本日は2023年6月4日日曜日です。
今日の本Blogのテーマは、少子化の問題であります。親子の問題であります。家族の問題であります。
人間が支配的観念、習慣的思い込みから自分を解放すればするほど、家族神話は崩壊しますし、少子化になるのに決まっているので、少子化を是正したいならば、人類の精神の自由な解放は諦めて、人類の思考を奴隷状態に戻すしかないという話です。
世の中には、たとえ事実であろうと真実であろうと、言っちゃいけないことは、いっぱいある。
たとえば、私みたいに四肢が短い体つきの人間に対して、「なんか奇形っぽいね」というようなことは、言わなくていいです。言うな!
高齢者施設に行って「なんで、此の期に及んで、みなさんは家畜みたいに管理されているのですか?延命治療をキッパリ書面で拒否し、好きに暮らしましょう!塩分いっぱいの糖分いっぱいの好きなものを食べましょう。施設など飛び出して自分の家に帰りましょう!子どもに財産なんか残す必要はありません。残しても、あなたの出来の悪い子どもは死んでも馬鹿なままです!」と、拡声器で言わなくていいです。
「日本は国会議員の数が多過ぎるし報酬も高過ぎる!国会議員の数は100人でいいし、報酬は年収2000万円で十分です。そうすると手取り1200万くらいですかね〜〜過労死しない国会議員はサボっているのです!」と、常に常に国民が言い続けることは、していいです。
最近は、真実暴き言論も市民権をちょっとは得つつあるので、かつてならば、言っちゃいけなかったことも、もう言っちゃえばいいじゃないのという傾向も出てきた。
だから、次のようなことは、もうお笑い芸人もバラエティショーや漫才で言っていいと思う。
前に、お笑いのギャグで、「カンチョーしちゃうから!」っていうのがありましたねえ!今は、「ジャニー喜多川しちゃうから!」って言うらしいですよ。
あらあ、そうですかあ!じゃあ、奥様!お子さんが便秘で困っていたら、「ジャニー喜多川してあげるね!」と浣腸してあげてくださいね!
医療関係者の方々も浣腸が必要な患者さんに、「ジャニー喜多川をいたしましょうね!すぐに楽になりますよ」と、言ってさしあげるようになったとか?
いっそ、浣腸という名称をやめて、「ジャニー喜多川」を採用しましょう。ドラッグストアは、「一家に一箱ジャニー喜多川!」というポップを飾り始めたそうですよ!
そういえば、息子に甘過ぎて公私混同する奥さんは、「岸田首相夫人」と呼ぶんですってね!
首相?今の首相の苗字は岸田なの?フルネームは何なの?
とか。
それでも、結婚とか家族とか子どもとかの家族神話については、まだまだ本当のことは言えない。
私自身ねえ、今まで出版してもらった5冊の書籍においてもさあ、書くとなると、いくら真実でも、あんまり本当のこと書くと、怒る人も多いからなあと考えて、ちょっと綺麗事まぶして書くことも多かったんよ。
もう、ああいうことはやめる。つまらん。
恋愛神話については、もうぶっ壊れて久しいのでいいのだけれどもさあ。
国家神話に学歴神話も、まあファンタジーだってわかってる人は多いと思う。
だけど、結婚はねえ。特に子どもを作って育てることの意義はねえ。
こんなこと言うと、ほんとにぶっ飛ばされるだろうけど、少子化の問題となると、人口が減ると国力が落ちるとか、労働人口が減って税収が減るとかさあ、老人を支える若い人がいなくなるとかさあ、うるさいけどさあ。
これらの少子化を避ける理由が説得力がない。
国力のために生まれるんかい。
労働人口を増やして税収を高めるために生まれるんかい。
高齢者の生活を支えるために生まれるんかい。
親孝行とかさあ、生まれてくる子どもを利用使役することしか考えてないよねえ。
私が、若くして反出生主義者(私が若い頃にこの言葉はなかったけど)になったのは、こういう発想の残酷冷酷さも、理由のひとつだ。
少子化で人類が滅亡する?
滅亡して悪いの?永遠のものなどないよ。
子どもを作り産むことは、自分の遺伝子を残すという生物の本能から生じるのであって、だから子どもを作るのだという説もある。
はあ? はあああああ?
