ヨルダン・イスラエル旅行 (1) 魅惑の砂漠

本日は2017年9月11日月曜日である。

ずっと更新できなかった。

9月3日にヨルダン・イスラエル旅行から帰って、ボンヤリしていた。

時差ボケもあったけれども、想定外にヨルダン・イスラエル旅行が刺激的だったので、呆然としていたのだ!!

まさか、中東に魅了されるとは!!

異国の風物は、どこのものでも刺激的ではあるけれども、実際に自分の目で見たヨルダンの砂漠は心に沁みた。イスラエルの首都エルサレムは美しかった。

64歳で脳をやられる旅を経験した。

こんなのは生まれて初めてだ。

iPadの壁紙をヨルダンの砂漠にした。

あの砂漠を見てしまったら、もうほんと、細かいことはどうでもいいわ……の気分になる。

欧米なんか中東に比較したら、ものすっごく退屈だぞ。

やっぱり、人類文明の発祥の地は、あそこよね!!

あと数回ぐらい中東を旅できたら死んでもいいわ。

であるからして、しばらくヨルダン・イスラエル旅行について、ここでは書く。

この旅行は個人旅行じゃなかった。

アラビア語は「シュクラン」(ありがとう)しか知らないし、ヘブライ語は「シャローム」しか知らない。

だから、個人旅行は最初から諦めた。団体旅行なんて21歳の初めてのアメリカ旅行以来だったんじゃないか。

いろいろ調べて、「クラブ・ツーリズム」という「近畿ツーリスト」の子会社が企画したビジネスクラスの4泊7日間のツアーにネットで申し込んだ。

ビジネスクラス利用でも、キャセイ・パシフィック航空利用で比較的費用が安かった。いろいろ合計して旅費は1名42万円くらいだった。これ日航とかANAとか使ったら70万円くらいかかるよ。冗談じゃないわ。

どうせ日本からイスラエルに直通のエアラインはないのだ。乗り継ぎの待ち時間が長くたって、ビジネスクラスならラウンジ利用できるので、そこのソファで寝ていればいいのだ。

私の体力や脚の不具合を考えれば長い旅行は無理なので、4泊7日でいいのだ。

ビジネスクラス利用でヨルダン・イスラエル旅行なら、勘違いしたうるさい馬鹿は参加しないだろうから、添乗員つきツアーでも、うざくないだろうと思った。

予想通り、参加者は13名だけで、平均年齢66歳の海外旅行に慣れた方々ばかりで、マナーも良かったし、教養のある方々ばかりであった。

添乗員の30代半ばの女性も非常に優秀でタフで忍耐強い方であった。

現地のヨルダン人の英語ガイドさんも、イスラエルの日本人ガイドさんも優秀で有能だった。

ちゃんと選べば、ああいう質の良い団体旅行はいいものですね。

全部お膳立てしてあるしね。気楽だわ〜〜

海外旅行で困るのは、トイレの確保だ。団体旅行だと、 まめに「おトイレ休憩」あります。あれ助かるわあ〜〜

もうゼミ生引率してのニューヨーク旅行なんかだと、前もってトイレの場所を確認しておかないと歩き回れないもんね。ここのホテルのトイレ、ここの大学内のトイレ、この博物館のトイレって。

