[377] 2019年5月7日小林旭さん名古屋コンサート見聞録 (2)

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本日は2019年5月9日木曜日だ。

亡き父の誕生日だなあ。

生きていれば93歳かあ。

亡き父は「まあ65歳ぐらいで死ねればいいや」と言って、65歳で亡くなった。

ところで、今日は小林旭さんコンサートのトーク内容の横流しです。

旭さんのお話はおもろいですよん。

今回のコンサートのトークで初めて聴いた話ばかりを、ここで横流しします。

今まで対談集とか、聞き語りの自伝のようなものの中でも触れていない話ばかりでした。

関係者が亡くなったからこそ、話せることがありますね。

全部は横流ししませんよ〜〜

以下ゴシック体は旭さんのお話。そうでないところは私のコメントです。

(横流しはじめ)

(1) 日活に入社したのは1955年昭和30年17歳の時。大部屋俳優の給与は月給7000円に日給200円X30で6000円で計13,000円で、当時の一流大卒初任給の額と同じ。大部屋で叩き込まれたのは、挨拶と年長者を立てること。これができないと、いつまでたってもいびられる。牢名主みたいな大部屋俳優の主がいて絶対服従。

Wikipedia によると、旭さんは子役から日活に入社したことになってる。子役からってことは、最初から芸能界に入る気だったみたいですね。

当時の日活の大部屋俳優は300人ほどで、どうも「エキストラ」は、この大部屋俳優さんがやっていたらしい。日雇い時間給のエキストラにシフトしたのは、映画産業が斜陽になり、制作費削減するようになってからのようだ。

(2) 僕が最初に台詞のある役につけたのは、「川島雄三」監督の『飢える魂』で、轟夕起子さんの息子の役。

川島雄三監督は小児麻痺だか脳性麻痺だかの後遺症か何かで、言葉や動作が不自由だった。その監督が、おおぜい大部屋俳優がいる中にいた僕をしきりに指差していた。監督のそばにいた助監督の「今村昌平」さんが僕のところに飛んできて、僕に役をくれると言ってくれた。日活入社後数か月しかたっていなかった。映画が上映されたのは1956年のことだった。

これは旭さんの勘違い。川島雄三監督は松竹映画に入社して監督に昇進したあたりから、筋萎縮性側索硬化症にかかり、言語障害、動作障害になった。小児麻痺の後遺症じゃない。小児麻痺や脳性麻痺の人が松竹に採用されるはずがない。1954年に日活に移籍した原因が病気だったのかはわからない。

川島雄三監督が、日活時代に監督した傑作が『幕末太陽傳』だった。

(3)役がついた僕に対する大部屋古参俳優たちからのイジメはすごかった。300人の大部屋俳優たちの年長ともなると映画界に20年以上いたような人々。何年いても、台詞のない、スクリーンに名前が出ない人々も多かった。当時の日活の大部屋俳優は300人は、ほんとに大きな部屋が待機場所。20脚のパイプ椅子がずらりと一列に並んでいた。そこは年長者の座るところ。

ぽっと出の新人の僕に早々と役がついたので、大部屋に行くと、脚を引っ掛けられたり転ばされたりした。我慢するしかなかった。かなり辛かった。すぐに主役級になれたので、大部屋から出ることができたのは嬉しかった。

短い間とはいえ、大部屋にいたので、大部屋俳優さんたちの気持ちはよくわかっていた。

旭さんは大部屋俳優から一応は叩き上げた。石原裕次郎みたいに石原慎太郎の弟ということで、スカウトされて、最初から特別扱いではなかった。石原裕次郎は1934年生まれで、旭さんより4つ年上で、同じく1956年にスクリーンデビュー。

日活全盛期のころは、石原裕次郎より小林旭さんの方がよく働きよく稼いでいた。大部屋俳優さんたちの受けも良かった。でも、会社が払う報酬は、小林旭さんの方が低かった。

ここらあたりの日活という映画会社の前近代性というか、属人的に何事も決めるいい加減さが垣間見える。

(4)「渡り鳥」シリーズ1本が稼いだのは昭和30年代で150億円で、「渡り鳥シリーズ」全体9本で稼いだカネも含めて、会社が映画で得た利益はどこに行ったのか?