人類の遺伝子なんて、99.9%同じだぞ。
「自分の遺伝子」などという特別な遺伝子などあるようなないような。
そもそも、自分の遺伝子なんて、それほどのご大層なもんか。
それに、子どもを作り産むことが本能ならば、なんで非婚化や少子化という現象が生まれるのか?
本能なんてファンタジーだって。
食べるのが人間の本能ならば、なぜ拒食症になる人間がいるのか。
眠るのが本能ならば、なぜ睡眠障害なんてあるのか。
生きるのが生き物の本能ならば、なぜ自殺者が存在するのか。
本能という揺るがないものなど存在しない。
で、家族とか子どものことですが。
結婚とか子どもを作っての家族形成とか、これは実に長く長く続いてきた習慣なので、もう揺るぎもない真理で、必要不可欠なことで、それをしない人間は不幸なのだということになってきて久しい。
そんなのもファンタジーでしょ?と思う人は少数派なのだ。
私は、中学生ぐらいの頃から、ちょっとひねくれてるとか言われてきたけれども、ひねくれてるんじゃないの。
根拠のない思い込みが世間には多いなあ〜〜と思う傾向が強かっただけなの。
男は女より頭がいいとかさあ。
私の生まれて育った環境に、頭のいい男性なんていなかったよ。頭のいい女性もいなかったけど。普通の田舎の愛知県だしさあ。
つまり、私は、それだけ正直だっただけなの。
思い込みって、単なる習慣でしょ?真実でも何でもないでしょ?と思ってただけなの。
というわけで、世間の人は、結婚して子ども産んで家族作るのが人間がすべきことだと信じ込んでるから、子ども作って産んで育てるの。
結婚したからには子どもを作るのがあたりまえという思い込みで子どもを作って産んじゃうの。
ほんとは子どもに興味ないけど、1人くらいは産んでおかないと格好がつかないし、世間がうるさいということで、女性は産むの。
まあ、結婚という法的枠組みの上ではない出産も多いけど、妊娠中絶という方法が発見されて婚外子の誕生は数が少なくなった。
それでも、まだまだ生まれている。それは、人間が性欲をコントロールできないからだし、妊娠してもどうしたらいいか迷っているうちに、中絶できなくなって、仕方なく産んじゃう。
つまり、婚外子だろうが、法的結婚の枠の中で生まれた子だろうが、ほんとうは、親は生まれてくる子どものことを何も考えてない。自分の都合だけだ。
自分がまともな親になれるだろうかと真剣に考える親って、特に男親には、皆無なんじゃないの?
育児は女がすることだって、無自覚に男は思ってるからさあ。
でもって、一方、女性の方は、子どものできが悪いと自分の失点落ち度になるからって、やたら張り切ったりする。
どちらも、子どものことを、子どもの立場では考えていない。
まあ、他人のことを他人の立場に立って考えることは、難しいことではあるけれどもね。
ハッキリ言うとね、子どもの問題って、原因はみんな親にあるんよ。
親の無知、短慮、不摂生は、もう胎児の頃から子どもに影響が大きい。
母親になる気ならば、少女時代からしっかり自己管理しないといけない。
喫煙にアルコールなんてだめ。食品添加物にも意識的でないといけない。ファストフード食っちゃだめ。スナック菓子食っちゃだめ。コンビニのケーキなんて、何が入ってるかわからない。
女の子が自由気ままに食べ散らかしたら、子どもを出産する前に健康はガタガタである可能性がある。
女の子が、性欲のままに性交しまくったら、馬鹿な性交相手の体液なんか吸収して自分の間質液が汚染される。馬鹿が伝染して、脳を侵して、もっと馬鹿になる。
だからといって、あーた、修道女みたいに生きていられないでしょ。未来は母になるので今の快楽を諦めて、清く正しく美しく生きましょうなんて、無理なんよ。
男性は、まるっきりそういうことは考えない。
自分の今までの生き方が、子どもに影響を与えてしまうなんてこと考えない。
私が知る限り、いわゆる男運の悪い女性というのは、父親に問題がある。確実にそうである。
質の悪い人間が父親だと、男とはそういうもんだと思ってしまって、質の悪い男に耐性ができてしまって、ついつい質の悪い男に甘くなる。結果として質の悪い男に関わってしまう。
質の悪い男の方が馴染みがあるし、窮屈じゃないんだよね。
きちんちした男性のサンプルを知らなくて、クズ男のサンプルしか知らないからさあ。
男性のうち何人が、自分の生き方が将来の自分の子どもに、特に娘に、良きにつけ悪しきにつけ、影響を与えてしまうから、まっとうに生きようと考えるだろうか?
