本日は2017年2月25日土曜日だ。
本日は昼下がりに福山市内の廃棄物処理会社の方に来ていただいて、見積もっていただく。
家具に電化製品に不要書籍とか処分していただかねばならないよ。
もう2月も終わりだ〜〜焦ってしまうぞ〜〜
3月13日には退去だぞ〜〜引越しだぞ〜〜
名古屋に帰るぞ〜〜
ところで、今日は、「自分に正直に生きろと言われますが、そんなことやっとれん!」という話を書く。
私が、自分に正直に生きていたら、とうの昔にホームレスだったろう。
こう書くからといって、私はホームレスの人々を軽蔑しているわけではない。
ただただ正直であるなあ……と思うだけだ。
私の場合、自分にとことん正直にしていたら、働かない。
賃金労働しない。
興味もない人々相手に「社交」しない。
挨拶もしない。
家事しない。
洗濯しない。
洗濯したくないから、下着は裏表に履けば2日分だ、などとやりかねない。
ほんと。
掃除しない。
埃が溜まっても見ないことにしておけば苦にもならん。
ベランダは廃棄しないゴミ袋いでいっぱいになるだろう。
料理もしないね。
台所は賞味期限切れの食品ばかりになるだろう。
冷蔵庫の中は腐った野菜でいっぱいになるよ。
ピザのデリバリーに飽きたら、スーパーマーケットのお惣菜だけですます。
それも面倒くさくて食わない。
髪も洗わない。
痒くなっても2週間もすればおさまる(と思う)。
私は、ほんとは無茶苦茶に怠惰ですからね〜〜〜
ボケっと空を眺めて寝たいときに寝て、起きたいときに起きて、食いたいときに食って。
学校なんか行かない。
ゲゲゲの鬼太郎だ。
よく「ゴミ屋敷」とかが話題になるでしょう。
あれ、私的には全く他人事ではない。
ほんとは、ああなりかねないんよ、私は。
一時期「ショッピングバック・レイディ」とか、アメリカのホームレスの女性のことを呼んだでしょう。
自分の持ち物をショッピングバッグいくつかに入れて持ち運びつつさまよい歩く高齢女性。
もうそれは、絶対に他人事じゃない。
ただし私の場合は、カート付きスーツケースのリモアに寝袋とか、アイン・ランドの「水源」とか、「ゆびのばソックス」を大事に大事に詰め込んで、スーツケースをゴロゴロ転がしながら、フラフラ歩くだろうけれども。
「自分に正直に生きよ」という教えを実践していいのは、その自分自身というのがスペシャルな人よ。
「自分に正直に生きる」ことをしていいのは、非常に才能豊かで、自分に正直に生きたら有意義な人生が展開する類の人物であるよ。
私みたいな凡人以下の人間が、自分に正直に生きたら、ただのゴミだ。
私みたいな類の人間は、他人の目や世間の目を意識して、したくもないことして生きるしか、「まともには」生きられなかった。
退職を前にして思うことは、自分にめいっぱい嘘ついて、自己欺瞞をして、働いてきて良かったな、ってことだ。
世間体のいい職種に就けるように頑張り、その職にしがみついてきて良かったな、ってことだ。
書きたくもない論文というゴミを書き、したくもない学会発表をして、そのストレス解消で買い物依存症になったり、大食いしてデブったり。
それでも、ともかく、自分の職にしがみついてきた。
辞めたいと思わない日はなかったけれども、「私に何ができるねん。なんもできんわ・・・」と思い、職にしがみついてきた。
こうも思うよ。
自分の「持ち家」がないと、高齢になって働けないときに家賃を払うのはいやだから、狭いマンションでも買っておくか……と思って買って、還暦前にローンを完済しておいて良かったな、って。
むっかつくなあ〜〜と思って嫌いな奴ばかりといえども、上司や同僚とふつーにつきあって、ややこしい確執もなく過ぎて良かったな、って。
どこに行っても、わけのわからん不快な人間は棲息してるからね。
私だって、他人からすれば、相当に不快な人間だろうからね。
ということで、「自分に正直に生きていないわ……私……自分の人生をすり減らしているわ……」と悩んでいる方々へ。
いやいや、あなたの日々は、それでいいのよ。
「自分に正直に生きる」という言説も、いい加減なもんでさ。
ほとんどの人間にとっては、その「自分」というものの中身も曖昧模糊としてるんよ。
特別に何かになりたいわけでもない。
特別に何かしたいわけでもない。
ほんとのほんとのほんとの事を言えば、ボケっと空を眺めて食うに困らず、雨露雪風をしのぐ屋根や壁のある住まいで安心安全していられれば、それでいい……
そんなもんじゃないでしょーか。
そりゃ、自分の心に正直に生けていなければ、身体が正直に信号を発しますですよ。
腰が痛い〜〜チック症状が出る〜〜難聴になる〜〜原因不明の咳が出る〜〜円形脱毛症になる〜〜
便秘になる〜〜背中が痛む〜〜肝炎になる〜〜癌になる〜〜認知症になって現実逃避する〜〜
私だってさ、この6年間の福山市立大学勤務時代の身体的不調は、加齢のせいもあるけれども、「こんなとこ嫌い!!」の気持ちをねじ伏せて働いてきたことが要因だ。
でも、ストレスなんて当たり前だから。
嫌なことするために、自分を捻じ曲げ抑えつけるなんて、当たり前だし。
心を抑圧したんで身体的不調が出たというのも、当然の普通のことだし。
凡人以下の私にとっては、放置すればホームレスになりかねない私にとっては、「普通に人並みに生きること」に伴う苦渋を引き受けたことの引き換えに、64歳となった今、慎ましいながらも最低限食うに困らない暮らしと、雨露雪風しのぐ屋根と壁のある住まいを確保できていることが、嬉しいのよん。
しょうもない人生?
夢も希望もない人生?
矮小な人生?
「しょうもなくない人生」のイメージが私にはないので、そう言われても……
「夢も希望もない人生」と言われても、夢なんて前提としてなかったので……
希望っていうのは、生きてる限り人間が持っている内臓みたいなもんだからなあ、絶対に伸びてくる爪みたいなもんだからなあ……
「矮小な人生」と言われても、私は他人の寄生虫にはなってこなかったので……
他人の労働に寄生する貴族の人生の方が、よほど矮小だと思うけどね……
私も何もしたくない。
もっと若い頃に甲斐性のある人に見つけてもらって、寄生して生きてきたかった。
独居女孤独死まで、後数年。
いいねいいね
孤独死自体はいいんですが、遺体はすぐに見つかるように工夫しておきましょーー人様に迷惑ですので。私も、その点はどうしたもんかと思ってます。セコムにそーいうサービスあるらしいです。生物の動きの反応が一定期間以上ないと、家族や後見人に連絡が行くとか。
いいねいいね