石原裕次郎にシリーズものはないけれど、旭さんには「渡り鳥」シリーズ9本ある。「銀座旋風児」シリーズもある。スタントなしでアクションをこなすなど、随分と日活に旭さんは稼がせた。

旭さんのアクション映画は東南アジアにも輸出され、香港映画のフィルムノワールは旭さんの映画のパクリ。チョウユンファ(1954-)は旭さんの演技を真似て人気を得た。

私も最初に香港映画のBetter Tomorrow『英雄本色』(邦題は『男たちの挽歌』)を見た時に、「あれ!小林旭さんだ!」と思ったもんね。

それぐらいに似てた。

ともかく、日活は随分稼いだはず。

でも日活は1960年代末期には経営悪化してしまった。

1970年代は日活ロマンポルノの成人映画製作会社になって生き残りはしたが、会社は今でもかろうじて残ってはいるが、映画製作会社としては終わって久しい。

斜陽産業の映画会社とはいえ、東映や東宝や松竹は生き残ったのに。

大映にしろ日活にしろ、映画会社としては生き残れなかったのは、経営陣の放漫経営のためだった。

旭さんは、そこまでは言わないけれども、日活がダメになったのは、ひとえに会社の幹部たちの怠慢であり、かつ会計が無茶苦茶だったから。

財務諸表の公開もなかったんだろうなあ、日活って。

旭さんは、自分が貢献した日活という会社を食い物にした経営陣に対して今でも怒ってるようだ。

(4) 日活実質倒産後、困ったのは大部屋俳優たちだった。行き場がなく、職もなく、しばらく常時20人くらいの大部屋俳優が入れ替わり立ち代り旭さんの自宅で寝泊まりしていた。

僕は東映に移籍したりして京都でロケして東京に帰ると、僕の家の門のところで知った顔の大部屋俳優さんがいた。「どうしたの?」って言うと、「お手伝いさんが入れてくれないんだ」って言う。

それ以降は、大部屋俳優さんたちが来たら食事なり寝床なり世話するようにお手伝いさんにも言っておいたら、いつのまにか僕の自宅は、仲間内からスターダストホテル「星屑ホテル」と呼ばれるようになった。スターになれなかったスターダストの泊まるところ。

みんな寂しそうだった。会社さえあれば、役がつかなくても、居場所があり、かろうじて食べてはいけたのに。ピアノが弾ける元大部屋俳優がいて、ピアノ弾いてくれるんだけど、余計にみんな寂しくなっちゃって。

旭さんの世田谷の自宅に、日活実質倒産当時に何人も食客がいたことを初めて旭さんがコンサートで話した。

大部屋俳優さんたちは、旭さんが大部屋俳優からスターになったということで親近感を持っていたんだなあ。旭さんは大部屋俳優たちの星であり希望だったんだなあ。だからこそ、行く所がなくなったら、旭さんを頼った。

旭さんの男気を知ってたんだなあ。

彼らや彼女たちが、石原裕次郎の家に行くってことはないのだよ。

旭さんって、わりと損ばかり引き受けてる。

その「損の貯金」があるからこそ、80歳でも2時間を歌い話すことができるんですが。

ずるっこして好き勝手してた奴はみんな死んでる。もしくは呆けてる。

(5) 僕が映画界に入ったころは、すごい才能の俳優さんが映画界にひしめき合っていた頃。森繁久弥さんに西村晃さんに三船敏郎さんに三國連太郎さんに勝新太郎さんに中村錦之助さんに……

銀座なんか歩いていると、「おいー小林!付き合え!」と誰かが声をかけてくる。誰かと思ったら、勝新太郎さん。「はい!」と、いつでも僕はついて行った。そばで話が聴けるだけで嬉しかった。

あの頃の素晴らしい俳優さんたちが亡くなってしまって、寂しい。いい時代に素晴らしい役者を見ることができて、僕は幸せだったと思う。

それにひきかえ今の映画もドラマもくだらないし、俳優もチンピラばかりとは旭さんは言わなかったけれども、現状に不満を持ち寂しいと思っていることは明らかな感じ。

旭さんは体育会系だから、現代のサブカルチャーの漫画とかも知らないだろうし、パソコンやタブレットやスマホを操作しているとも思えないので、21世紀の日本のサブカルチャーがそれなりの洗練に達していることは、わかっていないらしい。

