[275] 脳内は硫黄島でいっぱい

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本日は2018年4月4日水曜日だ。

急に気温が上がり、夏が大嫌いな私は、うんざりしてる。

花粉症攻撃もすごい。

まあ、でも花粉症攻撃なんて、どうでもいいといえばどうでもいい。

日曜日の4月1日の午後の私はやっと映画『硫黄島からの手紙』と『父親たちの星条旗』を、amazonプライムでiPadで視聴した。

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日本軍の立場から描かれたLetters from Iwo Jima と、米軍の立場から描かれたFlags of Our Fathersだ。

映画としてはほぼ完璧だった。

類型的な描写がない。美談などにしていない。神話にしていない。クズはアメリカ兵にも日本兵にもいたというリアルな設定だった。

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あの映画のおかげで、硫黄島のことを知る若い日本人も増えた。

イーストウッド監督は、この名画を作ってくれたという偉業のために、2009年に日本から叙勲されている。

『硫黄島からの手紙』は日本人が作るべきだったのに。

でも、アメリカ人監督が作ってくれたことを、素直に感謝しよう。

あの映画が日本で封切りされた頃は、桃山学院大学勤務時代で忙しくて映画館に行けなかった。

2006年とか2007年の頃は白内障で右目が見えず、よく転んでいた。

週末はへばって寝込んでいた。

福山に移ってから、DVDを2本とも購入した。

しかし、怖くて辛くて観る気になれなかった。

そのまま封を切らないまま書籍共々、福山撤退の時に処分した。Value Booksに売った。

上映から12年経過。

やっと観ることができた。

私が毎日チェックしている某神道系霊能者さんの「伊勢白山道」という ブログによると、硫黄島は太平洋戦争の激戦地と比較しても、あまりに過酷な状況であったそうだ。

昭和天皇は死後に緑色の龍となり、太平洋戦争の激戦地を回り、遺骨も収集されずに浮かばれないままの日本兵の魂をいっぱい天に運ぶ仕事をしておられたそうだ。

ただ硫黄島は最後になったそうだ。硫黄島で戦死した方々の魂の傷があまりに深くて悲惨で、緑色の龍となった昭和天皇が天に運ぶのも躊躇なさったらしい。

昭和天皇の緑色の龍のお腹は膨れているそうだ。

兵士の魂をいっぱい運ぶから。

硫黄島は、今は航空自衛隊の基地になっている。

1945年の激戦終了後は、米軍が日本兵の遺体の上にガガガとアスファルトを敷いて滑走路にした。

その滑走路から米軍機の爆撃機がガンガン日本本土空襲に飛び立った。

日本兵の魂がどんだけ集団になって米軍に取り憑いても、爆撃機は容赦なく日本へ飛び立った。

やっぱ、生きてる人間の方が強いんだな、死んだ人間の怨霊よりも。

その空港基地を受け継いだ航空自衛隊の隊員は、旧日本兵の亡霊に悩まされたそーだ。

行軍している旧日本軍部隊を見るのは当たり前で、隊員が真夜中にフラフラ夢遊病のように宿舎を出て行った先の地面を掘ると、必ず旧日本兵の遺骨が見つかったそーだ。

そのような心霊現象も、今上天皇両陛下が1994年2月に慰霊祭にご出席して以来、ピタリと止まったそーだ。

でも、また最近、硫黄島での心霊現象が再開されたそーだ。

ほんとかしらん。

昭和天皇の緑色の龍が天に運び損ねた兵士の魂が、何かを訴えているのかな。

俺たちが戦ったのは、こんなアホな日本のためじゃないぞって。

すみません。

劣化してすみません。

私にもわからないんです。

なんで、こんなに品性下劣な人間が増えてきているのか。

そういう日本人は、最近になって日本人になったばかりの人々ですから、と自信を持って断言できない悔しさよ。

話を映画に戻す。『硫黄島からの手紙』と『父親たちの星条旗』の話に。

しかし、あれでは「アメリカのアカデミー賞」は取れない。

特に『父親たちの星条旗』は、辛辣だ。

民主党でもなく共和党でもないリバータリアンであるクリント・イーストウッド監督はアメリカ合衆国という国家にも幻想がない。

Iwo Jima Sagaは、静かにさりげなくアメリカ合衆国の神話を粉砕している。

『父親たちの星条旗』は、例の有名な擂鉢山のてっぺんに星条旗をたてた英雄とされる海兵隊兵士の回顧の形式で描かれていた。

あの有名な写真は2回目に掲げられた星条旗であり、最初に掲げた兵士たちは戦死していた。

戦場で味方の米軍に撃たれて死んだ兵士も少なくはなかった。

2回目に掲げた兵士たちも半分は戦死してしまった。

戦後にアメリカで「硫黄島の英雄」ともてはやされてアメリカ中を戦時国債セールスのために巡業(?)させられた3人は、直接には旗をあげる作業に従事していなかった。

政府も海軍はそんなことは承知で彼らを戦時国債セールスのために利用し使役した。

戦時国債セールスのパーティで、彼らにやたら名刺を渡した各地の名士たちは、戦争が終わったあとは、彼らからの電話にも居留守を使った。

ただし、幻想がないイーストウッド監督も、あの擂鉢山の星条旗が朝になると日の丸の旗に変えられていた事実は、映画に描かなかった。

