ひとりでも寂しくない人間

本日は2017年1月10日火曜日である。

昨日は、風邪っぽかったのでグダグダ寝ていた。

去年の大晦日の日から初めて完全にフリーの日だった。

私にとって、真の「お正月」だった。

明日に予約した歯科医院に行く前に、歯痛を市販されてる鎮痛剤で止めてる。

鎮痛剤は痛みを感じる神経を麻痺させる。

であるからして、おそらく他の神経も麻痺させてしまうのであろう。

ついつい、ボンヤリしてしまう。

鎮痛剤って飲むと痛みは止まるが、頭が悪くなる。

ほんと。

知らなかった。

あれを常用したら脳がやられる。

身をもって人体実験している私。

今日書くことも、鎮痛剤で脳足りんになっているので悪しからずです。

ところで、今日のブログのタイトルは、「アキラのランド節」でも2010年に使用したことがある。

「ひとりでも寂しくない人間」

太平洋戦争敗戦後にGHQに潰された政治結社に「玄洋社」というのがある。

右翼の大アジア主義者の頭山満(とうやま・みつる)で有名な玄洋社。

中村天風さんも若い頃にお世話になった福岡で生まれた政治結社。

幕末の男装の女性漢学者、高場乱(たかば・おさむ)の弟子たちが作った政治結社。

この頭山満が言ったそうだ。

「ひとりでも寂しくない人間にならないといかん」って。

つまり、ひとりの自分の時間と思いを充実させることができる人間でいないといけない、ということなのだろう。

家族であれ友人仲間であれ、他人とつるんで騒いでいることで人生を誤魔化すような人間ではダメだということなのであろう。

政治結社を率いて多くの人々の中にいた人物が、こういう言葉を残しているのは興味深い。

この頭山満の言葉をなんでまたも思い出したかというと……

去年の大晦日から1月4日までと1月8日に妹の入院先に見舞いに行ったときに、車窓から見た街の風景や人々の姿に「哀しさ」を感じたからだ。

哀しさを感じたのは、私が哀しいからだったろうか?

いや、私は哀しくない。

今までの人生で1番と言っていいほど、私は幸せを感じている。

ああ〜〜〜ありがたいなあ……と一瞬一瞬に感じているぞい。

でも、街を眺めると、人々を眺めると、哀しみを感じてしまう。

なんで?

平和な風景なのに。

繁栄した風景なのに。

道端に餓死者も戦死者も見えないのに。

で、私は「空から爆弾も落ちてこないし、街角から戦車も出現しないのに、なぜ日本人は哀しいのだろうか?」とfacebookに投稿した。

まあ、日本の道路は狭いので、戦車が通れないけど。

専守防衛の自衛隊に戦車隊は要らんわ。

そーいう話ではないな。

ともかく、なんで日本人は哀しいのかと質問したら、facebook友だちのおひとりが、「さみしいのですよ」とコメントしてくださった。

「ほんとうに充実しているわけでもなく、生きていることがさみしいのです」という内容のコメントをしてくださった。

ほんとうに自分が充実しているわけではなくてさみしいと感じる人々の想念が、ついには街を覆って哀しみを醸し出しているのか?

そうなの?

ならば、この哀しみは水準が高いぞ。

「私は、こんなにさみしいんだな」と思うことは、自分の感情や心の声に耳を澄ませているということだ。

正気になっているということだ。

それは自分の魂の声に耳を正直に澄ませているということだ。

自分の魂に出会っているということだ。

自分に正直でいるということは、そういうことだ。

自分の魂が、自分のいる環境を静かに眺めているってことだ。

で、さみしいね……と思う。

これはいいことだ。

魂が世界に開かれているってことだから。

閉じていた魂が、外界に開かれて、外界を眺めて戸惑っているんだ。

その戸惑いを表現する言葉がない。

強いて言えば、さみしさに似ているのだよ、その戸惑いは。

人間って何のためにこの世界に生まれて生きていくのかわかんない。

でも生きていくんだ。

よくわからないけど、生きていくんだ。

そういう戸惑い。

その戸惑いは自分で引き受けるしかないのだな……と思うこと。

それが「さみしさ」なのだろう。

でも、その「さみしさ」をしっかり受け止めて、世界を見つめれば、この世界はなんて面白いのだろう。

見つめていて飽きることがない。

人々の生態も見つめていて飽きることがない。

この世界のこの時代に、この国で生まれて生きてきた不思議。

その奇跡。

そうだ、日本人は、そういう奇跡を感じる寸前の段階に来ているのかもしれない。

暮れからお正月とか連休とか、人々が多忙さから正気に戻る時だ。

まだまだ亜人間の若い人々や子どもは、イヴェントで大騒ぎして自分から逃げるしかない。

ひとりでいると寂しいから。

大人になると、わかるよ。

ほんとは、誰といても寂しいのだよ。

さみしいのだよ。

でもって、誰でもそうなんだなと、わかるのだよ。

みんな、そういうさみしい人生を1人で引き受けているんだな、って。

そこに、共感が生まれるのだよ。

生きとし生きている存在に対し共感が生まれるのだよ。

さみしさを掘って掘って突き抜けると広い場所に出るのだよ。

そこでは、自分1人の孤独など何ほどでもない空間だ。

ひとりを超えて行け〜〜♫♫だ。

正月の街に、1月の連休の平和な街に漂っていた哀しみは、日本人が自分のさみしさをしっかり抱きしめる前の戸惑いの集積なんだ。

その戸惑いを直視しよう。

正気になろう。

隣国のある種の人々は、従軍慰安婦像というか少女像を日本の領事館や大使館や世界中のあちこちに設置すれば熱く充実できるらしい。

いいなあ。

他人のせいにできるのは。

いまや、多くの日本人はアメリカの悪口や中国の悪口を言ってもしかたないよなあ…イルミナティやNew World Orderのせいにしてもしかたないよなあ……と思い始めた。

マトリックスを超えないと、自分自身の狭い認識を超えないと……と思い始めた。

自分の魂と出会うまであと一歩だ。

だからの、戸惑いだ。

ひとりでも寂しくない人間になるまで、あともう少し。

ひとりを超えて行け〜〜♫♫

マトリックスを超えて行け〜〜♫♫

ひとりでも寂しくない人間” への2件のフィードバック

  1. 藤森先生、初めまして。
    フェイスブックも大変興味深く読ませていただいております、横浜の森と申します。

    人は一人で生まれ、一人で死んでいく。
    そんな当たり前のことがわからない世の中だと私も思います。どんなに財をこさえても、何も持ってないないと嘆いていたとしても、死ぬ時は生まれた時と同じ裸で死ぬだけなのに。

    まだまだ人生模索中の、若輩者でありますが今後ともよろしくお願い申し上げます。

    いいね

    1. 森さん、コメントをありがとうございます。勝手なこと書いております。ひとりでいても寂しくない人間でいようとしても、私もついつい駄文を書いて心を慰めてしまうのでしょうね……

      今後とも、拙文をお読みくだされば、嬉しく存じます。

      いいね

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