本日は2025年6月14日土曜日です。
雨の週末。
イスラエルがイランを攻撃した?
まあ、どちらも本気で徹底的にやり合う感じではなさそう。まあ、どちらも第二次世界大戦中の日本ほどには追い詰められていなさそうだからね。今までのように、冷たくテキトーに攻撃しあっていてね。
えーまたも6月4日から入院しまして、9日に退院したんですが、今回はそれだけで済んでいないのです。
以下は、今回の入院と手術と術後の覚え書です。
6月5日木曜日
また入院。本日は、造影剤入れてのCT撮影。
手術は明日です。
なああんか、今回は入院が嫌で嫌で。いやああああな予感ばかりで。

明日は午前6時台から膀胱留置カテーテルだって。
その前にアンギオパンツに履き替えだ。
脱毛してないと言ったら、放射線科の若い女性の医師がちょっと見せてもらってもいいですか?とおっしゃって、「あ、ふんわりしてますね」と意味不明なことをつぶやいておられた。
この方は、美人でいい感じだったな。
明日の手術は午前9時から。
けっこう時間がかかるらしい。

私の病室から自宅に帰る夫に私は言った。
「私が死んだら、いい施設をじっくり何年かかけて調べて入居してね。あなたなら、施設のおばあちゃんたちとも上手くやっていけるよ。女子大で働いてたから、女の子の集団には慣れてるでしょ。延命治療は拒否するって、私の保険証に書いてあるからね。PIN Numberとかパスワードとかは、終活ノートに書いてあるからね」
夫は答えた。
「死ぬなら、ちゃんと自分で断捨離してから死んで。いつもいつもあなたの後始末をさせられるのは、かなわん」
そうだよね〜〜🎵
病院食の夕食は美味しかったのん。1食490円から510円に値上がりした効果かしらん。

6月6日金曜日
ただいま午前4時。
午前6時半ごろに、膀胱留置カテーテル入れる。
ううううう恥ずかし恥ずかし。生きる恥はかき捨て。
すでにして午前5時からアンギオパンツを着用し、手術用の寝巻きみたいなの着用し、膀胱留置カテーテル挿入を待っていた私。
まな板の上の豚。
手術まで、まだ3時間以上もある。気が早いというかアホというか。
本日は朝食と昼食は抜きです。
膀胱留置カテーテル入れられたあああ。
可愛い看護師さんに「女性はわかりにくいんですよねえ」と言われつつ、大小陰唇いじられつつ、尿が出るところを探されつつ、管を挿入されたあ。
痛かったなあ。ぐぐぐぐと声が出た。
看護師さん大変だなあ。他人の大小陰唇をまさぐって尿道見つけて、管入れて。
私はできんわ〜〜
No More 膀胱留置カテーテル。
看護師さんに質問。
「やはり、こういう時に備えて脱毛するほうがいいんでしょうか」
「うーん大丈夫ですけどねえ。医療脱毛は痛いらしいですよお。私はエステ脱毛しかしたことないので。でも、どっちみち、また生えてくるらしいですよ」というお答え。
痛いのはいやだよ。
医療脱毛とエステ脱毛の違いがあるんですねえ。
手術は、しんどかったああああ。
部分麻酔で3時間以上はしんどい。
昨日と同じく造影剤入れてのCT撮影しながらのIVRです。
2時間以上経過したところで気持ち悪くなって、吐き気がして、一度吐いてしまった。
顔を横にしてビニール袋に吐くの。わたし吐くの〜いつまでも吐ああくの🎵🎵
って言っても、胆汁以外はなんも出ませんが。
手術お昼過ぎに終了。
今回もガチャガチャうるさい手術だった。
術後は右脚を絶対に動かしちゃいけなくて、術後4時間は安静で、膀胱留置カテーテルもはずせず。
パルスオキシメーターの数値が低いので、「鼻カニューレ」つけました。
下の写真は私ではありません。

