本日は、2016年3月18日金曜日だ。
4週間の自宅療養も終わり、今は福山にいる。
名古屋でも断捨離作業をチョコマカとしていた。福山に戻っても断捨離作業をチョコマカとしている。
1996年以来20年に渡る大阪や福山での単身赴任生活を来年の3月には終える。であるからして、20年間分の単身赴任生活を終わらせるための廃棄処分作業をしなければいけない。
チョコチョコと少しずつ廃棄処分していく。果てしない作業に思えるよ・・・
今までの引っ越しは、とりあえず段ボール箱に詰め込んで、引っ越し先に来ても段ボール箱開けないままに放置。それで良かった。
が、今度は、そうはいかない。
とうとう20年間のだらしなさのツケを払う時期が来た。
ところで、4週間の自宅療養期間に私が思ったことのひとつは、「生活費獲得労働にあけくれない日々は、それはそれで大変なんじゃなかろうか」ってことだ。
24時間全部が自由になる。毎日が日曜日。
これは、日々の労働のストレスにさらされる身にとっては憧れの境地かもしれないけれど、私は自宅療養4週間に、「毎日が日曜日」をわが身で人体実験して、これは大変だと思ったよ。
「時間がいっぱいあるから嬉しい~~~うんと勉強しよう!!」と思って勉強できるような頭を私が持っていたら、こんな人生はおくってない。
そりゃ負荷のかからないラクちんな暇つぶしの方法はいくらでもあるから、死ぬまでの暇つぶしはできるだろう。
物見遊山みたいなカネのかかるものではなく、ほぼ無料のエンターテインメントは、ありがたいことに現代は各種とりどりある。
インターネットがある。iPadで無料動画アプリ利用して映画でも韓国連続ドラマでも見逃し配信でも視聴していれば、暇はつぶれる。
平和な日本だから、散歩もいい。空から爆弾は降ってこない。ドローンが爆弾を運んでこない。テロリストや通り魔に遭遇するかもしれないけど、その確率は宝くじにあたるよりも低い。
私は、自宅療養4週間の間で、よ~~~くわかった。
「生活費獲得労働のない自由を活用するのはなかなかに大変だ」と。
かといって、1年早めに退職する予定を変える気はない。だって、組織人としても教師としても、きちんと責任を果たす気力も体力も能力も私にはないと、つくづくわかったからね。病気はその気持ちを後押ししただけだ。
きちんと責任を果たす気力も体力も能力もないのに職場にすがりつくには、私は気が小さすぎる。そんな厚かましさや度胸はない。
ほんとに、退職後こそが人間の真価が問われるんだなあ。問うのは世間じゃない。他人じゃない。自分だ。自分の目は誤魔化せないぞ~~~
自分で自分の生き方に納得できる毎日を自分で創っていかないといけない。それを評価するのも自分というこの厳しさ。
もう要請される仕事を受け身でやっているほうが、ほんとラクだよ。
奴隷の方がラク。
こき使われて働いている方がラク。
目の前の実のない労働をしている方がラク。
なんも考えなくていい。自分で管理実行しなくていいし。結果が悪かったら、上司のせい。
ですから、みなさん、今の労働を大いに楽しんでください。
多忙さにドタバタしているのが花です。人生の花です。大輪のバラの花です。ほんと。
だって、人生の時間を全部「あなたが自由に主体的に管理運営して創造しなさいね」と言われて、なんとかそれを前向きに生産的に実践できる人間って少ないと思いませんか?
まさに、退職後の人生こそ、大挑戦で大冒険で大問題で大難関だ。
労働に狩りたてられない自由は、大挑戦で大冒険で大問題で大難関だ!
どうしよう。
と思っていたら、なんと~~~来年の春からの私の厳しい状態は、「未来の人類の常態」になるらしい!
うわあ~~この重荷に人類は耐えることができるのか?
