『ゴジラ』の起源は田河水泡『のらくろ』だった!?

本日は、2016年12月12日月曜日だった。

本日はくたびれはてて、ついでに歯痛と眩暈でへばっていた。

歯が痛いつーのは、何ともならんなああ……

昨日は 名古屋で大学院時代の指導教授だったアメリカ人神父、御歳78歳の恩師を囲む会に出席するために、ほんとに久しぶりに母校の南山大学(Catholic University of Nagoya)に出かけた。

南山大学は、ドイツのカトリック修道会の神言会設立である。アジア侵略の尖兵だったイエズス会とは関係ない。

南山大学の同窓会事務局は、名誉教授対象に年に1度か2度ほど、「ダレソレ先生を囲む会」を開催している。

同窓会事務局によると、大学の会報で会についてアナウンスしても、ほんの少数しか卒業生が集まらない名誉教授もいる。

しかし、私の恩師のドイツ系アメリカ人神父を囲む会は、最多数の45名ほどの卒業生が東京や九州から集まった。

まあ、この神父さんは、お若い頃はハリウッド映画俳優顔負けの美男子だった。ほんと。

ついでに神父らしく実に温厚な方だ。ゆえに女子学生の 人気は高かった。

「囲む会」の出席者も、見事にほとんどオバハンばかりであった。

私のようなオバアサンも数名はいたな。

この神父さんのアメリカ文学のゼミに延べ8年間(修士3年&博士4年&研究生1年)ずっと出席していたおかげで、私はなんとか英語を聴くことや話すことに慣れた。外国語は話すよりも聴き取りが1番苦労する。

この神父さんは、アメリカ南部なまりの彼のゼミでの聴き取りや議論ができずに悩んでいる大学院の後輩に対して、「あのフジモリでさえ、最初はまるっきり英語はダメだったから、あんたも大丈夫。心配ない」と励ましていたそーだ。

で、あの、えらそーに大きな声で酷い英語をしゃべり散らかして恥知らずのフジモリでも、そんなもんだったのかと、後輩たちは大いに安堵したそーである。

昔から、私はろくでもないサンプルであった。


(やっぱ若作りしても、私は63歳だよなあ……神父さんは、相変わらず格好にこだわらない方である)

それはさておき、南山大学は私の名古屋の住居と徒歩15分か20分しか離れていない。そんなにご近所でも、行かないもんだ。

南山大学のキャンパスは、フランク・ロイド・ライトの弟子だったアントン・レイモンド設計なんで、美しい。レイモンド亡き後は、レイモンドの日本人弟子の事務所が設計建築にずっと関与している。

「ハウステンボスか桃山学院大学か」というほど、私の前の勤務先の桃山学院大学のキャンパスも美しい。しかし、南山大学のキャンパスは格別だ。ほんとよん。


(今は就職支援センターらしいけど、昔は大学院生研究棟だった。若き日の私の棲息場だった)

ところで、昨日、私は「大発見」をした!

年度中に退職してイラクに行った同僚から引き継いだ4年生男子学生3名のうちのひとりの卒業論文のテーマが「太平洋戦時下の『少年倶楽部』に表出された男性性」である。

最初から私のゼミ生であれば、こんなややこしいテーマは私は許さない。文献調べて整理したら書けるような類のテーマの方が楽に決まってるから。

だいたい、このテーマならば、太平洋戦時下の『少年倶楽部』だけ調べてもしかたない。

太平洋戦争前と戦後の記事も調べないと困る。比較検証できない。

『少年倶楽部』は1915年くらいに創刊されて、1946年に廃刊された雑誌だ。執筆陣が豪華だ。大正時代には、当時の文学博士とか法学士とか医学博士に理学博士に司法大臣に陸軍大将や陸軍大尉や海軍大尉が寄稿している。

一時期は旧制中学受験雑誌化したが、基本的には立身出世志向のエリートの卵養成少年雑誌だ。 

もしくは、そういうエリートの卵に憧れる少年の雑誌かな。

出版社は、「大日本雄弁会講談社」だ。今の講談社の前身。

佐藤紅緑や佐々木邦やサトーイチローが寄稿するようになったのは、昭和に入ってからだ。

ところが、当該学生は太平洋戦争時期の『少年倶楽部』の記事しか調べていなかった。

アホか、どーするねん。

もうこの時期に及んでは、東京の国立図書館に行って『少年倶楽部』の当時の現物を調べてコピー取ってる時間はない。

どーするねん。

と、私は、ついFacebook で愚痴った。

そしたら、畏友の国際安全保障研究者の松村昌廣氏が、「のらくろ」を読めばいいんじゃないかと提案してくれた。

「のらくろ」とは、1931年から41年まで、この雑誌に連載されていた田河水泡の漫画『のらくろ』のことだ。

孤児の野良犬が陸軍の「猛犬連隊」に入所して、ブルドッグ連隊長に可愛がられて、刻苦勉励し手柄をたて、二等兵から上等兵へ、軍曹から曹長になり、士官学校に入学させてもらって、最終試験に合格し、憧れの将官となり、小隊長 となり、ついには大尉に出世する物語だ。

この漫画は、勝ち戦であった日中戦争時代で終わっている。だから明るい。

この漫画と太平洋戦時下の記事とを比較すれば、なんとかなる。

ゼミ生の卒論は形がつく。

さいわいに復刻版全10巻は古書店で入手できる。8000円から1万円くらいで売ってる。

戦前に箱入りで単行本化されたものが、1970年代に復刻されて結構売れた。

当時は、戦前の『少年倶楽部』を読んで育った人々が、まだ大量に生き残っていたから。

ということで、急遽、私も『のらくろ』全10巻を古書店から取り寄せて読んでみた。

で、大発見!!

すごい発見だ!!

『のらくろ』全集の第5巻『のらくろ小隊長』に「古代の恐竜の生き残り」と戦うというエピソードがあった!

えええええええ?

漫画に描かれた恐竜は、まさしく私が愛するゴジラではないか! 

ゴジラだよおおおおおおおおおお〜〜〜!!

映画『ゴジラ』を監督した円谷英二氏は1901年生まれ。

のらくろ小隊長が恐竜の生き残りの怪獣と戦う漫画が掲載されたのは1935年くらい。昭和10年くらいだ。

円谷英二氏がゴジラを構想したのは、アメリカ映画の『キングコング』を見たからだというのが定説である。

1935年当時34歳の円谷英二氏が『少年倶楽部』の愛読者だったとは思えない。

それでも、1935年に人形アニメ作品『かぐや姫』を発表した新進気鋭の映画人であった円谷英二氏は、同年に瀬野光世氏によって製作されたアニメ『のらくろ二等兵』や『のらくろ一等兵』を見ていたに違いない。見なかったはずはない。

その後に単行本化された『のらくろ小隊長』を読んでいた可能性は大いにある。

戦後の円谷英二氏のゴジラ製作には、『のらくろ』がヒントを与えたのは確実だと思う。

私が知る限り、このことに言及した情報はないけれども、間違いない!

ということで、思いがけずに、私の永遠のアイドルのゴジラの起源に遭遇した12月の夜だった。

しかし……

ほんとに卒論指導はくたびれる。

ゼミ生の卒論製作の伴走は、7人もいるとくたびれる。

それでも、提出日の12月22日まで駆け抜けよう。

歯の痛みなんかに構ってはいられない。

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