ほとんどいないって。
つまり、女性も男性も、子どものこと真剣に考えずに親になる。
で、親になったら大変よ。
子どものできが悪いことで悩む親は多い。自分は子ども運が悪いと思ってる親はいる。隣の子は、「博士ちゃん」みたいな番組に呼ばれるのに。高校生で将棋の名人の域に達するような天才なのに。私って、子ガチャに外れてるわ…って。
しかしね、子ガチャということはないのだよ。
親ガチャしかないの。
実は全ての親子問題は、親が悪いの。
子どもは自分で選んで生まれてくるわけじゃないから。
親が産んだのだからさあ。
親の性欲の気ままさと世間体と都合で、この世に生まれさせられるんだからね。
子どもの精神疾患なんて、歪んだ親子関係を維持するために子どもが選んだ認識の歪みが定着した結果が多いんだから。
親がおかしいと、子どもは気がつくことができない。他人の家庭のことは知らないので、おかしい親が自然だと無自覚に思い込んでしまう。
まあ、うちの親はおかしいと気がついても、どうしようもないしさあ。
こんな親のそばにいると自分の人生が潰れるからって、自分から児童相談所に行って、養護施設に入ろうと試みる子どもなどいない。
いたら、超天才だわさ。
ほとんどの人間は凡才ですから。
ともかく、気楽に何も考えずに子ども作って産む親が多すぎ。馬鹿すぎ。
それを親孝行だの何だのしょうもない思想で子どもを縛ってさ。綺麗事で誤魔化してさあ。
ほんとに、人間は残酷だよ。
よく死んだら、彼岸で亡き親に会いたいとか言うけど、私は別に特に会いたいとは思わない。早くに亡くなってくれて、ほんとに、ありがたいと思ってるって、礼を言うと、きっと親は気を悪くするね。
私は親にとって決していい子どもではなかったけれども、私は別にこの世に生まれたかったわけではないので、産んでくれなくても、良かったのです。
まともな親に対してでさえ、こう思うんだよ。ならば、毒親のもとに生まれてしまった子どもの悲しさと苦しさと鬱屈は察して余りある。
とはいえ、私はお墓参りもするし、父方母方の先祖供養もする。不滅の魂神話は疑っているけれど、先祖が生き抜いてきたから、ここに私がいて、好きな本を読んでいられるわけだからさ、感謝はしてます。
たまたま私の親であった人たちは、正直で真っ当な人たちだったので、その点には感謝しています。すっごくラッキーだったと思います。
ではあるけれども、同時に、家族神話や血縁神話なんて、ファンタジーだと思ってる。
え?何が言いたいかって?
私が言いたいことは、うっかり親になったら、親の都合で生まれちゃった子どもはかわいそうなんだということを忘れないでください、ということ。
かわいそうなんですよ、ほんと。
子どもが馬鹿なら、自分に原因があると考えてください。確実にそうだから。
子どもが勉強しないのは、あなたが勉強していないからです。
子どもと親が向き合ってもしかたないです。
親がガンガン生きて走っている後ろ姿を子どもが追っかけるんです。
親子が向き合って話すことなんかないよ。
親は、自分のやっていることが、過干渉と過保護という自分にとっての暇つぶしかもしれないという視点を忘れずに。
で、子どもが成人になったら、子どもを解放しましょう。
子どもにも、そう言いましょう。もう自分で生きて行ってねって言いましょう。
親が首相だから、無能な息子を政策秘書にしましょうとかの過保護はやめましょう。
自分の思い込みと迷妄から自分を解放しましょう。
家族ごっこしかやることのない自分の空虚さというものを、克服すべき時が来たのです。
女性は、特に、このことを忘れないように。
男性は、死ぬまで子どもだから、親になっても子どもだから、ほんとうは当事者意識ないから、妻が夫に相談してもしかたないです。
つまり、この世界のことは、女性が鍵なのです。女性が要カナメです。
迷惑な話よね、女性にとっては。
女性が家族神話から自分を解放しないと、ややこしいことになるのです。
良い兆候として、最近は、女性も、自分に課せられた理不尽なる責任から逃げつつあります。
だって、面倒くさいもん。しんどいもん。なんで女性ばかりが?アホらしい。
ということで、出生率が高くなるはずないでしょーが。少子化が是正されるはずないでしょーが。
問題は経済じゃない。家族を形成維持することのしんどさと内実の空虚さがバレてきちゃったから。
それでも、好奇心の強い元気のいい体力のある人間は、失敗でもいいじゃんかと、家族形成に挑む。
私みたいな正直な怠け者は、挑まない。
じゃあ、なぜ私は結婚しているかって?
