ヨルダン・イスラエル旅行 (2) 必見!ペトラ遺跡!

本日は2017年9月13日水曜日である。

ペトラ遺跡は、世界遺産である。

「新・世界七不思議」のひとつである。

映画『インディ・ジョーンズ 最後の聖戦』のクライマックス=キリストの聖杯をめぐる攻防戦の舞台である。

映画『トランスフォーマー 2 』でも、「ヨルダンのペトラ山」が戦いの舞台となる。

とんでもない遺跡である。

http://www.visitpetra.jo/

ほんとに、すごいすごいスケールの石の遺跡群である。

圧倒されるよ、呆れるよ、自分の目で見ると。

すみません。正直言って、日本の世界遺産なんて、あってもなくても私は哀しくない。

しかし、このペトラ遺跡をISISが破壊したら、私の怒りの念で、ISISと、この組織の黒幕のネオコン軍産複合体を静かに静かに呪い殺すでありましょう。

言うまでもないが人類の最初の文明は、中東地域を流れるチグリス川やユーフラテス川流域で生まれた。

なんでだか、この古代中東にいたある種の人々は高度な灌漑技術や土木技術を持っていて、砂漠を緑化できた。

おそらく、ここらあたりに火星人だか宇宙人が飛来したのであろう。

でないと灌漑技術や土木技術や測量や天文学が、突如ここで花開くはずないっしょ。

その人々は、はるばると、地中海に比較的近いペトラあたりにも来たに違いない。

ペトラはギリシア語で「石」の意味で、ここらあたりは古代から砂岩の岩山がいっぱいの地域だった。

ペトラは標高1000メートルであり、気候は比較的凌ぎやすい。

ペトラの北あたりで、1万年前の新石器時代の集落が発掘されている。

で、紀元前6世紀あたりから、古代アラブ人の一派らしき「 ナバタイ人」が、ペトラに定住したらしい。

「ナバタイ人」とはセム語で「水を掘る人」という意味であり、砂漠で井戸を探し掘る技術に長けていた。

水道管や水路やダムを造る技術を知っていたナバタイ人こそ、あの地に降り立った火星人だか宇宙人の直系の末裔だったのだろう。

このナバタイ人が、天然の砂岩を掘り、岩肌をくりぬき、街路や建築物を造り、壮大壮麗な石の都市ペトラを築き上げた。

で、このペトラは、中国やインドやアラビア南部とエジプトと、シリア、ギリシャにローマを結ぶ大中継地点になった。

絹や香辛料などの貿易路の中継点となった。

要するにシルクロードの大いなる一部なんよ、ペトラは。

どうだ、すごいでしょ〜〜

って、私が自慢してどうする。

と自慢したくなるのは、ひょっとしたら、過去世で、私はペトラに住んでいたのかもね!

私の好みよ、ペトラって!

ここだけの話、火星人というのは日本人によく似ているそうだよ。

ほら、火星に前方後円墳みたいなのがあるそうではないの。

日本人の祖先は火星人なんじゃないの。

火星とペトラの砂漠って似てるんじゃないの。

つまり、べトラを造った人々の祖先は、日本人の祖先と同じなんじゃないの?

だから、私はペトラに魅かれるのかもよ。

それはさておいて、しかし、この壮麗な石の都市も、ユダヤ王国に攻撃されたり、ローマ帝国に併合されたり、363年には大地震に襲われて壊滅した。

6世紀末ぐらいから、遊牧民族のベドウィンぐらいしか住まなくなった。

7世紀にはイスラム教徒が来て、12世紀には十字軍が砦を造ったけれども(エルサレムが比較的近いからね)、それ以降は世界史からは忘れ去られた。

それが再発見されたのは1812年だった。シリアのダマスカスからエジプトのカイロに行く途中のスイス人探検家が、古代の石の都のことを聞きつけ、好奇心にかられてペトラまでやって来て、その遺跡を確認した。

ペトラの岩の都が世界史に再登場!

