ECCC

本日は2016年4月14日木曜日だ。

新年度の授業も始まって1週間が経過しつつある。

今年度は福山市立大学での勤務の最後の年、フルタイムの教師としての生活の最後の年だ。

ということで、3年生の専門演習ゼミがない。準備しなくてすむだけラクチン、ラクチン。

もう4年生ゼミの必修の卒業研究指導だけで死ぬわ、ほんと。

大学の裏門に咲き誇る芝桜を眺めながら「来年の今頃は、ここにいないんだな・・・」と思う。

帰宅時に西の空を染める夕焼けを眺めながら「来年の今頃は、ここにいないんだな・・・」と思う。

午後3時にはロックされてしまう学生食堂(市の予算のあまりの乏しさに前の業者が逃げて、入札で業者が変わって、今のところメニューは3種類しかない)で、自販機の100円のコーヒーを飲んでいる最中に3時になったので追い出されながら、「来年の今頃は、ここにいないんだな・・・」と思う。

2011年に民度の低い類のお馬鹿市民から「電気がつけっぱなしだ!」と苦情を言われて以来ずっと照明がなくて暗いままだった大学のホールやロビーや通路だったのだけれども、その暗い所に置かれたテーブルで学生さんたちはお弁当を食べたり勉強したりしていたのだけれども、2016年度から照明がつくようになり明るくなった大学を眺めながら、「来年の今頃は、ここにいないんだな・・・」と思う。

「フジモリさん、まだ右足ひきずって歩いてるね~~なかなか治らないね~~」と言う同僚に対して、「無駄口をたたくな!お前こそ治らんわ!高次脳機能障害で前頭葉が損傷を受けてるんだろ、お前!!」と、心の中で悪態をつきながら、「来年の今頃は、ここにいないんだな・・・」と思う。

来年の今頃にはいなくて、最後だから、もう大いに楽しんじゃえ、好きにしちまえということで、好きにしている。楽しんでいる。

強引に1年生必修英語の科目は英語で全部やっている。

英語のクラスなんだから英語でやるべきであり、何を当たり前のことを今更言っているかって?

いやいや、なかなかそういうわけにはいかないんよ。できないんですよ、それが・・・

全部を英語でやった授業なんて、前の勤務先で担当した外国人交換留学生向けの「日本アニメの諸相:日本人の秘められた欲望」Some Aspects of Japanimations: Hidden Desires of Japanese Peopleという講義だけだったんじゃないか。

私は毒舌舌禍型の人間らしいから、無駄に繊細で怯えやすくて気が小さくて頭が硬い類の学生さんにとっては、私の日本語発言はあまりに真実暴露で苛酷かもしれないので、そーいう方々への思いやりから、全部を英語で言うことにした。

ざまあみろ。

英語で言いたいこと、きついことを全部言ってやる。

だいたい、凡人こそ英語ぐらいある程度やれないと困るんだぞ。

凡人こそ、ECCCだぞ。

ECCCとは、English, Cooking, Computer and Chineseのことだ。英語と料理とパソコン操作と中国語のことだ。

世の中には何でもできる人がいる。天才も秀才も非凡も異能も鬼才も存在する。

しかし凡人は、ともかくこの4つ=ECCCがテキト~にできるようにしておけば、何とか食ってゆけるんじゃないか。

別に、すっごくできるようにならんでもいい。得意にならなくてもいい。

語学は、時間をかければ、ある程度はできるようになる。諦めずに継続していれば、何とかなる。頭が悪くても、何とかなるのが語学だ。

要するに反復だから。

手を使って書き写すというのもいい。

やることなかったら、使用済みコピー用紙の裏に英文を書き写していればいい。

カネのかからない余暇活動である。

料理も人様(ひとさま)に提供できるような水準じゃなくても、手に入る食材で自分が食える程度のものを作れればそれでOKだ。

現代は、ほとんどのことがネットで管理されている時代だから、コンピューターの操作も、そこそこやれるようにしておく。

日本は明治維新から英国の属国だったけれども、1945年の敗戦からアメリカの属国となった。でもって将来は、中国の属国となる。

副島隆彦氏の『日本が中国の属国にさせられる日』(KKベストセラーズ、2016年)を読んでね。

属国でも食ってゆければいい。


西暦2016年は平成28年で、かつ明治149年だけれども、この期に及んで日本が独立国家だといまだに思い込んでいる日本人も多い。

事実は事実なんだから認めるしかない。

属国の国民だっていいわけよ、食べていければ。

独立国家に日本をするようなガッツないなら、それでいいじゃないの。

誰が為政者になっても、庶民の暮らしというのは、「生かさず殺さず」の類だしさ。

他人(庶民)のことなんか為政者だって、ほんとは構っていられんのよん。

まあ、現実の社会や政治や行政や国家運営は、そーいうエゲツナイもんだと想定しておけばリアリティから遊離しないですむ。

ということで、中国語もやっておく。

日本人は中学から6年間も英語を学んでいるのに、中学英語のレヴェルの英語さえ間違いなく書くことができないし、話すことも聴くこともできないし、読むのも自分で思っているほどにはできないというのは、よく指摘されることだ。

日常生活に必要じゃない英語ができるようになるはずない。

英語なんて、字面を見るだけで、「うざっ!」と思うのは、当たり前だ。

その点について、今となっては、私は自分が卒業した名古屋の南山大学に少し感謝している。私的には、特にいい思い出もないところだけれども。

私が入学した1971年当時の南山大学の教員の25パーセントは外国人神父だった。

南山大学はドイツの「神言会」(しんげんかい)というカトリックの修道院が設立したんである。フリーメイソンリーだかイルミナティだか知らないけれども、植民地形成の前段階としての侵略の先兵であり続けてきたイエズス会じゃないからね。

この人々は、当然に学内では英語が当たり前だった。学生に対しても英語が当たり前だった。

クラブでは、ESS(English Speaking Society)というクラブが一番ステイタスが高いのであった。昼休みには、そいつらは英語で話しながらランチをしているのであった。

カリキュラムは、英語以外にも1年生から英語で実施するという科目(「アメリカ文学概論」と「イギリス文学概論」だ!)もあって、宿題を出されても、サッパリわからないのだった。

で、ESS(English Speaking Society)のメンバーを捕まえて、「ねえ、宿題さあ、何だった??」と、毎度毎度頼み込むしかないのだった。くそ。

「英語が話せないのは人間じゃない」という空気が、あの大学にはいともごく自然に漂っていた。

こーいう状況だと、学生は諦めるしかない。

「なんじゃ、ここは植民地か!!」と怒っても、始まらない。卒業できない。

ということで、できてもできなくても、好きでも嫌いでも、英語は当たり前のことだ、日常生活だ、トイレに入るようなもんだという感覚は、私のような人間にも浸透してしまった。

南山大学のあの「植民地風空気」を私は嫌いだった。今思えば、あのころの私の嫌悪感は、「属国の人間が感じる惨めさ」であったのだな。

でもまあ、あのおかげで、英語や外国語にビビらない姿勢だけは身に着いた。

ということで、ECCC!

凡人でも、時間さえかければなんとかなる英語と料理とコンピューターと中国語は、日常生活にする。

と、ガキと若者と中年と初(小)老と中老と大老には言いたい。

ベッドで寝たきりの要介護の寝老には言わない。早くご家族を解放して差し上げてください。と言いたい。

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