本日は、2024年8月18日日曜日であります。
パリオリンピックはとうの昔に終わり、お盆も過ぎました。
株価暴落したそうですが、そんなこと知らんがな。
お盆も終わると、早朝から空気が熱いと感じる酷暑の夏も、その勢いを減じつつあるようです。
またも本Blogの更新が滞っています。
いろいろあるんよ。
「造影剤入りCTとかで撮影すると、肝臓になああんか腫瘍みたいなもんが見えるけど、よくわかんない。腫瘍マーカーの数値も上がっているから、念のために名古屋市立大学病院に行ってきてちょーらい。お宅の近所の第二日赤病院の消化器内科は、様子見ましょうとしか言わないから、お勧めしません」
と近所の病院のドクターに言われて、紹介状と検査結果が記録されたCDみたいなもんを渡された。
高齢者の癌なんて進行も早くないので、様子見ましょ、で正しいよねえ。
たとえ手遅れでも、もういいんじゃないの?と思う。
でもまあ、好奇心もあって名古屋市立大学病院に初めて行ってきた。
今どき初期の癌なんかピンポイントで焼却するみたいな特殊な技術もあるし、がん保険もいっぱい入っているので、たとえ癌でもいいんだけど、あの雑踏みたいな大学病院の外来の混雑が嫌い。
結果がわかるのは、まだ先です。
またアホみたいな毒枠沈接種を情報弱者の大群がしたら、ああいう大学病院なんてシェディングの嵐なんじゃないの?
そうなったら、病院には行かないな。
それにしても、あの時間のかかるシステムはどうやったら合理化できるのかなあ。
駐車場とかの使い方見てると、第二日赤病院の訪問者の方が民度は高いな。
カフェとかレストランとかの水準も第二日赤の方がいい。数も多い。
公立学校と私立のいい学校の差と同じかしらん。
それはさておき、つい最近になって、やっと2014年発表の韓国連続TVドラマの『ミセン』を、私は視聴した。
今頃?
そう遅れています。遅れ過ぎています。
言語道断に遅れている。
このドラマについては、数年前に中学時代からの親友や夫は絶賛していた。
それで当時、私は第1回目を見始めた。冒頭がヨルダンの砂漠に古代に構築された岩石の都ペトラで、ヨルダンの首都のアンマンの下町を主人公の若者が誰かを追跡して疾走するシーンだったので、視聴をやめちゃった。
なんやねん。
アンマンの下町の石造りの民家の屋上を次から次に飛んで、追跡?
これ、『ボーン・アルティメイタム』のパクリじゃないの?と思った。
主役らしき若い俳優のイム・シワンさんは美男子ですが、すっごく演技力はある感じ。
ただ、目が尋常じゃないので、多分この人は先々いろいろ精神的に不安定になりそう。メンヘラっぽい。
頭が良く才能があるだけに、こういう美しい人は、老いると、きついぞ。ちゃんと終わりを全うしますかねえ?
イムさんは、元アイドルグループのひとりだったそうです。お父さんの会社を継ぐべく大学は工学部に進んだけど、子どもの頃から真面目で成績優秀だったけど、なんか弾けちゃって芸能界に入っちゃった。

話を戻します。
『ミセン』の視聴を中断してから数年後の今年の夏のこと。Facebookで、『ミセン』絶賛投稿を読んだ。投稿者はどうでもいい内容の投稿はしない方である。
じゃあ、やっぱり見てみようか、どうせ何もする気がしない酷暑であるのだしと思い、3日間かけて視聴した。
そもそもが、最近『財閥家の末息子』を視聴してファンになったイ・ソンミンさん出演するドラマなんだから、見なくちゃ。
ところが、あらためてきちんと見て仰天!

