本日は2018年3月20日火曜日だ。
Blog記事書きをサボっていたのは、先週の木曜日から読み始めた本が面白すぎて、なかなか読み終えることができなかったから。
本というのは、面白過ぎると、速く読めない。
読み進めてはちょっと考え、 iPadですぐに検索を始め、ウダウダしてしまうのだ。
この本は、私の人生を変えたぞ〜〜
アイン・ランドの『水源』の次に変えたぞ〜〜
10年に1度読めるかどうかみたいな快著だぞ〜〜
こんなに根本的なことを教えてくれる本も滅多にないぞ〜〜
読めて良かったぞ〜〜
読んでなかったら、無知蒙昧なままに死ぬところだったぞ〜〜
それは、ジェイコブ・ソール(Jacob Soll: 1968-)という歴史学と会計学の研究者が書いたThe Reckoning: Financial Accountability and the Rise and Fall of Nations(2014)の翻訳『帳簿の世界史』だ。翻訳者は村井章子氏である。訳文も明解です!!
出版社は文藝春秋社で、2015年に出版された。
この本は発売当時に私は買った。
何かの書評で褒めていたのだろうね、なんで買ったか覚えてないけれども、私は買った。
で、ずっと放置していた。
それが、先日、ふと思い出して読み始めた。
そしたら……
そしたら……
原題を直訳すると、「勘定書—財政的説明能力と諸国の台頭と衰退」だ。
いやああああああああああああああああああああ〜〜ほんとに面白かった!!
accountabilityって、普通は「説明能力」とか「申し開き能力」「説明責任」みたいな意味で使われる。
でも、なんでaccountabilityなんだ?
accoutって、名詞だと勘定書とか会計簿の意味だ。
動詞だと、支出報告をするって意味がある。
同時に、説明する、釈明するという意味もある。
なんで?
きちんと正直に事実のまま支出報告をすることこそ、釈明する、責任を持って説明するということだからだ!!
個人でも、個別の家族でも、小さな自営の店でも、企業でも、自治体でも、政府でも、どういうふうに運営されているかを説明するためには、収支の記録を見せることが一番確かだ。
生活実態の記録とは、収支の記録でしかない。
でしょ?
ああ感じた、これがあった、ああいうことが起きただけの記録では不十分だ。
何か起きた時にいくら金がかかったか、どう工面したか、そういうことが記録されていないと、生活の実態はわからない。
で、この収支をきちんと正直に誤魔化しなく記録する行為こそ、リアリズムに立脚した行為だ。
個人でも、家族でも、自営の店でも、企業でも、自治体でも、政府でも、この正直な事実に基づいた収支の記録=会計簿があってこそ、現実遊離しないですむ。
収入より支出が多ければ、それが重なれば、経済破綻だ。
個人なら自己破産だし、政府ならデフォルトだ。
粉飾決算ばかりして、損失を正直に記録せずに隠していれば、会社は倒産だ。
だいたいさ、戦争しようにも国庫に兵器武器弾薬買うカネがなく、兵站を機能させるカネがなければ、戦争できない。
何事も、カネの裏付けがないなら、諦めるしかない。
この日本列島の中に立て籠もって、できる範囲での防備をするしかありません、となる。
これこそリアリズムだ。
保護者にカネがなくても、大学進学したいなら、授業料の安い国公立大学に行って返済する必要のない奨学金を得るしかない。
それでも、どうしても私立大学に行きたいし、交換留学もしたいし、アナウンサー養成学校の授業料も欲しいので、他人からカネを借りて、贈与と言い張って返済しないという手もある。
でも、そーいう生き方はいずれ破綻する。
世間知らずのお嬢ちゃんやその迂闊な両親を一時的に騙せるくらいしかできない。
カネがないので無理です。
できません。
別の手段を考えましょう。
とならずに、他人から借金しよう、銀行から借金しよう、国債発行しよう、株を発行しよう〜〜と、やっているうちに、自分でもカネの収支の実態がわけがわからなくなり、記録するのも面倒になり、負債が膨れ上がったままになり、なんともならなくなる。
そういう事態を防ぐために、会計簿、帳簿というのは発明された。
地に足をつけ、収支を把握し、支出をコントロールし、負債を大きくせず、経済破綻を防ぐための知識が会計学だ。
この会計学こそ、責任を持って生きる人間の基礎知識基礎教養である。
いやああ〜〜やっとわかったよ、会計学の重要性が!!
経営って、managementって、会計学なくして機能しない!!
個人から自営業者から企業経営者から、自治体の首長や為政者にいたるまで、会計の素養がなければ、現実を認識するということはできない。
家族から企業から国家にいたるまで、組織集団の衰亡は、会計がきちんとされていないということから生じてきた!
さしもの栄華を極めた北イタリアのフィレンツェのメジチ家は、家長に会計の素養がなくなり、無駄にエリート教育を受け、会計を怠り、会計を任せられる人材も確保できなかったので、一家衰退した。
北イタリアで生まれたルネサンスとは、メジチ家の資産によってバチカンから守られた自由思想家や芸術家による人間復興運動であった。
そのルネサンスは実質的には30年くらいで消えちゃった。
それも、パトロンのメジチ家が会計を怠ったので、資産がガタ減りして、自由思想家や芸術家をバチカンから擁護する余裕がなくなったからだ。
バチカンつーのは、覇道一神教勢力で、人民を支配して自分たちは寄生虫で生きる権利がある「神の代理人」だと思い込んでる狂人集団だからね、今でも。
そいつらを静かにさせておくのはカネしかなかったから。
では、次にルネサンスが生まれたのは、どこか?
オランダさ。ネーデルランドさ。
16世紀から17世紀のオランダこそ、会計学、複式簿記を学びマスターすることが教養となった場所であったから。
オランダにこそ、会計や簿記を教える学校が林立したのだから、世界史上初めて。
かくも、自由な思考と、繁栄と、平和には、カネの裏付けが必要である。
それも収支がきちんと把握された会計簿による裏打ちが必要である。
そうか!!
そうだったんだ!!
今の世界の混迷は、あらゆる組織や各国の収支記録会計簿がメチャクチャになってるからなんじゃないの?
そうか!
そうだったんだ!
資本主義がなぜ生まれたのか?
その理由としては、ゾンバルトの仮説もあるし、マックス・ヴェーバーの仮説もある。
ゾンバルト説もヴェーバー説も知らない?
じゃあ、以下の動画のゾンバルトとヴェーバーの説明のとこ視聴してください。
でも、ほんとうは、複式簿記の普及こそが、正直な会計簿の作成こそが、資本主義を生んだのだ!!
ただし、ちゃんとゾンバルトもヴェーバーも、かのシュンペーターさんも、複式簿記という会計簿こそが、資本主義の要であると言及しております。
が! そこにもっともっと注目したのが、『帳簿の世界史』の著者のジェイコブ・ソール氏であります。
私は、やっと納得できたぞ!!
というわけで、この話題は次も続きます。