最近、スイスとかが、ベーシック・インカム(basic income)を導入するかどうかの国民投票を6月に実施するとか報道されたではないですか。国民投票で可決されたら、全国民に(現在の日本円換算で)月に30万円支給される。未成年は月に7万円だってさ。
フィンランドはすでに全国民に(現在の日本円換算で)月に11万円支給することが決まっている。
そのかわりに、国民健康保険、年金、障害者手当とか、生活保護給付とか、社会福祉給付は消える。
ベーシック・インカムは、福祉制度の運営にコストがかかり過ぎる(福祉官僚の肥大化)から導入されると考えられてきた。というか、私はそうだと思ってきた。
ところが、違うらしい。NHKの見逃し配信で視聴した『クローズアップ現代』では、以下のような内容のことを識者が示唆していた。3月15日の午後7時半から放送されたやつね。
念のために言っておくが、以下のことは、もろに言われていたわけじゃない。あくまでも「示唆」されていたんよ。NHKがあの時間帯で、こんなラディカルなこと明々白々に言うはずない。
「資本主義体制は、どんどん商品を生産し、それが消費されることで成立される。しかし、消費者に購買力がなければ商品は売れない。不景気は続く。中央銀行が貨幣をいくら発行しても景気は良くならない。労働者の収入に直結しないからだ。そもそも労働者が不要になってきている。人工知能は、現在の人類の労働の半分以上を担うことになる。仕事が消える。仕事がなければ収入がない。収入がなければ購買できない。購買できない人間が多くなると不景気になる。よって、資本主義体制の維持のためには、国家が国民に一定の購買力を付与しておくべきだ。だからベーシック・インカム」
ははああ~~~~????!!!
と、私は仰天した。
なんという発想の逆転。
そうか、福祉制度の維持のコストもさることながら、資本主義体制(社会主義も資本主義体制だよ、国家独占資本主義!!国が企業で国民は完全雇用の社員っていうシステムだ)の維持のためには、購買力のある国民が必要。だけど、人類は失業するから、収入がない。だもんだから、国家がそこは保障する。
巨大なる自転車操業。マッチポンプ。
商品を購買してもらいたいなら、まずは自分の企業の労働者の賃金を上げろよ・・・と思っても、労働者にやってもらいたい仕事は人工知能ロボットがする。その方が生産性が高くコストが低い。
だけど、ロボットは購買しない。消費者&購買者は生身の人間。だから、企業が税金を国家に払い、国家が税金を国民に支給する。で給付金で国民は購買する。
この方式は機能するのか??
このシステムが機能するとして、人間はどう生きるんだろうか??
これ、未曽有の事件だ!!! 人類始まって以来の大事件だ!!!
労働から解放されて、稼ぐことから解放されて、人間は何をするの?
子どもたちは勉強するの?
将来、収入の高い職業に従事できるよう勉強してきたのに、旧人類は。
失業と転落と飢えの恐怖から、人間は学校に行き、子どもの頃からしたくもないことに耐えてきたのに、旧人類は。
これは、すごいことだ。
普通の人類は「毎日が日曜日」になるかもしれない。
そのかわりに、「国家の人畜」確定。
ベーシック・インカムの実施がデフォルトになった人類社会は、どの方向に進んでいくのだろうか。
死ぬまでの暇つぶしを創造的に多様に自由に開拓する「素晴らしき新世界」なのか。
ただ食っちゃ寝て彷徨して消費しているだけの「人類家畜世界」か。
これこそ、イルミナティの目指してきた「新世界秩序」New World Orderか?
まあ、今現在は、世界恐慌の回避のために第三次世界大戦が起きるかもしれない状況なんで、こんなこと言っていても始まらない。
だけど、「戦後の世界」は、必ず人工知能が3K仕事を請け負う世界になって行く。
その時代の人類の課題は、今の人類の抱えている課題より簡単ということはなさそうだ。
ま、私は、人類に先駆けて、「素晴らしき新世界」をどう生きるか身を持ってやりまっしょ。