これ、私のマスター・ナラティヴmaster narrativeであるアイン・ランドの『水源』The Fountainhead(1943)と似てる!と思った。
マスター・ナラティヴってのは、あらゆる物語の登場人物やプロットの基礎となる原物語という意味。
たとえば、いろいろな物語の中に、旧約聖書とかギリシャやローマの神話とか、ギリシャ悲劇の基本形は見つけることができる。
オイディプス王の父親殺し、王殺しという基本的プロットは、誰でも知っている例で挙げれば、シェークスピアの「ハムレット」の主人公の叔父殺しに反映されている。
戦前の日本映画で、戦後も何度もリメイクされた『無法松の一生』は、アーサー王伝説の王妃に恋するランスロットの物語が基本形だ。
ニーチェの『ツアラトゥストラはかく語りき』は、新約聖書のイエス・キリストの彷徨時代をパロディにしてる。
そんでもって、ニーチェの『ツアラトゥストラはかく語りき』は、アイン・ランドの『水源』の冒頭の部分、大学から退学を通告されて、山奥の湖でひとり泳いで、山から降りてきて下宿先への道を歩くハワード・ロークの姿に反映されている。
マスター・ナラティヴ原物語は、新しく生産される物語に手を替え品を替えて、利用されてきた。
でもって、私にとってのマスター・ナラティヴは、ランドの『水源』なのだ。
まあ、リバータリアニズムの古典とか、資本主義を祝福する物語とか、いろいろ言われておりますが、私にとっては、『水源』は仕事中毒になれた幸せな男たちの物語だ。
それ以上でもそれ以下でもない。キッパリ。
まあ、異論は数々ありましょうが、私は、人生というのはDie Emptyになるまで、仕事に燃え尽きるのが幸せだ、と思っている人間だ。
仕事中毒になれるってことは、その仕事が苦しくても好きで夢中になれるってこと。
夢中になれるほどその仕事の意義を信じていられるってこと。
その仕事を通じて関わる人々との信頼関係が大事であるってこと。
つまり信頼できるような人々との出会いがあるってこと。
仕事ってのは結果を出さなきゃいけない。趣味じゃないからさ。だからきつくて当然。
私生活をある程度は犠牲にして集中しなきゃいけない類のもんなのよ。
働き方改革なんて悠長なこと言ってられんのよ。
定時で終わるってもんじゃないんよ。
仕事中毒である充実感というのがあるのよ。
今振り返ると、私が最も幸福だったのは、『水源』を翻訳しながら、大学の仕事をこなし、学会の仕事をしていた時期だ。
40代の終わりから50代前半にかけての忙しさは、疲れはしていたが充実していた。
おかげで白内障になり、股関節の具合はさらに悪くなり、姿勢は悪くなったけど。
あの充実感を思い出すと、引きこもりの何が面白いんだかと思う。
40代かそこらでFIREの何が面白いんだかと思う。
目いっぱい戦って仕事してる方が面白いじゃないの。
私が『水源』で好きなシーンというのは、ハワード・ロークが仕事に夢中になって、職場で夜を徹してしまうシーンだ。
師匠のヘンリー・キャメロンとともに徹夜で設計図を仕上げているシーンだ。
仕事仲間と仕事の合間にほっと一息ついてコーヒー飲んでるシーンだ。
もしくは、夢中になれる仕事に逢えなくてジリジリしつつも、寂しさを抱えつつも、希望を持ちつつ、食べるためだけの仕事に淡々と集中しているロークの姿だ。
『ミセン』は素晴らしいドラマだけど、私にとっては『トッケビ』のように気楽には視聴できない。
ついつい若い頃に経験した「社会で居場所を確保できない焦燥や寂しさ」を思い出してしまうから。
無力非力な自分でも、ともかく少しずつでいいから経験を積もう、まともに仕事しようと思っていた頃を思い出してしまうから。
私の20代も30代も苦しかった。
『ミセン』の主人公のチャン・グレは、少年時代は囲碁の天才と呼ばれ、囲碁で身を立てることにしていたので、高校にも大学にも行かなかった。
しかし、囲碁で身を立てるだけの称号を得ることができず、父の死後は経済的に囲碁を続けることができず、高校認定試験で高卒の資格を得る。
軍隊での2年間の後は、企業に就職するが、すぐに辞めてしまった。それからはアルバイト生活だった。
で、とうとう26歳。
母親のコネで業界では5本の指に入る総合商社One Internationalのインターンに採用されたが、同じインターンたちは、みな有名大学卒の俊英ぞろいだ。
英語ができるのは当たり前。中国語やロシア語や日本語もできるのも珍しくない。留学経験も当たり前。
他のインターンたちは、なんで高卒のこいつが、ここに?と思う。あからさまに彼に嫌味を言い、嫌がらせをするインターンもいる。
しかし、主人公のチャン・グレにとっては後がない。どんなに軽蔑されても、嫌がらせされても、ここで踏ん張らないと生涯非正規雇用だ。
チャン・グレは、しかし、じわじわと頭角を表す。
もともとが囲碁の天才だから、地頭がいい。
努力は惜しまない。
で、インターンたちから、たった4人選ばれた採用社員の1人となれた。
ただし、彼は2年契約社員だ。あとの3人は正規雇用正社員なのに。
理由?その総合商社には高卒は正社員になれないという規定があるから。
ほんとに、そんな会社があるのかなあ、現代韓国に?
私の高校の時の同級生女子は丸紅飯田とか当時の有名な総合商社に採用されてたけど。それは女子だから、だったのか? 1970年代初頭と今は状況が違うか。
そのうち、彼が配属された営業3課に新しい課長が赴任する。
その課長は厳しい。決して甘いことは言わない。でも、主人公の努力や働きぶりや地頭の良さを認めてくれるフェアな人物だ。
この課長さんを演じるのが、イ・ソンミンさんです。目がちょっと『木枯らし紋次郎』の中村敦夫さんに似てますね。
こういうオッサン風味好き。

オ課長は、「高卒で、この総合商社の正社員にはなれない!」とハッキリ主人公に言う。
だけど、だからといって、それで人生が終わるわけじゃない。
自分の価値が減るわけじゃない。
自分に与えられた環境で踏ん張って、学び、努力して、力をつけていく。
そういうふうに生きていくしかないじゃないか。
先のことを考えて不安になってもしかたない。過去を振り返ってクヨクヨしてもしかたない。
オ課長に叱られ怒られつつも、主人公はどんどん有能さを身につけて行く。
同僚たちも、少しずつ、彼の有能さを認識し、一目置いて行く。