日本軍は夜になると擂鉢山の星条旗を引き摺り下ろし、日の丸の旗を掲げた。

何日も旗取りごっこは続いた。

最後に掲げられた日の丸は、兵士の汚れた下着に兵士の血で歪に描かれた日の丸だった。

同じく、監督が描かなかった事実は、まだある。

硫黄島での激戦中に、神風特攻隊機が沖合に停泊していた空母のひとつに体当たりした。

駆逐艦を撃沈した特攻隊機もあった。

それを擂鉢山の陣地から見た日本兵は歓喜で湧き上がったそうだ。

このシーンは描かなかったね、イーストウッドさん。

ついでに、どういうわけか、神風特攻隊の一機がめでたく体当たりを成功させた時に、米軍空母の艦長と副艦長が抱き合って喜んだというのだ。

迫ってくる特攻隊機のコックピットに乗っているのが、自分の息子と変わらない10代くらいの少年で、その少年の偉業に敵ながら天晴れ!と思ったらしいのだ。

これはFacebook友だちの男性が少年時代に読んだ軍事雑誌に記載されていたそうだ。

????

でもまあ、敵味方超えて、そういうこともあったのかも。

What a beautiful job!

ってやつ?

そんなシーンも映画に入ってたら、おもろかった。

未来の学校では、生徒たちがタイムマシーンに乗って、歴史の現場を見学できるのであろうか。

硫黄島の激戦の真実の様相を。

戦争恐怖症になること確実だぞ。ちぎれる腸を見せてやれ。

一番確かな平和教育になるかも。

イジメをする馬鹿生徒は戦場に置いておこう。

そもそも米軍の参謀部は硫黄島攻撃は5日間もあれば完遂だと思っていたらしい。

1944年の秋から毎日毎日、米軍は硫黄島を空爆した。朝昼晩。

もう焼き尽くされ破壊尽くされ何も残っていない硫黄島。

残る硫黄島守備隊の日本兵は2万ちょっと。

米軍は6万名ほど上陸。

ところが、激戦は1945年2月19日から1ヶ月以上続いた。

3月17日は、司令官栗原忠道(1891-1945)が、大本営に「これから総攻撃をする」と伝えた日であった。

その日以後も何千人かの日本兵は残っていたので、彼らは戦い続けた。

玉砕は栗原司令官が厳しく禁じた。

最後まで徹底抗戦が命令であった。

玉砕なんて頭の悪い指揮官のやることだ。いい加減にしてくれ。

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https://ja.m.wikipedia.org/wiki/%E6%A0%97%E6%9E%97%E5%BF%A0%E9%81%93

あの時、栗原中将は45歳。

栗原司令官は軍服から位階を表すものは全部剥ぎ取って一兵士として突撃したそーだ。

彼の遺体は見つかっていない。

映画『硫黄島からの手紙』は、そこも描いている。

硫黄島は小笠原諸島にある。

そこを米軍に取られたら、米軍にとって本土空襲は非常に容易になる。

1日でも長く硫黄島を守れば、本土の日本人の暮らしが1日分守られる。

馬鹿無能の多かったらしき旧日本軍の司令官のなかでも、栗原忠道の作戦はアメリカ側からも讃えられているという。

火山島で水も食料も弾薬もなく、兵站全くない状態で、島中の地下に張り巡らした壕や洞窟温度は摂氏60度。

摂氏60度……

エアコンない。冷蔵庫ない。水は雨水。食料はミミズ。

米軍は交代要員入れたら13万名の兵士を投入して、戦死者2万5000名ほど。

これは、ノルマンディ上陸作戦の米軍戦死者の数を上回っているそうだ。どこの激戦地の米軍戦死者の数も上回っているそうだ。

海兵隊の兵士はほとんど20歳前。

彼らがアメリカ帰還して鉄道で輸送されていくときに、止まる駅で歓迎の一隊が待っていたが、脚や腕を失くした兵士たちの姿を直視できず、待っていた人々は散りじりに去って行ってしまったそうだ。

アメリカ人でも直視できなかったんだな。

お花畑は、どこにでもいるよ。

硫黄島での日本軍の戦いぶりに、米軍は本土決戦なんてやっとれんと思った。

20キロ四方の硫黄島占領で、こんなに戦死者が出る。

原子爆弾投下で早く戦争を終わらせようかとアメリカ政府が決断したのは、無理もなかったらしい。

GHQの日本占領政策も、硫黄島での日本軍の徹底抗戦のために、変えられたという説もある。

日本人はクレイジーだ。あんまりきついことやると抵抗が酷くなる……やり方を変えねばいけない。

その政策は、今のところ大成功したようだ。

すっかり、日本人は頭も悪く、気も小さく、想像力も乏しくなった。

歴史にも無知になり、外国からの反日プロパガンダに容易に騙される連中が、学校で歴史を教えているよ。

堕ちるとこまで堕ちないとダメなのかな。

ところで、硫黄島で捕虜となって生還した元日本兵の方のインタヴュー映像があるので、ちょっとご覧ください。

捕虜になったのは17歳のとき。

いろいろあり、ご苦労なさった。

4月1日に、あの映画2本を見てから、ずっと硫黄島激戦関連の記事や映像ばかり漁っている。

知っているつもりで知らないことばかりだ。

脳内は、硫黄島の映像でいっぱいだ。

65歳になっても、自分が自国の歴史についてすら何も知らないことを、あらためて知った。

道は遠い。

学ぶことばかりだ。

英霊の方々に合掌と感謝を捧げよう、(名古屋からは)東南に向かって。

冷たいお水も捧げよう。

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