[314]真っ白な便器こそ平和と繁栄の象徴

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本日は2018年8月12日日曜日である。

お盆期間が8月11日から16日だとして、今日はお盆2日目。

お盆のお墓まいりは10日に済ました。

マンションと呼ばれる集合住宅暮らしの身なので、迎え火送り火はしない。

ただ、いつもより長い線香でご供養いたします。

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お盆で、かつ敗戦記念日が近いので、TVも戦争物特集を放映する。

その度に思うのが、トイレのことだ。排泄のことだ。

戦地ではトイレはどうだったんだろう。

トイレのことは、戦記物にもほとんど書かれていない。なんでだろ。

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いつも、真っ先に私が気になるのはトイレのことだ。

講演会場でもトイレに難があると知っている会場には行かない。

受験で出かけた某国立大学のトイレは鍵が壊れていたし、和式で、水の出も悪かった。

「こんなとこ、受からんでいいわ……」と、チラリと思った。

落ちた。

外国も、トイレが水洗でないところには絶対に行かない。

憧れのモンゴル高原に行かないのはそのせいだ。

水洗でもトイレが汚いところには行かない。

中国のトイレはあかんと聞いていたので、上海ではホテル以外では用を足さなかった。

2005年にロシアに行く前は随分と悩んだ。社会主義国は競争がなく無責任が蔓延してトイレは猛烈に汚いそうで、ロシアの公衆トイレの汚さには定評があると、いろんな本に書かれてあった。

資本主義化されて10年以上経過してるけれども、ダメかもなあ……

それでも、アイン・ランドの故郷が見たくて決死の覚悟をして行った。

2005年には、美術館や博物館のトイレは大丈夫のレベルだった。良かった!

配管の質が悪いのか、トイレットペーパーは便器に流せなかったけど(これは韓国も同じ)。

ともかく!

トイレこそが、人間生活の要だ。

快適に人間が暮らせるかどうかというのは、トイレにかかっている。

だから、戦地での野営とか、トイレは難儀だったろうなあ……

と、私は思いをはせる。

絶対に便秘になるぞ。痔になるぞ。

戦場でまずすべきことは、トイレ用の穴掘りと、遺体用の穴掘りと、どこかで読んだことがある。

硫黄島みたいに洞窟を掘った陣地のトイレはどうだったのか?

沖縄のひめゆり部隊が野戦看護婦をした洞窟のトイレはどうだったのか?

ソ連国境越えの報を聞いて逃げるべく満州鉄道でひたすら走っている列車のトイレは使えたのか?

防空壕に身を潜めている時のトイレはどうだったのか。

私は生来超神経質なので、子どもの頃から排泄は悩みの種であった。

トイレは暗いし臭いし、どう掃除したって、下を見れば便壺だ。

落ちたらどうしよう。

私が子どもの頃は一般家庭はまだトイレが水洗ではなかった。

中学の時に和式ながら水洗になった。すぐに洋式になった。

私が40代に入ったときは、シャワレットが一般的になった。

万歳万歳万歳万歳万歳万歳!

日本の高度成長万歳!

日本の近代化万歳!

経済成長万歳!

ということで、私にとっては、現実から遊離しないために、リアリズムに徹して物を考えるという姿勢を守るために、快適なトイレが実現できるかどうかが基準なんである。

それこそが、掛け値なしのquality of lifeの保障点である。

清潔なトイレで排泄がスムーズにできるかどうかが、人生の幸不幸を決めるんである。

ほんとは、そうなんよ。

どんなにロマンチックな恋愛であっても、恋人たちはトイレに行かねばならない。

『源氏物語』なんか全く優雅じゃない。

十二単のお姫様たちは、どうやって用を足したのか。

十二単の着物の裾は、尿や便や経血で汚れたに違いない。

毎日洗ったとは思えない。

ばっちいわ。

和歌なんかサラサラ書いても、お尻は汚い。

お尻の穴なんか下女が綺麗に拭いたそうだけど、私が下女ならテキトーにやる。

完璧に綺麗に拭き取らない。面倒くさいし、他人のお尻の穴だもの。

小津安二郎の映画は「日本の美」を描いていると言われる。

だけど、原節子さん演じる上品なヒロインが使用していたトイレは和式で、トイレットペーパーは新聞紙だったんじゃないか。

「まだあげ初めし前髪の

林檎のもとに見えしとき

前にさしたる花櫛の

花ある君と思ひけり」

「やさしく白き手をのべて

林檎をわれにあたへしは

薄紅の秋の実に

人こひ初めしはじめなり」

と、島崎藤村さんがロマンチックに書いたのは、明治の頃の日本のトイレを含むもろもろの不快な現実を超越するためであったろう。

これ「初恋」って詩です。

宇多田ヒカルさんの「初恋」じゃないです。

村下考蔵さんの「初恋」じゃないです。

ロマンチックとか美への耽溺とか、現実がもう不快で臭いので、それを乗り越えるために脳が生み出す幻想であり自己防衛反応だ。

現代はロマンチックが足りないかもしれない。

それはロマンチックで糖衣錠にして飲み込み忘れ存在しなかったことにするほどの不快な現実がなくなってきたからかもしれない。

ロマンチックな情緒は、トイレが汚いから生まれる。

どんな立派な偉い人でも、忍耐強い人でも、優秀な人でも、絶世の美女でもトイレに行く。

トイレから考えると、人間は哀しいほどに平等である。

絶望的なほどに、平等である。

笑うしかないほどに、平等である。

だから生身の人間に過剰な期待をしてはいけない。

生身の人間は排泄をしなければならないから。

だから、災害の避難所で一番大切なのは、真っ先に整備すべきはトイレだ。

私は、昔の王侯貴族より快適に暮らしている。

これ真実。

エアコンあるし。

洗濯機は放置しておいても乾燥までしてくれるし。

シャワーもお風呂も毎日よん。

何よりも何よりも、トイレは水洗で、かつお尻の穴まで洗ってくれる。

トイレットペーパーは柔らかく、ちゃんと難なく流れてくれる。

素晴らしい……

ときおり、今の時代に生まれた自分の幸運に、私は息詰まるほどの安堵を感じる。

ありがたい……

これ以上を望んだらバチがあたるかも……

清潔なトイレは、平和と繁栄の象徴だ。

白い鳩なんかじゃねーよ。

真っ白な便器こそ、平和と繁栄の象徴だ。

仮設トイレも、進化しているそうである。

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私は、新しいトイレとか便器写真を見ると、人間社会の進歩を信じることができる。

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