職場ってのは、きちんと働いて無能じゃないことを認められると、すっごく居心地が良くなる。
責任を果たしている人間には、同僚のあたりが柔らかくなる。
主人公は自分の居場所ができるような、ひとりではないような喜びや手応えを感じて行く。
オ課長に率いられた営業第3課は、目覚ましい成果を達成する。
オ課長は昇進してオ次長になる。
新しい課長も赴任して、営業第3課はより大きな仕事に挑戦する。
しかし、組織のバランスを崩しそうな派手な成果は憎まれる。嫉妬を買う。
それでオ次長も窮地に陥る。
主人公が勤務するOne Internationalって総合商社ですが、もうセクハラ、モラハラ、パワハラ満載の会社です。
汚い醜い臭そうなオッサンたちがいばり腐っている会社です。
まあ、10年前の作品ですから。まだまだ旧弊だった時代に制作された企業ものですから。
ですから、男性中心企業の中で働く女性社員の苦闘や悔しさもよく描いています。
これ以上は書きません。全20回をNetflixでご視聴ください。
なんて言わなくても、すでにご視聴済みですよねえ、韓国ドラマや映画のファンならば。
『ミセン』は、毎回が『プロジェクトX』並の感動で、泣きながら視聴しましたです。
主題歌もいいよね。
主人公のチャン・グレは、『水源』のハワード・ロークだなあ。

孤児のロークは、あまりにも斬新な設計デザインをするという理由で、苦学しながら学んでいた大学を退学になって、ニューヨークに出てきて、ヘンリー・キャメロンの建築設計事務所に雇われたい。
かつては名声も名誉も得ていたキャメロンだが、仕事の質への妥協の無さのために、世間から見れば落ちぶれている。
しかし、ロークにとって、キャメロンのところでしか学べないし働きたくない。
キャメロンは、もう無茶苦茶に厳しく容赦ないが、ロークの才能を見抜き、彼を鍛える。ロークはキャメロンからいっぱいいっぱい学ぶ。
天才キャメロンを理解できるのは、天才ロークだけ。
キャメロンもロークも社交で人間と関わることができない。すべて建築という仕事を通じて、他人を理解し、絆を結ぶ。
キャメロンの死後のロークの孤独な苦闘は、これまた読むのが胸に迫るのだけれども、ロークが自分より若い建築家とともに結集して仕事をするときのありようは、かつてのキャメロンとロークの関係のありようと同じ。
より良い仕事を遂行完成させるためにロークたちは軍隊のごとく動き結束する。
なあああんかねえ、韓国ドラマや映画を見てる時、ふっと、この脚本家とか監督は、ひょっとしてアイン・ランドの『水源』を読んでいるかもなあと思ったりするよ。
ハングル語でも翻訳されてますからね、ランドの小説は。
もちろん中国語でも。中国語では『源泉』というタイトルです。
『ミセン』で最も感動的で幸福感に満ちたシーンがありましてね。私は何度も何度も見返しました。
やっぱ、思うことはいっしょですね。そのシーンをYouTubeのショートで挙げている人がいましたよ。ありがとうございます!
『ミセン』の主人公を演じたイム・シワンさんは、あまりにこのドラマの役のイメージが素晴らし過ぎて、ハマってしまっているので、ご本人はそれを打破したいようです。
で、『非常宣言』って2023年の映画作品では、旅客機の中でバイオテロを起こすサイコパス科学者を演じてます。
この映画もすっごく面白いですねえ!Amazon primeで視聴できます。
クルーと乗客全員が解毒剤未知の致死性ウイルスに汚染されます。
そんな旅客機の着陸をどの国が許可するでしょうか?母国でさえも……
政府には自国の国民の生命を守る義務があるのです。
外国の戦闘機から撃墜されても文句は言えない状況に陥る旅客機。
コロナ危機のウイルス人工培養説とか、1985年の御巣鷹山日航機遭難事故とかを思い出させます。

あと、イムさんは、『名もなき野良犬の輪舞』っていう映画に出ています。これも、あのチャン・グレのイメージを蹴飛ばしたくて出演したのでしょうか。潜入刑事の役です。汚れ役です。
この映画は暗い。とても暗い。Don’t cry, Mama.
これはAmazon primeで有料です。

さて、私も、いつまでも酷暑に負けていないで、自分で自分のしたいことを始めなきゃ。
大自然災害も経済危機も戦争も食糧危機も毒枠沈ゾンビウイルス接種人口削減も何のその。
さすがの岸田さんでも承諾できないとんでもないことをディープ・ステートから要求されたのでしょうか?
それは、ひょっとして核武装?
それは無理!日本はそれはできない!
だから、次の総裁選には出馬しないんだよね〜〜
いずれにしても今の古い世界の政治家たちが一掃されるのは、2028年ごろでしょうか。
生きてるかなあ、私。
残された時間は決して多くはないぞ。