ということで、今やペトラ遺跡は石油の出ないヨルダンの最重要観光資源として外貨を稼いでいるのです。

私が加わったパックツアーは、8月29日と30日を、このペトラ遺跡入り口に建てられた「ペトラ・ゲストハウス」という屋号のホテルを宿泊所とした。

一帯は、みなペトラ遺跡目当ての観光客用ホテルと土産物屋とレストランだ。雰囲気は、日本の高原の温泉街だ。非常にネイティヴ風味がある。

下の写真は、8月30日の早朝のホテルの屋外レストランだ。

ここに映ってる、扉がピンクの客室は高級な別館のほう。

私らが宿泊したのは、普通のビルの客室で、レストランも屋内のフロント前のバイキング専用スペースです。

ところで、この朝、私は困った。

不具合のある右脚が痛くて、30日のハイライトであるべトラ遺跡中心街路踏破ができない。せいぜい5キロぐらいの道である。でも、私は歩くのは2キロが限度だ。

ペトラ遺跡は全部が発掘されていないが、発掘されている部分だけでも見るには最低3日や4日はかかる。5キロなんて、そのさわりでしかない。

諦めてホテルからペトラを眺めているだけでは辛いので、私と夫は、ツアーの方々とは別に、馬車を利用することにした。

で、ヨルダン人の英語ガイドさんに観光馬車の交渉をお願いした。

ガイドさんも馬車の業者も仲良しの観光業仲間なので、最初の交渉はガイドさんを通じてした方がいい。

昼食のレストランまで行って、昼食後午後1時に迎えに来てもらって、遺跡入り口まで戻るということで、60ドル。先払い。

チップは別だ。チップは馬車の御者の若い男性に渡すのではなく、元締めみたいなデブのオッサンに渡すよう言われた。

御者の若者はジーンズだけれども、元締めのオッサンはアラブの民族衣装だ。もろ、こーいう感じ。

赤と白のギンガムチェックみたいな大きな布をかぶって、黒い輪っかで留めている。

イスラム教徒もいろいろらしいが、ヨルダンはスンニ派(スンナ派)である。

サウジアラビアと同じ。

イランはシーア派。

ともかく、私と夫は、御者と同じ座席に座って、いざ馬車はペトラ遺跡を行く。

ヨルダン人ガイドさんに交渉をお願いするときにチップ10ドルをさりげなく渡したので、ちゃんとガイドさんが、写真を撮ってくれました。

チップをさりげなくドサクサ紛れに自然に敬意と感謝を表現しつつ渡すことができるようになるのに、普通の日本人は何年もかかるよ。

そこから先は、非常に楽しい馬車のドライブ。

これは、ローマ帝国に併合されたときに造られた劇場。

段々は座席ですね〜 円形舞台は、この写真からは見えませんが。

30分ほど馬車に乗り、あっというまに、レストランに着いてしまった。まだ午前10時前だ。

そこらに突っ立っていると、驢馬に乗ってペトラ山頂上近くのエド・ディルEd Deilという神殿( 紀元後はキリスト教の修道院Monastery)まで行けるよ、と客引きがひっきりなしだ。

遊牧民族のベドウィンは、ヨルダン政府により、ペトラ遺跡での観光業を許可されている。

15歳だと言う少年が達者な英語で、脚が悪くてもMonasteryに行けるよ、驢馬に乗っていけばいいって、安全だし安いよ、大丈夫だと何度も言う。

うううう……乗りたい! 驢馬に乗って行きたい!

