[505] 9/22/2021 深緑野分『戦場のコックたち』(東京創元社、2015/2019) を読み、日本軍の将兵の方々の飢えを偲ぶ

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本日は2021年9月22日水曜日です。

私は、以下のような写真集みたいな本を舐めるように見るのが好きだ。

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私の父は1926年大正15年生まれなので、軍隊体験はない。

1945年8月30日に徴兵検査の日だったけれども、15日に敗戦で、その後はわけがわからない状態になり、徴兵検査の会場に行くべきか行かなくてもいいのかわからず、まあいいやと思ってサボったそうだ。

実際は、こういういい加減なのが多かったのだ。

父の妹の夫などは、海軍飛行予科練習生(予科練)の飛行機乗りだったけど、敗戦と聞いて、サッサと飛行機で日本に帰ってきちゃった。上官もボケッとしてたから。

要領のいい人は生き残る。まだ生きてます。

「戦争があと半年長引いていたら、本土決戦で俺は絶対に戦死してたなあ」と、よく父は言っていた。

本土決戦だったら、連合軍のdownfall planで、日本人そのものが地上から消えていたかもしれないが。

父の兄は、1924年生まれで19歳で、熱田工廠という軍事工場に徴用されて、そこで空襲にあって1944年に死んだので、軍隊体験はない。

父の父(祖父)も軍隊体験はない。

成人男子全員が3年間軍に入るというのは、国民皆兵というのは実質的には昭和からの慣行で、その前は抽選式だった。いや、ほんと。

ついでに、家長とか一家の後継者は徴兵免除だった。だから徴兵逃れで、他の家の養子となったり、婿養子になったりする人間が多かった。

祖父は長男だったので、徴兵免除だった。

というわけで、私の家系の直系男子は誰も軍隊体験がない。

だから、いろいろなことを私に話した父も、軍隊のことは知らないので話ようもなかった。

だから、私は、山本七平氏や伊藤桂一氏の書いた日本軍について書いた本で、いろいろ想像したのだった。

特に、戦地に行ってからの兵站について興味があった。

簡単に言えば、戦地の兵隊さんは何を食べてたのかな?と思っていたのだ。ま、戦地も北から南へと、いろいろだったけど。

ところが、資料がない。

平時の時の軍の食事に関しては、次のような資料が2009年に出版されている。

一兵卒から元帥まで何を食べていたか、その予算まで克明に調べられている

この本はすごいんですよ。

パン食というのは軍隊で一般的なものになった。

ほら、毎食毎食ご飯を炊くのは大変でしょう。炊事班の人だって、大量のご飯を炊くのはきついから、朝はパンとか、昼はパンとか。

ただし、今の食パンではなく、コッペパンみたいな形の。パンを軍隊で焼いていたわけではないようだ。オーブンなんてものはない。

メニューは、白米に麦を混ぜたものがお椀に山盛り。あとはオカズ一品と味噌汁がスタンダートで、お味噌汁は具がいっぱいだ。

オカズは竜田揚げとか肉じゃがみたいなもので鶏肉と豚肉が出ていた。牛肉は滅多に出なかった。

それでカレーライスもシチューもメニューにはあった。

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この本は、じっとじっと読んでいるだけで、戦前の日本人の暮らしのイメージが掴めてくる。

慎ましくはあるけど、今のスナック菓子とかよりは、はるかに健康的だな。

健気に軍隊生活を過ごす日本のかつての男性たちの姿も面白いのです。

が!

平時の軍隊の食事の資料本はあるけれども、戦地の食事の資料がない!

この本の著者の藤田昌雄氏は、戦場での軍隊の食事についての本も出版したいと書いておられたが、それは未刊行だ。

海外に派兵され戦死した将兵の死因の6割は、病死、栄養失調死、餓死だからな、そんな資料は敗戦のドサクサで消えたか、資料なんてものそのものが残せなかったか。

映画「硫黄島からの手紙」の硫黄島では、日本軍の将校の食事がミミズだったし。

そんなときに、私は深緑野分(ふかみどり・のわき: 1983-)さんという作家の『戦場のコックたち』というミステリーを知った。

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読む前は、Amazonで検索したときは、日本人の作家だから、勝手に戦場の日本軍の炊事班の話かと思い込んだ。

「コックたち」というのが、ちょっと引っかかったけど。

ところが、この本は「日本人女性のミステリー作家」がリサーチによってのみ書いたヨーロッパ戦線の軍隊で料理を担当する米軍兵士たちの話だった!

