#632 6/23/2023 三島由紀夫から山本周五郎へ漂流

kayokofujimori のアバター投稿者:

本日は2023年6月23日金曜日です。

ついついBlogの更新が滞ります。まあ、私のBlogなど更新されなくても誰も困らないのでいいのでありますが、日記がわりに、忘備録がわりにBlogを更新しないと、私自身が困るのであります。

私は極度に忘れっぽいのです。

過去が闇になるんであります。

6月に入ってから何してたかな。思い出そう。

三島由紀夫(1925-1970)に関して小室直樹(1932-2010)氏が2002年に書いたものが、2022年になって再出版され、新書版が2023年になって出たので読んだな。

しかし、読後に疑問いっぱい残った。

これは、天皇なるものや仏教について知識が深くないと、理解できないじゃないの。私は、どちらにも無知だ。

だから、これ以上は書けないです。天皇と仏教について勉強してから、書きます。三島さんは、生きていらしたら98歳かあ。

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次には、高倉健(1931-2014)さんの養女さんの小田貴月(1964-)さんが書いた健さんの伝記を読んだ。2019年出版です。

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私は、別に健さんのファンじゃないです。たまたま、健さんの養女さんの小田貴月さんが出演した『徹子の部屋』をTVerで見たので、つい読んでしまった。

小田貴月さんはいかにも才色兼備です。ちょっと意外でした。健さんの好みってのは、江利チエミさんとか石野真子さんだったから。

なんでお前は知ってるんだと言われても、困るけどさ。江利チエミさんとか石野真子さんとか、ああいう無邪気な能天気そうな甘い顔立ちの目のクリクリした女の子が好きなのよ、健さんは。いかにも賢い感じの女性じゃないの。

以下はAmazonに書いたレヴューです。

(転載はじめ)

ついKindleで読み始めてしまった。単に健さんの素晴らしい伝記であるだけではなく、健さんが関わった映画監督や映画の現場を伝えて有益です。健さんが好きだった映画の紹介もあります。

今の日本映画からは感じられない熱気や映画愛や可能性を、健さんはアメリカ映画や中国映画に出演することで知り、口には出さないままに、悔しい思いもしておられたのではないかな。そうかあ、健さんはチャン・イーモウ監督のHeroへの出演を打診されていたのか。となると役は、あの始皇帝だったかな?

健さんの最後の17年間のパートナーの小田貴月さんが、健さんに用意して差し上げた食事のメニューに感心。お料理が上手なんですよ〜貴月さんは。健さん好き嫌いあるし、魚はお寿司以外いやがるし。お肉大好き。パンケーキにかけるメイプルシロップはピッチャーに入れていないと嫌がるし。繊細でこだわりが強い。

いつもいつも体調管理と体型管理に努力していた健さんは、トレイニングを欠かさず、身長180センチで体重70キロをキープ。男前俳優さんはデブれない。滑舌を良くしておくために舌の運動に英語の早口言葉に音読を毎日。

まあ、いろいろ違和感のある点も多々ありますが、まあ、いいじゃないですか。健さんの最後の日々のお世話をしてくださった方がいて。後妻業でも遺産狙いでもいいよ。

(転載おわり)

読んでみて、ちょっと疑問に思ったことがあったので、次は健さんの高校の後輩である森功さんというジャーナリストの書いた健さんの評伝を読んだ。2017年出版です。これは、今はタイトルをちょっと変えて文庫本になっています。

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で、なるほどなあと思った。

以下は、Amazonに書いたレヴューです。

(転載はじめ)

健さんの養女(最後の女性?)さんの書いた健さんの伝記を読んでいて、ちょっと何点か疑問に思ったので、別の著者の評伝を読んでみた。戦後から昭和という時代の影の部分を丹念な取材で書くジャーナリストの森功(もりいさお)氏の著書。

2017年当時には単行本として出版され、その後タイトルを変えて文庫本として出版されたもの。

この本は、健さんのことを書いているように見えて、戦後の日本を動かした人々のネットワークについて書いている。

健さんは一匹狼の役が多かったけれども、生身の健さんは、非常に人間関係を大事にした人物。

社会で生きて行くということは、気を遣い過ぎるぐらいに気を遣い、誰が決定権を持っているかを見極めなければならない。

その感覚が健さんにはあった。力のある男に好かれないと、男だって頭角は表せない。女なら尚更だ。才能だけで世に出ることはできないです。運とコネ。これ事実。

健さんは、メディアに報道され晒されることのないインフルエンサーたちの人間関係の中にいたからこそ、東映から独立後も俳優として活躍できたし、スキャンダルを晒されもせず、自分の俳優イメージを守ることができた。

