#613 2/14/2023 老後の人生のイメージを今から生き生きと保持することのススメ

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本日は2023年2月14日火曜日です。

廃人の日々なんで、午後9時ともなると、フラフラになり寝床に入り、iPad いじくっているうちに寝落ちで、目が覚めると午前4時頃。

で、寝床でまたiPadいじくってるうちに飽きて起床して、お白湯飲みつつ朝刊読んで、ちょっと本も読むけど、廃人だからずっと読めず。

まあ、別にこのまま廃人でもいいんだけどさ。

先々週だかに誕生日が来ちゃって、私は満70歳になったんですよ。

もう、どうすりゃあいいのよ。

だってさ、自分が70歳になるなんて、若い頃は思ってもみなかったわけよ。

20歳の頃はさ、30歳にはこうなっていたいなというイメージがあった。

30歳の頃はさ、40歳にはこうなっていたいというイメージがあった。

40歳の頃は、50歳にはこうなって……と想像してた。

で、まあ、ほぼほぼ、イメージしたとおりに生きて来ることができた。

40歳で購入したマンションのローンは、利子部分を圧縮するべく、まとまった額がたまると、せっせせっせと一部繰り上げ返済を何度も繰り返し、50代で完済したし。

住む場所は大事。名古屋市内でも人気の高い良いエリアのマンションを購入した。1993年で6700万円の3LDKを購入した(今は2300万円くらいに値段が下がってるけど)。

頭金1700万出したけど、残金5000万だから、もう早いとこ返済だということで。

35年間ローンで、固定金利4%だった。35年間なんてかけてられるか。遅くとも60歳前には絶対に完済だ!

夫婦二馬力で返済し終わったときは、ほんと嬉しかった。

ところが、そのあたりから、未来の自分をイメージすることを私はストップしてしまった。

還暦以降の自分がイメージできなかったのであります。

60代の自分?死んでんじゃないの?なんて、思ってた。

両親とも60代で亡くなってるし。

子どももいないので、孫を可愛がるおばあちゃんのイメージもなし。

つまり、私は、Ayn Rand研究以外は、とりあえずの目標とか無くしちゃったんよね。

だから、福山市立大学に移った58歳以降って、ほぼやる気ゼロの日々。

大学だの、学問だの、日本だの、教育だの、世界だの、政治だの、人間だの、幻想が壊れちゃっていたし。

Ayn Randを知って以降、政治や経済やいろんな分野の本を読み漁っているうちに、権力者共同謀議論も読み漁り、この世界に対する幻想が、ぶっ壊れたし。

田舎のこんなとこで、こんなことしても、しかたないじゃんと、いつも思ってた。同僚も学生も、遠い風景。

まあ、きっと疲れていたんだろうね。遅く来た更年期だったのかもしれない。

ならば、58歳で教師なんて辞めて名古屋に帰れば良かったけど、自分が長生きするリスクというものも考えちゃった。

年金額を少しでも増やしておくために、働き続けるしかないかって。

なにしろ、私みたいな脳足りんの実質中卒でもないような人間が、正規雇用大学教員という安定した聞こえのいい職を得ることができたのだから、粘ることができるだけ粘ろう、と思った。

でないと、若い頃の自分の苦闘に申し訳なかった。33歳でやっと正規雇用されたんだからさ。

でも、辛かった。いつも疲れていた。脚も悪くなったし。

しかし、うまい具合に肝臓を悪くしたので、退職する口実ができた!病気ならしかたないよ。

嬉々として、私は退職願いを出した。自分が、いかに辞めたくて仕方なかったのか、あらためてよくわかった。2015年の秋は嬉しかった。

でもまあ、ゼミが1年残ってたんで、ゼミ生が卒論書いて、きちんと卒業するのを見届けて退職しようということで、実際の退職は2016年度が終わる2017年3月にした。

責任感とか学生への愛情とか、そういうことじゃない。

私の属していた学科の性格も頭も悪い同僚たちのゼミに、途中から私のゼミ生が入ったら、いじめられること必定と思っただけ。

給与も低いし待遇も悪く、雑用も多くて、管理職もパープリンだと、どうしても、そのストレスで教員も性格も頭も悪くなるのよ。

若くて優秀な教員は、どんどん別の大学に移って行ってたし。

ともかく、めでたく、私は2017年4月から、無職となった。

少ない退職金で、行きたかった上海に行ったり、ヨルダンやイスラエルに行ったり。やっぱり自分の目で直接、見ないとわからないよね、何事も。

フラフラと遊んでいたら、2018年10月に夫が腸閉塞でERへ。大腸癌判明。ついでに腎臓癌も判明。

そこからは、もう怒涛。

2019年に、思いがけなくもエッセイ出版の話をいただいて、夫の抗がん剤治療を待っている間に、iPadに原稿を入力。

それから、やいのやいのと今日にいたり、締め切りを気にする日々が続き、5作目の原稿を出して、気がつくと、やはり私は自分の老後の人生のイメージがない。

今の廃人時期こそ、それを考えるチャンス。

で、ですねえ、私がみなさんに何を言いたいかといえば、やっぱり、ほとんどの人間には老後というものがありますので、その老後の日々をどう過ごすかについての具体的なイメージを、生き生きと持って育てておく方がいいですよ、ということなのです。

