#652 12/3/2023 気づいたらトシちゃんが男前のオッチャンになっていた

kayokofujimori のアバター投稿者:

本日は2023年12月3日日曜日です。

2023年も最後の月になってしまいました。

いやあああ、色々あって、くたびれております。

読んだ面白い本や映画の紹介もしたいのに、気力体力が足りません。

これが、70歳ということか。

それでも、数年がかりの懸案事項であった、舌はがし創始者平井幸祐氏とその同志の方々に書くのを依頼されていた「平井メソッド」本の原稿も書き上げた。

前に書いたものは全部書き直し。

数年前の時点では、私の理解が不十分過ぎたんですねえ。

あとは、イラストや写真を入れ込む作業だけ。

ああ、ゴーストライターって大変ですね。

紙の書籍で出版してくれる出版社探しは、これからです。

本命の出版社には、目次と前書きのファイルを送りました。

良いご返事をいただけると良いのですが。

でも、現在の出版状況は苦しいですからね〜〜

私の書いた本も、図書館で借りて読む人が多くて、売れません。

まあ、このご時世ですから、しかたないです。

私だって、新刊購入する前に、メルカリで安く売ってないかなと検索しますからねえ。

庶民の生活は、これから10年ぐらいは一種の戦時中で苦しいですからねえ。

ところで!

例の邪煮頭事件で、私はフッと唐突に思い出したんです。

ヒガシとかキムタクやあらしが、邪煮頭事務所の代表的タレントになる前に、誰かいなかったっけ?って。

郷ひろみの後の世代でさ。

で、私は思い出した。

「哀愁でいと」を歌ってた男の子、どうなった?

そう!トシちゃんだ!

さっそく検索した。https://ja.m.wikipedia.org/wiki/%E7%94%B0%E5%8E%9F%E4%BF%8A%E5%BD%A6

田原俊彦さんは、タノキントリオとかで、武田鉄矢主役の中学生教師ドラマの生徒役で出てたらしい。

らしい、と言うのは、私は1977年から1984年くらいまで、大学院生や研究生してたので、忙しくてTV見ている暇がなかったので、よく知らないんよ。

別に勉強していたわけではなく、なんかワチャワチャ忙しかったんよ。

その期間はアルバイトも忙しかったし。家庭教師や非常勤講師とか。

ただ、1980年にものすっごくヒットしたトシちゃんのデヴュー曲の「哀愁でいと」は好きだった。

なんか垢抜けたメロディでさ。

もとはアメリカでヒットしたNew York City Nights に日本語の歌詞つけた曲だって知って納得。

その頃に、非常勤講師で教えていた名古屋商科大学の男子学生は、急にみな髪にパーマをかけ始めていた。

「なんで急にカリフラワー頭が教室に増えたんだろ?」と、私は不思議だったが、トシちゃんの真似だったのだ。

トシちゃんは、特に美男子ではなく、元気で陽気な、いかにも脳天気な大きい笑い声を立てるカッコつけない男の子だったんで、男性ファンも多かったのかもしれない。

私自身は、トシちゃんのファンでもなく、なんか元気のいい中学生が歌ってるなと思ってただけ。

実際はトシちゃんは1961年生まれで、デヴュー当時ですでに18歳とか19歳だったと、今になって知ってビックリ。

ともかく、その後、10年間くらい、トシちゃんは日本の歌謡界を牽引していたらしい。発表する曲はすべてヒットしたらしい。

らしい、と言うのは、1980年から1996年まで、私はTVを見ていなかったので。ともかく忙しかったから。

1986年に岐阜市の公立女子短大に採用されてからも、4年制大学に移りたくて、学会発表や、どうでもいい論文書きで忙しかった。

やっと1996年に大阪府の4年制大学に移ったけれども、それはそれで忙しかった。でも単身赴任でひとり暮らしだったのでテレビはよく見てた。

でも、その時には、トシちゃんはテレビから消えていた。

で、私はトシちゃんのことは、ずっと忘れていた。

だけど、トシちゃんは、どうなった!?。今はどうしてる?

トシちゃんは、Wikipediaによると、ずっと邪煮頭事務所所属ではなくて、1990年代はじめに個人事務所を立ち上げ、1994年に邪煮頭から独立した。モデルの女性と結婚し、お子さんも生まれた。

そのことも私は全く知らなかった。

しかし、邪煮頭の後ろ盾をなくしたトシちゃんの事務所は1996年に倒産。

その後、タノキントリオのメンバーが入っていた事務所に雇用されて、コンサート活動などで芸能活動をしてきた。

テレビ出演はできなかったらしい。

でもまあ、邪煮頭時代のヒット曲はコンサートやディナーショーで歌うことはできたんで食ってこれた(その後は、邪煮頭事務所タレントが独立すると、邪煮頭時代の曲とか歌っちゃいけないらしいじゃないですか)。

