定点観測地としての大須

本日は2017年7月26日水曜日である。

ここずっと高温多湿に負けてる。

超訳「水源」Blogも放置だ。

超訳作業は、思ったよりも難儀な作業であった……

アホだ……

朝起きて湿度計見ると70%超えてる。うわ。

冷房の効いた室内から戸外に出ると眼鏡がくもる。うわ。

でも、私は、なんかブチブチ書いてないと精神が安定しない人間なんで、高温多湿で廃人にならないように、なんか書く。

Facebookの職業欄を、「フリーター」から「ブロガー」にしたった。

(無収入の)職業にしたんだから、ブログ記事を書く。

今日は、名古屋の大須(おおす)ついて書く。

大須は、私が定期的に歩き回りチェックする名古屋で唯一のエリアだ。

私は買い物は、食材以外はすべてネット通販なので、繁華街は歩かない。

ウインドウ・ショッピングもしない。どうせ私が着れるサイズは売ってないし。

栄(さかえ)も名古屋駅前も通過するだけ。

だけど大須は歩く。

ジロジロと見つめながら歩く。

3つくらいの大通りとアーケード街で構成された比較的狭い区域なので、ザザッと1時間も歩けば、街の変化がわかる。

つまり、世の中の変化がわかる。

大須は、私にとって社会の移り変わりをチェックできる定点観測所だ。

大須は、大須観音の門前町だ。

大須観音は、1324年に後醍醐天皇によって創建された北野天満宮の別当寺として創建された真福寺が始まりらしい。

織田信長の織田家の菩提寺の万松寺(ばんしょうじ)もある。

今では、この万松寺は、今風のコインロッカー式納骨堂で有名だ。

信長関係のお寺は、このエリアに他にもあって、駐車場を経営しておられる。

幕末には、大須観音の北に遊郭ができて、男性で賑わったらしい。

これは大正12年、1923年に中村区に移動して中村遊郭となった。

ちなみに、この中村遊郭は、今では風俗店街になっている。

昔の遊郭屋敷は、リサイクルされて、高齢者用デイケアセンターになっている。

なんか曰くありげな色っぽい建物が、老人施設になっているのはおもろい。

1945年3月の空襲で、大須の一体は焦土と化した。

しかし、私がガキの頃の1950年代や60年代は、名古屋の庶民が気楽に歩ける繁華街として復興していた。

当時は、仏壇店、家具店が多かった。演芸場があり、各種大衆食堂系飲食店が軒を並べ、街頭には占い師たちが腰かけて、通りすがりの人に声をかけていた。

「あ!ちょっと、ご主人!なんか気になるがね!ちょっと、ちょっと、しっかり顔見せてちょーだやあ〜〜」とか名古屋弁で人相見さんが客引きしてた。

ああいう街頭の占い師さんたちが面白くて、私は小学生の頃に、手相と人相について本を買い込んで自学自習した。

栄や広小路は、サンダルばきでは行けず、ちゃんとオシャレしないと歩けない繁華街だけど、大須は、サンダルばきで闊歩して構わない繁華街だった。

1970年代に入ると、大須が寂れ始めた。

1980年代のバブル期は、もっと寂れた。

アーケード街には、老人がトボトボ歩いているだけであった。

この大須が再び活況を呈し始めたのは、90年代始めあたりからだ。

まずコンピューターやIT関連機器を売る電気街として、若い人々が集まるようになった。

東京の「秋葉原」的に、名古屋のオタクが集まる街になった。

メイド喫茶もできた。コミケ雑誌店もできた。コスプレ専門店もできた。

アジア雑貨屋が増えた。手作りの革製品ショップが増えた。

ロリータファッションの店舗が増えた。

ゴシックロリータファッションで決めた女装の男の子が歩く街となった。

ブランドもののリサイクルショップのでっかいビルがオープンした。

古着ショップが集まった。

マンハッタンのSOHOとチャイナタウンをごっちゃにしたような、なんでもありの雑多な雰囲気の街になった。

大須でコスプレパレードが開催されたのは2004年だった。

今では、名古屋随一の多文化主義(?)の街だ。