イメージって大事ですよ。

どういう自分になっていたいかというイメージは大事。

それは実現するのよ、ほんと。

イメージを持つことや夢見ることは無料だもんね。

私も、この無為なる廃人時期に、これからどうしたいのか、じっくり考えます。

60代で癌にならないと、下手すりゃあ90歳まで生きちゃいますからねえ。

第三次世界大戦つーたって、必ず終わるから。

戦後が来るから。

経済危機といったって、貧乏でも人間は生きて行けるんで。

それに大きく見れば、やはり世の中はいい方向に進んでいるので。

これからの10年先にも、世界も日本もあるので。地球はあるので。

まずは、私の場合は、転倒して脚の骨折して寝たきりにならないように、脚力をつけること。

本を読むのだって、体力ですからね。

じっくり読んで理解するのだって、脳という内臓の筋力だもんね。

他人の話を聴く力も、体力ですからね。

さて、今日は天気がいい。

亡き父の命日が近いです。31回忌かな。お墓参りに行こう。

あ、最近読んだ本の中の一冊を最後に紹介させていただきます。

https://amzn.to/3XrKRsa

Amazonにレヴューも書きました。

(転載はじめ)

日本発権力者共同謀議論が世界を覚醒させつつある?

日本人は極東の離れ小島の土人(副島隆彦氏の言葉)だから、世界基準の知識はないし、英語で書いて世界の知的階層に発信する能力はない。どうでもいい世間話を英語ですることはできても。

しかし、故山本七平氏が言ったように、日本人は勘はいい。直感的に変だなああと感じることを誤魔化さない。で、歴史の通説とか西欧由来の思想の変なところを、勝手に追求したりする。

で、日本ではいろいろな権力者共同謀議論が流通してきた。日本の普通のエリートたちは、既成のものの考え方から抜けないので、日本のメインストリームの中にいることができる。彼らや彼女たちは、知的エリートと呼ばれる一種の知的障害者であり、自分たちの考えることから外れる考え方は、みな陰謀論として退ける。西欧という先生のペットであり続ける。西欧が流通させてきた歴史観や思想を疑わない。

しかし、そろそろ、その洗脳がじわじわとほころびかけている。ベンジャミン・フルフォード氏のような人物が、日本の権力者共同謀議論に刺激されて、いろいろ研究し、英語でネット世界で発信し、それを知った欧米人の中の地頭のいい人たちが、自分たちの生きる社会の仕組みの変な点に気がつき始めた。

何を気がつき始めているのか?本書を読んでください。ものすごく面白いから。表向きの歴史に隠された歴史が見えてくるから。その真の歴史が、今現代の国際問題といかに結びついているのか、見えてくるから。

その一例はユダヤ問題。ユダヤ人はエジプト人。あとはみんなバッタモンの似非ユダヤ人。この似非ユダヤ人の一部が古代より小児生贄カルトで、彼らがやらかしてきたことが、いわゆるユダヤ陰謀説。こいつら、ほんとに気色悪い。

私個人としては、最終章の霊魂、スピリッチュアル問題がもっとも興味深かったです。やっと霊魂の問題を宗教ではなく、身体と人間の問題として、言葉や思想の力として論じる時代が来たんですねえ。

(転載おわり)

6件のコメント

  1. >私の属していた学科の性格も頭も悪い同僚たちのゼミに、途中から私のゼミ生が入ったら、いじめられること必定と思っただけ。

    先生はこれを責任や愛情ではないとおっしゃる。ではなにかといえば「けじめ」でしょうか。
    「けじめ」をつけずに次に進んでもいいことないんですよね。諸々の閾値が下がって自らレベルダウンに向かうようなもんです。

    肝臓が先生に「もう辞めていいんだよ」と背中を押してくれたのですね。物事って始めるよりも終わらせる方が難しいような気がしています。終わらせる時のほうがいろいろと理由が必要。

    先生が最後にお勤めになった大学もこのような感じになってしまっていたのでしょうか。
    https://note.com/tanakakeitaro/n/nbf872ebf9f4e

    いいね: 1人

    1. Yukariさま

      コメントありがとうございます。

      うーん、けじめだったのかなあ。あんな連中にゼミ生を託せない!という気持ちでした。いや、ほんとに、最後の勤務先は問題ありすぎなところで。今でも若い優秀な先生方の流出が止まりません。

      最後の勤務先は、2011年創立でして、最初からほんとに問題ばかりで、このnoteに書かれていることよりも以前の問題が多過ぎました。

      いや、ほんとにいい経験になりました。

      始めるより終わる時の方が理由が必要、終わらせるのが厄介というのは、おっしゃる通りだと思います。

      いいね

      1. >あんな連中にゼミ生を託せない!という気持ちでした。

        わかりました!膝ポン。
        俠気、ですね。
        うす甘い憐憫の情に脳みそをハックされてるヒトは持ち得ないものですね。

        いいね: 1人

      2. そうかもしれません。侠気は女性の方がより本能的にもっているものかもしれませんね。後先を考えませんもの。翻って男性のそれは二次的、オプションかも。「こんな俺、かっこいい」と酔える舞台が整っていなければ侠気の発動はないかも。

        いいね: 1人

      3. Yukariさま

        コメントありがとうございます。返信が遅れて申し訳ないです。

        廃人度が高まってしまって。

        まあ、男性の真似して、常に保身の計算ずくの女性ってのは、しょうもないと思いますね。ほんと。

        いいね

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