旭さんの年齢の80歳ってのは、デジタルデバイドdigital divideのギリギリだ。パソコンを使わない人は、1940年生まれ前後でドッと増えている。

1940年代生まれの日本人はインターネット使ってるけれども、1940年より前の人になると、インターネット使ってない人が多くなる。

旭さんもなあ、自分でSNSやるとかブログ書くとかして、Amazon prime video で最近のアニメとか映画とかチェックすると、いいんだけどなあ。

そばに教えてくれる人がいるといいんだけどなあ。

今、現代に起きていることに関心を持たないと懐古的になってしまって、感性が古くなる。どんなに素晴らしくても、過去は過去だ。

でも、スターだった小林旭さんにとっては、過去があまりに光り輝いているので、今に目が向かないのかな。

まあ、確かに昔の俳優さんは破天荒だったし、破天荒さが許されていたからね〜〜

今は、ほんとに小市民化してて、芸能人にも学校の先生みたいな暮らしを要求する。

実は学校の先生の方が、盗撮とか性的虐待とか、影でやってることがすごいようですが。

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(6) 美空ひばりと、あそこのママってのは、すごい酒豪で、毎晩夕食の時にふたりでウイスキーのダルマ10本を飲んじゃうんだ。毎晩。僕は付き合いきれなくて、途中で寝てしまう。

朝になると居間のカーペットのところに大きなシミができてる。オーストラリアの形みたいな大きな黒い地図ができてる。飲んでるうちにママが失禁しちゃって、そのまま寝床に入っちゃうんだね。今でも、なんで、あんなにふたりとも飲んでいたのか、わからない。

ただ、芸能界ってのは、自分の意志でできることがなくて、常に第三者によって決められてしまう。僕も辛かったが、ひばりとママも辛いことは多かったと思う。

ということは、旭さんは、美空ひばり母娘と同居の結婚してたんだなあ。

旭さんは本質的に非常に温厚な人なんで、それができたんだろうなあ。

旭さんは、山口組組長の田岡一雄氏に命じられて、美空ひばりさんと結婚した。離婚も、田岡さんに命じられて離婚してる。

副島隆彦氏によると美空ひばりさんは田岡さんの愛人だったそーだ。離婚させたのは、美空ひばりに執着してたからだそーだ。

某霊能者(深見東州さん)によると、美空ひばりさんは中村錦之助さんと結婚したくてもできずに、やけのやんぱちで旭さんと結婚したそーだ。

どっちでもいいけど、旭さんと美空ひばりの結婚というのは、子ども心にも、私から見ておままごと風にリアルじゃない印象があった。

ほんとに好きとかの恋愛結婚じゃない感じだった。

なんかお芝居じみていた。

美空ひばりのママの命令で、戸籍結婚していない事実婚だったのも、ふたりともほんとはピンときていなかったから抵抗も感じなかったんだろうなあ。

このあたりの、こだわりのなさというか主体性のなさというか、闘争や葛藤は回避する傾向とか、自己主張の無さとか、押しの弱さは、いかにも血液型ABだわ、旭さん。

その比較的受け身の旭さんでさえ、芸能界の「第三者が決める」システムには、とことん翻弄され傷ついたらしい。

芸能界って、今でも「越後獅子」なんだろうなあ、本質は。

(7)最近も、たまにテレビに出るんだけれども、最近の人はほんとうに挨拶しない。あ、テレビで見たことあるなあ、挨拶して話したいなあ!と思っても、無視される。僕が若い頃は、挨拶しない人間では芸能界にいることができなかった。ジャニーズでまともに挨拶できたのは近藤マッチまでの世代。それ以降はダメ。特にキムタクは敵意剥き出しで最低だった。

キムタクって、まあ本質的にはヤンキーだしなあ。

すぐにマウンティングするタイプだろうなあ。

私が登録して読んでる芸能ジャーナリストさんのamebloブログってのがありまして、キムタクと「綾瀬はるか」さんの武術の先生が同一人物なのに、キムタクは絶対にそれを言わず隠してるんだそーだ。

