[254] 大人の遠足

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本日は2018年2月7日水曜日である。

世界的株価下落だそーだ。

田中宇さんは世界大恐慌を予測しておられる。

https://tanakanews.com/

知人は、米やトイレットペーパーを備蓄し始めた。

オイルショックみたいだな。

私の人生は、バブルもデフレもリーマンショックも直接には何の影響もない静かなものであった。

A still lifeよ。

世捨て人ならぬ、世捨てられ人。

私的には、ボケっと世の中を眺めているしかない。

ところで、またも先日2月4日日曜日に歯のチェックと舌はがしのために福山が誇る「歯科室むつてっせん」に行った。

http://mutsutessen.com/

新幹線に乗って、どこかに行きたい病気は治っていないとよ。

で、翌日は、たまたま私の65歳の誕生日であった。

で、なんと「歯科室むつてっせん」院長の松永心子先生が、私のために「大人の遠足」を企画してくださった。

福山市内の内海町という海辺の町にある「魚夢」(ウォーム)という、知る人ぞ知るひらめ・おこぜ料理店に行こう!!ということになった。

このお店は、松永心子院長のご贔屓のお店で、いいお酒もいっぱいあるそうである。

瀬戸内海を眺めながら食すひらめは最高だそーである。

ひらめ!ひらめ!ひらめ!ひらめ!

しかし、「魚夢」のひらめ・おこぜ料理は、まるまる一匹をお刺身にしたり、炭火で姿焼きにしたりするので、1人や2人では食べきれない。

最低4人は必要とのことであった。

で、松永心子先生と、「歯科室むつてっせん」非常勤職員&舌はがし啓蒙活動リーダー&福岡の「七星スパルタ鍼灸院」院長の平井幸祐氏と、「歯科室むつてっせん」助手のYさんと、私のFacebook友だちで、福山在住の同じく「歯科室むつてっせん」の患者さんのJ.Y.さんという女性と、同じく私のFacebook友だちのR.I.さんという女性と私で行こう!

と、いうことになった。

計6人である。

R.I.さんは、なんと埼玉県からいらしたのである。

なんでかっというと、この方は日本中を招聘されて旅するカリスマ整体師&鍼灸師でもある平井氏の患者さんなのである。

前から平井氏が非常勤職員を務める「歯科室むつてっせん」を見学したかったということで、わざわざ福山にいらしたのである。

R.I.さんは、比較的高級な民間高齢者介護施設で働いておられる。

まだ30代のお若い方であるが、介護に臨む姿勢は真摯で誠実である。

食事の介助の際にも、ただ機械的にテキトーに食べ物をスプーンで被介護者の口に運べばいいものではない。

最初はスープを飲んでいただき、嚥下状態に注意しつつ、ちょっと塩気があるものを食していただいた後はご飯にして、次は……と配慮する。

被介護者がボケっと何の反応もなくとも、丁寧に声をかけつつ食事の世話をする。

被介護者の魂に話しかけ、お世話をする。

排泄のお世話も丁寧にする。

被介護者は、それぞれに、いろいろな人生を背負って介護施設に入居する。

30代の若さで、そういう重く深いお仕事をなさっておられるのか……

2月4日の晩は、私は、この方を福山が誇る創作フランス料理店「アンジュール」にお誘いした。

http://unjour-s.jp/

根掘り葉堀り、介護現場について質問させていただきたかったので。

美味しかった!!!

ほんとに、このお店は美味しい!!!

広島大学付属高校の近くの住宅街の中にあります。

このレストランは、J.Y.さんと私のお気に入りなんである!!

まあ、フランス料理をいただきながら、介護や排泄の話も何ですが……

しかし前期高齢者の私にとっては、他人事じゃない。

私は死ぬまで自宅で頑張るつもりであるが、まあ、どうなるかわからないもんね。

夫に本格的介護が必要になったら、無理して老老介護で孤軍奮闘する能力ないからなあ。

だから、いろいろ高齢者介護施設業界についてお聞きしておきたかった。

R.I.さん、貴重なお話をありがとうございました!

で、翌日は朝の10時半から「大人の遠足」だ!

