の講義も、私が聴講した限りは、同じだった。

わけがわからんかった。

文学研究って、わけわからんかった。

意味不明だった。

意味不明なことを努力する辛さよ。

なんで文学部の大学院に入っちゃったのかしらんと嘆いても自業自得。

しかし、わけがわかろうが、わからなかろうが、それを突破しないことには、大学院生時代という闇を抜けることはできなかった。

でも、あの愚劣なる日々は30年以上前に終わったのだ。

もう自由だ〜〜〜〜〜!!

ということで、私は好きに楽しくさせていただく。

すみません。

(ご講義内容覚え書き始め。カッコ内はフジモリのつぶやき)

(1) まず、トヨタ生産方式について学ぶなら、トヨタ自動車のウエッブサイトに行って、トヨタの歴史をチェックしておくこと。

(2)トヨタ生産方式の初期のものが初めて実験されたのは、1958年の元町工場においてである。

(3)トヨタ生産方式の発展は、1961年から1974年までが第1期で、1975年から1980年までが第2期。1981年から1990年までが第3期といえる。それ以後まだ続くが、とりあえず、ここらあたりを押さえておく。

(4)トヨタ生産方式の発展は、トヨタ内部だけでできるものではなく、法律の整備も大きく関与している。技術に関する法律ができるときは、政府がある業界を後押しし発展させることが国策であるからだ。

(5)その例として1956年成立の機振法がある。機械工業振興臨時措置法のことで、これは物作り大国日本の基礎を作った産業政策であった。

http://amzn.to/2r9rqtm


戦後復興から経済自立に向かう過程で、基幹産業としての機械工業の合理化を促進する必要を通産省は感じた。

その復興を図ることを目的として、金属工作機械、銑鉄鋳物、自動車部品など45業種について、通産大臣が合理化基本計画や生産技術向上基準を策定した。

これに基づいて、日本開発銀行と中小企業金融公庫が、関連企業に合理化設備資金を特別に低金利か無利子で融資した。つまり、中小企業に融資した。これは、中小企業の近代化を促進した法律でもあった。

この政策のおかげで、トヨタ自動車の部品を作る下請けの中小企業は、好条件で銀行から設備投資ができた。

これは一種の補助金のようなものだった。

補助金というものには、エンジニアは敏感であること。研究開発にはカネが必要だから。

(NHKでも民放でもドラマ化された城山三郎の『官僚たちの夏』に出てくる「指定産業振興法案」というのは、これがモデルかな?)

http://amzn.to/2rL7ycn

(6) もう1つの例として、1971年に施行された機電法がある。正式名は、「特定電子工業及び特定機械工業振興臨時措置法」である。

これは3年の時限立法で、9年続いた。機械と電子工業を機電一体化させて、アメリカよりかなり遅れていたコンピューターメーカーのソフトウエア開発を政府が後押しした。

この法律の制定により、通産省は、富士通と日立製作所、NECと東芝、沖電気工業と三菱電気の3グループ体制に分けて、5年間で約650億円の資金援助を行って国産コンピューター開発を急がせた。

日本の自動車産業は、この法律によっても大いに恩恵を受けた。自動車の電子部品の発達は、この法律の施行のおかげ。

10年刻みで産業政策は変わるので、そういう点も抑えておくこと。

( 通産省って、頑張っていたんだなああ………官僚主導の民間産業発展!優秀だったんですねえ、日本の高級官僚!今も優秀かな?)

(7) 1984年に、トヨタ自動車はケーラム(Caelum)の開発を開始した。

Caelumつーのは、CAD /CAM の設計・製造支援システムの開発と販売と保守などのサーヴィスのこと。世界標準化を開始したのだ、トヨタは。

http://www.caelum.co.jp/

(CAD/CAMというのは、製品の設計と製造のそれぞれに使用されるコンピューターシステムを指す用語らしい。工学部では当たり前の用語らしい)

(8)2002年に、トヨタ自動車はCATIA を導入した。いよいよ世界標準の製品をめざす。CATIA は、Computer Graphics Aided Three Dimentional Interactive Applicationの略語。

(キャティアというのは、ハイエンド3次元CADソフトシリーズだそーだ。意味不明だ)


CATIAなくしては、今の世界の中で企業はやっていけません!!

(9)エンジニアが仕事を発注されるとき、承認図方式と貸与図方式がある。

承認図は、自分で図面を書いて発注元に認めてもらう方式。貸与図は、発注元から図面を渡されて、こう作れと言われる方式。承認図を任されるほうが優秀なエンジニア。

トヨタから住友電装に技師( guest engineer)が送り込まれて、貸与図通りに部品を作ることもあるし、承認図を作成することもある。

(あ!『下町ロケット』」に出てきたような!)