数年前にキムタクと「綾瀬はるか」さんが共演する話があったけれども、これはキムタク夫人が猛烈に反対して企画が流れたそうだ。

ということで、スキャンダル・ヴァージンの「綾瀬はるか」さんにスキャンダルが起きるとしたら、キムタクとの不倫騒動だろうと、その芸能ジャーナリストさんは予告している。

キムタクやめろ。

あんたは挨拶のできないマウンティング好きのヤンキーだ。

国宝の「綾瀬はるか」さんを何とかできると思うな。

おニャン子クラブで丁度いいわ、マウンティング好きなヤンキーは。

(横流しおわり)

5月7日の名古屋コンサートは、はっきり言って、旭さんは本調子ではなかった。

旭さんの話が懐古的になるときは、体調が今ひとつの時なんですよ。

まあ、80歳だもの。いろいろご覧になってきたことと拝察いたします。

私なんか、もっともっとぶちまければいいと思うのであります。

関係者が亡くなっている今こそ、小林旭さんだから話せることを、もっともっと、ぶちまければいいと思う。

歌なしの「ぶちまけトーク」公演もいいと思うんよ。

ならば、体力的にも大丈夫でしょう。

「小林旭トークショー」よ。

それを、どこかの出版社の編集者さんが本にしてくださったら、いいのにね〜〜

7件のコメント

  1. 藤森様
    こんばんは!
    実は全回コメントにて、田岡三代目〜美空ひばりの事を書こうと思っていて途中でやめました。別段たいした意味は無く、現在も存在している山口組の事を書いてもな〜と…
    以前お話しさせて頂きましたが、芸能界というところは本当に最悪でした。
    あくまでも、私にとってはですが。
    小林旭氏が未だ現役だと云う事だけで私は非常に嬉しく思います。
    あれ程、男惚れ出来る俳優・歌手はおりません。
    貴重な記事をありがとうございました。

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  2. 生きる塾さま:

    コメントありがとうございます。お読みくださり嬉しいです。美空ひばりさんが田岡さんの愛人だったというのは事実なんでしょうかねえ……旭さんも、芸能界は最低みたいなこと匂わせておられましたよ。いろいろあったのでしょうね。そのことについても、旭さんは、ほとほと疲れておられるのかもしれませんね〜〜

    旭さんは、狡猾さのないいい人だと思いますよ〜〜私は石原裕次郎も石原軍団ってのも大嫌いで、加山雄三も嫌いなんです。綺麗事ばっかり言いやがってって感じです。はい。

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  3. 藤森様
    夜分遅くにすみません!
    ワオ〜!っと、私と全く同じです。
    なお、私のかみさんも同様で、石原、加山はクソ喰らえです〜笑笑
    田岡親分と美空ひばりの事は事実だと思います。
    生前の勝さんにお聞きした事があります。
    安藤昇さんにも聞きました!
    まー!
    小林旭氏の頃はまだ仕込み途中で、現在は完璧に洗脳装置となってしまった業界です。
    これに一番貢献したのが電通、博報堂等ですねー
    電通はKCIAが風前のともし火ですから、最近は少し変わって来ているようですが…
    とにかく、小林旭氏は偉大です。

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  4. 生きる塾さま:

    あれ!!事実でしたか!!生前の勝さんや安藤昇さんにも聞いたんですか!? すごいですね〜〜!!なんと!!

    電通に博報堂かあ……いやですねえ…ああいう組織は。

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  5. kayokoさんと生きる塾さんの会話、とっても興味深く拝読いたしました。ネットが普及してきて私達でもちょっとはおかしいのでは?と思うようにはなってきましたが、もし、ネットがなければ今だに洗脳されていたのではないか?と思います。

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    1. tabisurueiyoushi さま:

      コメントありがとうございます。確かにインターネットのおかげで、メディアが無視し、出版もされない事柄が、いろいろ流通するようになりました。

      玉石混合ではありますが、どこかに事実はありますよね。21世紀は暴露される時代のようです〜〜

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