その意味で、この本は、健さんを文化勲章が授与されるような国民的俳優にしたネットワーク(ヤクザの親分からフィクサーから総会屋から政商から……)について書いたものだ。

ただし、それは読んでもわからない人にはわからない書き方だ。

この観点から見れば、ジャニーズ事務所のタレントたちが沈黙を守ることも納得できる。口が軽いと信用されない。今後の仕事のチャンスがない。

真実や事実を当事者たちは話さない。でなければネットワークの中にいることはできない。健さんは、そういうことは、いっさい最後の女性であった養女さんにも話していない(と思う)。いや、知っていて、そういうことは書かなかったのかな、謎の養女さんは?

(転載おわり)

次に読んだのが、三船敏郎(1920-1997)さんの評伝。著者は松田美智子さん。かの若くして亡くなった松田優作さんの最初の奥様。

松田美智子さんは、夫であった松田優作さんの評伝も書いておられて、それも読んだのですが、私自身が松田優作さんに興味がないので、読んだけれども、ここで紹介するのはやめます。すみません。

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あと、同じく松田美智子さんの実際に起きた事件を取材しての力作も読みました。これは500ページを越す力作です。すごい取材力です。長いですが、一気に読ませる文章力です。

なんで、こんな才能ある女性が松田優作の奥さんだったの?不思議。

この事件は、TVでも何度も特集が組まれたそうです。同僚のホステスさんを殺害し、顔を整形し、男性たちを利用し、16年も逃亡した末に、時効間近で逮捕された女性の話です。

だれども、私自身は、この事件に記憶がない。なんでだろ?1980年から1996年くらいまでTVを観ていなかったので、知らないのかもしれない。

読了しても、なあんか、この種の女性の気持ちが私には理解できないというか、なんで、こんなにややこしい生き方してるんだろ?と思うだけなので、この本の紹介もやめておきます。すみません。

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なんで三船敏郎さんの評伝を読んだかと言えば、健さんは文化勲章をもらってるけど、健さんなど足元にも及ばないほどの俳優であった三船さんは、なんで文化勲章もらってないのかな?と思ったから。

ちょうど、Facebook友だちの方が、光文社の編集者であった方で、この方が、松田美智子さんの三船さんの評伝が良かったと投稿してらしたので。

このFacebook友だちの方は、ご自身もご著書を出版なさっておられます。ご自身のリストラ体験と、その後の変転をお書きになっておられます。いや、身につまされました。

私だって、あと20歳若かったら、大学からリストラされたであろう立場なので。私立大学240校が閉鎖されるらしいじゃないですが、長くとも40年以内には。

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で、三船敏郎さんの評伝はすっごく面白かったです!評伝って大変ですね。取材も必要だし、しかし、どこまでいっても、他人の人生なので本当の本当のところはわからない。

以下はAmazonに書いたレヴューです。

(転載はじめ)

つい最近まで、高倉健さんが文化勲章を授与されたってことは知らなかった。ところが三船敏郎さんは文化勲章を授与されていない。意外。

三船敏郎さんは、文化勲章を5つも6つも7つも授与されておかしくない空前絶後の俳優だったのに。後にも先にもいない世界的俳優だったのに。三船さんは、意外なほど、海外の映画に出演なさっています。

この人が主演したから、戦後の日本映画は世界に通用するものになった。黒澤明監督だけでは、それは不可能だった。

三船敏郎さんは、制作芸能プロダクションの経営者でもあったが、芸能人やスポーツ界や政界をまたぐゲイネットワークにも入ってなかったし、政商や暴力団やフィクサーとのパイプもなかった。だから、スキャンダル報道の餌食にもなったし、裏から文化勲章に推薦してくれる人もいなかったんだなあ。

どんな汚い格好でも風格と品格があり、男らしく孤軍奮闘し、苦しみ喘ぎつつ非凡な人生を創り上げた三船敏郎さんに敬礼。

著者の松田美智子氏の筆致には、三船敏郎さんへの真の敬意が溢れています。取材も丹念です。三船敏郎さんのファンとしては、書いてくださってありがとうという感謝の気持ちでいっぱいです。

三船敏郎さんが生きた時代は、映画というソフトパワーの力を理解できる政治家も官公庁のトップもいなかったし。芸術文化後進国だったからね、日本は。三船敏郎を評価し損なってきたんですね。

まあ、状況は今も同じかも。

(転載おわり)