表紙にArmed with Skilletsと英語の副題がある。

「スキレット(鍋とフライパンがいっしょになってるみたいな調理道具)で武装して」だ。

日本式に言えば「中華鍋が俺の武器」かな。

この小説すごいよ。

深緑氏が、誰かアメリカ人の作家名をでっちあげて、自分は翻訳者です〜〜と言っても通用するほどに、日本人が書いた匂いがしない。

主人公は1925年生まれの志願兵で、17歳で米軍に入り、2年間の訓練を受けて「合衆国陸軍第101空挺師団第506 パラシュート歩兵連隊第三大隊G中隊の管理部付きコックのティモシー・コール五等特技兵」だ。

おそらく日本軍でも炊事班は大事な大事な任務を負っているのに、他の将兵からは馬鹿にされていただろう。

米軍でも、コック兵は軽く見られていた。

すっごく重要な仕事なのに!

だけど料理という特技を持った特技兵だから、給与はただの兵卒より、ちょっと高い。specialistだもんね。

この小説は5つのミステリーからできてる。主人公が属する大隊が1944年のノルマンディーにパラシュートで降下してから、ヨーロッパ戦線が終結するまで(ナチスが壊滅するまで)が時系列に描かれ、そこに至るまでの5つの戦場で起きるミステリーを、主人公たち戦場のコックたちが謎解きをする。

私が、ショックを受けたのは、ミステリーの面白さじゃない(ミステリーそのものも面白いけどさ)。

戦場のコックたちの仕事を支える兵站の潤沢さだ。

米軍には「野戦調理器」field rangeつーものがある。

「中庭に戻ると、野戦調理器の組み立てが終わったところだった。伸びた煙突と四角いオーブン部分は、いつ見ても蒸気機関車を思い出す。溝を掘ってドラム缶を乗せた洗い場も完成していた。駆け寄って作業の残りを手伝い、四隅にポールを立てて雨と日除けのテントを張る」(p60)

「一段落ついて、改めて野戦調理器を眺めた。訓練で使い慣れたM1937型の野戦オーブンレンジと同型で、調理台の高さはぼくの腰くらいまである。オーブンレンジ部分にはいくつかの蓋がついていて、前面を引くと、中が二段式のオーブンになっている。これはグリル用で、炒め物などを作るときは上面の覆いを取り、そこに専用のバットをはめ、フライパン代わりにする。大量料理にはもってこいだ」(pp60-1)

1937年型

「火力はガソリンを燃料とするバーナーだ。需品科が運んできたガソリン缶にバーナーのチューブを取り付け、レンジの下に設置し、着火すればすぐに使える。簡単だ。あっという間にブリキの煙突から煙がもくもくと湧き出る」(p61)

主人公たちコックは、これでスープと湯気のたつホッコリと焼き上がったベイクドポテトを作った。

スープはブロスの缶詰を大鍋に開けて、水を加えてそこにいろいろ入れ込んで煮込むらしい。

ブロスってのはbrothで、スープストックのこと。肉と香味野菜を煮込んだ出汁ですね。

野戦調理器が野戦病院や司令部に回されると、料理できないので、Kレーションを兵に配布して食べる。

「Kレーションというのは、ミネソタ大学のキーズ博士が空挺兵のために開発した小型の携帯食だ。長方形の外箱のデザインは、ストライプ、星のマークと、そして不思議な曲線模様の三種類、ひと目で朝食、昼食、夕食がわかるようになっている。一セットにつき、ビスケットや肉類の缶詰、チョコレートやキャラメル、角砂糖、ブイヨン、水に味をつけるための粉末などが、まるでランチボックスのように詰まっていた。ちなみに朝昼夜で微妙に組み合わせが違う」(pp67-8)

「一日の食事が全部Kレーションであっても、栄養価に問題はないように計算されている。技能訓練の担当教員だった、通称ドクター・ブロッコリー—-髪型がブロッコリーそっくりなのだ—-も惚れ込む品だ。何しろ、三食分で3900キロカロリーは摂取できるはずだし、木製スプーンや煙草、トイレットペーパーまでついているのだから」(p67)

このKレーションに入っているトイレットペーパーとは、食後に出す大便用だよね。

いたれりつくせりだ。

アメリカはずっといつも戦争してきたので、こういうものは未だに活躍している。

野戦調理器を災害用に購入する人もいる。キャンプにも使うらしい。軍の放出品なんかを。

価格は、中古品で700ドルぐらい。

今の自衛隊にも、類似のもっと進化した野戦調理器があるんじゃないかな。

このKレーションのようなものは、陸軍付き空挺隊ばかりでなく、海兵隊にも支給されたに違いない。

硫黄島の米軍兵は、こーいうの食ってたんだ。

チョコレートあったんよ。

かたや、日本軍はミミズだ。ミミズ。生のミミズ。

南方の戦場で、「握り飯2個食えれば、絶対に勝てるのにな」と言う兵士のことを、何かの本で読んだことある。

もう……

国のために戦場に来て、おにぎりすら食べることができなかった将兵の方々の霊に黙祷!