私は、普段でもパルスオキシメーターの数値が90になったりする。でも、しばらくすれば94ぐらいになる。
私は、昔から右の肺が機能してないそうなんよね〜〜呼吸できてないのかな?脳にも酸素が行ってないので、馬鹿なんかな?
私は、プチ身体障害者なのに、親も本人も気づかずに、ここまで来ちゃったんだよねえ。
それはさておき、手術中も術後も、しんどかった。
午後5時前に、膀胱留置カテーテルを外すというか抜いてもらいました。
「尿道に入ったカテーテルを抜くと、尿がバアアアアアッとほとばしりませんか?」
と、抜かれる前に看護師さんに訊ねたら、そういう事例はないとのことでした。
良かった良かった。
ボケたおばあさんが変なこと言ってると思われたかなあ。
抜かれる時も痛かった。
でも膀胱留置カテーテルのないことの解放感よ。
ああああああああ解放感。
さ、手術も終わったし、退院までは、しょぼいリゾート生活みたいなものです。
今朝は午前4時に目が覚めちゃったので、すでに眠いです。
6月7日土曜日
くたびれているのに、数時間ごとぐらいしか眠れなくて、今朝も午前4時くらいに目が覚めてしまった。
点滴ぶら下げてトイレに行ったり洗面をすますのは面倒だなん。
眠い眠い。
入院は当分は避けたい。息苦しいわああ。
昨日私が受けた手術をおさらいする。
血管カテーテル治療TACE(TACE:transcatheter arterial chemo-embolization)
「テイス」と発音しておられます、ドクターもナースも。
基本として、肝臓には肝動脈・門脈の2つ栄養血管があり、通常の肝細胞は門脈血流8割に対して肝動脈血流2割の割合で栄養されているそうです。
栄養されているって意味不明。まあ栄養が届いているってことか。
肝細胞癌は肝動脈優位に血流支配されている性質があり、腫瘍を栄養する肝動脈にカテーテルを挿入し、塞栓物質と抗癌剤を注入し栄養血管を塞栓することで腫瘍壊死を生じさせるというのが、TACE治療法です。
以前は「TAE」と呼ばれることが多かったが、現在では塞栓物質とともに抗癌剤を注入することが一般的であり「TACE」と称されている。
これは、腫瘍に対する直接治療でもある。
ただ門脈が腫瘍浸潤によって閉塞している場合などは正常細胞も影響を受けるため基本的にTACEはできないです。
門脈が腫瘍浸潤によって閉塞? 意味わかんね。
TACEは、腫瘍径や個数によっては数回繰り返して施行されます。
これが私の事例。
近年、up-to-seven基準(腫瘍最大径(cm)と腫瘍個数の和が7以下)がTACEの適応判断に用いられています。
up-to-seven基準外であれば分子標的薬などの他の治療が選択されることが多いです。
使用する薬品は以下のものです。
塞栓物質:ゼラチンスポンジ等
抗癌剤:エピルビシン・マイトマイシンC・シスプラチン
私の場合は、肝硬変で肝機能が低いので、肝臓に大きな負担をかけないように、まずは3月末にひとつの大きめの腫瘍にTACEしました。
これが、そこそこ効果があったらしいので、今回もうひとつの大きめの腫瘍に、同じ手術を適用したのです。
私の肝細胞癌は再発率も高いので、これで一安心ではないです。
が、もう、再発しても、この手術をされる気ないなあ。
どっちみち、抗がん剤使用だから、負担が大きんですよね。
ところで、CTでもMRIでも、「はい、息吸って〜吐いてえええ〜そこで止めて〜〜はい、楽にしてええええ」って、やるじゃないですか。
あれ、どういうことなんですかね?
手術のときは、手術担当の放射線科の中年のアスペルガーっぽい先生うっかりして「そこでグッと止めてええええ」の後に「はい、楽にしてええええ」を言い忘れていたので、素直な私は死ぬかと思いましたよ。
そういうことが2回ありました。
えらい集中力のないドクターだなと思いました。
いや、集中力があり過ぎて患者のこと忘れるんでしょうね。
夕方過ぎに主治医の内科の先生が病室に来てくださいました。ホッとしますね。
6月8日日曜日
日曜日の朝はどこでも静かですが、病院も静かです。
昨日は、手術を受けた翌日ということで、病室でできる検査も頻繁でした。2時間ごとに血圧と体温検査でした。体温が38度くらいの時もありました。血圧がすっごく高いときもありました。
私自身くたびれきっていたのに、短時間ずつしか眠れませんでした。
今日も、私は何もする気がなく、ぼんやり寝てました。
病院のベッドの掛け布団がすっごく重いので、昨日に夫に頼んで軽いタオルケットを持って来てもらいました。馴染んでいるタオルケットは嬉しい。
昨日いっぱいは、ただただ熱っぽいなあ、怠いなあ、頭がボンヤリするなあ……と辛かったのですが、今日あたりから、ちょっとだけ元気も出てきました。
内科の主治医さんによると、明日の月曜日の朝の採血結果が良ければ、午後には退院できるそうです。キャハハ。
早く、この左腕の点滴用に刺してある針が抜けないかなあ。
昨日は一日中、抗生物質の点滴をされていまして、夜になってからやっと点滴の袋がぶら下がっている台から解放されたのですが、針はまだ刺さってる。
手首んとこが痒いよん。