(10) トヨタ生産方式は、公開されているものではなく、随時進行中なので、今のところ扱うのは、初期のトヨタ生産方式である。

(11) トヨタの工場に行って、トヨタ生産方式見せてくれと言ってもダメ。広報が出てくるだけ。下請けに行っても、1次や2次では見せてくれない。3次下請けぐらいだと、ちょっと教えてくれるかもしれない。

(12) 1978年にトヨタ自動車の故大野耐一(1912-1990)副社長が、一部を公開して、『トヨタ生産方式』という本を書いただけ。

(13)トヨタ生産方式の大部分は暗黙知である。トヨタ生産方式真似しても成功しない。暗黙知の部分を習得して、それぞれの企業にカスタマイズしないとダメ。

(14) トヨタ生産方式は、「儲けるIE」と言われる。IEとはIndustrial Engineeringのこと。

儲けるには、創造的な考えやイノヴェイションが必要となる。単なるIEは、単に工場の原価を下げるだけ。トヨタ生産方式には、顧客志向という考えが入っていて、顧客が望むならばコストアップもするが、ただし、コストアップは極限まで低く抑えようとする。

(15) トヨタ生産方式とは、行動様式そのもの。社員のベクトルをあわすこと。トヨタ生産方式に共感して能動的に仕事を行うこと。

(16) 東京大学経済学部教授の藤本隆宏氏の言葉によると、「何万もの社員が、いわば問題解決中毒になっているような状態。それがトヨタの凄みだ」。

(この藤田氏はトヨタから訴えられたこともあるそーだ。なんか書いちゃいけないこと書いたんかしら)

(17)トヨタ生産方式は、Just in timeと自動化(automation with a human touch)という2つの手法を基本にして発展した。

(18) Just in time とは……
(途中ですが、ここで覚え書きを中断します)

すみません。

ここから先は数日後に書きます。

いい加減に水曜日の講演会のパワポ資料を作成しなくてはいけません。

寝ます。眠たいです。

この調子では、本日5月23日の第7回ご講義の聴講のために三重県まで行けないでしょう。

渡邊先生、申し訳ありません。

明日の24日から、3泊ほど名古屋を留守にします。

数日したら、また読んでやってください。

そんなもん待っとれんわという方は、第6回ご講義の動画をご覧ください。

私がカットした、(渡邊先生が注目しておられる)企業情報も得られますよ。

お金のある人は、そーいう企業の株を買っておきましょう。

上場されているかどうか知らないけど。

この動画は、またも厚かましくもお願いして、渡邊明先生に送っていただきました。

ありがとうございます。

いやほんと、水準の高いご講義の動画を視聴した方が早いです。

すみません。

私って、ほんとにいい加減だな。

徹底した経済人

本日は、2017年5月22日月曜日である。

水曜日の午後7時からの尾道市立図書館での講演で話すことは決まっている。

でも、パワーポイント資料を、まだ作ってないんだよね。

無職になって時間ができても、やるべきことをしない私。

ところで、前にこのBlogで書いたように、私が有料会員になっている「ニュース解説動画配信サービス」の中には、「新経世済民新聞」の三橋貴明さんの経済ニュース解説も入っている。

三橋さんは、古典的自由主義経済にしろ、新自由主義経済にしろ、「経済人」を前提にしているから、あかんとおっしゃる。

そういう経済学に依拠した政策を採用して、デフレーションから抜け出せない安倍政権を批判しておられる。

経済学は思考のモデルを提供しているだけで現実に機械的に応用できるものではないと百も承知していて、自分のビジネス拡大のために、ダメ経済学を言い募って政権を動かす、竹中平蔵のような人物もいると、批判しておられる。

経済学という学問そのものの前提は、貨幣観とか、他の点からしても、いろいろおかしいそーだ。

でも、今日は「経済人」についてのみ書く。

経済人。

「経済人」というのは、経済的合理主義だけで生きる人間のことだ。

経済的に得か損だけで動く人間のことだ。

ピーター・ドラッカー( Peter Drucker: 1909-2005)の名著のひとつに、『「経済人」の終わり』というのがある。

29歳の時に発表したものだ。

すごいなあ。

http://amzn.to/2qN83mK

この本は、ファシズムの台頭に警鐘を鳴らした本だ。

ドラッカーは、次のようなことを言った。

合理的にものを考えて行動する「経済人」ならば、ヒトラーみたいな全体主義は生まれんでしょう?人間というのは、わけのわからんことをする生き物なんだよ、と警告した。

経済学からのみ考えていると道を誤るよ、と警告した。

似たようなことは、アメリカの神学者のラインホルト・ニーバー(Reinhold Niebuhr: 1892-1972)も言った。

「 彼ら実業人は権力関係の複雑怪奇さを知らず、政治の世界においては、危険なまで非合理な野心が力をふるい、殊に政治的宗教の時代にあっては、悪魔的な政治運動をもたらすことわきまえないのである」( Christian Realism and Political Problems, 1953)

つまり、経済人は単純じゃ、政治というものは非常に理不尽に不合理に動くものだということをわかってないと言っている。

この「実業人」 というのは、経済人と同じだと考えていい。

一般的には、いいイメージではないかもしれない。

金で動く人間である経済人のイメージは悪い。

でもさあ。

金で動く人間ならば、安心できる。

金で動く人間は、実利を取るんだから、実を取るんだから、交渉できる。

私は、切実に、トランプさんには徹底的にビジネスマンでいて欲しい。

いや、トランプさんばかりではないな。

国家の舵取りをする立場の人々には、徹底したビジネスマンでいて欲しい。

ビジネスマンなら、損なことはしないはずだ。

理念や思想やスローガンや意地やプライドや夢やメンツでは、動かない。

それで動いて得するならば、そーいう幻想を利用する時もあるかなあ、という程度のものだ。

「悠久の日本は〜〜」とか、「ジハードだ〜〜自爆して天国に行くんだ〜〜」とか、「中国は世界の中心だ〜〜」とか、「アメリカニズムを世界に広げるのが神の意志だ〜〜」とか、「ユダヤ人をみなが殺しに来る〜〜」とか、そーいう幻想は持たない。