松永心子先生がジャンボタクシーを奮発してくださり、6人乗り込む!

ジャンボタクシー!ジャンボタクシー!

いいのか、月曜日に大人6人が遊んでいて。

人様は働いている時だぞ。

途中で、福山の観光名所の鞆(とも)の浦に寄ろう!

江戸時代の朝鮮通信使の幹部が宿泊した「對潮楼」(たいちょうろう)」に行こう!

当時の李朝朝鮮から来た使節はイケメンぞろいで、行列に若い娘たちがきゃあきゃあ騒いだそうだ。

今と同じだ。

東方神起だ。ユンホ〜〜!! チャンミン〜〜!!

この對潮楼から仙酔島や弁天島を眺めよう!

仙人が酔うほどに美しい島を眺めよう!

武士が海に落とした名剣を取りに潜りフカに殺された漁師の若者の供養塔が立つ弁天島を眺めよう!

「對潮楼」は、村上天皇(926-967)の勅願寺(ちょくがんじ)である福禅寺の座敷のことである。

勅願寺つーのは、時の天皇や上皇が、国家安泰などを祈願して設立した寺のことだ。

對潮楼のある福禅寺は、平安時代からある由緒正しい古いお寺なんである。

一種の宮内庁御用達寺である。

鞆の浦と鞆の里が、どれくらい古くから栄えていたか、それだけでもわかる。

でもって、表が観音様で、裏側に十字架がある厨子が置かれている。

つまり、いつの頃からか、この禅寺はキリシタン寺でもあったのだよ。

ここに日本史の不思議がある。

そのことは、フランスのガイドブックに書かれていて、このお寺をウロチョロしている外国人観光客は、まずフランス人だ。

この鞆の浦で、かの坂本龍馬のいろは丸は紀州藩の船と衝突して沈没したんである。

だから、鞆の浦には、坂本龍馬と紀州藩が談判した茶屋も残っている。

(写真は、ほとんどがR.I.さん撮影のものをパクらせていただいた。すみません〜〜)

奈良や京都に都があった時代において、大阪や堺の港から大陸や半島に渡ろうと思えば、瀬戸内海を通過するしかなかった。

またグルっと日本海に回り日本海沿いの町に行こうと思えば、瀬戸内海を行くしかなかった。

瀬戸内海の多くの島々の間を渡り、下関に至り、関門海峡を抜けて、行くしかなかった。

まさに、瀬戸内海こそ、古代から日本のメインストリートであった。

海の道路であった。

鞆の浦は、潮の満ち引き、潮の流れに乗って移動するしかない船しかなかった時代の、「潮待ちの港」であった。

京に帰る人々も、半島や大陸に渡る人々も、日本海側に行きたい人々も、かつては鞆の浦に立ち寄ったのである。

鞆の浦で8時間ほど過ごせば、潮の流れが変わる。

流れが変わったら船出だ!

それまでは、どうする?

その待ち時間の暇つぶしのための茶屋や旅館が、大昔の鞆の里には立ち並んでいた。

鞆は戦時中も空襲されなかったので、かつての茶屋や店などの旧い建物が残っている。

空気の冷たい冬の鞆の街並みをウロチョロと楽しむ大人6人。

年齢バラバラ。

私が最年長。

「大人の遠足」の楽しさよ。

人生からしばし降りてる時間の気楽さよ。

それから、またジャンボタクシーに乗り込み、目指すは海辺の「魚夢」さんへ。

「魚夢」さんは、アニメの名作「この世界の片隅に」のヒロイン「すず」が嫁ぐ呉のお家みたいな、海辺の高台にある。

そこから見える冬の瀬戸内海の風景は心に沁みる。

その瀬戸内海の珍しく白波がたつ水面を眺めながら食したひらめとおこぜ料理の美味しさよ!!

絶品だ!!!

なあああああんと、このコースで1名7000円だそーだ!!

なんというコスパの高さよ!!

すごいでしょ!!

美味しかったあああああ!!