しかし、「危ない!デブが驢馬に乗ったら驢馬がかわいそうだ」と夫が言うので諦めた。

こうなれば、私たちのツアー団体が午後12時にランチの予約をしているCrown Plaza系が経営している大きなレストランに入って、そこの屋外テーブルで待つしかない。

オレンジジュース1杯10ドル。高いわ……

でも、ほんとにオレンジ搾りたてのジュースだ。

風が非常に非常に気持ち良い。

しあわせ。

待つこと1時間半以上が経過して、旅のお仲間の方々が到着。

ランチです。

みなさん、炎天下を歩いていらしたので、かなりお疲れのようです。

でもタフです。

みなさんは、ランチ後は、950段の石段を登り、「修道院」に行く予定です。

1番お元気で健脚なのが78歳のご夫婦です……

ランチは美味しい。

ヨルダン料理は日本人の口にわりと合うのではないかなあ。

さて、午後1時に約束の馬車がレストラン前に来ました。

私たちだけは、先にホテルに帰らせていただく。

だいたいが、私は海外だろうが国内だろうが、旅先でもすぐにくたびれて、ホテルの部屋でへばっているのが常の根性なしである。

馬車の御者の若者は、私のかわりにiPadを使って写真を撮ってくれた。

Are you happy? Came from Japan?

と、いろいろ話しかけてくれた。馬もよく御して道の悪いところを巧みに進む。

仕事熱心である。真面目ないい子じゃ。

ベドウィンの物売りの6歳くらいの男の子がしつこく私に食い下がると、追い払ってくれた。

物売りの子どもたちは根性がある。

ちょっと怒鳴られたくらいでは引き下がらない。

手に絵葉書を持って、「マダム、買っておくれよ、10ドル!」と必死である。

この子たち、どこで英語を習うのだろう?

このペトラ遺跡の英語版パンフレットには、「遺跡内で、児童虐待や動物虐待を見かけたらVisitors’ Centerに御通報ください」と、小さな文字で書いてあった。

なるほどね、欧米基準で見ると、馬車の馬も、驢馬も、駱駝も、しっかり虐待されている。

子どもたちも、しっかりこき使われていた。

30分ほどガタガタ激しく揺れる馬車に揺られて、遺跡の入り口に帰って来た。

どこからともなく、あの馬車の元締めのアラブ服のオッサン再出現。

オッサンの目の前で、馬車の御者の若者に、「これは、あなたのだからね」と言って大枚20ドルチップを出したら、若者は「マネージャーにもチップ出してよ!」と目で強く強く私に訴えかける。

わかってるって! でないとあなたのチップが、このオッサンに取り上げられるんでしょ?

世の中そーいうもんよね。ピンハネね。

マネージャーのアラブ服のオッサンにも同額の大枚20ドルを渡す。

オッサン満足げだった。

なんと、数時間後の夕食の時に、ヨルダン人英語ガイドさんに、このことが筒抜けであるとわかった。

夕食の時に、「おかげで楽しかったです。馬車業者さへの交渉ありがとうね」と私が言ったら、「ふたりとも、たくさんチップいただいたと喜んでいました。あなたがそうしてくれて僕は嬉しい。みんなも嬉しい。Win-win gameね」とガイドさんが答えた。

「みんな、あなたのおかげです。これは、私の夫から」と、私は大枚20ドルのチップをさらにガイドさんに渡す。

これで、明日、イスラエルに行くまでのバスの中で、ガイドさんのすぐ後ろの座席に座り込んで、このガイドさんに根掘り葉掘り、ヨルダン事情を質問できる。

ガイドさんは首都アンマンの出身で、かなり欧米化されている。

英語がアメリカ英語風だったので、「アメリカにいたことある?」と質問したら、「アメリカもイギリスも行ったことないけど、お客さんがアメリカ人が多いから、影響されてアメリカ英語になったかも」と言っていた。