国にとって得か損か、徹底的に考えて得な方を選ぶ。

国民が食ってゆけるのか、徹底的に考えて得な方を選ぶ。

国って、自分を含む国民の生活の総体なんだからさあ。

それも長期的視野で損得を考える。

不合理なことはしない。

無理は通らないので、損するから。

となると、大きな戦争はしないよな。

総力戦なんかせんわ。

消耗するだけだもん。

勝っても負けても、損だ。

軍事衝突は別だ。

外科手術的攻撃surgical attackはする。

患部(核施設とか、ミサイル保管地下基地とか)だけ攻撃するってやつね。

これは一種のご挨拶というか、一種の外交だから。

中古の武器をバンバン売って、その地域を不安定化させたり、古いミサイルをガンガン見当はずれの方向にぶっ飛ばしたりはするよ。

ボケッとした属国からカネをむしり取ることはするよ。

でも、肉を切らせて骨を断つみたいな、自分にも大損害のあるような大戦争はアホらしいから、しない。

ともかく妥協できるところは妥協して実を取る。

そこなんだよね、トランプさんが信用できるのは。

あの方は、ビジネスマンなんだから。

アホな革命家じゃない。

権力志向じゃない。

そんな貧乏人じゃない。

経済人ならば、大損の破局は招かない。

だけれども、経済人であるはずなのに、自分が損するみたいなことやってる人々もいるよね。

たとえば、人材派遣業の経営者である経済人がいるとする。

たとえば、国の経済政策を動かして、非正規雇用を増やすような法律を施行させる。

そうすれば、自分が経営する人材派遣業にとって非常に都合がいい。

それで非正規雇用の勤労者が増える。

そうなると、一般の勤労者の購買力が落ちて、物が売れない。

低賃金の非正規雇用者が増えれば、税収も落ちる。

自分の会社の収入はタックスヘイブンに隠して法人税を逃れる。

ついでに、自分の資産も国外逃亡させる。

気持ちはわかる。

税金は悪でありますよ、ほんと。

日本の税制はおかしいよ、ほんと。

でもさあ、そうすると、税金で徴収されるはずであった金が消えるわけで、その分は勤労者に課税される。

貧乏人に課税しても、取れない。

で、税収は落ちる。

税収が落ちれば、公共サーヴィスの質が落ちる。

治安も悪くなる。

富裕層への憎しみも国民の間に蓄積醸成されていく。

国民の資産流出を止めようと国税庁もうるさくなる。

タックスヘイブンも、いつ顧客名簿を公開するかわからない。

じゃあ、とりあえず、治安のいい国に移住する?

税金亡命する?

http://amzn.to/2qN6HIV

シンガポールで永住権を取る?

http://amzn.to/2rJvixk

絶対のセキュリティを誇るGated Cityに住む?

根無し草の「永遠の旅行者」になる?

http://amzn.to/2rHzoqv

http://amzn.to/2rGU6Hc

気の休まらないことですな……

何のために金を集めたのか?

自分がほんとうに安全に安心して得して生きるためだったはず。

自己防衛のためであったはず。

なのに、気の休まらない老後を異国で過ごすのか。

強盗殺人や詐欺に気をつけながら。

彼の国の政変や法律の変化に気をつけながら。

自分がほんとうに安全に安心して生きたいのならば、自分の属する社会が安全で安心なものであることが必要十分条件だけれども。

まあ、見果てぬ夢かもしれないけれど。

でも、ひとりで生きてるわけじゃないからさ。

儲けることができるのも、社会があってこそ。

社会的インフラを使わせてもらえるからこそ。

人間は社会的生き物だからさ。

他人の影響から逃れられる人間はいない。

他人の働きに依拠して、私たちは生きている。

だからさあ、みんながそこそこ楽しく生きて食べていけるようにしておく方が、自分の身のためだって!

社会的コストだからさあ、税金は。

欲が深いのはいい。

強欲も結構。

金稼ぐのは素晴らしい。

ちょっと搾取もいいよ。

ちょっと脱税もいいよ。

でも、限度があるだろう。

限度を見極めるということは、損得を見極めることと同じだ。

経済人でいるのならば、徹底した経済人になるべきだよね。

徹底した経済人は、自分にとって得なことは何かを徹底的に考え抜く。

そうすると、自分だけ逃げ切るのは無理と、わかる。

自分と自分のカネだけが、自分を守ってくれるわけじゃない。

たとえばさ、道徳はなんで守る方がいいのか?

神様が見てるから?