まあ、晩年の三船さんは、いろいろほんとに大変だったらしい。離婚裁判スキャンダルがあったし、愛人さんは宗教カルトのガッカリ会会員だったし。魔がさしたんでしょうねえ。

三船さんの会社がガッカリ会に乗っ取られそうであったし、三船さんもガッカリ会の会合に引きずり回された。それに嫌気がさした社員がゴソッと所属俳優を連れて退社した騒ぎもあった。

あのいかにも愛人さん風な顔した愛人さんは、三船さんに認知症症状が出たときに、サッサとカネ目のものを取るだけ取って、逃げた。いかにも愛人さんがしそうなことだ。下品ですね〜〜♪

晩年の認知症の三船さんのお世話をしたのは、離婚騒ぎで対立していた奥様と、ご長男ファミリー。

すでに、その時は奥さんのことがわからず、「介護のおばさん」と思っていたらしい。その「介護のおばさん」が膵臓癌で亡くなったあとは、ちょっと寂しそうだったらしい。

ところで、愛人さんとの間に生まれた、あの、やたら口だけ大きい女性タレントは、ほんとに三船さんのお嬢さんですかね?三船さんの遺伝子を伝えていたら、もうちょっと品のいい端正な美人になりそうですが。

この評伝を読んで、私は矢も盾もたまらず、三船さんと黒澤明(1910-1998)監督がタッグを組んだ作品を、あらためて観たくなり、Amazon prime videoでレンタルして観まくりました。

まず、私の大好きな『用心棒』。もう最高。三船さん、40歳くらいで撮影。

次に、その続編『椿三十郎』。これは流れ者の派遣労働者が地方の大企業を立て直すみたいな話で、リアリティはないけど。

三船敏郎さん、42歳くらいで撮影。

次に、言わずとしれた最高傑作『七人の侍』。3時間以上の長さ。ちゃんと休憩あり。三船敏郎さん、35歳くらいで撮影。

そして『赤ひげ』。これも3時間以上の長さ。これも休憩あり。三船敏郎さん、47歳くらいで撮影。

いやあ、計4本観て、つくづく私は思いました。

数回は観ているはずの作品なのに、あらためて気がつくことの多いこと、多いこと、多いこと、多いこと。

いったい私は、今まで映画の何を見ていたのか?

シーンのひとつひとつが、実に丁寧に作り込んであるので、ボケッと見ていられないのです。

これだけの充填された映画を創るのに、どれだけの製作陣の努力があったのか、なんて聞いたふうなことは言いません。

ただただ、すごいなああ!と圧倒されるのでありました。

すごい映画は、見た後に元気が出てきます。映画に注ぎ込まれた大量の質の良いエネルギーのいくらかは、何十年経っても、観る者の細胞を活性化させるのです。

うーん、黒澤明監督と三船敏郎タッグの映画のDVDを全部揃えようかな。

でも、版権持ってる東宝が、きちんと管理してないから、画面に雨は降ってるわ、声が聴きにくいわ、ちゃんと今の技術を使って、きちんと綺麗にしたら?

この点は、三船敏郎さんの素晴らしい評伝を書いた松田美智子さんも嘆いておられます。

東宝という映画会社ですら、自社作品を大事にしていない。文化や芸術を大事にしていない。民度低いぞ。文化IQ低いぞ。

日本って貧乏。

で、『赤ひげ』ですが。

江戸の元禄を過ぎて、幕末にはまだまだ間のある江戸時代の話ですが、そこで描かれる人々の問題が、まるで現代と同じなのです。

ものすっごく生々しく現代です。

たとえば、真面目な職人の夫との生活に満たされない女房は、夫の弟子17歳と性交して、幼い娘連れて家出して、その年下の男と同棲し、その男を食わせる。

17歳で年上の女に食わせてもらうことに慣れた男は、地道に働けない。女にたかるだけ。次第に女は、このままでは男を繋ぎ止めることができないと思い、自分の娘と男を夫婦にさせる。男の方は若い娘をあてがわれたので、しばらくはおとなしくしてる。

しかし、娘と男の間に子どもができても、男は働こうとせず、ふらふらしてる。その男に、娘の母親はせっせと身を売ってでも貢ぐ。母親は娘に嫉妬して、辛くあたる。

女房と弟子に裏切られ、娘も奪われた男は、困窮している娘に自分の元に帰ってこいと言うが、事情を知った娘の方は父から母を奪った男との間にできた子ども4人も連れて、父の元に帰ることは、あまりに厚かましいと思う。