質のいいツアー旅行なら、添乗員さんやガイドさんがいろいろ教えてくださるんで『地球の歩き方』を熟読せんでもいいし。

ということで、フジモリも老化劣化して、パック旅行に参加して人様頼りの旅をするようになってしまったとよ。

まず、最初はイスラエルは地中海沿いのテレアビヴ市のベングリオン空港での入国審査。

8月28日に日本出国して、29日にイスラエル入国。

この空港の雰囲気はアメリカの南部の空港と似てた。

イスラエル人の雰囲気は、フレンドリーではないけどまっとうな先進国のヒトって感じ。

イスラエルでは、入国のスタンプをパスポートにポンと押さない。

こーいう「ブルーカード」と呼ばれる紙片を渡される。

イスラエル入国の記録がパスポートにあると、イランとかサウジアラビアとかのその他中近東諸国では入国拒否されるから。

イスラエルに入国したら、大型バスに乗り込んで、ひたすらヨルダン国境まで向かう。

このツアーの最初の2泊はヨルダンで。

中東のパリと呼ばれるヨルダンの首都アンマンには行かないツアーだ。

イスラエル国内も日本車が随分と走っていた。トヨタ、三菱、マツダ、イスズに、ダイハツ、ニッサン。

イスラエルとヨルダンの国境は三箇所ある。

そのうちのひとつの国境で、ヨルダン入国審査。

正確には、ヨルダン・ハシェミット王国。北海道くらいの大きさで人口は2016年度で950万くらい。

最近のISIS騒ぎで、ヨルダンにもシリアから難民が入って、人口が膨れ上がった。

これは、いずれ問題が大きくなるかもね。

国際連盟によるイギリスの委任統治領だったんで、英語がある程度は通じるけど、母語はアラビア語で、1946年に独立して、立憲君主制国家になった。

でも、国民の半数は、中東戦争でイスラエルに占領された地区から難民として流入した人々か、その子孫。

ヨルダンは、今の王様のお妃さまが才色兼備で有名ですね。

ヨルダンの王室と日本の皇室も仲がいい。

1953年に今上天皇が皇太子時代に、昭和天皇の代理で、英国のエリザベス女王の即位式に出席した。でも、第二次世界大戦終結から8年しか経ってなかったので、日本の皇太子に対して冷たくて、座る席がひどかった。

そしたら、今の王様のおじいさんだかお父さんだかのヨルダン国王が明仁皇太子に親切に声をかけて、ご自分の隣の席に案内してくださった。その親切を嬉しく思った明仁皇太子は、その後ヨルダン王室に特別な親愛を感じるようになった。

という説がありますね。

ヨルダンの国王は、英米相手に戦った日本に畏敬の念を持っておられたのかもね。

私だって、すごいわ〜〜と感心してるもんな、日本の先人たちに。

ほんと、あいつらの傲慢さに、よくぞ日本は挑んだ!!

なんちゃって……

それはさておき、唐突に話は変わるが、2017年7月の始めに、国境で、イスラエル人とヨルダン人が衝突した。

イスラエルへの感情は良くないようだ。

イスラエルからヨルダンに入ると、イングランドからスコットランドに入るみたいに景色が変わる。

景色が貧乏になる。 いや、ほんと。

私たちの団体は、テレアビヴのベングリオン空港から乗ったバスを降りて、スーツケースも全部出して、入国審査終わったら、ヨルダンのバスに乗り込んだ。

暑い! 陽射しがすごい!

ヨルダンに入ったら砂漠の中の一本道。

うわあ〜〜〜見渡す限り砂漠。

ヨルダンの国土の80%が砂漠だそーだ。

まさに、旧約聖書の世界だ〜〜〜すごい〜〜〜

バスは、第1の観光地のネボ山に向かう。Mount Neboね。

モーゼが死んだとされる山だ。ヨルダン中部にある。

モーゼは、紀元前15世紀か13世紀あたりで(すっごい大雑把ですね)、120歳で亡くなったということになっている。

旧約聖書には、そう書いてある。

だから、ここは原始キリスト教の信者が、エルサレムから巡礼に行く聖地なんである。

標高680メートルくらいの山だ。800メートルという説もある。

山のてっぺんに教会が建っている。

4世紀末にモーゼの昇天を記念して建てられた教会だ。

宗派はフランシスコ修道会。

ユダヤ教のシナゴーグじゃない。

モーゼが持っていた杖つーのもある。

蛇をあしらった十字架の形をしている。

モーゼの身長は、少なくとも2メートルはないと、この杖は持てないだろう。

ほんとうは、荒野をさまよったモーゼの青銅の蛇状の杖と、イエス・キリストの十字架を象徴したモニュメントだ。

教会の中は、こうなってる。

古代のモザイク壁画がいっぱいあって、研究調査中。

お墓も発掘されている。

ここらあたりで、すでに、私は砂漠の風景に脳が侵され始めた。

なんという魅惑!