いや、その方が得だから。

大きく見たら、道徳はお値打ちです。

お得です。

自分の不道徳な行為の波及効果はある。

自分の不道徳は自分に返ってくる。

自分にとって損なことはしない徹底した経済人になりたいよ、私も。

私が幸せでいるために、 みなさん、幸せでいてください。

三重大学工学部大学院「生産管理論特論1」第6回講義 (1) 院生の質問に応えて

本日は、2017年5月21日日曜日である。

三重大学工学部大学院開講科目渡邊明先生ご担当の「生産管理論特論 1」5月16日第6回講義の内容紹介をする。

前回の第5回のご講義内容は、私の悪い頭では把握できなかった。

その理由について、私なりに考えた。

「トヨタ生産方式」というのは、テイラーの科学的管理法やフォード生産方式のように語ることができない。

なんとなれば、「トヨタ生産方式」は、終わって完結した方式じゃない。静止していない。

今でもドンドン変化している。

今でもドンドン改善されている。

20世紀半ばあたりから生まれて、ドンドン進化して、いまだに進化中なのだ。これからも、どうなって行くかわからない。

さらに言えば、「トヨタ生産方式」というものの全体像は、わからない。

基本的に、トヨタ生産方式というのは、企業秘密なんだからさ、外部に対して公開されているわけではない。

トヨタが「うちの生産方式はこれです〜」と宣伝してるわけではないし、啓蒙しているわけでもない。

トヨタが、「トヨタ生産方式」なんて自分の会社の生産方法を呼んだわけじゃない。

研究者が、そう呼んだだけだ。

ともかく、「トヨタ生産方式」の全体像は不明なのだ。

ドンドン変化していて、かつ全体像が見えないものを、サラッとまとめて講義することなどできない。

先週は、Just in Timeについて語り、今週は「カンバン方式」について語り、来週は「カイゼン」について語り、再来週は「アンドン方式」について語り、そのあとは「段取り時間短縮」について語る。

というように、順番に個別に語る方法では、「トヨタ生産方式」について語ることにならない。

トヨタで実践されている方法が考案された(であろう)時系列に従って説明するという方法では、 「トヨタ生産方式」について語ったことにならない。

だから、講義方法は、アプローチ法は、通常のスタイルを採らない。採ることができない。

であるから、とりあえず、トヨタ生産方式のあらゆる様相を、あらゆる角度から論じる。

それを繰り返すことによって、受講生の頭の中に、「トヨタ生産方式」なるものの像が、ジワジワと形成されていく。

毎回の講義において、「トヨタ生産方式」の様相を、それぞれに紹介し語る。

ただし、講義が進むにつれて、各様相はさらに深められて、さらに広げられて、語られる。

それが積み重ねられていく。

そうして、最終的に「トヨタ生産方式」なるものの像が、受講生の脳の中に結ばれて行く。

と、渡邊先生はお考えのようである。

しかし、そういう講義法が、私には理解できなかったのだ。

?????と、なってしまったのだ。

本日の講義のポイントは何?

本日の講義も、そのポイントの理解を促すように組み立てられているはずだ。

そのポイントが見えれば、脈略が私の中にできるはずだ。

そうすれば、理解できる。

という前提や姿勢で聴講していては、把握し損なうテーマがある。

トヨタ生産方式は、そーいうタイプのテーマなのだ。

そういうものであると知った以上は、簡単に理解しようなどと大それたことは思わずに、自分の硬い頭をオープンにして聴講させていただこう。

ところで、渡邊先生の第6回のご講義は、3つの部分から構成されていた。

前回の講義への院生の質問に対する回答と、工学部大学院生が知っておくべき「挑戦する企業」の何社かの紹介と、トヨタ生産方式に関する講義の3部分である。

本日は、受講生からの質問に対する回答ついての覚え書きをここに書く。

5月16日のご講義における質疑応答は10分くらいのものであったが、院生はわりと遠慮なくアホな質問を書くので、聴いていると面白いんである。

(質疑応答の覚え書き始まり。カッコ内はフジモリの声)

質問1: 理系のメリットは何か?企業のトップに就くの文系だそうだが、理系の生き残る道は?

回答: 今後はネットワークの経済が更に進行する。将来的には文系が生き残る道はないだろう。

(だろうなあ……理系素養がない純然たる文系では生き残れないだろうなあ。将来の日本の義務教育は、理数系科目について、非常にわかりやすく教えることに力を注ぎ、国民全員を理系にするつもりでないと、まずいのではないか。まず理系的思考。文系的思考は独学でもできるし、高齢になっても学べる。でも、科学的思考は、子どもの頃に、きちんと教えられないと身につかない)

質問2: なんで、トヨタ生産方式について学ばねばいけないのか?

回答: その時代に使われているシステムについて知っておかねばいけない。その時代に人気があって読まれ る本は読んでおかなければならないように。トヨタ生産方式を参考にしている企業もあり、業績を上げているが、トヨタ生産方式は真似しようと思っても簡単に真似できない。それは、組合や能力の問題かもしれないが、今現在でもっとも成功し成果を上げている生産システムを知っておくことは、工学部の学生にとって重要。

(なんでも勉強しておけばいいのに。そもそも、これは役に立つから勉強するなんて姿勢は貧乏くさいわ)

質問3: トヨタ生産方式の「段取り替え」は10分以内でするとのことだが、前はどれくらいかかっていたのか?

回答: 前は1日ぐらいかかった。ベルトコンベアが止まるような設備を止めないとできないようでは生産性は上がらない。設備を稼働させつつ、もしくは設備停止時間を大幅に短縮しつつ、可能な段取り替えの考案は必要。段取りのために設備が止まる時間は10分未満にする。さらに、瞬間的に段取り完了できる方向に行っている。

(「段取り替え」というのは、トヨタの多品種少量生産という需要に対応し売れる物を作るために必要となる作業である。多様化するニーズに合わせて、注文が入ったら生産する。そうなると、設備や生産ラインの段取り回数が増える。段取り替え時間の短縮のために必要なのが作業手順の標準化。その手順を繰り返し訓練すると、段取り時間は大幅に短縮される。1日かかる段取り替えを10分以内で済ませるなんて、とんでもない偉業だ……)

質問4: トヨタ生産方式は在庫を嫌うそうだが、在庫がなぜ嫌なのか?