中華や台湾や韓国レストランはあたりまえで、ブラジル料理店、トルコ料理店、ベトナム料理店が集まっている。

イスラム教徒用のハラール食料品店もある。

このブラジル料理店は、大須では老舗になってきたなあ。

今は多いのはゲーム店だ。

ディスプレイに映し出されるキャラクターとそっくりにダンスする少年。

黙々とひとりでダンスする少年。

私には不可解な意味不明な現代の若者たちの生態。

外国人観光客もどんどんどんどん増えている。

聴こえてくるのは、中国語に韓国語にタイ語に、その他のアジア系言語に、英語に、スペイン語かポルトガル語らしき言葉だ。

「お!イケメンの2人組だわん!カッコいいじゃないの!」と思うと、その2人は韓国語でしゃべってる。

どうも若い男の子の「男前度」では日本人は負けている。

まあ、女の子の「ファッションセンスのクール度」でも負けているんだけどさあ。

外国人観光客向けのDuty free shopも増えた。

和服の古着ショップでは、白人の観光客が羽織とか帯を吟味している。

タペストリーにでもするんかな。

去年は売ってなかったのに、「ドローン」を売っているプラモデル店もある。

1ヶ月行かないと、店舗が変わっている。

レストランが消えている。

変化が激しいのが大須だ。

この「おへそ」ヒーリング店は、前は水晶とかのパワーストーン店だったけれど。

大須は、上海あたりを参考にしているのかな?

上海の繁華街によく置いてあるような椅子が並べられ始めた。

外国人観光客さんが、よくここで休息しておられます。

ドンドン変わる大須。

変わらないのは、「サンダルばきで行ける街」ということだ。

はっきり言って、浅草ほどの情緒はない。

難波や道頓堀みたいな規模の大きさやエネルギーはない。

博多は中洲みたいな、氾アジア的エキゾチックなユニークさもない。

まあ、それが名古屋だ。

その中途半端な平凡さ。

居心地のいい平凡さ。

それが名古屋の良さ。

大須には、 昔ながらの名古屋があり、新しい風も吹く。

この街の老舗のお好み焼き店「しらかわ」は、大通り沿いの白い綺麗なビルの中に本店の店舗を構えている。

しかし、私が行くのは、裏通りにある昔の古い店舗の「しらかわ」だ。

お爺さんとお婆さんとアルバイトの大学生数人がいる小さな狭い古いお店だ。

なんちゅう昭和チックでしょーか!!

ここで焼くお好み焼きに、そばなんか入ってない。

「広島風お好み焼き」なんか断じてない!

ただし、大阪のお好み焼きの真似はする。

お好み焼きのソース以外に、マヨネーズを用意する。

これは、昔の名古屋のお好み焼き店にはありえなかった。

ともかく、私がガキの頃に、学校の帰りに友だちと寄り道したお好み焼き店のノリが残っているのは、今や、大須の「しらかわ」だけだ!!

あの頃の小学生はのんきなもんだった。

近所に新しい銭湯が開店すると、学校帰りに、友だちと入りに行ったもんなあ。

午後3時頃の大浴場は誰もいなくて、騒ぐことができたとよ。

昭和30年代だから、あの頃、いくらだったのかなあ。銭湯代は。忘れてしまった。100円くらいかな?

大須は、昔の名古屋を思い出させてくれる街でもあり、今という時代を教えてくれる街でもある。

今の大須は、名古屋では珍しく国際色豊かなエリアであるが、なんらかの状況で、このエリアから外国人や外国人経営のレストランが消えることもあるのだろうか。

私が死ぬ頃の大須は、中国語の看板が氾濫して、ほんとにチャイナタウンになっているかもしれない。

ということで、21年ぶりに帰ってきて正式住民となった名古屋は大須をウロチョロ歩いて、100円ショップで1800円分のプラスチックの整理箱を買い込み、マンション購入以来24年ぶりに台所を徹底断捨離整理して、室内プチ熱中症になった私でありました。

今日は、夕食は、お好み焼きにするかなあ。

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