午後にやっとシャワーと洗髪の許可が出ました。
ただし、左腕手首あたりの点滴針が刺してあるあたりは、ビニールの長い手袋してテープでしっかり止めたままですが。
シャンプーしながら、なああんか、髪の量が減っているような感じがした。
ヘアマニキュアは髪が細くなり髪のボリュームが減っちゃうのですが、抗がん剤をカテーテルで腫瘍に直接注入でも、髪の量が減るのかも。
私は抗がん剤使用の手術はこれを最後とします。
かなわんわ。あの不快さは。
もう日本の政治のおかしさも、重税も、みんな抗がん剤が悪いんだ!
6月9日月曜日
えええええ〜〜
退院は明日の火曜日になっていると看護師さんに言われた。
今日月曜日の午後じゃないのおおおおお??
主治医さんに確認をしていただけませんかあああと看護師さんに哀れっぽく頼み込む。
病院に居たって良くなるわけもないよ〜
熱なんて、自宅でも私は38度とか37度5分とか高いのだよ〜それで普通なの!
Set me free!
病室に来て下さった内科の主治医さんにちょっとごねたら、「じゃあ午後に退院していいですよ、その代わり今週の木曜日に外来に来てください、もう一度採血します」ということでした。
ああああああ〜〜〜嬉しい。
急いでいろいろ片付けて退院。
ところが!
自宅で数時間眠り眼が覚めたら、肝臓あたりが痛い。
深呼吸すると痛い。かなり痛い。こういう痛みは初めて。
ななななんで?肝臓が破けちゃった?ならば激痛か。
午後2時に退院した病院のERの待合室に午後8時にまたもいるはめとなった。
なんだよ、この展開。
自宅で飲んだ鎮痛剤が効いてるので、ERにいる時は痛くはなかった。
うーん、退院は明日の火曜日にすればよかったかなあ。

しかし、緊急治療室ERというのは、人間ドラマをいろいろ見ることができますねえ……
しかし待ち時間が長い。
ERのお医者さんは数人しかいないようだ。
それでも午後10時には解放され、病院を出ました。
「18時ごろに肝臓が痛くなったのは、炎症があったのかもしれないが、さっきのCT撮影の結果は特に問題ないので、また痛くなったらお手持ちの鎮痛剤を飲んでいただいて構いませんから」ということでした。
なんじゃ、痛んだ理由はわからないのか。
深呼吸すると、まだちょっと痛いですが。
まあ、理由や原因なんてわからないといえばわからないよね。
夕ご飯食べていなかったので空腹だった。
ロイヤルホスト23時閉店のラストオーダー時間ギリギリに入店し、クラブサンドウィッチ注文して、サッサと食して、食べられない分は夫に押し付けて帰宅。
やっとのんびりできたのは、23時39分。
しかし、あんな時間帯でも、ERの待合室には人がいっぱい。
看護師さんも検査技師さんもキビキビ働いておられた。
くも膜下出血の緊急手術も始まっていたようだ。
今は、鼠蹊部からカテーテルを脳の血管まで通して治療するんですね。
すごいな。
即入院の患者さんもお2人ほどいらした。奥様が入院必要書類にいろいろ書き込んでおられた。
40度の発熱でグッタリしているお子さんもいた。
おとなしく騒がないガキというのは発熱中なんかな?
画像診断しなきゃいけない患者ばかりで、私もCTの順番待ち時間がそこそこ長かった。おかげで本も読めた。
病院は24時間稼働。眠らない病院。大変だ。
6月12日木曜日
外来で主治医さんとの面談
「本日の採血の結果は悪くないです。このまま様子を見ましょう。今度の外来は7月でいいです。7月8日で。数ヶ月経過したら、CT検査して、肝臓の大きめの腫瘍がどうなっているか確かめましょう。多分消えてると予測できます」
「7月8日ですか。お!例の7月5日の後ですね」
「7月5日ってなんかあるんですか?」
「ネットでよく言われてますよ。YouTubeなんかで。大地震だとか大津波だとか。フィリピン海域に大きい隕石落ちるとか。まあ、2025年はいろいろ起きる年らしいですよ。エボラ熱流行とかもあるという噂もあります」
「忙しくて、そういうこと全く知らないです。僕なんか何があっても病院に来なきゃならないし。今日も夜勤明けだし」
「大変ですよね、病院は。最後の砦だから」
「藤森さんも最終的手段としては肝移植というのもありますよ。その場合は名古屋大学病院に転院ですが」
「あ、いいです、いいです、臓器移植なんて。そーいうのは、将来のある若い人がすればいいです」
「80歳過ぎの方もしていますよ」
「そうですかあ。よほどお偉い方なんでしょうねえ。余人に変えがたいとか、日本のためになくてはならない方とか」
「………………」
なんで、私は毒気のある言わなくてもいいことを言うんだ?
頭皮がピリピリします。痛いです。
これも抗がん剤の副作用だろうなあ。不調は全て抗がん剤のせいにする。
6月13日金曜日
うーん。また肝臓あたりが痛くなった。
前よりは、痛みは局所的。それでも痛かった。
今度はロキソニンを飲む。
だいたい、肝臓病の人間は、この種の鎮痛剤は基本はダメらしいぞ。
癌にも効くらしいイベルメクチンも肝臓病にはダメらしい。
近いうちに、また病院に行くしかないかもね〜
数週間もすれば、おさまってくれればいいなあ。
ひょっとして、軽く胆嚢炎にもなっているんじゃないかなあ。