回答: 在庫はカネがかかる。倉庫費、運搬費、管理費などの在庫管理費用がかかる。錆などの劣化もある。「仕掛品」(しかかりひん)を避けたい。仕掛品とは、製造工程の途中の製品になっていない加工中のもの。それ自身での販売や交換価値は見込めない。この仕掛品もなるたけ減らすのが課題。

(トヨタは1950年代最初に、在庫を抱えて倒産しかけたことがあったんだぞ)

質問5: うんと知識を詰め込めとおっしゃるが、それは文系の話ではないか?

回答: 商品は知識の束。いろんな知識の総合力。でなければ猿真似の商品。

(理系は天才的ヒラメキさえあればいいと思ってるのかね)

質問6: ホンダのエンジンは逆回転だったそうだが、何かメリットがあったのだろうか。

回答: 本田宗一郎さんが他社と違うことをしたかっただけ。逆回転エンジンは部品がひとつ余分に必要なので無駄なことなのに。

(ここらあたりは、エンジンの仕組みもわからない私には無理)

質問7: エンジンや変速機は、これからモーターや電池に取って代わられるのではないか。電子技術や電気の時代になるのではないか。

回答:すでに、そうなっている。

( こーいう質問も私にはわからない。エンジンは内燃機関であり、と言われてもピンとこない。人工知能による自動運転自動車つーのは、電気自動車なんかな?)

(質疑応答の覚え書き終わり)

いやあ……毎回のご講義を集中して聴くことは、疲れる。

知らないことばかりを聴くのは疲れる。

考えながらノートを取るのは疲れる。

回を重ねるごとに、ご講義内容の覚え書きを作成することは容易ではなくなっていく。

しかし、挑戦することは面白い。

ちっぽけな成功体験でも成功体験だ

本日は、2017年5月20日土曜日だ。

この文章は、4月に書いて、下書きに保存していて、忘れてしまったものだ。

自分で獲った餌をどこかの枝に突き刺して保存したつもりで忘れる百舌(百舌)だな、私って。

駄文ではあるが、せっかく書いたから公開しておく。

今年の4月あたりに、Facebookの投稿に、「大人の自殺者は減っているけれども、子どもの自殺者は減っていない」という記事が紹介されていた。

http://www.huffingtonpost.jp/2017/04/20/suicide_n_16133662.html

この投稿に対して、いろいろなコメントが書かれていた。

「統計はいい加減である。不審死は自殺とカウントされない。遺書がなければ自殺と認定されない。毎年3万名が自殺すると言われてきたけれども、ほんとうは10万名くらいだろう。身元不明の自殺者は、死そのものが知られていない」とか。

確かに、確かに。

実質は緩慢な自殺であるような変死は多いだろう。

統計は事実の一部しか示さない。

こういうコメントもあった。

「抗うつ剤に依存して自殺するケースは、自殺者数にカウントされないのではないか。病死として判断されるのではないか」とか。

確かに、確かに。

薬害は多いのであろう。

だけれども、他人任せの患者があかんわ。

医者はビジネスだから、なんでもやるわさ。

なんで、他人が処方した薬なんか素直に延々と飲んでいられるのか不思議だ。

薬なんて、もともとが飲まないほうがいいんだから。

副作用があるに決まっている毒なんだから。

話を元に戻す。

子どもの自殺の数は減らないとかについてだけれども。

子ども時代って、だいたいが死にたいもんよ。

子どもって、周りが気をつけていないと、わりと簡単に死んじゃうよ。

あの子たちはこの世界の新参者なんで、生きていること自体が、相当にきついのだよ。

何も感じていないサルに見えて、すっごく傷つきやすいのだよ。

だから、子どもの一定数は、自殺する。

そーいうもんよ。

私も死にたいことばかりだった。

勉強もできてスポーツ万能で、いつも学校の花形で、ピアノもすぐ弾けるし、親はPTAの会長で……学校は小学校から名門私立校で、キャンパスは美しく清潔で快適で……というガキもいるだろうけれども。

が、普通の子どもにとっては、学校生活はストレスフルだ。

私は、普通以下の子どもであったので、学校生活にしろ何にしろ、非常に不快で重荷であった。

私は子ども時代に帰りたいと思ったことは一度もない。

冗談じゃない。

学校そのものが、建物は古くて汚くて臭い。

トイレは暗くて汚くて臭い。

掃除したって綺麗になりはしない。

汚れた雑巾で廊下をなぞっているだけ。

そこに毎日通わねばならない。

給食は必死に速く食べねばならない。悠長に食ってちゃいけない。

同級生たちは、育っている家庭の問題をそのまま反映してる。

意地悪だったり、小うるさい。

ひっきりなしにキーキー喋っている。

男の子は、ドアの開け閉めについても、ほんとうに鈍感で乱暴。

無神経と無作法が短パン履いていた。

女の子は、小学校低学年から、まるで「団地の奥さん」だった。

「団地の奥さん」というのは、すでに死語だな。

要するに昼日中から複数で立ち止まって延々と何時間も、しょうもない話をしている昔の専業主婦たちのことだ。

昔は、そういう風景を、あちこちで見かけた。

いまどきの主婦は、そんな優雅なことはしていられないが。

共働きが普通になった主婦には、そんな暇はないが。

学校の先生は、親ほど理不尽ではないけれども、まあプチ理不尽だ。

大人は、みんなウザイのだ。

わけのわからない怒り方をする生き物であった。

ともかく、私の子ども時代は、「冒険」の連続であった。

そういうストレスフルな日々のなかで、 小さなストレスにいかに立ち向かってクリアしていくかの 冒険の連続。

こういうことは親に言ってもダメだ、自分でちゃんと先生に言いに行くんだ。でも、職員室に行くの嫌だなあ。でも、行かなきゃ。

で、職員室に行って、ちゃんと先生に説明できた。良かった!できた!