戦場に行った日本兵は、食料にも困ったけど、お尻を拭く紙にも困ったそうだもんね。

米軍は、コーヒーの粉末も持っていて、湯に溶かして飲んでいた。

なんと「粉末の卵」もあって、戦場のコックたちは、これでオムレツやスクランブルエッグを作ってた。目玉焼きは無理。

粉末の卵は美味しくはなかったようだけど、オムレツはオムレツだ。塩胡椒の味くらいはしたんじゃないの。

シチューの缶詰は、野菜や肉がごった煮にされたようなものだったけど、缶そのものを焚き火で熱すれば、それはそれで温かいビーフシチューらしきものになり、兵の心を慰めた。

なんかね……

このことは、私は『馬鹿ブス貧乏で生きるしかないあなたに愛をこめて書いたので読んでください。』(KK ベストセラーズ、2019)にも書いたけど、米軍は戦地の兵士用ペーパーバックの書籍も送ってたもんな……

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なんかね……

戦地に送った将兵に食糧も送ることができない程度の国が、戦争なんか一丁前にするなよ。

食糧を積んだ輸送船が攻撃され撃沈されたからって、理由にならない。

撃沈されるに決まってるじゃないの。

外地の食糧は現地調達だったらしいけれども、強奪しないと入手できなかったろうな。

そうなると、外地の人々に憎まれる。

こういう非現実的な点が、日本人の脳の変なところ。

食を馬鹿にするところ。

こういう点はいまだに治ってなくて、日本の食品の添加物の量は最多らしいよ。

中国の野菜の農薬を馬鹿にできるか。

料理を馬鹿にするところもダメだ。

食材の調達をいい加減に考えるところもダメ。

とことんリアルに考えて想像して備えないところが、ダメ。

見よ!米軍は、食後の排泄のことまで考えて、食糧セットにトイレットペーパーまで入れておいたんだぞ。

日本って、ソフトはいいけど、ハードがダメなんかしらん。

細部はよく見えても、全体が見えない知的近視なんかしらん。

最近は細部も見えなくなってる感じですが。

しかし、なんですね……

リサーチだけで、戦場のコックたちを描いた深緑野分氏は、すごい!まだお若いのにすっごい才能!

映画化されんかしらん。アニメでもいいけど。

https://shushi.marvellous-labo.com/asahikawa/shomei/

6件のコメント

  1. 読ませていただき、自分の父のことを思い出しました。私の父は1925年生まれ、15歳の時、戦地に赴き、戦後はシベリアに抑留され、24歳の時に、幽霊のようになって帰ってきたそうです。戦地でもシベリアでも、その生活は、食事からして、すべてが、地獄のようなものだったのだろうなと、改めて思いました。

    いいね: 1人

    1. wildsumさま

      コメントありがとうございます。そうでしたか。お父様は、すでに15才で戦地に。陸軍幼年学校に入学なさったのでしょうか。

      で、24歳までシベリア抑留ですか。青春時代が戦争時代ですね。

      いやあ、大正末期に生まれた方々は、一番割りを食い、経験したことを何も語らずに、亡くなった方が多いのではないでしょうか。経験者以外には想像もつかない苦難だったと思います。

      いいね: 1人

  2. アメリカ軍は、アイスクリーム製造器も持参していたそうです。上陸した米軍が備えていたそれを、武器だとばかり思ったらアイスクリーム製造器。その事実を知ったとき間違いなく日本は負けると思ったと、元日本兵の方が以前回想していました。
    食べるものがければ戦えませんよね、そりゃ。

    いいね: 2人

    1. コトリさま

      コメントありがとうございます。アイスクリーム製造機ですか……ため息が出ますね。

      父は、名古屋に終戦近い頃に不時着してしまった爆撃機の中から引きずり出された米軍兵が、サンダルを履いていたと聞いて、ああ戦争は負けだなと思ったそうです。

      サンダルばきで「気楽」に爆撃にし来る米軍兵。

      その米軍兵は住民のリンチにあって亡くなったそうですが。

      いいね

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