また、この「魚夢」の女将さんが楽しい。

すっごく明るくて品も良くてマナーが素敵だ。

ランチでうかがったのに、食事が終わったのは午後4時過ぎだった。

それぐらいに、ゆっくりゆっくり、6人の大人たちは絶品料理とおしゃべりを堪能した。

特に松永心子先生の武勇談はすごかった。

福山の名士のお医者さんのお嬢さんとして生まれた松永心子先生は、可愛がられて育ったので、ハチャメチャな方である。

子どもの頃から梅酒が好きで、小学校の同級生から、「心子ちゃん、お酒くさい〜!」と言われていたそーだ。

どーいうガキだ。

長じてはプチアル中で、「飲んで酔って帰宅して目が覚めてみたら、大腿骨が折れていた」というような類のエピソードには事欠かない。

新幹線の中で飲んで眠ってしまって、福山で降りるつもりが広島や博多に行っちゃった……しかたないから、駅前のお店のシャッター前で眠って始発で帰った……

は、普通なんである。

歯科医の女性というと、私のイメージでは、エルメスのバーキン持って外車を運転しているというものである。

しかし、松永心子氏は規格外である。

大丈夫か……

ご自分が卒業した大学の付属の大学病院の口腔外科にお勤めの頃から、この調子であったそうだ。

女医さんって、こんなんですかねえ?

私は、10歳も年下の松永心子院長から、いろいろ責められる。

「舌が上がってない」とか、「スイカ腹をどうにかせい」とか、「毎日体重計に乗らずに痩せようなんて非常識である」とか、「スッピンのくせに、なんでマニキュアだけシャネルなんだ」とか、「舌あげすると、唇の色が綺麗になって口紅なんか要らない」とか。

いろいろ責められるが、私は抵抗しない。

「爪に色塗るぐらいいいじゃんかーー自分の爪なんだしさあ!」とは言わない。

ヘラヘラ笑って誤魔化すだけよん。

前期高齢者65歳の女心よん。

一方、隣の席の平井氏はカリスマ整体師でもあるので、身体が歪んでいる人間を見ると、つい腕が伸びて施術したくなる職業病をかかえている。

で、唐突に、ごくあたりまえのように、平井氏は私の指を掴み、沖縄のハブの皮で作った装置を私の指にはめて、グイグイと回し始めた。

なんじゃ、それ?

痛い!痛い!痛いつーの!!

さすが、「七星スパルタ鍼灸院」院長である。スパルタ式である。

なにしろ、私の身体は捻れと歪みがひどいらしい。

それも年季の入った歪みらしい。

もう矯正したいところだらけであるらしい。

うーん、心は真っ直ぐでも、身体は捻れ歪むのねん。

65年の人生の苦闘の結果よん。

これも、舌が上がると改善されるそうだから、舌はがしに邁進しましょ。

この日の私は毛糸の帽子をかぶりっぱなしであった。

せっかくの誕生日なのに、髪が白菜スタイルであったので、帽子でごまかした。

便利なもんだね、帽子って。

不思議だ。

65歳の誕生日を、私は2016年春までは全くお目にかかったこともない方々と過ごしている。

J.Y.さん以外は、2017年に知り合った方々である。

その方々と旧友のごとく、楽しく屈託なく心置きなく過ごしている。

瀬戸の海を眺めながら過ごしている。

瀬戸の海の恵みである「ひらめとおこぜ料理」を味わいながら。

こんな時間を私が持てるなんて。

思いもかけない想定外の65歳の誕生日だった。

福山市立大学を退職してから、福山にさらにご縁ができる人生の不思議さ。

出会いって、いつあるかわからない。

ご縁って、どこにあるかわからない。

「大人の遠足」を共にしてくださった方々にお礼を申し上げます。

みなさま、ありがとうございました!

「大人の遠足、福山の海辺でひらめとおこぜ料理堪能ツアー」を企画してくださった松永心子先生、ありがとうございました!

遊んでくださって、ありがとうございます!

心子先生のお友だちの似顔絵画家の方が、私の写真をもとに、似顔絵も描いてくださった!

これだ!

似てるかな?

幸せな65歳の誕生日だった。

こーいう日の幸せな気持ちは、後でもっと更にジワジワ効いてくる。

65歳になっても「思い出」ってできるんだね。

「光るような一日」って、あるんだね。

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