ちょっと喧嘩して、3日間仲良しの何とかちゃんと喋っていない。何とかちゃんとは、これからも仲良くしていたい。私が悪かった。でも、謝るのいやだなあ。どうやって謝ろう。

その鬱屈と躊躇(ちゅうちょ)に勝って、ちゃんと謝ることができた。また仲良くなれた。良かった!謝るのって簡単だ!意外と簡単だった。これからは、自分が悪かったと思ったら、すぐ謝ろう!

大晦日なのに、家の障子紙(そういうものが日本の住居にはかつてあった)が古くて汚れてる。貼り替えないといけない。でも、親は忙しそうだ。私で張り替えることできるかな。

和紙と糊を買ってきて、ゆっくりゆっくりやったら、貼り替えることができた!私でもできた!!不恰好だけど、できた!

これから毎年暮れになったら、障子の張り替えは私がする!家の中を綺麗にできるんだ、私でも!

学校の帰りにお腹空いたから、「寿がきや」のインスタントのうどんを買ってきた。ところが袋に入った麺の一部が黒くなっている。

これは何?黴(かび)というものらしい。どーしてくれるの!食えんじゃないのよ。私がお小遣いで買ったんだぞ。

こーいうもの売ってちゃいけないと思う。ここの会社に手紙書いて、黴のはえた麺入りの商品を送っておこう。私は「寿がきや」が好きなのに残念ですと書いて送った。

そうしたら、私が学校にいる間に、「寿がきや」の社員の人が自宅に来て謝り、代わりの商品を置いて行ってくれた。オマケもつけて。何も知らない母親はビックリして慌てたそうだったが。

やっぱり、言うべきことはきちんと丁寧に言うべきだな。泣き寝入りしちゃいけない。

私にとっては、何でもない小さなことが、全部が非常に難しいことに思えた。

ひとつひとつ試みていくことだけで、非常に緊張し疲れた。

ない勇気を振り絞ってするしかなかった。

でも、これらの実にささやかなことができると、嬉しかった。

長じて、もっともっとややこしい問題が出て来た。

その度に、私を支えてくれたのは、幾多の「成功体験」だった。

「成功体験」というのは、ささやかなものでいい。

ちっぽけでいい。

オリンピックに出場したとか、すごい大学に現役で合格したとか、コンクールで優勝したとか、そんなご大層なことでなくていい。

自分としては回避したいストレスから逃げずに、クリアした、真正面から迎え撃った。

これが、私の成功体験。

そういう類のセコイ小さな小さな小さな成功体験でも、塵も積もれば山となる。

ささやかでちっぽけでも成功体験は成功体験だ。

成功体験は、自信を育む。

自分を頼む気持ちが習慣になる。

そんな自信でも積み重なれば、確信になる。

逃げなければいい。

堂々と迎え撃てばいい。

大丈夫だ!

不器用でも不細工でもカッコ悪くても鈍臭くても、ひとつひとつ丁寧にやって行く。

時間かければ、できる。

そうすれば、必ず突破できる。

この世の中は、自殺したくなるようなことばかりだ。

それでも、自分で選んで生まれたのではないから、自分で勝手に死んじゃいけない。

確実に絶対にいつかは死ぬので、慌てることはない。

それまで、いろんなストレスに挑む。

私にとっては、トイレの天井の電球を交換することさえ、できるようになれば成功体験だ。

餃子を綺麗に焼き目をつけて、フライパンにこびりつかせずに焼くことができるようになるのも、成功体験だ。

21年間の単身赴任生活を大断捨離して、名古屋に引っ越しを完了させたことも成功体験だ。

何しろ、私は、幼い頃には「知的障害児かもしれない・・・」と親を本気で心配させた。

それぐらいに、不器用で何もできない。

でも、他人と比べてもしかたない。

自分の人生だもの。

自分ができるようになればいい。

他人が10歳でできることを、64歳でやっとできるようになっても、いいんだ。

できるようになったという成功体験は、私のものだ。

これから、もっともっとシンドイ辛いことも起きるのだろう。

回避できないなら、丁寧に付き合う。丁寧に乗り越える。

ということで、自殺したい人へ。

ひょっとして、あなた、ご自分のことをえらく大層な人間だと考えてきて、ささやかなことを蔑(ないがし)ろにしてきたんじゃないですか?

