Blogエッセイのネタがあるような、ないような・・・だから、また「アメリカ文化論」の講義の一部を公開します。
何のつもりで、こんなことしてるんかしらね。
しょーもない自己顕示欲に決まってますがな。
第3回「アメリカ文化論」では、アメリカ合衆国を成立させた三つの思想運動、いまだに継続中の思想運動について大雑把に説明した。
その三つとは、ルネサンスと宗教改革と啓蒙思想。
高校の世界史やなんかでやったことの復習だけどね。
ルネサンスとは、「人間は自由だ~~~人間に原罪なんかあるかあ~~~教会なんか関係ない。人間は好きに生きればいいんだ~~~!!」と思う人々が、「神の代理人」たるバチカン(カトリック教会の総本山)に支配された中世で生まれたこと。ぶっちゃけて言えば、ほんとのこと言えば、「無神論」の誕生よ。
ルネサンスに関して、その本質を簡潔に大胆に理解したい方は、副島隆彦氏の』『隠されたヨーロッパの歴史』(KKベストセラーズ)を読んでちょーらい。
宗教改革は、カトリック教会バチカンのやっていることはイエス・キリストの精神とかけ離れているだろ~~~!!本来のキリストの精神に戻れ~~~!!本気で神に帰依せよ!!人間はほんとに無力だ、神の木偶だ、神の言葉のままに生きて行け~~という運動のこと。
動画は、それについて大雑把に述べた15分でございます。
ルネサンスと宗教改革は思想の方向は違うんだけれども、同じ結果をヨーロッパ人にもたらした。
つまり教会の権威の失墜だ。神の代理人たる教会を頂点にした中世の身分制を揺るがせる事態を引き起こした。
現世の何もかも、普通の人間も(神に権力を委託された)王様の所有物であった.
なのに、「いや、俺には俺の人生がある。俺の人生は教会のものでも王様のものでもない。みんな神のもとに平等なんだからさ。俺が幸せに生きようするのは、神が認めた俺の権利だ!!でも、俺も忙しいからさ、いちいち俺の権利を侵害する他人と戦っておられんよ。俺がより良く生きるために、ほかの人間たちと協力して、統治体を作って、その統治体に統治権力を委託するんだ。犯罪と外敵への対処はよろしく!でも、その統治体が変なことしたら、すぐに革命を起こすぞ!!」という思想が生まれたのは、とんでもない発想の転換だった。
こういう思想を市民政府論、社会契約説と言う。
なんで、こーいう思想が生まれたのかね~~すっごくない??
日本人の大多数には、いまだにピンとこない思想だけど。
伝えたいことが多くて、ハンドアウトの枚数は多いけど、伝えられるのはポイントだけ。
ともかく、ルネサンス、宗教改革、啓蒙思想を経て、「近代」が形成された。
アメリカ独立革命、フランス革命が成就した。
こうして、一般庶民の権利が認められるようになった「近代」ではあるけれども、私たちは、自分の人生を「近代人」として形成してるんかしらねえ。
一般庶民が大学教育を受けることができるようになり、大衆教育時代が到来したけれども、そんな近代という環境を目いっぱい活用して我々は生きているんかしらねえ。
しょせんダメな奴はダメだろ。
民主主義なんかあるわけねーよ。
なんの闘争も引き受けずに、ラクに生きたい類の人間を甘やかすだけだ。
畜群がギャアギャア勝手なこと言うのが民主主義だよ、所詮は。
世界は、やはり闘争を引き受けることができる(ほんとの)貴族と戦士によって作られるんだ。
と近代批判をしたのは、ニーチェだったが。
講義をしながら、「私って無意味なことしてんじゃないのかなあ・・・スマホいじくってて平気な人生ならば、それはそれでいいんじゃないの・・・本など一冊も読まない人生でも、それはそれでいいんじゃないの・・・」と、思っている私である。
理想を失い、ヴィジョンを失っている62歳の冬が過ぎていく・・・
理想やヴィジョンを持ち維持するには、勉強が圧倒的に足りないし、思考力も足りないと寂しく自覚する62歳の冬が過ぎていく・・・