なんという崇高の美か!

この砂漠の向こうに見えるのは、あの「死海」であり、ヨルダン川である。

イエス・キリストや預言者ヨハネが洗礼を受けた川じゃ。洗礼って禊やね、要するに。

もっと晴れていたら、死海の向こうにエルサレムも見えるのさ。

ネボ山の次は、おトイレ休憩を兼ねたモザイク制作工房訪問ついでの土産物屋さん。

こういう場所でトイレ使用する場合には、トイレ入り口に立ってる人に1ドル渡す。

現地ガイドさんの顔を立てるためにも、なんか買うべきよん。

別にリベートもらってるとかそういうことではなく、友だちの店に連れて行くなんて、当たり前のことなんだからさ。ロシアでもどこでもそうだよ。

お互いに助けあって生きるのよん。観光客は、ちゃんとカモになるべき。

私が買ったのは、蓋がモザイク画のアクセサリーいれみたいな一辺が15センチくらいの箱。150ドル。時計とか指輪とか放り込んでおけるよ。

店員だか店主の娘さんだか知らないが、すっごい美人(ヨルダンの女性にブスはいないが)が、他に買うともっと安くなるよ、ヴァージンオリーブオイルの化粧品はどうですか?とか英語で話しかけてくる。

ああいう美人相手にグジャグジャしゃべっていたかったけれども、休憩時間はすぐに終わる。

次の目的地は、マダバだ。Madabaだ。首都のアンマンから南へ30キロだけど、ネボ山からは数時間かかった。

多くの古い教会が残り、モザイクで有名な街だ。

私が参加した団体の目当ては、古い時代のパレスチナのモザイク地図が遺る聖ジョージ教会だ。ギリシア正教の教会だ。

ヨルダンとかアラブというと、みんなイスラム教徒のような気がするが、キリスト教徒のアラブ人も多い。

ここで見たモザイクでできた紀元6世紀頃のパレスチナ地図というのが面白い。もともとは21メートルx 7メートルの大きさだだったけれども、今は13X5メートルしか残っていない。

真ん中にエルサレムで、エルサレム周辺のほとんどの重要都市と地形が描かれているのだけれども、どうも同じ地図の中に時代がずれたものが描かれている感じ。

日本人なら安土桃山時代を描いた絵の中に奈良時代のものは描き込まないだろう。

でも、このパレスチナ地図には、古代から6世紀にいたって存在した街がみな同一平面上に描かれているようだった。

歴史感覚が違うんだね、ヨルダンの人々は。

時間感覚と言うべきか。

紀元前も紀元後も現代も同時にリアルに感じているんじゃないか、ヨルダンの人々は。

「永遠の相のもとに」生きている? とも、ちょっと違うなあ。

古代と現代が共存している感じ。

そんな不思議な街が、マダバだった。

さて、バスは、8月29日の宿泊所のペトラ遺跡のホテルへ向かう。

ヨルダンの比較的北部のマダバから、ヨルダンの比較的南部にあるペトラまでは、バスで4時間くらいかかる。

日も暮れてきた。

ヨルダンの街は横断幕が好き。

これは、ロシアなんかもそうだね。

ホテルに到着時間は午後8時頃。

バイキングの夕食をすませて、一行は、中部セントレア空港を発ってから、初めてベッドで眠るのです。

ううう〜〜〜くたびれた。

ホテルは高級ホテルだけど、バスルームの配管がぶっ壊れてる。

排水がうまくできない。

バスタブに湯を溜めて、使用して、バスタブの栓を抜いて、水を流すと、バスルームが浸水します。

バスタブに溜めた湯は使用しても放置。ゆっくりゆっくり排水。

トイレの水が正常に流れれば良しとしましょう、中東だもん。

爆睡の8月29日の晩でした。

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