と問いたい。

この世に流通するアホな幻想ではなく、他人との比較ではなく、自分の人生と自分の実感を大事にしてください。

頑張って生きてきた自分を認め受け入れ、愛(いと)おしんでください。

みなが時間持ちにならないと民主主義は無理

本日は、2017年5月19日金曜日である。

無職のプー太郎ならぬプー子になって、変わったことはいろいろある。

そのひとつが、Amazonプライム会員特典で無料でパソコンやiPadやスマホで視聴できる映画やテレビ番組を見て時間をつぶすことが皆無になったこと。

映画とかテレビの連続ドラマなんて、しょせん虚構なんだから、見ても見なくても大差ない。

どうでもいいといえばどうでもいい。

感動するといっても、現実逃避には変わりない。

まれに100年に1度くらい、『シン・ゴジラ』みたいな傑作が生まれる。

その場合は100年に1度見ればいいのだ。

なのに、私は勤務時代に、帰宅して夕食をすませると、ソファに寝っ転がって、amazonビデオを視聴していた。

1日に2本ぐらいは映画のビデオを見ていた。

時間の浪費は、実にはなはだしかった。

賃金労働で好きでもないことを生活のためにやっていると、くたびれる。

帰宅すれば、もうひたすら休息したい。ダラダラしたい。

きちんとした本を読む気力も体力もない。

漫画でさえ読めない。

ボ〜〜と動画を眺めて眠るしかない。

大学の教員の仕事なんて、平均的に見れば、どうということのない労働量である。

のかもしれないが、疲れることは疲れた。

私みたいな凡人以下は、そーだったんよ。

ところが、今は賃金労働しないので、疲れないので、いくらでも本が読める。

貧乏になったけれども、「時間持ち」になったので、落ち着いて読書できる。

今まで、薄らボンヤリとしか知らなかったことを、きちんと知ることができるのは、非常に嬉しい。

生きている気がしていい。

http://amzn.to/2rxHuC8

64歳にもなるのに、なんという無知なのか……

死ぬまでに、この無知無知した状態を少しでもマシにしなくちゃと闘志がわいてくる。

また、今は勤務時代のように、疲れ切って食事を作るのが面倒になり、外食するということがない。

きちんと料理ができる。

食材はすべて無駄なく使い切ることができる。

とはいえ、頑張るとストレスになるし、過食は万病の元なんで、夕食も2品しか作らない。

それでいいのだ!!


きちんとした食事を1日1食でも摂っていれば、機嫌よくしていられる。

いい加減に食事してると、4日も過ぎると精神的飢餓状態になってくる。

で、外食してしまう。

しかし、自分で丁寧に作ったものの方が、そりゃ満足できるんよ。

自分の好みで味付けしてるんだからさ。


私は、無職のプー太郎ならぬプー子になってから、非常に幸せである。

カネがなければ節約して暮らせばいい。

でも、時間がなくて、脳に栄養を送れないと馬鹿になる。

労働によって得るものはたくさんある。

しかし、時間がないと、もっともっと大きな視点から、自分の属する社会や世界の仕組みを知るための情報収集ができない。

情報収集そのものが仕事みたいな研究者でさえ、勤務していれば雑務がいっぱいだ。

その雑務は年々歳々増えていくばかりで、論文など年に1本書くのが精一杯という状態になる。

私なんて無能だから著書の一冊も出せなかった。

自分が書いてきた論文を集めて本にして出すなんてvanity pressは興味ないし。

自分以外は誰も読まない本は出版せんでいいよ。

献本されても困るわ。

なんか、1990年代から、特に21世紀になったあたりから、いろいろ余裕のない世の中になってきたよなあ……

なんでかなあ……

アメリカ も日本も、勤労者の実質賃金は上がっていない。

なんで賃金が上がらなくなったか?

もとはといえば、日本の宗主国のアメリカの企業が株主資本主義化して、経営者と株主が分離し、利益は株主の配当に回され、従業員の賃金や福利厚生向上には回らなくなったからだ。

上場されている株式会社は株価が高ければ良い会社ということになるので、会社の立て直しは、まずリストラで、1番コストのかかる人件費を圧縮することから始まる。

リストラして、正規雇用を減らして非正規雇用を増やす。

それから、優良部門や資産を売却し、その金で自社株を書い、自社株の株価を吊り上げる。

それが会社再建ということになる。

それを躊躇いなくできるのが、有能な経営者、辣腕CEOということになる。

こういうことをした会社再建者は、巨額の役員報酬を得た後は、サッサと「再建された会社」を売却する。その売却益からも報酬を得る。

企業そのものは、役員報酬を税金控除できるんで、巨額の役員報酬を払っても損はない。

犠牲になるのは、従業員の退職金に年金である。

従業員保護の法律は、とっくの昔に財界が国会議員を使って無効にしてる。

抜け穴いっぱいにしてる。

抜け穴を探す弁護士も、企業はいっぱい雇用できる。

企業の得た利潤は、法人税を払うのは嫌なので、タックスヘイブンの隠れ口座に隠匿される。

http://amzn.to/2pQU969

FATCA(Foreign Account Tax Compliance Act) が2013年に施行されて以来、スイスの銀行は隠れ口座を公開するようになった。

けれども、まあ、北朝鮮やISがタックスヘイブンになっているとすれば、IRS ( Internal Revenue Service, アメリカ合衆国内国歳入庁つまり国税庁ね)だって、CIAだって手が出ない。

カネの隠し場所は、あるんよ……

このように、本来は課税されるべきカネが徴収されないので、足らない税金の補填は庶民への重税で補う。

富裕層が合法的脱税すると、貧乏な庶民の税金が多くなる。

給与が上がっても、税金で取られる。

富裕層は一層に富み、貧乏な庶民は一層に貧乏になる。

企業は、企業を動かす超富裕層は、国会議員に献金すれば、自分たちに都合のいい法律を制定させることができる。

国会議員は、議席を失ったあとは、企業や超富裕層の作った財団のロビイストなる。

年収1億円以上はもらえるからね、企業や財団と仲良くしておきたい。

上院議員たって、年収日本円で2000万円くらいだからね、ロビイストの方がずっといい!!