「1980年以内には家を出て行ってくれ。これから子どもの世話にならずに済むように老後の準備するから」と、父に言われたからだ。
でもって、自分の言葉で正直に話し合える友人はいないという意味でひとりぼっちだった私に、初めてできた何でも話せる友だちが、たまたま男性だったので、じゃあ、結婚ということで同居しましょ、ならば実家を追い出されてもいいし、ということになったからだ。

医学的理由で子どもができないとわかっても、私にとってはさほど問題にはならなかったのは、友だち関係が、夫婦関係になって、父母関係になるのは、嫌だなああ、子どもは邪魔だなあと思ってたからだ。
ホモサピエンスの大人2人で仲良く暮らしている場所に、北京原人みたいなガキがいては、何でも話し合えないでしょ。
ホモサピエンスにとって北京原人を中心に生活が回るなんて苦痛だ。
北京原人ならましでさあ、最初は猿やチンパンジーだろ。
嫌だよ、私は。そんな生き物に時間やエネルギーを取られるのは。私は、そんなに暇じゃない。ばあやとか女中とかナニーに育児労働を丸投げできる階級じゃないんだしさ。
人間が支配的観念、習慣的思い込みから自分を解放すればするほど、家族神話は崩壊しますし、少子化になるのに決まっているので、もし少子化を是正したいならば、人類の自由な精神の解放は諦めましょう、ということです。
それでいいんですか?
中世に戻って、家族を作るだけの人生でいいんですか?
それでいい人はそうすればいい。
そうじゃない人は、子どもはひとりか、子なしでOKだ。
あなたが貴族ならば、何人産んでもOKです。育てるのは他人だから。
最後に、今朝読んだ本の紹介をします。Amazonにレヴューを書いたので、転載します。

(Amazonにレヴュー転載)
知らなかった!1971年施行の給特法という法律によって、義務教育の公立学校には、労働基準法が適用されていないとは!どれだけ残業労働しても、それは教師が勝手に好きでしているサービス労働にされる。
同じ義務教育でも、独立行政法人化した国立や私立学校の教員には、法的に残業手当は認められている。労働基準法が適用されている。
公立の義務教育学校では、教師が過労死しても、管理職の責任や雇用者側の責任にはされない。それは教師個人の自己管理能力不足にされかねない。
財源がないので、教師の労働を合理化して改善できないし、残業手当は出せないというのが、文部科学省の立場。文部科学省の上の財務省の立場。
しかし、それでは、公立の義務教育の教師は、「無能な働き者」か「子ども相手に威張ってるしか時間潰しができない類の自己研鑽などする気のない知的水準の低い、ただただ公務員でいたい人間」か「ペドフィリアの子どもに性加害したい変態」だけになってしまう。
まともな優秀な人は、公立の義務教育の教師にならなくなる。
現場の教師自身が、大きな視野で労働環境と自分の労働の質を考えることが習慣になっていない。教師がすべき仕事と、そうでない仕事を区別する視野がない。
そんな人間が公立の義務教育学校の教師では、奴隷労働者予備軍の養成しかできないだろう。もう、奴隷労働者予備軍の類の人間を養成する必要のないAI時代になりつつあるのに。
一方、親の方は、学校を子どもを丸投げできるデイケアセンターにしか考えていない。なるたけ子どもの相手をしたくない。発展途上人は付き合うのがストレスフルだから。賃金労働の方がはるかに楽だから。
それで、狡猾にも、24時間のご奉仕ができる聖職者であることを教師に暗に要求する。
本書は、現在の公立の義務教育学校の教師の過酷な労働実態を知る良書だ。
ほんとうの敵は、国民教育の質の向上を求めない日本政府のありようと、日本政府をそう仕向けている何かだ。それと何よりも今の日本人の頭の悪さだ。
(転載おわり)