ガイドさんや、バスの運転手さんへのチップは、ツアーを企画してる会社も払っているけれども、観光客さんも、礼儀正しく少しは出しましょう。

ヨルダンにせよ、アラブ世界は、部族社会であるからして、誰がボスであるのか、誰の顔を立てないといけないか、ハッキリしている。

人様のプライドと面子を大事にしなければいけない。

礼はハッキリ言わねばいけない。

厚意には報いなければいけない。

ほんとは、人間社会はそういうものだよね。

アラブの人間関係は、江戸時代や戦前の日本人のそれだと思えば、間違いがない。

さて、馬車から降りて、ちょっと周囲の景色を楽しみ、ホテルの部屋に戻ったら、タオルがこうなっていた。

部屋に入るときにすれちがったハウスキーピングの男性の愛想がすっごくすっごく良かった。

私は、朝にチップに大枚10ドルとともに、英語で「Thank you! バスルームにトラブルあります。配管がおかしいです。排水が機能してません。修理してちょーらい」と書いたメモを部屋に置いておいた。

確かに、ゴミが詰まっていたバスルームの排水口は綺麗に掃除がされていた。

でも、バスタブの排水の問題は同じだった。

まあ、排水の問題は、ハウスキーパーがすぐに対処できる問題じゃあないよな。

ま、しかたないかな。

ヨルダンでは、普通は女性の仕事のようなホテルのハウスキーパーも男性が勤める。

概して働いているのは男性である。

レストランもウエイターはいても、ウエイトレスは見かけない。

いるとしたら、経営者の娘って感じだ。

雇われているのではなく見張ってる感じだ。

やはり、女性は家庭にいるのが一般的イスラム教徒の習慣のようである。

いや、アラブ人の傾向かなあ。

ところで、私がチップを払い過ぎだと思いますか?

カネというのは、こういうときのためにあるんだよ!!

チップ出す気がない人間は、海外に観光旅行なんかしない方がいいよ。

じょじょに日が暮れて行くペトラ。

ホテルのロビーにはヨルダン王室の方々の写真が飾られている。御真影だね。

元王様と現王様と皇太子の写真が。

国王の写真は、ヨルダンの街中のあちこちに飾られている。タイみたいだな。

ガイドさんいわく、「うちの王様はよく働く。いつも海外に行って、ヨルダンの売り込みしてる。アメリカの大学を出てるから英語がよくできるんで、いいビジネスマンだ。うちの空軍はすごいけれど、アメリカの戦闘機とか、王様がアメリカと話をつけて、もらってくるんだ」そーである。

ほんまかいな。

ヨルダンの国王は、名実ともに、The Head of the Stateであるそーだ。

この日のバイキングの夕食には、「海苔巻き」が出た。

グジャグジャに柔らかい海苔巻きであったが、酢飯ではなかったが、そこそこ美味しかった。

白身魚の天ぷらも出た。ただし、表示はFish Temboraであった。

テンプラとテンボラ。PとBの音は破裂音でよく似ているからね。

日本人団体客へのサービスであるね。

日本人宿泊客はそこそこ多いらしくて、馬車の業者もホテルの人も、「おはよう」「こんにちは」「こんばんは」「ありがとう」ぐらいは言える。

ヨルダン人の対日感情は悪くはなさそうだ。

そういえば、9月10日に河野太郎外務大臣がヨルダン宮殿でランチをご馳走になったとか。

異例の破格のもてなしだそーである。

日本政府がヨルダンのテロ対策に10億円無償資金提供するとかで。

そりゃ、ランチぐらいご馳走してくれるわさ。

河野太郎外相は、ペトラ遺跡をご覧になったであろうか。

このペトラ遺跡は多くの日本人に見てもらいたい。

いやあーーほんとにビックリするから。

素晴らしいから。

ヨルダンの砂漠も心を魅了するれども、ペトラ遺跡の石の都も最高だ。

ペトラの夜景は美しかった。

できれば、あそこに数日間は滞在して、ペトラ遺跡を堪能したかった。

そのためには、私は脚をなんとかしないとなあ……

痛む右脚を引きずりつつ、かばいつつ、明日はイスラエルだ……とスーツケースに荷物を入れる8月30日の夜でありました。

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