肝臓の隅っこにあった腫瘍にカテーテルで抗がん剤が注入されて、腫瘍がグシャッと潰されたついでに、下横っちょの胆嚢に触れちゃって、胆嚢が炎症を起こしているんじゃないかなあ。
昨日に病院で見たCT映像で、胆嚢が妙に目立ってて、「胆嚢がちょっと腫れるってことは、よくあることでー」とか内科の主治医さんは言っていた。
でもさ、腫れるって炎症起こしてるってことでしょーが。
痛み止めであるバファリンとかアスピリンとかロキソニンとか、こういう薬を常飲するのも嫌だなあ。
でも、痛いのはかなわんしね。
まあ、こういうことになるのは、今までの人生で私が気がつかずにしでかしてきた悪行や愚行の罰で自業自得なんだから、仕方ないよなとは思っております。
馬鹿で雑だからねえ、いろいろやらかしてきたとは思うのよ。
ま、ちゃんと罰は生きているうちに引き受けます。
で、自分を浄化して次の次元に行きます。
6月14日土曜日
肝臓だか胆嚢だか知らんが、本日もちょっと痛かった。
バファリンもアスピリンもロキソニンもあるぞ。
空腹だけど、あんまり食べることができない。
フルーツは食べる。オレンジとか林檎とかグリーンキウイとかスイカとか。
オヤツには、年下の友人がお見舞いに贈ってくださったフランス製のエシレバターのクッキー?サブレ?を2枚だけいただく。
リッチな味わい。だから2枚だけでも満足するよん。
ありがとうございます。

これもお見舞いでいただいた書籍です。
これも年下の友人が送ってくださった。

表紙の顔出しを見て、「あれ?トランスジェンダーさん?でも、まるっきり頭のいい男の顔じゃん」と思った。
この方は女装してるだけで、普通に男性の声で話し、行動も男性らしいです。
異装者って言うのかな?
著者は、日本で異装者とかトランスジェンダーの仕事は水商売か芸能界にしかないから日本にいても仕方ないと、アメリカに行きアメリカの大学に入学し、大学院で学び、世界ビジネスを相手にする凄腕コンサルタントになった。すごいな。
ボクシングの女子部門に入り、女性選手をボコボコに殴り、私は女よと主張する類の自称トランスジェンダーのアホ男とは大違いだ。
面白そう。
ありがとうございます。
でも、まだ読み切れていない。
調子が良くなると、有料Super Grokで、いろいろ検索してリサーチしちゃうし。
grokってのは、ロバート・A・ハインラインのSF小説『異星の客』Stranger in a Strange Landに出てくる火星人の持つ概念。
grokkingは、火星語で「深く理解し、完全に共感する」ことを意味するんよ。
単なる知的理解を超え、対象(人、物、概念)と一体となり、その本質を感情的・直観的に把握するのがgrokking。
ハインラインは、英語にこの概念を直接表現する言葉がないとして、架空の火星語「grok」を創作した。
この小説も、リバータリアン小説と言われています。

イーロン・マスクらしいですね。
こういうAIで調べ始めると、面白くて、ついつい集中しちゃいますね。
ま、ともかく夫に迷惑かけつつ、しばらくは、のんびりします。
あ、そうか、7月の最初の週と次の週で、昔の勤務先の桃山学院大学での「人間総合学」っていう講義で、zoom講義するから、それ用のハンドアウトも作成し直さないとなあ。
この6年間ぐらいやっていたゲスト講師の仕事も今年で終わりにします。
ちょっと、いまどきの大学生って、よくわからんしなあ。
日本語が通じていないような気もするし。
10年くらい前から、教科書を買わない学生ってのが出てきた。
そもそもが書籍を買わないんだよね。
というか読まない。
ノートはもちろんとらない。スマホで黒板パチリ。
まあ、働いて自分で自分の面倒を見ることができるのならば、別にいいけどね。
でもね、これからしばらくは厳しい時代だからさ。
自分を守る手段はいくらあってもいい。
読書は、その有効な手段のひとつなんですが。しかも安上がり。
長くなりました。
本日はこれくらいで。