ついに娘は、自分や子どもたちに暴力を振るうクズ夫の腕を刺す。

父親の方は、苦しみ抜いて小石川養生所で孤独に何も言わずに死んでいく。

こんなような事件って、今でもどこかで起きていそうじゃないですか。再婚相手の男との生活を守るために、その男が自分の娘に性的虐待をしても、見て見ぬふりする母親って、いるでしょう。

このような最低なクズたちの悲劇の結果が映画には描かれている。

私は、実はこんなに過激な話だったのかと驚いた。前にも観ていたはずなのに、忘れていたのか、私が馬鹿過ぎてボケッとしていたのか。

で、この映画の原作となった山本周五郎(1908-1967)の『赤ひげ診療譚』を読んでみた。

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映画は、かなり原作に依拠していますが、大衆娯楽作品としての映画には荷が重いのか、政治批判などはかなり省かれています。人間を不幸にする無知と貧困を産む社会的不公正への怒りは、幾分抑えられています。

以下はAmazonに書いたレヴューです。

(転載はじめ)

黒澤明監督、三船敏郎主演の『赤ひげ』を動画配信であらためて視聴して、素晴らしいと思った。こんなすごい映画があったのかと、あらためて思った。若い頃に見たことがあったが、その頃には何もわかっていなかったのだ。

で、原作の本書を読んでみた。映画以上に素晴らしかった。主旋律は、保本登という若い医師が、小石川養生所の赤ひげと呼ばれる老医師(といっても当時のことで実際は40代半ば)に反発しつつ、その人格と生き方、医療に対する考え方に感化され、自らも名誉栄達に関係のない医師として苦難の人生を選ぶに至るプロセスだ。

そこに、さまざまな患者の問題が絡んで、転調して行く。本書は江戸の市井を描く歴史小説であると同時に、患者たちが抱える病気や問題の謎が明らかにされるという推理小説短編集でもある。

非常に興味深いのが、この小説に描かれる問題が現代のそれらと同じであることだ。精神疾患に、性的虐待に、子ども虐待に、不倫問題に、貧困のために精神が崩壊していく人々に、自らの不幸を孤独に背負い死んでいく老人たちに、男に翻弄されることを拒否する意志的なシングルマザーに、政治の無策に、支配層の飽食過食と貧困層の飢えなど、まさに現代社会の諸問題が描かれている。

これは江戸時代も現代も人間のやることは同じという意味ではなく、作者の山本周五郎による歴史小説という形式を活用した現代社会批判なのだ。

やっぱり、山本周五郎ってすごいですねえ!!

(転載おわり)

なんか、人間の世の中って、今も昔もろくでもないですね。これ、無知と貧困だけが産むものでしょうかね?

と、ここで、中学生の頃にずいぶん読んだ(はずだった)山本周五郎さんの小説を、また読み返すにも、山本さんは、あまりに多作。

なにしろ、戦時中は空襲に備えて、すぐ防空壕に避難できるように、鉄兜(ヘルメット?)かぶって、玄関で原稿を書いていた人だ。

家族(奥さんと子ども4人)を食わせる職業作家として、毎日毎日書き続けた人だ。学歴は義務教育の小学校卒だったので、ひたすら独学のすえに、流行作家となった人だ。

山本周五郎というのはペンネームであり、小学校卒業後に丁稚奉公した商店「山本周五郎商店」から採ったものだ。

で、私は、今の私たちが生きている時代は、あと10年ぐらいは戦時中みたいなものだろうから、『山本周五郎 戦中日記』を読んでみた。単行本は2011年に出て、文庫版は2014年に出た。

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竹添敦子さんという三重短期大学の教授の方が苦心して、遺族の許可を得て、手書き(あたりまえだけど)の日記から解読し、昭和16年1941年12月8日から昭和20年1945年2月4日までの部分を全文収録したものが、『山本周五郎 戦中日記』だ。

つまり、真珠湾攻撃の日からの日記だ。

なぜ、敗戦の年は2月4日までか?