今や、アメリカの国会議員ひとりに33人(13人という説もある)のロビイストがくっついて、運動してる。スポンサーは、ほとんど企業だ。

そりゃ労働組合やNPOのロビイストもいるけれども、報酬額が違うね。

ロビイストも人間だから報酬で動くよ。

5000万円なら動かなくても、5億円なら動くぞ。

怠けもんの私も動くよ。

ということで、気の長い開発研究(R&D)やらんでも、儲かるシステム作りをするんで、アメリカの企業からイノヴェイションが生まれない。創意工夫なんかしない。

イノヴェイション?

そんなん、極東のクソ真面目な国民のいる国のいい技術を持っている会社を買収しちゃえばいいんだ。

日本政府は緊縮財政とかで、国の宝みたいな技術を持っている会社が倒産しかけてるのに助けもせずに、外資に食い散らかされるままに放置してる。

東芝の半導体技術を外国に売っていいんか……

外資が日本の企業の株を買っていいことにしちゃったもんだから、日本の企業も続々とアメリカ企業化して、リストラと株価吊り上げしかできなくなった。

ということで、日本の勤労者の賃金は上がりません。

これじゃ、子どもの教育費も出ない。大学の授業料は、今や国公立でも535800円だ。1971年は12000円だったのに。

数年後には93万円にするらしい。私立大学は、とっくの昔に年間授業料は100万円超えている。

子どもが2人いたら、これでは、奥さんがパート勤務しても苦しい。

上京させて下宿させるなんて無理。

地元の大学に行ってちょーらい。

ということで、福山市立大学は、都会の名門私立大学に合格したけれども、経済的事情でここに来ましたと言う学生さんが少なくなかった。

なんやかんやで税収は少ない。

今まで好きにさせといた大学への補助金も削りたい。

補助金出すなら、それなりのことやっていて、文部科学省に素直な大学には出す。

補助金を餌に、グジャグジャとしょうもない指令ばかりを大学に出すようになった文科省。

天下りを受け入れた大学には手厚くするよん。

ということで、それに適応できない日本の多くの大学の予算は小さくなった。

で、お定まりで、企業の真似して人件費削減。

いまや大学の教員も終身雇用ではなく、任期制が増えた。

財界に左右される政府は、すぐに使える人材養成を大学に要求する。学問なんかせんでいい。教養なんて無用。もっと職業訓練校になれ。

あのさあ、もうすぐに人工知能が、職業訓練校で得るスキルを担う時代が来るんだよ。

どうせいと言うの?

そんなこんなやってるもんだから、雇用は増えず、賃金上がらず、国民は疲弊して、購買力がない。消費なんかできるか。

アベノミクスで貨幣の流通量が増えたって、銀行から借りません。

需要力がないので、供給過剰のデフレーション止まりません!

景気なんか良くなりません!

経済成長できません!

経済成長できないメカニズムとその結果の今現在について、勤務時代は考えることなどできなかった。

ただただAmazonビデオで時間を潰してた。

皮肉なもんだ。

若くて体力気力充実してるときは、生活費獲得労働に追われ、きちんと考えることも、調べることも、周りを観察することも、粘りが必要な類の読書もできない。

ストレス解消のための、どうでもいいような余暇活動に時間を費やし、買い物だの恋愛だのギャンブルだの飲食だのに依存耽溺する。

そうして、貴重な人生の時が過ぎて行く。

民主主義の実現は、まずは労働時間の短縮と生活費の保証かなあ。

古代ギリシャの都市国家の民主主義の担い手は、奴隷に労働を任せることのできる余暇時間を持つ自由民だった。

そろそろ、人工知能、ロボットという奴隷も用意されてきたし。

あとは生活費の保証かなあ。

ということで、やっと私は、ハイエクやロバート・ライシュの提唱したベイシック・インカム(badic income)について、ちょっと本気で調べてみようかなあ……という気になってきた。

でもなあ、これも「善意で敷き詰められた地獄への道」かもしれんし。

民主主義なんて永遠に未完のプロジェクトかもねえ……

http://amzn.to/2qCJJE1

三重大学工学部大学院「生産管理論特論1」第5回講義: トヨタ生産方式前哨戦

本日は、2017年5月15日月曜日である。

すみません。

三重大学工学部大学院開講科目の渡邊明先生ご担当「生産管理論特論1」の第5回ご講義内容の覚え書きを作成できません。

すみません。

第5回ご講義を聴講させていただいた時に取ったノートを見直しても、なにゆえか、私の脳の中に、私なりの覚え書きを作成するだけの脈略が作れません。

渡邊先生は、私の理解力の無さを理解してくださり、第5回ご講義の動画ファイルを送ってくださった。

私は、その動画を3回視聴しました。

それでも、私の脳の中に脈略ができません。

なんでだろ。

認知症かもしれません。

疲れているのだろうか。

あと数回視聴すれば、脳の中に脈略が形成されるかもしれない。

しかし、もう明日は第6回目のご講義である。

すみません。

もう、みなさま、私の支離滅裂覚え書きより、渡邊先生のご講義の動画を視聴なさるほうが早いです。

渡邊先生、申し訳ありません。

元気になったら、一時的認知症が治ったら、覚え書きを作成して、ここに加筆します。

渡邊先生のご講義のファンの方々、とりあえず、ちょっとの間、お待ちください。

というより、動画をご覧ください。