まあ、1970年代後半になると、フォーリーヴズ解散以後の邪煮頭事務所は売りがなくて、経営も苦しかったらしい。

しかし、80年代になり、トシちゃんがアイドルになり、マッチがアイドルになるってことで、大いに持ち直した。

「月給30万円で10年間死ぬほど働いた」って、トシちゃんはYouTubeで言ってた。

そういう功績もあって、邪煮頭事務所も独立後のトシちゃんに大きな嫌がらせは控えていたのかもしれない。

あ、念のため。

トシちゃんは、1980年代に収入が毎月30万円だけで働いたってことではないですよ。

早くにお父さんを亡くしたトシちゃんは、芸能界に入って、お母さんや姉ふたり妹ひとりの生活を支えたのだけれども、月給30万円じゃそれは無理よ。

レコードやCDの印税は、作曲家や作詞家に対してだけでなく、歌手にもいくらかは出る。歌唱印税ね。それが全盛期の頃のトシちゃんには年間何千万円と入った。

だから家族を食わせ、結婚して、奥さんとお子さんふたりを扶養できた。

トシちゃんは、立派な長男で家長だったんだ。

今回、動画配信を漁って、トシちゃんの変遷をたどってみた。

1980年代前半は中学生みたいな顔だった。

1980年代後半になってくると、顔つきが変わってきた。

私は見たことないけど、「教師びんびん物語」っていうドラマに出てた時は、男っぽい顔つきになっていた。

ちょっと今の柔和な顔とは大違いの別人に見えるような孤独な険しい顔つきだ。

おそらく、この頃に独立したいと、もがいていたのかもしれない。

このドラマでは、トシちゃんは小学校の先生役だったけれども、意外なほど、ピッタリだ。

トシちゃんの早くに亡くなったお父さんは小学校教諭だったそうだけれど、お父さんが憑依でもしていたのか、いかにもこういう青年教師いそう!って感じだった。

もともと教育者のご子息だったので、芸能界に入っても身を持ち崩さずに生きてこれたのかもしれない。

で、90年代、トシちゃんは30代に入った。

この頃の映像が見つからない。

2000年代、トシちゃんは40代。

この頃の映像はちょっとある。

で、2010年代、トシちゃんは50代。

この頃から、トシちゃんの映像が増えてくる。

TVの歌番組にも登場するようになった。懐メロ系の。

あと、コロッケやサッカーのカズにモノマネされてとか。

そして、還暦の頃には、大活躍だ。

いつのまにか、あの脳天気なアホっぽい男の子が、渋い男前のオッチャンになってた。

踊りも歌唱も見違えるように上手くなっている。

今では、YouTubeで自分のチャンネル「田原トシちゃんねる」を持って配信してる。

踊ったあとは、やっぱり身体が痛くなるらしくて、ファンからのプレゼントのバッグに、湿布を何枚も入れてるってことも自分で晒してる。

お父さん亡き後の貧しい生活のことや、邪煮頭事務所の合宿所の見取り図なんかホワイトボードに描いてる。

まあ、まだこの動画の配信時期は、邪煮頭問題は世間をここまで騒がしてなかったからなあ。

トシちゃんは邪煮頭喜多川と性交して、名声も金も得たのだから、感謝はしても、ルサンチマンはなかったのだろう。

合宿所でも広い部屋をあてがわれて、好きに暮らしてたし。事務所の稼ぎ頭として、わがままいっぱい暮らしていたし。

元気なトシちゃんは、お尻くらい差し出すのは、どうってことなかったのだろう。

邪煮頭喜多川のお尻も好きにしてたろうし。

それはさておき、急にトシちゃんのこと思い出して、いろいろ調べて、私は感慨が大きかった。

トシちゃんは、日本の1980年代のシンボルだ。

明るくて陽気で脳天気で軽薄で。

日本人が歴史始まって以来初めて、羽目を外して浮かれて贅沢を覚えた時代。

それから30年。失われた30年。

そんな30年も、トシちゃんは努力し続けた。

明るく陽気に愚直にステージで踊り歌った。

あの1980年代の軽佻浮薄のシンボルのトシちゃんは、今や、気さくで楽しくて正直で、スタッフ大事にして、ひとつひとつのステージを大事にして、お客様を満足させて、ド派手で、アッケラカンとして、でもほんとうの心は明かさない成熟したオッチャンになっていた。

そりゃ肌も疲れてる。シワも増えてる。シミもある。髪の量も減ってる。

だけど、それもまたいいんだよね。

還暦すぎて、この端正さなら、すごくない?

私は、苦労してきたけど明るい陽気なオッチャンが好きなの。

若い男の子はキレイだけど、馬鹿だもん。

私は、ファザコンなんだろうな。

亡き父が、あっけらかんとした人だった。苦労を顔に出さなかった。

だから、私は、小林旭さんが好きなの。

旭さんも、苦労したのに、陽気でアホっぽくて。

だから、私は、旭さんのコンサートには行ったの。

でも、数年前から旭さん、コンサートやらないの。85歳だもんなあ。

だから、これからはトシちゃんのコンサートに行こうかなあと思ってる。

年下の友人は、トシちゃんのコンサートに行ったことあるそうで、すっごい良かったって。

バックのダンサーたちも優秀だって。

プロの振付師だもんね、トシちゃんのバックダンサーのうちの2人は。

トシちゃん、いつまで踊れるかな。

85歳まで踊って欲しいな。

私は、60代になったトシちゃんのファンになりました。

後世になって、邪煮頭事務所が生んだ最大のエンタテイナーは、トシちゃんだったと言われるだろう。

クズでゴミみたいな性犯罪の巣窟にも、大きく咲いて開いた花はあったのだ。

コメントを残す