[250] 雇用者の気持ちになってみた

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本日は、2018年1月27日土曜日だ。

ああ、NHKの大河ファンタジードラマの『精霊の守り人 最終章』が終わってしまった。

綾瀬はるかちゃんの女戦士姿とさようなら。

寂しい。

来週から何を楽しみに生きていけばいいの。

木曜日午後9時からの『BG 身辺警護人』のキムタクのオッサンぶりも面白いけれども、あの役を綾瀬はるかちゃんが演じればいいのに。

無理か。

ところで、最近数カ月以内に、「雇っている人」の気持ちを聴く機会が数回あった。

今日は、そのことについて書く。

その「雇っている人」の話は、ずっと「雇われている人」であった私にとって新鮮であった。

私が話を聞いた雇用者のひとりは、最近、ひとりの従業員を解雇した。

数人の従業員を使って経営されている職場で、その解雇された従業員は長く勤務していたので、次第にその職場を自分のテリトリーと勘違いして、新人が入ってくると意地悪と嫌がらせをしては、新人を追い出してきた。

雇用者が、その新人を気にいると嫉妬して、必ず追い出してきた。

それだけではなく、自分がいなければ、その職場は成立しないのだとまで思うようになり、雇用者に干渉したり指図したりするまでにいたった。

で、とうとう雇用者は、その従業員を解雇した。

小さな職場だと、こういうことはありがちだ。

雇用者と自分は特別な関係であって、雇用者と従業員という関係ではないと勘違いして、職場を私物化して、ビジネスライクにできない人間というのが出てくる可能性は高い。

特に従業員が女性の場合に、よく起きる事例だ。

34年くらい前に私が非常勤講師をしていた名古屋の某私立大学で、ある美人女性教員が非常に威張っていた。

40代始めという若さなのに図書館館長という要職にもついていた。

これは、普通ではありえない。

ほんとに尋常でなく高飛車に威張っていた。

他の正規雇用の専任の教職員たちは、彼女を腫れ物にさわるように扱っていた。

それは、週に2度しか来ない非常勤講師の私でさえ気がつく異常な現象だった。

「ありゃ、ここのオーナー学長の親族なんだろうなあ……」と私が推量していたら、なんと、彼女はその大学のオーナー学長の「愛人」だった。

学長の愛人であるということは個人的な私的領域のことでしかない。公的な職場には関係ないことだ。

公的な領域ではただの教員という従業員だ。

従業員は従業員らしく動かないと。

そんなこともわからない愛人さんに職場を荒らされている学長さんは、アホだなあと思った。

概して、女性はビジネスライクに動くことが苦手だ。

たかが職場であるのに、自分の気持ちを関与させ過ぎる。

基本的には労働と時間を売って給与を得ているだけの職場にコミットメントし過ぎる。

自分のテリトリーにしたがる。

特に独身の女性は気をつけなければいけない。

そこは単なる職場である。公的領域である。

職場を自分の感情やリビドーを充填させるための場所として利用してはいけない。

職場の人間関係は、しょせんは職場の人間関係である。

単なる機能集団(ゲゼルシャフト)を自分が主役の共同体(ゲマインシャフト)と勘違いしてはいけない。

お局様になってもしかたない。

まあ、何が言いたいかと言うと、人を雇うのは大変だ、ということだ。

もうひとりの雇用者の方は、もっと大きな職場の社長さんである。

その方は、早く人工知能が発達してほしいとおっしゃる。

「もう、うちにも女性社員が多いんだけど、休憩が多くてお茶やお菓子で社員同士でペチャクチャ喋ってて、いいご身分だ。ああいうのにボーナスも払い月に何十万円も給料払っているのが、ほんとにもったいない。光熱費はかかるるし、水道代もかかるし」と、おっしゃる。

「最近3人が辞職したんですが、全然会社は困らなかった。総務課から、3000万円経費が削減できましたと連絡があった。いったい、あの3人は何をしていたのか?全く働いてなかったのか?」と、おっしゃる。

ひとりの社員を雇用するということは、給与以外に交通費に住宅手当を支給しなければならない。

健康保険や厚生年金掛け金とか社会保険も半額は負担しなければならない。

退職金用の金もプールしておかないといけない。

ひとりの従業員を年収700万円で雇用するとしたら、会社は少なくとも1000万円ぐらいは出していることになる。

なるほど。

私は人を雇う立場になったことがないので、雇う側の気持ちというものを考えたことがない。

また、私が勤務していたところは大学であり、私立大学でもオーナー学長とか経営者がいなかった。

もし自分が経営者で、人を雇うとしたら……

いやあ、「こんな奴に月に何十万も払うなんて、もったいない!」と思うだろうなあと思った。

で、以下の本をKindleで読んでみた。

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うわあ……

人を雇うって、こんなに大変なんだ。

目次を追うだけでも、人を雇うことの大変さがわかる。

法的には労働者の立場は非常に守られている。

法的にはね……

こーいう本を読んでみると、視野が違ってきますよ。

人を雇うことって、かくも大変なのだ。

いやあ……経営者がいて、雇用を創出するんで、経営の才覚なんかまったくない人間でも、雇用されて給与を得て食っていける。

だからさあ、雇用者の気持ちになってみるってことも大事なんじゃないかと、私は思った。

私は、学校法人で働いてきたので、自分の雇用者個人の顔を見たことはない。

もし、自分が雇用者として若い頃の自分を雇用すると仮定してみると、どうだろうか。

「こんなの雇ってるだけで慈善活動だわ。こんな奴に、給与出す価値ないわ」と思うんじゃないか……

うわあ……経営者個人から見られるような職場でなかったから、私も勤めることができたのだ。

今頃になって反省だ。

雇用者の気持ちからすると、従業員なしで経営できたら一番いい。

人工知能化、機械化できれば、一番いい。

人間は思うようには働かない。

思うようには成果を出さない。

なのに賃金は払わねばならない。

経営者の本音の本音の夢は、従業員という人間なしで経営することだな。

もしくはブラック企業経営こそ、経営者の夢だな。

何が言いたいかと言いますと……雇われている人間も、オーナー経営者、雇用者の気持ちになって自分を眺めてみるのもいいんじゃないかなあ……ということだ。

だって、自分は雇われてでしか食えないんだからさ。

雇用を創出して経済成長に貢献なんてできないんだしさ。

無能で非力。

ならば雇用者が納得できる従業員になるしかないんじゃないか。

金払ってもいいわ……と思えるような質の労働をするってことも大事なんじゃないかなあ。

しかし、雇用者と被雇用者の気持ちは、地球と海王星ぐらいに乖離している。

被雇用者は、なるべく働かずに給与を得たい。

雇用者からすれば、ほとんどの被雇用者は、自分が払っている金にみあった労働をしていないと思う。

「ああ、今月もよく働いてくれる社員に給料を払うことができた!嬉しい!」と思う雇用者もいるかもしれないが、まあ、あんまりいないのではないか。

オーナー経営者としては、雇用者としては、無能な従業員に毎月給与を支払うのは、ほんとに苦痛だろうな。

うーん、大変だ。

無職の私としては、今の名古屋での生活費は現役で働いている夫が支払っている。

いわば、夫は私の雇用者である。

私としては、せめて、「こいつを食わせている価値はあるな」と夫が思える質の家事労働なり感情労働を提供しなければ。

と、殊勝にもあらためて思った次第である。

経営者は偉い! 雇用者は偉い!

私は、雇用者になれる甲斐性がなかったわあ……

うーん、死ぬまでに数人ぐらい雇えるような展開があるかしらん。

なさそう……

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