その後すぐに、奥さんの膵臓癌が判明し、5月に奥さんは乳飲み子を含んだ4人の子を残し亡くなった。

その間には、3月の東京大空襲があり、横浜も火の海となった。

これでは、日記など書いていられる状況ではなかったろう。あまりに心が哀しみに潰れている時は、書けないものだ。

山本さんは本棚を解体し、棺桶を作り、遺体を火葬場まで自分で運んで行った。リヤカーで運んだのだろうか。その時、作家は42歳。

若くして、十分な治療を受けることもできずに手遅れで亡くなった忍耐強かった妻の遺体を、自分が作った棺桶に入れて、運ぶ夫の気持ち。その寂寞さよ。

そんな悲劇は、当時の日本にはいくらでも起きていたのではあるけれど。

一応、この日記から私が知ったことを、以下に書いておきますね。メモ魔の私。

①戦前戦中は、人々はやたらお互いにお互いの自宅を訪問しあっていた。連絡手段が手紙か電報しかないから、訪問。

②病気になると医者を呼びに行く。来てくれるお医者さんもいれば来ないお医者さんもいる。病院外来診察より往診を待つ。国民健康保険ないしね。

③当時は、作家の家に原稿取りに来る出版社の人は女性も多い。空襲があろうが、出版はされ、作家は原稿を催促されていた。1944年秋ぐらいまでは。周五郎は、原稿は前金か、原稿引き渡しの時に原稿料が払われないと書かなかった。おそらく、原稿料を踏み倒された経験があったに違いない(私もあるよ)。

④日記の記述が1944年秋くらいから長くなるのは、その頃から出版媒体が減ってきたから。紙の配給量も減っていたのだろう。作家は、どうしても書いてないと精神の均衡が保てないので、ついそうなると、日記の記述が長くなる。

⑤周五郎は、複数の作品を同時期にいろいろ書いてる。毎日毎日、原稿用紙に数枚から20枚くらいずつ書く。朝起きたらすぐに書き始める。訪問者は朝から来る。同時に周五郎も親類縁者を訪問してる。隣組の仕事もする。近隣の人々の世話もある。主人が 徴兵されている家の奥さんが産気づいたりすると、近所が協力しあう。自分と家族だけ助かればいいという姿勢は、かえって危険だ。生き残るために助け合うのだ。

⑥当時は住み込みの女中さんがいるのは珍しくないけど、その女中さんが頭にくると家を飛び出すので、なだめるのにも忙しい。

⑦大本営の発表なんて信じていない人もいれば、信じてる人もいる。周五郎は信じていない方ではあるが、どうしても戦局に一喜一憂する。日本の敗色が濃くなると、ともかく死ぬまで書くんだと自分を鼓舞する。

⑧ほんとに食糧事情が悪くなってきたのは、昭和19年1944年くらいから。でも、周五郎さんとことに来る客の手土産は食べ物である。そんなに飢えていない。何とか食べている。人間関係において常日頃から誠実だったことが、助けとなっていたのかもしれない。

⑨軽い小さな空襲は昭和18年くらいからあった。酷くなってきたのは昭和19年秋以降。昭和20年1945年となると、敵機襲来はほぼ毎日毎晩。皆疲労困憊してくる。

⑩朝日新聞などのメディアは大空襲近し!と煽り立てるだけで、それに対し日本軍がどう対処するかは報道しない。流言飛語は多く、帝都東京から陸海軍本部が離れたという噂も流れていた。

この戦中日記に触発されて、ついつい、他の作家の戦中日記の類や、戦時中や敗戦後の暮らしの記録なども注文してしまった。

何やってるんですかねえ……

夏休みの小学生じゃないんだから、すべきことはいっぱいあるんですが。

しかし、Kindleは危険。読みたいと思ったら、すぐポチッとすれば、読めてしまうから、買い過ぎる。それにKindleは買ったことがバレない。

だって、紙媒体の書籍がAmazonや楽天から届くと、夫がちょっと嫌な顔するからね。ただでさえ狭い自宅が、積読の書籍によって、さらに息苦しくなるからね。無理もないよね。

なのに、私は、ふと思い立つとBook Offに行ってしまうしね。ふと思い立つ時は、私なりの掘り出し物が見つかる時なんよ。

ということで、本日のBlog記事は、単なる、しかし長い雑読忘備録でした!

「戦時中」なんだからさ、無能非力な私としては、雑読でも乱読でも、本読むぐらいのことしかできないじゃないの。

2件のコメント

  1. 藤森先生こんにちは!
    小田貴月さんて方、初めて知りました。お美しい〰️ 〰️!
    お洋服の着こなしも素敵だ。美のメンターにしたい😄
    先生はほんとにたくさん本を読んでらっしゃるし、映画、ネトフリと吸収されるパワーが凄い。
    わたしもどうにか本を読んでいるんですが、なかなかな頭に入らなくて困っています。
    なにかしら夢中になれるのも才能なんでしょうか。あやかりたい。

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    1. yonemari715さま

      コメントありがとうございます。私なんて、無為に生きてますよ。漂ってるのと同じです。

      読んでも忘れてしまいます。しょうもないです。70歳になっても、知らないことばかりです。ほんとに時間を無駄にしてきたかなああと思います。今さら後悔しても遅いのですが。

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